5月半ば。
満開の桜が葉桜になり、心地よい風が吹き抜ける。
陽気な日差しが町を包み込み、快晴の青空に燕が元気に飛び回る。
「ふあぁ……眠い……」
「シャキッとしなさい、沢田。 だらしない男はモテないわよ?」
「だらしねーぞ、ツナ」
「あら、おはよう山本。 もう朝練は終わり?」
「おう!」
「……おはよ、山本」
「元気ねーぞ、どーした?」
「なんか変な夢見て、夜中に起きたら眠れなくなっちゃって……」
「変な夢? ……へえ」
「ははっ! ツナはムッツリなのな!」
「ちげーよっ!」
校門を過ぎたあたりで朝練終了後だったらしく額に少し汗を浮かべた山本と合流し、沢田をからかいながら校舎へ向かう。
「この僕に清き一票をよろしくお願いいたします!」
「生徒会長候補の木下です!」
「この私、山菱花菜が学校をより良くいたします!」
並中は生徒会選挙ムード一色になっており、校舎前のあちこちで選挙用のたすきを掛けた生徒達が声高々に選挙活動を行っていた。
出馬した生徒たちは、みな真剣な表情で道行く生徒に声をかけている。
「正直、1年からしてみれば誰が生徒会長でも同じよね」
「そうだね」
「ま、オレは野球が出来りゃいーな」
ちらりと目を向けた後、校舎内へ向かう。
心なしか選挙活動中の生徒の目があたしの胸部に集中していた気がするが気にしないことにした。
最近また胸がきつくなってきたので真美と一緒に新しいのを買いに行こうかな。
真美の恨みの篭もった視線に耐えなきゃいけないけど。
3人とも同じクラスなので、下駄箱も同じ場所だ。
女子にしては長身だからか最上段にある自分の下駄箱を開け、上履きを取り出し履き替えるために靴を脱ごうと身を屈める。
「きゃああああああああ!!」
唐突に聞こえてきた女子の悲鳴。
手を止め、悲鳴のした方向へ目を向ける。
悲鳴を上げた女子は腰を抜かしており身体を震わせている。
そのすぐ側では先ほどまで選挙活動をしていた男子生徒が糸の切れた人形のようにピクリとも動かず倒れ込んでいた。
そして倒れ伏せている男子生徒を冷ややかな眼で見下ろし、血に染まるトンファーをだらりとぶら下げている、学ランを羽織り腕に風紀委員の腕章を付けた男。
「あの人……たしか風紀委員長の……」
「おいおい、ヤバくね?」
「……」
男がトンファーを一度振り回し、もう1人の男子生徒の方へゆっくりと歩いていく。
そして正面に立ち、つまらなそうに見下ろして、気怠そうなあくびとともにトンファーを振りかぶる。
男子生徒は男を見上げたまま動かない。
いや、きっと動けないのだろう。
トンファーが男子生徒の頭部に迫る。
女子たちが口元を手で覆い、次の瞬間を目撃しないために目を瞑る。
男子たちはみな、恐怖で足が竦んで動かない。
トンファーが風を裂きながら頭部を打ち抜く瞬間。
「歯、食いしばれ」
駆け抜けた勢いそのままに、あたしの飛び蹴りが男に迫る。
男はとっさに、振るっていた腕とは逆に持っていたトンファーであたしの蹴りを受け止める。
同時にトンファーを振るう途中の不安定な体勢から後方に跳び、衝撃を殺す。
数メートル吹き飛んだが男は幾分のダメージも感じさせず、体制を直してこちらを見据えてきた。
「君、誰?」
男の問いかけを無視して、倒れ伏せている男子生徒に近寄り抱きかかえる。
顔を強く打たれたらしく、口から血が流れているが歯が折れただけで命に別状はなさそうだ。
安堵の息を一度吐いた後、目の前の男から視線を外し周囲を見回す。
初めからいた人間はビビっていて、動けそうになさそう。
野次馬もぞろぞろと集まってきていて、ざわつき始めている。
教師が止めにくる気配がないのはなんでだろうかと思っていたら、担任の教師がリーゼントやらモヒカンやらの不良に睨まれている姿が見えた。
なんであんな一時代昔の服装の生徒たちがいるのだろうか。
この中学ってたしか公立だったはずなのだけど。
「山本」
「ん? オレか?」
「この人お願い」
「あぁ、わーった。 でもムチャすんなよ、真美がキレるぜ? バットいるか?」
「大丈夫よ、よろしくね」
「おう。 バットと鞄頼むわ、ツナ」
「え? あ、わかった!」
後ろにいた野次馬の中に山本と沢田がいるのが見えたので、倒れている男子のことを頼む。
バットを持っていたのを見るに、何かあったら割り込んでくるつもりだったのだろう。
山本は持っていたバットと鞄を横にいた沢田に渡し、あたしが抱えていた男子を持ち上げ校舎に向かう。
その直後、男が地面を力強く蹴り出し、加速する。
速度はかなり速く、間にあった距離をあっという間に詰めて仕掛けてくる。
右のトンファーがあたしの顔目掛けて振るわれる。
上体を後ろに逸らし、前髪に掠らせるように初撃をかわす。
男は振り抜いた勢いのまま回転し左のトンファーを水平に放ってきたので後方に跳ぶ。
そして着地と同時に全力で前方に踏み込んだ。
一気に距離を詰め、左腹部に右足を叩きこむ。
男は左脚で受け止めるが、勢いよく真横に吹き飛んだ。
「ワオ」
余裕の表情で着地し、トンファーを一回転させた後に構えなおした。
男の顔には笑みが浮かび、獣のような切れ長の瞳があたしを真っ直ぐ貫いている。
その数瞬の攻防に、私たちを囲んだギャラリーは息を呑む。
「やるね、君」
「……ねえ、あんたが誰だか知らないけどさ。 なんであんなことしたわけ?」
「なんのこと?」
「すっとぼけんな、なんで襲ったの」
「群れていたから咬み殺した、ただそれだけだよ」
「……は?」
「僕は弱くて群れる草食動物が嫌いだ。 視界に入ると・・・咬み殺したくなる」
極々自然に、それが当たり前のことであるかのように男は言った。
ただ邪魔だから襲ったと、何気ないようにそう言った。
眼帯で覆われた左眼にズキズキと痛みが奔る。
頭に血が上りそう。
左手で痛む左眼を覆い、怒りで沸騰しそうな頭を冷やす。
「……とりあえずあんたのことが、理解できないってことはわかったわ」
「理解者なんて僕にはいらない」
「それと、すんごいムカつくってこともね」
「どうでもいいよ」
左眼の痛みが落ち着いてきた。
抑えていた左手で一度髪を掻き上げる。
吹き抜ける風で髪が靡く。
冷えた頭で頭の中を回転させる。
「ボコボコにしてさっきの先輩に土下座させてやるから覚悟しなさい」
「やってみせてよ、出来るものならね」
言葉と同時に、旋風が舞い、激音が鳴リ響く。
先程とは段違いの速度で二人は互いの距離を詰める。
互いの間合いの中に入った瞬間、視線が交差する。
間髪入れず、あたしの脚と男の腕が霞み、双方必死の間合いの中で弧を描いて衝突した。
静まり返ったその場全てに衝撃音が響き渡る。
その音があたしとヒバリの、生徒会長となった今でも続く奇妙な縁の開始のゴングになるのだった。
◆
「はぁ……」
「どうしました姉様? 台所で油虫を見たような顔をしていますが」
「いや、なんで生徒会長なんて面倒なことすることになったのか思い出したのよ」
「姉様がヒバリさんとの乱闘中に了平兄さんが乱入して喧嘩が終わったのは良かったですが、そのあと教師と候補の方々に生徒会長になるよう頼み込まれた。 でしたか?」
「……ご丁寧に土下座まで添えてね。 ヒバリの抑止力になって欲しかったんだって、風紀委員がやってることは前と変わんないらしいけど」
「ヒバリさんに襲われるのがほとんど姉様になったのは学校側としては良かったのではないでしょうか? 私としては腸が煮えくり返る気持ちではありますが」
「その割にはあんたヒバリと仲良いわよね」
「暴君ではありますが女性や子供には手を出しませんし、やり方が不器用なだけの気がします」
「あたし、女性なのに手を出され続けて1クール越えてるんだけどね」
「姉様は特別なのですよ、きっと」
「そんな血染めの特別いらないわよ、マジで」
並盛に建ち並ぶマンションの中でも最高級のマンションの最上階の一室で、あたしはリビングに置いてあるテレビの真正面にある横長のソファに仰向けに寝転がりながる。
数時間前の騒動を思い出しながら溜め息とともに愚痴をこぼす。
あたしは並中の1年生なのにも関わらず、たった1人の生徒会会長を務めている。
毎日のようにバカ騒ぎをしているクラスメイトや先輩方のせいで発生する被害の事後処理の書類、具体的には破壊された備品や校舎などの修理のための業者への発注の手続きなどの書類が毎日のように積まれているので、そのお片付けに追われる毎日である。
教師がやれよと常々思っているのだが、学校の予算を風紀委員に握られているらしく、あたしではないと手がつけられないらしい。
学校の力関係が、風紀委員長>(越えられない壁)>風紀委員>校長をはじめとした教師たち、のためなぜか教師の仕事もたまに回ってくる。
大丈夫なのかこの中学校。
あたしの寝転がっているソファの斜め右にあるもう一つのソファに座る、妹の真美はあたしを横目でチラリと見た後に視線をテレビに向き直り、食い入るように見つめている。
テレビの中では、オレンジ色のユニフォームを着た知らない野球選手がホームランを打ってガッツポーズとともに大歓声の中走っていた。
「優勝?」
「ええ、そうです」
『18年ぶりの優勝です!』とテレビに映され、選手に胴上げをされている監督の姿、 そしてアナウンサーの興奮した声による中継が流れる。
小さく真美もガッツポーズしたのをあたしは見逃さなかった。
何時もの落ち着いた声が若干上擦っている。
相当興奮していると見える。
よし、ちょっと悪戯してやろう。
履いていたホットパンツのポケットから携帯を取り出し、アドレス帳からお目当ての人物の電話番号を探す。
見つけたのでコール。
真美が好きなチームということはきっとこの男も好きなチームだと思う。
「もしもし? ええ、そうそう。 見てたわよ、真美も凄く嬉しそうでね。 わかった、かわるわ」
何回かのコール音の後に繋がり、声をかけると受話器越しから興奮冷めやらぬといった感じのやたらハイテンションな声が聞こえてきた。
どうやら、喜びを分かち合いたいらしく向こうから真美にかわってくれるよう頼んできたので真美に向かって軽く携帯を投げる。
「……? 何ですか?」
「かわってくれって」
「誰からですか?」
「出ればわかるわよ」
「……? はい、お電話かわりま……山本先輩!?」
あたしから唐突に放り投げられた携帯を受け取った真美は、一度訝しんだ後電話をかわる。
聞こえてきた声に驚く声を上げた後、顔がみるみる真っ赤に染まっていく。
「え? いや、あの、その、え? あ、はい! あの四回裏の……」
先ほどとは打って変わって借りてきた猫みたいな感じに縮こまりながら山本と電話をしている真美をニヤニヤしながら眺める。
真美はそんなあたしの視線に気付かず、膝を抱えて顔を真っ赤にしながら熱く語り合っている。
「ええ、はい……え、あの、日曜日ですか? えっ!? だ、大丈夫です! はい! あ、あの、そ、それでは、あの、失礼します!」
さらに顔が真っ赤に染まり、慌てた様子で電話を切る。
大きく深呼吸をした後、恥ずかしさからか涙目で顔を真っ赤にしたままあたしを睨んできた。
うん、かわいい。
あたしの妹すごくかわいい。
「……姉様」
「いやーあついわねーほんとあついわねー」
「姉様!」
「デートですってよ、デート。 羨ましいわねー」
「で、デートじゃありません! 一緒に野球の練習をするだけです!」
「兄さんに連絡しておこうかしらねー」
「……やめてください、先輩が死んでしまいます」
「……ゴメン、今のは悪かった」
高笑いしながら死神が持っているような鎌を構える兄さんの姿が容易に想像できてしまった。
イタリアに一時住んでいたときにあたしたちに言い寄ってきた男を片端から震えさせる兄の顔は正直ドン引きするくらい満面の笑みだったのを思い出した。
あたしたちの兄は重度のシスコンである。
まあ、あたしたちも結構ブラコン気味ではあるのだが。
ちなみに職業は日本でいうやのつく職業である、しかも幹部。
あまり大きな声で言える仕事ではない。
「まぁ、真美のデートの事は置いといて、兄さんは今なにしてるのかしらね」
「……腑に落ちませんが、私の誕生日の日にリゾーナ姉さんと一緒に来たので当分はこちらに来ないかと。 というかマフィアの幹部がよく出国出来ましたね」
「わりとその辺ゆるいそうよ? 空港でも顔パスらしいわ、逆らうと飛行機よりも高いところに飛ばされるそうだけど」
「……そういえばそう言っていましたね」
あたしのクラスメイトたちを呼んだ真美の誕生日会にイタリアから帰ってきた兄が冗談交じりに言った言葉を思い出した。
沢田とあたしたち姉妹の顔がもの凄い青褪めていたのを思い出す。
それ以外の人間はみんな爆笑していたが。
感性豊かな友人が多いわねあたしは。
「そのセリフはおかしいと思います」
「心を読むな」
「ぬふふ、あしからず」
落ち着きを取り戻したのかいつもの調子に戻る妹。
先程までの動揺が全く見られない。
意地の悪そうな、それでいて愛らしさを醸し出す微笑みに、落ちた少年はきっと数知れないだろう。
当の本人は野球部エースに恋する乙女である。
ちなみにその野球部エースは野球の事しか考えていないがこの恋は報われるのだろうか。
脈はわりとあると思うのだが。
「出来たようです」
後方にあるキッチンのオーブンのタイマーが鳴りだした。
真美が立ち上がりキッチンに向けて歩き出す。
あたしお手製のミトンを手につけオーブンを開くと、食欲をそそるコンガリ焼けた濃厚なチーズの香ばしい匂いが部屋に充満する。
「良い匂いね」
「切り分けるのはお願いします、サラダを持ってきますので」
「りょーかい」
テーブルに置かれる大皿に載せられたマルゲリータ。
熱でとろけたチーズとバジルの香りが鼻腔をくすぐる。
マルゲリータ、あたしが一番好きなピッツァ。
イタリアにいた頃、家族みんなで笑いあって食べていた大好きなピッツァ・マルゲリータ。
あたしは頭を一度振った後、寝転んでいたやわらかなソファに手をついて立ち上がり、慣れた手付きで扇型に切り分ける。
真美はあたしの姿を眺めつつ、皿をテキパキと並べていく。
切り分け終わった頃には、全てのお皿が並べ終えられていた。
真美がミトンを外しソファに座るのと同時にキッチンに向かい冷蔵庫の扉を開く。
「何飲みたい?」
「コーラで」
「んじゃ、あたしはサイダー」
キンキンに冷えた缶ジュースを2本取出し、ソファに腰掛ける。
缶を真美に手渡し、ゆっくりと蓋を開ける。
勢いよく炭酸の抜けるシュワッと爽やかな音が弾ける。
目の前に置かれている冷えたグラスに注ぐと炭酸のはじける微かな音がした。
注がれたサイダーの炭酸は気泡とともに沈んでは浮き、そして消えてゆく。
缶には三分の一程度、炭酸が残っている。
その中からも、パチパチとはじける音が聞こえてくる。
「「乾杯」」
姉妹二人で静かにグラスを打ちつけ合い、口に含む。
冷たい炭酸の刺激に思いのほか喉が渇いていたことを知り、グラスをテーブルに置
いた後ぷはっと一度息を吐いた。
真美も全く同じことをしていたらしく、同じ体勢のまま目が合った。
自然と笑いが込み上げてきた。
あたしと真美は、互いに笑いあいながらテーブルに広げられた料理に手を伸ばし始めるのであった。
親愛なるイタリアの兄さんへ。
今日も、あたしと真美は元気です。
お仕事がんばってください。
風花愛美
P.S リゾーナにも元気でいるよう伝えてください。
今回はオリジナル話です。
とりあえず出す予定のゲームキャラはフェイトオブヒートのキャラだけです。
誤字、脱字の報告、感想、ご意見等いただけるとありがたいです。
次回からロンシャン編ぐらいまでは原作話の予定です。