簪が一夏に協力を頼んでから数日。
彼女はその数日間に驚き過ぎて己の感性が可笑しくなってしまうのではないかと疑ってしまう程に驚き続けていた。
それはそれまで自分一人で制作していた時よりも効率が上がったからなどと言う生優しい物ではなかった。
初日、彼女は一夏に取りあえず指示を出して動いて貰おうと思っていた。
いくら座学が成績一位とは言え、実際に機体を弄くるのは初めての事。それに一夏は武者である。簪の知っている武者という存在は、古き良き礼節を大事にする武人………単純に言えば古くさい人種だ。
まぁ、あくまで彼女の知る武者というのが、アニメや時代劇なんかで出て来るものの知識と言うだけなのだが。その点、一夏は規格外過ぎてそのどれにも当てはまらない。この男に相手を敬う礼節など存在しないのである。
それに同じ理由からプログラミングの方も正直当てにしていなかった。
これは一夏が彼女の優れた点を上げた通り、自分の方が優れているのだからそれは自分でやった方が良いと思ったからである。
決して邪険に扱っているわけではないが、そこまで出来るとは彼女は思っていなかった。
彼はISの『素人』なのだから。
だが、その考えは初日から覆されることになった。
簪が来てプログラムを少し弄り始めた頃に一夏も整備室にやってきた。
多少遅れて来た一夏だが、そもそも時間の待ち合わせなどしていないので遅刻ではない。それが簪も分かっているからこそ、何も言わない。
そして一夏が来たことで、簪は早速一夏に指示を出そうと一夏の方をへと顔を向けた。だが、そこで彼女は言葉を飲み込んでしまう。
何故なら、一夏は簪をジッと見つめていたからだ。
曇りのない、底の見えない深い瞳が簪を捕らえている。
その視線を感じ、簪は顔を真っ赤にしてしまった。
姉への劣等感から一人でずっと動いていた彼女だが、それでも年頃の女の子なのだ。異性と関わりが少ない彼女にとって、この場にいる一夏はどうしても意識してしまう。
何というか、気恥ずかしい……そんな感情が彼女の内から湧いて仕方ない。
異性に此処まで見つめられた事が初めての彼女は、この感情をどう処理して良いのか分からなかった。
「あ、あの………どうしたの?」
彼女は真っ赤な顔を隠したくても手が離せない現状から仕方なく顔を一夏に向けて問う。
先程言ったように、彼女は現在プログラムに手を加えている最中である。数多くの入力機器をボイス・コントロールやアイ・コントロール、ボディ・ジェスチャーにより操作。さらに両手両足の上下に空間投影キーボードを展開し計八枚のキーボードを同時に操作しているため、アイ・コントロールを外すくらいの余裕しかなかったのだ。
それらを操作している姿はISを起動し浮遊していることもあって、幻想的な光景となっていた。
万人が見れば間違いなく魅入ってしまう光景に一夏が見とれていたのなら、まだこの男にも人間らしい可愛げがあっただろう。
だが、簪を見ていた一夏から出た言葉は、その光景への感想ではなかった。
「………緩い。まだまだ緩すぎるものだ」
「え? それって……どういう……」
いきなりの言葉に簪は理解が追いつかない。
何が緩いのか? 一体何の事なのか分からなかった。
そのためポカンとしてしまった簪に、一夏は堂々とした様子で簪に話しかけた。
「一旦止めよ。そのような遅さでは万年掛かっても終わらぬわ」
「なっ!? そ、そんなことない! これでも私は!」
簪はやっと言われたことを理解した。
自分の入力速度が遅いと。
勿論、そんなことはない。彼女の入力速度は速く、しかもそれを八枚同時でやっているのだから、それはもう天才の域へと入っている。彼女が劣等感を抱く更識 楯無でさえ、そのような入力は出来ない。まさに彼女だからこそ出来る、IS学園最速の入力法だ。
それを遅いと言われたのだ、目の前の古いと思われる人間に。
流石に彼女でもそう言われては怒りを覚えずにはいられない。
手伝うことを願い出たが、こうも否定されては我慢ならないと彼女は怒りの籠もった視線で一夏を睨む。
だが、言われた通りに作業を止めて一夏に向き合うあたり、彼女はとても律儀な人間なのだろう。
簪に睨まれた一夏はまったく気にすることなく動き始め、先程まで簪が使っていた入力機器の前へと移動する。
それを見た簪は慌てて一夏に声をかけた。
「お、織斑君、それは!?」
簪が一夏を止めようとしたのは当たり前の事。
確かに簪の先程までの入力にケチをつけた一夏ではあるが、同じ事が出来るわけがないのだ。先程簪が行っていた方法はISの浮遊が合わさってこそ可能な方法。いくらケチを付けたところでISを使えない一夏が出来る訳が無い。
だが、一夏は簪の制止を聞かずに入力機器の前に立った。
そして周りの機器を見渡して一言洩らす。
「足りぬ」
そう言うなり、一夏は整備室に置かれていた入力機器を手当たり次第に集め始めた。
空間投影型をディスプレイが展開されるなり、その数何と簪より多い十二枚。
それに飽き足らず、更にアイ・コントロールのディスプレイが空間に映し出されたが、それが八枚。それにボイス・コントロールの表示ウィンドウが四枚にボディ・ジェスチャーで操作出来る表示が四枚。
計二十八の入力機器を繋げ始めたのだ。
それを見た簪は信じられないものを見たと呆然としてしまった。
これがまだ簪に対抗意識を持って見えを張っているのならお笑い物だが、この男に限ってそんなことは決して無い。
一夏は全て繋げ終わると、適当に持ってきたであろう椅子にどっかりと腰掛け、簪の方に顔を向けた。
その顔に表れていたのは自信に溢れた笑みであった。まったく揺るがない山の如き自信が簪には感じられた。
そして一夏はゆっくり口を開いた。
「見ておれ。これが本物の入力というものだ」
そして一夏が入力するために手を動かした瞬間、簪は言葉を失った。
一斉に動き始める入力機器達。それを操作する手は肉眼では確認出来ない程に高速で動き廻り、片手だけで三枚の空間投影キーボードの入力が行われている。
それがもう片手に三枚。そして床に展開されたキーボードが片足につき三枚、手で打つ速度と変わらない速さで入力を行っていた。
その動きを客観的に見れば、まるで阿修羅像のように見えたかも知れない。
更にアイ・コントロールのカーソルが投影され動き廻るが、片目につき四枚をほぼタイムラグ無しで操作する。左右の目を別々に動かし、八つのディスプレイをアイ・コントロールで動かしていく様は人外にしか見えないだろう。
そしてボイス・コントロールで4つ表示ウィンドウを操作するが、早口過ぎて何を言っているのかわからないくらい凄まじい入力が行われて、まるで念仏を高速で聞かされているような気分にさせられる。
ボディ・ジェスチャーを使って四つを操作するなどして、計二十八の入力機器を最大速で動かしていた。
「…………………………」
簪はこの光景を見て、本当に何も言えなくなってしまった。
目の前で行われている事が信じられない。次々と表示されては適切なプログラミングが行われて閉じていくウィンドウ、機体のポテンシャルを最大限に引き出せるように行われる出力調整など、やっていることが適当でないことが窺える。
その入力法は簪がやっていることよりも格段に難しい所では無い。
ISの補助無しに簪の三倍の量の入力機器を操作するなど、最早天才の域を超えている。彼のISの産みの親でさえ、ここまでの数を一遍に操作することなど出来ないであろう。
それを平然と目の前で行っている男が簪には信じられなくて仕方なかった。
先程まで自分が抱いていた印象が真っ先に打ち砕かれる。
武者というのは古い人間? いや、そんなことはまったくなかった。現に目の前で武者と呼ばれている男は、このIS学園で一番凄いと思っている自分の姉や彼のブリュンヒルデでさえ出来ないであろう事を平然とやってのけているではないか。
それほど凄まじい人間のどこが『古い』のだ?
誰がISの素人などと思っただろうか? これほどのプロ顔負けではすまないプログラミングが素人に出来るわけが無い。
侮っていた所の話ではない。簪は織斑 一夏という存在を見誤っていたのだ。
そのショックにめまいが起きそうになる簪。
そして三分もせずに一夏の入力は終わった。
全てのウィンドウが閉じられ、一夏は椅子から立ち上がる。
そして簪の方へと歩き出すが、その前に一言だけ言葉を洩らした。
「脆い」
その言葉を聞き取った簪はやっと意識をはっきりさせ、疑問に首を傾げる。
脆いとは、一体何のことなのか?
そしてそれは、一夏が簪に話しかけた事ではっきりした。
「新しい入力機器を用意しておけ。もう使えん」
「え?」
簪がどういうことか聞こうとした途端、何かが炸裂するような音が鳴り、先程まで一夏が打ち込んでいた入力機器が火花を散らし始めた。中には煙を上げ始める物や爆発する物も出てくる始末である。
先程まで稼働していた入力機器が壊れていく様を見て、簪は一夏が言っていたことを理解し、そして戦慄した。
稼働限界を超えて壊すなど、最早人の業ではないと。
その恐怖を一夏に抱きつつも簪は言われた通りに入力機器を新しい物に変える。
そして中のプログラムを確認し、更に戦いた。
そのプログラムは大胆でありながら精密にして緻密。簪など目では無いほどに素晴らしい。企業の人間や研究者でもここまで凄い物は作れないだろう程の出来映えであった。
簪は先程の凄まじさを思い出しつつ一夏に問いかける。
「お、織斑君……何であんなに……上手なの?」
その質問に対し、一夏はニヤリと笑みを浮かべ答えた。
「あの程度出来なくては編纂など出来ぬ。理を理解し、己へと編纂し蓄積する。その方法は当然現代の物も含まれておる。PCなど出来て当然のこと。打ち込むのに尻以外ならどこでも使えるわ」
それを聞いた簪は、あまりの常識外に真っ白になってしまった。
これが初日の驚愕。
その後もさらに簪を仰天させる事が続き、彼女の感性は破壊される事となった。