星の距離さえ動かせたなら   作:歌うたい

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五節『紅い月の隣人』

日常というものは、何か一つの異物の混入で呆気なく崩れてしまう事など、ざらである。

 

思春期であれば異性だとか、音楽の趣味でも、ふと薦められるがままに手に取った本にすら左右されてしまうもの。

ちょっとした喧嘩が発端になることもあれば、価値観を変えるような衝撃を受けるような出来事によって、日常という形は変わってしまうのだ。

 

 

その変化を尊いと思うのか、或いは不幸と呼ぶのか。

きっとそれもまた千差万別。

 

 

であれば、今の自分が置かれた状況はどうなのだろうかと、紅い眼をしょぼしょぼと明け閉じしながらシャコシャコと歯を磨く自分を鏡越しに見据えながら、ぼんやりとそんな事を考えて。

 

尊い?――下手なジョークだ。

 

不幸?――笑えない冗句だ。

 

 

ただ、確かなことは。

これが冗談で済んだとしたら、きっと神様に三秒間くらい祈ってもいい。

紛れもなく本心から思っている事を、しかし、心のどこかで諦めているのは間違いなく不幸ってやつなのだから。

 

 

 

「ウサギ、早くなさい。貴方の任務には朝食の準備も含まれている筈……ある程度の余裕を持って行わぬ限り、その損失はいずれ自らの首を絞める事に繋がると心得なさい」

 

 

 

「その余裕を逐一削ってくれてありがとォよ」

 

 

 

「ほう、謙遜とは良い心掛けです。しかし、朝食に関しては私も与えられる側……よって、御礼までは受け取れません」

 

 

 

「誰も本気でありがたいなンざ思ってねェよォ!朝だからって頭回ってないンじゃないですかァ!?」

 

 

 

洗面台に口内の水と歯磨き粉を流しながら、もう一度、うがい。

こめかみをひくつかせながら、うがいをして一息。

憂鬱な青を背負った、普段に増して肌白い一方通行の瞳が、鏡越しに後門に立つ紅い狼を力なく見据えた。

 

 

「失礼な。中将と会した時も思いましたが、オマエは目上に対しての言葉遣いが成っていない。余りに口が過ぎれば、狩猟が決行されるのだと知りなさい……あぁ、心配しなくとも、兎狩りは得意です」

 

 

「囀ずンな、鬱陶しい……歯磨きくらい静かにさせろ。噛み付いてばっかの駄犬と違って、歯の手入れは欠かせねェンだよ、人間サマは」

 

 

麗らかな春もさながらの陽気な朝にはとても相応しくない、殺伐とした雰囲気が軽い応答だけで出来上がる。

其処だけ僅かに空気が淀んでいるような、下手に足を踏み入れてしまえば、あっという間に見えない圧力に血の気が引いてしまいそうな。

犬猿の仲と云う言葉が、相応しくないけれどカテゴリー的には分類されるであろう二者の対話は、昨晩、マルギッテ・エーベルバッハが小島家に居候を始めてから一向に和解の兆候を見せなかった。

 

出会い頭の印象は互いにとっても悪い事は確かな上に、不本意ながらも命令に応じた訳あってか、さぞ不服そうな面持ち以外、マルギッテは見せていない。

無論、昨晩に至るまで彼女が一方通行の監視を任命された事と、彼女が小島家に居候となるを聞かされていなかった一方通行としても、元の性格も関係して自ら進んで友好的に接する訳もない。

フランクの思惑を察することは出来ても、受け入れるか否かは別であるし、マルギッテがこの調子であれば、彼としても対応は決まっている。

 

 

こうして、僅か半日にも満たない間で互いに罵り合うようになった二人を見て、巧妙な話術でなし崩し的に了承を取られてしまった梅子は、一昨日の一方通行との一幕でその事を、一方通行に話しておくことを完全に忘れてしまっていた、自分の単細胞具合に頭を抱えていたりしたのは余談。

 

 

 

「面白い……折角です、望み通り噛みついて差し上げましょうか?」

 

 

「塞げって言いてェンだが、言葉が分からねェか? 曲解はドイツの軍狗の御家芸ってのは初耳だなァ、オイ。ウサギ狩りがしてェンなら、人間サマのテリトリーに居ないで、山に帰りやがれ」

 

 

険呑な雰囲気が加速的に重みを増していく。

白陶色の洗面台に流れ続ける水音を遮る白い手が、構えるようにコキリと鳴った。

何をゴングに始まるのかも分からない、唯々凶悪なマッチング。

しかし、次に鳴り響くゴングと思わしき轟音は、不毛な争いに終止符を打つ、女神の制裁であった。

 

 

「良い加減にせんかぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

 

 

喧嘩両成敗。

余りに不穏な空気を察して駆け付けた梅子による拳を回避するほど野暮ではないらしい。

問答無用に降り落とされた拳骨は、それはもう綺麗な綺麗な、終了のゴングだったとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「えー……つー訳で、今日から新しく皆さんと一緒に勉強する事となったマルギッテ・エーベルバッハさんでーす。あー、じゃあ自己紹介、しちゃってくれ」

 

 

 

カツカツと黒緑に羅列されていくアルファベットを増やす体勢のまま、どこか幼稚なものを相手にするような言葉選びの担任の背中が、いつになく哀愁を背負う。

どこかのドイツ軍絡みで一悶着あったのか、やる気の欠片も見せない癖に敢えてカタカナではなくアルファベットで転校生の名を表記するのは、如何なる時でも気障らしくをスタンスとしている事を表明しているのか。

 

ハラハラと花弁の様に舞うチョークの破片を、どこか諦観染みた色を載せて紅い瞳が見詰めていた。

見詰めていたというよりは、逸らしているという方が正しいのかも知れない。

ワイヤーか何かに張られているのではと思ってしまう程にピンと背筋を張った模範的直立体勢のままに白いウサギを無言で睨む紅い瞳から、鬱陶し気に。

 

 

「マルギッテ・エーベルバッハ。ドイツ軍所属、階級は少尉。とある任務により、このクラスへ転校する事になりましたが、特に気にせずとも良いです。適度に接しなさい」

 

 

視線を固定しながらつらつらと述べる様には近寄り難さが余りに多いので、クラス中が何とも言えない空気に包まれる。

というか、寧ろ追及を求めているかの様にとある白い少年に彼そっくりな紅い瞳を向けている眼帯の女性と接するにあたって、適度という言葉の難しさを改めて考えさせられる少年少女。

成績優秀とはいえ日本語の難しさに気付かされた若き子らを取り敢えず視界から外して、一方通行は恒例になりがちな溜め息一つ、置いた。

 

 

 

「まぁ、様式美って訳じゃないが、やっぱり転校生の自己紹介となりゃ、質問コーナーを設けるのが定例だよな。えー、じゃあ、質問ある人ー?」

 

 

 

なんというか協調性が無さそうとは印象ばかりであったが、こうまで何かと聞き辛い雰囲気を作られては堪ったモノではないという本音を隠して、フォローするように空気を変えようと試みる辺り、 彼は良い年した大人であるらしい。

しかし、正直絡み辛い上に突っ込み辛そうな彼女に対して、場を提供されているにも関わらず権利を行使しようという者は、なかなか居なかった。

 

例外にも当たりそうな九鬼英雄はどこか憮然として頷いているばかりであるし、葵冬馬は明らかに状況を楽しんでいるかの様に薄い笑みを浮かべている。

井上準は厄介そうな事に自分から首を突っ込む性質ではないし、不死川 心は追及したいのは山々ではあるが、それではまるで自分が一方通行とマルギッテの間にある確執が気になって仕方がないと一方通行に『誤解』される可能性がある為、動けない。小雪はマシュマロに夢中である。

 

 

先陣切って質問に臨むであろうメンバーの悉くが静観を貫いたという予測外の結果に、巨人はどうしたものかと神妙に腕を組んだ。

そんな時、恐る恐るといった様子で手を挙げた生徒を見て、巨人と、序でに冬馬の口角がむっつりと上がる。

予想外といえば予想外だが、自分の受け持つ生徒達の心の機敏さに対応出来ていると自負している彼からすれば、納得するまでの時間はそう掛からなかった。

 

 

「し、質問……いい、ですか……?」

 

 

「おう、十河か。いいぞ、どんどんしろ」

 

 

少し垢抜けたセミロングの茶髪をヘアーアイロンでくるりと巻いた髪型が、印象的ではあるが少し流行りに推された感じのある女生徒を促せば、緊張気味に顔を赤くしてみせる。

癖の強いクラスに何だかんだで一人は居そうな物静かな委員長タイプは、宇佐美巨人含めSクラスの大半の生徒にとっての心のオアシスだったりした。

 

えと、その、と口下手ながらにもチラチラとマルギッテと一方通行を視線で追っている姿を見れば、色々と察する事は容易い。

何より、この雰囲気の中、それも質問の初手でいきなりそこを突こうというアグレッシブさに思わず身構えてしまう生徒達を、誰も批難するものは居ないだろう。

 

斯くして、権利は行使された。

 

 

 

「え、エーベルバッハさんと、い、いい、ぃ、一方通行くんは、どうゆう関係なん、ですか? そ、その……さっきからずっと、か、彼を、見てます、けど……」

 

 

恐るべしとは言わない。

こういう時、恋する乙女というモノの底力の凄さをそれなりに経験している巨人としては、改めて彼女のガッツを内心で誉めるに留めるべきなのだと心得ているからだ。

 

小鹿のように無駄に腰の引けた姿勢な十河の質問に、マルギッテはふむ、と腕を組んで顎に手を添えた。

年齢的にはオーバーしているのに整い過ぎな容姿が全ての条件をクリアしている為、制服姿の映えること、この上ない。

有無を言わさぬ威圧感さえ無ければ美人なのに代わりは無いマルギッテの容姿に今更ながら見惚れている一部を除いた男子生徒は、思春期真っ盛りである。

 

 

冷然としながらも、しきりに首を傾げたりブツブツと何かを呟いている姿は、まるで誤解のないように言葉を選んでいるようで。

転校生の筈なのに、一方通行との間に既に何らかの関与があると察せれる行動の一端に、何名かの生徒達は内心穏やかではいられない。

 

 

「そう、ですね……」

 

 

考えが纏まったのか、添えられていた指先が肉付きの薄い唇をするりと撫でた所で、マルギッテの答えが紡がれようとしている。

確かに、半ば公染みているとはいえ軍人は軍人、任務内容は伏せなければならない。

 

とすれば、十河の質問にどう答えたものか、と。

口先で誤魔化す事は嫌いであるし、第一苦手な彼女が辿り着いた答えは、取り敢えず当たり障りの無さそうな真実だけ述べることにしたのだが。

 

 

 

――流石は軍人、爆弾投下はお手の物という事らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「朝方、其処の『同居人』と一悶着ありまして……未だにその熱が冷めぬままであるという事です。察しなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たった一言で世界を変えられるのならば、それはどれ程の聖人なのだろう。

けれども、ある程度縮小した世界ならば変えられ無い事もないらしい。

同居人という余計なフレーズをブチ込むだけで阿鼻叫喚ともなれば、言葉というのは恐ろしい。

聖人ではない、寧ろ悪魔だ。

真っ赤な悪魔にたぶらかされた憐れな者達を救う為に費やさなければならない労力を考えるだけで、馬鹿馬鹿しくなってくる。

浮かばぬ星を数える方が、まだ建設的だろう。

 

 

 

「綺麗な星じゃねェか……彗星かァ? いや、違ェな。彗星はもっとこォ……パァーって光るもンなァ……」

 

 

 

「現実逃避するでない!! さっさと現実に戻って来ぬか! そして此方に一から十まで説明せよ、一方通行!!」

 

 

 

「此処から居なくなれぇー! うぇーい!」

 

 

 

「うむ、あずみよ。このままでは我が参謀がドイツ軍に引き抜かれる恐れが出てきた。然るべき対処法を、我に献上せよ」

 

 

 

「えーっと……取り敢えず、先ずはあの方を現実に戻して差し上げるのが第一かと。あのままでは一方通行さん、ノイローゼとか精神疾患になります、元ネタ的に」

 

 

 

「ほほう、流石は我の従者よ。多方面に博識であるな、フハハハハァ!!」

 

 

 

「勿体なき御言葉です、英雄様ぁ!」

 

 

 

阿鼻叫喚、地獄絵図。

凄まじく俊敏な動きで寄って来ては、何だか若干泣きが入りながらも説明を要求する心に、紅い瞳は向けられない。

酷く穏やかに窓の外を見詰める少年の尻尾の様にも見える後ろ髪を面白そうに小雪が引っ張る所為で、抜け殻のような彼の頭がカックンカックン、上下する。

 

 

とあるZなガンダムロボに搭乗する少年宜しくメンタルが著しく危険な状態である彼とは裏腹に、爆弾投下をやらかしたマルギッテはマルギッテで、大変な目にあっていた。

 

 

 

「ど、同居人って、同居人ってぇぇ……」

 

 

「一悶着ってなに!? 悶えたの!? 熱くなったの!? まだ冷めないのぉぉ!?」

 

 

「馬鹿な……ウソ、嘘よ……こんなのって……エレガントチンクの巨星の、一つが……」

 

 

「風呂上がりの微妙に渇いてない髪とか、色白な分、赤く火照った身体とか、色っぽい鎖骨とかの全てが拝めるだなんて……」

 

 

「小島先生なら限りなく黒に近いグレーだったのに……ゆ、許せない。絶対にだ!」

 

 

「……」

 

 

「だ、大丈夫よ十河! 大丈夫、まだ決着なんて付いてないって!」

 

 

「……う、うぅ……私なんて、名前覚えられてるだけで奇跡なのに、同居なんて…………勝負に、ならないよ……」

 

 

亡者の如く怨み辛みを吐き出しながら、クラスの女生徒に包囲されてしまっている状況に、戦慄を覚える。

皆が皆、彼に対して恋患いしている訳ではないが、それでもエレガントチンクというブランドは彼女達にとって非常に重く、侵されてはならぬ聖域なのだ。

歳上だろうが軍属だろうが、其処には関係ない。

 

そして口々に紡がれる言葉を聞いて、漸く自身の発言に問題が大いにあった事にマルギッテは気付いたのだが、後の祭り。

 

 

「ま、待ちなさい。貴様達は誤解している。確かに同居人とは言いましたが、そ、そういった関係では断じてない! 寧ろ険悪と言って良いでしょう。ですから、そう迫るなと言っている!」

 

 

 

そう言えば、ここ最近の朝のホームルーム、まともにやれた試しがない気がすると、宇佐美巨人は遠い眼差しで天井の電灯を見詰めながら思う。

右も左も喧騒に包まれて、今朝もまたホームルームどころでは無くなってしまった。

 

別にきっちりとしたホームルームなんて最初からやるつもりなんて無いのだが、こうも似つかわしくない騒動が続けば、時折生意気ながらも静かな朝でスタートをした日々が恋しくなって来るのも仕方がないだろう。

 

麗らかなる春の空。

哀愁の似合う秋の到来を待たずとも、巨人の背中には言い知れぬ疲労感が醸し出されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「……なるほど、それはお疲れ様だな。というか、ご愁傷様、になるのか?」

 

 

 

「うるせェよ、クソッタレ。口元にやけさせて言う台詞かよ」

 

 

 

「あぁ、悪い悪い」

 

 

 

 

本来の目的を見失った訳ではないけれど、思わず目的遂行よりも優先してしまった事は否定できない。

早々に食事を終えた昼休みにクラスメイトである福本が憔悴しきった顔で教室へと帰ってきた時、その様子に見兼ねて直江大和が声を掛けたのが始まりだった。

 

 

川神学園にも使われてない使われていない予備教室は存在する。

娯楽や切磋琢磨のイベント発案に関しては飛び抜けて優秀な生徒が数多く在籍すると言われるこの学園では、昼休みや放課後の時間帯であれば基本的に予備教室も生徒達に使用される事が多い。

花札、将棋、囲碁を始めとした娯楽用品が持ち込まれている此処は、ようは溜まり場である。

 

そして今回の種目はどうやら麻雀という事らしいのだが、みっともなく泣き付いてきた福本が言うには、2-Sの高飛車女に箱らされ、散々罵倒され尽くしたのだそうだ。

普段からクラスメイトに猿だの変態だのと暴言を吐かれ慣れてはいるのだが、福本個人から2-F全体を落ちこぼれの集まりだと高笑い混じりに侮蔑されたという事で、堪えきれなかったらしい。

変な所で割り切れない損な性格をしているなと福本に若干呆れもしたが、仲間内を侮辱されて黙ってはいられないのは自分も同じなので、似合わない役柄ながらも敵討ちに乗り出した訳なのだが。

 

 

「あ、ロンだなァ、ソレ。混一色、ドラ1、満貫8000」

 

 

「ふおぅ!? 通ると思うたのに……さっきからちょくちょく此方ばかり狙い打ちよってからにぃ! むかつくのじゃ!」

 

 

「たりめェだろ、オマエが一位なンだからよォ」

 

 

 

仇討ち、そう、それを目的として意気揚々と空き教室へと乗り込んだ大和だったのだが、雀卓を囲む面々の内一人の顔を見るや否や、気付けば、またかと自分の頭をぺしりと叩いた。

あまり対面した覚えのない三年生の男子が二人と、目的のターゲットである2-Sの不死川心と、そして。

相変わらず人目を惹く容姿をしている一方通行が、何故か死んだ魚の様な、ハイライトの欠片もない呆然とした眼差しで麻雀をしていたのだ。

 

 

恐らくは全学年でも名前ぐらいは知っているであろうほどに色々な意味で有名人な彼の、魂の抜けた脱け殻みたいな様子に、大和の後ろから福本も当然の事ながら、空き教室に居る生徒の殆どが戸惑いを未だに隠せていない。

一方通行とは屋上での愚痴り友達といえる大和にとっては、彼の義姉にまた凄まじく絡まれたのだろうと、同情しながらも慣れたように彼へと説明を求めたのだが。

 

話の全容を聞いて、不覚にも目頭が熱くなった。

本日付けで転校してきたというマルギッテの事を直江大和は細かい所までとは言わなくもないが、見聞もあり面識もあった。

というのも、一時限目終わりの休憩時間にマルギッテが自分達のクラス……というより、クラスメイトのクリスを訪ねてきたからである。

 

端から見れば姉妹の様に仲睦まじいやり取りを眺めていた大和は、その際に何やら穏やかではない顔付きでクリスに忠告をしていたのを小耳に挟んでいた。

一方通行という生徒には、気を付けろ、という歯に衣着せたマルギッテの物言いを、しっかりと。

 

唐突な忠告の真意を問い詰めるクリスをやんわりと宥めながら、けれど釘はしっかりと刺して教室を去っていくマルギッテの背中を見届けるだけだったが。

しかし、一方通行のざっくりとした説明を聞いて大体を把握した大和は、あまりに巻き込まれ体質な一方通行の受難に、 そっと慰めるように肩を置いたのだった。

 

武神と呼ばれる川神百代と、ドイツ軍将校とその部下に、ニュアンスは違えど常に目を光らされるとなると、流石に堪ったものではないだろう。

自分であればと考えて、直ぐに頭を振る。

想像するのもおぞましいぐらい、そこには嫌な光景しかなかったのだから。

 

 

 

 

「にょほほほ! 此方の華麗なツモじゃ!ツモ、一気貫通、白、ドラ2で跳ねなのじゃ!」

 

 

「ン……これで逆転か、相変わらず引きだけは良いなァ、オマエ」

 

 

「やべっ、これで俺あと3000点しかねぇ……箱るのだけは嫌だよ全く……」

 

 

「んー……次でオーラスか、挽回するのも骨折れそうだ」

 

 

 

奇抜な高笑いを浮かべる心のアガリで、大和は漸く意識を麻雀へと傾ける。

先程まで点数トップであった一方通行を繰越して、再びトップへと踊り出た彼女の饒舌っぷりの如何なものか。

どうにも一方通行が気掛かりになって今一つ身の入ってない内に、どうにも状況は宜しくない方へと流れてしまったらしい。

 

 

「見たかの、2-Fの山猿よ! 高貴なる者は如何なる時においても卓越な者を刺す。貴様らの様な下等な者が幾ら仇討ちと集ったとて、烏合の衆に過ぎぬのじゃ」

 

 

明らかに値打ち物な着物の袖をはらりと口元に添え、ニヤニヤと大和と福本に対する罵詈雑言を嫌味たらしく並べる心の異様なテンションに、一方通行は雀卓の角に肘を付けたまま掌を額に添えて、呆れたように溜め息を着いた。

大方、オーラス間近になって一方通行を差し置いてトップに躍り出た事に興奮しているのだろう。

 

ライバル視というか、何かと執着している人物に良いところを見せる事が出来たのと、その人物からとてつもなく微妙な称賛を受けたのが拍車を押して、素直にはしゃいでいるのだろうが、そんなモノ、一方通行ぐらいにしか分からない。

明らかに場の空気を悪くなっているのにも気付かない彼女が面倒になったのか、彼の白い指先が問答無用で心の額をぺシンと打った。

 

 

 

「みぎゃっ!?」

 

 

 

「まだ終わってねェのに勝ち誇ってンじゃねェよ、三下。ちっとは黙ってられねェのか」

 

 

 

「ううっ、またいつぞやみたいに此方の事を三下って呼びよってぇ……」

 

 

 

「あァ?」

 

 

 

「ひうっ……な、なんでもないのじゃっ……」

 

 

 

ギロリとさながら蛇の様な鋭い眼光に、物言いたげに額を抑えていた心の肩がびくりと震え上がる。

先程までの威勢の良さは一瞬にして刈り取られたのか、黙っていれば可愛いと評判の彼女が瞳を潤ませながら牌を混ぜている姿に、不覚にも有りだと思ってしまった大和を責めるのはお門違いというモノだ。

現に、彼女を倒してくれと頼んできた福本に至ってはこれで夜のオカズには困らないと宣っているぐらいなのだから、仕方ないというもの。

 

 

しかし、だからといって目的を変えて麻雀を最後まで楽しもうという優しさも甘さも、今の大和にはない。

自分や仲間内含め、クラスメイト達を山猿扱いされたまま黙っているほど、彼は温厚な質ではなかったのだから。

 

 

 

 

 

 

――――

―――――――

――――――――――

 

 

 

 

 

 

「大三元!!」

 

 

 

「なっ、なんじゃとぉぉお!?」

 

 

 

 

 

概ね落とし所としてはこんなモノなのだろうが、まるでB級映画をプロローグからエンディングまで見せられたような白んだ面持ちを一方通行は隠そうともしない。

歓声に包まれる空き教室の中、分かり易いぐらいに明確化された勝者と敗者。

憮然として、けれど勝者としてのスタンスを見せ付ける大和に見据えられながら、今時無いようなオーバーリアクションで頭を抱える心のなんと惨めな事か。

 

 

――相手の手元も見ずに打ってるからそォなンだ、阿呆。

 

 

オーラスという局面での劇的な逆転、そんな出来すぎている展開にはちゃんとしたタネがあるという事も、その内容も、一方通行には見えていた。

単純な話、大和は自身の手牌と、彼自身が予め持ち込んで牌とを入れ替えていただけの事であり、オーラスの際に注意深く相手の動きを見ていれば、心でさえも気づけていたであろう。

 

あまり知られてはいないが、不死川心は柔道の有段者である。

結び付くかどうかは判断が難しいところではあるが、動体視力とて並以上なのは間違いない。

ならば手慣れているとはいえ、大和の動きに違和感一つ覚えていてもなんら不思議ではないのだが。

 

肝心の彼女といえば、目下の劣等生になどまるで警戒していなかったのだろう。

一方通行に自分が高貴なのだそうなのだこれが証拠だという事が示せたという事に慢心して、見事にペテンに嵌まってしまった、と。

ツメが甘いどころか、どれだけ周りに対して一方通行以外眼中にないという姿勢を貫いたままなのか、呆れ返って笑えてくる。

 

 

 

「足元掬われちゃってェ、どれだけお馬鹿さンなンですかァ、心ちゃンはァ?」

 

 

 

「うっ、ぐぅぅぅぅ……」

 

 

 

「前にも言ったろォが、見下す事しか出来ねェ奴はいつか痛い目見るってよォ。だからオマエは三下なンだっつの」

 

 

 

「うぅわぁぁぁん!! 覚えてろなのじゃ、2-Fの猿共ぉぉぉ!!」

 

 

 

三下という言葉が引き金となったのか、滴る涙を拭いもせず捨て台詞を残して走り去って行った背中を一瞥して、溜め息。

結局、最後の最後までFクラスに対しての態度を改めていない所を見ると、いつかまた同じように惨めに敗北するであろうというのは間違いない。

手の掛かる子供を相手にして疲労感を漂わせる保護者さながらに紅い瞳を伏せた一方通行は、そのまま視線を、勝利のハイタッチを交わす二人に移した。

 

 

 

「随分ご機嫌じゃねェか」

 

 

 

「んだとぉ!? 普段俺達を馬鹿にしてた不死川に痛い目見せてやったんだ、喜んだって良いじゃねーか。それともなんだ、次はお前が仇討ちってか? 上等だぜ、相手になってやる! 大和が」

 

 

 

「俺かよ!? そこはガッツ見せろよ!?」

 

 

 

「いや俺じゃ永遠の学年第一位に勝てる気しねぇもん、エロ分野以外じゃ」

 

 

 

一方通行自身としては特に意識していた訳ではないのだろうが、仲間を倒されているにも関わらず余裕そうな態度を示す一方通行が気に入らなかったのか、単純に色々と含む所でもあるのか、福本の言動には敵対的なモノが浮かぶ。

SクラスとFクラスの間にある、溝の深い問題に進んで介入したくはないのだが、こうまで分かり易い反応をされては面白くない。

 

 

 

「ていうか、俺でも勝てる気しないよ。言っとくけど、一方通行はしっかりと俺のイカサマに気付いてるぞ」

 

 

 

「へ? 大和、お前イカサマなんていつの間にしてたんだ?」

 

 

 

どうやらギャラリーの内にもイカサマに気付いていなかった生徒もちらほら居たらしい。

本来ならば御法度とはいえ、この空き教室で行われる賭博は基本的に、イカサマも手段の一つとして数えられる。

かといってその場でタネを掴まれてしまえば、当然罰があるので、要はハイリスクハイリターン。

誉められた行為では無い為にトラブルが起きる事も少なくないが、その為の決闘システムだと豪語する者も少なくない。

 

 

 

「ふーん、なるほどなぁ……でも、それでも大和が一番ってことにゃ変わりねぇぜ! あのSクラスを二人差し置いて一番なんだ、ご機嫌にもなるんだなぁ、これが!」

 

 

何時の間にか説明が終わったらしいのだが、大凡を理解した福本のどこか有頂天なテンションは変わらない。

どうにもこの生徒は、心と少し似たり寄ったりな部分があるようで、大和の勝利に未だに沸き立っている。

 

興奮褪め止まないとはこの事なのだろうが、福本の2-S『二人』に対する勝利宣言は戴けない。

別にそこまで気に留めている訳でもないが、自分も一緒に勝ったつもりでいられるのも、面白くないというものだ。

 

 

 

「クカカ」

 

 

 

白い夜空を舞台にして、紅い半月が吊り上がる。

少しばかり険呑な雰囲気を孕んだ一方通行の嘲笑が浮かんだのを見て、直江大和は余計な口出しをしなければ、多少なりとも勝者の余韻を味あわせてくれていたのにと、隣で狼狽えている福本育郎に白んだ眼差しを向けた。

もっとも、あまり物足りない相手であったのだから、余韻なんて大和自身は大して感じていなかったのだが。

 

 

 

「福本っつったか? 遠足は帰るまでが遠足って言葉は知ってるよなァ?」

 

 

 

「お、おおおう、知ってっけど……」

 

 

 

喉の奥を転がすような、猫の嘶き。

唐突な問い掛けに狼狽したまま首を振る少年は、まるで彼の為に差し出された鼠。

その問いの真意に気付いて、大和は彼の云わんとすることを把握出来た。

成る程、やはり相手にしたくない男だ、と。

 

どうやら自分達に逃げ場はなく、福本に至っては文字通り、袋の鼠という事らしい。

 

 

 

 

 

「此処のルールでもよォ、ちゃンと含まれてンだ

――麻雀は、点数を支払うまでが麻雀――ってなァ?」

 

 

 

 

 

「……そ、そりゃ知ってるけど、それがどうしたんだよ」

 

 

 

 

 

何を当たり前の事を言い出すのか、と福本だけに留まらずギャラリーにまでも怪訝そうに見詰められている白いチェシャ猫の真意に気付けたのは、恐らく大和だけ。

大和は、参ったと云わんばかりに頭を掻きながら開かれたままの、空き教室の扉を見詰める。

その先に、走り去っていった不死川心の姿はもう見えない。

 

つまり、あの時点で布石は既に整っていたのか。

末恐ろしいとまで思えてしまう目下の白貌を、いつか――倒してみたいなと、目標に描いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――つまり、まだゲームは終わってねェンだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

まさか。

 

ギャラリー達のざわめきに、福本も漸く、気付く。

 

入学以来の試験順位、その頂点に居座り続け、武神という名を関する川神百代に並ぶ存在として『知神』と呼ばれたこの男の真意に。

 

 

 

 

 

福本は、無意識の内に、膝を折った。

 

自分の横槍のせいで、与えられていた勝利を、奪い返されたという事実に。

 

 

 

 

 

 

 

――ロン。

 

 

 

 

 

 

白い指先がコロンと牌を一つずつ、倒していく。

 

短く震えたテノールボイスの、耳障りの良さとは裏腹に。

 

それは紛う事なく、悪魔の宣告だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

――大三元

 

 

 

 

 

 

 

挙げ句の果てに、イカサマで上がった役を抱えられていたという事実に、大和はおいおいと肩を落として、福本育郎は力なく染みの一つ見当たらない天井を仰いだ。

 

 

より一層の演出をかまされて、完全に持っていかれたギャラリーの熱。

興奮冷め止まぬ少数ながらのギャラリーの歓声に包まれながら、福本育郎はそっと呟いた。

 

 

 

 

 

――ドS過ぎだろ、コイツ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『紅い月の隣人』--end








麻雀分からない人、ごめんなさい。

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