空も暗くなり出し、今日は一先ず勉強会も終了。
外履きに履き替えて帰ろうとしていた時、
校舎裏から獣のように低く重い唸り声が聞こえて来た。
「な、何だ!?」
「今のは……」
怯む皆を尻目に、さっさと履き替えた俺が校舎裏に向かう。
今の唸り声に、俺は嫌な予感を感じたからだ。
そして、最悪の予想が当たってしまった。
しわすが何人かの男子と対峙していた。既に1人は苦しそうに蹲っている。
しわすの表情は、猛獣と言い換えてもいい程迫力を増し、元々切れ跡のような眼を更に鋭くさせて相手を睨む。
しかし、頬には涙を流し、足元には傷だらけの子犬がいた。
それだけで、何となく状況が分かってしまった。
「はやと!」
「シッ」
後からやって来たあき達を静かにさせ、俺は状況を説明した。
しわすが校舎裏で密かに飼っていた子犬を、バカな男子生徒達が発見。
虐めていた所を丁度しわすが見つけ、怒り任せに暴れている。
一部始終を見たわけではないが、概ねこんなところだろう。
「お前等、早くどっか行け!」
説明している内に、日下部が男子生徒達を追い払う。
しわすがこれ以上暴れないようにする為だな。賢明な判断だ。
ここで騒動を大きくすれば、漸く解かれていたしわすへの誤解が元に戻ってしまう。
加えて、しわすの推薦も取り消しになってしまうだろう。アイツの今までの頑張りを、こんなことで不意にしてはいけない。
「さて……どうしたものかね」
子犬の対処はしわす達でやるみたいだ。
が、ここで腑に落ちないのがあき達だ。子犬をボコボコにした奴等をこのままにしていいのか。
「ちょい、行ってくるわ」
「ったく……」
あきが怒りを抱えたまま、逃げた男子生徒達の後を追い、ストッパー役のやなぎがそれに続く。
「僕も行く」
更に、珍しく怒った表情のみちるも向かおうとしていた。
いやいや、お前は推薦枠だろうが。問題を起こせば取り消されるぞ。
「やっと、怒れるようになったんだ。だから、僕は友達の為に怒りたい」
止めようとする俺より先に、みちるは自分の意思を話す。
みちるは怒ると、今までは裏人格のうつろが出て来ていた。
しかし、それを乗り越えた今だからこそ、自分の怒りを友達の為に使いたいのだろう。
褒められた行動じゃないが、今のみちるはそれでいいと俺は思う。
「……やりすぎんなよ」
勿論、俺は行かない。敵討ちみたいな真似、俺の性分には合わない。
それより、俺はしわすの方が気になっていた。怒り任せのままで、アイツは大丈夫なんだろうか。
3人と別れ、俺はつかさ達と保健室へ向かう。
☆★☆
弱ったポチを抱え込んだしわすは、勢いよく保健室のドアを開ける。
保健室には天原先生も、他の生徒もいないらしい。
丁度良かった、としわすはポチをベッドの上に寝かせ、包帯と薬を漁り始めた。
勝手に持ち出して悪い気はするけど、天原先生なら分かってくれるよな!
「みさお、あやの! ポチ、押さえて!」
しわすからの指示に、私とあやのは慌てて傷だらけのポチを押さえる。
すると、しわすはガーゼに消毒液を付け込み、ポチの傷口に当て始めた。
やっぱり染みるらしく、ポチは暴れ出した。だから押さえてろって言ったのか。
「ポチ、我慢」
痛みで身体をうねらせるポチに、しわすは優しい声で語りかける。
その一瞬だけ、私は何故かドキッとしてしまった。
片言で子供っぽい印象から変わっただけなのに。
「日下部!」
その時、保健室に柊達が雪崩れ込んできた。
まだ残ってたんだな。ってか、さっきの騒動を聞いて来たのか。
「ワンちゃん、大丈夫……ですか?」
「うわっ、酷くやられたね」
柊の妹がオドオドと尋ねて来て、ちびっ子はポチのやられ具合に驚く。
煩くなったけど、場の空気が少し和らいだような気がした。うん、何か心強い。
消毒を終えたしわすは、今度は傷口に渇いたガーゼを当てて、包帯を巻いた。家でも手伝っていたのか、手馴れている様子だ。
こう、応急処置の手際の良さを見ると、やっぱりしわすは獣医を目指しているんだとつくづく思う。
すごい奴だ、しわすは。
「終わった……」
応急処置を終えて、緊張が解けたしわすはその場に座り込んだ。
最後まで慌てっ放しだったからな。
「よかった~……」
柊達も、山場が終わったことに安心する。
さっきまで暴れていたポチも、すっかり大人しくなったし、もう押さえなくてもいいよな?
「……病院、連れてく」
「あ、じゃあ私達が連れて行きます」
「そうだね。月岡君は休んでなよ」
疲れが抜け切れてないしわすがポチを連れて行こうとすると、眼鏡ちゃんとちびっ子が代わりに連れて行こうとした。
折角来てくれたんだし、ここは任せてもいいんじゃね。
「……お願い」
沈んだ様子のまま、しわすは後を任せて、保健室から出て行った。
大丈夫かな、しわすの奴……。
しわすは、誰かが傷付くことも、誰かを傷付けることも嫌いな奴だ。
けど、ポチを傷付けられて、自分自身も誰かを殴ってしまった。
心の疲れは、半端ないんじゃないかと思う。
「……私、ちょっと見てくる」
「うん、行ってらっしゃい」
気になる私は、やっぱりしわすの元に行くことにした。
そのことを伝えると、あやのは全部分かっていたみたいに私を送り出してくれた。
「……俺、は……」
しわすは、保健室から離れた廊下で一人座り込んでいた。
壁に寄り掛かり、自分の手を見つめる。
私にはポチの命を二度も救った手。だけど、しわすにとっては……。
「傷、付けた……俺……!」
誰であろうと、殴りたくなかった。
しわすは自分の気持ちを裏切ったことを許せず、悔しさのあまり壁を殴る。
仕方ないじゃないか。ポチを救う為だったんだから。悪いのはアイツ等じゃないか。
そんな言葉も、痛々しいしわすの前では言えなくなってしまう。
どうすれば、しわすの悲しみを取り除けるんだろう。
バカな私では、ダメなのか。
「よぉ、お医者様」
そこへ、向かい側から私のものではない声がしわすに語りかける。
軽い口調で、白風は座り込んだままのしわすを見ていた。
そうか、柊達が残ってるんだから、コイツがいても不思議じゃない。
白風なら、しわすに何かしてくれるのか。私は2人のやり取りを見つめる。
「人を殴った感触は、どうだ?」
しかし、白風がまず訪ねてきたのは信じられない程冷たいことだった。
そんなこと、何で今のしわすに聞けるんだ!?
「まぁ、痛いだろうな」
しわすが答えるよりも先に、白風は当たり前なことを自答した。
コイツは何がしたいんだ。段々と、白風にイラついてくる。
「けど、殴った瞬間に勝利を掴む奴だっている。ボクサーとか、格闘家とか。お前は殴った先に勝利は見えなかったか?」
「……俺、格闘家、違う。殴った先、何もない」
白風の問い掛けに、やっとしわすが答える。
確かに、スポーツとして相手を殴って勝つ奴だって世の中にはいっぱいいる。
けど、今のしわすとは無関係だ。だって、しわすが目指しているのは、格闘家とは真逆のものだから。
「何もないことはないだろ。お前は犬の命を救った。逆に、殴らなかったら、犬は死んでいたかもしれない」
白風は、無茶苦茶な理論からいきなり核心に繋げて来た。
しわすが出て行かなかったら、ポチはいじめられていたまま、最悪死んでいた。
そうしたくないから、しわすは怒って、アイツ等を殴ったんだ。
「けど、俺、命救う手で、殴った。やってはいけないこと、した」
「やってはいけない、なんて誰が何時決めた」
しわすのタブーを白風は否定する。
何かの命を守る手で、傷付けてはいけない。そんな立派な考えなのに、白風は容赦なく切り捨てる。
一体、白風はしわすの何が気に食わないのか。今にも飛び出しそうになるけど、必死に我慢する。
「んな高尚な考え、今時通じねぇよ」
「俺、見てなかった! だから、ポチ、いじめられた! なのに、俺……!」
しわすは、とうとう白風に自分の内を吐き出した。
自分がポチをしっかり見ていなかったからいじめられたのに、自分は何かを救うどころか傷付けてしまった。
そんな自分が情けなくて、許せなくて、しわすは怒りが収まらないんだ。
「撃っていいのは……忘れた。まぁいいや……歯、食い縛れ」
白風はそう呟くと、しわすの元へと近付く。
そして、右腕を振りかぶり、しわすの頬をブン殴った。
な、何してんだアイツは!
「は、やと……?」
思いっきり殴られたせいで倒れ込んだしわすは、信じられないという怯えた表情で白風を見る。
友達と思ってた奴にいきなり殴られたんだ。無理もない。
「行動はどうあれ、お前が犬を救った事実に変わりない。それでウジウジ悩むぐらいなら、最初から手を出すな」
白風は悔やみ続けるしわすに怒りをぶつける。
結果だけ見れば、しわすがポチを救ったことに違いない。
けど、しわすはもっといい方法があったかもしれないから傷付いている訳で。
「じゃあ、お前はこれから救う動物達の飼い主に、「自分の手は誰かを殴ったから汚れてます」なんて言うつもりか? それで命を救えなかったら、また塞ぎ込むつもりか?」
白風はキツい口調で言葉をぶつけてくる。
けど、獣医を目指すしわすには正しいと言えることばかりだ。
医者に要求されることは、命を救うこと。それは獣医でも変わらない。
「医者に綺麗ごとを言ってる余裕はないんだよ。救えないものは救えない。奇跡なんてものはないんだから」
そう言って、白風はしわすを殴った右手をブンブン振りながら、少しだけ悲しそうな表情を浮かべた。
……アイツにも、何かあったんだろうか。
「お前は今日、命を1つ救った。だから、自分のしたことを誇れ。悔やめば悔やむほど、救った犬に失礼だ」
最後にそれだけ言い残し、白風は去って行った。
本当、言いたいことだけ言っただけだな。勝手な奴だ。
「しわす」
残されたしわすに、私は歩み寄る。
しわすは、白風に言われたことを考えているようだった。
医者として、自分は命を救ったことを誇らなければいけない。例え、方法が何であっても。
「……俺、は……」
けど、しわすはまだ迷っていた。
本当はしたくなかったことを、誇ってもいいのか。
「私は、格好良かったと思う」
だから、私は優しい口調で言った。
しわすの不安を取り除きたいから。
「だって、ポチを助けたんだ。ちょっと怖かったけど……それでも、しわすはヒーローみたいだった!」
あまり上手くは言えないけど、私は思ったことを並べる。
実際、しわすは悪い奴に立ち向かったんだ。ヒーローに違いないじゃん、うん。
「だからさ、もっと自信持て! ポチは自分が助けたんだって! 命を救ったんだ、夢の第一歩じゃん!」
そこまで言うと、しわすはフラっと私の方に寄り、片に頭を乗せて来た。
ちょっ!? わ、私も一応女だぞ!? いきなり何を!?
「……ゴメン、ありがと……」
文句を言おうとした矢先、しわすはお礼を言ってきた。
どうやら、ちょっとは気分が晴れたみたいだな。
……これじゃ、文句言えないじゃんか。
気が付けば、顔を真っ赤にしたまま、私は子供をあやすようにしわすの頭を撫でていた。
暫くしわすをあやしていると、メールが入って来た。差出人は……柊だな。
メールを確認すると、私はしわすにその中身を見せた。
「ほら、しわす!」
メールには、ポチを無事に動物病院まで連れていけたことが書かれていた。
ポチも大事には至らず、すぐに回復することも含めて。
すっかり涙で目が腫れたしわすは、漸く安堵の笑いを浮かべる。
けど、私は特にある一点をどうしても見せたかった。
「ほら、ここ! 応急処置が完璧だったので、こっちでの処置もすぐに済ませることが出来たって!」
メールには、しわすのやった応急処置も的確だったことが掛かれていた。
やっぱり、しわすのやったことは間違いなんかじゃなかったんだ!
更に、添付された写真には、包帯を巻いているけど、元気そうなポチの姿も写っている。
「よかったな! しわす!」
最初から悩む必要なんてなかった。
そりゃ、しわすの考えも立派だってのも分かる。けど、立派だから正しいって訳でもない。
しわすの正しさは、この元気そうなポチが何より証明しているんだから。
「俺、良かった……!」
しわすはやっと自分を許せたみたいだ。
けど、感極まって私に抱き着いてきた。
だーかーら! 私も女なんだってば!
「全く……」
でも、私はしわすに抱き着かれても、怒るどころか何故かドキドキが強くなるのを感じていた。
やっぱ、私はしわすが、好きなのかもしんねーなー……。
どうも、雲色の銀です。
第27話、ご覧頂きありがとうございました。
今回は応急処置と、はやとのターン。
最近バイオレンス描写が増えたような気がしますが、僕は暴力を肯定しているつもりはないです。
今回、はやとは命が掛かってる時に、つまらない綺麗ごとで悩んでいるしわすが気に食わなかったのです。
「撃っていい奴は~」のくだりは、殴り合いをしてでも命を救うという覚悟のない奴が、怒り任せに手を出すなという意味合いです。
分かりにくそうなので、あとがきで補足します。
うーん、まだまだ自分の力量が足りませんね。すみません。
次回は、しわす編ラスト!