鋼と鋼のぶつかり合う轟音が浜辺に轟く。
片や黄銅の武者。もう一方は深紅の武者。
刀と十文字槍、二つの得物が互いに火花を散らせ激突し合う。
その剣戟で衝撃が辺りに走り、砂塵を何度も宙に舞わせ、岩を砕き木々をへし折る。如何にそのぶつかり合いが激しいものなのかを窺わせた。
双方、このぶつかり合いを既に数時間に渡って行っており、日も傾いて夕陽が辺りを照らしていた。
朱に染まる世界。その世界でひたすらに技を出しぶつかり合う二騎はとても幻想的であり、美しく見える。ただの剣技と槍術のぶつかり合い、ただそれだけのことなのに、その光景は人の心に響く美を宿していた。
そして日が沈む直後、二騎は同時に動き出し、最後の一撃を互いに放った。
そこに激突音は生じ得なかった。
二騎の影が重なり合い、そして双方その動きを止める。
「ここまでのようですね」
「ああ、そうだね」
黄銅の武者……真改を纏う一夏の刀は相手の首筋の手前で止められている。
深紅の武者……村正伝を纏う真田の槍は一夏の心臓の手前で止められていた。
これらの結果がもたらすは『引き分け』。
双方ともそれを分かった上で得物を納める。
元よりこの試合は死合いにあらず。互いに引き際を考えていたところであった。
絶対に勝たなければならない戦いではない。相手の力量を見るための戦い。だからこそ……本気ではなかった。
武者の本気とはすなわち、相手を殺すことが前提である。
死力を尽くして戦う者には、此方も同じく死力を尽くして戦う。
それこそが誠の礼節。
もし、この場で二人が本気で戦おうものならば、きっとこの砂浜の地形は変わっていただろう。それだけ真打の、それも陰義を宿している劔冑の力は強大だ。
だからこそ、二人はこの試合に陰義を使わなかった。
あくまでも『試合』なのだから。
そして夕陽が沈み辺りに星の輝きが出始めると同時に二人は装甲を解除した。
二人とも疲れてはいたが、晴れ晴れしい笑顔を浮かべている。
それは互いに技を出し切った者達だからこそ浮かべられる笑顔である。
「いやぁ、強い強いと聞いてはいたが、ここまでとはね。正直、いつ斬られるのかヒヤヒヤしたよ」
「いえいえ。私もいつ穿たれるか、心臓が凍り付く思いでした。やはり槍は恐ろしいですね」
互いの健闘をたたえ合う二人。
その姿は先程までぶつかり合っていた闘気など微塵も感じさせない。
一頻り笑い合うと、一夏は笑顔を浮かべながらも真面目に真田に話しかける。
「それで……いかがだったでしょうか、私と戦ってみて?」
その問いに真田は満ち足りた表情で返した。
「はっきり言って文句ないよ。君ほどの者が協力しているのだから、国が如何に本気なのかが良くわかった」
「では」
「ああ、この件、引き受けさせて貰おう。正直君一人で充分だと思うから俺は必要ないと思うけどね」
苦笑しながら一夏に言う真田に、一夏は多少苦笑しながらも答える。
「いえいえ、そのようなことはありませんよ。まだ若輩にして未熟の身です。至らないところばかりの私では、まだまだ出来ない事の方が多い。だからこそ、真田さんのような人には是非とも入っていただきたい。それにまだ修行中の身ですからね。人に物を教えられるような人間ではありません。何より、真田さんのように後進を育てられる人こそ、これからの世には必要です」
その答えに謙虚だなぁ、と真田は笑うが、一夏は真実を述べただけである。
これからの世……劔冑がより世界に出る世界には、その性能を充分に引き出す武芸者が必要となってくる。それは今では少ない『本物の武術』を教えられる人が必要不可欠なのである。一夏はまだ修行中の身であり、後進を育てられるような能力はまだ身に付けていない。故にそれが出来る真田こそ、それこそ一夏以上に必要な人間なのだ。
「さて……もう辺りもすっかり暮れてしまったし、夕飯でも食べていかないかい? 自分で言うのもなんだが、家内の料理は美味くてね。是非とも食べていって貰いたいかな。きっと家内も喜ぶと思う」
その申し出に一夏は少し残念そうな笑顔を浮かべた。
「すみません、そのお話は実に有り難いのですが……一応は学校行事中なので其方を優先しないといけませんので。きっと旅館の方が夕飯を用意してくれているはずですから」
「そうか。なら仕方ないかな」
そしてお互いに少し話した後、別れた。
一夏は旅館に、真田は家族に新しい仕事を受けたことの報告に。
その顔は互いに良い笑顔をしていた。
一夏が旅館に戻ってきて最初に感じたのは、違和感だった。
「何だ、この感じ?」
その不可解な違和感を一夏はすぐに察する。
「……妙に静かだ。何かあったのか?」
そう、この時間と言えば旅館で生徒達が賑やかに騒いでいる頃合いである。
だが、その賑やかな雰囲気を感じられない。まるで通夜のようにひっそりとしている。
それは明らかに異常。
だからこそ、一夏は急ぎ足で千冬達教員を探し始める。
まずは現状が何故こうも可笑しいのか、それを聞き出さなくては始まらないから。
旅館に入ると、すぐに一夏に何かが飛びついてきた。
それを咄嗟に一夏は受け止める。
それは………
「いっくん……どうしよう、いっくん! 私……」
涙をボロボロとこぼして泣いている束であった。
一夏は話を聞くためにも落ち着けるために、束を優しく抱きしめて頭を撫でる。
その際、束の豊満な胸が一夏の胸に押し潰されていたが、このような状態で劣情を抱く不埒者はいない。
「あ………」
「落ち着いて下さい、束さん。まず、どうして束さんが泣いているのか、それをゆっくりでいいですから話して下さい。せっかくの美しい顔が悲しみに曇ってしまっては、俺も悲しくなってしまいます。だから、まずゆっくりでいいですから……俺にあの可愛らしい笑顔を見せて下さい」
束の頭をゆっくりと撫でながらあやす一夏。
その様子はまるで父親か教師のようであり、どちらが年上か分からなくなる光景であった。
束はしばらく一夏に身を預けた後、少しだけ落ち着いたようで泣き止んだ。
「あ、あのね、いっくん……ありがとう……」
「いえいえ、俺は特に何もしていませんよ。それよりも束さんが泣き止んでくれて良かったです」
笑顔でこう答える一夏を束は正直直視出来なくなっていた。
(こ、これじゃどっちが年上なのかわからないよ~! あ、あぅ~~~、いっくんって何でこんなに格好いいんだろう)
一夏にバレないように顔を逸らす束だが、その顔は真っ赤に染まっている。
その様子に一夏は取りあえず大丈夫だと判断し、改めてこの状況について問う。
「それで……どうしてこんなに旅館がひっそりとしているのでしょうか? 束さんが悲しんでいることに関係がありそうですね。話して……くれますか?」
「う、うん……。そのね、あのねっ!」
慌て始める束を一夏は見つめながら待つ。
「今日、箒ちゃんの誕生日でしょ。だから私、箒ちゃんのために一生懸命作った最高傑作のISをプレゼントしたんだ」
「確かに箒の誕生日ですよね。俺もちゃんとプレゼントは用意してましたし」
別に何てこと無い話。
家族に一生懸命作った物を誕生日に上げるだけの普通の話である。
それが世界でも初の第四世代型のISであろうと、一夏は驚くことはない。
何せただ、姉から妹にプレゼントを渡しただけなのだから。
「それでね、箒ちゃんの専用機持ちデビューのために、ちょっとしたサプライズを用意したんだ」
「サプライズ?」
「うん。アメリカ、イスラエルが共同開発しているIS『シルバリオ・ゴスペル』。これを暴走させて暴れさせる。それを箒ちゃんのデビュー戦に当てようととしたの……その筋書きで」
傍から聞いたら明らかに犯罪にしか聞こえない。
きっと十人が聞いたら、全員が犯罪だと決めつけるであろう、その発言。
しかし、一夏は優しく微笑みながら束に話しかける。
「傍から聞いたら不味い話だけど、そうではないんでしょう? 束さんのことだ、ちゃんと話は通してある。違いますか?」
一夏は束がどういう人物なのかを知っている。
神にも等しい頭脳に、外見からは想像も付かないくらい幼い精神。
だけど、それだけ家族思いの優しい女性だと。
束はそんな一夏の言葉に再び涙をこぼしながら答える。
「うん、ちゃんとアメリカにもイスラエルにも国際IS委員会にも話は通したよ。『そういう設定』で実際には福音に正常に動いてもらう予定だったし、両国にISコアを二つずつ新しくプレゼントもした。それに第三世代のヒントも結構送ったし。向こうも第四世代のデータが取れるって喜んでたし」
束が言っていることは事実ではある。
実際は両国とも苦い顔をしたが、数々の贈り物で懐柔された。
流石に第四世代を寄越せといった要望は流石に真面目に怒り、やろうものならアメリカとイスラエルのISコアを停止させると脅したが。
束のたどたどしい説明をじっくり聞く一夏。
この傍から聞けば世界レベルでの八百長試合。もし正義感溢れる者ならば本気で怒り出すであろう。だが、一夏はそうではない。
人の思いを一夏は尊重するから。
束はただ、妹を輝かせたかったから。ただひたすらに妹のためを思って……
その家族のためを思った行動理念自体を、誰も咎めることは出来ない。
「なのに………福音は本当に暴走した……」
束は悲しそうにそう告げる。
「誰かが勝手に暴走させたんだ! 勿論、私はしてないし、イスラエルもアメリカも本当に謝ってきた。渡したコアも返すと言ってきて、ちゃんと謝罪してきたよ。だからこの二つの国が犯人じゃない。犯人なら知らんぷりしてコアは貰ったままだろうから。その所為で本当に箒ちゃん達が出撃になっちゃった!」
そのまま崩れ落ちる束。
一夏はそっと抱き留めた。
「手加減無しの軍用ISに、いくら第四世代機が性能で勝っていてもまだ箒ちゃんは十五歳の女の子なんだよ! 性能で勝ってても、それをまだ使いこなせていないんじゃ勝てないよ。いくら他の専用機持ちが一緒でも! このままじゃみんな死んじゃう!」
今にも壊れてしまいそうな束を一夏はひたすら抱きしめることしか出来ない。
「……こんなことを言うのは身勝手だって分かってる。でも……たすけて、いっくん……」
それは心の底から出た言葉。
その言葉を持ってして、一夏は今の状況と自分がどうすれば良いのかを理解する。
だからこそ、束の頬に手を添えて自分の方に優しく向かせる。
束が一夏の方に顔を向けると、キス出来るくらい近い距離に一夏の顔があった。
その瞳には、束の姿が映し出されている。
「わかりました。俺は今すぐ、箒達を助けに行って来ますから。だから束さん……笑って下さい。あなたは笑顔が一番美しいから」
「あ……」
全てを包み込み安心させるような笑顔を浮かべ束にそう答える一夏。
束はその笑みに心奪われ、ただ見惚れていた。
もう大丈夫だと判断した一夏はゆっくりと束から手を離す。束はその場で座り込んだまま一夏を見つめていた。
「では、行ってきます。千冬姉に俺が行くことを伝えといて下さい」
そう言うと、束から少し離れる。
そして未だに戦っているであろう箒達がいる海の方角を向きながら、己が力を呼ぶ。
「来い、真改」
その呼びかけに巨大な黄銅の百足が一夏の元へと走ってきた。
一夏は相棒に向かって話しかける。
「真改……どうもこの騒ぎには美しい物を汚そうとする者達がいるらしい。それを俺は……『許せない』」
その一瞬、束からは何も見えないし感じなかっただろうが、とてつもない殺気が一夏の前に発せられた。
鳴いていた虫たちが一斉に鳴くのを止めて隠れ、鳥や獣はその場で泡を吐いて気絶する。
まさに全てを殺す殺気。周りの木々も怯えているように、木の葉の擦れる音一つ立てない。
そして一夏の顔は……激情を顕わにした、まさに阿修羅の顔であった。
見る者全ての命を握り潰す、そんな顔。
もし、この顔を束が見ていたら、いくら想い人であろうと恐怖の余り心臓発作を起こしていただろう。それくらい凄い怒りようであった。
一夏はそのまま装甲の構えを取り、誓約の口上を口にする。
『いかで我が こころの月を あらはして 闇にまどへる ひとを照らさむ』
そして真改を装甲した一夏は飛び立った。
今なお戦い続ける仲間を守るために。美しいものを守るために。
そして……
それを汚そうとするものを殲滅するために……。
今、美を愛する破壊者が戦場へと向かっていった。
福音に告げる……
逃げて、超逃げてぇええええええええええ!!