すた☆だす   作:雲色の銀

64 / 76
第33話「もう聞くことの出来ない声」

 買い物帰りに、思わぬ展開に出くわしたモンだ。

 交差点まで来たところで、信号待ちをしながら談笑中の後輩連中を発見。そこまではいい。

 しかし、前の方で待っていたゆたかの様子がおかしい。

 クマのぬいぐるみを抱えたまま顔を若干赤くし、足元がフラ付いている。そして、そのまま道路側に倒れかけたのだ。

 更に異変は続く。隣にいたつばめが気付いたらしかったが、腕を伸ばしかけて動きを止めてしまった。

 傍にいたかえでとみなみはギリギリまで気付かず、このままだとゆたかは道路に倒れてしまう。すかさず、俺は後ろからゆたかの肩を掴み、小柄な体を支えてやった。

 

「何してんだよ、お前等」

 

 そして、気付くのが遅れたかえでとみなみ、何もしなかったつばめに呆れた視線を送る。

 が、異変はまだ収まらなかった。

 つばめはパニック状態のまま急に叫びだし、耳を塞いでしゃがみ込んでしまった。

 

「うわああああああああっ!? 黙れ、黙れ黙れぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

 

 誰も、何も言っていないにも関わらず、つばめは焦燥しきった表情で黙れと連呼する。

 普段の無感情そうな冷たい表情からは想像も出来ない程怯えた様子に、俺達は言葉を失っていた。

 パニック状態のつばめに、体調を崩したままのゆたか。

 一気に面倒事が2つも舞い込み、俺は今日の不運さを嘆く暇も与えられなかった。

 とりあえず、つかさヘルプミー。

 

 

 

 一旦、俺達は近くのファーストフード店に寄ることにした。

 ゆたかを休ませるにも、つばめを落ち着かせるにも、丁度いいからだ。

 密かにつかさと海崎さんにメールを送りながら、俺はゆたかとつばめの面倒を見つつ席取りを担当する。

 

「すみません、白風先輩……」

 

 ゆたかの方は顔色はまだ悪いが、喋れる程には回復していた。

 少し座って、飲み物でも飲めば回復するだろうとのこと。

 病弱だとは聞いていたが、こういうのが頻繁に起こると大変だな。

 因みに本人曰く、最近は起こっていなかったので、油断してたとのこと。

 

「別にいいって。後輩の面倒を見るのは先輩の仕事だ」

 

 ぶっちゃけさっさと帰りたかったが、キツそうな後輩2人も放置する程薄情になった覚えもない。

 特に、つばめの様子はゆたかよりもある意味重症だった。

 耳を塞ぎ俯いたまま、視線をあちこちに揺らしている。

 何時だって冷静で他人を寄せ付けようとしないつばめが、ここまで挙動不審になる程の何かがあったってことなんだろうな。

 

「……俺、は……」

 

 すると、漸くつばめが我に返ったらしく、顔を上げて周囲を見回した。

 ただ、表情はまだ若干の曇りがあり、目の輝きは死んだ魚のように濁っている。

 注文を持ってきたかえで達も席に着き、俺達はゆたかの回復を待つ間に、つばめを問いただすことにした。

 最も、本人に話すつもりはなさそうだが。

 

「んで、どうしてゆたかを助けようとしなかったんだ?」

 

 まずはかえでが口火を切る。

 一番助けられる位置にいたつばめが、ゆたかに手を伸ばそうとしなかったことがかなり不服なようだ。

 しかし、つばめはドリンクを飲んでそっぽを向くばかり。

 

「気付かなかっただけだ。お前も倒れるまで気付かなかったろ」

「嘘だな」

 

 つばめのあからさまな嘘に、俺が空かさず言葉を詰めた。

 本当に気付かなかったんなら、ゆたかに謝って終わる。少なくとも、普段のつばめならば、救えなかった程度であんなに取り乱す訳がない。

 更に、絶望で動きが止まっていた時、差し伸べようとしていた右手が見えた。

 そこから推測出来ることと言えば、ゆたかを救おうとする際に自分の中のトラウマがフラッシュバックしてきた、といった感じだろう。

 

「どうしてそんな」

「今ほど分かりやすい嘘はつかさの可愛い嘘ぐらいだぞ」

 

 そもそも、つかさは嘘吐かないしな。

 俺を騙せないと分かると、つばめは途端に俺を睨みつけてくる。

 おーおー、先輩に向かっていい度胸だ。

 

「いいからさっさとお前のトラウマ吐いて、楽になっちまえよ」

「ふざけっ……ないでください」

 

 挑発に乗りそうになったつばめは、ギリギリ怒りを抑え込んだ。

 握り潰した紙コップをトレイに置き、つばめは荷物を持つ。

 

「んじゃ、今日は帰るんで」

「あれだけパニくって、そのまま帰るのか」

「はい。笑うなら、笑っていいですよ。それじゃ」

 

 捨て台詞を吐いて、つばめは帰ってしまった。

 ……攻め方を間違えたか。あき辺りなら乗ってくるんだけどなぁ。

 そこに、入れ違うように海崎さんから連絡が入った。

 

「もしもし、何すか。つばめなら帰りましたけど」

 

 後は特にやることもないので、俺も帰りたいんだけど。

 すると、海崎さんは真面目なトーンで要件を言ってきた。

 

〔はやとか。お前のメールを貰った後で、実はつばめの親御さんに連絡取ったんだ〕

「マジすか? 話は?」

〔全部話してくれたよ。非常にパニクってたって言ったら、心当たりあるみたいでさ〕

 

 海崎さんにしては珍しくかなり役に立ってるな。

 こうなったら、つばめが帰ったのも都合がいい。

 ゆたかの体調も大分戻ったので、俺達は静かな路地に場所を移して海崎さんの話を聞くことになった。

 

「あ、そうだ。通話料掛かるんだから、なるべく手短にお願いします」

〔いや、結構長いぞ〕

「オイ、誰か携帯貸してくれないか」

 

 俺が後輩達を見ると、何とも言えない視線を送られる。

 何だよ、通話料だって馬鹿に出来ねぇんだぞ。

 結局誰も貸してくれないので、渋々俺の携帯のまま、ハンズフリー状態にした。

 

 

☆★☆

 

 

 先輩から逃げるように、俺は一人で家路に着く。

 さっきよりは楽になったとはいえ、未だに頭の中がガンガンと響いていた。

 俺の忘れられない、忘れてはいけない過去。

 

「黙れ……!」

 

 イライラが募り、無意識に電柱を殴る。

 しかし、腕の痛みでも脳を駆け巡る忌まわしい記憶は吹き飛んでくれない。

 全て、アイツ等がいけないんだ。

 ゆたかが、かえでが、みなみが、さとるが、ひよりが、白風先輩が。

 そして、今の環境に馴染みすぎてしまった俺自身が。

 

「……そうだな」

 

 全てを思い返せば嫌でも分かるはずだ。自分の愚かさを。

 誰かと一緒に遊んだり、飯を食ったり、楽しんだりする権利なんて、俺にはないことを。

 アパートに帰ると、俺は鞄を放り投げる。

 靴を脱ぎ、夕飯のことも考えず、湧き上がる疲れに倒れこむ。

 天井を見上げ、窓から射す夕陽の光を浴びながら俺は記憶を辿っていった。

 

 

 

 6年前。当時小学四年生だった俺は、学校の階段で足を滑らせて落ちた。

 落ち方が悪かったらしく、右肩と腕を骨折。全治一ヶ月で一週間の入院が必要だと言われた。

 あまりに唐突な出来事で、子供だった俺はトントンと流れる状況にポカンとしているしかなかった。自分の体のことだというのに。

 父さんも母さんも心配してくれた。学校のクラスメイトからも寄せ書きが来た。

 皆にチヤホヤされ、入院も満更でもないと思い始めた。今の俺ならば、きっと殴り飛ばしているだろう発想だ。

 入院中の生活は、小学生にとっては退屈そのものだ。

 見舞いの客がいなくなると動かせない腕にもどかしくなったり、することがなくて無意味に足を動かしたり。

 そして、同室の患者と話をする。

 

「こんにちは」

 

 俺の場合、暇ではあったが話しかけられる方であった。

 その時、初めて自分の隣のベッドで誰かが寝ていることに気付いた。

 オレンジ色の長髪に、黄緑色の瞳。病人らしい白い肌も長所と思える程の美少女。

 透き通るようなソプラノの声は、耳に心地よく聞こえる。

 

「あ、うん」

 

 俺は一瞬彼女に見惚れ、間の抜けた返事しか出来なかった。

 同年代の中で、アイツ程可愛い女子を俺は知らなかった。

 

「君、今日から入院?」

「うん、今日から」

「じゃ、私が先輩だね!」

 

 女子と話すことに妙な恥ずかしさを覚え、俺はオウム返しに答える。

 そんな俺とは対照的に、アイツは俺とコミュニケーションを取りたがっていた。

 病人には似合わない積極的で明るい性格に、俺は段々と心を開いていく。

 何より、同年代の話し相手がいることに安心感を覚えたんだと思う。

 

「私は十波はるか!」

「湖畔つばめ」

「こはん……? 面白い名前だね!」

 

 これがアイツ、はるかとの出会い。

 そして、俺の絶望の始まり。

 

 はるかと話す時間はいくらでもあった。

 暇さえあれば、お互いのことを話した。おかげで、一週間も経っていないのに昔からの親友のような感覚になっていた。

 

「いいなぁ、つばめちゃんは。外のこと、いっぱい知ってるんでしょ?」

「つばめちゃん言うな!」

 

 つばめちゃん、というのははるかが可愛いからと呼び始めたのが由来だ。

 俺は当然恥ずかしいからやめろ、と言っているのだが、全然聞かない。それどころか、母さんに聞かれてしまい、真似される羽目になった。今でも、母さんは俺をつばめちゃん呼ばわりだ。

 それより、はるかは入院生活が長く、外のことをよく知らないようだった。

 いつも見る景色は窓の外か屋上、病院の敷地内から見るか、テレビの中の光景ばかりだという。

 遊園地にも、映画館にも、洋服屋にも行ったことはない。

 

「行きたいって言っても、ウチの親はダメの一点張りだもの」

 

 はるかの両親は厳しい人達だった。

 見舞いに来た時に一度会っているが、あの人を見下したような視線は忘れられない。

 娘を大事に思っているようだが、それ以外はどうでもいい。娘と仲がよさそうな俺は、彼女にとって害虫でしかない。そんな嫌悪感を飛ばしているようだった。

 多分、退院してもあの両親ならダメと言い続けるだろう。

 

「……じゃあ、俺が連れてく」

「え?」

 

 咄嗟に思い付いたことだった。親がダメだというのなら、俺が連れていけばいい。

 子供の浅はかな考えだったが、当時の俺はそれが一番いいアイデアだと思っていた。

 

「俺が、色々案内してやる。色んなものを、はるかに見せてやる」

「つばめ君……」

 

 本当は、はるかと離れることが辛かったのかもしれない。

 俺達は所詮、入院患者でベッドが隣同士というだけの関係。

 俺が退院すれば、この繋がりは切れてしまうのではないか。

 初恋の糸を切られたくなかった俺は、口実を作りたかったのかもしれない。

 

「だから、俺達はずっと友達だ!」

「……うん」

 

 俺の言葉に、嬉しそうに目を輝かせたはるかは、何故か最後には表情を暗くした。

 その理由が分からないかった当時の俺は、まだまだ大人じゃなかったってことだ。

 

 

 退院してからも、病院には通わなければならない。

 そこで、俺は通院ついでにはるかと毎日会っていた。

 勿論、はるかとの繋がりを切りたくなかったし、はるかもまた同じ気持ちでいてくれた。

 

「つばめ君、いらっしゃい」

「おう」

 

 だから、俺が来た時のはるかは、すごく嬉しそうにしてくれた。

 白く綺麗に整った顔を笑みで溢れさせ、俺が自室から持ってきた漫画や外の写真を受け取る。

 退院後に聞いた話と合わせて、俺ははるかの事情を知ることが出来た。

 はるかは昔から英才教育を受けさせられていた。

 親からは期待の眼差しで見られ、様々なことに挑戦させられた。

 その為に遊ぶことも許されず、漫画やゲームに触れたことはない。

 必要なものは全て親から与えられる代わりに、はるかは親の期待に応えなければならない。

 そんな人形みたいな生活を、はるかの病気が変えてしまった。

 

「私ね、病気になって入院して、よかった」

 

 はるかの家の事情を初めて聴かされて、動揺する俺にはるかは語りかけてくる。

 俺の手を優しく握る、はるかの白く細い手は、心に沁みるほど温かい。

 

「だって、つばめ君に会えたし、初めて自分のしたいことが出来てるから」

 

 はるかのしたいこと。それが、俺と話すことだった。

 俺が隣に来るまで、はるかはこの広い病室の中に独りぼっちだったのだ。

 俺は、はるかの願いを叶えてやれたんだろうか。

 はるかの希望になれたんだろうか。

 

「はるか……俺、お前が好きだ」

 

 告白を何気なく口にした後、俺は酷く後悔した。

 こんなの、卑怯じゃないか。雰囲気に流されるまま、言っていい言葉じゃない。それくらい、小学生の俺ですら分かる。

 なのに、言ってしまった。はるかがそう言って欲しそうだったから。

 

「つばめ君……」

「っ! そうだよ、好きだよ! 俺はずっとお前が好きだった! 声をかけてくれた時から、俺はずっとお前が気になってたんだよ! 一目惚れだったんだよ、悪いか!? 骨折してよかったって思ってる! だからこれからもずっと俺と一緒にいろ! 俺がお前の望みを全部叶えてやる! したいこと何でもさせてやる! 何処にだって連れてってやる!」

 

 言ってしまったものは仕方ない。

 はるかの驚いた顔を見た瞬間、頭の中の言い訳も、後悔も吹き飛ばすように俺は捲り立てた。

 はるかに対して思っていたことを、暴風雨のようにぶつけてやった。

 ちょっと入院して、皆にチヤホヤされて嬉しくなるような自分が恥ずかしくなる程、儚げな彼女を悲しませないように。

 これからもっと彼女の我儘を、その心地いい声で聞かせられるように。

 

「……私、入院してばっかだよ? デートとか、行けないかも」

「はるかが一緒なら、病院の屋上だっていい!」

 

 泣き出す彼女をこれ以上不安にさせないよう、俺は強く言った。

 病院内では静かに、と後で叱られるだろうが、今の俺は知ったことではない。

 すると、はるかの目から大粒の涙が零れた。

 見たこともないはるかの泣き顔に、俺は戸惑う。

 

「ゴメンね、大丈夫……私も、つばめ君が好きだから……」

 

 そう言って、はるかは俺に抱き付いてきた。

 涙に濡れた顔を肩に押し付け、強く腕を回す。

 この時、俺は何となく分かってしまった。

 俺と会うまで、そして俺が退院した後でどれだけ寂しい思いをしてきたか。

 俺がちゃんとはるかの救いになっていたことを感じ、俺は胸が熱くなっていった。

 

 俺はこの時に拒絶すればよかったんだ。

 はるかを本当に想っているんだったら、何故アイツがずっと入院生活を送っているのか、もっと早く考えるべきだった。

 

 いつものようにはるかの見舞いに行く途中で、俺ははるかの担当医の姿を見かけた。

 入院中にはるかと話しているのを見ていたので、覚えていたのだ。

 その時、俺はある興味が湧いてきた。

 はるかの入院している理由は一体何なのだろうか。

 普段から何処が病気なのか分からない程元気で、何時退院してもおかしくない奴だ。

 それに、何か分かれば自分にも出来ることがあるかもしれない。そんな酷い思い込みをするくらい、俺は浮かれていた。

 

「先生!」

「ん? 君は、確か最近十波さんのお見舞いによく来る……」

「湖畔です。それより、教えて欲しいんですけど、はるかの症状ってそんなに悪いんですか?」

 

 俺の質問に対し、医者は目を見開く。

 コイツは何を言い出すんだろうか、と。何も知らないのかと思ったに違いない。

 帰ってこない答えに首を傾げる俺へ、医者は咳払いを一つした後で答えてくれた。

 

「いいかい? 実感がないとは思うけど、彼女は「白血病」という病気なんだ」

 

 白血病? 血が白くなるんだろうか?

 だからはるかは肌が白いのかな。

 馬鹿な子供が考えるのは精々この程度だ。

 そんな愚か者に、医者はより悲哀に満ちた現実を突きつけた。

 

「彼女は長いこと闘病生活を送ってきた。けど、もう……余命は半年もないかもしれない」

「……え?」

 

 余命半年。ここまで言われれば、小学生でも事態の理解は出来る。

 はるかが白血病とやらの所為で、あと半年で死ぬ。

 彼女を得て明るく輝いていた俺の視界は、途端に薄暗くなっていった。

 

「そんなの……そんなの嫌だよ! 何とかしてくれよ!」

「済まない。けど、せめて彼女とは今まで通り仲良くしてくれ」

 

 そう言い捨てた医者は、逃げるように俺から去って行った。

 後に残された俺は、はるかの死という唐突な絶望に打ちひしがれるしかなかった。

 俺には何も出来ない。はるかの望みを叶えられない。

 はるかはこのことを知ってるんだろうか。もし知ってたなら、俺の為に無理をしてたんじゃないか。

 一瞬で自分の無力さと愚かさを知らされ、肩が折れてなかったら壁を殴りたくなるほど、自分を憎んだ。

 

「つばめちゃん、遅かったね」

 

 はるかの元へ行くと、相変わらず俺の持ってきた漫画を読んでいた。

 丁度面白いギャグシーンだったようで、病人の癖に大笑いしている。

 こんな何処にでもいそうな少女が、半年も経たずに死ぬなんて俺には信じられなかった。

 

「はるか……」

「どうしたの? ほら、ここ面白いよ」

「お前、白血病って聞いたけど、大丈夫か?」

 

 死ぬのか、なんて聞けるはずもなく、俺は遠回しな言い方で聞く。

 すると、笑っていたはるかの表情が曇っていく。

 

「知っちゃったんだ……」

 

 自分が死ぬなんて、俺にだけは知られたくなかった。口にはしてないが、目でそう言ってるのが分かった。

 

「……ゴメン」

「ううん、大事な彼氏に黙ってた私も悪いし」

 

 居た堪れなくなり謝る俺に、はるかは無理にでも笑って許してくれた。

 今にして思えば、はるかの言動は小学生にしては少しマセてたかもな。

 けど、はるかの表情の影は消えていない。

 

「私ね、あと半年で死んじゃうんだ。つばめ君が折角ずっと一緒にいるって言ってくれたのに」

 

 やはり、余命のことははるかも知っていた。

 俺が言った言葉ははるかを確かに喜ばせたが、同時に苦しめてもいた。

 もっと早くはるかのことを知っていれば、まだ何かいい言い方があったかもしれない、とまた自分を責めそうになる。

 

「俺は……それでも、俺ははるかが好きだから、一緒にいたい」

 

 結局気の利く言葉なんて思いつかず、俺は本心を打ち明けた。

 俺は、初恋の人間と死ぬまで一緒にいたいと。すぐに別れてしまうことになっても、死ぬまで寂しい思いをさせたくないから。

 

「……うん、ありがとう。私も、つばめ君大好き」

 

 はるかは漸く自然な笑みを見せ、俺の手を強く握った。

 自分がすぐ何処かに行ってしまわないよう、強く強く。

 

 そして、「あの日」が来てしまった。

 

 俺のギプスがいよいよ外れる。通院生活も終わりに近付いていた。

 それは、同時に俺がはるかと会える頻度が減ってしまうことも意味していた。

 

「学校は行かなきゃ」

「分かってる」

 

 入院当初はあんなに待ち望んだ学校生活も、はるかという存在が出来たおかげで、憂鬱なものになっていた。

 あーあ、はるかが同じ学校の、同じクラスだったらよかったのに。

 

「放課後、絶対に会いにくる。少しでも、必ず」

「うん」

 

 俺ははるかと指切りをする。一ヶ月で、俺は随分はるかに熱心になってしまった。

 だからこそ、あの悲劇を生むことになるのだが。

 

「……つばめ君、私デートしたい」

「え?」

 

 彼女の唐突な提案に、俺は間抜けな声を上げる。

 まぁ、はるかとのデートなら俺は何時でも大歓迎だけど。

 しかし、はるかの提案は俺の予想を超えていた。

 

「ね、2人だけでこっそり街に出ようよ」

「……え!? いやいや、駄目だよ!」

 

 はるかは俺と街に出たがっていたのだ。

 けど、病院からこっそり抜け出すのは流石に不味い。

 何より、俺ははるかの病気を詳しく知らない。外に出たら途端に悪化するんじゃないかという不安があった。

 

「俺が何処でも連れてってやる、って言ったのは誰かな?」

「う……!」

 

 だが、はるかにこう言われてしまうと俺は弱くて。

 結局、俺ははるかを外に連れ出してしまうことになった。

 外着に着替え終わったはるかに更に変装を施し、俺達は外に出る。

 大人達と何人も鉢合わせしそうになったが、上手くすり抜けて難関はクリア。

 バスに乗り、中心街まで来ると、はるかは変装用の帽子を外して周囲を見回した。

 

「わぁ~……」

 

 バスやタクシー、駅前を歩く人々、様々な店等、初めて間近で見る光景に、はるかは目を宝石のようにキラキラと輝かせていた。

 喜んでくれたのなら、それだけでも連れ出した甲斐があった。

 それから俺達は服屋で服を見たり(本当に見るだけ)、お菓子屋で買った板チョコを半分こしたり、ゲームセンターのクレーンゲームを眺めたり、着実にデートを進めていった。

 

「♪~」

 

 金銭的にも、大人のデートと比べれば物足りないが、はるかはそれでも満足しているようで、鼻歌を歌っていた。

 それにしても、はるかの声は本当に綺麗だ。何処かの歌手かと間違える程に。

 

「はるかの声、好きだな」

「ふぇ!?」

 

 鼻歌の素直な感想を言うと、はるかは白い顔を急に赤くした。

 照れてるはるかも、俺にとってはまた可愛くて。

 

「もっと、はるかの歌が聴きたい」

「は、恥ずかしいよ~!」

 

 恥ずかしがるはるかはレアだな。そんなことを考えながら、俺は彼女とのデートを楽しんでいた。

 そう、俺はまた浮かれていた。だから大事なことが何一つ見えていなかった。

 はるかと信号を渡り出すと、ふと信号が点滅する。

 ここは早めに渡った方がいいな。俺ははるかを連れて走ろうとした。

 

「行こう!」

「うん……」

 

 渡り切った後で振り向くと、はるかの姿はなかった。

 よく見ると、道路の真ん中ではるかが苦しそうにしているじゃないか。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 胸を押さえ、息を荒くするはるか。

 はるかは元々ベッドの上での生活が長かった。その為、街を練り歩く体力なんて最初からなかったんだ。

 何でもっと早くに気付かなかったんだ!

 俺は急いではるかの元に駆け寄ろうとするが、同時に大型トラックがこちらへやってくるのが見えた。

 マズい、このままじゃはるかが轢かれてしまう!

 

「はるか!」

 

 大声ではるかの名前を呼ぶ。

 けど、俺の声はトラックの急ブレーキの音に掻き消される。

 トラックの運転手もはるかに気付いたようだったが、止まるには遅かった。

 

「はるかぁぁぁぁぁっ!」

 

 俺は必死に右腕を伸ばそうとする。

 はるかを掴んでこちらに引き寄せれば、ギリギリ助かる。はるかはまだ死ぬべきじゃないんだ。俺が助けるんだ!

 そう思った時、自分の体の違和感に気付いた。

 

「――ぇ?」

 

 右腕が動かない。

 伸ばしたはずの右腕が、伸ばせない。

 そうだった。俺はまだ右腕を骨折していたんだった。

 動かせるはずがない。はるかを掴めるはずがない。俺の手は、何にも届かない。

 

 

 そして、視界を絶望が覆い尽くした。

 

 

 はねられたはるかの体は宙を舞い、トラックの進行方向へと吹っ飛ぶ。

 やがて重力に従って落ち、肉が地面に叩き付けられる鈍い音が鳴った。

 地に落ちたはるかの体は紅い液体とグロテスクな肉片に塗れ、白く綺麗な肌とオレンジの髪を汚していた。

 

「はるかっ!」

 

 ふっとんだはるかに、俺は急いで駆け寄る。

 罪悪感と、後悔と、吐き気で心臓が押しつぶされそうになりながら、俺は必死に呼びかけた。

 

「あ゛……づ、ば……」

 

 はるかは生きてた。この時だけは確かに意識があった。

 急ブレーキのおかげで多少は衝撃が抑えられたのだろうか。

 しかし、今の状態は苦しいだけなのではないか。即死なら苦しむこともなかった。そう考えると、急ブレーキはよかったとは言い切れない。

 

「ゴメン、ゴメン! 俺が連れだしたから……はるかが苦しいの、気付いてやれなかったから!」

 

 涙で目を腫らしながら、俺ははるかに謝る。

 一緒にいると、望みを叶えてやると誓った相手をこんな目に合わせるなんて、俺はどれだけ愚かなんだ。

 しかし、はるかは口をパクパクと動かし、何かを伝えようとしていた。

 

「何だ? はるか」

 

 俺は彼女の綺麗な声を聞き取ろうとする。

 しかし、それを遮るものがいた。

 野次馬のざわつく音、車が止まる音、救急車のサイレンの音。

 日常的な音ですら、俺の鼓膜の邪魔をする。

 嫌だ。俺ははるかの声が聴きたいんだ。あの綺麗な声が何を言おうとしているのか、聞き取りたいんだ。

 

「枕、のじだ……が……る゛……」

 

 枕の下、それだけしか聞き取れなかった。

 やがて現れた救急隊員に引き離され、はるかは運ばれていった。

 もう助からないかもだとか、搬送をだとか、俺はお前等の声が聴きたいんじゃない。

 黙れ。黙らないと、はるかの声が聞こえない。

 

「くそっ、黙れ黙れぇぇぇぇっ! はるかぁぁぁぁぁっ!」

 

 俺の叫びに意味はなく、はるかは救急車で病院に戻されていった。

 そして、それから少しした後ではるかの死が伝えられた。

 

 

 

 病院のベンチで、俺はただただ虚ろを見続けていた。

 はるかが言っていたことで唯一聞き取れた「枕の下」を探すと、そこにははるかの遺書が隠されていた。

 白血病で何時死んでもいいように、家族への思いをそこに書き記していた。これを家族に渡してくれ、ということだろうか。

 あの時、他にはるかは何を言おうとしたのか。もしかして、俺に恨み言を呟いて逝ったんだろうか。

 それならば、丁度いい。俺は恨みをぶつけられて当然のクズだ。

 余命半年以下の彼女を無理矢理外に連れ出し、挙げ句交通事故で死なせてしまう。

 願いを叶えることも、彼女の希望にもなれない。寧ろ、絶望の象徴だ。

 

「つばめ」

 

 そんな俺の元へ、俺の両親が来る。

 酷く叱られる。それどころか、見放されるだろう。

 全てを失うつもりで見上げると、2人の表情は予想と違って穏やかなものだった。

 

「辛い思いをしたな」

「貴方が悪いんじゃないわ」

 

 よりにもよって、両親は俺を慰めてきたのだ。

 やめろよ。俺はそんな優しい言葉を掛けて欲しいんじゃない。

 俺は、彼女を死なせた張本人として罵倒を受けるべきなんだ。

 罪を問い詰められて当然なのに、両親の言葉は却って俺を傷付ける。

 

「湖畔、つばめ……」

 

 急に第三者に名前を呼ばれる。通路の奥を見ると、何時か見たことのあるはるかの両親の姿があった。

 あぁ、この人達ならきっと俺を憎むだろう。

 好きなだけ憎んでくれ。けど、その前に渡すべきものがある。

 

「あの」

「言い訳なぞ喋るな! 全部お前の所為だ! お前の所為で娘は、事故死などという下らん死を迎えなくてはならなかった!」

 

 俺が手紙を渡すよりも先に、父親の方から怒号を浴びせられる。

 文句なら後でいくらでも聞く。けど、まずは娘の手紙を読んで欲しい。

 

「これ、はるかの」

「まぁ「はるかの」ですって! どうせ見苦しい言い訳をはるかの言葉にしているだけだわ!」

「なんという卑劣なクソガキだ! そんな手紙はこうしてやる!」

 

 彼等は俺の話などまるで聞く耳持たない、という風に手紙をブン取って破り捨てる。

 そんな……それは、はるかがアンタ達に向けて書いた手紙なのに。

 

「すみません、すみません!」

「大体! アンタ等の教育がしっかりしてないから、こんな子が育ったんだろうが! どう責任を取るつもりだ!」

「全ての責任は私達夫婦にあります。ですからこの子は」

「そんなの当然よ! この責任はキッチリ取らせますから覚悟しなさい!」

 

 相手の両親はこちらの話をまるで聞こうともせず、一方的に罵詈雑言を浴びせる。

 そして俺の両親は当事者の話を聞かずに、ただただ責任を全て被ろうとする。

 そんなの、どっちも迷惑に決まっている。

 互いが互いのノイズに阻まれて、本質が見えていない。

 

 世の中は騒音に溢れている。

 道路を行き交う車、人の話し声や足音。そして、一方的な意見の押し付け。

 雑音だらけだ。

 皆、黙ればいいのに。

 黙らなければ、大切な声が聞こえない。

 あの声は、なんと言ったのだろうか。俺への恨みか、この世への未練か。

 雑音に阻まれたもう聞くことの出来ない声に、俺は苦しみ続けていた。

 

 

 

 今朝はすっかり頭に響く声が収まっていた。

 疲れが溜まっていたんだろうか。だとすれば、まずはかえでをブッ飛ばす必要があるな。

 いつも通りの朝を迎え、何事もなかったかのように登校する。

 しかし、もう何事もなかったようには出来るはずがなかった。

 

「つばめ君」

 

 校門の前で、ゆたかが待ち伏せをしていたからだ。

 朝っぱらから一体何の用なんだか。ひょっとして、昨日助けなかったことに文句でも言うつもりか?

 

「教室でじゃ、駄目か?」

「うん……体育館裏に来てくれる?」

 

 ゆたかは頬を赤く染め、俺を体育館裏に誘い出した。

 こうなると、もう嫌な予感しかしない。

 まぁ、同じクラスだし逃げても仕方ないので、俺は渋々ついていく。

 他に誰もいないことを確認すると、ゆたかは話を始めた。

 

「えっと……ごめんなさい!」

「は?」

 

 ここまでくると告白か、と思っていたが、何故かいきなり謝られた。

 別にゆたかに謝られるようなこと、されてないぞ。

 しかし、話は予想外の方向へと流れていくことになる。

 

「聞いちゃったの。つばめ君に昔、何があったのか」

 

 俺の昔。それだけで、俺の背筋が凍るような感覚がした。

 どうして、ゆたかが俺の過去を知ったのか。

 当時のクラスメイトですら、そのことを知らないはずだし、はるかの親族がこの辺に住んでるってのも聞かない。そもそも、彼等が赤の他人に話すだろうか。

 だとすれば、理由はただ一つ。俺の母親だ。

 大方、俺がおかしくなったとでも言って、あの場にいた全員が話を聞いたんだろう。

 だがまぁ、知られたところで俺の不甲斐なさが露呈するだけだから、大して関係もないか。

 

「それで、つばめ君がやっぱりいい人だって思って」

「……はぁぁぁぁ!?」

 

 ゆたかの異常な返しに、俺は思わず大声を出してしまう。

 いやいやいや! あんな醜態しか見せてない話を聞いて、何で俺がいい人なんて評価になるんだ?

 ゆたかの中での悪人って、どれだけの大罪人なんだよ。

 

「だから、その……わ、私」

「っ!」

 

 そこから先、ゆたかには言わせてはいけないように感じた。

 咄嗟に、俺はゆたかを抑え、顔のすぐ横の壁を殴る。

 俺の唐突な行動に、流石のゆたかも驚き、怯えた表情を浮かべる。

 

「俺を好きだなんて、言うな!」

 

 きっと、今の俺はゆたかに見せたことない程、怒りで歪んだ表情を見せてるだろうな。

 その証拠に、ゆたかは今すぐにでも泣き出しそうになっている。

 なんだ、簡単じゃないか。最初からこうやって脅せば、ゆたかでも俺を嫌ってくれる。

 俺がいい人だなんて寝言、二度と吐かなくなる。

 

「俺がいい人? 笑わせるな。俺はゆたかが好きになるような人間じゃない。好きだった女を死なせる程馬鹿な畜生だ。分かったら、俺なんて忘れろ。いいな?」

 

 ゆたかに最後の言葉を言い放ち、俺はその場を後にする。

 やはり、あの居場所は俺にとっては明るすぎた。

 もう、あの輪に入るべきじゃない。

 それが分かった時、頭の中にまたはるかの声が響き出してきた。

 

 




どうも、雲色の銀です。

第33話、ご覧頂きありがとうございました。

今回はつばめの過去がメインでした。

つばめが「騒音」に拘っている理由が今回で明らかになりました。
恋人の死の間際、騒音の所為で声が聞き取れなかったこと。そして、互いの両親がそれぞれのノイズを張った所為で、つばめやはるかの意見を聞いてもらえなかったことに由来しています。

恋愛について否定的なのも、自分の所為で恋人を死なせてるからです。
ショッキングな内容でしたが、この回を読んだ後でつばめの行動を見直すと、理由が分かると思います。

次回は、つばめ相手に、遂にあの男が動く!


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。