そこは静かな一室であった。
木造の部屋で床も板張り、装飾と言った装飾が一つも見当たらない。見ようによっては座敷牢にすら見える殺風景な部屋であった。
そんな部屋に只一人、何も言わずに座禅を組んで座っている者がいた。
それは男であった。
巌のようながっしりとした体をしており、顔は濃い髭が覆っていた。
歳の頃は四十代後半くらいだろうか。
男は目を瞑り、一言も話さず座禅を組んでいた。
そしてそれがどれくらい続いただろうか……
十分くらいにしか思えないくらい短く感じもすれば、半日以上ずっとそうしていたようにも感じられる。
男はふと目を開いた。
その瞳は穏やかに見えもするが、それ以上に全身から発せられた殺気によって周りの空気が凍り付く。
目を開けた瞬間に、男はかなり若返ったかのように見える。
今は三十代後半と言っても良いかもしれないくらい、その瞳は勇ましかった。
「ふむ……そろそろだな」
男は一人でそう呟くと立ち上がった。
その瞬間、さらにその殺気は濃密なものとなり、外の生えていた木に止まっていた鳥達が皆口から泡を吹いて木から落ちていく。
男はそのまま自分の後ろを振り返ると、そこには甲冑が一つ置かれている。
普通の甲冑よりも大きく、その存在感の濃さはまさに甲冑が『生きている』ことが窺える。
男はその甲冑を見ながらニヤリと笑う。
凄絶としか言い様のない笑みを浮かべ、男はその甲冑に手を触れる。
「さて、見せてもらおうか。貴様が値する武者かどうかを……織斑 一夏」
そう呟きながら笑う男の後ろ姿は、まさに修羅であった。
ホワイトデーも何とか無事終えて、そろそろ三学期も終わりを迎える。
生徒会では新学期の準備に忙しかったが、それでも俺にとっては苦にならない。
何故なら真耶さんと一緒にいられるからだ。やはり好きな人と一緒にいられるのは少しでも長い方が良い。仕事を終わらせるのが早ければ早いほど、その分真耶さんと一緒に楽しく過ごせるのだから。
「今日はこれで此方の仕事は終わりだな」
独り言を呟きつつ、俺は終わった書類をまとめ上げて席から立ち上がる。
すると真耶さんが笑顔で俺の方に来た。
「お疲れ様です、旦那様」
「ありがとうございます。待たせてしまいましたか?」
「いいえ、そんなことないですよ。仕事をしている旦那様の格好いい姿を見ていれば時間なんてあっという間に過ぎちゃいますから」
「そ、そうですか」
「はい!」
そんなふうに褒められると照れてしまう。
それが大好きな人からなら尚更。その分、嬉しいのだが。
少し赤面してしまっている俺を見て、真耶さんは俺の手引いてつい最近設けられた休憩スペースへと連れて行く。
真耶さんが来てから毎日休憩に何かしらのお菓子を食べるようになったのだが、その度に作業用の机だと散らかってしまう上に、書類が汚れてしまうので急遽作ったのだ。
(ことの発端となったのは、布仏さんがケーキを零してしまったさいに重要書類が汚れたことから設ける事となった)
これによって書類が汚れなくなり、机が散らかる事も無くなった。
何よりも、俺以上に皆がこの休憩スペースを喜んだ。
このスペースは作業用の机からは一切見えない様になっているので、気にしなくてすむとか。一体何が気になるのだろうか?
早く仕事を終わらせれば、その分空いた時間を休憩スペースで休んでいても良いということになったので俺と真耶さんは最近仕事を終わらせると休憩スペースで一緒に休むようにしている。
真耶さんは俺をソファに座らせると、テーブルの上にお菓子を広げた。
「今日はクッキーを焼いてきたんです。だから一緒に食べましょう! あ、もちろん皆さんの分もありますから」
「「「は~い」」」
生徒会の皆に少し大きな声でそう伝えると、真耶さんは俺の膝の上に腰を下ろしてそのまま俺に体を預けるようにくっつく。
これが最近の真耶さんのお気に入りである。
ホワイトデー以来、気に入って二人で甘える時はこうして俺に体を預けてくる。
お尻の柔らかい感触と真耶さんの甘い香りで俺はクラクラしっぱなしであり、克服される様子はまったくない。
よく慣れるとか言われることが多いが、そんな事はない。
大好きな人とくっついていてドキドキしない人などいないだろう。
「ふぅ~…やっぱり旦那様の膝の座り心地は最高ですよ~」
「俺は椅子じゃないんですけどね」
俺の膝の上に顔をふやけさせながらくつろぐ真耶さん。俺はそんな真耶さんの様子に微少を浮かべつつそう答えると、真耶さんは顔を赤くしながら嬉しそうに答えた。
「当たり前です。だって椅子ならこんなふうにくっついてもドキドキしないですし、こんな事も出来ないですから…はい、あ~ん」
「あ~ん」
俺の下から上目使いで見つめつつ、真耶さんがクッキーを俺に差し出す。
その可愛らしい仕草にドキドキしながらもクッキーを食べる。
サクサクしていて甘く、疲れた体と頭に染みこむような感じがして疲れが取れるようだ。
「とても美味しいですよ。疲れた体が安らぎます」
「よかったです。旦那様、疲れてたみたいですから」
気遣ってもらえることが嬉しくて、俺はそれに少しでも報いたくてクッキーを一つ摘まんで真耶さんの可愛らしい唇の前に差し出す。
「こんなに美味しいですから、真耶さんも食べて下さい。はい、あ~ん」
「あ~ん……んぅ~~っ、やぱり旦那様に食べさせてもらうともっと美味しくなります!」
クッキーを食べた真耶さんは顔をとろけさせて喜ぶ。
そういう顔も可愛くて和んでしまう。
そのまま二人でクッキーを食べさせ合い、段々と良い雰囲気になっていく。
真耶さんが俺しか見えなくなっていくように、俺も真耶さんにか目に入らなくなっていく。(勿論武者としての警戒は持続しているので緊急時は普通に行動出来るが)
真耶さんはクッキーをまた一つ摘まむと、俺に差し出さずに自分の口の方に向ける。
そして小さく咥えると、俺を見つめながらクッキーを差し出す。
「ひゃい、ひゃんなひゃま……(はい、旦那様……)」
それが何なのか分かってしまい気恥ずかしさを感じつつも吸い寄せられてしまう。
そして俺は差し出されたクッキーの端を咥えて囓ると、真耶さんは極上の笑みを浮かべながらクッキーを食べ始めた。
両端から互いに食べていき、段々と真耶さんの顔が近づいてくる。
真耶さんは目を瞑りながら小動物のようにカリカリと食べていき、やがてはクッキーが無くなり俺の唇と真耶さんの唇が重なり合う。
「「んぅ…」」
キスをすると、胸の中まで甘い感触で満たされる。
それが幸せで幸福感に包まれ嬉しくなってしまう。
そのまま柔らかく甘い真耶さんの唇を感じていると……
「ちゅ…れろ……」
「!?」
真耶さんが俺の唇の隙間を通して舌を入れてきた。
その感触に驚いている間に真耶さんは少し俺の舌を舐めるとすぐに舌を引っ込めた。
そして唇を離すと、恥じらって赤くなりつつもどこかイタズラが成功っしたようなお茶目な笑顔を俺に向ける。
「えへへへ~、旦那様の口、クッキーの味がしてあまぁい……」
恍惚とした表情と、とろけるような声で俺にそう言う真耶さん。
その魅力に溢れた様子に俺は更に深みにはまってしまう。
真耶さんがもっと欲しくて仕方なくなる。
そのまま抱きしめてもっとキスしようとした所で、急な放送が入った。
『一年一組、織斑 一夏君、一年一組の織斑 一夏君は至急、学園入り口前のゲートまで来て下さい。繰り返します………』
急な呼び出しに驚きつつも、真耶さんに話しかける。
「どうやら呼び出しみたいです。行ってきますね」
そう言って行こうとしたら、腕が引かれる。
見ると真耶さんが俺の腕を引っ張っていた。
「私も一緒に行きます。何だか嫌な予感がするので」
心配そうな顔で俺にそう言う真耶さん。
俺が呼び出されることはあまりないので、不安なのかも知れない。
「わかりました。一緒に行きましょうか」
「はい!」
一緒に来てもらうことにして声をかけると、真耶さんは嬉しそうに微笑んだ。
そして生徒会室から出ようとしたところで、何故か生徒会皆も一緒に行くと言い出した。
会長曰く、面白そうだからだそうだ。
普段呼ばれない俺に何のようか気になるらしい。
まぁ、まずいようなことでなければ問題ないだろう。
そう思い、皆も行くことになった。ちなみに生徒会の仕事は一通り終わらせたらしい。
その大人数で俺は入り口ゲートへと向かうことにした。
入り口ゲートに来た時、俺は驚愕のあまり固まってしまっていた。
何故なら、まず有り得ない人が来ていたからだ。
「な、何で……天皇陛下と総理がここに?」
そう、ゲートで待っていたのは天皇陛下と総理であった。
真耶さんや布仏さんは誰か分からず首を傾げているようだが、会長と更識さんは二人のことが分かり驚いていた。流石暗部の家系だ。
俺に気付いた二人は俺の方に歩いて行く。
「やぁ、織斑君。久しぶりだね」
「元気そうで何よりだ」
お二人とも和やかに挨拶するが、俺はすぐに分かった。
二人の目が凄く真剣な目をしていることに。
挨拶もそこそこに、俺はすぐに本題について聞くことにした。
「お二人とも、何かあったのですか? その目、その雰囲気……尋常ではないくらいの大事があるのでは?」
俺にそう言われ、二人から笑みが消えた。
「やはりすぐに気付いたね。君に隠し事が出来るとは思えないな、まったく…」
「いや、寧ろ察してくれているほうが有り難い」
そして二人は俺の顔を見ながら話し始めた。
「実は君に死合って貰いたいお人がいる。その人は言わば監視者にして選定者。真に劔冑を担う者かを測るお人だよ」
総理が恐れ多い感じにそう言う。
ここまでこの人を恐れさせるなんて……こんな総理は初めて見た。
その説明を補足するように天皇陛下が話す。
「その者は表に出ることはせず、裏で古くから劔冑を纏い担うにふさわしいかを選定してきた一族の者だ。その権力はある意味、私より上かもしれない。今まではそこまで劔冑が表に出ることが無かったからそこまで気にされなかったが、今年は違う。君の活躍と共に、劔冑は世界へと再び知れ渡った。つまり君は今の世界の劔冑を担う者だ。だからこそ、彼の目に止まった。織斑君……心して聞いてくれ。彼は私の知る限り、最強の人間だ。戦えば無事では済まないだろう。こんなことを君にいうのはおかしいと思う。だが、それでも言わせてくれ……世界のために! 勝ってくれ!!」
総理と陛下の話を聞いて、何となくだが理解した。
つまり俺は、これからある人と戦うことで試されるのだろう。
この世界に劔冑を知らしめた責任を。それにふさわしい人間かどうかを。
そう考えていたところで、急に声がかけられた。
「もう話は終わったか?」
「っっ!?」
その声に俺は心底驚き、声がした方向から飛び退く。
武者の身体能力を持ってしても気配がしなかった。
その余りの実力に恐怖しつつ、声の方を向くと男が立っていた。
巌の様な巨体を和服で包み、顔には豊かな髭を携えている。
年齢は四十代後半のようだが、その巨体と覇気に満ちた目から三十代後半のように若々しく見える。
だが、俺が一番その男に驚いたのは、その圧倒的なまでの存在感だ。
先程まで全く感じなかったのに、今は目を瞑って100メートル離れようとも分かるくらいに濃い気配。
それがどれほどの境地なのか……陰行などの比較ではない。
詰まるところ、俺はこの男に恐怖していた。
全てにおいて勝てる気がしない。
前に束さんが来た時に本気? の師匠と戦ったが、それ以上にまずい。
全身が警告を発している。絶対に勝てない、逃げろ…そう発しているのだ。
だが、逃げたところで逃げられないことも分かっていた。理解させられていた。
勝てないし、逃げられない。ならば死ぬしかない。
だが……絶対に死にたくない!
ならば答えは一つしかない。
俺は恐怖を唇が切れるくらい噛み締め潰しながら前にでる。
どうしようも出来ないなら、戦って活路を見いだすしかない。勝てないと思っても、戦わなければ何も始まらないのだから。
俺は覚悟を決めてその男に向き合う。
「あなたは……誰でしょうか」
俺の問いに男はニヤリと笑った。
「そう言えばまだ名乗ってはいなかったな。まぁ、別に名など些末なものだが。俺の名は……宮本 伊織。と言っても、それだけでは面白くなかろう。なら、こっちの名の方が良いか………『四代目、宮本 武蔵』だ」
そう男は自己紹介して笑う。
それを聞いた瞬間、俺は余りの恐怖に萎縮してしまっていた。
「そういうわけだ。小僧、貴様が担える者か…見極めさせてもらうぞ」
三月の後半、俺の元に来たのは……
史上最強と言われた宮本 武蔵の名を継ぐ者だった。
この話を書き終え、少ししたらこの物語は終わりを迎えます。
最後まで頑張っていこうと思います。
ちなみに……メインの話が終わるだけで、ちょくちょく小話を書こうとは思ってますので。