今日も一日が無事に終わり、私はお風呂に入って疲れを取っていた。
最近は桜藤祭の準備や、クラス委員の仕事でより忙しい日々を送っている。
特に、私のクラスがやる「ヅカ喫茶 風組」は私とゆたかが衣装を着て働くことになっている。なので、採寸合わせや接客の練習に時間を割かれるようになった。
「はぁ……」
ふと、湯船に浸かる自分の身体が目に入り、溜息を吐く。
女らしくない身体は私のコンプレックスの一つだった。平坦な身体の所為で、私はよく女として見られない。現に、喫茶店の衣装も男装みたい。正直、似合いたくなかった。
もう一つのコンプレックスは、上手く表情を作れないこと。その所為で、何もしていないのに怒っていると勘違いされる。
ゆたかやみゆきさんは私のことを分かってくれるけど、今でも男子は私を「雪女」だと避けることがある。
こんな私が、喫茶店で接客なんて出来るのだろうか。
『岩崎は笑ったら絶対可愛いと思うけどな』
こんな時に、かえでが前に言ったことを思い出す。
笑ったら可愛い、だなんて誰にも、増してや異性に言われたことなかった。
聊か強引すぎるような彼の行動は私には理解出来ず、戸惑ってばかりだ。
「……こう、かな?」
お風呂場にある鏡に向かって、何となく笑ってみる。けど、自分で見ても表情に大きな変化は見られない。
「……やめよう」
大した進歩が見られず、私はお風呂から上がる。
こんな私でもかえでの言う通りに、満面の笑顔になれる日が来るのだろうか。
「みなみちゃん、おはよう」
翌朝、教室で何かワクワクした様子のゆたかに会う。
他の皆も騒いでいるようで、何かあったみたい。
「あのね、田村さんが衣装出来たから持って来てくれたの。だからこれから衣装合わせしようって」
ゆたかの言う通り、騒ぎの中心には色鮮やかな洋服を持った田村さんがいた。
喫茶店の衣装は、田村さんのお兄さんが洋服作りを得意にしているので、作ってもらうことになっていた。
騒いでいるクラスの女子達は、衣装の完成度を褒めているようだ。
因みに、男子は女子の衣装合わせのために追い出されたみたい。
「……分かった」
私は頷き、鞄を置いて衣装を受け取りに行った。
田村さんの持っている服は、赤いドレスと白いタキシード。
どちらもプロが作ったんじゃないかという程、綺麗に仕上がっている。女としてはこういう時にドレスを来てみたい。
「おはよう」
「あ、岩崎さんおはよう。早速衣装合わせで悪いんだけど、岩崎さんのはこっちね」
田村さんと朝の挨拶をすると、早速衣装を手渡される。
私の衣装は、白のタキシードの方だった。
「で、ゆーちゃんがこっち」
「ありがとう、田村さん」
続いて、田村さんはゆたかに赤いドレスを渡す。
最初からそうだって聞かされていたし、分かってもいた。赤いドレスは私が着るのには丈が小さい。
そもそも、ドレスは私には似合わないだろう。女の子らしく、可愛いゆたかの方が似合うはずだ。
それでも、少し残念に思ってしまう。
「キャー!」
着替え終わると、周囲から黄色い悲鳴が聞こえる。
タキシードは思った通り着易く、サイズも私の背にピッタリだった。
鏡で見ても、私はドレスよりタキシードの方が似合うと自分でも思う。
一方、ゆたかもドレスが想像以上に合っていた。
髪の色とドレスがマッチングし、フランス人形を思わせる可憐さだった。
同じ女性として、羨ましく思える程。
「本当の宝塚みたい!」
「2人ともよく似合ってる!」
「極上のネタキタァーッ!」
2人並ぶと、女子達が携帯で写真を撮り出す。田村さんに至っては何故か絵を描いている。
すっかり囲まれてしまい、私もゆたかも顔を真っ赤にして撮られるがままになってしまった。
「み、みなみちゃんすごく格好いいね。本当の王子様みたい」
「……ゆたかも、とても似合ってる」
ゆたかとお互いを褒め合うと、女子達が更に歓声をあげる。
ゆたかは満更でもなさそうだけど、私は内心複雑だった。
褒められることは素直に嬉しい。けど、男装を褒められて喜ぶべきかどうか。
「おーい! もう入っていいか―?」
その時、教室の外からかえでの声が聞こえた。
女子達だけで盛り上がってしまい、男子を追い出したままだったのを忘れていた。
「あはは、ゴメンゴメン。いいよー!」
許可を得て、男子がぞろぞろと教室に入ってくる。
皆不服そうだったが、衣装を着た私達を見て感嘆の表情へと変わっていく。
「すげぇ、よく似合ってんじゃん」
「小早川、お姫様みたいだな」
男子からも褒められ、ゆたかは顔を更に赤くする。
これなら、喫茶店でも成功しそうで安心した。
「岩崎は男みたいだな」
「男装の麗人って奴?」
「小早川が姫なら、岩崎は王子だな」
しかし、私は男装をしているので、そんな褒め言葉はもらえない。
勿論、悪気のある台詞ではないのだろう。けど、何か違う。
「みなみはドレスじゃないのか」
ふと誰かが言った言葉が、私の中にすっと入ってくる。
他の誰も気付かないのに、何故私にだけはっきりと聞こえたのか。理由は分からない。
けど、言い放ったかえでの様子は、少しつまらなそうだった。
私がタキシードを着ることは話し合いで皆知っていたし、もしドレスを着てもゆたかのように似合うはずがない。
それでも、彼は私のドレス姿を見たかったんだろうか?
授業までそろそろという時間になると、私達は再び男子を追い出して、制服に着替え直す。
田村さんに返したドレスとタキシードを一瞥して、私はかえでの言葉の意味を考えていた。
☆★☆
最近は昼休みになると、クラス委員は呼び出されてしまう。
要件は、桜藤祭当日の見回りの順番やら、プリントの配布やら、様々だ。
去年も経験してるからある程度は分かっていたが、面倒臭いものは面倒臭い。
「でも、集まりもこれで終わりだよね」
隣を歩くつかさの言う通り、今日で昼休みの集まりは一先ず終わりのはずだ。
後は前日までクラス委員の表立った仕事はなく、ひたすら雑用に使われるだけ。
「また、小道具係に扱き使われるのか」
「で、でも今年は道具も少ないし!」
去年のことを思い出し、溜息を吐くとつかさがフォローする。
ウチのクラスは、今年は「占い館」をやることになっていた。
占い館って何だよ、やることがアバウトすぎるだろ、というツッコミはなしとして。
占いに使う道具は各自で用意することになっているので、小道具は教室の飾りつけぐらいしかない。
よって、雑用の仕事もそこまでないだろう。
「ま、労働時間は少ないだろうな」
そう言って、俺はつかさを抱きしめる。
イチャつきがすっかり習慣となり、一日に1回は抱き着かないと、落ち着かなくなってしまった。所謂つかさ依存症だな。
「はやと君、授業始まっちゃうよぉ……」
急に抱き着かれて顔を真っ赤にするつかさが可愛くて、離す気が全く起きない。
俺にとっては、授業よりつかさだ。
「もうちょいこのままがいい」
「あぅ……」
俺の我が儘に、つかさは黙り込んでしまう。真面目なことを言ってても、嫌がらずに腕を回してくるあたり、つかさも習慣になってしまったようだ。可愛い奴め。
「つかさ……」
「せーんぱい。学校内では程々に!」
つかさの感触にまったりしていると、突然後ろから声を掛けられる。
不意打ちに驚き、思わずつかさを離してしまった。
「邪魔すんなよ、かえで」
至福の時間を邪魔され、俺は背後でニコニコしているかえでを睨んだ。そういえば、コイツもクラス委員の帰りだったっけか。
「は、はやと君……」
解放されたつかさがオロオロし出す。
険悪なムードだが、喧嘩をするつもりはない。ただ、ちょっと先輩として、人の恋路を邪魔をする奴は馬に蹴られるってことを教えてやるだけだ。
「いいか、他人の恋愛に首を」
「説教はいいですけど、後ろのお方はいいんですか?」
かえでに背後を指差され、俺は漸く違和感を感じた。
何か、どす黒いオーラを感じるというか、馬に蹴られるどころの騒ぎじゃないことが起きるような気が……。
「廊下のど真ん中でイチャついて、随分な御身分じゃない。はやと」
油の切れた機械のようにゆっくり振り向くと、指を鳴らして仁王立ちするツインテールの鬼がいた。
「……つかさ、逃げるぞ」
「ふぇっ!?」
身の危険を感じ、俺は即座につかさの手を掴んで逃げる。この瞬間、0.6秒。
このまま、授業時間まで全力で鬼ごっこをすることになってしまった。おのれ、かがみめ。
☆★☆
「あの2人は仲良すぎだよな」
教室までの帰り道。プリントを抱えたかえでが、はやと先輩達のやり取りを指して笑う。
みゆきさんから聞いた話だと、2人が付き合い出したのはこの前の夏休みからだそうだ。
もっとも、2年生の時から仲はよかったみたい。
確かに最近は仲良過ぎだと思うけど、恋仲同士というのは憧れる。
自分のことを好いてくれて、大切に思ってくれる存在。
私の近くにいる人では、真っ先にみちるさんが思い浮かぶ。幼馴染で、私にとっては兄のような人物。
けど、みちるさんにはみゆきさんがいる。それに、恋の相手として今まで考えたことはなかった。好きだけど、あくまで兄のような存在。
「なぁ、みなみ」
他愛のない考え事をしてると、かえでが再び話しかけてくる。
かえでは本当にお喋りが好きみたい。私や湖畔君が話さないからだと思うけど。
「ドレス、着ないのか?」
どうやら、今朝の話をまだ引き摺っているみたいだ。
田村さんのお兄さんも、私に合うサイズのドレスは作っていないし、無表情な私では似合わない。
「……私の衣装は、タキシードだから」
私が困った風に言うと、かえでは未だに納得しない様子で溜息を吐く。
一体、何が気に入らないんだろう。私にはタキシードすら似合わなかったんだろうか。
けど、かえでの考えていることは私の想像とは全然違った。
「いや、衣装の話じゃないんよ。タキシードは似合ってるし」
似合っているのなら、何も問題はないんじゃあ……。
かえでの言いたいことが分からず、私は首を傾げる。
「要は、みなみがドレスを着たいんじゃないかって話」
「え……」
予想外の話に、私は思わず抱えていたプリントを落としそうになる。
「どうして、そう思ったの……?」
何故、かえでがそんなことを聞くのか。どうして、私の図星を突くことが出来たのか。
分からなくて、私はかえでに尋ね返す。
「だって、ゆたかのドレスを羨ましそうに見てたじゃないか」
かえでは私の問いにあっけらかんと答えた。
ゆたかをそんな風に見ていたのか、自分でも分からない。けど、私は何故だか否定出来なかった。
「……早く戻ろう」
だから、私は早足で教室に向かった。
私が着たいと思っても着れないだろうし、着ても似合わないことに変わりなかったから。
「絶対、似合うだろ」
かえではネガティブな私に、ストレートに訴える。
いつも真っ直ぐな瞳で、ブレない言葉で、私に根拠のない意見をぶつけてくる。
どうして、そこまで私に構ってくれるんだろう。
自然に関係の出来てたゆたかとは違う。かえでは、制止を無視するかのように私の中へ入ろうとしてくる。
「私は、似合わないと」
「考えるな、感じろ」
遂には私の言葉を遮って、かえでは私の目を見つめて話す。
廊下の壁に追い詰められて、私は逃げ道を失う。
かえでは、いつもそう。他人の為、笑顔の為に必死に言葉を投げかけてくる。
湖畔君とのやり取りを見ていれば分かるように、それは一方的なキャッチボールだ。
でも、かえでは他人の為に全力投球してくる。謙遜も、偏見もお構いなしに。
「お前は着たいのか、着たくないのか。似合う似合わないなんて、今はどうでもいい」
だけど、かえでの投球は私には強すぎる。
周囲の偏見も、コンプレックスも無視することなんて、私には出来ない。
「……別にいい」
私が答えるのと同時に、授業開始のチャイムが鳴る。
かえでを置いて、私は急ぎ足で教室に駆けていった。
この日から桜藤祭まで、私はかえでを避けるようになった。
どうも、雲色の銀です。
第17話、ご覧頂きありがとうございました。
今回でお分かりの通り、桜藤祭編2ndの中心は、かえでとみなみです。
みなみは原作やアニメだとあまり自分を出さない印象でしたので、動かし方がよく分からず苦労してます。
その結果、何故だかコンプレックスと周囲の偏見を抱える重たいキャラに……。ごめんよ、みなみ。
でも、胸のこととか気にしてるからそんなに間違っても(ry
次回は、桜藤祭当日!