今朝は珍しく、はっきりと目が覚めた。
時間は6時半。今日は月曜だが、桜藤祭の振り替え休日だ。
体を起こした所で、俺はつかさの家に泊まっていたことを思い出した。
「……あー、そうか」
そして、昨晩のことも思い出す。
つかさに俺の過去を話し、父親と話し合うことを約束してしまった。
何であんな約束を……。
後悔していると、昨日去り際に言われたつかさの一言を思い返す。
『頑張ってね』
……ま、しちまったモンは仕方ねぇな。
俺は布団を畳んで着替えると、歯を磨きに洗面所へ向かった。
「あ、はやと」
ところが、洗面所には先客がいた。つかさの双子の姉、かがみだ。
こんな休日に、かがみも早起きなこった。
「珍しいじゃない、アンタがこんな時間に起きるなんて」
「まぁな」
自分でもそう思うよ、本当。
「じゃあね」
「あ、そうだ」
顔を洗い終えたかがみが立ち去ろうとすると、俺はふと呼び止めた。
「今日、俺の事情を話してやる」
「え?」
つかさに話しちまったし、これ以上黙ってる理由もない。
「いいの?」
「ああ。そろそろ一歩踏み出す時かもしれないしな」
敢えて、つかさに話したことは黙っておいた。
夜中につかさと2人部屋の中にいたなんて、この姉が知ったら俺は殺される。
「ふーん、分かったわ」
頷いて、かがみは部屋に帰っていった。
そして朝食の後、俺は柊家に全てを話した。
いのりさんだけは、仕事があるからいなかったけど。
「以上です」
母さんのこと、アイツのこと、俺のこと。
俺の情けない話を、皆黙って聞いていた。
「そうか……大変だったね」
最初に口を開いたのは、ただおさんだった。
「今までよく頑張ったわね」
「何ていうか、意外だったわ」
「うん、すごいよ」
みきさんも、かがみも、まつりさんも俺を責めなかった。
自分勝手な理由でキレて、この家にも迷惑を掛けたのに。
「それで、これからどうするんだい?」
ただおさんの問い掛けに、俺は真剣に答える。
「一度……話し合ってから決めます」
一瞬躊躇ったが、つかさを見ると笑顔で頷いてくれたから、はっきりと言えた。
「うん、それがいい」
「ありがとうございます」
最後に俺は、頭を下げて礼を言った。
この家族には世話になりっぱなしだ。
荷物は置いていくよう言われた。
取りに来た際に報告が出来るし、また喧嘩になっても戻ってこれるように、とのことだ。
俺とつかさは俺の実家に向かった。
あの日以来の家……正直また気分が悪くなる。
「大丈夫? はやと君」
顔をしかめる俺の隣で、つかさが心配してくれた。
何でコイツはこんなにも優しいんだろうな。俺なんかに協力しても、得なんてないのに。
「ああ、ありがとう」
でも、悪くない。
普段は頼りないけど、不思議と今は心強い。
「着いた」
目の前にある、出て行った日のままの家。
標識には「白風」の文字。
「ここがはやと君の……」
俺は合鍵を使い、家の中に入った。
予想通り、家には誰もいない。アイツは仕事があるからな。
「はやと君……?」
つかさの心配そうな声を背に、俺は家に上がる。
「お、お邪魔します!」
後から続いて、つかさも入ってきた。
家の中もあの時のままだった。
まさか俺の部屋までそっくりそのままだったなんてな。
埃を被った勉強机の上に、皺だらけの合格証明書。
「…………」
嫌でも思い返される記憶に、何も言わないまま俺は居間へ向かう。
居間もあの時と同じだった。ちょっと物の位置が変わっていたり、汚くなっていたけど。
だが、一番変わっていたのは、あの時にはなかったものがあることだった。
「母さん……」
母さんの仏壇。
周りは綺麗に掃除してあって、飾ってある花は新しいものだ。アイツが用意したんだろうか。
「ただいま、母さん」
俺は焼香を揚げ、手を合わせた。
「この人がはやと君のお母さん……」
つかさも隣で合掌してくれた。
することがなくなってしまった俺達は、つかさの思い付きで掃除をすることにした。
特に俺の部屋は手を付けられていなかったから、かなり汚かった。
「はやと君、掃除機どこ~?」
「クローゼットの中だ、多分な」
「あったよ~!」
2年前に出ていった家なのに、何処に何があるかまで覚えているなんてな。我ながら恐ろしい。
「あ、これ……」
しかし、つかさはクローゼットから更に何か持ってきたらしい。
「何だ……!?」
それは俺の幼少期のアルバムだった。何でそんなモン見つけて来たんだ。
「ねぇ、見てもいい?」
「ダメに決まってんだろ!」
顔を真っ赤にしながらアルバムを取り上げようとする。
しかし、つかさは俺の許可を得る前に、既に開いていた。
「わぁ~、はやと君可愛い~」
「見るなぁぁぁぁっ!」
もし翼があったら、逃げ出したい……。
結局、アルバムの中身を全部見られてしまった。
「いっそ殺せ……」
「だ、ダメだよ~」
心折れた俺を慰めるつかさ。
いや、お前の所為なんだけどな。
「でも、赤ちゃんの時のはやと君可愛かったよ~」
全然嬉しくねぇよ。
つかさは再び引き出しの漁っていた。まだ探す気か。
「もうアルバムはねぇぞ」
「ふぇ? 何で?」
俺のアルバムは赤ん坊の頃だけだった。
「話したろ。母さんが入院してたって」
「あ……」
俺の写真を撮る人間がいなかったからだ。アイツは仕事ばかりだったしな。
「ゴメンね……」
「気にすんな」
しゅんとするつかさの頭を撫で……ないで、ペチンと叩いた。
「ひゃ!?」
「ほら、掃除すんだろ?」
「う、うん!」
気を取り直して、俺達は掃除に戻った。
昼飯は冷蔵庫に材料だけならあったので、つかさに頼んで作ってもらった。
「悪いな、つかさ」
「ううん、私料理大好きだし」
つかさの料理してる姿を見るのは2度目だ。
前は風邪引いてたからあまり覚えてないが。
「~♪」
鼻歌なんて歌いながら料理している。呑気な奴だ。
『女の子に料理を作ってもらう、あの姿が何とも言えない!』
……成程、あきが前に言っていたことも分からなくない。
「出来たよ~」
料理中のつかさを見ながら片付けをしてると、完成品を運んできた。
「焼きそばか」
「うん。ちょっと簡単なのになっちゃったけど」
いやいや、充分だろ。野菜もちゃんと入ってるし。
「頂きます」
手を合わせ、まずは一口。つかさは無言で感想を待っている。
「……美味い」
「本当? よかった~」
焼きそばってこんなに美味いものだっけ?
夏祭りに食った海崎さんの奴より千倍は美味かった。
「ご馳走様!」
結果、俺はすぐにつかさの焼きそばを平らげてしまった。料理の天才、現るだな。
流石に洗い物は俺が引き受け、終わり次第家の片付けを続けた。
日も暮れ時。
俺達は1日中家の掃除に追われていた。
あの野郎……仏壇以外も掃除しろっての。
「お疲れ様~」
つかさがお茶を持ってきてくれた。
コイツも大分家の中を把握してきたらしい。人の家なのに。
「サンキュ」
「お父さん、帰ってきたらびっくりしちゃうね~」
そりゃ、勝手にあがりこんで掃除されたら誰だって驚くな。
「さて、帰るか」
「え?」
アイツがいないのに話し合いもクソもない。
仕事から帰ってくるのも夜中だろうし。
「俺達がここに居たって仕方ないだろ?」
「うん……」
残念そうな顔をするつかさ。気持ちは分からなくもない。
意気込んで来て見たが、成果なしだもんな。
「悪いな。無駄に時間とらせて」
「ううん、約束だもん」
つかさの頭を撫で、帰り支度をする。
「……アルバムは置いていけ」
「はうっ!?」
柊家への帰り道。俺は何かに気付き、つかさを静止させる。
「……つかさ、ここにいろ」
「ふぇ?」
俺は不意につかさを路地に隠し、1人前に進んだ。
「あ……はやと」
予感的中だ。俺の目の前には、アイツがいた。
「よぉ」
湧き上がる怒りに、俺は拳を強く握り締める。
本当は今すぐにでも殴り飛ばしたい。この場から逃げ出したい。
けど、すぐ傍にはつかさがいる。
だから、逃げない。約束だからな。
「話をしに来た」
俺の言葉に、アイツは酷く驚いていた。
昨日まで頑なに拒んでいた息子が、話をしようなんて言い出した所為だ。
「……ああ」
アイツは力なく笑った。
「あの日、何で来なかった?」
俺は避けていたことを聞いた。
あの時は言い訳だと片付けていたことを。
「アンタは俺達なんてどうでもよかったのか?」
「違う!」
アイツは俺の思っていたことを強く否定した。
「俺は、俺はみどりの病気を治してやりたかった! 言い訳だと言われるかもしれないが、それでもみどりを愛していた!」
アイツの叫び声なんて初めて聞いた。今までは俺ばかりが叫んでいたから。
「お前もだ! はやと!」
俺は軽くショックを受けた。アイツが、俺を愛していた?
「みどりを治してやる為には金が必要だった……だが、間に合わなかったんだ。あの日だって、いつも俺は……」
ああ、そうか。
母さんの言っていたことは間違ってなかったんだ。
思えば、休んでいた日は一度もなかったような気がする。それは、仕事と合わせてアルバイトも掛け持ちしていたからかもしれない。
全ては治療費を稼ぐ為。全部母さんの為だった。ただ、間に合わなかっただけなんだ。
「済まない……お前にも寂しい思いをさせた」
アイツは涙を流しながら頭を下げる。
この人も、ずっと頑張ってきたんだ。空回りして、間に合わなくて、それでも足掻いていた。
そして、勝手にいなくなった俺なんかを探していたのか。残された、たった1人の家族を。
「……頭を上げなよ」
俺は静かに呟く。
「俺も謝らなきゃな、父さん」
「!」
俺は気付けば微笑んでいた。
母さんの言っていたこと、父さんの本当のこと、全部分かったからかな。
「勝手にキレて、いなくなって。母さんとの約束も破ったし。ゴメン」
「はやと……」
「でも、まだ帰れない」
「え……?」
近付いてきた父さんの動きが止まる。
「気持ちに整理が着かないんだ。俺はこのままあのアパートで暮らしたい」
俺の我儘だけど、まだ父さんも自分も許せない。
暫くは気持ちと向き合って、自分で決着を着けたい。
「はやと……ああ。俺も散々お前を待たせたからな」
「ありがとう」
最後にこれだけ会話を交わして、涙を拭いながら父さんは俺と擦れ違って家路に就く。
ここから、今までと違う関係が始まるんだ。
ふと気付くと、路地から泣き声が。
「ぐすっ、よかったよぉ~!」
「何でお前が泣いてんだよ」
部外者のつかさが泣いていた。いや、マジで何で泣いてるんだ?
「だって……はやと君が泣かないんだもん……」
つかさの言い訳はかなり苦しかった。俺の代わりに泣く奴があるかよ。
「でも、よかったね……誰も悪くなくて」
「誰も?」
「はやと君も、はやと君のお父さんも」
相変わらず俺の心配までしてくれるのか。
涙を流しながら、つかさはいつものように優しく微笑む。
「あれ? はやとく」
「つかさ」
俺の涙はあの時に枯れた……はずだった。
俺は本当に久しぶりに泣きながら、つかさに抱き付いていた。
「は、はやと君!?」
顔を真っ赤にして慌てふためくつかさ。
「悪い……暫く、このままにさせてくれ」
そう言うと、つかさは黙って抱き返してくれた。
何でお前はこんなにも優しいんだろう。
けど、そんなつかさと出会えたから、俺は今日まで楽しく毎日を過ごすことが出来た。
つかさがいてくれたから、今日も父さんと分かりあえた。
俺の傍にはいつもつかさがいてくれたんだよな。
気付けば、俺はつかさが好きになっていた。
散々泣いて落ち着くと、お互いに目が腫れていたので、俺達は近くの公園のトイレで顔を洗ってから帰った。
「「ただいま~」」
「お帰りなさい。はやと君、どうだった?」
昨日と同じように、玄関に入って早々にみきさんが出迎えてくれて、成果を聞いてきた。
「仲直りは出来ました」
「本当!?」
「え、何々? 成功?」
物陰からかがみとまつりさんが出てくる。
隠れて聞いてやがったか。
「こらこら、質問攻めにしたらはやと君が可哀想でしょ」
「「ちぇ~」」
みきさんに窘められ、渋々引き下がる2人。子供かアンタ等は。
「そろそろ夕食にするから、手洗ってきてね」
「「は~い」」
報告ついでに俺も夕食を頂くことになった。
「あれ? 2人共、更に仲良くなってない?」
まつりさんがそんなことを口にする。
「何ですって!? はやと! つかさに何もしてないでしょうね!?」
「イデデ!? してねぇよ!」
妹の貞操に敏感な、凶暴な姉が反応して俺の耳を引っ張った。
素直に「妹さんに抱き付きました」なんて言ったら殺されかねないので、勿論嘘を吐いたが。
みきさんの美味い夕食を頂いた後、帰ってきたいのりさんも含め、俺は本日の経過報告をした。
「これがその時のアルバムでね~」
「置いてけって言っただろ!?」
途中、アホの子による恥晒し大会が行われたが。何時の間に隠し持ってやがった。
「……以上です」
話し終えると、今朝同様に沈黙する。
「仲直り出来て良かったじゃないか」
「ええ、良かったわ~」
ただおさんとみきさんは一安心といった様子だ。
赤の他人をここまで心配してくれるなんて、本当にいい人達だ。
「で、つかさとの」
「ありませんって」
いのりさんまで、そっち方面に話を持っていこうとする。
アンタ等、俺達より自分達の心配をしろよ。
それから、流石にお世話になりすぎだと思い、当初の予定通り帰ることにした。
みきさんには引き止められたけどな。
「息子が出来たみたいで楽しかったわ」
「心臓に悪いこと言わないでください。かがみも睨むな」
……つかさに惚れたのは事実だけどな。
「つかさ」
家の前で2人きりになり、つかさに話し掛ける。
「もしお前に会えたことが奇跡だってんなら……」
母さんの言葉を思い出す。
「ほんの少しだけ、信じてみてもいいかもな」
「うんっ!」
つかさは嬉しそうに頷いた。
翌朝、学校にて。
「おっす」
「おはよう~」
俺は何事もなかったかのように登校した。
「はやと、お泊りはどうだった?」
「あ?」
「つかさから聞いたよ~?」
……はずだったのだが、何故か事情を知っていたヲタカップルに絡まれる。
「つかさ……」
「ご、ゴメンね~!」
今後、口の軽さが自分の首も絞めてるってことを教えてやらなきゃな。
「別に。楽しかったけど?」
「それだけ?」
「進展なし?」
「何が」
「「……はぁ~」」
細かい内容を教えてやる義理もなく、俺は適当に流した。
意味あり気な溜息がまたムカつく。
「お前等席付けー」
チャイムが鳴り、黒井先生が教室に入ってくた。
こうして、再び俺達の日常が始まる。
「はやと、屋上は行かないの?」
みちるが珍しそうに聞いてきた。
「……今日はいいかな」
教室の窓から見上げる空では、母さんが微笑んでいるように感じた。
どうも、雲色の銀です。
第20話、ご覧頂きありがとうございます。
今回ではやとの過去編は終了です!桜藤祭編と連続だったから長かった!やっと話に一区切りです。
さてさて、はやとがやっとつかさへの恋心を自覚しました。告白はまた大分先ですけど。
そしてこれから出番が減ります(笑)。
次回は付き合い始めたあきとこなたの話です。