キャノンボールファスト当日。
IS学園の生徒は学園ではなく、市の臨海地区にに作られたISアリーナに集まっていた。
IS学園の行事であるキャノンボールファストは本来なら国際大会として行われるそれと大差はないのだが、少々変わっていて学園の行事というよりも市の特別イベントとして開催される。そのため、生徒は皆こうしてこの行事の際はIS学園から町に移動する様になっているのだ。
皆の戦意は常に高く、周りに集まる観客の熱気が更にそれを引き立てていく。
観客にとってこの行事は身近に生でISの競技を見れるまたとない機会なので、皆熱中していた。
そんな空気の中、参加しない一夏は千冬達と管制室にいた。
以前も説明したが、劔冑は一部を除いて高速飛行が出来ない。何故なら、そもそもの制作目的が違うからである。
ISは宇宙での活動を念頭に置いたマルチフォームスーツ。
その性能は他の兵器群を抜いていて、それ故に軍事利用に転化されるほどだ。
だが、それでもやはり……兵器ではない。
それはあくまでも便利故に其方にも使い勝手が良いというだけの話。
対して劔冑は古来から続く、人を殺すために作られた兵器だ。
その目的はぶれることなく、それのみを追求している。便利ではないが、その分そのことに特化している。
だからこそ、劔冑の本領は戦闘でありレースでは発揮されないのだ。
それが分かっているからこそ、一夏は参加しない。
彼が政府から求められているのは、戦闘力なのだから。
「わぁ~、凄く盛り上がってますね~」
管制室の窓から外の観客の多さを見て、真耶は子供のようにハシャぎ精神を昂揚させていた。
その様子は微笑ましいものであり、千冬だけでは息苦しい空間を華やかに緩めていく。
そんな真耶に千冬は苦笑を口元に浮かべながら少し呆れたように声をかける。
「落ち着いて下さい、山田先生。別にそこまで騒ぐようなことでもないでしょうに」
「あ、すみません!」
千冬に注意されて顔を赤くして恥じらう真耶。彼女は見た目の通りなのか、実年齢よりも色々と幼い所が精神的にある。身体の一部はそれに反しているというのに。
そんな二人のやり取りを見ていた一夏はゆっくりと動き出し、手に持っていた物を二人に声をかけ差し出す。
「千冬お姉様、真耶お嬢様、よろしければお飲み物はいかがでしょうか?」
元の顔が良いためか、甘いマスクに優しそうな笑みが女心をくすぐってならない。そんな笑みを浮かべた一夏に声をかけられ、真耶は顔を赤くし恥じらいながら差し出された飲み物……ティーソーサーの載っているティーカップを嬉しそうに受け取る。
「あ、ありがとうございます、織斑君! うわぁ、良い香り~」
受け取ったカップから香る香りが鼻腔をくすぐり、真耶は感嘆の声を上げた。
カップの中に入っているのは琥珀色をした液体である。
「此方はカモミールティーでございます。精神を落ち着ける作用がありますので、是非に」
「あ、ありがとうございます……」
ハシャいでいる所を見られ、そしてそれを静めるために出されたハーブティー。その意味を理解し、真耶は恥ずかしさから顔をさらに真っ赤に染めてしまった。
弄り概のありそうなその表情に一夏は満足すると、今度は千冬から声をかけられた。
「有り難く受け取るが……一体こんなものを何処で手に入れて来たんだ、お前は? この部屋にはそんな設備等は一切無いというのに」
千冬は渡されたのはマグカップであり、中には漆黒に近い焦げ茶の液体が入っていた。
その質問に対し、一夏は変わらない笑みを浮かべて千冬に答えた。
「はい、お姉様。其方はホットコーヒーでございます。お姉様の好みに合わせ、砂糖は一切入れておりません」
一夏にそう答えられ、千冬はぞわっとする感覚に襲われ背筋を震わせる。
何故なら、彼女は女生徒からそう呼ばれることはあっても、男からはそんな呼ばれ方をしたことがないから。それも実の弟にそう呼ばれることなど、それまでなかったから。
彼女が知る一夏と言えば、二年前の無邪気ながら年相応で鈍感な弟。『千冬姉』と自分のことを呼び慕う姿ばかりが思い出される少年であった。
とある理由から大鳥家に一夏を預けることになったのだが、学園に来た一夏は千冬の知っている一夏とはまるっきり変わってしまっていた。
最初は別人かとも疑ったくらいの変わりようには、千冬でさえ驚愕に目を見開いたものだ。
一夏の顔や記憶から本人であることは確かであり、一体大鳥家で何があったのか千冬は未だに気になって仕方ない。
だからこそ、今まで呼ばれ慣れていた名で呼ばれないことに慣れていない千冬であった。
「そうか…………うん、確かに美味い。いや、そういうことではなく、何でこんな本格的なコーヒーやハーブティーがあるんだ? この場にはケトルも何もないだろうに。明らかに淹れ立てだろう、これは」
「はい、その通りでございます。大鳥家の執事たる者、この程度のことは出来て当然でございます」
千冬の問いに、さも当然のように畏まった様子で答える一夏。
執事とは、いかなる時であろうとも主と共にある者。それ故にいつでも主のために飲み物を淹れるのは当たり前のことなのである。
どこにそんな道具がしまってあるのかなど、聞いてはいけない。執事はそれが出来る。ただそれだけなのだ。
一夏の反応に千冬はもう突っ込むのを止めた。
似たようなことをコレまで何度も突っ込んだが、それが明かされたことがないのは既に知っているからだ。
代わりに鼻を軽く鳴らし、その前に言っていたことを注意することにした。
「何度も言っているが、『織斑先生』だ。お姉様と呼ぶな」
照れくささを紛らわす溜めに出たこの言葉。それを察しってなのか、一夏は変わらない笑みを浮かべながら返事を返す。
「それは申し訳ありませんでした、織斑教諭様」
「むぅ………ま、まぁ、いいだろう。気を付けろ」
一夏の反応に何とも言えない千冬。
そんな千冬を見て真耶は何を思ったのか少しからかう様に笑いながら千冬に話しかけた。
「織斑先生もお嬢様って呼ばれたいんですかぁ? やっぱり女の子ってそんな風に呼ばれるのって夢ですし」
真耶のちょっとしたからかいに対し千冬は真顔で真耶の目を見ると、ニンマリと笑い返す。
「そうだ、山田先生。明日は確かISの総合点検の日だったな。その際に起動確認として軽く近接戦闘のテストの相手をしてもらうのはどうかな。もちろん、お礼はするぞ」
「い、いえ、結構です!!」
真耶はまずいと思い断るが、既に千冬に捕まってしまっていた。
その後思いっきり絞られたのは言うまでも無い。
「ひぇ~ん、酷い目に遭いました~」
「まったく……」
少しして涙目になっている真耶と呆れ返る千冬がそこには居た。
毎度一夏のことを使ってからかおうとするが、毎回このように返り討ちにあう真耶。何故学ばないのだろうと皆が思うが、それを注意する人物は誰もいない。
そしてやっと元の状態に戻った所で、真耶は一夏に笑顔で話しかけた。
「そう言えば織斑君、皆さんに応援の言葉をかけてあげないんですか?」
その皆さんというのが一夏を慕う5人の少女達のことであることは、一年一組の人間なら誰もがわかることだ。
その質問に対し、一夏は畏まった様子で答えた。
「いえ、私が話しかけてはせっかくの集中も途切れてしまうというもの。故に声をかけるというようなことはいたしません」
「そうですか……ちょっと残念ですけど、織斑君がそう言うのなら仕方ないですね」
少ししゅんとしてそう答える真耶に一夏は申し訳ありませんと短く答える。
一夏が言っていることは本当であり、せっかく高まっている5人の精神集中が一夏が現れることによって別の方に向いてしまうので、彼の選択は正しい。誰もレースの邪魔はしたくないのである。
そして3人の前でキャノンボールファストが始まり、各自選手が広大なアリーナを飛び始めた。
「やっぱりいつ見ても凄いですねぇ~」
飛び立つ生徒達を見て感嘆の声を上げる真耶。
既にこれまで何度も見ている光景だというのに、こうして毎回感動出来る彼女は心が純粋なのだろう。
そんな真耶とは違い、千冬は鋭い目でアリーナ全体を見渡していた。
彼女は責任者として気を緩めない。今年の新学期に入ってから行事になる度に何かしら騒ぎが起こっていることから、彼女は警戒を常に解かないようにした。
それは案に、今回も当然何かしらあるということを警戒していることに他ならない。
そんな二人がレースを見守る中、時間は経過していき箒達専用機持ちによるレースが始まった。
レース開始のブザーと共に凄い勢いで発進する箒達。
最初は熾烈な先頭争いを始めたが、少ししてから段々と首位が決まり初めて来た。
「やっぱりボーデヴィッヒさんは経験で上を行っていますね。でも、新しいパッケージを装着した凰さんも負けず劣らず……」
熾烈な首位争いに息を飲む真耶。
それを気にせずに警戒する千冬。
そんな二人を余所に、後ろで佇んでいた一夏はアリーナの上空辺りを見上げ、何やら軽く頷いた。
「お二人とも、申し訳ありませんが私は退室させていただきます。何やら……『お客様』が来たようですので」
そう二人の背に言って一夏は管制室から出て行った。
その背に、巨大なコントラバスを担いで………。