エルダー王国は制圧された。
突如現れた竜騎兵の部隊は、ケルティックだけでなくエルダーの各主要都市に現れ、その氷の技で、瞬く間に凍りつかせ、去っていったのだ。
敵の正体は翌日判明した。竜騎兵の所属国家は“ウェイランド王国”である。
エルダーの北方にある隣国で、ウェイランドとほぼ同規模の領土を持つ国であるが、過去の戦争や地形の影響もあって、もう六十年も交流が無い国であった。それが突然エルダーを襲撃したのだ。
あまりに唐突な出来事に国中が騒然とした。更に数日後にエルダー領内に、約七千人のウェイランドの大部隊が押し寄せてきた。
これだけの人員を、長い山脈に隔てられた国境をどうやって通り抜けたのかは、全くの謎であった。だが既に竜騎兵に壊滅的な被害を受けた各諸侯は、勝ち目が無いと悟り、次々とウェイランドに降伏していった。
「なんということだ……」
王都ケルティック。その街のかつて王宮の庭園だったその場所で、他の兵達とは異なり、金色の着色が細部に施された、青い甲冑を着ている一人のウェイランドの将校が驚愕の声を上げた。
その後ろに居並ぶ兵達も同じ感想のようで、一つの言葉も出せずにいる。
一国を制圧するためには、もちろん王都を抑える必要がある。ウェイランド軍はエルダーの各領地に兵を送り、ついさっき中心部隊である彼らがケルティックに到着した所であった。
彼らがそこで見たもの。それは十数騎にもおよぶ墜落した自国所有のワイバーンの死体。
あちこちの建物の中に無残にも吊り下げられた、生皮を剥がされた味方の兵の死体。
そして眼前に広がる大量のエルダー・ウェイランド両軍の死体が横たわる光景であった。
「王都を落とすのには成功したが……。まさかこちら側にもこれだけの被害が出るとは……。やはりもう少し慎重に作戦を練るべきであったのだろうか?」
ここには竜騎兵の他に、潜入部隊として、三十六人の精鋭部隊が入り込んでいた。だが彼らはほぼ全滅したようである。牛豚のような扱いで吊るされた血みどろの亡骸が、明確にそれを物語っていた。
将校が嘆く中、傍らにいた彼と同じ鎧を着ているもう一人の将校が、物憂げな表情を見せていた。金髪で三十代ぐらいの若い将校である。
「ブレイン様。本当にこれはエルダーの者たちがやったのでしょうか?」
「どういう意味だ?」
ブレインと呼ばれた年配の将校は、顔をしかめる。
「ここで両軍戦闘を行って、痛み分けになったと考えるには……、死体の倒れ方や傷跡があまりに不自然です。それにあの皮を剥かれた死体。何十年も戦争を体験していない国の兵に、あれほど猟奇的なことができるものでしょうか? そもそもあそこまでする目的は何でしょう?」
「では誰がやったというのだね!? 我々以外にも、この国に攻め寄せてきた者がいるとでも言うのか!」
「判りません。そのあたりも念入りに調査が必要でしょう」
ブレインはフンと鼻を鳴らすと、後ろにいる兵達に指示を出した。
「これより王宮に入り、制圧本部を建てる! その前にお前ら、この屍共を片付けておけ!」
王都ケルティックより、北方に存在する山の中に“ベティ”という村があった。養蜂を行っている小さいながらも豊かな村である。
村内には木造の建物が大小まばらに立ち並び、村から少し外れた草原には、沢山の蜜蜂の巣箱がお互い間隔を開けながら、小さな村のように置かれていた。
そんな戦争とは無縁なのどかな村の宿屋に、珍しい客人が泊まっていた。
「アンナ様、朝食です。入ってよろしいですか?」
「はい、お入り下さい」
早朝。宿の中の二階の客室の前で、クシュウはトントンと扉を叩いて呼びかけ、中から弱々しい少女の声で返事が成される。クシュウは扉を開けると、そこにはアンナがベッドに腰掛けていた。
身なりは王族だとばれないように、一般人用の安物の布服を着ている。庶民向けにしても、年頃の娘が着る服にしては粗末なものであったが、今はどうしようもない。
ちなみにクシュウも、王都に来る前に来ていたものと、ほぼ変わらないデザインの服を着ていた。
あの日、かつて自分の住まいであった王宮の庭園で、おびただしい兵の死体と、返り血で真っ赤になった異形の怪人兵の姿にショックを受けたばかりか、後に父親が殺されたことを知ったアンナは、ここ数日この宿の中で塞ぎこんでいたのだ。
食事はクシュウが部屋まで運んでいる。今日も片手に階下の食堂から持ってきた朝食を置いた盆を掴んでいた。
「申し訳ありません。今日からはきちんと食堂に参りますので……」
「いっ、いえ大丈夫です。アンナ様もあまり無理をなさらないように」
アンナは申し訳無さそうにクシュウに、頭を下げるアンナにクシュウは困惑して答える。
一応身分を飾らない良い人柄のようであることは、ここ数日一緒に過ごして充分わかっているのだが、それでもやはり動揺するものだ。
「私これからどうすればいいんでしょう?」
クシュウが部屋の中にある小さい机の上に朝食を置いた時、今になって初めてアンナが、現在自分を取り巻く核心的な問題を口にした。
クシュウは言葉に詰まった。何しろ僅か数日で、国そのものを奪われたのだ。元々国を治めていた王族を敵が丁重に扱ってくれるとは思えない。
頼りにしていた実家も、もはや当てにならない。何しろ父も含めたエルダー全ての諸侯が、ウェイランドの軍門に下ったのだから。もちろんこういう状況の打開策など軍学校でも習ったことはない。
そして何より問題なのは、今自分達がいる村がウェイランドとの国境付近にあるということだ。あの時方角など全く考えずに、でたらめに逃げ回ったせいか、気がついたらこんな所にいた。
幸い村に敵兵は駐屯していなかったが、いつアンナを見つけ出されるか判らない緊迫した日々を送る羽目になった。
王都に着く前日のことといい、自分は道を間違いやすい人間のようだ。最もあの時は敵がウェイランドだとは、まだ知らなかったのだが……
「やはりウェイランドに投降したほうが……」
「駄目です!」
クシュウは声を張り上げた。アンナがビクッ!と身体を震わせ驚く。これに慌ててクシュウは謝罪した。
何がそんなに駄目なのか。それはアンナの身を案じているというより、やはり自身の個人的なプライドなのだろう。今目の前にいる追い詰められた少女を敵に引き渡したりしたら、永久的な罪悪感を抱えて生きることになる。
それにクシュウには、ウェイランド以上に気になるものがあった。
「それに、あの異形の暗殺者の正体も気がかりです。少なくともウェイランド側の者ではないようでした。もしウェイランドがあなたを生かしたとしても、奴があなたの命を狙ってくるかもしれません」
「それはありません」
アンナは確信を込めた口調できっぱりと言い放った。これにクシュウは首を傾げた。
「私が王宮に入った時、あの人は私に何もしませんでした。もちろん父様にも。最初から私達なんて眼中に無いといった感じで、とてもエルダー家を狙ってきた暗殺者とは思えません」
さっきの物憂げな表情は大分薄れ、テキパキとした口調でアンナは喋り出す。
でも陛下は、と言いそうになって、クシュウは慌てて口をつぐんだ。父を失った娘にこのことを触れるのは良くないだろう。
それに思い返してみれば、あの怪人が陛下を殺したのは、陛下が怪人に向けて発砲した後だった。確かにあんなことをされれば、殺す気が無かったとしても怒るであろう。
怪人はそれ以前にも、ウェイランドの竜騎兵達を撃墜している。もはや敵味方お構いなしだ。だが陛下やアンナ姫に対しては、相手側から攻撃を仕掛けられるまでは何もしなかった。
この奇怪な行動は何を意味するのであろう? 殺人狂者とも違うのであろうか?
しばし考え込んでいると、目の前のアンナが自分を真顔で見詰めているのに気がついた。
「でっ、ではご朝食はこちらに置いておきますので、それでは失礼しました!」
アンナが「あっ!」と何か言いたげな声を上げたが、構わずクシュウは部屋を飛び出した。
クシュウは階下にいる宿の従業員に軽い挨拶を交わし、宿の外に出た。
外には澄み切った空気と、綺麗な森に囲まれた村の、木造の家々が広がっている。後ろを見上げると、ウェイランドとエルダーを二分する巨大な山脈が、西から東へと世界の果てまで続くのかと思ってしまうぐらい、長々と連なって聳えていた。
あの山脈をウェイランドの軍勢はどうやって通り抜けたのか? 未だに謎であった。
普通に考えれば竜の飛行能力を使って、兵を少しずつ、山を超えてこちら側に運搬してきた、ということである。とても根気のいる作業であるが、決して不可能ではないだろう。
クシュウはしばらく村を散歩しながら村人達に色々と聞きまわった。ウェイランドの動向について何か情報を掴もうしているのだ。
最もこの辺境の村に来る良い情報は、あまり期待していなかった。ケルティックが陥落したという話しすら、昨日来たばかりだったのだから。だが今日は様子が違った。
村の広場で、村人達が何十人も集まり、何か騒いでいる。この様子に尋常でないものを感じたクシュウはそれに聞き耳を立てた。
「どういうことだ!? ウェイランドがこの村までやってくるのか!?」
「接収か!? ベティはどうなっちまうんだ!?」
(何だって!?)
クシュウは即座に彼らに駆け寄った。
「おい! ウェイランドがどうしたと言ったんだ!?」
相手が目上の人物というわけではないので、地の口調で、かつ少し焦った様子で村人に問いかける。
村人はその様子に特に驚くことも無く、話し始める。
「ウェイランドの兵隊が森を切り開いてるんだよ! 大体この村の方角に向かってだ。地竜を何十匹も使って物凄い速さで森の木をなぎ倒してるんだとよ! やつらこの森にでかい林道を造る気だ! 何のためにそんなことを……」
聞いた瞬間、クシュウは宿に向かって駆け出した。
(なんてこった! 奴らもうここまで追ってきたのか! くそっ!)
普通に考えれば王女一人を追うのに、わざわざ林道を造るなどという、ややこしいことはしないのだが、クシュウの頭はそこまで回っていなかった。
とにかくアンナを連れて、この村から逃げ出そうと考え、必死になって走った。
宿に到着すると、宿の者の挨拶を無視して急ぎ足で階上に向かい、ノックなしでアンナの部屋のドアを開けた。
「え!?」
部屋には誰もいなかった。先程出した朝食の皿だけが、テーブルに置かれている。
(まさかもう捕まって!? ……いやそれはないか。となると気分転換の散歩か? そういえば今日から部屋から出るようにすると言っていた様な?)
早速宿の者に話を聞くと、やはりアンナは自分が外出してしばらくしてから出て行ったという。どこかと聞いたら、宿の隣にある客用の牧舎に行くと言ったと聞かされた。
この宿に泊まる際に、ケルティックからの脱出に使ったあのダックを預けておいた牧舎である。
そこに向かうと本当にアンナはそこにいた。長い一階建ての建物の中、そこは中央の通路を左右にいくつもの木の柱による区画がなされている。そこに宿泊客が持ってきた、多くの馬やダックが居座っている。
その一画にいる、自分が飼っている(厳密には違うが)ダックの真ん前の通路にアンナがいた。口ばしを手で触り、それに対するダックの反応を見て遊んでいる。
「あっ! クシュウさん! 待ってました!」
さっきまでの暗い表情はどこへやら、クシュウに気がついたアンナは、明るい声でクシュウに呼びかけてくる。
「ええ、ちょうど良かった。追っ手がもうすぐ来ます。アンナ様、すぐにこの村から脱出しましょう!」
早口でかつ簡潔に事態を説明したクシュウは、やや強引に、ダックを牧舎から引っ張り出した。
そして困惑するアンナを、有無を言わさず持ち上げて、ダックの背中にある鞍の上に乗せる。そして建物から出て、自らも乗り込もうとする。
「ちょっと待ってください! どこに逃げるのですか!?」
「判りません! でも少なくとも、この村からは遠く離れておかなければいけません!」
以前と同じくアンナを前側に挟んで乗り込んだクシュウは、すぐに飛び立とうとして手綱を引き、ダックの腹を軽く蹴った。
ダックが甲高い鳴き声を上げて、翼を羽ばたかせて走り出そうとする。前方には家々が建ち並んでいるが、そんなに多くはない。土地は草原のようにかなり開けているので、問題なく飛び立てるだろう。だが……。
「ちょっ! 待ってください! お願い、待って!」
アンナが突然制止の声を上げたので、クシュウは驚き、慌ててダックの足を止める。その急停止に、一時ダックがバランスを崩し、転げそうになるが何とか持ち堪えてみせた。
アンナは何やら必死な様子で、クシュウとダック双方に侘びを入れてきた。
「ごめんなさい! でもどうしても行きたい所があるんです!」
「行きたい所? どこか安全な場所でも?」
「いえ、そうじゃないんです」
クシュウは訳が判らず、首を横に曲げた。この状況でどこへ行こうというのであろうか? そうしている内に、アンナは少し落ち着きを取り戻してようで、事情を説明した。
「確かこの近くに、遺跡が一つあるはずなんです。そこへ向かっていただけないでしょうか?」
「遺跡? 何のために?」
「あの怪物のことを知りたくて・・・・」
クシュウは最初、話が見えなかった。あの怪物とは、当然あの謎の襲撃者のことだろう。そして遺跡となると・・・・・。
「あいつのことを何か知っているんですか?」
アンナは少し悩む素振りを見せたあと、自身なさげに答える。
「あれは多分、異界の魔物です。御伽噺を信じるみたいで自信がないんけど・・・・」
「異界の・・・何ですそれ?」
今度はアンナが「え!?」と当惑した様子で、後ろ側にいるクシュウを見上げた。そして何故か、すまなそうな表情に変わる。
「申し訳ありません。今までみんな知っていることなのかと……」
「いえ、別に構いません。よければそのことについて詳しく教えて頂けないでしょうか?」
質問してから、クシュウは何とか自分の記憶を掘り起こそうとした。だが“異界”という単語に関しては、聞いたことがあるような気はしたが、それが何なのか全く判らない。
王族しか知らないような伝説なのか? それとも自分が物知らずであるだけなのだろうか? そう考えているうちにアンナが質問に答えてきた。
「異界・・こことは別の世界から来た怪物のことです。確かそういう伝承を何度か聞いたことがあります」
「・・・・・・・」
いまいちピンとこない話だった。いきなり別の世界なんて話をされても、返答に困る。
だが“異界”という言葉を頭の中で連呼しているうちに、以前ダッチが異界の魔物がどうのと話していたのを思い出した。
「それではあの時、王宮にいた怪物は、その異界の者だというのですか?」
確かにあの奇怪な姿・能力をもつ怪人は、別世界の者だと言われれば、何となく納得できそうな気がする。
それにあの怪人が放っていた光弾。外面はどう見ても魔法であったが、どういうわけか発射される後にも前にも、魔法なら本来感じ取れるはずの魔力の波動を一切感じ取れなかった。
もし魔法で無いなら、あの力はいったい何なのだろうか?
「はい、多分……。昔見た魔物図鑑の中に、あの怪物にそっくりな絵があったんです。何となく覚えがある姿だと思っていたのですが、今朝になってようやく思い出しました」
「その魔物の名前は?」
「知りません……」
クシュウはアンナに対する王族への配慮も忘れて、堂々とがっかりとした顔をアンナに向けた。それを見たアンナは、気まずそうに顔を俯ける。
「すいません……。あの時はただ適当に本を流し見ていただけで、詳しいことはよく覚えていないんです。ただ覚えているのは、それが異界の者だということぐらいで……」
「いえ、いいんですよ。こちらこそすみませんでした」
敵の正体が知れるかと、一瞬期待させておいて返答がこれでは、いつもなら文句の一つくらい言ってしまったであろう。
だが相手は王族で、しかも幼い少女である。いちいち怒るのも大人気ないと思い、何とか心を落ち着かせる。最もクシュウ自身もまた、まだ子供といえる年代なのであるのだが……。
「それで……。その遺跡に行けば、あの怪人について何か判るのですか?」
「それも判りません……。でも何か手掛かりがあればと思って……。私どうしても知りたいんです。 あれが一体何なのか、この国で何をするつもりなのかを。だからお願いです! 私を遺跡まで送ってください!」
クシュウは少し悩んだが、意外とあっさりとアンナの言葉に頷いた。どのみちこの村から出なければいけないのだし、あの怪人の正体と目的が気になるのは、クシュウとて同じであったからだ。
「判りました。して、その遺跡とはどちらに?」
その返答として、アンナはある場所を指差した。顔を向けるとそこには二国を二分する長い巨大な山脈が連なっているのが見える。その山々の中に、一際高い、まるでどんぐりのような形をした高山があった。
「あの山の麓のあたりです」
山の麓……。ようするにウェイランドとの国境に、更に近づくということであるが、クシュウは大して悩みもせずに首を縦に振った。
どうせここまで来てしまったのだ。今更少し接近したぐらいで大して差はないだろう。
「細かい位置は忘れたのですが、とても大きな遺跡なので、すぐに判ると思います。クシュウさん、よろしくお願いします」
「判りました。では行きますよ」
クシュウとアンナを乗せたダックは再び駆け出した。異界の存在に関わるという山脈の遺跡に向けて。
(なんとか隠れ家にできそうな遺跡だといいんだけどな。まあ行ってみれば判るか。……しかし異世界とは。父さんの話しも本当だったりするのかな?)
クシュウにとって“異界”というのは初耳だが、別の世界というものは実家で聞いた言葉だった。
自分たちの先祖は、かつて酸の血を持つ竜と戦ったとかなんとか・・・・。
(名前は何だったっけ? 忘れたな、まあ別にいいや)
そんな考えを張り巡らせながら、二人を乗せたダックは宙に舞い上がった。