翌日、普段まばらにしか人がいないケルティック西方の市街地は、実に珍しいことに多くの人間、もっぱら衛兵達が右往左往していた。
先日の夜が更けた時間に、妙な音がするという通報を受けて、数人の衛兵達が派遣された。
彼らが最初に発見したのは、氷漬けにされた二人の男の死体だった。これだけでも充分大事であったが、更に驚くべき物は、近くにあるもう十年以上も使われていない古倉庫の中にあった。
氷漬けにされた男達のすぐ側には、どうも彼らのものとは異なるらしい血痕が見受けられた。それは何かに引きずられたように、その倉庫の破壊された入り口へと続いていたのだ。
衛兵達は恐る恐る中を覗いたら、そこにあった想像以上の光景に失神してしまった。
「ううっ……」
「おっ、おい吐くなよ!」
倉庫の中で、一人の衛兵が、隣にいる口に手を押さえ始めた同僚に説教気味に声をかけた。かくいう彼自身も顔色はかなり悪い。
倉庫の天井には、全身の皮を綺麗に剥ぎ取られた五人の人間の死体が、屠畜場のように逆さまに吊るされていた。死体からは大量の血が滴り、床は血の池ですっかり真っ赤である。
「何だよ、これ? 前代未聞にも程があるぞ。ここで何があったっていうんだ?」
衛兵達の隊長と思われる人物が、呆気に取られながらも何とか口を開く。すると入り口の方から検視書を携えた衛兵が入ってきた。
「こいつらの身元は判ったのか?」
「いえ、まだです。近くに魔道剣が発見されたので、それがこの者たちの物だとしたら、おそらく魔道士かと」
「それはもう聞いた。じゃあ、凍ってた奴らはどうだ?」
「はい! 一人は死体の損傷が激しいので不明ですが、もう一人の方は判明しました。四日前アンナ姫に対する乱行で解雇された元近衛隊員です」
隊長は一言「そうか」とだけ言い、再び天井の残忍な光景に目をやる。
「ここで魔道士同士での、闘争があったいうことか? しかし何だってこんな……」
現場の状況に、隊長はそれ以上の感想を口にすることが出来なかった。
ケルティックの中央区、そこには町全体の赤一色の建造物郡とは異を放つ、真っ白な塀と、広大な庭園に囲まれた純白の宮殿が建てられていた。この国で一番高貴な一族、エルダー王家の王宮である。
庭園は綺麗に整えられた芝生と林、小さな池が見渡され それを円形に囲う塀には、いくつもの門が建てられていた。その中で一番小さな門、宮殿の真後ろにある裏門にクシュウは立っていた。
昨日とは違って、クシュウは今朝方支給されたばかりの緑色の近衛兵の服を着ており、腰には故郷から持ってきた自前の剣をそのまま差している。
「ふぁああああ〜〜、だりい〜」
もう昼近いというのに、クシュウは盛大に欠伸を上げ、目を擦る。さっきからずっとこの調子である。
王宮の裏門の警備が、クシュウに与えられた初任務であった。本来ならばまだ新任である彼は何人かの先輩の近衛兵と一緒に仕事をするはずなのだが、現在門を警護するのはクシュウ一人しかいない。
一緒に裏門の見張りをする筈だった先輩達は、今日は無断休暇をとっていた。本来ならば王家を守る者としてとんだ自堕落である。だが聞けばここ数年ほど前からは、こういうことは日常茶飯事であり、誰もさほど深く気にとめなくなっているという。
なんでも先輩達は先日「新しい奴が入るらしいから、そいつにやらせておけば大丈夫だろ」と言っていたそうだ。
近衛隊へ入ることに、強い覚悟を決めて王都にやってきたクシュウだが、この見事なまでの平和ボケにすっかり気が抜けてしまった。
だがよくよく考えてみると、軍がこのように自堕落でいられるのは、この国がそれだけ平和だという証拠に他ならない。おそらくこういうのが国として一番良い形なのだろうと、クシュウは考え直した。馬鹿でいられることが人間にとって、一番の幸運なのだ。
クシュウはそんなことを思いながら、ボンヤリと人通りの少ない門前の路道を眺めていた。
「……うんしょっ、と」
どこからともなく聞こえてきたその声に、半分眠っていたクシュウの意識は瞬時に覚醒した。
最初は道中の通行人かとも思ったが、目の前の路道には生憎誰もいない。耳を澄ますと、先程と全く同じ声が再び聞こえてきた。
子供と思しき高めの声であったが、重要なのはそれが直ぐ側の塀の上から聞こえたことであった。
声のした方向をしばらく見ていると、案の定、塀の向こうから赤毛の一人の少女が姿を現した。
年齢は十一、二歳ぐらいだろうか? 長い髪は綺麗に整えられており、纏っているちいさなドレスは、明らかに一般人が着れるような安いものではなかった。
少女は塀を乗り越えたいらしく、危なっかしく足を表の塀の下に出そうとする。クシュウの存在には、まだ気付いていないようだ。
今の少女の体勢も充分に危険であったが、それ以上に色々と面倒なことになりそうな、嫌な予感をクシュウは感じ取っていた。
「あっ!」
途端、少女がバランスを崩して、塀からずり落ちる。
だがこの事態をとっくに想定していたクシュウは、素早く少女の真下に移動し、落下する少女を受け止めた。少女は「キャッ!」と小さな悲鳴を上げるが、特に怪我はしなかった。
塀の高さはおおよそ六メートルある。どのようにして塀を登ったのか、そしてどうやって表に下りるつもりだったのかは不明だが、もしそのまま落下していたら、相応の怪我を負っていたかもしれない。
「だっ、大丈夫でございますか?」
少女の正体に大体感づいていたクシュウは、少女を横抱きしながら敬語で呼びかける。
少女は目をパチクリして、クシュウの顔をしばらく見詰めていたが……。
「どっ、どうしているのです!? ここの見張りは全員サボりだと聞いていたのに!?」
「いや、どうしてと言われてもですね……」
急に怒鳴りつけられたクシュウは、もうどう答えたらいいか判らない。とりあえず今の体勢はまずいと考え、少女をゆっくりと地面の上に下ろします。
「私は先日父の紹介により、近衛隊に入隊したクシュウと申します。あなたのお名前は?」
「あっ!」
少女の返答はそれだった。真っ直ぐクシュウの背後の空を指差している。随分原始的な手口だったが、クシュウはつい反射的に後ろを見てしまった。
当然少女はその隙に脱兎のごとく、街へと駆け出した。
「ああああっ!? ちょっとお待ちを!」
大変なことになった。これでは門の警護どころではない。初日から面倒に巻き込まれた自分を憂いながらも、クシュウは少女を追って、街へと走っていった。
「おいあれは何だ?」
ケルティックを囲む、赤一色の巨大な城壁の上。その北方の一角で、見張りをしていた一人の衛兵が、北の方角の空から見える奇妙な影に気付いた。
近くにいた他の衛兵達も次々とそれに気がつき、空を見上げる。
その影は横に細く伸びており、徐々に大きくなっているようだった。
一人の衛兵が、「どうれ」と声を上げ、手持ちの望遠鏡を取り出し、その影を除いた。
「竜騎士?」
確認されたのは白い竜だった。前足を持たず、代わりに大きな翼を持つ飛竜《ワイバーン》である。
そのワイバーンの背には人が乗っていた。ワイバーンの口元に繋げられた手綱を掴んだその人間達は、青い甲冑に身を包んでいる。
それらは二十騎ほどおり、渡り鳥の群れのように綺麗なブイ字型の編隊を組んで、真っ直ぐにこちらに近づいてきている。
竜騎兵であるのは間違いないのだが、どこの国の所属なのか、衛兵には判別できなかった。
ただどう見ても穏和な目的で向かってきているとは考えづらい、だが衛兵はそういう風には考えなかった。
「おい! あれは竜騎兵の編隊だ! なんだか凄いぞ!」
「本当か! 俺にも見せろ!」
衛兵達は、取り合うようにして望遠鏡を譲り合い、始めて見る竜の姿に感嘆した。
やがて竜騎兵達は、肉眼でもはっきり見える距離まで近づいてきた。街に近づくうちに少しずつ速度を下げていく。
その姿に衛兵達は、子供のように竜騎兵に手を振った。
するとどうだろう。先方にいた三頭のワイバーンが、衛兵達に向けて大きく口を開いた。騎兵がバチッ!とワイバーンの喉に鞭を打つと、口から真っ白な氷の息吹《アイスブレス》が放たれた。
衛兵達のいる城壁は、その息を一斉に受け、大量の冷気が弾け、部分的に視界がゼロになる。
竜たちがその城壁の上を通り抜けると、その風圧で冷気が掻き消える。するとそこには、手を振った体勢で冷たく固まった衛兵達の姿が現れた。
少女とクシュウはケルティックの大型図書館で、熾烈なのか滑稽なのか、よく判らない鬼ごっこを繰り広げていた。
何故図書館にいるのかというと、少女が図書館に逃げ込んだから、クシュウもそれを追って入ったということ。
今日は随分空いている図書館を、少女は鼠のようにすばしこく逃げ回る。クシュウは懸命に追うが、中々捕まえられない。
身体能力にはかなりの自身があるクシュウだが、少女の方も熟練の兵士も顔負けの相当な体力であった。しかもここは図書館だ。下手に乱暴に走り回ると、中をひどく荒らして、館員や客達に迷惑をかけてしまう。
馬鹿みたいに高い本棚が並ぶ部屋で、とうとう少女を見失ってしまった。
クシュウは焦った。このまま逃がしてしまったら、折角入った近衛隊をクビにされかねない。期待外れの腑抜けな隊であったが、こんなことで失職したら、更なるいい笑いものである。
クシュウはとにかく必死で、本棚の森の中を探し回った。
ここに来る途中、外が妙に騒がしかったが、そんなことを気にする暇は無い。何やら銃声のような物騒な音が聞こえた気もしたが、それは多分気のせいだろう。
「くしゅん!」
どこからか、くしゃみの声が聞こえてきて、クシュウは即座にその方向に走り込む。だがそこには誰もいなかった。
おかしい。確かに気配はすぐ近くに感じるのに……。
「どこにいらっしゃるんですか! いい加減にしましょ……くしゃん!」
言葉途中でクシュウも思わずくしゃみをしてしまった。ここに来て初めて妙だな、と思い始める。図書館の中が冬のように冷え込んでいるのだ。
別に冷房がかけられている様子は無い。もう秋に入り始めた季節であるが、この寒さはありえないはずだ。
「キャッ!」
まあそれも後で考えようと決めた矢先に、不意にそんな声が聞こえたと思ったら、すぐ後ろでドカン!という音が聞こえた。
「ちょっ! どうされました!」
振り向くと、そこには少女が右足の肘に両手をかけて蹲っていた。
「本棚から落ちました。しかし大丈夫です。すぐ立ちますから、心配なさらずそれまでお待ちを!」
少女が幼い声で、気丈に言い放つ。だがクシュウは少女の望み通りには動かなかった。
「残念ながらお断りします」
「あああ! 何を!」
クシュウは今まで本棚の上に隠れていたらしい少女を掴み上げ、右脇に抱えた。少女は猫のようにジタバタと暴れたが、当然その程度のことでクシュウは放したりしない。
この程度の小細工で気配を読み違えるとは自分も修行不足だな、と感じながらクシュウは出口の方に向かっていった。
「放して! 放さないと『人攫いだ!』と大声で叫びますよ!」
「なあ!?」
クシュウは慌てて、現在自分のいる通路の周りを見渡した。だが……。
「誰もいませんね……」
「ええ今日は閉館日だっだんでしょうか?」
二人は呆然とした。
なぜなら今の図書館は空き家のように誰もいなかったのだ。客はおろか、受付席も本来警備員が立っている場所も無人である。
だが閉館日なら入り口は閉まっているはずである。それにさっきここに入ってきた時には、一瞬であったが受付席に誰かが座っているのを見た気がした。
「どうなっているんです? なんでこんなに静かなのです? さっきまでは何人か人がいたのに!?」
「やっぱりそうなのですか? 私も見たような気がするんです。あなたを追うのに無我夢中で少し判らなかったのですが……」
少女は少しふてくされた様子でクシュウを見る。
ふと二人はさっき自分達が入ってきた入り口の門を眺める。すると扉の隙間からビュオオオオー!と冷たい風が入り込んできた。
おかしい。何か判らないが、確かに何かがおかしい。
「申し訳ありません。すこし外の様子を見てきます」
「はっ、はい! お任せします」
クシュウはゆっくりと少女を降ろす。今度は逃げたりはしなかった。心配げに入口に向かうクシュウを見詰める。
クシュウは警戒しながら入り口に近づき、中途半端に開けられた扉の取っ手に手をかける。金属製の取っ手は氷のように冷たくなっていた。意を決して扉を開け放つ。
「わあ!?」
クシュウは驚きのあまり、それ以上の言葉が出なかった。
赤き街は、美しい銀世界と化していた。
ケルティックの街は、本当に唐突な攻撃に、大混乱に陥っていた。
突如出現した氷絶飛竜《アイスワイバーン》の氷の息吹《アイスブレス》に、街の三割が氷漬けになり、道中には錯乱して逃げ惑う姿勢で固まった人間の氷像が所狭しに並んでいる。
現在アイスワイバーンに跨る謎の竜騎兵部隊は、王宮の周囲を旋回していた。
王宮は今、塀に沿うような形で発生している、半球状の結界に覆われている。宮殿の近衛隊員達の魔法に生み出されている半透明の緑色の結界が、かろうじて竜騎兵達の攻撃から宮殿を守っていた。
王宮の中で、力を振り絞って結界を張り続ける近衛兵達を見渡しながら、王の護衛をする仲間達が、応援を待っていた。
すると遠方の風景を映し出す魔道具『千里鏡』を監視していた一人の兵士が、王の側にいる隊長に、顔を青くしながら呼びかけた。
「ほ、報告です!」
「どうした!? ダック部隊はまだ動かないのか!?」
「それが……、既に全滅していました!」
その言葉に隊長の眉が吊り上る。
「そんな馬鹿な!? もう奴らにやられたというのか!?」
「いえ。それが、竜騎兵が現れる直前に攻撃されたらしいのです。どうやらあらかじめ街の中に敵兵が潜伏していたようでして……」
兵士は自分が持っている千里鏡の映像を、その場にいる全員に見せた。
飾り付けの無い質素な鏡の表面には、スケート場へと変貌した人工池の上で、コチコチになって凍死した巨大カルガモの姿が映し出されている。
それを見た全員が、絶望の底へと追い落とされた。
「なっ、何をしとるんだ!? お前らは近衛隊であろう!? さっさと何とかせんか!」
「申し訳ありません。すぐ手を考えますので、なんとか落ち着いてくださいませ」
泣き面で近衛兵達を怒鳴りつける国王キース・エルダーを隊長は何とか宥めるが、正直考えたところで打つ手がわいてくるとは思えなかった。
王道ならば隠し通路なりなんなりで、脱出するのだが、生憎この街にも王宮にもそのようなもの存在しない。万事休すである。
王宮の上空を、円を描きながら飛行する竜騎兵は、あまりの手応えの無さに呆れていた。
今でこそ結界で防護しているが、それも長くは続かないであろう。魔力切れで結界が消えたときに、一気にアイスブレスを吹きかけてやれば勝負はつく。
国一つをこうも簡単に落とせてしまうとは、これまでの気苦労は何だったのか。
事前にこの国の王女を押さえ込んでおこうとする動きもあったが、実に無意味な策であった。
やがて王宮を囲う結界が弱まっているのに気がついた。緑色の魔力の膜がどんどん薄くなっていく。
竜騎兵達は一斉攻撃の構えを取り始めた。
その直後であった。
何の前触れも無く、突然に、一騎の竜が撃墜された。
頭部の両横から、血液が混じって桃色になった脳漿と、白い煙が噴き出て空中で拡散する。悲鳴を上げる暇もなく逝ったようだ。
騎乗している本人はもちろん、周りの騎兵達も一瞬何が起こったのか理解できなかった。
息絶えたアイスワイバーンが、空中で身体を踊るように二転三転させながら墜落していく。それは王宮の結界に衝突し、半円球の結界の上を転がりながら、地面に格好の悪い体制で着地した。
二度目が起きたのはそれと同時だった。
どこから飛んできたのか、一騎の竜騎兵の身体を、青く発光する何かが、弾丸のごとく凄まじい速さで衝突した。
それはアイスワイバーンと騎兵の二体分の肉体を、紙のようにたやすくぶち抜き、腹に綺麗な風穴を作る。即死した竜騎兵は、ついさっきやられた者と同じように墜落していった。
「て、敵襲っ!」
突然の事態に、竜騎兵達は一斉に飛行方法を変更し、青い光が飛んできたと思われる方向に向き直る。
すると再び魔法攻撃とおぼしき、青い光弾が二発目、三発目と次々と発射された。
それらは空中をホバリングする竜騎兵達を、恐ろしいほどの命中精度で撃ち抜いていく。光弾の速度は物凄く、体長八メートル、体重四トンの巨体ではとても避けきれるものではなかった。
そしてもう一つ、撃ち落された竜の身体には、撃たれる直前に必ず三点の小さな赤い光印がどこかしらに当てられていた。だがそのあまりに小さい印に気付くものはいなかった。
「くそ!? 誰なんだ!?」
発射位置と思われる場所は、王宮の南方ここから七百メートルは離れた大きな建物の屋根だった。距離の所為か敵の姿は見えない。そしてそこはアイスワイバーンのアイスブレスも、騎兵達の魔法も到底届かない場所だった。
最も射程距離にいたとしても、敵に狙いを定めるのかなり難しいであろう。何故なら敵は、原理不明の不思議な力で、その姿を風景に溶け込ませている透明人間だったからだ。
(一体何者だ!? エルダーの兵か!? しかしこれほどの射程・速度でこんな強力な魔法を撃てる魔道士など……、ああっ!)
気がつくと三人の竜騎兵が有効射程に入ろうと、発射位置に真っ直ぐ突っ込んでいた。実に愚かな判断である。
「馬鹿者! やめろ!」
竜騎兵の隊長の言葉は、空しくも届かなかった。
恐ろしい狙撃能力を持つ敵に、急速に接近していった三騎は、続けざまに放たれた光弾に、瞬く間に撃ち落されていく。
攻撃は尚も止まず、竜騎兵達は虫のごとくたやすく倒されていく。二十一騎いた竜騎兵隊は今や九騎にまで減っていた。
「退却だ! 一旦ここから離れ――」
このままでは全滅と判断し、隊長が退却命令を叫んだ直後。隊長の頭が青い光と共に、果実のように粉々に砕け散った。
これに恐れ戦いた残りの竜騎兵達は、隊列など無視してバラバラに逃げ去っていった。
図書館の屋根の上に、散らばっていく標的を見据える透明人間が立っていた。彼の左肩の部分からは、何故か薄く白い煙が上がっている。
不意に“キュイイン”と奇妙な音が聞こえると、透明人間は屋根を蹴り上げ、前方の建物へ向かって飛び上がった。
街道を挟んだそこは、六メートルもの距離はあるのだが、彼の脚力はとてつもなく、その距離を難なく乗り越え、無事に着地する。その後も建物の屋上を走り、飛び上がり、道など無視して真っ直ぐ街の中を駆けて行く。
その先には既に結界が消滅している王宮が存在していた。
そしてもう一つ。透明人間のいた屋根の真下には、ガラス窓の向こうから、外の光景を見て呆然としている新任近衛兵と少女が立っていた。