香奈枝を一通りからかった一夏とさよの従者コンビ取りあえず満足したのか、からかうのを止めて改めて話を聞くべく佇まいを治す。
「どうもお嬢様はお疲れのご様子。私の粗末な腕で申し訳ありませんが、お茶でも如何でしょうか」
一夏が未だに精神が不安定になっている香奈枝にそう言うと、香奈枝は疲れ切った表情で力なく返事を返す。
「それは貴方達がわたくしを弄り回すからでしょうに……はぁ、取りあえずお願いしますわ」
「畏まりました」
主の命に従い、一夏はニッコリと笑うと早速紅茶を淹れ始めた。
元から紅茶を飲む香奈枝の部屋にはティーセットが置かれている。それはこの屋敷で働く使用人なら誰しもが知っていることである。
ただし、それを使って紅茶をいれられるのは、限られた人間しかいない。
一夏は淀みない動作で物音を殆ど立てずに作業を行っていく。
それは最早プロのそれであり、それだけ一夏の執事としての練度が窺える。
そして美しい動作の元、暖かな湯気と紅茶の良い香りが室内に広がった。
「どうぞ、お嬢様。侍従長、お願いします」
一夏は紅茶を淹れたティーカップのソーサーを物音一つ立てずに香奈枝とさよの前に置くと一礼する。
その動作を見て香奈枝はニッコリと微笑み、さよもいつもと変わらない笑顔を一夏に向ける。だが、その内にあるのは審査する心だ。
「では、いただきますわ」
「わたくしもいただきます」
二人とも一夏に声をかけると、ゆっくりとしつつも優雅な動作で紅茶を飲み始めた。
まさに高貴。貴族としての気品に溢れた姿は誰もが見惚れるであろう。また、さよの飲み方も実に無駄なく慎ましながら堂に入っている。
そして二人は紅茶を少し飲むとカップから口を離し、ほぉっと息を吐いた。
「織斑さんの紅茶は美味しいですわ。一々そのように自分を卑下にして測られなくてもよろしいのに」
「文句の付けようがございませんね。お見事です。わたくしからは何も言うことはありませんよ」
二人の讃辞を聞いて一夏は微笑む。
その内心は主に失礼がなかったことへの安堵と褒められたことへの喜びが満ちていた。
「お褒めいただきありがとうございます。これからも精進して行きます故」
一礼して答えた一夏は主の命をいつでも聞けるよう香奈枝達の側で佇む。
それが従者として当たり前であるように。
その迷い無い動作はまさに一夏が執事であることを窺わせる。
香奈枝達はそんな一夏を満足気に見つつ、彼が淹れた紅茶を堪能する。
そしてカップが空になり、一息ついたところで香奈枝は改めて一夏を呼んだ。
「織斑さん。何故、今日呼ばれたのかわかりますか?」
香奈枝は一夏に微笑みながら問う。
それは一夏を試す行為。何故呼ばれたかを推察できなければ侍従としては非常によろしくない。主の意を酌めない執事など従者失格である。
その問いに対し、一夏は笑みを浮かべる。
眼帯故に隻眼での笑みだが、それが更に妙な不気味さを醸し出していた。
「はい、ある程度の予想は」
「それは?」
「お嬢様が『また』何かしら暴走し、周囲に多大な迷惑をかけた収拾に呼ばれたのかと」
「わたくしが何かやらかすのが前提ですの!!」
一夏にそう言われ、思いっきり声を上げて突っ込む香奈枝。
それに対し、一夏は笑みは浮かべてはいるが少し呆れた様子で答えた。
「何を仰いますやら。お嬢様がいる所、常に騒ぎが起こるのは必然でございます」
「それはわたくしがトラブルメーカーだと言っているのかしら。ねぇ、ばぁや」
香奈枝は動揺しまいと表情を堅めつつさよに話を振ると、さよは笑顔で返事を返した。
「はい、お嬢様。お嬢様がいるところは常に阿鼻叫喚となるものです。ですがご安心下さい。女性にしては背が高すぎて引かれがちで、スタイルが良いのに根がヘタレなせいでロクにアピールできない駄目駄目なお嬢様の唯一のチャームポイントでございますから」
「全くもって喜べないですわよ! 『トラブルを引き起こすのがチャームポイントです♡』ってなんですの! どう考えたって痛い娘じゃありませんの!」
誰だって自分がトラブルメイカーだとは思いたくないもの。もし自分でそう思っているのなら、それは偽物だろう。トラブルメイカーの本質は本人の意図とは一切関係せずに見舞われることなのだから。自分で口にする辺り、自覚している分若干ながらの意思の関与が含まれる。それでは違うだろう。
故に本当のトラブルメーカーは自覚しないものであり、人に言われれば勿論否定したいものなのだ。
だからこそ、香奈枝の反応は正しい。
そんな香奈枝に従者コンビは呆れた声を上げる。
「「何を今更仰っているのですか? お嬢様が痛いのはいつものことではありませんか」」
従者の共通認識であることに何を今更と答える。
本人は普通にしているようだが、その実周りからはかなりぶっとんだことをしているという認識があるのだ。
「貴方達はわたくしをそんな目で見ていたのですの! もう、本当にこの二人はわたくしの従者なのかわからない!!」
奇声を上げるかのように叫ぶ香奈枝に従者コンビは暖かな眼差を向ける。
それはお馬鹿な子を見守る大人の眼差しであった。
彼等従者は主が如何様に変人であろうとも心から仕えるものなのである。
「そのお馬鹿な子を見る目はおやめなさい! ムッキーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
再び弄られ泣きながら叫ぶ香奈枝。隙あらば主を弄るのが大鳥家従者の鉄則である。
「もう……いや………」
泣き崩れる香奈枝を見て、一夏は笑いながらコホンと軽く咳払いをした。
「さて、お遊びはここまでにしまして本題に移りましょうか」
「だったら最初から話して下さいな!!」
弄り回され心が疲弊しきっている香奈枝はそれでも突っ込む。弄られ体質でも彼女は突っ込みのスタンスは忘れないのだ。
そんな主に微笑みつつ、一夏は改めて自分が呼び出された案件についての推測を話し始める。
「私が呼び出され件。予想としましては、可及的速やかに熟すべき『お勤め』が来たからだと推察しますが、如何でしょうか?」
一夏の推測を聞いた二人は笑みを浮かべる。
だが、それは先程までの暖かみのあるものではない。背筋の凍り付くような、ぞっとする雰囲気を感じさせる笑みであった。
先程まで弄くり廻されていたとは考えられない程に余裕に満ちた表情で香奈枝は一夏に話しかけてきた。
「その予想通りですわ。今回貴方を呼んだのは、私のお勤め……生きがいをしてもらうためです。さよ」
「はい、お嬢様」
香奈枝に促され、さよはどこからら何枚かの書類を持ってきた。
「織斑さん、これを」
「はい、侍従長」
一夏はさよから書類を受け取ると、それに目を通し始める。
その様子を見ながら香奈枝は更に話を進めていく。
「今回の相手はその書類に載っている女の子です。その子を殺して貰いますわ」
蠱惑的な声で物騒な事を言う香奈枝。
一夏が目を通した書類に載っているのは黒い髪をした、一夏が見知っている人間に酷似している少女であった。
「その子の名はMと呼ばれています。本人は『織斑 マドカ』と名乗っていますけれど。何か知っておりますか?」
「いえ、生憎。私の家族は千冬お姉様だけですので」
どう見たって千冬と何かしら関係がありそうな少女相手に一夏はそう言ってのける。
その顔は変わらずの笑顔であり、動揺は全く見られない。
一夏にとって家族は千冬だけ。それ以外に血のつながりがあろうとそれは家族ではないのだ。そして一夏の優先順位は家族よりも香奈枝の方が上であり、その忠誠心は随一だ。例え普段は弄くり廻そうとも。
「そうですか。まぁ、知らないものは仕方ないですものね。では話を続けます。彼女は現在、『亡国機業』と呼ばれる犯罪組織に所属しており、世界各国で騒動を引き起こしています。それには当然、死者が出ました」
そう言った後に香奈枝はニッコリと笑みを深める。
その笑みは従者である一夏でさえ背筋を震わせるほどに凄まじい気配を放っていた。
「彼等から彼女への『復讐』を依頼されましたの。別に軍属が死ぬのなら問題はないのですが、何も関係ない一般人も巻き込んだのは感心出来ませんわね」
『復讐』……それこそがこの大鳥家、延いては大鳥 香奈枝の本分。
彼女は異常者だ。その中身は常に殺人衝動が渦巻いているといって良い。そんな彼女は普通なら殺人者になっていた所だが、それを持ち前のノブリス・オブリージェによって変質させた。力無き者が蹂躙されることが許せなかった。
その感情自体は普通だが、その後の答えが可笑しい。
だから復讐しよう。
蹂躙された弱者に変わり、その無念を晴らそう。
そう考えを実行するようになっていったのだ。
初めは小さな虫から。そして段々と大きくなり、ついには人間にまで。
その復讐には日本、イギリス両政府も関与しており、依頼という形で今まで内密に処理してきた。それほどに彼女の持つ力は強大だったからこそ、両国の政府は彼女と密約を交わしたのだ。
それは一夏に彼女の力を貸し与えられても変わらない。
彼女の代わりに一夏が……そう、
『復讐の代行者』になった。
「彼女のせいでご家族が亡くなった方々が多くおられます。その方々のご無念を晴らすべく、わたくし達は復讐の代行者となりましょう。目には目を、歯には歯を、報いには復讐を」
香奈枝の死を彷彿とさせる笑みに一夏も笑みを浮かべて頷く。
「はい、畏まりました、お嬢様」
一礼しそして傅く。
この非情な女性こそが彼の主、大鳥 香奈枝なのだから。
この後、更にさよから渡された資料でキャノンボールファスト当日に襲撃を仕掛けることがわかり、その日が復讐の報復日に決定した。