しわすが落ち着いた後、私達はポチの飼い主となる家族に説明しに行った。
ポチはすぐに回復するとはいえ、やっぱり少し動物病院で様子を見ることになった。
だから、引き渡しに時間が掛かってしまう。
「ごめん、なさい……」
悲しそうな顔で頭を下げるしわすを見るのは辛かったけど、旦那さんは笑顔で首を横に振った。
「仕方ないよ。それより、子犬を守ってくれてありがとう」
旦那さんの優しい言葉に、しわすはまた泣き出しそうになる。
本当、いじめる奴もいれば、こんなに優しい人達もいるんだな。
因みに、ポチをいじめた男子生徒達は天城達に成敗されて、後日謝って来た。
正直、私も怒りが収まらないところだが、天城達に酷くやられていたのが、何だか可哀想に思う程ボロボロになっていた。
「犬、見て来てもいい?」
しわすと旦那さんのやり取りを微笑ましく見ていると、子供が私に聞いてくる。
面会謝絶とも聞いてないから、勿論いいに決まってる。
「いいぜ、一緒に行こ!」
新しい飼い主を早くポチにも合わせてやりたくて、私はすぐに頷いた。
っと、ここで重大なことに気付いた。
「……しわすー、病院どっちだっけ?」
私のドジに、しわすも、何時の間にか合流してた白風や天城達にも笑われた。
だって、動物病院なんて行ったことないもん!
それから、1週間が経った。
ポチの飼い主も見つかったことだし、私達も柊達の勉強会に混ざることになった。
「うぅ……全然分かんねぇよー」
勉強の苦手な私にとっては地獄だったが。
同じく勉強嫌いなちびっ子や天城も、頭から煙を吹きそうになっていた。
「だから日本語でおkだって!」
「問題文は日本語だろうが。ほら、キチンと解け」
天城が数学の関数に文句を言うと、冬神がバッサリ斬る上に問題集を増やしてきた。
鬼だ、数学の鬼がいる……。
「かがみんやー」
「私も勉強してるんだから、邪魔しないでよ。同じところやるんなら、教えてもいいけど?」
「……謹んで遠慮します」
ちびっ子がちょっかいを出そうとすると、柊は自分の問題を見せてくる。
柊は法学部希望だから、私等とは試験問題のレベルが違う。
タダでさえ火を噴きそうなのに、柊と同じところなんてやったら頭がパンクする。
「うー、あやのー」
「峰岸」
「あはは……頑張って、みさちゃん」
私の唯一の希望、あやのは柊に事前に釘を刺されているから味方をしてくれない。
八方ふさがりとはこのことだー……。
「みゆき、この問題見てくれるかな?」
「はい」
一方で、檜山と眼鏡ちゃんは平和にお互いの過去問の見せ合いっこをしていた。
実は、ポチをいじめた男子達の制裁に檜山も進んで参加していたから、推薦枠が取り消しになってしまったらしい。
何だか悪い気がするな……。
「ごめん、みちる……」
「ううん、僕がしたかったことだから気にしないで」
しわすも罪悪感を感じていて、隣で謝るけど、檜山は気にしていない様子だ。
曰く、友人の為に自分の怒りを使いたかったとか。
そういえば、以前は「うつろ」とかいう二重人格がいたから怒れなかったんだっけ。
うーん、性格もやっぱイケメンだよなー。眼鏡ちゃんとのツーショットも中々お似合いだし。
「ここからここまで解いたら、頭撫でてやるからな」
「う、うん。頑張る」
んで、しわすに好き勝手言っていた白風は柊妹とイチャイチャしながら勉強していた。
というか、ほぼイチャイチャしていた。
甘い空気が教室の一角を占めていて、砂糖を吐きそうになるぐらいだ。
「じゃあ、俺はここからここまで解いたら……」
「えーと……膝枕?」
「いいなそれ、頑張れそうだ」
「いいから早よやれ!」
問題を一定量解いたら、互いにご褒美を用意するという方法を取っているみたいだな。
その甘いやり取りに、遂に痺れを切らした柊が白風の頭に一発お見舞いする。
いいぞ、もっとやっちまえ!
「みさお、集中」
と、自分の勉強が身に入らないから周囲を見ていると、しわすから注意される。
しわすは、天城達が制裁を下したことと、他に目撃者がいなかったことから、推薦枠の取り消しはなかった。
後は、正式に決定の発表を待つだけだ。
なので、私に勉強を教えてくれている。
「これ、この単語、掛かる」
今は英文の解き方を教えて貰ってるんだけど……片言で分かりにくい。
しわすは説明に向かないかもしれねぇな。
そんなことよりも、私は別の理由で勉強が出来ないでいた。
「……聞いてるか?」
「あ、うん。聞いてるってば」
私をジト目で見つめてくるしわす。
しわすが隣にいるってだけで、私は無性に気にしてしまっていた。
やっぱ、抱き着かれた時以来かな。しわすのことがますます気になり出したのは。
これが恋愛の好きって感じなのかは、よく分かんないけど……身体が熱くなって、心臓がドキドキする。
いっそ、告白してしまえば、楽になるんだろうか。
恥ずかしくて、あやのにも聞きづらいし……あーもう!
「もうこんな時間か」
冬神の言葉で、皆が時計を見る。
時間は18時をちょっと過ぎたところ。外もすっかり日が暮れている。
電車で帰る奴もいるし、今日はここまでということになった。
うーん、出来るようになったのか、イマイチ実感が湧かない。
「みさお」
「分かってるって。復習、やれ、だろ?」
しわすの真似をして片言で喋ると、しわすは違うと首を振った。
何だ、似てなかったか?
「明日、ポチ、退院」
しわすの言葉で思い出した。
明日はポチが動物病院から退院して、飼い主の元に行く日だ。
大事な日だから、私も一緒に行くようしわすに頼まれてたんだ。
「じゃあ、皆にも」
「ううん」
皆にも教えようとすると、しわすに止められる。
何でだ? 折角のポチとの別れだってのに。
「……見られたくない」
不思議そうに思っていると、しわすは珍しくボソッとバツの悪そうに答えた。
何を見られたくないんだ?
「また、泣くかもしれない、から……」
またボソッと呟いたしわすに、私は漸く意味が見えてきた。
ポチとの別れで泣く姿を、皆に見られたくないと。
あれ? でも、私は一緒に行くよう頼まれたぞ。
「なら、私もいない方が」
「みさおなら、いて、いい……」
いない方がいいんじゃないか、と言おうとしたところで、しわすはまた首を振った。
うーん、今日のしわすは何か変な感じだ。
……けど、しわすに頼られているような気がして、ちょっと照れ臭い。
「分かった! んじゃ、明日な!」
「うん!」
とにかく、明日行くことを伝えると、しわすはやっと笑顔を見せて大きく頷いた。
そっか、明日はしわすと2人きりか……。
その日の夜、私は電話であやのに相談していた。
正直、私は戸惑っていた。
しわすと話していた時は嬉しさが勝っていたけど、家に帰ってきた途端に不安になって来たんだ。
ほら、男と2人きりで出かけたことなんてなかったし……。
「可愛い服とか持ってないし……どうしよ」
〔みさちゃん、落ち着いて〕
ここに来て、初めて自分の女らしくなさが仇になった。
あやのが着てるような服も持ってない。お洒落や化粧なんて出来ない。
折角のチャンスなのに、しわすの気を引くことなんて出来ないよなぁ。
〔そもそも、デートじゃないんだし〕
「そうだけどさぁ……」
デートじゃないと分かってても、どうしても意識してしまう。
こうしてみると、やっぱり自分は女で、しわすのことが好きなんだと実感してしまう。
〔みさちゃんは、いつものみさちゃんのままでいいと思うよ?〕
テンパる私に、あやのは優しく言ってくれる。
いつもの私……?
〔しわす君だって、いつものみさちゃんだから傍にいて欲しいって思ってるはずだから〕
「あやの……」
そうなのかな。しわすの本音は分からないけど、あやのがそう言うんならそうなのかもな。
それにお洒落しても、またしわすが抱き着いてきたら汚れるしな。
「うん、落ち着いた。サンキュー、あやの」
〔頑張ってね〕
礼を言うと、あやのは電話を切った。
あやのも、兄貴との初デートの時はこんな気分だったのかな?
そして、翌日。
動物病院でしわすと待ち合わせて、ポチを引き取った。
結局、服装はいつものカジュアルな感じだったけど、しわすも普通にラフな格好だったから、いつも通りにして正解だった。
気合入れてたら浮いてただろうな。
「ポチ、元気か?」
しわすがポチを撫でると、ポチも気持ちよさそうに鳴いた。
外傷も残んなくて、日々の散歩にも支障はないそうだ。本当に良かった。
私達の仕事はこれからだ。ポチを無事、あの家族の元に送り届けること。
家の前まで来ると、子供が待っていた。
「来た! タロー!」
子供は私達に気付くと、大きく手を振って迎えてくれた。
タローというのは、ポチの新しい名前だ。
元々は私達が勝手にそう呼んでただけだし、正式な飼い主が名前を付ける方がいいに決まってる。
けど、ポチが別の名前で呼ばれると、もう私達の前からいなくなるという実感が沸いて、どうしても寂しくなる。
って、しわすの前に私が泣きそうになってどうするんだ!
「ほら、行って」
しわすは優しい笑顔のまま、抱えていたポチ改めタローを地面に下ろす。
すると、タローは子供の元へ走って行った。
よかった、ちゃんとあの子供にも懐いたんだな。
しかし、距離が半分のところまでで、タローは止まってしまった。
そして、こっちをジッと見つめていた。
ダメだ、こっちに来ちゃいけない。私が首を振っても、タローはビクともしない。
タローにとって、しわすも飼い主のような存在だったから。
「あっち」
けど、しわすは敢えて冷たい態度で子供の方を指差した。
険しい顔のまま変わらないしわすに、タローは観念したのか子供の元へ一気に駆けて行った。
「タロー!」
子供は嬉しそうにタローを撫でる。タローも新しい飼い主に擦り寄っていた。
これでいいんだ。もう校舎の隅で隠れている必要もない。タローの新しい生活が始まる。
「大事に、仲良く」
それだけ言って、しわすは子供にリードを渡し、頭を撫でてその場を去った。
あんなに一緒にいたのに、ちょっとあっさりした別れ方に、私は呆然としていた。
それから、私達はファミレスで一服することにした。
泣くかもしれない、なんて言っておいて、実際はドライな別れ方に、私はちょっとだけ納得がいかなかった。
そりゃ、タローもこっちを見たりしたけど。
「しわす、平気か?」
ハンバーグを頬張るしわすに、私は思い切って尋ねてみた。
しかし、しわすは何でもなさそうに食事を続ける。
「獣医、ペット、治す、仕事。懐かれても、別れ、必ず来る。俺、もう慣れた」
いつもどおり片言で、しわすは言う。
今までも親の傍で獣医の仕事を手伝っていたしわすは、ペットに懐かれたことも多かったらしい。
けど、別れは絶対に来る。だから、その寂しさにも慣れたとのこと。
別れ際の冷たい態度も、何度もああいう場面に遭ったからだろう。
「……けど、寂しさなんて慣れるもんじゃないだろ」
強がっても、寂しいモンは寂しいんだ。
小学校でも、中学校でも、私は仲のいい友達との別れを経験した。その時だって、私は慣れなんてなくて、普通に寂しかった。
タローとの別れだって、私はめっちゃ寂しかった。
「……これ、獣医の仕事、だから」
「泣いちゃいけない、なんて誰が何時決めた」
しわすの強情な言葉に、私は白風の言葉を思い出しながら返した。
あの時と同じだ。頭の中でいけないと考えて、感情を制御しようとしてる。
しわすは、思ってたよりもずっと不器用だったんだ。
「何の為に、私が今日来たんだよ」
私はしわすの向かい側から隣に移動する。
この位置なら、きっと他の奴に泣き顔を見られることはないだろう。
「みさお……」
「もう、泣いていいから。しわすが頑張ったの、私が全部知ってるから」
今度は、私の方から優しく抱き締める。
しわすはとうとう耐え切れなくなり、静かに涙を流した。
寂しさが全部流れるまで、私はずっとしわすの頭を撫でていた。
「……ゴメン、ありがと」
泣き終えたしわすは、トイレで顔を洗ってきて戻ってきた。
その間、何だか周囲から微笑ましい眼で見られているような気がして恥ずかしかった。
そういや、ハンバーグ冷めちゃったな。まだ美味しかったけど。
「気にすんなって。私もやっと役に立てたし」
ドリンクを飲みながら、私は笑って見せた。
この為に来たようなもんだし。
すると、しわすは思いつめた表情で私を見つめて来た。
何だろう? デザートでも奢ってくれんのかな?
「……みさお」
「何?」
「俺、みさお、好き。付き合ってくれ」
思わずドリンクを吐き出しそうになった。
突然の告白に、予想すらしていなかった私は目を白黒させる。
何で!? いきなり!?
いやいや、聞き間違いじゃないよな?
「げほっ、えっと……マジ?」
「俺、嘘、嫌い。みさお、好き。付き合ってくれ」
一応聞き返すと、また告白された。しかも、真剣な表情で。
私だって最近自覚してきたばっかりなのに、何で先に告白してくるかなぁ!
「返事、聞かせて」
「うー……わ、私だって好きだっての!」
テンパりながら答えると、しわすは満面の笑みを浮かべた。
あーもう! そのしてやったような反応、ズルいぞ!
「ほ、本当に私でいいのかよ……女らしくないし、ガサツだんっ!?」
恥ずかしいから、本当に私なんかでいいのか聞くと、言い終える前にキスしてきた。
だからいきなりするなってのー!
急にキスをしてくる様は、本当に獣みたいだ。
けど、それに応じちゃう私も獣みたいで。
野獣同士のカップルは、ファミレスの隅でひっそりイチャついていたとさ。
どうも、雲色の銀です。
第28話、ご覧頂きありがとうございました。
今回はしわす編ラストでした。
しわすとみさおのカップリングは、実は動かし方が終始難しかったです。
どっちも恋愛に積極的じゃなさそうで、傍から見ると男友達っぽくなっちゃうんですよ。
落とし所は何処かと考えた結果、こうなりました。
しわすが思った以上に泣き虫になっちゃいましたけど……結果オーライ!
次回は、久しぶりに1年サイド!