ゆっくり、ゆっくりと動く。まるで全身が海の中にある様に、ゆっくりと動く。それは自分だけにとどまらず、目の前にいる存在にも言えることだ。魔力を一切使うことなく、限りなくゆっくりと対峙し、同じ速度で一つ一つ動きを確認する様に体を動かす。目の前にいるのは水色の少女、レヴィだ。彼女も此方と違って木刀を手に同じ速度で動いてくれている。いや、動いていると言った方が正しい。確かに身体強化等の魔法は一切使用されていないが、逆の方向性に魔法は使われている。つまりデバフ、身体の動きに負荷をかけ、身体の動きをゆっくりとしているのだ。これ以上の速度が出ない様に。そしてその速度だからこそ意味のある事がある。
日を照り付けてくる太陽の下で、大量に汗をかきながらもゆっくりと体を動かす。仮想敵として協力してくれているレヴィは身長的に、スタイル的に徒手で立たせるわけにもいかないために木刀を持たせているが、その使い方は巧い。この一年間ずっと付き合わせていた結果、スポンジの様に技術と知識を吸い込み、始めた時の様に滅茶苦茶な動きはない。洗練された動きがそこには存在した。的確に守りにくい場所を攻める所として選ぶと、そこから動きを変えて、別の所を攻めてこようとする。
まるで体を使ったチェスの様だ、と評価される事が多いが、その考えは間違ってはいない。演武に近いが、これはゆっくりと動く事によってお互いの動きを極限まで観察し、そして学ぶことができる。とはいえ、速度が同じだと確実に技量が高い方か、虚実を上手く利用できる方が軍配を上げる。即ち、
「ほい、終了」
「まけたぁ―――!」
俺となる。レヴィの足を引っ掛けて公園の草地に転ばせるとレヴィは両手足を投げ出しながら敗北を認める。体を軽く動かし、一回目が終了したところで軽いウォーミングアップが完了した程度にしかならない。だが、やっぱり長袖で動くと異常に熱い。
「僕が勝てないのはズルイ」
「純粋な技量で負ける様になったら俺マジでおしまいだよ。お前らに勝てるの経験と技術だけなんだから、ここぐらいは勝たせておいてください。いや、マジで……ね?」
「むー」
むー、とレヴィが若干怒ったように頬を膨らませる。だが困るのはこっちだ。レヴィ達マテリアルズは本来の、オリジナルが経験した年月をいれても一年と数ヶ月程度の経験しか持っていない。そんな彼女たちは知識面は完璧だが、経験や技術で言えば此方に劣っている。逆に言えば、これを超えられたらマジで見せる顔がない。だから全力で鍛えているのだが、レヴィの吸収率が凄すぎて少し自信を無くしそう。
「おーい、手加減してやれよー!」
「鬼畜ー!」
「ギャラリーは引っ込んでろ!」
割とノリのいいご近所さんが片手を振りながらレヴィの事を応援する。そしてそれだけで元気が湧いてくるのか、レヴィは軽くジャンプと共に跳ね起き、そしてポーズを決めながら立ち上がる。それを見ていた数人のギャラリーに拍手を受けるが、レヴィの服に草や土が少し付いている。近づいてそれを叩き落とす。はぁ、と溜息を吐かざるを得ない。この少女だけは他の三人と比べて自分自身がどういう風に見られるとかにあまりにも興味を持たない。だからこそ一番自由なのだろうが。
何かを言っている、この一ヶ月で現れ始めたレヴィファンを軽く無視しながらレヴィの服についた汚れを落とすと、レヴィが木刀を構える。
「もう一本!」
「おう」
二歩程距離を離すと、周りで見ていたギャラリーも黙る。そうしてできる静寂を心地よく思いながら、目の前にいる水色に集中する。再び左腕に装着したベーオウルフが魔法を発動させ、此方と相手の動きを制限する。そうして感じる負荷なの中で、再び動き始める。
ゆっくり、海をかき分けるように進み、そして最初に攻撃の動作に入るのはレヴィだ。明らかにバルフィニカスを握っている事を想定しているように動きに入るレヴィは、刃を下から上へと切り上げる様に踏み込んでくる。その動きに対応する様に此方は右足で大きく前へと踏み出す。大きく、つまり相手の木刀を踏みつける事を想定しての動きだ。
「むう、本当ならもう当たってるんだけどなぁ」
「本来の速度でやったら練習にならねぇだろ……俺の」
レヴィが本来の速度で1対1を仕掛けてきたら惨敗するだけだ。なので2倍3倍の速度で攻めてくるとか本当に止めてもらいたい。ここだけが勝者の気分を味わえる時間なのだ。
木刀を踏もうとすればそれを守ろうとせず、避けようとレヴィが体を前進しながら捻る。体全体を捻る事によって木刀は体の動きについて行き、そして踏まれる軌道から逸れる。こうやって木刀を無力化しに行くのは流れとしては良くやる流れで、基本的なものだ。だからレヴィも十分慣れている。だからこの足をそのまま振り下ろさず、蹴り抜く様に軌道を中間で変える。
「げっ」
それを見たレヴィは再び避けようと体を動かそうとするが、既に体は捻る様な動きに入っていて、此処から避けるのは難しい。レヴィの体勢が崩れ、そして倒れて行くのが見える。―――端的に言ってしまえば自滅だ。触る前に動きがこんがらがってしまい、バランスを崩したのだ。一本足で体を90度曲げてゆっくりと回転しようとすればそういう風にもなる。というよりも、基本的にレヴィは地上戦を想定してないからそうなるのだ。
「俺の勝ちー」
「あ、今のは僕の自滅だからノーカンノーカン! というか僕基本空中戦だもん! だから僕アウェーという事でロスタイム突入、ノーカンね! はい、第三試合を始めよう!」
「謎理論を浮かべないでくれるかなぁ。ちょっとお兄さん色々混ざり過ぎて意味が解んないよ」
そもそも地上でも空中でも戦わせる気は皆無なのだから覚えてくれなくてもいいのだがなぁ、と言葉にせず呟く。意欲的なのはいい事だが、訓練に付き合ってくれているだけでこっちとしては十分なのだ。
「お兄さんが考えている事はなんとなくだけど大体わかるよ? でもね、僕だって一応”力のマテリアル”として強くあり続けたいって思いはあるんだよ? 特にデバイスがない今は地力が一番重要だから。―――まあ、我が家には最終兵器がいるから僕あんまし要らない子なんだけどさ」
最終兵器、と言われて思い出すのは金髪の悪魔。彼女の名誉のためにも名前を思い出す事は止め、そんな事はないとレヴィに言う。
「レヴィじゃなきゃ俺の相手は務まらないよ。他の連中じゃあ接近戦以前の問題だし」
「うん、じゃあ今度はもうちょい真剣にやる!」
「何時も思うんだけど負けてから本気出すの止めね?」
「え? 3ラウンド目から覚醒イベントいれて本気になるのが基本だよ?」
それは格闘ゲームの話だ。君がやっているのは格闘ゲームではなくモノホンの格闘技の練習であることを思い出してほしい。
―――ともあれ。
真面目になったレヴィは強い。真面目に此方の見た事、教わった事、聞いたことを全て間違える事無く運用してくるし、先ほどの様に自滅する事もまずない。再び距離を取って構え直し、そしてレヴィへと接近する。
◆
それを20回程繰り返せば時間はかなり経過し、段々と空の色が変わってくる。昔は一人でしかできなかったか、一緒にやるにしても夜しかなかった訓練がこうも賑やかな時間に出来るのは驚きだ。……いや、幸いというべきなのだろう。到底日に当たる場所で生きて行くことのできなかった少女達が普通に生活できるのだから。―――あとはスカリエッティさえ抹殺すれば問題は解決する。そう、やつさえ殺せれば問題は全て解決する。
「お兄ーさん!」
どん、と背中から抱きついて首にぶら下がる存在がいる。体をよせて、耳にレヴィが口を寄せてくる。
「殺気漏れてるよ? 大丈夫?」
「……お前、馬鹿なのか頭いいのかどっちかにしろよ」
「うーん? 思いたい方でいいんじゃないかなぁ?」
そう言うとレヴィは離れ、腕を広げる。
「僕ってほら、こういう平時だと基本的に無能でしょ? だからとりあえず笑顔でいるのが仕事かなぁ、って思うんだ。笑顔で伝播するものってどっかのテレビでやってたし。だからほら、スマイルスマイル! 僕が笑って、お兄さんが笑って、皆が笑う。先の事は解らないけど、今が平和なら今はそれでいいんじゃないかな」
いつも通り過ぎるレヴィの姿に苦笑し、近づいて頭をわしゃわしゃと撫でる。馬鹿の様に思えて、たぶんこいつが一番皆の事を考えているのかもしれない。そう思うと、
「何時も心配かけて悪いなぁ」
「うん? 心配なんてかけてないよ。だってお兄さん帰ってくるって約束したもん。―――ほら、心配する必要なんて一つもないよ」
「お前マジで太陽の様な子だなぁ」
これであのフェイト・T・ハラオウンのクローンというのだから驚きである。フェイトはかなり有名人だが、そんな彼女はなのはの聞いた話ではレヴィとは対照的に大人しく、静かな人物らしい。あと私生活全般壊滅しているらしい。そこだけはレヴィと一緒っぽい。
「あ、お兄さんお兄さん。ジュース買ってくるから」
「はいはい」
左腕に装着しているベーオウルフを投げてレヴィへと投げる。
『Im being sold』(私、売られました)
「今日からお前は僕のものだー! ふははははー!」
「仲がいいなお前ら」
レヴィとベーオウルフの寸劇を眺め、二人が走って公園の外延部にある自動販売機へと向かって走って行く姿を眺め、そして姿が見えなくなったところで近くの木まで移動し、それに背中を預ける。大きな木が形作る影が日差しを遮り、少しだけ涼しい空間を作ってくれる。その中で汗でびっしょりにあってしまったシャツやらズボンを軽く乾かすつもりで少しだけ振る。これは家に帰ったら確実に洗濯行きだな、と呟き、
「―――精進を怠らないようですね」
「―――っ」
反射的に動こうとし、手元にデバイスが無い事を思い出し、動きを止める。声の主は木の反対側から聞こえてきた。ともなればこの木の反対側には―――アイツがいる。
「……っ、……まあな」
「ありがとうございます」
「……」
此方が攻撃せず、自制した事に対して感謝を言っているのだろう。相変わらず勝てる気がしない。軽く頭の中で勝利方法をシミュレートしてみるが、全くと言っていいほど勝てるビジョンが思い浮かばない。……まだ駄目だ。まだ勝てない。まだだ。
「……で、何の御用ですかイングヴァルト様」
「イングです。あと、元の口調で十分です。その方が色々と話しやすいでしょう」
一瞬、相手が言った事を理解できなかった。
「……名を割った……の……か」
「はい」
名を割る。それは普通に考えればあだ名や、愛称、そういう意味を持つ場合もあるがベルカの、それも騎士や王ともなれば意味は変わってくる。名とは即ち存在と、そして命そのものを証明するものだ。それを割ると言う事は己を殺すという意味でであり、それはつまり、イングヴァルトにとっては覇王という名を殺したという事に他ならない。
「捻りの欠片もありませんが、今はイングと名乗っておりますのでそうお呼びください」
覇王は生きていてはいけない。死ななくてはいけない。義務感から来るこの敵への執着が今、たったそれだけ消された。此方が戦う理由を折るというのであれば凄まじい一手だと思うが、
「復讐。―――貴方には純粋に復讐で殺されてみたいと、そう思いました」
木の反対側にいる彼女は言う。
「私は蘇ってはいけないものでした。生まれてはならないものでした。覇王として蘇られさせ、そしてその名でも栄誉でも過去でもなく、力のみが求められた。故に状況もあって力を振るいましたが……はたしてこのまま本当に過去を生きた私に泥を塗り続けてよいか、その迷いは常にありました。貴方の言葉は、見事にこうやって私を一人の女性として生きる覚悟をくれました」
ですから、
「終焉を求めます。死者は目覚めてはいけません。覇王は死にました、故に、私は女性の、イングとして死を、終焉を求めます。時が来れば博士が我々の逢瀬の場を整えましょう。その時は持てる全てを持って応えましょう―――ですので、どうか私を、私の”現代への執着”ごとその拳で終わらせてください。それはおそらく現代への執着を生み出した貴方にのみ砕けるものでしょうから」
「お前は―――」
質問する暇を相手は与えてくれない。言いたい事だけを告げてくる。
「近々博士が何か動きに出るようです。では、勝手ながら女らしく、我が儘に終わらせていただきます」
「てっめぇ!」
振り返った瞬間にはもうそこには覇王、いや、イングの姿はそこにはなかった。軽く辺りを見渡し、どこにも姿が見当たらず、舌打ちをする。逃がした事、ヒントを与えられたこと、そして勝てないという事実に。だが、二つだけ、今の出会いで得られたものがある。一つはスカリエッティが近々、何らかのアクションを起こすという事実と、そして、
「俺の向かう先」
―――自分の完成形、そのヒントを見た。
◆
公園から転移魔法を使い素早く移動し、十分離れたところで動きを止める。自分の居場所は少し離れた位置にあるビルの屋上であり、そこからなら公園が一望できる。だがここで足を止めたのは決して十分な位置を離れたからではなく、
話しかけた時からずっと此方を監視している存在と相対するためだ。
「此処なら彼にも迷惑は掛かりませんよ」
そう言葉を口に出せば、
「―――」
言葉の代わりに雷光が隣のビルの屋上で一瞬だけ光り、そこに立つ存在を見せる。
水色の髪の少女が、バリアジャケットを纏ってそこに立っていた。
「貴女は―――」
「ごめんね」
少女は拳を構え、宣言する。
「悪いけど悪い虫は殺さなきゃいけないんだ―――僕たちの為にも、お兄さんの為にも」
閃光が音を超えて襲い掛かってくる。
何も言うまい(ゲス顔