更識 簪はいきなり現れた一夏に先程言われたことを大いに恥ずかしがり、それでしばらく恥ずかしさに身悶えしてやっと思考が正常に戻り始めた。
だからこそ、彼女はこの部屋に入ってきた一夏を睨み付け問いかける。
「何で……貴方がここにいるの……織斑 一夏君?」
一夏の噂はこの学園全てに轟いている。
今年イレギュラーで入って来た規格外。今までの常識を覆した超越者。ある種に於いてはあの篠ノ之 束と同等かそれ以上。知識を求め、まるで乾いた砂の様に瞬く間に吸収する智に餓えし者。
彼女が知っているだけでもこれだけある。実際はこの倍以上はあるだろう。
しかし解せないのは、そんな怪物が何故こんな所にいるのかである。
何故一夏がここに来たのか、その真意が彼女には測りかねていた。
それなりの予測は付く。ここは整備室なのだから普段は触れられないような部分にも触れることが出来る場所だ。彼のような探求者には興味深いものがあったのかもしれない。
しかし、彼女の予想からはまったく違ったことを一夏は答えてきた。
「何、貴様のISを見させてもらおうと思うてな。貴様の姉から組むよう頼まれた」
「っ!? 嫌っ!」
簪は一夏の言葉を聞いて拒絶の意を顕わにする。
彼女は姉と確執があり姉のことが苦手だ。それでも追いつこうと努力し、姉の成した偉業を自分も成そうと必死になっている。
姉がしたように、自分も『一人』でISを完成させると。
それには友人は勿論、姉の手を借りるなど絶対にお断りである。
だからこそ、姉の命に従って来た一夏を簪は拒絶する。
だが、そんな簪など目もくれずに一夏はズイズイと整備室へと入って来た。
簪はそれに目を剝くも、近づいてくる一夏に両手を広げて立ち憚る。
「駄目、来ないで!」
これ以上は近づくなと警戒する簪。
だが、一夏はそれに反応することはない。
そのまま進み、簪へと更に近づいて行く。
「嫌なの! 姉さんに手伝われるなんて!」
尚も進む一夏に簪は叫ぶ。
しかし、一夏は止まらない。そのまま簪の前に来るとニヤリと笑みを浮かべた。
「別に貴様を手伝おうなどとは思うておらん。また、あの小娘の願いを聞く気も無い。ただ我はISの構造を弄り学び、そして自己へと編纂したいだけのことだ」
その答えを聞いて、簪はポカンとしてしまった。
姉に頼まれたが聞く気などなく、また自分を手伝う気もないと。ただ自分が知りたいから勝手に弄らせろと言ってきたのだ。
しかし、ここで簪も退くわけには行かない。このISは彼女が一人で組み立てなければならないものなのだから。
「それでも、駄目! これは私が! 私が組み立てなければならないものなの!」
それは彼女が頑なに決めた自分の決意。誰もそれを邪魔する権利はないし、彼女が邪魔することを許しはしない。
だからこそ、噂の異常者相手であろうと引く気は無かった。
すると一夏は簪の目をジッと見つめてきた。
そのすべてを見通そうとする視線に簪はゾッとする恐怖を感じ身じろぎする。
そして何かが見えたのか、一夏は口を開いた。
「成る程。あの姉に負けじとしてあのような物を弄くり回しているというわけか………下らん」
「っ!? あなたに何が分かるの!!」
自分の努力を全て否定されたような気がして怒りが湧き起こり、簪は咄嗟に手を出してしまう。
放たれた平手は見事に一夏の頬を捕らえた。
しかし、肌が弾けるような音はしない。
「つぅっ!?」
簪は手から伝わった痛みに苦悶の表情を浮かべる。
まるで岩を叩いたような、そんな感触がしたのだ。そのため、その平手の威力は全て簪へと帰ってきた。
対して叩かれた一夏は表情一つ変えていない。
叩かれた頬も赤味一つ帯びず、何も無かったかのように平常を保っていた。
「それが下らなくて何が下らぬというのだ? 貴様は姉に劣等感を抱き、姉を超えようとしておるようだが………何を持って超えるとする?」
「そ、それは………」
さっきビンタされたというのに感情一つ揺らがない一夏に戸惑い、その問いについて考えてしまう。
確かに自分は姉を超えたい。
だが、その条件は?
超えたいという一心でまったく考えてこなかったのだ。
姉は自分よりも全て優れている。容姿も学力も何もかも。だから少しでも追いつきたくて、優れている姉に劣等感を抱きつつも頑張ってきた。
それで考えるなら、姉という存在の全てということになるが……。
「貴様がしているのは雀と鷹を同じ物差しで測っていることに過ぎん。その物差しからすれば、如何に鷹が優れていて雀が劣っているかが良く分かる。だからこそ、下らぬ。同じで無い物を同じ物差しで測ろうなど、愚の骨頂。それは間抜けが気付かずにすることだ」
「っ!? そ、そんなことない! 私はお姉ちゃんに少しでも追いつきたくて……それで……」
一夏にそう言われ、簪は言葉を失う。
どちらかが優れているかは同じ規定で測るしかない。
だが、その規定では全ての優劣を付けることは出来ないのだ。
確かに鷹は雀よりも運動能力や凶暴性などが遙かに優れている。生物としての動的能力で考えれば鷹と雀では比べるまでもない。
だが、雀は鷹以上に小回りが利き、尚且つ小食故にエネルギーの効率がかなり良い。鷹ではその運動性と巨体故にどうしてもエネルギーの消費が激しい。また、鷹が肉食で狩りでしか餌を手に入れられないのに対し、雀は雑食で狩りをせずとも畑なり水田なり、人里に出向いて餌を手に入れることが出来る。そういった観点から見れば、雀の方が生物としては優れているだろう。
簪の姉への優劣を比べるのはそういったものが入っていない。自分の物差しだけで測ってしまうため、それだけの優劣を決定づけてしまうのだ。目を少し離せば別の観点が見えてくるというのに。
一夏は更に堂々とした表情で簪に告げる。
「逆に言えば、貴様の方が優れている部分もある。確かにあの小娘はISでの戦闘や生身での戦いが上手いのだろう。身体を見れば分かる。だが、貴様と違いプログラムの入力や並列思考は苦手だ。あの性格はそれが苦手な性分だと予測出来るわ。大方その一人で組み立てたISというのも実際は一人では無かろうよ。あの小娘にそこまでの技術は無い。出来たとしても、時間が短すぎだ。貴様の方がそう言った点は優れているだろう」
「な、何でそんなこと!」
「貴様の身体、手の筋肉の付き方、視線の動きで大体は分かる。この程度分からぬ方が未熟というものだ」
「っ!? そんなことって………」
一夏の物言いに、簪は今までの価値観が信じられなくなっていた。
一夏が言っていることは少なからず的を得ていたからだ。
確かに簪はプログラミングや並列処理が高い。それを初見の人間がただ所作を見ただけで見抜いたのだ、さも当たり前のように言い切ってみせた。
そんな一夏の様子を見て、簪はどこか一夏のことを信じられると思い始めてきた。この人物なら言っていることは確かなのだろうと。その揺らがない自信を見て、彼女は自然とそう思えてきた。
簪の様子を見て一夏は再びニヤリと笑うと簪の脇を通って彼女が組み上げていたISを間近で見上げる。
「優れているも劣っているも些末な事。過程や見方でいくらでも変わる不確定なものよ。そんなものに一々左右されるなど愚か者のすること。肝心なのは如何に学び、それを己の糧として編纂できるか。そのことのみ。己を高めることだけが、唯一同じ物差しで測れる事と言えよう」
その言葉を聞いて簪はどことなく嬉しくなった。
一夏にそんな気は全くないのだが、捕らえようによっては励まされているように聞こえるから。
お前はお前だと、姉とは違う部分が優れているのだから胸を張って良いのだと。
だからか、彼女が一夏に今までずっと悩んできたことを打ち明けることにした。
「ねぇ、織斑君……私のISを一緒に……組み上げてくれない! 私のためじゃなくて、織斑君のためでもいいから! だから……」
簪の懸命な願いに対し、一夏はニヤリと笑みを深めながら答えた。
「勝手にさせてもらう。元より、そのつもりだった故な」
こうして、簪は一夏と一緒にISを組み立てることにした。