Steins;Gate γAlternation ~ハイド氏は少女のために~   作:泥源氏

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約束

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

情報整理の後、確認の為に外へ出掛けて近隣を一回り。

そうして、柳林神社にIBN5100が盗まれた形跡を発見する。

手口から見てラウンダーであることは間違いない。

萌郁の携帯電話に送られたDメールが成功した証左だった。

 

 

(期限までにIBN5100を手に入れるためにはDメールを使うしかない、か)

 

 

他の手段を探ったがいずれも難しいようだ。

偵察が徒労に終わり、ルカ子へ挨拶はせず帰路に着いた。

 

夏の夜は眠りに程遠く、駅前はごった返し皆足早に家路を急ぐ。

中には立ち飲み居酒屋で興に耽る、サラリーマンやはたまた若いOLまで見かけ。

夜の東京を女が一人歩きとは世界も変わったものだ。

まゆりは今日死ぬ予定にないが、昼間のことを考えると少しだけ不安だった。

それでも、ラボに帰ると暖かい笑顔で迎えてくれる彼女がいて。

 

未だに感慨深い。

病床に伏せた姿をいつか思い出せなくなるのだろうか。

 

 

「はぁ。お腹いっぱーい。

まゆしぃは今日はほとんどなにも食べてなかったから、ずっとペコペコだったんだよー」

 

「明日もあるの?」

 

「うん、明日だけじゃなくて明後日もあるのー」

 

 

コミマから帰ってきて夕食のカップ麺をソファで食べるまゆり。

満足げで幸せそうだった。

その隣に座るのは、まゆりと帰り道で合流した紅莉栖。

夕方見せた悲哀が欠片も見当たらない。

隠しているというのもあるだろうが、まゆりに癒されたのだろう。

彼女の笑顔は不思議な力を宿していた。

俺が苦笑してしまうぐらいに。

 

あと、ケバブと言えば基本のオリジナルソースに決まっている。

ガーリックソースを買ってきた紅莉栖は許さない、絶対にだ。

 

 

「さてさてー、まゆしぃは明日早いから、もう帰るねー」

 

 

コミマについて昼間調べた様子だと、ファンは始発で並ぶらしい。

イベントの規模も大きく、昨年は一般参加者だけで延べ56万人にも上ったようだ。

それがあの東京ビッグサイトで行われるというのだから圧巻だろう。

前の世界のまゆりも、このイベントがあれば行きたがっただろうか。

 

 

「ねぇねぇ、クリスちゃんやオカリンは、コミマ行かないのー?」

 

「お断りよ、人が多すぎて息が詰まりそう」

 

「今日と比べるとね、2日目はそんなに多くないよー。

午後から来れば、快適そのものなんだから。

人気のある同人誌なんかは売り切れちゃうけどね」

 

 

珍しく紅莉栖に同意だが、別に忙しいというわけではない。

あとはDメールを送って世界を変えるだけ。

まゆりの死をわざわざ見届ける必要はないのだ。

しかし、――――

 

 

(まゆりの頼み事なんて聞いてやったことがないな……)

 

 

口には出さないが、名残惜しく寂しそうな表情を浮かべている。

そもそも彼女は贅沢を言わない性質だった。

重荷になりたくないとは、そういうことなのか……?

 

 

「あんたがついて行きなさいよ。まゆりの保護者でしょ?」

 

「違うよー。まゆしぃはね、オカリンの人質」

 

「ああ、はいはい。そうだったわね」

 

 

人質……?

 

 

「人質に逃げられちゃまずいでしょ。手錠でもかけて同行すれば?」

 

「そうだな。手錠はかけないが付いていこうか」

 

「…………は?」

 

「……へ?」

 

 

まゆりが人質ということも気になるが、コミマに興味が湧いたので参加を表明しておく。

すると二人は目を丸くし俺を凝視した。

空気が固まるほど意外なのか、岡部倫太郎がコミマに行くことは。

 

 

「明日朝早いのか?」

 

「……オカリン、本当に行ってくれるの? 本当の、本当に?」

 

「お前が望むならな。なんならコスプレしてやってもいい」

 

「わぁわぁわぁー、ありがとーオカリン!

じゃあねじゃあね、やっぱりゼロサムコス持っていかないとね。えへへー」

 

「……あ、あんた、何言って――んむっ」

 

 

何か余計なことを言おうとする紅莉栖の口に素早くケバブを突っ込む。

まゆりの機嫌を悪くしたらただじゃすまんぞこのガーリック娘。

まゆりに聞かれないよう耳打ちへ移行する。

 

 

(Dメールはどうするのっ!? ……それとも嘘約束?)

 

(マヌケが、そんな意味のないことするわけなかろう)

 

(じゃあどういうつもりよ)

 

(後で話す。今は黙ってろニンニク)

 

(ニンニクって何!?)

 

 

ニンニクはニンニクに決まっている。

首を傾げるまゆりと目が合い咄嗟に離脱、紅莉栖を追いやった。

ケバブを口に押し込みながら。

 

 

「っ~~~~!!」

 

「えっとー……クリスちゃん?」

 

「ヤツはケバブに夢中らしいから放っておけ。兎にも角にも明日のことだ」

 

「うんうんっ、そだねー。念のため採寸とってもいい?」

 

 

答える前にメジャーを当てるまゆり。

引き受けた手前、文句を言わず身体を預ける。

目の前の彼女は鼻歌混じりで楽しそうだ。

薄く当たる吐息がむず痒い。

 

ケバブを頬張り恨みがましく睨む紅莉栖を無視して、まゆりを至近距離から眺める。

長く整った睫毛の下に見える、活気溢れた双眸。

血色が良く、健康的な白い肌。

適度に筋肉質ですっかり女性らしくなった身体。

 

 

本当に、感慨深い。

 

 

 

「んぐ……ん、あんたがコミマとか、キャラ違いすぎ」

 

「んー?」

 

「私も行きたいですと正直に言えニンニク」

 

「ニンニク言うな! つーかそんなわけないっ!」

 

「あれあれー??」

 

「……って、まゆりどうしたの?」

 

 

密着するまゆりは、頻りに困惑の声をあげて俺の身体を弄る。

さすがの俺もこそばゆく、鬱陶しくなってきた。

 

 

「どうしたまゆり」

 

「うーん……なんか、硬いの」

 

「はぁ? ……っ! 私も触るわ」

 

 

そう言うと、紅莉栖まで許可もなく胸筋を触りだした。

いつもなら一蹴してやるところだが、まゆりの手前耐える。

 

 

 

撫でて、撫でて、撫でて。

 

 

 

無言で、一心不乱に女性陣は俺の肉体を撫で回す。

居心地の悪さが最高潮に達した。

 

仕舞いにはシャツを脱がそうとして、――――

 

 

「オイ」

 

「っ!?」

 

「やりすぎだ。大体珍しいものでも――」

 

「オカリン上着脱いで」

 

「――ああ」

 

 

まゆりの揺るがない剛き声。

……まさかこの俺が、気圧されているだと?

抵抗出来ないまま、自分で脱ぐ前に剥がれるオカリン。

もうどうにでもなーれっ!

 

 

「わぁ……」

 

「Oh……」

 

 

 

 

 

 

 

――――それは、西洋の彫像が如く。

 

 

 

 

 

 

 

克明に刻まれた筋肉の溝が研鑽の跡を語る。

一切の無駄という無駄が省かれ、狩りに特化されたしなやかで鋭利な鋼刃。

まるでサバンナを支配する肉食獣。

凄惨な過去は世界に棄てられて、その身体に疵一つない。

 

 

 

芸術的な裸は裸を思わせず、元より鎧を纏っていた。

 

 

 

「ほへー……オカリンって、いつの間に鍛えてたのー?」

 

「着痩せってレベルじゃねーぞっ! ……あんた、凄いわね……ゴクリ」

 

 

やはりこの世界の岡部倫太郎は鍛えていなかったのか……。

身体に違和感がない時点でおかしいとは思ったのだ。

かたや工作員、かたや貧弱大学生、筋肉量が違うのは当然である。

幾多の銃創が消えているのは不幸中の幸いと言うべきか。

 

 

「見えない努力をしているのが女だけだと思うな」

 

「えー? でもでも、凄すぎだよー」

 

「因果律量子論、プラチナコードを提唱した香月博士によると軍人体型の継続は

対BETA戦略に於いて要とも言える00ユニット完成に不可欠かつ恋愛原子核にも活用され

戦術機OSの革命的機動を可能にして国連軍主導の桜花作戦で大きな成果を挙げ……」

 

 

苦しいがフォローのつもりである。

納得せず、それでも目を輝かせるまゆり。

隣では経でも唱えるように電波を展開し、

頭を必死に纏めようとしていた紅莉栖だが、しばらくすると停止。

目のハイライトが消え知性なき獣の顔をし、

息を荒げて俺の身体にしがみついた。

 

 

――――本能的恐怖を感じる。

 

 

離脱を……っ!?

 

 

(体が動かない……だと……!??)

 

 

「フェロモンハアハア……筋肉筋肉ー!!」

 

「このマッチョっぷりは悪夢篇のゼロサムとも違う気がするかなぁ。

かといってスザークのコスは個人的にいまいちだし……

やっぱりサー・アボカドがいいねー。えへへー」

 

 

HENTAIの力ってすごい、そう思った。

異常に筋骨隆々なまゆりを幻視する。

気のせいだ、気のせい。

 

 

『トゥットゥルー♪ まっちょしぃ☆です。逃げられると思うなよ?』

 

 

…………。

今更だが、コミマに行くことを後悔している。

この世界にはHENTAIしかいないのかもしれない……。

汗を舐めようとしている紅莉栖を見て、俺は考えることを止めた――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あんなトンでもカーチェイスを演じていたから、薄々気づいてはいたんだけど――』

 

 

Dメールを送って世界線を移動した場合、

肉体情報に関して維持することは理論上不可能である。

何故ならDメールとは過去を改変するものであり、

改変後の歴史の延長が現在へと繋がり肉体組成を決定しているからだ。

 

ならばこの事態をどのように説明するのか。

恨む相手を見つけられない紅莉栖が、哀しみと怒りを圧し殺し推察していた。

 

 

『あんたは世界の因果情報すら塗り替えてしまうのね』

 

 

過去は綺麗に消し去られ、岡部倫太郎は完全に死に絶えたのだ。

 

 

最善の世界を奪う力――――

 

 

そんなモノを俺が持ち合わせているとしたら、タイムリープによる過去改変も説明可能。

 

思えば、都合が良すぎた。

FBと萌郁の携帯電話を手に入れるためにタイムリープすると、

丁度二人とも会うべくして会う世界にいたなんて。

 

 

『岡部倫太郎を乗っ取るウィルス。

あいつの拓くはずの未来を簒奪し自分本位に調整していく存在』

 

 

岡部倫太郎同士の生存競争において絶対なる勝者。

数多に分かたれて絡み合う世界線へ取りついた寄生虫。

異物として排除されず、岡部倫太郎に成り代わる存在。

 

 

『それが、あんた』

 

(それが、この俺)

 

 

鳳凰院、凶真――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日は曇天なり。

イベント日和とは言い難いだろう。

コスプレ会場は屋外だったから、雨に降られたらひとたまりもない。

天は俺に味方していないな……。

 

そんなムシムシした会場でスーツを改造したような、

パーティーに着ていっても引かれるであろう装いの輩が暴れている。

 

 

そう、俺だった。

 

 

 

「アボガドではない、アボカドだ。下郎め!」

 

 

旅の恥は掻き捨てと言うが、世界改変の折はこの行為も自然と捨てられる。

いずれ醒める白昼夢でしかなく。

それでも、――――

 

 

「すっっっごく、良く似合ってるよー!!」

 

 

この笑顔は捨てたくなかった。

拾い続けたい、と思う。

この生ある限り。

 

 

「それにしてもこのオカリン、ノリノリである」

 

「やばい、似すぎだろjk」

 

「サー・アボカドがいると聞いて」

 

「ハアハア……」

 

 

変な連中が盛んにシャッターを押すものの、俺には関係ない下界。

戦う相手は常に自分自身――――!

 

橋田はナチュラルに混ざるなよ……。

 

 

「それで、何で私までコスプレ?」

 

「えーいい感じだよクリスちゃんっ!」

 

「……ま、まあ嫌いじゃないけど。あいつのバーターみたいなのは気に食わないわ……。

 

まだ殴られた頭痛いし」

 

 

ゼロサムのコスプレをした紅莉栖がぼやく。

しかし当然の制裁である。

HENTAI行為の報いは受けるべきなのだ。

ここは法治国家なのだから。

 

 

「で、では、行こうか我が騎士よっ!!」

 

「Yes,your Majesty!!」

 

 

大袈裟に手を振りノイズ混じりの声で紅莉栖が呼び掛けると、周りから歓声が沸いた。

紅莉栖め……どもりおって。

せっかく昨夜は遅くまでアニメを見て研究したというのに。

緊張しているのか?

この世界でもサイエンス誌に論文が載る有名人の分際で。

しかも仮面で顔を隠しているだろうが。

 

ちなみにアニメの時系列とか、こまかいことは気にしない。

コスプレはノリである。

設定にこだわりすぎてはいけない。

まゆり先生からの教えだった。

 

 

「ふぅ……この格好暑い」

 

「頑張ってクリスちゃん!」

 

「弛んでいるからだ、ノロマ」

 

「……あんた、ムカつくわね」

 

 

こうして一日は過ぎていった。

子供のように戯れて遊ぶ。

まゆりを楽しませるためだけに演じた喜劇。

正しく道化、ピエロだった。

 

それでも俺は嫌いではない。

ラボメンとまともに触れ合ったのはこれが初めてだ。

もしかしたら、前の世界でもまゆりさえいれば

ラボメンたちに冷たくあたることもなかったかもしれない。

そんな郷愁に近い、ありえない可能性を抱いてしまうほど俺たちは満たされていた。

 

 

「……どうしたの? オカリン」

 

「いや、何でもない」

 

「アボガドこっち向いてー」

 

「アボガドではないアボカドだッッ!」

 

「きゃーかっこいいっ!」

 

「ふふっ」

 

 

終焉、終演、フィナーレの時は間近で。

儚く脆い、時の狭間に訪れた夢幻。

俺は断頭台に向かう中で、他愛ないママゴトを純心に楽しんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――兵どもが夢の跡。

 

夏で陽が長いとはいえ、七時にもなると光陰の海も形を失い、全てが薄闇の中に没する。

モダンアートで造られた城が灯りに照らされ、水溜りにも反射し幻想的な香気を放つ。

 

 

「ふぅ。まゆしぃはね、こんなに楽しいコミマは初めてなのです」

 

「そうか」

 

「終わり際夕立に降られるなんて、ついてないよー」

 

「そうだな」

 

「でもでも、皆がいてくれたおかげですごく楽しめたよっ! オカリンありがとー」

 

「いや、大した労ではない。お前が楽しめたなら俺は満足だ」

 

「えっへへー。まゆしぃ愛されてるねー♪」

 

 

コミマ二日目は無事終了。

見る限り盛況だったようだ。

それでも東京ビッグサイトは人影もまばらになり、昼間とのギャップに哀愁すら漂う。

 

 

「あんたはしゃぎ過ぎよ……サイン会に発展するとか、ないわ」

 

「ふん、こういうイベントは楽しんだもの勝ちなのだよ。

斜に構えて見下し冷めている方が損というものだ。

お前だって、なんだかんだでノリノリだったではないか」

 

「い、いやまあ、楽しかったけど。あんたのはキャラ崩壊に近いじゃない」

 

「勘違いだな。俺は悪ふざけに本気を出すタイプだ」

 

「……それもどうなの?」

 

 

合理性を以て無駄を肯定し、無駄を無駄にしない。

それが俺のスタンスだ。

Dメールを送らず得た猶予期間。

まゆりのために捧げると決めたから、キャラも体裁も取り繕うつもりはない。

 

 

「ふぅ……まだ二日目なのに買いすぎたお」

 

「あ、ダルくんだー」

 

 

キャラがプリントされた紙袋を多数引っ提げて、バックにはポスターサーベル。

典型的なヲタクの戦闘装束でホクホク顔、十二分に満喫した体の橋田が再度合流する。

まゆりは奴に駆け寄り、戦果を報告しに行った。

その背中を、何とはなしに眺める。

 

 

「……Dメール」

 

 

隣で同じように眺めていた紅莉栖が、俺にしか聞こえない声量で呟いた。

応えずに、耳だけ傾ける。

 

 

「もう少ししたら送るんでしょ? ……良かったの?」

 

「何がだ」

 

「私たちまで付いてきたら、ラボに誰もいないじゃない」

 

 

つまり、電話レンジ(仮)を起動する人間がいないことを危惧しているわけだ。

まだコイツは理解していないのか。

この俺に抜かりなど存在しないことを。

 

 

「電話レンジ(仮)は昨日改良済みだ。アニメを見て寝入ってしまったお前とは違う」

 

「いちいち嫌み臭いわね……って、あんた勝手に――」

 

「今メールを送れば自動的に起動するようセットしてある。

いわゆる待機モードだ。便利にしてやったんだから文句を言われる筋合いはない」

 

「……はぁ、まぁいいけど。そこまでして今日コミマに来たかったワケ?」

 

 

言われて、まだ明確な理由を話していないことに気づく。

一日Dメールを送らずに、敢えてまゆりの死を見届ける理由。

 

 

「Dメールの原理は大体わかっているが、失敗する可能性は少なからずあるのだ」

 

「……だから?」

 

「もしまゆりと出会うことのない世界線に移動した場合、約束が果たせなくなる」

 

「約束……」

 

 

日常の中で生まれた、叶わない筈の希望。

病床に朽ち逝く彼女の諦観で染められた哀しい願い。

 

 

『またいつか行った遊園地、岡部くんと一緒に行けるといいねっ』

 

 

遊園地よりもお前はきっとここの方が喜んだから。

彼女との約束は必ず守る。

世界線を越えて、誰も覚えていなくても、必ず。

 

……くくっ、あの男に毒されたのか。

俺はそこまで殊勝な男ではなかったんだがなぁ……。

 

 

「お前との約束も果たした。見たくないなら帰るといい」

 

「は? ……ち、ちょっとっ!」

 

「ん? オカリンどしたん??」

 

 

呼び掛けを無視してまゆりに早足で歩み寄る。

時間が、近い。

それでも暗殺者の影はなく、彼女が一人星空に手を伸ばすのみ。

 

空に星は多くとも、闇に埋もれてよく見えず。

彼女の指先も暗い沼地に触れたようで、星空は彼女を呑み込もうとしている。

 

そんな言い様のない不安に駆られて。

 

 

 

 

――――気づけば俺は、後ろから彼女を抱き締めていた。

 

 

 

 

「――――」

 

「オカリン……また、まゆしぃを助けてくれるんだね」

 

 

また……?

 

 

「でもね、もう大丈夫だよー。オカリンの人質じゃなくても、もう大丈夫」

 

「昼間の限りでは大丈夫に見えなかったぞ」

 

「そお? そうかなー、えっへへー」

 

 

コスプレ会場でも、途中の交通機関でも。

彼女は目を離すと居なくなりそうだった。

今だってそう、まるで空に誰かがいるように――――

 

 

……そう、か。

この世界の俺も、同じように思ったのか。

だから浚われないように人質にして縛ってしまおうなんて。

 

強引な手だ。

しかし、悪くない。

コイツと一緒に居られるなら、未来永劫いられるなら。

 

つまり、全部俺の我儘で――――

 

 

「――なんかじゃ、ない」

 

「……オカリン?」

 

「お前は、重荷なんかじゃない」

 

「そっか……」

 

「必ず、必ず救ってやるから――待っていろ」

 

「……ん、よかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあな、まゆり。また会おう」

 

「うん……またね、オカリン……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以心伝心の簡潔な別れは、星空の下。

 

まだ暖かいのに、穏やかな顔なのに。

俺に体重を預けて彼女は天を仰ぐ。

息も、鼓動も止まっていて。

安らかな永眠は、俺の腕の中で。

 

そして俺は彼女を抱えて歩き出す。

心地好い重さを腕に感じながら。

孤独の観測者は世界すら置き去りにして。

収束へと、加速する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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