意識の奥底。僕は負の感情を引き受けて生まれたもう一つの人格、檜山うつろと戦いを繰り広げた。
同じ身体を使っていた為、能力は互角で決着が付かないのではないかという程長く争っているように感じた。
しかし、終わりは唐突に訪れた。僕達は雄叫びを上げながら駆け出し、互いに最後の一撃を交わした。
ぶつかり合ってから、僕等は動かない。端から見れば、どちらが勝ったのか分からないだろう。
「……ごめん」
僕は涙を流しながら、謝罪の言葉を口にした。
うつろの拳は僕の顔の横を通り過ぎていた。腕が頬を掠ったので、一瞬でも避けるのが遅かったら食らっていたかもしれない。
そして、僕の拳はうつろの胸の真ん中を確実に捉えていた。彼の口元から流れた黒い液体が、僕の勝利を伺わせる。
次の瞬間、殴り付けた箇所からガラスが割れたかのようにうつろに皹が入る。
敗者はこの身体から消える。それが肉体の所有者を決める戦いのルールだった。
「何、泣いてんだよ……勝った癖によぉ」
うつろはやや苦しそうに、涙を流す僕を嘲笑して見せた。
これから消えるというのに、彼は憎らしい態度を崩そうとしない。
だから、僕はまた目に涙が溜まっていく。
「ごめん……!」
大きな声でもう一度、僕はうつろに謝った。
すると、うつろはまた僕を鼻で笑う。
「ハッ、勝った奴が謝ってんじゃねーよ……。それとも、同情でもしてんのか……?」
うつろの皹が少しずつ広がっていく。割れた破片は塵のように砕けて消滅し、僕の中に還元されていく。
元々、彼は僕の中から生まれたのだ。還って来るのも当然である。
「だって、僕は君を苦しめてばっかりだから……!」
彼への罪悪感で、ボロボロと大粒の涙が零れる。
僕はうつろの言う通り、辛いことを全て押し付ける為に彼を生み出してしまった。
なのに、彼は存在そのものが誰にも認められないまま消えようとしている。僕の我が儘で生き死にを振り回されてしまった。
「全部思い出した時、気付いたんだ……君は、本当は……!」
うつろは、知らないところで僕をずっと守っていてくれていたんだ。
最初に怒りで目覚めた時、彼は僕の代わりにいじめグループへ復讐をしてくれた。あくまで僕の手を汚さないように、クラスメートに警告までして自分を畏怖すべき対象として植え付けた。
次に高校2年の時に目覚めてからは、僕の防衛システムのようなものを務めてくれた。僕に負の感情を植え付けないように、気絶して無防備にならないように。
「君は、最初から僕を守ることだけを考えてくれた……」
「……ケッ、俺は「うつろ」だからな」
本心を見抜かれたうつろは、悪態を吐くように話し出す。
隠そうともしないのは、うつろの記憶が僕に還元されているので嘘だとすぐにバレるからだ。
「何もない存在なりに、出来ることぐらいあんだろ」
「うつろ」という名前は、僕の名前である「みちる」の反転を意味する。それは満ち足りた者と違い空っぽな存在。
つまり、うつろは最初から自分の存在を諦めていたことになる。それでいて、僕の為に動いていてくれたのだ。
しかし、今まで僕を守っていたはずのうつろ自身が僕を脅かすことになってしまった。
肉体が2つの意思を抱えきれなくなってしまったのだ。
「どちらかが消えると分かった君は、僕を生き残らせる為に……」
うつろは僕が消えないように、留まれる居場所を作ろうとした。
出て来る機会が増えたことを利用し、まずは僕に恋心を抱いているみゆきへ呼びかけた。僕の何処が好きなのか自覚させ、積極的になるように。
たけひこさんに連絡したのも、僕に繋がっている仲間達を試させる為だ。同情で集まるような薄い絆では、僕の為にならないから。
そして、僕には全ての記憶を思い出させながら、挑発的な態度で敵意を向けさせた。
「全ては、僕を強くする為」
意識の底で戦うことを望んでいたのも、最後の仕上げとして自分を打ち破らせて、心を鍛え上げる為だ。もう二度と、いじめに心を潰されないように。
その結果、うつろの期待通りみゆきやはやと達は僕の心をしっかりと繋ぎ止め、居場所を得られた僕はうつろに勝つことが出来た。
「……元々、俺はお前の為に生まれたからな」
「でも!」
それではうつろ自身が浮かばれない。
最初から最後まで、僕の弱さの所為で生み出され、我が儘に振り回されて、皆に憎まれながら消えるなんて、悲しすぎる。
「甘ちゃんなのは、直んなかったみたいだな……」
敗者を心配する僕に苦笑するうつろ。その口元にまで皹が入り、今にも砕け散りそうになる。
「……もっと欲張れ。今度こそ、満たされる為にな……」
うつろは僕に最後の助言を残してくれた。
心が押し潰された僕は、一度空っぽになった。うつろが身代わりになったおかげでまた満たされたと思い込んでいたけど、それは違う。僕は最初から満ち足りた存在ではなかったのだ。
満たされるには、まだ早すぎる。「みちる」という名前に相応しく、満ち足りるまでは欲しがるべきなのだ、と。
「まずは、彼女でも欲しがったらどうだ……?」
うつろは横目で外を映し出すテレビを見ながら、ニヤッと皹の入った顔で笑う。
その瞬間、僕が幼い頃に抱えていたみゆきへの想いが流れ込んできた。
途端に気恥ずかしくなるのだけど、今まで守ってくれたうつろに答える為に大きく頷く。
「俺はこれで虚無に還る……結局、何も手に入らなかったな……」
手足が砕け、頭だけになったうつろが呟く。
全てを欲しがり、何も手に入らなかった無の人格。
彼への申し訳なさに、僕はまた涙を零す。
「……あ、けど一つだけ……看取ってくれる奴が、手に入っ……」
うつろは最期にそれだけを言い残し、笑顔のまま塵となって消滅した。
全てが僕の中に還元されていく。彼がどれだけのものを欲しがったのか。怒りも憎しみも、恨みも。
僕はこれから、彼がずっと抱えていた負の感情を向き合い続けなければいけない。
けど、もう大丈夫。彼が強さをくれたから。
だから、僕も仲間達の元へ帰ろう。
「ありがとう、うつろ」
意識の奥底から上へ向かう僕は、うつろがさっきまで立っていた場所を見つめ、呟いた。
「みちるさん!」
「みちる!」
僕を呼ぶ声が聞こえる。
目を覚ますと天井と、僕を見つめる皆の顔が見えた。
「起きたぞ!」
「どう? みちる君? それとも……」
「お前等静かにしろ!」
あきと泉さんが騒ぎ出し、やなぎに叱られている。
意識がはっきりすると、今まであったことが次々に頭の中へ浮かび上がってきた。
うつろとのやり取りは、全て夢ではなかったんだ。
「みちるさん……?」
「みちるか? うつろか?」
みゆきとしわすが、ボーっとする僕を心配そうに見つめてくる。その傍では、はやとが警戒しながらダーツに手を掛ける。
状況の整理が漸く出来た僕は、皆を安心させるように微笑んだ。
「ただいま、皆」
僕が戻って来たことを告げると、ドッと歓声が沸きあがり、感極まったみゆきは僕に抱き着いてきた。
ちょっと照れ臭いけど、皆が僕を祝福してくれる。
それだけで、僕は僕だけの居場所に戻ってきたことを実感出来た。
それから数時間後。
僕の全快祝いということで、僕の家でパーティを開くことになった。
皆には心配させちゃったし、賑やかなのは良いかな。
「うっし! じゃあ我等が王子、みちるの勝利と復帰を祝して!」
「「「「乾杯!」」」」
ジュースの入ったグラスで、皆が乾杯する。
お菓子や飲み物は、僕が休んでいる間にあき達が買いに行ってくれたものだ。料理もつかささんと峰岸さんが作ってくれたものだそうだ。
埼玉から来てくれたのに、全部皆に任せっきりで何だか悪い気がするなぁ。
「みっちー、飲め! たらふく飲め!」
「酔っ払いかお前は」
早速あきがジュースをお酒のように勧めてくる。酔っ払いのような絡み方に、やなぎがまた突っ込んだ。
一応病み上がりなんだけどね……騒がしい方があきらしいね。
「んで、うつろのことも全部思い出したんだって?」
腐れ縁の2人の隣で、はやとが料理をタッパーに詰めながら聞いてくる。
さり気ないところで我が道を行くはやともまた、彼らしい。
僕はうつろの記憶を引き継いだことを皆に打ち明けた。
傍若無人な振る舞いで、皆を困らせていたことも。
うつろが消えた今、僕は怒ることも誰かを憎むことも出来る。気絶をしても、うつろが出て来ることはない。
「うん……それでも、僕はうつろみたいに振る舞うことは出来ないよ」
出来るようになったからと言って、必ずしなければいけない訳ではない。
誰かに怒らなくていいのなら、それでいい。僕は誰も憎みたくない。
自分の欲の為に誰かを傷付けるなんて、やっぱり僕には出来ない。彼がここにいたなら、甘いと僕を笑うだろう。
「当たり前だ。優し過ぎるお前にゃうつろの真似は無理だ」
「みちる、うつろ違う。みちるのまま、一番」
はやととしわすは、僕がこのままでいいと言ってくれた。甘いままが僕らしい、と。
「けど、怒りたい時に怒ればいい。少しぐらい我を通してもいいと思うぜ」
「お前は我を通し過ぎだ」
はやとが2つ目のタッパーを開けようとしたところで、やなぎから制止が掛かった。
うーんツッコミ役って言うのかな? やなぎらしく場を正す人が1人はいてくれた方がいいね。
少し風に当たりたくなり、僕は1人でテラスに出る。
外はすっかり日が暮れて暗くなっていた。季節はもうじき冬だから、夜になるのも早い。
「我を通す、か……」
はやとが言ったことは、うつろが最期にくれた助言を思い出させた。
もっと我が儘になればいい。自分を真に満たす為に。
では、僕が今一番欲しているものは何だろうか。
真っ先に頭に浮かんだのは、ピンク色の髪の幼馴染。
僕の初恋だった彼女も、僕のことを好いていてくれたことを知り、思わず顔が赤くなってしまう。
「みちるさん」
そんな僕の元へ、丁度思い浮かべていた人物がやって来た。
心なしか、頬を若干染めながら僕を見つめている。
途端、僕は意識の淵にいた時に聞いた彼女の告白を思い出してしまう。
「隣、いいですか?」
「う、うん! どうぞ!」
許可を取ってから、みゆきは僕の隣に立つ。
けど、何も話さないまま、気不味い空気だけが僕達の間を漂っていた。
ずっと想っている。そう言ってくれた女性を、僕は未だに待たせたままでいるような気がした。
「……うつろから、聞いたんだよね? 僕のこと」
「はい……」
やっと捻り出した言葉に、みゆきは小さく頷く。
彼から聞いた僕の過去は、幼馴染のみゆきですら知らなかったことで、よっぽどショックだったみたいだ。
みゆきは黙り込んでしまい、余計に気不味い雰囲気になってしまった。
「……私、うつろさんから言われたことがあるんです」
僕にとって長く感じた沈黙を、みゆきが漸く破った。
うつろの記憶を引き継いだ僕は、それがどういうことがすぐに分かった。
「私がみちるさんに抱いていたのは、幼い愛だと。その意味がよく分かりました」
うつろはみゆきに度々「幼い愛」だということを言っていた。
それは、幼い頃の僕のことしか知らないという意味だ。いじめを受けて、一度心が折れたという事実を知ってからも僕を同じように愛せるか。
うつろはみゆきを試したかったんだろう。本当に僕が戻って来れるような居場所になれるかどうか。
「けど、みちるさんはみちるさんです。うつろさんが言うような弱い方では」
それだけ聞ければ、僕にとっては十分だった。
みゆきは僕のことを愛してくれている。あんなに弱く、無様なことを繰り返してきた僕なんかを。
だから、僕は人差し指を立ててみゆきの口を封じた。
もう片方の人差し指を立てて、シーッといいながら僕は微笑む。
「僕はうつろに守られてたんだ。ずっと、彼を盾に逃げ続けていた」
僕はうつろの真実をみゆきだけに打ち明けた。
もしもはやと達に話せば、皆うつろの消滅を悲しむ。けど、それを彼自身が望まなかった。
僕の為に憎まれ役のまま消えることを選んだのだから、僕が台無しにしてはいけない。
「あ、このことは皆には内緒だよ? うつろが夢枕に立つかもしれないから」
冗談交じりに注意すると、みゆきは素直に頷いてくれる。
例え彼自身が望まなくても、みゆきだけには本当の思いを知って欲しかった。
「それでうつろに言われたんだ。もっと欲張れって……」
僕は欲張り方をよく知らない。
今まで我が儘でうつろを傷付けてきたから、そんな資格はないと思っていた。
けど、それでも欲しがってもいいと言うのなら、僕はみゆきが欲しい。
「こんなに弱い僕だけど……」
これからみゆきを守っていけるよう強くなるから。
うつろに笑われないように、誰かと隣り合わせで満ち足りた人生を歩いていけるように。
「ずっと、君が好きだった。僕のものになって欲しい」
みゆきの眼をジッと見つめながら、僕は欲望に忠実になって告白した。
みゆきは眼鏡の奥の瞳を大きく見開き、顔を真っ赤にしながら僕に抱き着いてきた。
「……みちるさんは、ズルいです。私がずっと言いたかったことなのに……」
「うん、ごめん。ズルいけど、今だけは欲張りたいから」
泣きながら強く抱きしめてくるみゆきを、僕は優しく撫でる。
再会してから今日まで、みゆきは僕に想いを告げようと頑張って来たんだ。告白の言葉を奪った僕は、本当にズルい。
「私も、貴方が大好きですっ!」
みゆきは大声で僕に告げ、同時に口付けを交わしてきた。
告白を奪われた、せめてもの復讐だろう。
幼馴染から恋人へ。長い時間をかけて漸く関係が変わった僕達は、もう暫く2人だけで交わり合っていた。
どうも、雲色の銀です。
第23話、ご覧頂きありがとうございました。
今回はみちる編クライマックスでした。
うつろの真意も最初から決めていたことでした。
もうちょっと出番を増やせればよかったなぁと思いますけどね。
そして、今回で1st Seasonからのメイン組が全員結ばれました。サイトでの連載から4年、いやー長かった!
これに関しても結ばれる順番や、男子側からの告白という要素を破らずに来れてよかったと思います。
よくある二次創作だとヒロイン側から告白してばかりなので。たまには男子が女子に惚れて告白するのも悪くないかなと。
次回は、はやととつかさのバカップルによる小休止!