でもやっぱり……甘い。
真耶さんの御蔭で少し休めた俺は、最後の試合に臨むべく、起き上がった。
「もう大丈夫なんですか、旦那様」
真耶さんが心配そうに俺を見つめてくる。
そこまで心配して貰っていることに幸せを感じながら、笑顔で答えることにした。
「ええ、大丈夫ですよ。真耶さんの御蔭でもう充分休めましたから。これでもう、充分に戦えます」
「で、でも顔色がまだ悪いですよ」
安心させようと答えたが、まだ俺の顔色は悪いらしい。気分はもう充分に良いのだが。
俺はそれでも大丈夫だと言おうとしたが……止めた。
その代わり、大丈夫だと行動で示すことにした。
「どうしたんですか、旦那様? やっぱりまだ体が…」
それを考えている時、動かない俺を心配して真耶さんが俺の顔を覗き込む。
その可愛らしい顔を見て、俺は自分の顔が笑ってしまうことを自覚する。
俺は心配する真耶さんに向かって倒れ込むように一気に近づき抱きしめた。
「きゃぁ!? だ、大丈夫ですっ……んん!?」
突然の事に驚く真耶さんの可愛らしい唇に唇を合わせキスをする。
いきなりのことに目を白黒させ真耶さんは驚くが、事態を理解すると気持ち良さそうに顔をうっとりとさせ目を瞑った。
そのまま少し柔らかく甘い唇を堪能したのちに唇を離す。
俺は顔を赤くして恥じらいつつも嬉しそうにしている真耶さんにとびっきりの笑顔で答えた。
「この唇は…俺の一番大切な真耶さんは、誰であろうと絶対に渡しません! 真耶さんは俺の物(妻)なんですから!!」
「だ、旦那様ぁ…………」
それを聞いた真耶さんは、感動して泣きそうなっていた。
そこまで喜んでくれるのは嬉しい。
その後、真耶さんは俺の体に体を預けるようにして抱きつく。
「だ、旦那様……お、お願いします、もっと…んぅ…」
顔を真っ赤にしながら上目使いに此方を見つめる真耶さん。
それがキスの催促であることが良く分かる。
だが……俺はキスをしない。そのまま真耶さんの体を優しく剥がす。
「それは……勝ってからにさせてもらいます。だから、待っててくれませんか……俺が勝つまで」
「は、はい!!(だ、旦那様のいけずぅ~……で、でもその分勝ったら一杯してくれるって……えへへ、えへへへへ)」
俺の答えを聞いて顔を赤くしつつ何かを期待している真耶さん。
その期待に応えられるよう、頑張ろうと思った。
「じゃあ、行って来ます」
「はい、行ってらっしゃい」
笑顔で俺に手を振って見送ってくれる真耶さんにそう言い、俺は庭園へと歩いて行った。
「あれ、もうよかったん、イッチー」
「ええ、もう充分回復しました。すみません、中断してしまって」
戻ってきたところで茶々丸さんが声をかけてきた。
俺は『一応』謝罪をすることに。
「別にいいよ。どうせ散らかった庭園を片付けなきゃならなかったし。つーかイッチー暴れすぎだろ」
「誰のせいですか、誰の。後で覚えておいて下さいね……お仕置きしますから」
俺は茶々丸さんのジト目で睨みながら指を鳴らす。
それを見て茶々丸さんの顔が青くなっていった。
「えっ!? あんときのアイアンクローで終わりじゃないの!!」
「当たり前です! あの程度、まだ生温いくらいですから」
「うわぁ~ん、イッチーがあてをいじめるよ。イッチー、昔より性格きつくなってない」
わめき散らすように喋る茶々丸さんを無視して歩いていると、今度は村正さんが話しかけてきた。
「ねぇ、一夏。御堂を知らない? さっきから姿が見えないのよ」
「いえ、見ていませんが? 一緒ではなかったのですか」
「いえね、あなたと真耶のことが心配だったからこっちにいたのよ。この屋敷の庭園は広いから、御堂も庭園にいるとは思うのだけれど……」
どうやら師匠とはぐれたらしい。
と言っても、村正さんは劔胄なのだから金探で探せば良いだろうに。そうでなくても帯刀の儀をしているのだから、自分の仕手の居場所くらい分かるはずなのだが。
「普通は分かるはずじゃないですか、自分の仕手の居場所くらい」
「この姿だと上手く使えないのよ。さっきから探しているのだけれど、この辺ということしか分からないの」
どうやら人の形をしている時は劔胄の能力を上手く使うことが出来ないらしい。
「すみません、探すのを手伝いたいのはやまやまなんですが、すぐに試合なので」
「いえ、別にいいわよ。こちらこそ試合前なのに悪かったわね」
村正さんは俺にそう謝ると、また師匠を探しに行った。
俺は申し訳無く思いつつ、試合会場へと歩いていく。
そして羽子板を持ち、対戦相手を待っていると少しして相手が来た。
その対戦相手を見て衝撃が走る。
「なっ……………………………師匠!?」
俺の目の前に現れたのは師匠だった。
いつもと変わらないあまり感情を出さない表情で、手には羽子板を持っていた。
「な、なんで御堂がそこにいるのよ!?」
「えぇ~!? なんでお兄さんがそこにいんのさ!!」
師匠の姿に村正さんと茶々丸さんも驚いていた。
二人とも何で試合に出ていることを知らないんだ!?
俺は勝つことに集中していたために気付かなかったが、二人は知っていてもおかしくないだろう。
特に茶々丸さんは主催者なんだから、知ってなきゃ駄目だろう。
「何故……師匠がこの大会に出ているのですか」
「うむ………実はな……湊斗家は今年も財政難でな。少しでも足しになるようならと思い、参加したのだ」
成程。つまりは賞金を狙っての参加ということか。
「だから………賞金が目当てであって、お前の恋人のキスには…興味がない」
師匠はそう答えるが……顔が笑っていた。
それも特上の『あの笑み』。悪鬼の笑みそのものである。つまりは真耶さんのキスに興味が大いにあるということだ。
「………師匠……言っていることと表情が合致しません」
「…………そうか……」
師匠が木訥とそう答えていた。
「御堂!? なんて顔してるのよ! 私というものがありながら!!」
「何言ってんだ、このクソ蜘蛛! て言うかお兄さん節操なさ過ぎぃいいいいいいいいいいい!!」
村正さんと茶々丸さんから激怒の声が上がる。
俺はその声に呆れつつも、師匠を真っ正面から見る。
「師匠……湊斗家の財政難は痛いほどに分かります。ですが……自分もこの試合、絶対に負けられないのです。故に……真剣に挑ませていただきます。負けませんよ」
「そうか……ならば……来い」
師匠のその声と共に、試合開始のホイッスルが鳴り響いた。
俺は初手から全力で行く。
「おおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
打った羽根が高速で師匠に向かって飛んで行く。
「ふんっ!」
師匠はその高速で飛んでくる羽根を難なく打ち返した。
帰ってきた羽根は、それ以上の速度を持って俺の方に飛んで来た。
「しゃぁっ!」
俺はその羽根に追いついて急いで打ち返す。
その時に手に掛かった重さは童心様以上の球威だったが、俺はそれに驚きはしなかった。
既にこの身は戦闘態勢。死合いとして師匠と戦う。
そうなれば動揺は一切しない。只ひたすらに……倒すだけである。
「せりゃ!」
「かっ!」
「ふん」
「せいっ!」
それからしばらく、高速の羽根による乱打が続いていく。
師匠もそれなりに本気なのか、その姿にはそれなりの殺気が籠もっていた。
その打ち合いは高速のあまり、観客の目には羽根が見えなくなっていた。
観客の目には、凄い速さで移動し羽子板を振るう俺と師匠の姿しか見えない。
その間に羽子板からはとてつもない音が鳴り続けていた。
「こりゃすっげぇ~な~。全然羽根が見えない」
「そうですね、茶々姉様。さすが織斑さんです!」
「邦氏君は織斑さんのことを本当に尊敬しているんですね」
「桜子さん!……はいっ!」
そんな会話が流れていくが、聞く余裕は無い。
この速さでの打ち合いは、少しでも気を抜いたら即座に負ける。そのため、俺は一切気を抜かずに師匠の羽根を打ち返していた。
「こんだけ速いとどれだけなのか知ってみたくなるな。というわけでリンゴぽ~い」
「あっ!? 姉様、何てことを!!」
何やら観客席から物を投げ入れられた。
それが俺と師匠の丁度中間辺りへと飛んで行く。今は集中している為に気にしてはいられない。邪魔だというのなら……撃ち砕くのみ!
そのまま俺は飛んで来た物を撃ち砕こうと羽子板を振るう。
「かぁあああああああああああ!!」
俺が打った羽根はそのまま飛んで来た物に当たり……物を粉砕した。
「はぁっ!」
師匠はそんなことも気にせずに打ち返してきた。
帰ってきた羽根が更に粉砕した物を粉々にしていく。俺はそれをさらに打ち返すことに。
「すっご!? リンゴが粉々だよ。あまりに連打されすぎてリンゴが地面に落ちないまま液状化してるんだけど」
「もう、茶々姉様、邪魔しちゃ駄目ですよ~!」
外野からそんな声が流れてくる。
もうそんなことを意識することも少なくなっていった。
そのまま更に打ち合っていく。
次第に体が毒によってふらついてくる。
更に打っていた羽子板から嫌な感触が伝わってくる。羽子板を見る暇はあまりないのでどうなっているのかは分からないのだが、さっきから打っていて違和感を感じるのだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
次第に切れる息。
ふらつき歪む視界……とても苦しい。
だが……負けられない!
「おおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
最後の力を込めて咆吼を上げながら羽根を打ち込んだ。
師匠もそろそろしんどいのだろう。少し汗を掻いている。
俺が打ち込んだ羽根は今までで一番速い速度を持って師匠の足下へと飛んで行く。
これはまず打てないはず…………そう思っていた。だが……
「おぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」
師匠は咆吼を上げると共に、俺の羽根を打ち返してきたのだ。
その速度は最早視認不可。
俺は勘のみを頼りに羽子板を振るった。
バァアアアアアアアアアアアンンンン!!
そんな音が庭園に響いた。
それはまるで雷鳴の如き音であり、皆その音に耳を押さえた。
羽根は師匠のところへと飛んでいく。だが……俺の羽子板は、
持ち手以外砕け散っていた。
これではもう羽根を打つことが出来ない。
「これでもう終わりだ」
師匠はそう言うと、俺に向かって羽根を無慈悲に打ち返してきた。
もう羽根が打てない以上、これで勝負が決まる。
俺は………絶対に嫌だ!
この勝負に負けるということは、真耶さんの唇が師匠に奪われるということ。
喩え師匠といえど、それだけは………絶対に許せない!!
俺は砕けた持ち手を腰だめに構え、そして前に振るった。
「負けるかぁあああああああああああああああああ! 『吉野御流合戦礼法、飛蝙ッ!!』」
持ち手を小太刀に見立て、そのまま高速に飛ばす。
持ち手はそのまま羽根にぶつかり、羽根は師匠の方に神速の速度を持って飛んでいった。
「何っ!? ぐぉおおおおおおおおおおおおおお!!」
師匠はそれに何とか反応して打ち返そうとしたが、打ち付けた羽子板は羽根によって粉砕され、そのまま庭園の壁を貫通し外に飛んでいった。
「まさか……ここまで行くとはな。人の執念…いや、恋人を想う心の成せる技か」
師匠は壁の方を見てそう呟いていた。
それと同時に試合終了のホイッスルが鳴り響いた。
「優勝者……織斑 一夏!!」
その声と共に庭園は歓声で賑わった。
俺はそれを聞きながら倒れかける。もう一打も打てないだろう。
「旦那様!」
そんな俺に向かって真耶さんが駆けつけ、俺を抱きしめた。
「勝ちましたよ、真耶さん」
俺は真耶さんに向かって笑いかけながらそう言うと真耶さんは顔を赤くし、瞳に涙を浮かべながら嬉しそうに答えてくれた。
「はい……はい!! 旦那様は確かに約束を守ってくれました!」
その笑顔にやり遂げた達成感を感じた。
ついに俺は勝ったのだと実感する。
「旦那様! 旦那様! んぅ……ふぅ……」
「!?」
それを感じていたら、真耶さんが俺の唇にキスをしてきた。それも何度もである。
周りのことなどお構いなしに、只ひたすらにキスをする真耶さん。
それに驚き何も出来なくなってしまう俺。
「あぁああああああああ! なにやってんの、お前等!!」
「あらあら、真耶たら派手ね」
「あわあわ」
「う~ん、ロマンチックだけど、まだ邦氏君には速いかな」
外野からそんな声が聞こえたが、疲労もあって気にならなかった。
今はただ、真耶さんのキスを感じ、幸せに浸っていたい。そう思った。