【ARIA】 その、いろいろなお話しは……(連作)   作:一陣の風

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五本目のお話を、お届けします。
トラゲット三人娘、最後の一人。
アトラの話です。 たぶん……(汗)
所詮、私の書くラブな話って、この程度なんです(涙)

それでは、しばらくの間、お付き合いください。



第五話

その日。

私、ことオレンジ・ぷらねっとのウンディーネ。

アトラ・モンテウェルディは、二週間ぶりの完全休養日だった。

 

 

    

 

     第五話 『 Occhiali ragazza 』

 

 

ウンディーネとは、ここ水の惑星アクアの都市、ネオ・ヴェネツィアで、ゴンドラを使った観光の水先案内人の事だ。

そして、オレンジ・ぷらねっとは、その中でも最大級の規模と売り上げを誇る、水先案内店だ。

 

 -とはいえ

私は、カップを手に、小さくため息をついた。

 

今の自分には、そんな事はなんの関係もない。

なにしろ、二週間ぶりのお休みなのだから。

 でも……

そのせっかくの休日も、若干、持て余し気味なのもまた確かな事だった。

 

午前中は掃除と洗濯で終わり、お昼くらいは寮以外の食事でも、と出てきたものの、その昼食も終われば(もちろん友達に紹介された、その海鮮鉄板焼きのお店は素晴らしいものだったが)

ひとり、ぼんやりとお茶をする以外、なにもする事がなくなっていた。

 

 - 意外と、つまんない過ごし方しかしてないのよねぇ。

 

再び、小さくため息をつく。

 

 - そういえば、ため息ってば「サイ」って言うのよねぇ。

  サイ……

  お前は突進するしか能のない、サイだ! って、それはイノシシだああ!

 

……………

……………

 

 - はああああああ。

 

今度は盛大に、ため息をつく。

 

ホント。こうなったら大人しく寮に帰って、読みかけの本でも読もうかな。

だけど……

ホント。

私は、ふりそそぐ日差しを仰ぎ見た。

 

 - こんないいお天気なのに、もったいない……

 

太陽に手をかざしながら、やっぱり、ため息がでる。

右手に手袋。

陽の光が、私のかける眼鏡を白く反射する。

 

片手袋のシングル(半人前)と、手袋なしのプリマ(一人前)を隔てる、ほんの小さな布のかたまり。

でも、それがあるのとないのとでは、大きく違う。

気持ちも、気分も、あるいはモノの考え方さえも……

 

 - まぶしい

 

眼鏡越しに見る手袋は、太陽の光をあびて、とてもまぶしく熱かった。

 

 

「あれ? アトラさん?」

 

人懐っこそうな声がした。

 

 - ん?

 

その声の方を見やれば……

 

「灯里ちゃん?」

 

そこには、満面の笑みを浮かべた灯里ちゃんが、白いまん丸な猫と一緒に立っていた。

 

 

 

水無 灯里ちゃんは他の水先案内店 ARIA・カンパニーのウンディーネだ。

つい最近、一人前のプリマに昇進し、「アクアマリン・遥かなる蒼」の通り名をもらった、ウンディーネ。

私とは、まだ彼女がシングルの時に、大運河(カナル・グランデ)でトラゲットと呼ばれる

渡し舟の仕事を、一緒にしたことがあった。

 

「ぷいにゅっ」

白い丸い猫が挨拶する。

 

「こんにちは、灯里ちゃん。お久しぶり。えと……こちらは………」

「はひ、お久しぶりです、アトラさん。こちらは、ARIA・カンパニーのアリア社長です」

「ああ。噂の……アリア社長はじめまして。ウチの、まぁ社長が、いつもお世話になってます」

「ぷ・ぷ・ぷぷいにゅっ」

私の挨拶に、アリア社長はなぜか、脅えた声で返事をした。

ん? 何かトラウマでもあるのか?

 

「アトラさん。今日はトラゲットお休みなんですか?」

「うん。というより、今日は完全オフ日なの」

「完全オフ日?」

「うん。二週間ぶりのね」

「ほへえ。やっぱり、オレンジ・ぷらねっとともなれば、お休みの日も限られてるんですねぇ」

「え?」

 

「だって、我がARIA・カンパニーは、いっつも時間がいっぱいありますから」

 

 ー えへへ

 

と、笑う灯里ちゃんにつられて、私も苦笑した。

確かに、先代のプリマ「水の三大妖精」と誉れも高い、アリシア・フローレンスが引退してしまった事は、ARIA・カンパニーにおいては、大変な事だったろう。

 

いくら水無灯里が優れたウンディーネでも、そのアリシアと並べられるのは酷というものだ。

そして客は、アリシアの名前に惹かれてやってくる。

そしてそれはARIA・カンパニーの業績低下を意味する。

 

 - 辛くないはずはない。

と、思う。

 

 けどー

けれど、この子は、水無灯里ちゃんは、そんな不安や焦りなど、おくびにも出さない。

いつも笑顔で、毎日を楽しんでいる。

 

 かなわないな……

そう思う。

自分より年下の彼女なのに、憧れに似た感情が私にはあった。

 

 

「実は、私もそうなのよね」

そんな気持ちを悟られないように、私は務めて陽気に言った。

 

「はひ? どういうことですか?」

「せっかくのお休みなんだけど、逆に時間を持て余しちゃって、少し困ってるところ」

「ほへえ」

「きっと器用貧乏なのね。ふふ」

「あの……アトラさん」

「うん?」

急に灯里ちゃんが、思いつめたような表情になった。

 

「あの、もしよろしければ、この後、ちょっと付き合ってもらえませんか?」

「ん? 別にかまわないけど……どうかしたの」

「あの……実は、眼鏡を買いたいんです」

「眼鏡を?」

「はひ」

「灯里ちゃんってば、目が悪いの? だったら今なら簡単の治療で、早く治るわよ」

「あ、そうじゃなくて……」

灯里ちゃんは、なぜか恥ずかしそうに話だした。

 

「あの、実は、アリシアさんのなんです」

「アリシアさんの?」

「はひ。実は私、アリシアさんのゴンドラ協会就任のお祝いを、まだしてなくて……

 それで、眼鏡をプレゼントしたいなって思って……」

「眼鏡を?」

「はひ。どうせなら使ってもらえる物がいいかなって。それに使ってもらえなくても眼鏡なら置いておくだけでも、いいかなって……」

 

私は自分のコレクションを思い出した。

初めて自分で……ウンディーネとしてのお給料を、コツコツ貯めて買った、エンジ色のフレームの眼鏡。

あの時の嬉しさ。よろこび。

誇らしさ。

それ以来、眼鏡のコレクションは、すでに数10本に達している。

 

なるほど……あ、でも

 

「でも、眼鏡は『度』とかあるわよ。大丈夫なの」

私は、あえて聞いてみた。

「はひ。それは、お店にお願いして、後からちゃんと調整してもらえるそうです」

「うん。そうなの。それなら……」

 

と、私が答えようとしたとき。

 

 

「ビッグもみあげ落としいいいいぃ!」

「はひい!」

 

 

突然、一人の男が灯里ちゃんの背後から髪の毛を引っ張った。

アリア社長が驚いて、ひっくり返る。

 

「なにをするの!」

私はとっさに灯里ちゃんを背中にかばうと、その男を突き飛ばした。

 

「いててて。な、なにしやがる!」

男は尻餅をついたまま叫んだ。

 

「それはこっちのセリフよ。あなたこそ、この子に何するのっ」

「あん? もみ子だからいいんだ」

「なにそれ。答えになってないわ」

「あわわ……アトラさん。いいんです。いいんです」

「いい? なにが?」

 

 

アリア社長が、男の背中を、ぷにぷにとよじ登っていく。

「誰、この人?」

「こちらはサラマンダーの暁さんです」

「サラマンダー?」

「そうだ。俺様は、このアクアの守り神。燃えるサラマンダーの暁様だ!」

 

サラマンダー・火炎之番人とは、このアクアの空に設置された、浮き島という所で

気象制御の仕事を専門にする人達の事だ。

 

 - 確かに大切な、お仕事だけど、守り神とまでは……

 

あまりに過大評価ではないか?

 

そんな私の思惑に気づきもせず、再び、サラマンダーは灯里ちゃんの髪をひっぱりながら、やたらとなれなれしく話しかけていた。

 

ちなみに「もみ子」とは、その特徴的な髪型から、彼が勝手につけた、灯里ちゃんのあだ名らしい。

 

 ん? もしかして……

 

「あの。もしかして、灯里ちゃんの恋人さん?」

「はひっ!?」

「ば、ば、ばかな事いうでないっ」

私のセリフに、二人は瞬時に反応した。

 

「お、俺様は、アリシアさん一筋で……」

「え?」

「そ、そうですよ、アトラさん。暁さんは、アリシアさんのことが、でっかいラブの方で……」

灯里ちゃんが、私の後輩の口真似をする。

 

 無意識?

 

 

「でも、アリシアさんは、ご結婚されたハズでは……」

「うわああああん。アリシアさああん。俺は、俺は認めんぞぉぉぉ!」

「あわわ。暁さん、落ち着いて。落ち着いて」

 

 ……コイツってば。

 

私は、冷たく言い放った。

 

「なんだ。ただの、あきらめの悪い男か」

「なんだとお、このメガネっ子! がふっぅ」

サラマンダーがまた、ひっくり返る。

瞬時にくりだされた私の右ストレートが見事に決まっていた。

 

「あん? 誰がメガネっ子だって?」

「ぐおおおおっ」

腹を押さえながら、サラマンダーがのたうち回る。

 

「あわわわ、暁さん。落ち着いて、落ち着いて」

「い、いや、もみ子よ。い、今、落ち着くのは彼女のほうだぞ……」

サラマンダーは、悶絶しながら抗議した。

 

 ふん!

 

 

 

 ****

 

 

「で、もみ子は、こんなところで何してるんだ」

ようやく立ち直ったサラマンダーが、アリア社長を頭に乗せながら灯里ちゃんに訊ねる。

 

「私は、アトラさんに相談をしていたところなんです。暁さんこそ、どうしたんですか」

「俺様はだなぁ。ARIA・カンパニーをのぞいたならなぁ。誰もいなくてだなぁ。しょうがないから、うろうろとだなぁ……」

「灯里ちゃんを探してた?」

「ば、ば、ばか言うな。断じて違う。断じて違うぞぉ!」

私の問いかけに、暁が顔を真っ赤にして叫ぶ。

 

 バレバレだ。

 

なんだ。

わかりやすい奴じゃないか。

きっと分からないのは、灯里ちゃんくらいか……

 

「じゃあ、もう会えたから、いいでしょ? じゃあ、灯里ちゃん行きましょうか」

「はひ? アトラさん?」

「い、行くってどこへだ」

 

灯里ちゃんの手を引っ張って、その場を離れようとする私にサラマンダーがあわてて問いただす。

 

「私達はこれから、アリシアさんへの、プレゼント用眼鏡を見に行くのよ」

「なにぃ! アリシアさんへのプレゼントだとぉ。 ……俺様も行く」

「はひ?」

 

 ー かかった。

 

 にやりっ。

私は、二人に見えないように、ほくそ笑んだ。

 

「アリシアさんのプレゼントなら、俺様もいく!」

「はひい?」

「たとえ、ご結婚されたとしても、俺様のアリシアさんへの愛は、永久なのだ!」

「ああ。ホント。暁さんは、アリシアさんの事が、大好きなんですねぇ」

「いや、灯里ちゃん。それってストーカーって言って……」

「はへ?」

 

「違ううっ。断じて違うぞおおお!」

叫ぶストーカーを放置して、私は再び、灯里ちゃんの手を引っ張った。

 

「さあ、さあ。変態はほっといて、さっさと行きしょう」

「誰が変態かぁぁぁぁ!」

「ほぇぇぇぇ?」

 

 - やっぱり灯里ちゃんってば、天然なのねぇ……

   ホント、見えてないんだから

 

私はまた、小さくサイをついた。

 

 

 

 ****

 

「こんなのどう。灯里ちゃん」

「あああ。それも素敵ですね!」

 

ここは、ネオ・ヴェネツィアいちの品揃えをほこる眼鏡店。

私は灯里ちゃんと一緒に、いろいろな眼鏡を見て回っていた。

 

「アトラさん。これ見てください」

「あら、いいわね」

「おい、これなんかどうだ?」

サラマンダーが訊ねてくる。

 

「そんなのが、アリシアさんに似合うと思ってるんですか?」

「な、なにぃ! よし、違うのを見てくる」

 

「アトラさん。これなんかどうですか?」

「あ、かわいい。かわいい」

「おい、メガネっ子……いや、メガネさん。これなんかどうだ……どうですか?」

「あなた、センスないわね」

「うがああああ! もう一回見てくる」

 

 

「いろんな眼鏡があるんですねぇ」

「私のように、いくつも持つ人もいるからね」

「ほえぇ。そうなんですか……」

「おい。これならどうだ」

「ふうん(冷笑)」

「ぐあああああああああああ! くっそぉ! もう一回!」

 

 

「ねえ。灯里ちゃん。あなたも眼鏡してみない?」

私はそう訪ねる。

 

「ほえ、私もですか? でも私、目はいいんですよ?」

「うん。ちゃんとした眼鏡じゃなくて、ファッションとしてどう?」

「ファッションとして?」

「うん。そうすれば、見えなかったモノが見えてくるかもよ」

「は、はひ?」

「おい、これならどうだ」

「却下」

「ノォォォォォッォ! くそっ。もう一度ぉ!」

 

「あの、アトラさんの眼鏡って『度』が入ってるんですか」

「ええ……ちょっとかけてみる?」

「は、はひ。 -はう!?」

 

私の眼鏡をかけ、よろける灯里ちゃんを、タイミングよくやってきたサラマンダーが抱きとめる。

 

「うお。危ないぞ、もみ子よ」

「あ、ありがとうございます、暁さん」

「そのまま、動かない」

「はひい?」

私は、わざとゆっくりと二人に近づくと、灯里ちゃんから眼鏡をはずした。

 

「大丈夫? ごめんなさいね」

「はひ。いえ。大丈夫です」

「やっぱり『度』入りは無理ね。ちょっと、うらやましいかな」

「はへえ?」

「私は子供の頃から眼鏡をかけてるから……もう顔の一部みたいなモノなの」

「はひ」

 

「でも、ときどき眼鏡がなければって思う時もあるのよ」

「はひ……でも」

「ん?」

「さっきアトラさんも言われたみたいに、眼鏡をかける事で見えるモノもあるんだなって……」

「え?」

 

「さっき一瞬だけど、すっごく世界がはっきりと見えたんです。

 まるで、世界が変わっちゃったみたいに。

 これってスゴい事ですよね。なんか魔法にかかっちゃったみたいです」

 

 えへへ。

屈託のない微笑みを浮かべる灯里ちゃん。

 

 ああ、やっぱりこの子は……

つられて笑みを浮かべながら、私は思った。

 

 素直に。この子は。

何事にも心を開いて、何事にも優しく、そのまま受け入れる。

純白な心で。

その見るもの、聞くもの、触れるもの。

その全てに感動し、そして、すべてを素敵へと変えていく。

 

 何もかも

初めて出会ったモノのように。

 

 何もかも

初めて触れるモノのように。

 

だからこそ、この子は。 水無 灯里は……

 

 

「そう……そうね。眼鏡の魔法かぁ。 私も変わらなきゃ」

「はひ? アトラさん?」

「灯里ちゃん!」

「は、はひ」

「あなたも、やっぱり眼鏡かけてみれば?」

「はへ?」

「お、おい。もみ子よ……」

サラマンダーが困ったような声を出す。

 

「も、もう、放してもいいか……」

ずっと灯里ちゃんは、サラマンダーに抱きしめられていたのだ。

もちろんそれは、私が企んだ事ではあったのだが……

 

「は、はひっ。す、すいません」

あわてて暁の手の中から離れる灯里ちゃん。

二人とも真っ赤になって、あらぬ方向を見ている。

 

 んん……いい感じね。

 

私は、サラマンダーを隅の方に引っ張っていくと、灯里ちゃんに聞かれないように小さく囁いた。

 

「ほら。サラマンダーさん。灯里ちゃんに眼鏡、プレゼントしてあげなさい」

「え、な、なぜにそんな事を言うのだ。お、俺様がなぜに、もみ子にげふう!」

わき腹に一発。

 

「ぐだぐだ言ってない。あなたホントは、プレゼントしてあげたいんでしょ?」

「いや、そんなことはでぶぅぅ!」

今度は足を踏みつける。

 

「素直になりなさいな。ほら」

「わ、分かった。分かったから殴るのは、止めろ。止めてください」

「分かればいいのよ」

「しくしく……」

 

「あの、大丈夫ですか?」

何事ですか?-という顔で、灯里ちゃんが訊ねてくる。

 

「大丈夫。大丈夫。それよか灯里ちゃん」

私は、サラマンダーを灯里の方に突き出しながら言った。

 

「彼が、灯里ちゃんに眼鏡をプレゼントしてくれるって」

「え。そ、そうなんですか?」

「いや、ちがっあががっ。 そ、そうなんです……」

背中を思いっきり、つねりあげる。

 

「あ、でも悪いし……」

「いいの、いいの。灯里ちゃん。人の好意は素直に受けるものなのよ。ね。サラマンダーさん?」

「は、はい。その通りです……」

すでに戦意喪失の彼が ーお前は兄貴か……と涙目でつぶやいた。

 

「ぷいぷいにゅっ」

そんなサラマンダーの頭を、アリア社長が優しく、さすさすしていた。

 

 

 ****

 

「うわあっ。アトラさん。暁さん。見てください。街が燃えてますよお!」

 

店の外へ出ると、ネオ・ヴェネツィアが燃えていた。

燃えるような、オレンジ色の夕焼けが、アクアを支配していた。

 

「アトラさん。眼鏡ってほんとに不思議です」

「え?」

「だって、見えないものが見えてくるって、ホントなんですから」

「………」

灯里ちゃんは、プレゼントされた、伊達眼鏡をかけていた。

 

「普段は、ぜんぜん気がつかなかった、こんな素敵なものに気づけるんですから……

 燃える自然って、なんて素晴らしいんだろう……きれい」

 

灯里ちゃんの顔が、オレンジに染まる。

灯里ちゃんの眼鏡に、夕陽が映え、きらきらと輝やく。

灯里ちゃんの笑顔が、全てを素敵に変えていく。

 

「ああ、きれいだな……」

 

その笑顔を見ながら、サラマンダーが小さくつぶやいた。

そして、あわててかぶりを振りながら叫ぶ。

 

「も、もみ子よ。は、恥ずかしいセリフ禁止だ!」

「ええ~ぇ」

 

そんな、じゃれあう二人の横で、私も、じっと夕陽を見ていた。

 

そっと夕陽に自分の右腕を重ねてみる。

オレンジの夕陽。

オレンジの手袋。

すべてを包み込む、オレンジのひかり。

眼鏡越しに見える、その暖かなひかり。

 

 私は何を考えていたんだろう。

 私は何を見ていたのだろう。

 

ほんの少しだけ……

 

 眼鏡をかける。

 眼鏡を変える。

 

ただ、それだけのことで、景色は変わる。

ただ、それだけのことで、世界は変わる。

ただ、それだけのことで、自分は変わる。

 

 ただ、それだけのことで-

 

違う自分に変われる。

真っ白な、自分になれる。

初めての頃の自分にもどれる。

 

灯里ちゃんが気づかせてくれた

この思い。

この気持ち。

 

初めて、眼鏡を買ったときの喜び。嬉しさ。

そして、誇らしさ。

 

手袋なんて些細な事。

大切なのは、その手袋に込められた思い。

それに向き合う、自分の気持ち。

その素直な心。

 

始めに……最初にもどってみよう。

そうすれば。

そうすれば私も……

 

 

「ありがとう、灯里ちゃん」

「ほへ?」

私の不意な言葉に、灯里ちゃんが驚いた顔をする。

 

「あなたは……あなた自身がきっと、素敵な魔法なのね」

「ほへえぇぇぇ?」

「メガネっ子。恥ずかしいセリフは禁しぐばあああっ!」

余計な事を言いかけたサラマンダーを、私の放った『幻の左』が、強制的に黙らせた。

 

 

 

 ****

 

「さあさあ、灯里ちゃん。晩ご飯食べにいきましょう。燃えるサラマンダーさんが奢ってくれるって」

「う、ぐ……な、なに言うか。メガネっ子」

私はグダフダぬかすサラマンダーの耳にそっと呟いた。

 

「大丈夫。私は途中で抜けて、ちゃんとふたりっきりにしてあげるから。頑張んなさい」

 

「な、なんじゃそりゃあ!」

「あなたもいい加減、学びなさい」

「な、ないい?」

 

「あなたの事は、アリア社長だって、認めてるんだから」

「へ?」

「にゅ?」

暁の頭にしがみついていたアリア社長も不思議そうな声を上げる。

 

「あなた気づいてた? 灯里ちゃん以外で、アリア社長が甘えるのってば、あなただけなのよ」

「…………」

思わずアリア社長と顔を見合わせるサラマンダー。

アリア社長は、「ぷいにゅううん」と笑いながら、片手をあげた。

 

「分かった? あなたはもう、アリア社長に……ARIA・カンパニーに認められてるのよ。しっかりしなさいっ」

「あ、あう……」

 

「それに……」

私はメガネを夕焼け色に染めながら、じっと海を見ている灯里ちゃんに視線を投げる。

 

「あそこにいる灯里ちゃんは、あなたの知ってる灯里ちゃんじゃない」

「へ?」

 

 突然、何を言い出すんだ? と。

 

サラマンダーが首をかしげる。

 

「いい。あそこにいるのは、新しい灯里ちゃん。

 あなたにもらった眼鏡をかけた灯里ちゃん。 

 あなたのまだ知らない、灯里ちゃん」

「…………」

 

「今、あなたの目の前にいるのは、もみ子でもない。

 『遥るかなる蒼・アクアマリン』でもない。

 ただの、十六歳の女の子。

 だから、あなたは、初めて出会った女の子として接すればいい。

 最初から。また、いちから始めればいい」

 

「う、うむ……」

夕陽に染まる灯里ちゃんに目を細めながら、サラマンダーが頷く。

 

「とりあえず、ちゃんと名前で呼んであげなさい」

「ええ!?」

「照れてないで。ちゃんと『灯里』って呼んであげるの。分かった!?」

「いや、しかし、もみ子は……」

「ああん?」

「は、はい……」

「声が小さいっ」

「はいい!」

 

「さあさあ、行きましょう」

私はサラマンダーから離れると、灯里ちゃんに声をかける。

 

「あの……暁さん。大丈夫ですか?」

「う…お、おう……」

「はいっ」

「え?」

 

灯里ちゃんが、そっと手を出す。

腰を抜かしているサラマンダーに、そっと優しく手を差しのべる。

けっこう近い。

 

「あ…いや、その。あ。あ。あ……」

「はひ?」

「い、いや。その、あ。あか……」

「あか?」

「あああ。あ……あか…あか……」

 

 -いけ! そこだっ。がんばれ! 突進だっ。サイ!

 

私は心の中で叫ぶ。

もう少し。

もう少し。

もう少しでっ。

 

 

「だ、大丈夫だ。あ……あか……ぃぃ」

「はひ!」

突然。灯里ちゃんは満面の笑顔で答えた。

 

「ホント、真っ赤ですねぇ」

「へ?」

その台詞に、サラマンダーはおろか、私までキョトン顔になる。

 

「こんなにも夕焼けって、暖くて、真っ紅なんですねえ。素敵んぐです」

「あ、ああ。あか、あ……紅いなあ……確かに真っ紅だあ。あっはっはっはっ………」

 

 助かった ーと、ばかりにサラマンダーが笑い声を上げる。

 

 -ああ。眼鏡かけさせるのは、こいつの方が先だったのか……

 

私は、今日、最後のサイをついた。

 

 

 

「はい。暁さん」

 

「うん?」

「立てますか?」

にっこりと、屈託のない笑顔。

灯里ちゃんの微笑み。

その微笑みと共に差し出された、やわらかそうで、暖かな白い手。

 

「はい。暁さん」

「…………」

 

その手を見つめるサラマンダーの顔が紅いのは、夕陽のせいだけなのか。

彼は、ゆっくりと手を伸ばすと………

 

 

「ビッグダブル・もみあげ落とぉぉぉぉぉぉし!!」

そう叫びながら、灯里ちゃんの髪を両手で引っ張った。

 

「はひぃぃぃぃ!?」

「こんのぉ、ヘタレえぇーーーーーーーーーーーーーーーえ!!」

 

 -ごすぅっっっ

 

 もう、たまらず!

 

私の渾身の踵落しが、サラマンダーの後頭部に炸裂した。

 

 

 

 ****

 

「おはよう」

 

 あくる日の朝。

いつものように私は、トラゲット乗り場にやってきた。

 

「おはよう。アトラ。あれ、眼鏡変えた?」

違う水先案内店の同僚が、声をかけてくる。

 

「うん、ちょっと気分転換にね」

「気分転換?」

「ええ。見えるものが、見えるようにね」

「ーかぁっ。なんだいそりゃ……でも、よく似合ってるぜ」

彼女は、苦笑しながら、そう言ってくれた。

 

「さあ、お仕事、お仕事」

私は、走り始める。

 

 そう。

これが始まり。

これからが始まり。

 

 走り始める。

明日の自分のために。

未来の自分のために。

 

最初からまた、スタートをきるために。

 

 私はまた走り始める。

エンジ色のフレームが、太陽の光をあびて、きらりと輝いた。

 

 

 

                           

 

 

      -Occhiali ragazza(めがねっ子)- La fine

 




あと書きのような、なにかー

 -Occhiali ragazza(めがねっ子)
本編タイトル。
excite翻訳による、くっちゃくちゃな当て字です(鹿馬)

 -アトラ・モンテウェルディ
本編の主人公。オレンジ・ぷらねっとのシングル・ウンディーネ。
何故か私愚作では「武闘派」になってしまった悲劇の人。しかもこの後の別話では、新たな二つ名が! 困ったモンだ(大鹿馬)

 -灯里&暁
本編の主人公(オヒッ!)
初回に別サイトでUPした時は「誰が主人公か分からん」と、お叱りを受けました。 しくしく。 
まぁ、まったくその通りなので反論もできません。
ちなみに私の作品は「王道」「テンプレ」で、なんの捻りもない、ど真ん中なお話しばかりです。

 -踵落とし
私愚作における様式美(爆鹿馬)


 正直言って。
このあたりの作品はまだ書き方も方向性も定まっておらず、思考錯誤しながら書いてた記憶があります。
読み返すと、とてもとても恥ずかしい(弩阿呆)
いえ、だからといって、現在の作品が固まっているかと言われれば……ごめんなさい。

どうかこれからもお見捨てなく、御贔屓の程、よろしくお願いします。

 それではいずれ、春永にー

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