11月に入り、そろそろ外も本格的に肌寒くなってきた。
こんな寒くなってきた頃合いに、ウチの学校は持久走をやろうというのだから、憂鬱で仕方がない。
この持久走は全学年で行われるもので、受験勉強に追われる3年生にとっては迷惑以外の何物でもないだろう。
「何故持久走なんてものがあるのか……」
大人しく本を読む俺の隣で、珍しくさとるがそんなことをぼやいた。
そんなさとるの目の前には、先程配られた持久走の告知が記されたプリントが置いてあった。
さとるは知識を吸収し、覚える能力に長けている反面、体力は人並み以下だ。持久走なんて体力勝負は特に苦手だろうに。
「そうだな」
勿論、俺も持久走は嫌いだ。
ただ走るだけなら、そこまで気にはしない。だが、この学校の持久走は大人数で行われる。
つまり、雑音の中で持久走をしないといけないのだ。
これでは体力以前に、精神面で持たない。
「持久力に興味などないというのに……」
そう呟いたのを最後に、さとるもまた本を開き、静かに読書を始めた。
やはり、適度に付き合うのならさとるが一番相性がいい。
知識欲の塊の化した時は騒がしいが、下手に触らなければ静かそのものだ。
無駄に騒ぐ何処かのバカにも是非とも見習って欲しいところである。
「……そういえば、かえでは何処に行ったんだ?」
流石に静かすぎたのか、さとるは感じてた違和感を口にする。
現在、俺の周囲にいるのはさとる以外に誰もいない。
普段、俺に必要以上に絡んでくるかえでがいないとなると、今頃は岩崎の方が餌食になっているようだ。
因みに、ゆたかは田村と談笑している。
「岩崎と一緒にいるんだろ。少なくとも、俺と一緒じゃなければ、こんなに嬉しいことはないが」
「そうか」
本心交じりにかえでの居場所を考察すると、さとるも納得したようですぐに本に意識を戻した。
最近、かえでは岩崎と付き合い始めたことで、岩崎と一緒にいることが格段に増えた。
なんというか、かえでにとって岩崎は俺以上に放置しておけない存在らしい。
じゃあ俺を放置してくれよ、と思うところだが。
「アイツ1人いないことで、教室の雑音すら静かに感じる」
つまり、アイツ1人でクラスの人間全員分ほどの騒音を出していることになる。
俺はかえでのいない休み時間を、ただただ満喫していた。こんなことはレアだしな。
☆★☆
もう大分肌寒い季節になってきたが、一部の人間には寒さなんて関係なかった。
そう、可愛い恋人とくっつけあえる人間のことだ。
「寒くないか?」
「ううん、私は大丈夫だよ」
「俺は寒い」
「じゃあ、教室戻る?」
「いや、つかさが腕にくっついてくれたら大丈夫だ」
「ふぇ!? じゃ、じゃあお邪魔します……」
だからといって、白風先輩達はやりすぎだとは思うけど。
今日も今日とて廊下でバカップルぶりを発揮する先輩方を遠目で見て、俺は速攻で見ないフリをした。
まぁ、そんな俺も今は可愛い彼女と一緒にいるんだけどな。
「…………」
「俺たちもやる?」
その恋人、みなみに試しに聞いてみると、恥ずかしそうにブンブン首を振った。
けど、ジッと先輩達を見ていた様子から推測すると、あんなこと自体はしてみたいらしい。
「まぁ、みなみ相手なら俺も大歓迎、なんてな♪」
「……そうじゃなくて……」
おどけた風に本心を述べてみると、みなみは俯きながら自分の胸を触り始めた。
あぁ、胸がないから温められない、って言いたいのか。
相変わらず自分のコンプレックスを気にするところは可愛くあるのだが、ここはとりあえず触れないで置いた。
傍から見ればそうは見えないだろうが、みなみは桜藤祭以降、すっかり笑うようになった。
いや、心を他人に許すようになったと言い換えた方がいいか。
ふとした拍子に静かに吹き出したり、楽しいことがあると口元が若干上がっていたり。些細な変化だが、俺が引き起こしたと考えると感慨深い。何より、可愛い。
「そっか。じゃ、またの機会に」
「……うん」
今はしないけど、いつかまたしたくなったらしよう。
そんな意図を含めて返すと、みなみは小さく頷いた。
そんな些細なやり取りでも、みなみはホッとしているのが分かる。やっぱり、恋人らしくくっついてみたかったんだな。
……そろそろ、はやと先輩のことを言えなくなってきたかな。
「……かえで」
自分の彼女の可愛さに思わずニヤけそうになるが、みなみに声をかけられ我に返る。
みなみは恥ずかしそうに指をモジモジさせていたが、やがてゆっくりと手を出してきた。
「……手なら、いいから……」
顔を真っ赤にしながら、か細い声で話す俺の彼女。
勿論、俺は速攻でみなみの白く細い手を優しく握った。
もうバカップルでいいや。だって俺の彼女こんなに可愛いし。
内心で彼女自慢を繰り返しながら、俺達は目的の場所についた。
多分、みなみは学校で教室の次によく来るであろう場所、保健室だ。
昼休みに保健室に用がある、というので俺も付き添いで来たのだ。
幸い、みなみの気分が悪いとかではないらしいけど。ゆたかも今は教室にいるし、最近では体調が悪くなることはなくなってきた。
「失礼します」
実は、俺は身体測定以外で保健室に入るのは初めてになる。
「病は気から」ともいうし、常に笑顔を心掛けている俺はもう5年は風邪を引いたことがない。
保健室のドアを開けると、養護教諭の天原先生と、男子生徒が1人いた。
深緑の髪と鋭いツリ目、頬にある3本の傷がが特徴的なその男子は、まるで何処かの不良のような印象を抱かせた。
「……月岡先輩、おめでとうございます」
しかし、みなみは怯えるどころか、お辞儀しながら祝いの言葉を言った。
どうやら、この不良っぽい人はみなみの知り合いのようだ。まぁ、俺も元不良だし、穏やかな天原先生も動じることなく接してるみたいだし。
「みなみ! ありがと!」
すると、その人物は第一印象を吹っ飛ばすような満面の笑みと、片言な台詞でみなみを迎えた。
オーケー、確かに悪い人じゃない。
とりあえずソファーに座り、天原先生にお茶を頂きながら、改めて事情を聴いた。
今回、みなみが保健室に出向いた理由は、目の前にいる月岡しわす先輩に用があったからだそうだ。
月岡先輩は狂暴そうな外見に似合わず、獣医を目指す純粋無垢な人物だ。そして、獣医になるべく 推薦入試を受け、見事に合格したというのだ。
みなみの用とは、推薦に受かった月岡先輩を祝うためだった。
「つまり……月岡先輩って、頭いい?」
「獣医学部に推薦で受かるくらいですから、優秀な方ですね」
「えっへん」
俺の質問に天原先生が答えると、月岡先輩は偉そうに胸を張った。
うーん、喋りは片言、外見は武闘派の不良で中身は子供みたいな人がまさかのインテリだとは……。
「ってか、みなみは何時からの知り合いなんだ?」
「……月岡先輩は、保健室の常連だから。あと、動物も大好きで」
俺は次に気になったことをみなみに尋ねた。こんな人と何時から知り合っていたのか。
月岡先輩は保健室の常連らしく、同じく常連のみなみとゆたかは知り合うべくして知り合ったという感じだった。
「みなみ、動物、好き! 俺、同じ!」
「よく岩崎さんの飼い犬の話を月岡君としてたんですよ」
「……世話の仕方とか、色々教えてもらった」
特にみなみとは仲が良かったらしく、飼い犬のことで盛り上がったとか。
みなみは飼い犬のチェリーのこととなると、性格変わるからなぁ。犬の飼い方にも詳しい月岡先輩は絶好の相談相手だったと。
「ふーん……」
そこで面白くないのが俺だ。
そりゃ、俺と付き合う前からの知り合いだろうし、一番盛り上がるジャンルの話し相手なら、仲良くもなるだろう。
けど、付き合い始めたばかりの彼女が他の男と
仲良くしているのを見ていて楽しいはずもなく。
「かえで、動物、好きか?」
けど、月岡先輩は俺にも同じ話題を振ってくる。
純粋な笑顔からは、嫌味も当て付けも感じず、ストレートな好意をまじまじと見せつけられる。
こんないい笑顔をする人懐っこい先輩、嫌いになれるわけもない。
「勿論! 俺はサーカスのライオンとか好きですね」
「ライオン! 火の輪くぐり、格好良い!」
みなみはチェリー命だが、月岡先輩は本当に色んな動物が好きで、サーカスで芸をする動物すらも例外ではないようだった。
特に、頬の傷を付けたライオンですら、格好良くて好きというのだからすごい。
「あと、玉乗りするプードルとか!」
「……玉乗り……」
玉乗りする犬、ということで、みなみはチェリーが玉乗りしている光景を妄想し始めた。
……ご満悦のようで、幸せそうなオーラを出していた。楽しそうで何より。
「霧谷君」
妄想にふける彼女はさておき、ふと天原先生に呼ばれ、手招きさたので傍に近寄る。
「月岡君は既にお相手がいますから、嫉妬の必要はありませんよ」
「っ!?」
さっきまでの俺の内心を読んでいたらしく、天原先生は小声で教えてくれた。
そっか……まぁ優良物件だし、相手がいてもおかしくないか、うん。
それに、みなみはもう俺の彼女だし。
そんなこんなで、保健室で月岡先輩や天原先輩と雑談をした後で、俺達は教室に戻った。
月岡先輩は獣医になるという夢の為に努力して、結果を掴み取った人だ。
それは、多くの人を笑わせるという夢を持つ俺には、一歩先に進んだ人であって。
「すごいなぁ、月岡先輩は」
素直に尊敬していた。
すると、みなみは俺の顔を覗き込むように見て、言葉を返してきた。
「……かえでも、十分すごい」
「そうか?」
「……私を笑わせたから」
恥ずかしがって声が小さくなっていったが、俺にははっきりと聞こえた。
俺が最初に提示した、「みなみを笑わせる」という目標。それを、俺は桜藤祭の日に実行した。
正直に賞賛してくれる彼女に、俺はどうしようもなく嬉しくなる。
「……そっか。ありがとな」
みなみが素直な言葉で俺を褒めてくれるのも、気を許している証拠だ。
そのことも含めて、俺はみなみに感謝の意を込めて肩を抱き締めた。
一瞬、ビクッと体を反応させるみなみだが、すぐにコクリと小さく頷く。
やっぱり俺の見込み通り、みなみは可愛い女の子だ。
自分の彼女の可愛さに酔いしれる反面、俺はもう一つの目標のことも考えていた。
湖畔つばめ。アイツは自分の内面を全く見せようともせず、笑おうともしない。
本当、笑わせるのに骨が折れる奴だ。
けど、つばめが心を開けそうな人物が1人だけいた。小早川ゆたかだ。
ゆたかの純粋さはつばめの固い態度を徐々に和らげているし、ゆたか自身もつばめの優しさに気付いて、すっかり信用している。
勉強で分からないところがあると、真っ先に聞いてくるしな。
「つばめも、笑わせられたらいいんだけどな……」
ゆたかに対して軟化しているとはいえ、つばめの態度はまだまだキツい。
特に、俺は毛嫌いされてるっぽいし。
何とか許してもらえるきっかけでもあればいいんだけどな。
「……かえでなら、きっと出来る」
俺のらしくない弱気なぼやきに、みなみは元気付けるように言ってくれた。
それがお世辞でも何でもない、思った通りの言葉だから、俺はまた嬉しくなる。
「うっし! 頑張ってみますか!」
俺は道化、スマイルメイカー。
どれだけ無碍にされても、つばめの笑顔を作り出し、アイツの影を払うまでは諦めない!
「あ、みなみちゃんおかえり」
教室に戻ると、ゆたかが迎えてくれる。
いや、ゆたかが主に迎えたのは親友のみなみだけど。
しかし、次の会話の内容が、小さな問題を引き起こすことになるとは、誰も予想していなかった。
「私、次の持久走に出てみようと思うんだ」
ゆたかの提案に、みなみを始め、俺や田村やさとる、そしてつばめですら驚きを隠せなかった。
どうも、雲色の銀です。
第29話、ご覧頂きありがとうございました。
今回は付き合ってからのかえでとみなみでした。
保健室の常連であるみなみなら、しわすの存在を知ってるだろうな、という考えから今回の話を作りました。
チェリーのこととか、きっと語りまくったと思います。
はやと達には及ばないけど、かえでとみなみも結構バカップルしてますね(笑)。
表情や行動に出ないだけで、みなみはストレートに愛情を出すタイプだと思ってます。
次回は、原作の持久走の話になります!