【ARIA】 その、いろいろなお話しは……(連作) 作:一陣の風
それではみな様。しばらくの間のお付き合い。よろしくお願いします。
そうだ。
すべてのウンディーネがプリマになれるわけではない。
そして。
大部分のウンディーネ達はプリマになれず、シングルのまま、ひっそりと引退していくのだ。
『 Cerimonia di pensionamento 』
シングルの引退式に、公的なセレモニーもイベントもありはしない。
ただ会社に。
ただ同僚達に別れを告げ、そのまま静かに去っていく。
それがシングルの引退式だ。
彼女の場合もそうだ。
長年、シングルとしてトラゲットを担ってきた彼女も、ついぞプリマに昇進することなく引退の日を迎えていた。
いつもと変わらぬ日。
いつもと変わらぬトラゲット。
いつもと変わらぬ、街の人々。
そんないつもと同じ風景の。
そんないつもと同じ今日の日の。
そんないつもと変わらぬ今日の日を終えれば。
数日後には、そっと会社を去っていく。
それが彼女の引退式。
静かな、ささやかな引退式。
「ゴンドラ、出まぁーーーーす」
やがて最終のゴンドラが岸を離れる。
彼女の操舵で、ゆっくりと岸を離れる。
緩やかにカナル・グランデを吹き抜けて行く風。
静かに揺れる水面。
穏やかな波音。
そして、燃えるような夕焼け。
なんの変わりばえのしない、普通のトラゲット。
普段の。いつも通りの。なんの変哲もないトラゲット。
「お疲れ様でした」
だから彼女は、そう言って手渡された花束が分からなかった。
「ご苦労さまでした」
だから彼女は、ここに集う大勢の人々の事が分からなかった。
そこに居たのは、普通の人々。
協会でも、所属会社の偉い人でもなく、ただ普通の ー
ただこの街に住む、普通の人々。
それは。
自分が毎日トラゲットで運んでいた、おじさん、おばさん達。
学校に向かう子供達。
愛を語らい合っていた恋人達。
トラゲット乗り場近くのお店の店主や店員達。
そんな普通の人々が、彼女にねぎらいの言葉をかけ、花束を渡し、歓声を上げ、笑顔を向けていた。
「長い間、ありがとう」
そんな街の人々が。
自分が愛する、この街の人々が。
今日を限りで引退する彼女に、心からの感謝と祝福の言葉を投げかけていた。
そうだ。
すべてのウンディーネがプリマになれるわけではない。
盛大な式典や、華やかな引退式を執り行うプリマになれるわけではない。
賞賛され、惜しまれつつ引退するプリマに、誰もがなれるわけではない。
けれど
シングルであっても ー
愛される。
この街の人々を愛し、この街の人々から愛される。
そんなシングルは確かにいた。
小さな泣き声が響く。
小さな嗚咽が漏れる。
いつも明るく、朗らかな笑顔のシングルが。
手渡された花束を抱きしめ、唇を噛み締めながら肩を震わせる。
そんな彼女を。
この街の人々が。
この街の普通の人々が。
暖かな言葉で取り囲む。
優しい声で取り囲む。
あふれんばかりの笑顔と歓声で取り囲む
愛すべきシングルを取り囲む。
それが彼女の、ささやかな引退式だった。
「 Cerimonia di pensionamento(引退式)」 ー la'fain
一読してすぐにお気づきのように、本作は某・缶コーヒーのCMのパチモノです。
いわゆる「時事ネタ」?(鹿馬)