萌えっ娘もんすたぁ ~遙か高き頂きを目指す者~ 作:阿佐木 れい
レインボーバッジを無事に手に入れ、愛梨花から聞いたように、俺達は一路セキチクシティを目指す事にした。
「さて……」
ジム戦の直後もあり、リゥ達を休憩させるために立ち寄ったタマムシシティの萌えもんセンターで、ひとりタウンマップを広げる。
セキチクシティで一番近い街はここ、タマムシシティ。遠回りになるが、シオンタウンからも行ける。こちらは大きな川の桟橋を歩いて行くようで、旅を楽しみたいのなら間違いなくこっちのルートだろう。反対にタマムシシティからだとサイクリングロードという道を通る事になる。こちらは、自転車かバイクじゃないと通してもらえない。俺の記憶が確かなら、レンタルはしていたはずだが……。
「今の時期――大丈夫かねぇ」
セキチクシティのサファリゾーンに向かう人も増えているだろう。レンタルの数が不足している可能性が高い。今日みたいに天気の良い日は利用者が多いからな……。
そうなると、二度手間でまたシオンタウンを経由して向かうハメになる。
「ま、どっちでもいいか」
余裕を持って旅をしても問題は無いが……。
後は旅の道連れに訊いてみますかね。
ちょうどそう考えていた時だった。
「ただいま」
「ああ、おかえり」
振り向くと、リゥのみならずシェルやコン、カラにサンダースと勢揃いだった。
手にしていたタウンマップを指で示し、
「ちょっとルートを考えてたんだ。意見貰ってもいいか?」
「……? いいけど」
「なになにー?」
「地図、ですか?」
「へぇ、面白そうだね」
「けっ」
そうして、空いたテーブルを全員で占領して顔を付き合わせる。中央のテーブルには地図を広げ、覗き込むような形だ。
「ここが今いるタマムシシティ」
さっきまで考えていたルートを説明していく。
どちらのルートを通るにせよ、トレーナーとの戦いは回避出来ない。今の内に意見を聞いておきたかったのだ。
「うーん」
俺の説明が終わると、リゥは少し唸り、
「個人的にはシオンタウンがいいかな」
ほう、珍しい事もあるもんだ。
そう思っていたのだが、表情が顔に出てしまっていたらしい。
不満そうに顔をしかめられた。
「――別にいいでしょ」
ぷい、と顔を逸らす。
心なしか、その表情は赤い。
……ああ、
「リゥ、自転車に乗れないもんな。そっかそっか」
考えてみれば、いつも一緒に歩いているから忘れがちだがリゥは萌えもんだ。人間社会の乗り物に乗れるとは思えなかった。
が、何やら重たいため息がいくつも聞こえた。何故?
「――それでいいわ、もう。で、シオンタウンを経由した場合、どれくらいかかるの?」
「そうだな……」
シオンタウンまでは半日もかからない。だが、セキチクシティまでが遠い。途中でクチバシティの外れを通ることを考えれば、二日は確実にかかるだろう。
逆に、サイクリングロードなら数時間で行ける。ずっと坂道なため、かかる時間が全く違うのだ。
「トレーナーと出会う事も考えると――二日くらいはかかるな」
余裕を持つにこした事はない。万全な状態で旅に。これ、冒険の鉄則な。
「諒解。それじゃ、さっそく出発しましょ」
「やたー! 水の近く-、ですわ!」
ひとりご機嫌なのはシェルだ。ま、シェルにとっては本来の住み処だしなぁ。
リゥにしても、早くも乗り気のようだ。
シオンタウンに到着してからバタバタしっ放しだった。
それを考えると、気分転換も兼ねて確かに悪くないルートだと思う。
「そうだな、出発するか」
全員が同意したのを確認してから、リゥ以外をボールに戻して席を立つ。
まずはシオンタウン――そういえば、水が近い場所を歩くのって久しぶりかもな。
そんな事を考えながら、俺は旅立つ準備を始めた。
◆◆
シオンタウンに到着すると、太陽も真上から僅かに傾き始めていた。これなら、桟橋の上で寝泊まり――は回避出来そうだ。ずっと陸で暮らしてきた人間にとって、桟橋の上で寝るってのはちょっと辛い部分がある。
念のため、桟橋の前でもう一度タウンマップを広げて確認する。
「ここを渡っていくの?」
「ああ」
覗き込んできたリゥに頷きを返す。
イワヤマトンネルやハナダシティから流れてきた河川が、合流しながらセキチクシティへと流れ、海へと合流している。その途中にある桟橋は、観光名所と共にカップルのデートスポット、果ては釣り人の聖地とかいろいろ言われている。
「ルートは……こうだな」
タウンマップに赤ペンでルートを書き足していく。こうしておけば、道から逸れた場合も戻れる確率は高くなる。
ま、最悪その辺りを泳いでいる海パン野郎か釣りしてるおっさんを捕まえて道を訊けばいいだけなんだけどな。
「ふぅん、地図だと結構かかるのね」
「まぁな。どうする? サイクリングロードから行くか? 戻ってもそっちの方が早い
ぜ?」
念のため最終確認。
しかしリゥはやんわりと首を横に振り、
「こっちでいいよ。川の近くって気持ちよさそうだし」
そう言って、ふわりと笑みを浮かべた。
「了解。んじゃ、行くか」
「うん」
タウンマップをズボンのポケットに突っ込み、桟橋へと踏み出した。
桟橋は当たり前のように板張りで、歩いていると隙間から水面が見られるようになっていた。やはりというべきか、腐りかけている場所もあるようで、注意して進まねばならないが、そこかしこに水タイプの萌えもんを使う釣り親父や海パン野郎、ビキニなお姉さん――眺めてたらリゥに殴られた――やらがいるので、例え足を踏み外して川に落ちたとしても大事には至らなさそうだった。
そうしてしばらく歩いていると、
「――何だ、この音」
遠くから聞こえてくる、地の底から響く轟音に眉をひそめていると、
「あれじゃない?」
リゥが指し示した方向には、大きな萌えもんが寝そべっていた。
それが調度、桟橋を塞いでいる。
巨大な体躯で寝相をうったためか、萌えもんの周囲の桟橋は崩れ落ちている。元から腐っていたのが体重で駄目押しされた結果だろう。
西にはクチバシティへの道が広がっており、ちょうど合流地点となっているようだった。
「ふむ……」
萌えもん図鑑を開く。
「カビゴン、か」
居眠り萌えもんの名前の如く、気持ちよさそうに寝ている。ついでにいびきも物凄い。
道理で周囲に誰も見かけないわけである。ゲーセン程じゃないが、ずっと近くにいると耳が潰れてしまいそうだ。
「どうすっかな」
跳び超える時に蹴り飛ばしてしまったら何だし、どうしたものか。
無理矢理たたき起こすという手段もあるのだが……起きて襲いかかってきたら面倒なんだよな。手持ちに加えたい、という気持ちは今のところ無いし……。
そうして俺達が悩んでいた時だった。
「――笛?」
微かに聞き届けたリゥがシオンタウンの方に視線を向けた。
やがて、日なたにいるかのような音色と共に、その正体である笛を吹きながらレッドが現れた。
武者修行でもしてるみたいだな……。
そんな俺の胸中を訂正するかのように、カビゴンのいびきが止まり、
「ふぁあ~~」
大きな欠伸と共に起き上がった。
むくり、と上半身を起こすと、起き抜けの眠たげな瞳で俺とリゥを見つめ、
「……すぴ~」
寝た。
また寝た。
「二度寝は気持ちいいからなぁ」
「え、そこなの!?」
冬と春先の二度寝は仕方ないと思うんだよ、俺。
ぽかぽかと日差しの当たる桟橋では、きっと昼寝をしたら気持ちいいに違いない。
俺もしてみようかな……なんて思っていると、どこかの若武者よろしく笛を吹きながら歩いていたレッドは「あれー?」という顔でカビゴンを見ていた。
「おっかしいな、寝ている萌えもんを起こす笛だって聞いてたんだけど」
どこか壊れてるのかな? と言いながら笛の底を見たり穴を覗いたりしている。たぶんそれじゃ絶対にわからないと思うぞ。
「もう一度吹いてみたらどうだ?」
「……うーん」
俺の言葉に、レッドはもう一度笛から音色を響かせる。
すると、爆睡していたカビゴンがやはり目を覚まし、
「……すぴ~」
また寝た。
こいつ、良い根性をしている。
「何で寝るんだろう」
「そういう萌えもんだからじゃね?」
笛の効果そのものはあったと思う。現に、すぐに起きたのだから。
恐るべきは、目の前のカビゴンが持っている眠りへの執念なだけ。
寝てるために生きているような奴だ。その生き様、素敵だぜ。
「つーかレッド、カビゴンを起こしてどうするんだ?」
「んー、捕まえようかなって」
「ふぅん」
カビゴンはノーマルタイプでも強力な個体だ。戦力に組み込めば、頼りになるパートナーになってくれるだろう。
ふむ、
「別に寝てる状態で捕まえればいいじゃないか」
「えっ?」
どういう事? とレッドが視線を向けてくる。
「いや、だってこいつ起きてもすぐ寝るだろ? だったら寝てる状態で弱らせてからボールなげて掴まえたらいいじゃないか。別に起きてる間だけ戦うなんてルールは無いわけだし」
野生の萌えもんだって、睡眠状態にして掴まえるトレーナーだっているんだ。先に寝て
いるか後で眠らせるかの違いに過ぎない。
俺の提案に、レッドは微妙に納得がいっていないようだったが、
「そうだね、やってみるよ」
言って、手持ちの萌えもんを繰り出した。
「頼むよ、リザ―ドン」
リザードの最終進化形――リザ―ドン。体躯も大きくなり、リゥよりもぐっと身長が高くなっている。まともにやり合えば苦戦は必須であろう萌えもんは、初めて出会った頃よりも逞しく育っていた。
「火炎放射!」
放たれた火炎はカビゴンの巨体を丸ごと飲み込み、桟橋を焼き切った。お前、どうしてくれんだこれ。
しかしレッドは燃える桟橋に気付かず、ボールを投げてカビゴンを捕獲にかかる。
結論から言えば、全く問題なくレッドはカビゴンを捕獲したわけなのだが、桟橋は完全に通行不可能な状態となってしまっていた。
桟橋、水面、桟橋と続いている状態である。ジャンプしても渡れる気がしない。おい、どうすんだこれ。
レッドもそこで気が付いたらしい。カビゴンを掴まえたボールを持って固まっている。
どうしようなぁ。
またタマムシシティに戻るしか無いんだろうか。
良い方法が浮かばなかった俺は、とりあえず、
「釣りでもするか」
道中見つけた釣り親父の家に向かった。
◆◆
さて、どうしたものか。
釣り親父から借りたボロボロの釣り竿を水面に垂らしながら考える。
カビゴンのいた場所からじゃないとセキチクシティには辿り着けない。桟橋のルートはあそこしか開拓されていないため、行くとするなら水を泳ぐしか方法がない。もしくは水タイプの萌えもんに頼むかだが……、
「それも情けないしなぁ」
シェルなら問題無く乗せてくれそうだが、構図としていかがなものか。
という部分でさっきからずっと悩んでいる。
「ファアル、糸、引いてるけど」
「あ、ほんとだ」
釣り上げる。コイキングだった。リリース。
さて、
「何か考えつきそう?」
リゥといえば、俺の隣に座って水面を眺めたり、飽きたら近くを歩き回ったり、水を覗き込んだりしている。段々とアクティブになってきていらっしゃる。
「いや、何も。誰か乗り物とか持ってたら楽なんだろうけどな」
「私、一応考えたんだけど」
「マジで?」
「うん」
リゥはとっておきを思いついたとばかりに、右手の人差し指を一本立てた。
「まず、桟橋ぎりぎりにファアルが立つでしょ?」
「ああ――あん? 立つ?」
「で、それを私が思いっきり向こう岸まで吹っ飛ばす」
「おーい」
「最後に私をボールで回収すれば――ほら、行ける」
「俺だけが明らかに損してるから駄目だ」
ほら行ける、じぇねーよ。
しかし、どうしたものか。サイクリングロードから行くしか方法がないかなぁ。
そうして考えていると、
「Hey!!」
どこかで聞いた男の声が聞こえてきた。
その声は遙か遠く――といっても既に大きく見えているが――から爆音と共にやってきた。どんだけ肺活量あるんだ。
遅れて波を引きずりながら、その男――クチバシティジムリーダー、マチスは釣り竿の前で水上ボートを停車させ、サングラスを日光に反射させていた。釣りの邪魔だし水がかかったぞ、どうしてくれる。
「久しぶりネ、ファアル!」
暑苦しさ全開でハンドシェイク。汗でべたべたしてる。
釣り竿を回収しながら水に手を突っ込んで洗う。
「で、ジムリーダーがこんな場所で何やってるんだ? 仕事しろよ仕事」
俺の突っ込みにもマチスは「HAHAHA!」と何故か爆笑し、
「仕事中だヨ! 桟橋がレッドボーイにデストロイされたらしくてネ。ジムリーダーも出張なのサ」
「あ、そう」
その割にアロハシャツ着てサングラスって完全にオフスタイルじゃねーか。
――って待てよ。
俺の目の前に止まってるの、使えるんじゃね?
「マチス、頼みがあるんだが」
「What's?」
「それ、乗せて行ってくれね?」
事情を説明すると、マチスは快く承諾してくれた。
どうやら乗っていたのは、そうやって困っている人のためでもあったらしい。
風を切りながら水上ボートは進み、あっという間にカビゴンのいた場所を越えて向こう岸に到着した。
「よっと」
先に下り、リゥの手を引く。
「……ありがと」
小さく言ったリゥから視線を上げ、
「さんきゅー、助かったぜ」
「困った時はお互い様ネ!」
ビシッとサムズアップ。アメリカンな男は器が大きいな。
「今度バトルしてくれたらそれでいいヨ」
「ったく、ちゃっかりしてやがる。わかったよ、今度な今度」
苦笑を浮かべた俺に、マチスは人懐っこい笑みを浮かべると、そのまま去って行った。作業現場に戻っていくようだ。
「さて、遅れた分を取り返そうぜ」
「うん」
しばらく手をにぎにぎしていたリゥを伴って、俺達は再び桟橋を歩き始めたのだった。
◆◆
桟橋を抜けると、やがて海が近くなってきたのか潮の香りが混じるようになってくる。
慣れ親しんだ香りだ。マサラタウンも海に面しているため、少し懐かしさを感じてしまう。
そういえば、セキチクシティとマサラタウンって海からでも行き来は可能なんだったか。
ただ、その間に天然の洞窟――ふたご島とグレン島があるのだが――どちらにせよ、グレン島にはジムもある。遠からず行く事になる。
俺達は桟橋を抜けた付近で一泊し、朝になってから二日目の行軍へと移った。
といっても、桟橋を抜ければセキチクシティは目と鼻の先だ。何度も往復したシオン・タマムシの間くらいだ。
朝から道中のトレーナーと戦いながら歩いて行くと、昼頃にはセキチクシティへと到着
を果たした。
セキチクシティも珍しく街の入り口にゲートが設けられており、外から見れば発展しているように見える。
が、
「うわ……しょぼ」
「言うなよ……」
ゲートがあったため、大きい街を予想していたのだろうリゥが、開口一番に告げたのは残念な吐息だった。
まぁ、気持ちはわかる。
有り体に言ってしまえば、セキチクシティは田舎だ。
ジムと海水浴場以外は目立った施設もない、そんな場所だったのだが、数年前に出来たサファリゾーンによってがらりと変わってしまった。もっとも、それは一部だけではあるのだが。
「――何あれ」
不機嫌な声は久しぶりだな……。
リゥの視線を辿ると、そこには檻の中に入っている萌えもんの姿があった。檻の前には
「珍しい萌えもん――ラッキー」と書かれてある。
確かに、萌えもん達にしてみればたまったものではないだろう。見世物と同じなのだから。
まさかサファリゾーンがこんな営業をしているとは思ってもいなかったため、リゥには申し訳ない事をした気持ちになってくる。
「いや、何つーか、悪い……」
「……別に、ファアルが謝る事じゃないけど」
でも、とリゥは続け、
「早くバッジを奪って出よう?」
「だな」
それには全面的に賛成だ。
俺だって見ていてあまり気持ちの良い光景じゃなかったから。
足早に地図を見ながらジムの場所を調べていると、いつの間にやら砂浜に出ていた。あれー。
「まさかとは思うけど――迷ったの?」
「い、いやぁ、そんなわけないだろう?」
周囲を見渡していると、
「ふぉーい!」
何やら太陽の光を眩しく反射させる禿げ散らかしたおっさんが見えた。あまりにも光加
減が素晴らしいので、てっきり珍しい萌えもんかと思った。スルー。
「お、あれがジムみたいだ」
「変な場所にあるのね」
ジムは砂浜に面した山の中腹にあった。自然の中にぽっかりと空いた空間に作りました、といった様相で、難攻不落の城を思い起こさせてくれた。
「萌えもんセンターもあの辺りにあるみたいだ。行ってみようぜ」
「うん」
「ふぉ~い!」
面倒臭い。
「何でついてきてるの、あんた」
さすがに無視出来なくなるほど鬱陶しくなったので、視線を向けると、何だか頭よりも幸の薄そうな中年のおっさんが元気よく両手を挙げていた。
「ふぁふけて」
「日本語でおk」
おっさんは良くわからない言葉を放っている。異国の人なんだろうか。マチスを連れてくれば良かった。
生ぬるい視線を向けていると、おっさんも自分の行っている事が俺達に伝わっていないのがわかったようで、自分の口を指さし、大きく口を開けた。
「砂を食べたいのか? いいぜ、何を食べるかは自由だからな」
「ふぃふぁう!」
あー、と再び開けてくる。
「綺麗に歯がないな。砂とか歯に悪そうなのばっかり食べてないで、ちゃんと歯を磨かないと駄目だぞ、おっさん」
ちゃんと食後には歯磨き、これ基本だぜ?
おっさんは満足したのか何度も頷いている。
変な人だが、これ以上は無視して行けそうだ。良かった。
「じゃ、俺達急いでるんで」
「ふぁってー!」
待って?
おっさんは涙目で俺の方をグワシ、と掴むと、
「ふぁがして」
剥がして?
「少しだけ残っている髪の毛を剥がせばいいのか? おっさん、かっこいいな……」
「ふぃふぁう!」
「そんな泣きながら喜ばなくてもいいじゃないか」
おっさんは俺から距離を取ると、何やらジェスチャーを始めた。
どこからかティッシュを取り出し、こよりを作って鼻の中に入れて動かしている。
そして、馬鹿でかいくしゃみを一発。
「ふむ、くしゃみ」
指で歯のような形を作り、
「すっぽ抜けた――ああ、入れ歯か」
うんうんとおっさんは頷いている。
それで喋れなかったわけね。
「で、まさかとは言わないけど、それを探してくれとか言わないよな?」
きょとん、という顔をしている。
断られるはずがないと言わんばかりだ。俺は今、このおっさんを髪の毛を絶つと決めた。
「何か面倒臭いのに捕まったなぁ。どうするよ……」
鞄の中からガムテープを探しつつ、リゥに視線を向ける。
「放っておいてもついてきそうなんだけど」
「だよなぁ」
スペアとか持ってないのだろうか、とも思ったが、眼鏡ならともかく入れ歯のスペアなんて聞いた事がない。案外、持たない人の方が多いのかもしれない。
更におっさんは身振り手振りで伝えようとしている。
その姿を見ていると、何だかこのまま放っておくのも申し訳なく思えて――
「で、入れ歯ってこの辺の落としたの?」
「ぷいぷい(首を横に振って)ふぃふひのへーひゃんひへは」
今のはわかった。水着のねーちゃん見てた、だ。
視線が完全にエロ親父だった。
何こいつ、埋めたい。
「えーっと」
リゥが助けて―、と視線を向けてくる。
「――ったく、わかった。探すよ、おっさん。このまま放置も面倒だし。んで、入れ歯ってどんなの何だ?」
「ふぃんいほ」
お前は何を言っているんだ。
おっさんは伝わらなかったのがわかったようで、少ない髪の毛をかきむしって悶えた後、
「――ふぉれ!」
と腕時計を指で示した。
「ん?」
そこに見えたのは、いかにも高級な金色の腕時計だった。目と精神に優しくないカラーである。成金趣味もここまで行くと感嘆すべき部分はあるが……
よし、
「埋めよう。カラ、穴を掘る」
「任せてくれ。深さは?」
「水が湧き出すくらいで」
「おやすいご用だ」
「ちょっとちょっとちょっと」
もう視界に入れたくないのか、リゥは露骨に視線を下に向けているが、俺とカラの勇気ある行動を止めてくれた。
「とりあえず、早く探してこの鬱陶しいのから逃げようよ」
本心だだ漏れてますよ、リゥさん。
「だな。ボール戻るか?」
「うっ……頑張る」
袖をちょこんと捕まれる。
「おっさん、その入れ歯、どこで無くしたんだ?」
しばらくポーズを取ったままだったが、やがておっさんはセキチクシティの奥を指さし
た。
あそこは……、
「サファリゾーン?」
俺の問いに、おっさんは満足そうに頷いた。
なら水着の姉ちゃん見てないでさっさと探せよハゲ。
◆◆
ひとまず、入れ歯を回収したとしても合流場所を決めておかなければ話にならない。
おっさんは自分の家まで来てくれという事なのか、案内してくれた。
――のだが、何とそこには豪邸が建っていた。
てっきり身につけてる物だけで見栄を張ってるのかとばかり思っていただけに、驚いた。
「おっさん、金持ちだったんだな」
えっへん、と胸を張っている。腹の方が出てるぞ。
「ま、わかった。見つけたらここまで届けるよ」
「ふぁのむふぉ」
おっさんはそのまま家の中へと姿を消していった。
とりあえずあれだ。入れ歯を持ち帰るためのビニール袋を買おう。素手で持ったり鞄に入れたくないんだ。
フレンドリィショップで買い物を済ませる。途中、セキチクシティジムにも寄り、ジム戦の申し込みも済ませておいた。日時は明後日。今日このままサファリゾーンで捜し物をして、疲れたままで挑みたくはなかったからだ。
そして、ジムでの受付を追え、再び外に出た時だった。
眼下に広がっている森の木々が不意に騒ぎ出したかと思うと、
「とうあっ!」
何かが飛び出し、俺達の前に着地を決めた。
ぶぅん――と、羽ばたかせていた羽の音が静かに収まっていく。
やがて、風が収まった中、顔を上げたのは一体の萌えもんだった。
「あれは……」
萌えもん図鑑を開くと、現れたデータには〝ストライク〟の文字が。
虫タイプの萌えもんで、両手が鎌のようになっているのが特徴のようだ。
その萌えもん――ストライクはニヤリと笑みを浮かべると、
「そこの御仁、強者とお見受けする――いざ!」
問答無用で襲いかかってきた。
「え、えっ?」
標的はリゥらしい。
辻斬りか通り魔か?
おっさん並に面倒な奴にまた絡まれた。
とりあえず、だ。
「リゥ、叩き付けて」
「あ、うん」
びたーん。
「ちょろぷっ!」
ストライクには悪いが、敵じゃなかった。
馬鹿正直に向かってくる相手の軌道なんて、ふたつの動作も必要ない。
カウンターで決まった〝叩き付ける〟は、そのまま一撃でストライクの意識を刈り取ったようで、
「む、無念……!」
と言って伸びていた。
「さ、行くか」
「いいのかなぁ」
放置だ放置。おっさんだけでも面倒なのに、これ以上面倒なのに関わっていられるか。
しかしその思惑は、即座に壊される事となった。
面倒臭い奴は、どこまで言っても面倒臭いのだ。
つまり何が言いたいかといえば、
「お願い申し上げる!」
サファリゾーンの前――入園ゲートに先回りしていたストライクは、ぼろぼろの体で、
「あちしを弟子にして下さい!」
そう、リゥに土下座したのだった。
<続き>