そして百足の出番がまだ来ない……
昼間精一杯海を堪能したIS学園一年生の高まるテンションは収まることを知らず、夕食になっても賑わいが減ることは全くなかった。
「うわぁ、このお刺身美味しい~!」
「こんなに美味しいと一杯食べちゃって太っちゃう~!」
「でもやっぱり食べちゃう! だって美味しいんだもん」
皆夕食の献立に舌鼓を打ち、満足な声を上げている。
そんな中、一夏はというと………
料理に向かってシャッターを切っていた。
和食は日本の伝統であり、その装ってある姿もまた『美』である。
一夏は夕食の献立に料理としての美を見てこうして食べる前に写真を撮ることにしたのだ。
「あぁ、一夏ったらまた写真撮っているんだから」
「確かにアートのように美しいから撮りたいお気持ちもわかりますけど…」
そんな一夏に側に座っていたシャルとセシリアが苦笑しながら話しかける。
一夏の性格なら分からなくもないと二人とも分かってはいるのだが、やはり料理は食べて楽しむ物。こうして写真を撮っていてはせっかくの料理が冷めてしまうと心配して声をかけたのだ。
「あぁ、すまないね。どうも悪い癖だな、これは。二人の言う通り、この場ですることではないね。すまない、二人とも」
「い、いや、そんなことないよ、うん!」
「そ、そうですわ! わたくしも美しいと思っておりましたもの」
申し訳なさそうに苦笑を浮かべて謝る一夏に二人は慌てて答える。
別に二人とも一夏を咎めようというわけではないのだから。
「では、改めて……いただきます」
「いただきます」
「いただきますわ」
ちゃんと両手を合わせて目を閉じ一礼する一夏にシャルとセシリアも一夏の行動を真似る。二人とも日本人ではないのだからする必要はないのだが、やはり想い人と同じことをしてみたいという幼いながらの恋心がそうさせていた。
「うふふふふふ……」
「えへへへへへ……」
そして二人して何やら幸せそうに笑みを浮かべる。
二人の頭の中では現在、『一夏との新婚生活』での食事風景が展開されていた。
先程のいただきますの挨拶だけでそこまで妄想に耽ってしまう辺り、二人とも恋に一生懸命な女の子なのだ。
そしてそんな二人を一夏は夕食を楽しみにしていたのだろうと判断し、待たせてしまったことを申し訳なく思いながら箸を付け始めた。
「うん、やっぱり魚介が美味しいね。海が近いと鮮度が違うからだね、これは」
食べてその美味しさをじっくりと味わう一夏。
海の近場に来て魚介を食べないのは損だという言葉を聞いたことがあるが、まさにその通りだと痛感していた。
そんな一夏の様子に正気に戻った二人も箸を付け始め、その美味しさに感嘆の声を漏らし始める。
「「美味しいっ!!」」
そんな二人の様子に一夏は再び早業で手ぶれ無しにカメラのシャッターを切った。
その音で写真を撮られた二人は急に恥ずかしくなり顔を赤らめる。
「い、一夏ぁ~!」
「いきなり撮らないでくださいまし! 恥ずかしいですわ」
恥ずかしさから拗ねるような視線で二人は一夏を睨むと、一夏はまたやってしまったと苦笑していた。
「いや、ゴメン。二人とも本当に美味しそうに食べていたから、そんな姿も可愛くて美しかったからね。つい撮ってしまったんだ」
「「か、可愛いっ!?」」
まさかそんな事でもこうして褒められると思わなかった二人は更に顔を赤くしながら恥じらう。想い人に可愛いと褒められれば、どんな事でも嬉しく思ってしまうのも恋する乙女の特権だろう。
そんな二人を微笑ましく見ながら食事を再開する一夏。
そしてその箸は先程から絶賛されている刺身へと向かう。
「ほう、これはカワハギの刺身か。鮮度が良いから肝も食べられるのは嬉しいね。それに山葵も本山葵のみとは、随分と良い物を使っている」
刺身の凄さに感心している一夏に二人は不思議そうに首を傾げていた。
「肝って……この褐色のものですの?」
「本わさびのみ? それって普通じゃないの?」
この疑問に一夏は教師のように優しい笑みを浮かべて答えた。
「まず、セシリア。海外だとあまり食べられていないけど、日本では結構魚の内臓……肝は食べられているんだ。所謂珍味というもので、有名なのがアンコウの肝、アン肝があるね。独特の風味と濃厚でコクのある味が特徴的なんだけど、鮮度が良くないと美味しくない……正直悪いとすぐに腐ってしまってお腹を壊してしまうから食べられないんだ。だからこうして海が近い所でないと鮮度の良い、本当に美味しい肝は食べられないということだよ。カワハギの肝は絶品で有名だからね。セシリアは生の魚が食べ辛いと思うけど、挑戦してみるといい。とても美味しいから」
「は、はい!」
一夏にそう言われセシリアは恐る恐るカワハギの肝を摘まみ醤油につける。
そして口の前まで持って行き、逡巡しつつも意を決して口の中に入れた。
そしてゆっくりと嚙んでいく。
セシリアの顔は見る見る内に赤くなっていき、笑みが深まっていく様子を見て一夏も笑う。
「お、美味しいですわぁ! 今まで食べた事の無い味ですけど、美味しいですわ! 流石、一夏さんがお勧めするだけはありますわ!」
「俺が作ったわけではないけど、喜んでもらえて嬉しいよ」
そして上機嫌にカワハギの肝を食べるセシリアを見つつも、今度はシャルの方に振り向いた。
「次にシャル。本山葵のみっていうのはとても高価で贅沢なんだよ。元々日本でしか取れない特産物だからね。最近は価額を下げるために西洋山葵なんかを混ぜたりする物なんかも多いから、こうして本わさびのみの物を頂けるのは珍しいんだ」
「へぇ~、そうなんだ。美味しいの?」
「ああ、鼻を突き抜ける清々しい辛さは素晴らしく、風味豊かだよ」
それを聞いたシャルは何を考えたのか、山葵の山をそのまま全て摘まもうとする。
それを見た一夏は少しだけ苦笑しつつシャルを止めた。
「シャル、山葵はそんな風に食べるものじゃないよ。もしそんな風に口に入れてしまっては辛さで鼻がつーんと来て涙が止まらなくなってしまう。いいかい、山葵はこうやって…」
一夏はシャルに見えるように山葵を箸で少量摘まむと刺身の上に乗せ、そして醤油に刺身の端をちょんと付けてから口に入れて見せた。
「こうして食べるんだよ。あくまでも山葵は薬味。メインではないから大量には食べないんだ。個人の采配次第だけどね」
「そうなんだ。ありがとう、一夏。御蔭で助かったよ」
思い人に窮地? を助けてもらったシャルは感謝しながら一夏がしてみせたようにして刺身を食べた。
「あ、本当だ! つーんと来て辛いけど、美味しい!」
刺身と山葵の美味しさに喜ぶシャルを一夏は優しい笑みで見る。
先程は二人とも恥じらっていたが、やはり美味しい物を食べて素直に喜ぶというのは、それはそれで人の素が出て美しいと一夏は思う。
そしてそのまま一夏もまた食事を再開し始めたのだが、ここで少し問題が出てきた。
一夏は温厚で平和を好む少年ではあるが、これでも武者なのである。
故に熱量の消費は多く、食べる量も多い。
つまり……茶碗のご飯が全く足りていなかった。
なのでおかわりを貰おうと思い立ち上がろうとしたのだが、自分の前に来た人物によってそれは中断された。
一夏の側に来たのは女将であった。手にはおひつを持っている。
「お客様、御夕飯は如何でしょうか?」
しっとりとした大人の魅力に溢れる笑みに若干照れつつも一夏は笑顔で答える。
「ええ、とても美味しいです。特に海が近いこともあって魚介の鮮度の良さは格別ですね」
「ご満足いただけて幸いです」
そう返事を返すと女将は一夏のすぐ隣にしゃがみこんだ。
その際に見えた胸の谷間は、思春期の少年には少し目のやり場に困る物である。
「お客様は男の方ですから、もっとお食べになるのでしょうね。それだけでは物足りないでしょう」
そう言って女将は手を差し出すと、一夏は笑いながら茶碗を渡す。
「申し訳ないです。本当は自分で行かなければいけないことをわざわざしていただいて」
「いえいえ、そんなことありませんよ」
女将はそう答えながら一夏の茶碗を受け取る。
その際、一夏の手を包むように触れてきたことに反応を示す者が二人。
「「むぅ…」」
そのまま女将は茶碗にご飯を大盛りに装ると、一夏に今度は両手で渡してきた。
その少し危なっかしい様子に一夏は慌てながら女将の両手ごと茶碗を掴んだ。
そしてその手に伝わるしっとりとしつつもスベスベとした手触りに頬を赤らめる。
「あ、すみません、これは…」
「いえ、どうもありがとうございます。御蔭で茶碗を落さずにすみました。さぁ、一杯食べて下さいね。では」
少し慌てる一夏に女将は余裕のある大人の微笑みで返し、一夏の側から去って行った。
その様子を見ていたシャルとセシリアの目は妙に険しい。
(一夏ったら、年上には甘いんだから~!)
(一夏さんったらデレデレして~!)
そんな事を考えている二人を見て一夏は不思議そうに小首を傾げた。
「どうかしたのかい、二人とも」
「何でもない」
「ありませんわ」
若干つっけんどんに返されたことに一夏は何かしてしまったかと心配になりつつも、夕食を食べる。
そしてお茶を飲んでいた時、お茶が切れてしまったので注ぎに行こうとしたところシャルとセシリアが呼び止め、二人で一夏のお茶のおかわりをどっちが注ぐかで騒ぎになったのは言うまでも無い。
こうして、夕食は賑やかに終わった。