もしも織斑 一夏の劔冑が『相州五郎入道正宗』でなく、『ウィリアム・バロウズ』だったら……………。
その場合のキャノンボールファストでの話をしよう。
九月も後半に入り、秋は更に深まりを見せていく。
紅葉がより辺りを彩り、秋特有の美しい景色を広げていた。
そんな中、学園祭を無事に終えたIS学園ではあるが、生徒達は次なる行事に皆期待を膨らませていた。
その名も『キャノンボールファスト』。ISによる高速レースである。
皆そのレースに於いて、良い成績を取ろうと張り切っていた。
特に専用機持ちは自分の専用機のデータを取る貴重な機会であり、また他国の代表候補生と比較されることもあってか、より覇気を感じさせる。
そんな空気の中、ただ一人の『少年』は例外であった。
彼は今年、急遽このIS学園に入ることになった『例外』である。
このIS学園はISの操縦者や技師を育てる学園である。
ISは女性にしか操縦出来ない。だが、整備をしたり開発したりするのに男女の区切りはない。
ならば彼は技師を目指しているのか? いや、違う。
確かに区切りはないが、IS学園は主に操縦者を育てる育成機関。ほぼ女性しか居ない女の園である。
ISにより女尊男卑が主義化しつつある世間の風潮が男の技師という存在を許すわけがないのだ。
では、何故彼がここに居るのか?
ここにいなくてはならない可能性はあり得るとしたら一つのみ。
彼が『世界で初のISの男性操縦者』であった場合だ。
それならば納得も出来るだろう。今まで女性にしか動かせなかったIS。それを動かせた男性というのは、あらゆる意味で貴重だ。
何故動かせたのかを解明出来れば男でも動かせるようになる。そうなれば今の世に蔓延っている女尊男卑主義を撤廃することが出来るかも知れない。
そう言った意味でなくとも、彼は血筋上IS操縦者の最強と名高い者の肉親でもある。
以上の二つの点から鑑みて、政治的、科学的、双方共に貴重な存在である。
だが………そうではない。
彼はISを使えない。触れても起動しないだろう。
政治的に貴重ではあるが、彼の背後にいる人間を畏れ、彼に手出しする者はいないだろう。
そして彼自身、その唯一無二の『力』をもって、いかなる敵も屠ってきた強者である。
普通に勝てる相手ではない。
そんなISとは無関係な彼が、何故IS学園にいるのか?
それには春に起きた出来事を語るしかあるまい。
『織斑 一夏』という少年によって世界が激震した、あの出来事を。
春、桜の蕾みが開こうとしている三月。
その日、世界はあるニュースを見ることとなった。
内容はイギリスと日本、その両政府共同であるプロジェクトが発表された。
そのプロジェクトの名は『改革』。
今の女尊男卑に染まった世を改革するという意味で付けられたこの名は、少々どころでは済まないくらい刺激的であった。当然、その主義に染まった者は黙っていないだろう。
プロジェクトの内容もまた、正気を疑うものである。
何とイギリス、日本の両国から出た古代の兵器『劔冑』。
これを用いてISを打ち破るという到底信じられない夢物語。
だが、両国のプロジェクトチームはこれを肯定する。得られたデータから劔冑はISに充分通用するということを発表したのだ。
もし、この信じられない夢物語が本当に実現したのなら、確かに世界は変わるだろう。
女尊男卑の発端となったのは、ISには女性しか乗れないため。『史上最強の兵器』たるISを女性だけが使えるからである。
では、そのISを打ち倒す存在がいて、それが男女関係無く使える物だとしたら。
そんなものが存在すれば、女尊男卑という主義は根本から崩れ落ちるだろう。
何せ最強の兵器という名前を奪われるのだから。
これがただの根拠のない主張だというのなら笑い種だが、二カ国が共同で動いたという事実がそれを否定する。
企業の戯言ではない、国家規模のプロジェクトなのだ。笑いものでは済まされない。
そしてそのプロジェクトを推し進めるに当たってあることが決定した。
それが『とある男子のIS学園入学』である。
自国で取った情報など、捏造し放題で信頼性などない。
だが、彼の地はいわば治外法権の別国。その学園の性質上、取れた情報は全ての国に公表される。
その公平性のある場所で、如何に劔冑がISより勝っているのかを証明する。
そういった内容であった。
このプロジェクト、本来ならば日本だけで行うはずであった。
だが、日本政府は見つけられなかったのだ……その使い手を。
いや、正確には何人も見つけられはしたが、皆そのあまりにも強力な個性で断られてしまったのだ。
基本年若い者がいないのも原因の一端だったが、居るにはいた。
だが、その少女は表に出して良い存在ではなかった。
強すぎたのだ。
正直、ISどころの話ではない。
世界大戦を引き起こしかねない、それどころか本当に誰も勝てない。そんな、今の世界を破壊しかねない強さを少女は有していた。
日本は今の世を変えたいのであって、全世界を敵に回したい訳ではない。
故に計画は挫折しかけた。だが、そこでどこからか情報を聞きつけたある一族がそれに助け船を出した。
その名は『大鳥家』。
その一族は日本の出ながらイギリスと縁を持っている特殊な一族であり、秘匿していた劔冑を英国の女王陛下の許可の下、使用者と共に貸すと日本政府に言ってきたのだ。
それに苦渋の選択の上で乗った日本政府はその使い手をIS学園に入学させることにした。
その人物こそ、『織斑 一夏』。
ISの世界大会『モンドグロッソ』に於いて第一回目の大会で優勝し、見事最強の称号『ブリュンヒルデ』を手に入れた女性、『織斑 千冬』の弟である。
彼の人物が何故そのような一族と縁があるのか。
それを語るには少々入り組んだ事情がある。
故に完結に説明させて貰おう。
今から約二年前、第二回モンドグロッソの応援に来ていた織斑 一夏は正体不明の黒服に誘拐された。
そこで左目を負傷させられ拉致監禁されていた所を、どういう訳か遊びに来ていた大鳥家の長女『大鳥 香奈枝』とその侍従『永倉 さよ』に助けられた。
そこで一夏はこの二人についていき、以降大鳥家の執事として仕えることになった。
そのことは千冬も知っており、一応の挨拶などは香奈枝にしていたりする。
その一夏がこうして大鳥家から出向という形でイギリスの女王陛下の御名の下、大鳥家から預けられた西洋の旧式劔冑(ブラッドクルス)を用いてIS学園に性能を証明すべく入学させられたと言う訳なのである。
一夏は入学後、何度も騒動に巻き込まれては大鳥家から預かっている旧式劔冑『ウィリアム・バロウズ』を用いて鎮圧していった。
騎士として、確かな実力を世界に知らしめて。
結果、今では世界も劔冑のことを認めつつある。
その影響は大きく、世間の女尊男卑は確かに揺らぎつつあった。
そんな風に世間を騒がせている一夏ではあるが、此度の行事『キャノンボールファスト』では暇を持て余していた。
一夏がこの学園に入っているのは劔冑の戦闘力を見せつけるためであり、レースには参加する意味がないからである。
では、そんな彼は今何をしているのかと言えば…………。
IS学園の屋上にて、太く低い音が美しく奏でられる。
それは聞く者を立ち止まらせる不思議な音であったが、意識しなければすぐにでも忘れてしまいそうな、そんな儚い音であった。
彼は今、屋上で目を瞑りながらコントラバスの演奏をしていた。
その表情はどこか穏やかであり、口元には優しげな笑みが浮かべられている。
一夏がIS学園に来てから、最初こそ抵抗はあったが今では学園の皆に受け入れられつつある。その過程で彼に付けられたいくつかの名があった。
『隻眼の騎士』『雄々しき演奏家』『執事』『おりむー』
一夏は左目を負傷して以来、それを眼帯で隠している。
それもあり、また美しきコントラバスの音色を奏でることからそのような名が付けられた。
彼自身、そのような事は過大評価だと思っているが嫌いではない。
そのように親しまれながらそれなりに学園生活を過ごしていた。
そんな彼が日課のように行っているのが、この屋上での演奏である。
偶に目にした人が立ち止まる、その程度の演奏。けれど、どこか心惹かれて止まないその音色。それは一夏の精神から奏でられる大人のだろう。
そんな音に連れられたのか、演奏を終えると、数少ない一人だけの拍手が一夏に送られた。
拍手の音がした方向をゆっくりと振り向くと、そこには美しい金髪に青い瞳をした少女がいた。
「何度聞いても良い音色ですわ、一夏さん」
その少女の名はセシリア・オルコット。
イギリスの名門貴族、オルコット家の若き当主にしてISのイギリス代表候補生である。
最初はプロジェクトの事もあって一夏に嫌悪を抱いていたが、一夏と戦い負けた後に紳士的な対応によって心惹かれた少女である。
ぶっちゃけちょろい少女である。もう一度言おう……ちょろい少女である。
世間では大切なことは二回言う風潮故にそう言おう。
一夏はセシリアの姿を見ると、紳士のような笑顔でそれに応えた。
「そんな褒められたようなものではございません、セシリアお嬢様」
彼は学生だが、それ以前に執事である。
それ故に、自分は常に彼女達の下にある、というのが考え方だ。
仕えるのは主のみだが、客人に恥ずかしくないようもてなすのも執事の役目なのである。
その心は服装にも現れていて、制服ではなく執事服を着ていることからもわかるだろう。
一夏に話しかけられたセシリアはその笑みを見て頬を染める。
その優しげなマスクは見る女性を魅了するのだろう。意中の相手に微笑まれれば尚更に。
だが………。
「セシリアお嬢様の奏でるのに失敗した『鎮魂歌』に比べれば、わたくしの演奏などとてもとても」
「っ!? そ、それはもう良いですから! 一夏さんのイジワル!」
こうして主だろうが客人だろうが弄るという大鳥家侍従の特有の癖が大体を台無しにしていた。