二学年に上がって少し経ち、大型連休へと入ったIS学園。
その休みを利用して遊びに行ったり実家に帰ったりと生徒は忙しそうだが、俺は別の意味で忙しい。
俺だって出来ればこの大型連休を真耶さんと一緒に過ごしたい。
しかし、そうも行かない理由があるのだ。
俺は政府の人間として武者であり、日雇いアルバイトのように六波羅の仕事を手伝ったり、そして………福寿荘の副板だ。
大型連休に入るのなら、当然飲食業はかき入れ時であり忙しい。
別に手伝えと言われた訳ではないが、大恩ある福寿荘の皆が大変な時に手伝わないなんて有り得ない。
ここでもし、真耶さんに其方より私を優先して、と言われたら凄く悩んでしまうが、たぶん此方を優先してしまうかもしれない。恩義には恩義でお返しするのは当然だ。
まぁ、これが茶々丸さんだったり童心様だったりウォルフ教授だったりしたんだったら、速攻で断るのだが。
そんな訳で俺は大型連休の初日から福寿荘に泊まり込みで仕事をしなければならない。
そのことを悲しみながらも真耶さんに伝えに行ったら、何と真耶さんは俺の予想を斜め上に超えた。
「………と、言う訳で福寿荘の手伝いをしなくてはならないので、この大型連休はすみませんが一緒にいられないです。そのかわり、その後はもっと一緒にいますから」
俺は凄く申し訳なく思いながら真耶さんにそう伝えた。
きっと悲しそうにしながらも笑顔で頷いてくれるのだろう。心が痛い……
しかし、俺にそう言われた真耶さんは花が咲いたような笑顔になり、嬉しそうに俺に答えた。
「はい、分かってます。だから……私も一緒に行って働きます!」
「え? ………いや、それは無理ですよ!」
満面の笑顔でそう言われ、あまりの衝撃に少し思考が停止してしまった俺は慌てる。それを見ていた真耶さんはイタズラが成功したような笑顔でさらに嬉しそうに言う。
「実は数日前に福寿荘の板長さんから連絡があって、『たぶんこの大型連休にあいつが来ると思うので、是非とも遊びに来て下さい。呼ぶ予定ではありましたが、どうせあいつのことです。此方が言わなくても察して来るでしょう。ですので、あなたが来てくれればあいつも喜びます。 追伸……丁度仲居が一人足りないので手伝ってくれると有り難いです』と連絡を受けたんでお受けしました。だから、私も一緒に行って働きますよ」
嬉しそうに語る真耶さんを見て内心突っ込みを入れたくなる。
何で板長はそんな話を真耶さんに振ったんだ! と言うか、そもそもあの人携帯なんて持っていたのか! あげくは何で真耶さんのアドレスを知っているんですか、板長!!
突っ込んだら切りがなくなりそうなのでこれ以上は止めておこう。
取りあえず、向こうは既に準備を終えているらしい。でも、それでも俺は止めようと説得を試みる。本当は一緒に働けると言われて嬉しいが…
「いや、でも学園の仕事が!」
「そう思って頑張って連休中のお仕事も全部終わらせてきました! だから大丈夫ですよ」
「それは凄いですけど、でも、仲居の仕事は結構難しいんですよ!」
実際にやったこともないのにそう言ってしまう俺は相当に間抜けなのだろう。
それを聞いた真耶さんは俺の様子を見てクスリと笑う。
「旦那様はやったことがあるんですか?」
「ぐっ!?」
最早お見通しだと言わんばかりの様子に俺は何も言えなくなる。
そして真耶さんは俺にだけ通じる止めを刺してきた。
俺を上目使いで見つめると瞳を潤ませる。そして……
「駄目……ですか?」
俺に甘えるような声でお願いしてきた。
その破壊力ときたら凄まじく、俺は胸が高鳴って仕方ない。
この保護欲を誘う可愛らしいお願いを断れる猛者などいないと断言出来る。
故に………折れた。
「わ、分かりました。一緒に行きましょうか」
「はい! 頑張りましょうね、旦那様」
心底嬉しそうに笑う真耶さんに、俺も気がつけば笑顔で喜んでいた。
そして真耶さんと福寿荘で住み込みで働いて現在……やはり福寿荘の板場は地獄と化していた。
大型連休ということでお客さんが多く押しかけ、満席状態になってしまっている。
そしてその満席状態の注文をこなそうとすれば、板場は大わらわだ。
「おい、この味噌汁作ったの誰だ! 火ぃ通しすぎだぞ、馬鹿野郎ぉっ!!」
「す、すみません!」
「煮魚定食出来ましたよ! 配膳急いで下さい!」
「は、はい~!」
板場では怒声や罵声が飛び交い、職人達がばたつきながらも料理を完成させ運んで貰っていた。
当然俺も自分の手を休めることなく動かし、他の人の料理の確認を行っていく。
副板になってからはそういう仕事も増えてきた。
「この煮物は煮過ぎだ! 早く作り直してこい!」
「は、はい!」
「この天ぷらは良い揚がり具合だ! よし、持って行け!」
「あ、ありがとうございます!」
「誰だ、このゴボウのきんぴら作った奴はっ!! 下処理が甘過ぎて泥臭い! 生ゴミ作ってんじゃない、こんなもんお客さんに出せるかっ!」
「す、すみませ~ん!」
と、指導も込めて罵声を飛ばす。
その様子を見て龍さんがニヤニヤと笑いながら話しかけてきた。勿論、その手元では高速で料理を仕上げている。
「お前も随分そういう姿が板についてきたな。最初は人に怒鳴ることも上手く出来なかったってのによ」
「龍さんのを参考にしているんで。正直龍さんの真似ですよ」
「言うようになったじゃねぇか」
そんな風に二人で苦笑しながらも手は止めない。
煮物、揚げ物、蒸し物、焼き物、それらを絶え間なく見ては仕上げていく。
そんな中、板長はというと見た目の様子に反して凄い速さで注文をこなしていた。
武者では師範代が人外だが、料理では板長はきっと人外だと思う。
そんな風に追われているが、その心は決して焦っていない。何故なら……
「すみませ~ん。天ぷらと揚げ出し豆腐、それと筑前煮はまだ出来ませんか~!」
そんな地獄と化した板場に、天使のような優しい声が時折聞こえてくるからだ。
その声の先を見ると、仲居姿の真耶さんが此方の様子を窺っていた。
その姿を見た瞬間、全員の頬が緩む。
真耶さんの仲居姿は、何だか素朴だけど可愛らしくて目を奪われてしまう。
ずっと見ていたくなるが、それではお客様に料理が届かなくなってしまう。
だから俺は出来上がった料理を零さないようにしつつ、真耶さんの元へ持って行く。
「すみません、真耶さん。お待たせしました。熱いから気を付けて下さいね」
「はい、旦那様」
真耶さんは俺に柔らかく微笑むと、大切に料理を運び始めた。
その後ろ姿を少しだけ見つめていたら何やら後ろから視線を感じ振り返る。その先では板場の全員がニヤニヤと笑って俺を見ていた。
それが恥ずかしくなり、俺は客席に聞こえるんじゃないかと言う程の大声で叫ぶ。
「全員 仕事しろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
その叫びを聞いて皆急いで調理に戻るが、俺は自分の顔が真っ赤なままなことが恥ずかしくて仕方ない。
ここに来て真耶さんが働き始めてからこんな感じだ。
板場の皆は口々に『可愛い』『綺麗だ』『胸がでかい』『若い』と真耶さんを褒めたり見惚れたりしている。恋人がそういう風に思われているのは嬉しいやら複雑やら。
でも、真耶さんの御蔭で仲居の仕事は大助かりらしい。
女将さん曰く、
「筋がいいからすぐに仕事を覚えて。彼女はとても優秀なのね。偶に転んだり食器を墜としちゃったりするけど、そういうのもご愛敬として取られてるみたいで、お客様の受けもいいのよ」
とのこと。
真耶さんも仕事が面白いと言って終始笑顔で働いている。
そんな真耶さんも可愛らしくて、俺は頬が緩んでしまうのだ。
そしてその癒し効果は板場でも発揮されて、真耶さんが板場に来る度皆忙しさも忘れて癒されるのだ。
その後みな口々に、
「アレが織斑副板長の奥さんなんだぜ」
と言うのがこそばゆく嬉しいが、それで冷やかされるのは大真面目に怒った。
そのことに板長は何も言わなかったが、俺と龍さんは板長の口元がつり上がっているところを見ている。
癒されるのは良いのだが、だからといって仕事が終わっている訳ではない。
すぐに癒された後はまた地獄へと復帰するという流れがここ最近の流れだ。
そしてしばらく地獄が続き、それがやっと静まってきた頃に俺と真耶さんは二人で昼食を取る。
店の奥にある従業員用の休憩室で俺は余り物で作った昼食を持って、俺達は席に付いた。
「どうぞ、真耶さん。あり合わせで申し訳無いですけど」
俺はそう言いながら出来た料理を真耶さんに渡す。
ちなみにメニューは余り野菜のかき揚げなどの余り物で作った天丼である。
「そんなことないですよ! 旦那様の作ってくれたお料理はとっても美味しいですから!」
真耶さんが嬉しそうに笑う。そう言ってもらえることが本当に嬉しい。
そして二人で手を合わせていただきますを言う。
「「いただきます」」
そして真耶さんが一口食べると、途端に頬を紅潮させてとろけるような甘い声で嬉しそうに感想を言う。
「はぁ~~~、美味しいです。女の子としてはどうかと思っちゃうんですけど、やっぱり旦那様のお料理は美味しい~。こんな美味しいお料理を食べれて幸せです~」
その感想に俺は胸が幸せで一杯になる。
恋人のために作った料理を美味しいと言ってもらえて満足してもらえるというのは、作った側として幸せで仕方ないのだ。
そして俺も一口食べるが、悪くない。
そんな風に二人で幸せに見つめ合いながらお昼を食べていたのだが(流石にはい、あーん無し)、その幸せは突如としてぶち壊された。
「た、大変です、副板長! 来て下さい!!」
いきなり板場の職人の一人が休憩室に転がり込んできた。
そのことに驚き短い悲鳴を上げてしまう真耶さん。
俺は取りあえず一回だけ深呼吸して入って来た人に話を聞く。
「一体どうしたんですか?」
俺の落ち着きをみて入って来た人も息を整えつつ、静かに報告し始めた。
「そ、それが……お客様が一人料理を食べて怒りだしてしまって……」
「怒りだした? もしかして何か粗相か料理に問題でも?」
「はい! それがどうも、出した味噌汁が不味いと仰られて」
「「お味噌汁?」」
それまで会話を聞いていた真耶さんと二人で首を傾げてしまう。
まさかお味噌汁で苦情を貰うとは思わなかった。
「それで、それを作った奴を呼んでこいと言って仕方なくて。呼ばれた吉川が今、そのお客様から罵倒されています。余りにも凄い罵倒で、吉川の奴がもうヤバイです。いろいろと」
「分かりました、俺が向かいます。板長と龍さんは?」
「お二人とも今は席を抜けています!」
それで俺に話が来たのか。
「旦那様……」
そんな話を聞かされて後、真耶さんが心配で不安そうな眼差しで俺を見つめる。
その不安を和らげようと、俺はニッコリと笑いかけた。
「大丈夫ですよ。すぐ終わらせますから」
「だ、だったら私も一緒に行きます!」
真耶さんは俺に強くそう言うと、席を立ち上がった。
あまり口汚い言葉を聞かせたくはないが、そこには教育者ならではの納得させられる迫力があったので、俺は喜んで聞き入れた。
真耶さんと一緒ならどんな物でも怖くない。
そして客席の方へ向かうと……
「貴様、舐めているのか! この程度の事も出来なくて何が料理人だ! いっそ止めて死んでしまえ!!」
「すみません、すみません……」
憤る五十代の巌のような男性に、必死に泣きながら土下座をする職人(吉川)がいた。
周りのお客様もその剣幕に気まずそうにしている。
流石にこれは不味いと思い、俺は急いでその中へと飛び込んだ。
「お客様、それいっ『そこまでにしてもらおうか、雄山! いい加減にしろ」」
そこで言葉が途切れてしまった。途中から別の男性が飛び出して止めに入ったからだ。
男性は二十代後半でくたびれた黒いスーツを着ていた。
その男性と俺を見て、その怒っているお客様は大声を上げる。
「ぬぅっ、貴様は志郎! それにそこの職人はあの時儂に泥を塗った客ではないか!!」
「「あっ!」」
そしてお互いに気付いた。
前に真耶さんとディナーに行った時に鉢合わせた料理評論家と、止めに入った人だと。
こうして何故か、この後翌日に三人での味噌汁勝負ということになってしまった。
何故か最近厄介ごとばかりで仕方ない気がする。
あ、何だ、いつものことじゃないか………。