【ARIA】 その、いろいろなお話しは……(連作)   作:一陣の風

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そんな(どんな?)訳で、第一話を投稿させていただきます。
このお話しは、トラゲット三人娘のひとり、姫屋のあゆみのお話しです。

それでは、しばらくの間のお付き合い。よろしくお願いします。


第一話

アイちゃん、お元気ですか?

プリマになって一ヵ月。いまだに、ばたばたとした日々を過ごしてしますが、そこは、それ。

なんだか、こんな日々が楽しくて、しょうがありません。

 

そうそう。ばたばたといえば、藍華ちゃんの支店開業が、いよいよ明日に迫りました。

当日は、ホテルをひとつ借り切って、盛大なパーティーを催すそうです。

もちろん、私も呼んでもらってます。

今から楽しみ。

そして、もうひとつの楽しみといえば……

 

 

 

  『 sentineti singoio 』

 

 

 

毎朝恒例のアイちゃんへのメールを打ち終えると。

 

 -はふう

 

大きく伸びをひとつ。

今日もここ、ネオ・ヴェネツィアは良いお天気です。

きっとこんな日はまた、とっても素敵な出会いの予感が……

 

「ぷいにゅん」

そんな私に、アリア社長が帽子を持ってきてくれました。

アリア社長は猫です。

 

 -猫が社長?

 

って変に思われるかもしれませんが、ここネオ・ヴェネツィアの水先案内業界では、蒼い目の猫さんの事を「アクアマリンの瞳」と呼んで、航海の安全を祈る象徴としているんです。

もちろん、本当の「社長さん」は存在していて、お店の運営は、その人があたっています。

 

でも、アリア社長のような火星猫さんは、人間並みの知能を持っていて、しゃべれないけど、ちゃんと人間の言葉も理解できるんですよ。

 

「ぷいにゅ、ぷいぷい!」

「はい、社長。それじゃあ、サンマルコ広場まで、お客様を探しに行きましょうか」

「ぷいにぁ~」

さあ。新しい出会いへと出発です。

 

 

 ****

 

今日の最初のお客様は、月のルナ・ワンから来られた、ご夫婦でした。

なんでも、ご結婚30年目のお祝いでネオ・ヴェネツィアに来られたとか。

私も張り切って、ご案内させてもらいました。

 

「ありがとう。楽しかったよ」

「とっても素敵なゴンドラでした。また、次もお願いしますね」

「こちらこそ、優しい出会いをありがとうございました」

 

私がそう言うと、お二人はにっこりと笑ってくださいました。

こんな時、私はウンディーネになって、ホントによかったと思います。

 

 あっ。

ヴンディーネっていうのは、ここネオ・ヴェネツィアでゴンドラを使って観光案内をするガイドの事です。

女性しかなれず、街を象徴するアイドル業。

 

 -なんて言われてます。

 ふふ。 なんだかこそばゆいですね。

 

 

「ぷいにゅううう」

お二人をお見送りした後、急にアリア社長が何か、すがるような目で私を見ました。

 

「どうしたんですか、社長。 あっ、お腹が空いたんですね」

「ぷいにゅっ」

気がつけば時刻はもう、お昼。

私のお腹も、そろそろ鳴り出しそうです。

 

「それじゃあ、お昼にしましょうか。 社長は何が食べたいですか」

「ぷいぷいにゅふふふ」

「そうですね。迷っちゃいますねえ。えへへ」

 

-ドンッ!

 

突然、ゴンドラが揺れました。

 

 ほへ?

っと驚いていると、そのままゴンドラは動きはじめます。

 

 ほへへ?

あわてて振り返ると、そこには帽子を真深くかぶった男の人が一人。

その人は、何も言わずにゴンドラを操ると、どんどんと沖の方へ漕ぎ出して行きます。

 

 はへえ?

な、何が起こっているの?

知らない男の人が、勝手にゴンドラを動かして……

 

 -まさか

これって。

これってもしかして……

 

 ハイジャック!?

 

「ええ~!」

どーしよ~!!

 

 

 ****

 

 ー 後から聞いた話です。

 

私とアリア社長がハイジャックにあってた頃。

私たちが後にした、サンマルコ広場では、二人の人影がさかんに走り回っていたそうです。

 

「どこに行った」

ひとりがいまいましげに言います。

 

「こっちに来た事は確かです」

もう一人の方が、あたりをキョロキョロと見回しながら答えます。

 

「逃げられたか」

「でも、どこに。 そんなに早く隠れられるような場所なんて……」

「ん。 あれは……」

最初にしゃべった方の人が、めざとく私達のゴンドラを見つけました。

 

「あそこ。 あれはARIA・カンパニーのゴンドラだな……」

「ええ、確かに。あれ? でも、動かしてるのは灯里じゃない。もしかして……」

「追うぞ!」

「はい!!」

 

二人はあわただしく、ゴンドラ乗り場の方に走っていきます。

 

「ふふ。私達から逃げられると思うなよ」

不敵な笑い声が響きました。

 

 

 ****

 

私は固まっていました。

ゴンドラをハイジャックされるなんて、前代未聞です。

 

「アリア社長。どうしましょう」

私は、アリア社長のもちもちぽんぽん(お腹の事です)を抱きしめながら震えていました。

 

 その時、突然。

 

「危ないっ」

横手の水路から、ゴンドラが飛び出してきました。

操っているのは、まだ小さな男の子です。

 

「はひい。ぶつかるっ」

私が身を固くした時、ハイジャックの人は、いとも軽やかにオールを操ると、するりと相手のゴンドラをかわしました。

 

 上手……

思わず、そうつぶやいてしまうほど、自然で、あざやかな操舵です。

 

 - まるでプリマのよう……

 

 

「お姉ちゃん。ごめんなさーい」

男の子は遠ざかりながら、謝ります。

「おーっ。 気をつけろ。 水路に出る時は、声かけ絶対だぞっ」

「はーい。 ありがとー」

 

 はひ?

この声ってば、どっかで。それにお姉ちゃん?

 

「あの」

「ん」

「あの。ゴンドラの操舵。とっても、お上手なんですね」

私は前を向いたまま、恐る恐る声をかけました。

沈黙。

次に聞こえてきたのは、大きな笑い声でした。

 

「っかー! ごめん、ごめん。驚かすつもりはなかったんだけどな」

懐かしい。この、どこか暖かで元気な、お声は……

 

 ー ほへ?

 

と、振り向くと、ハイジャックの人は目深にかぶった帽子を、ぐいっっと親指で押しあげました。

その、お顔は。

 

「あゆみさん!?」

 

「よっ。久しぶり。灯里ちゃん。 いや、今は『アクアマリン・遥かなる蒼』さんか」

そう言うと、あゆみさんは、また大きな声で笑いました。

 

 

 あゆみさん。 

あゆみ・K・ジャスミンさん。

私がシングルの時、アリシアさんに勧められてお手伝いさせてもらった「トラゲット」で、一緒に仕事をさせてもらった姫屋のウンディーネさんです。

 

 あっ。

「トラゲット」っていうのは、大運河(カナル・グランデ)に何箇所か有る渡し舟の事です。

前と後ろに漕ぎ手が立ち操舵するのが特徴で、それぞれ別の会社に所属するシングル同士で組むこともあって、ネオ・ヴェネツィアのちょっとした観光名所になっています。

 

あゆみさんと私は、他の二人のウンディーネさんと一緒に、そのトラゲットをした仲なんです。

 

「あの、あゆみさん。いったいどうしたんですか?」

「灯里ちゃん。お昼食べた? お腹空いてない?」

「はひ? えと。お昼はまだですけど……」

「よし、決まり。お昼おごるよ。いい店があるんだ」

「はひぃ?」

 

私とアリア社長は、訳の分からないまま、あゆみさんの操るゴンドラに揺られて行きました。

 

「ここだ」

そう言って。あゆみさんがゴンドラを泊めたのは、一軒の海鮮鉄板焼きのお店でした。

 

 

 ****

 

「おいひー☆」

「ぷいぷいぷいにゅうううう☆」

私とアリア社長は、鉄板の上で焼ける魚介類や野菜を、次々にほおばりました。

 

「だろ。特にここのモエッキ(蟹)は、最高なんだぜ」

「はひ。ほんとうに美味しいですう」

「このお店は、ウチのお気に入りでね。トラゲットとかで知り合った仲間や、お客様とも、よく来るんだ」

「ほへぇ」

「どんどん食べてくれよ。脅かしちまったおわびだよ」

 

「ああ。いえ、それはいいんですが、何かあったんですか?」

「え? う~ん。 いや別になんにもないよ。さあ、食べて食べて」

なぜか答えをさける、あゆみさん。 やっぱり何かあったんでしょうか。

 

「それよか灯里ちゃん」

「はひ」

そんな私の疑問を知ってか知らずか、あゆみさんは畳み掛けるように言いました。

 

「プリマ昇格おめでとう。ウチが言った通りだったろ。君はプリマ昇格間違いなしだって」

「あ、はひ。ありがとうございます。 でも、私なんかまだまだで」

「そんな事ないよ。 それにARIA・カンパニーの経営権も移譲してもらったんだろ。 すごいな」

「いえ。そんな。本当に毎日ただバタバタしてるだけで、全然です」

 

「でもホント、君は偉いよ。ただでさえ、プリマになるのは大変なのに、その上、お店の経営かあ。

 店をひとつ切り盛りするって、大変だよなぁ」

あゆみさんは、少し考える風につぶやきました。

なんでしょう。

なんだかまるで自分に言い聞かせてるみたいで……

 

「そ、そういえば、あゆみさんはトラゲット続けてるんですか」

何か、気恥ずかしい。 

私はあわてて、話題を変えました。

 

「えっ? ああ。もちろん。ウチはトラゲット専門。 つか、トラゲットしたくてウンディーネになったんだ。 

 地域密着型。楽しいよ」

 

そうなんです。

トラゲットはシングルのお仕事。

つまり、プリマではできないお仕事なんです。

 

そしてトラゲットは、プリマをめざすウンディーネの、恰好の練習の場でもあるんです。

でも、あゆみさんは、プリマに昇進する事なく、いつまでもトラゲットをしていたいって……

 

「あの、あゆみさん。ひとつ聞いていいですか?」

「ん、なんだい改まっちゃって」

「あの……あゆみさんは、本当にプリマにはならないんですか?」

「え?」

「だって、さっきも子供のゴンドラとぶつかりそうになった時だって、あんなに鮮やかにゴンドラを操ったじゃないですか」

 

「いや、灯里ちゃん。プリマになるには、操舵だけじゃ……」

「確かに、操舵だけじゃプリマにはなれません。接客やカンツーオネ(舟謳)だって。 でも、あゆみさんなら……」

「っかぁー。灯里ちゃんまで、そう言うか……」

 

 - はへ?

 

私まで?

なんの事でしょう。

 

「あの、あゆみさん……」

 

 

「ほらな。あゆみ。みんなそう言うんだ。あきらめろ!」

 

 ー ぶふっ!

 

不意の声に、あゆみさんは、激しく咳き込みます。

 

「はひっ? だ、大丈夫ですか。あゆみさん」

「ま、まさか………」

あゆみさんの視線は、私を通りこし、私の背後にそそがれています。

 

 - ほへ?

と、振り向くと、そこには……

 

「晃さん。藍華ちゃん?」

 

 そう。

そこには姫屋のエース・ウンディーネ。 

クリムゾン・ローズ(真紅の薔薇)」こと晃・E・フェラーリさんと

私のお友達で、プリマ昇進と共に、めでたくカンナーレジョ支店、支店長に就任した「ローゼン・クイーン(薔薇の女王)」こと藍華・S・グランチェスタちゃんが、悠然と立っていました。

 

「うひい!」

おもわず立ち上がる、あゆみさん。

そんなあゆみさんを、晃さんが恐い顔で睨みつけます。

 

「あゆみぃぃぃ。こんな所にいたのか……」

「いや、その晃さん。これは、その……」

「すわっ! 問答無用。今すぐ一緒にきてもらうぞっ」

「あ、あ。その……」

 

「あゆみさん。なんで逃げるんですか!?」

今度は藍華ちゃんが声を荒らげます。

 

「ち、違うんだよ、藍華お嬢。それは、その……」

「そのその禁止です!」

「ひえ。その、ああ、つまりその……その…その……ごめんっ。

 灯里ちゃん。また今度おおぉぉぉ」

 

そう言うと、あゆみさんは、ものすごい勢いでお店を飛び出して行きました。

 

「逃がすかあああ!」

猛然と追いかけていく晃さん。

残された私とアリア社長は呆然と、その後ろ姿を見送りました。

 

 

 ****

 

「プリマ昇格試験拒否なのよ」

藍華ちゃんが、吐き出すように言いました。

 

「ほへ? プリマ昇格試験拒否?」

私は藍華ちゃんのそのセリフを、そのまま聞き返してしまいました。

 

「そ。今日は本当は、あゆみさんのプリマ昇格試験の日だったの。 

 ありゃ、ホントにこのモエッキ美味しい」

藍華ちゃんは、残った海鮮焼きを口に運びながら言います。

 

「それって、プリマにならないって事?」

「ぷいにゅううう?」

アリア社長もびっくりしてます。

 

「で、で、でも。あゆみさんってば、そんな事、一言もいってなかったよ」

「当たり前よ。あゆみさんってば、朝から逃げ回ってるんだもの」

「ほへへぇ。じゃあ、さっきサンマルコ広場で、あゆみさんがハイジャックしたのは……」

「ハイジャック? 何それ」

「いや、なんでもなくって………」

 

それで、あゆみさんは何もいわずに私のゴンドラに飛び乗ってきたのか。

晃さんと藍華ちゃんから逃げるために。

 

 - へっ?

 

「ええ? でもなんで逃げるのぉ」

「晃さんが、今日は絶対あゆみさんの、昇格試験をやるぞー! って言ってたからよ」

「ほへ……」

「あゆみさんはね。前からトラゲットにこだわってるでしょ」

「うん」

「トラゲットはシングルしかできない」

「うん」

「だから逃げた」

「ほへぇ?」

 

「あゆみさんはねぇ」

藍華ちゃんは、またモエッキを一口、口に入れてから話し始めました。

 

「十分、プリマになれる実力があるのよ。

 性格も、あの通り、気さくだし、優しいし、ゴンドラの操舵もしっかりしてるし……

 観光案内だって本人がやらないだけで、ホントは、すごく上手なの」

「はひ」

 

「だから私は、頼んで支店に来てもらったの。 ……私はね」

藍華ちゃんは、私の顔をまっすぐに見つめながら言いました。

 

「私は、あゆみさんに副支店長になって欲しいの」

 

「副支店長……」

「うん。あゆみさん、いつも笑顔だし。ああいうサッパリとした性格だから同じシングルや、ペアの子達からも人気があって、みんなの相談にも、よく乗ってあげてるの。人望あるのよね」

 

 - ああ。納得です。

 

「うん。確かに。あゆみさんなら誰からも頼られて、一緒に答えを探してくれそうだね」

 

「そうっ」

いきなり藍華ちゃんは、バンッ!っと、テーブルを強く叩きました。

 

「ぷいにゅ!」

アリア社長がおびえ、まわりのお客さん達の視線が私達に集中します。

あわわ……恥ずかしい。

 

でも藍華ちゃんは構わず叫びました。

「そういう人だから、私は頼んでこっちに来てもらったのに!

 副支店長がシングルじゃ、カッコつかないでしょうがあ!!」

 

 -がああああっ。

と、口から火を吹きそうな勢いの藍華ちゃん。

それはまるで、古の幻獣・がちゃぺん……

 

 

「いや、お嬢。そりゃ、買いかぶり過ぎだって……」

弱弱しい声の方に目をやれば、そこには晃さんに首根っこつかまれてぶら下がってる、あゆみさんの姿が……

 

「捕まえたぞ」

轟然と言い放つ晃さん。

 

「 ウチは猫か……」

こぼす、あゆみさん。

 

そしてー

やっぱり私達は、みんなの視線を集めて………はうう。恥ずかしいです。

 

 

 ****

 

「いやあ。晃さん速いわぁ。私も足には自信はあったけど、こんなにあっさりと、しかもハイヒールをはいた足に捕まるとは……ははは」

「誉めても何もでんぞ」

やっぱり、モエッキを口に運びながら、晃さんは、あゆみさんを睨み付けます。

 

 - こ、恐ひぃぃ

 

「おい。あゆみ。 なぜ、プリマへの昇格試験を受けないんだ!」

「いや、だからウチはほんとにシングルでよくて……」

「すわっ!」

 

 - はひいっっ

 

「実力のあるものは、その実力にあった地位と責任を負わなきゃならないんだ」

「いや、だからそれは買いかぶりですって……」

「あゆみぃ! お前がプリマの実力を持っている事は、他のみんなも知ってるんだ。逃げるんじゃない」

 

「あゆみさん。私は、あゆみさんに私の右腕になってもらいたいんです」

今度は藍華ちゃんが、あゆみさんに詰め寄ります。

 

「今度のカンナーレジョ地区への支店開業は、ある意味、姫屋の未来を決めるものなんです。

だからこそ私は、その未来を、あゆみさんに助けてもらいたいんです」

 

「そんなおおげさな……」

「あゆみさん!」

「ひえっ。いや。だから、ウチもお嬢の助けならなんでもしますよ。

しますけど、それとプリマ昇格試験とはまた別で……」

「下手な言い訳禁止です」

「ええ~ぇ」

 

「あ、あのぉ……」

なにやら険悪な状況。

私は、たまらず口をはさんでしまいました。

 

「あによぉ。灯里」

「いや、あの……あゆみさん。

 どうして、あゆみさんは、そんなにトラゲット……シングルにこだわるのかなって……」

「う~ん。こだわる……か」

私の問いかけに、あゆみさんは、少し考える顔になりました。

 

 

「あのさ、灯里ちゃん」

「はひ」

「この前、ウチや杏やアトラと一緒にトラゲットしたよね」

「はひ」

「その時、どんな感じがした?」

「あ。えと………」

 

杏さん、アトラさんは、私がトラゲットをあゆみさんとした時に、一緒になったウンディーネさんです。

二人ともオレンジ・ぷらねっとのシングルで、仕事が終わった後、四人での語り合ったいろいろなお話しは、私に力をいっぱいくれた暖かで大切な思い出のひとつです。

 

「私は……」

あの時の想いを何ひとつおろそかにしないよう、私はゆっくりと話し始めました。

 

 

「ネオ・ヴェネツィアの人達、ひとりひとりと触れ合えて、とっても楽しかったです。 

 観光案内のお仕事も、もちろん楽しいですけど、

 ああやって、この街の人達と笑顔と接しながら、楽しくお仕事ができるのも、とっても素敵な事でした。

 みんなでやったトラゲットは、私にとって、とっても素適で大切な経験です」

 

「……ありがと。えと、灯里ちゃんは確か、マンホームの出身だったよね」

「はひ」

「そっか。じゃあ、トラゲットは、あの時が初めてだったんだね」

 

何の話でしょうか?

よく分からないまま、私は、うなずきました。

 

 

「ウチはこのネオ・ヴェネツィア出身で、ずっと幼い頃からトラゲットのゴンドラに乗ってたのさ。

学校に行く時も、買い物に行く時も、家族で遊びに行く時も、いっつもトラゲットのゴンドラに乗ってね。

そんで、そのゴンドラには、いつも笑顔のウンディーネ達がいてさ。よく声をかけてくれたんだ」

あゆみさんは、昔を思い出すかのように、少し遠くに視線をやりながら話続けます。  

 

「何処にいくの。学校終わったの。買い物? 家族で旅行? 

わあっ。とっても楽しそうね。って。

満面の笑顔で。

もちろん、元気のない時だって声をかけてくれてね。 

ウチが落ち込んでる時なんかは、なんとか元気づけようと、みんなで本気で励ましてくれたりしてさ。

ウチは、そんなウンディーネに憧れて、この業界に入ったんだ。

 

 でも、その時、初めて知ったんだ。

 

あのトラゲットっていうのは、ウンディーネのプリマへの一行程に過ぎなくて、そしてプリマになれなかった、シングル達の溜まり場だって事に」

 

…………

…………ああ。そうか。

 

私は、突然。あゆみさんの気持ちが分かりました。

 

 そう。

すべてのウンディーネがプリマになれるわけじゃない。

そこには、厳然たる現実の冷たさがある。

そして、プリマになれなかった人は、引退するまでずっと、シングルとしてのウンディーネを生きていかなければならないんです。

 

きっと晃さんも藍華ちゃんも、あゆみさんの気持ちが分かったんでしょう。

二人ともなにも言わず、ただモエッキをつついています。

 

 

「でもね」

あゆみさんは再び口を開きました。

 

「ウチを励ましてくれたウンディーネ達の笑顔は本物だった。

いつも心の底から、ウチらの事を見守ってくれてた。

そこには、シングルだとか、プリマだとかは関係なく、この街を……ただこの街に住んでる人達が大好きだって。

そんな想いがあったんだ。

 

だからウチはトラゲット……いや、シングルに誇りをもちたい。

シングルだって、こんなに立派に仕事ができる。

シングルだって、こんなに素晴らしいんだぞ! ってね。

みんなに教えたいんだ。おかしいかな?」

 

 -えへへ。

そう言うと、あゆみさんは照れたような笑顔をみせてくれました。

 

「あゆみさんって、トラゲットみたいな人なんですね」

「え?」

 

「いつも笑顔で、みんなを迎えてくれて。

一生懸命、街の人達を心ごと、優しく運んでくれる。

嬉しいときも。

悲しいときも。

その柔らかな心で。その穏やかな心で。

みんなの想いと一緒になって。 

あゆみさんは、そんなトラゲットのような、素敵で暖かな人なんですね」 

 

 

私は、自分の感じたままを、あゆみさんに伝えました。

あゆみさんは、少し驚いたような顔で私を見た後、言ってくれました。

「灯里ちゃん…ありがとう。 でも……」

 

 

 「『 恥ずかしいセリフ禁止ぃぃ!! 』」

 

 

あゆみさん、晃さん、藍華ちゃん。

三人の声が、見事にハモりました。

 

 - ええ~!?

 

 

 ****

 

「わかった」

晃さんが、憮然と言いました。

 

「嫌がってるのを、無理矢理プリマにしたってしょうがない。お前は一生、シングルでいろ」

「晃さん? そんな……今更、何言い出すんです?」

藍華ちゃんが、あわてます。

 

「でもな……」

晃さんは、ちょっぴり小悪魔的な微笑みを浮かべながら言いました。

 

「副支店長として、藍華の下にはついてもらうぞっ」

 

「ええっ!?」

今度は、あゆみさんがあわてだします。

 

「いや、ウチはシングルだし。プリマな先輩もたくさんいるし」

「すわっ!」

「ひえっ」

「お前は今はっきりと、シングルに誇りを持つって言ったじゃないか!」

「あの、でもそれは……」

「だったら、なにも臆する事はない」

相変わらず、小悪魔的スマイルを浮かべながら、晃さんは続けます。

 

「それにプリマでなければ、副支店長になってはならない-なんて規則もないしな」

 

「あ~でも、そんな事をすれば、会社の評判にも影響が……」

あゆみさん、必死の反撃。

 

「おい藍華。なにか問題あるか?」

晃さんは笑顔のまま、藍華ちゃんに訊ねます。

藍華ちゃんもまた、満面の笑顔で答えました。

 

「いえ、ぜんぜんありません。ドンと来いです!」

「お嬢ぉ……」

反撃失敗。

 

「もし、そんな事言われても、私が……私達がちゃんと実績を上げて、批判なんかさせません!」

藍華ちゃんは、胸を張りながら宣言しました。

 

「うむ。よく言った!」

「はい。晃さん。ありがとうございます」

「晃さん、お嬢ぉぉ……」

あゆみさん、玉砕です。

 

 

「私も、あゆみさんと藍華ちゃんの姫屋って見てみたいです」

私も嬉しさのあまり、つい言ってしまいました。

 

「きっと、あゆみさんと藍華ちゃん。二人の優しさと暖かさと笑顔が、姫屋のウンディーネさんや、お客様ひとり一人に染み込んでいく、そんな素敵な、お店になりますよ」

 

「っかー! 灯里ちゃんまでっ。

ああ、まったく。三人のプリマから言われちゃ逃げられないなぁ……」

あゆみさんは、がっくりと、うなだれました

 

「あゆみさん?」

でも、あゆみさんは、再び顔を上げながら、こう力強く言ってくれました。

 

「分かりました。この、あゆみ・K・ジャスミン。及ばずながら、姫屋の藍華お嬢のために一生懸命つくさせていただきます。

 お嬢。副店長就任。ありがたく、お受けします」

 

「うりゅ……あゆみさん。ありがとう」

素敵な泣き虫さんの藍華ちゃんが、うるうるしてます。

でも、私も少し、うるうるです。

 

「私からも頼む。藍華を助けてやってくれ」

「はい。でも、お嬢、晃さん」

「はい?」

「なんだ?」

 

「私はこの先もずっと、プリマになるつもりは……トラゲットから離れるつもりはありませんから。

ARIA・カンパニーのプリマ・ウンディーネ。遥かなる蒼(アクアマリン)こと、水無灯里さんが証人ですよ」

「はいはいはい」

 

「はひ。私もしっかり聞きました。あゆみさん、副支店長、就任おめでとうございます」

「いや、あの。そうゆう意味じゃ……」

 

「よし!」

パンっと晃さんが両手を合わせます。

 

「そうと決まれば、前祝いだ。 ここは私がおごるぞ。モエッキ追加だ」

「やったあ!」

「わは~い!」

「ぷいにゅううう!」

喜ぶ一同をしりめに、あゆみさんは ー

 

「っかぁぁぁ……」

と、深い深いタメ息をつきました。

 

 無条件降伏でした。

 

 

 

 ****

 

こうして、朝から始まったハイジャック事件。

姫屋カンナーレジョ支店、副支店長事件は、めでたく解決しました。

 

「いや、灯里。解決ってなに? つか、事件でもないし……」

藍華ちゃんの突っ込みは無視して( 無視かよ!by藍華 )

私の今日のお話は、お終いです。

 

 

アイちゃん。

アイちゃんにすすめられたように、物語風に書いてみたけど、どうかなぁ?

読み返すと、ちょっと恥ずかしいよ。

でもいつものメールじゃなくって、書いてて楽しかった。 えへへ。

 

 そうそう。

その後の事、書きますね。

 

あゆみさんは、めでたく藍華ちゃんのお店で、正式に副支店長に就任しました。

やっぱり最初は、シングルが副支店長って事をよく言わない人がいたみたいだけど、

晃さんの賛同の言葉や、それ以上に歓迎する声が大きくて、今では、あゆみさんは姫屋カンナレージョ支店にとって、なくてはならない存在になってます。

 

おかげで藍華ちゃんも、面倒な事にとらわれず、どんどん新しい事にチャレンジしてるみたい。

あゆみさんも、支店の運行や予約の確認。ウンディーネの健康管理とか人生相談(?)とか、いろんな事に、いそがしく飛び回ってるみたいです。

 

でも、あゆみさんは-

 

 「これがウチの、一番の息抜きなのさ」

 

-って、忙しい中、今でもトラゲットを続けてます。

あの、いつもと変わらぬ笑顔と優しさで。

 

きっと藍華ちゃんのお店は、あゆみさんがいる限り、これからもどんどん発展していくだろうな。

素敵だね。

 

 

 

 灯里さん。

ホントに物語風にしてくれたんだ。

うふふ。ありがとう。とっても面白かったよ。

 

 うん。

きっとあゆみさんも、灯里さんや晃さんのように、藍華さんにとって、なくてはならない人なんだね。

うらやましいな。私もいつか誰かにとって、そんな存在になりたいなぁ。

 

 そしたら、きっと………

 

 

………

………

………ところで灯里さん。

舟とかの時は、ハイジャックじゃなくて、シージャックなんじゃ……

 

 

………

………

はひい!?

 

 

  「 Sentineti singoio(シングルへの こだわり)」 - La fine

 

 

 




後書きのようななにか

 「Sentineti singoio」
本編タイトル。イタリア語表記なのは……若気のいたりです。お察しください(鹿馬)
某ネット翻訳なので、本場の人からみれば、頓珍漢な単語かもしれません。お察しください(大鹿馬)

 あゆみ・k・ジャスミン
本編の主人公。姫屋のシングル。 トラゲット三人娘のひとり。私愚作の中では今後、いろんな目に会う人。

 水無 灯里&アリア社長
ARIA・カンパニーのプリマ・ウンディーネと「白くてニクい」あんちくしょー!(笑)
私愚作は基本、漫画やアニメ時間軸・外のお話しが中心になります。

 藍華&晃
姫屋のプリマ・ウンディーネ。 
はっ! 今、気が付いたんですが、ヒメ社長がおらん!!(爆鹿馬)

 アイ
いずれこの子も登場予定。でもその実態は謎! という不思議な娘。
ある許可が下りれば、苗字や名前(漢字)を特定するかも……(激鹿馬)

今後、私愚作は月いちのペースで掲載させていただく予定です。
予定です。お察しください(弩阿呆)

次回も御贔屓のほど、よろしくお願いします。
 
 それではいずれ、春永にー 

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