とある科学の距離操作(オールレンジ):改訂版 作:スズメバチ(2代目)
第5下層に降りてきた七惟を待っていたのは、大型トラックの衝突と同じ衝撃がありそうな勢いで飛んで来る神裂火織だった。
案の定コンクリートの壁にぶつかった神裂は、ぴくりとも動かず虫の息のようだが、虚ろな目を何とか働かせてこちらを捉える。
「な、七惟……理無?」
「はン、天草式の……神裂火織」
「な、何故貴方が……こんなところに」
「何故って、決まってんだろ。あそこでふんぞり返ってる野郎を黙らせにな」
「な、何を馬鹿なこと……ガフッ」
声を上げようとした神裂が血を吐き、青の大地を染め上げる。
見渡せば至るところに神裂の血が付着しており、彼女の状態を見ても既に満身創痍……いや、動いているのが奇跡とも思えるような傷を負っていた。
「貴方では絶対にアックアに勝てません!自ら命を捨てるようなことをしないでください」
「じゃあ聞くが、お前だったらアイツに勝てんのか?」
「そ、それは……」
神裂は一度は目を逸らすも、再度表情を硬くする。
「少なくとも貴方よりは可能性があります!貴方一人じゃ玉砕しに行くようなものです!」
「はッ……俺に負けた奴が何を言ってんだか。それにな、俺だって一人じゃ勝てないことくらい百も承知してんだよ」
「なら」
「俺と……お前の後ろにいる天草式、アイツ等も含めたなら。勝てんだろ?」
七惟の言葉に息を呑む神裂、だが七惟はそれ以上何も言わない。
神裂に言われたことは、分かっている。
全距離操作七惟理無では絶対に後方のアックアには勝てない。
全距離操作を捨てた、科学と魔術が巡り巡って生み出す異世界の力も、あの男には通用しない。
それに、神裂のほうがまだ可能性があることだって、分かっている。
だが、それでそう簡単に諦める訳にはいかない。
何も知らないインデックス、こちらの気も知らずターゲットとされながらも自ら敵へと向かっていく上条、気に食わない奴だが仲間のために命を張って闘った神裂。
とかげの尻尾として扱われていると分かっているのに向かっていく天草式。
そして……。
「とにかく、てめぇはそこで見とけ。俺が何とかしてる間に、お前も何とかすること考えときな」
学園都市の刺客を一手に引き受けてくれた絹旗、最後まで自身ではなく誰かのために動いた五和。
皆の姿を見て、何かを感じない程自分はまだ腐ってはいない。
フィールドの至るところに神裂とアックアがまき散らした『この世の理から外れた力』が溢れている、これだけあればこの痕跡を辿っていくのは簡単だ。
七惟は再び科学と魔術が巡り巡るこの力を身体に纏い、強大な敵へと向かって一歩を踏み出した。
*
「また貴様であるか、井の中の蛙よ」
「はン、見あきた面で悪かったな。俺が蛙ならお前は害虫だ」
七惟はこうして、再び後方のアックアと対峙した。
神裂とアックアの闘いによって破壊し尽くされた第5下層は、隔壁の至る所に亀裂が入り、排水管は引き避け、道なき道が幾重にも出来あがっている。
これだけでも、二人の闘いが如何に激しかったかを知るには十分過ぎた。
「再起不能にしたつもりだったが」
「詰め甘い。俺は生きることに関しちゃ執着心ありありだからな。どこぞの女と同じで」
「そうか。しかしせっかく拾った命である、無駄にしないほうが良いと思うがな」
「吠えてな」
「……認識が甘いようであるな、貴様にも言っておこう。私は神の右席の一員である。そして、聖人としての素質も兼ね揃えている。信徒二〇〇〇〇〇〇〇〇〇に一人、そして全世界に20人といない一人でもある、こう言えば分かるのであ……」
しかしアックアが最後まで言い終えることはなかった、半天使化した七惟が目にもとまらぬスピードで間合いを詰め右腕を振りかざしたのだ。
七惟の一撃は周囲に衝撃を撒き散らし粉塵が舞い上がるが、それを難なくメイスで受け止めたアックアは顔色一つ変えない。
「貴様も何処ぞの娘のように手が先に出るタイプであるか」
「気が早いからな」
「全距離操作の状態でも、天使化した状態でも貴様が私に勝てないのは先ほど立証したが?」
数時間前アックアと戦った時のことを思い返してみると、確かに言われる通りだ。
全距離操作の状態で最強とも言える一撃をこの男は正面から受け止めた上で、ノ―ダメージ。
半天使化した状態での攻撃も、アックアの勢いを相殺することはなく弾き飛ばされた。
その事実だけを考えれば自分に勝てる要素なんてないが、勝算がなければそもそもアックアに再戦を挑もうとは思わないはずだ、七惟だってそこまで玉砕が好きではない。
「はン……俺は往生際がわりぃんだよ、納豆みたいな人間て思っときな」
「ならばよい、私の前に立ちはだかるというのならば死にかけの病人だろうが歳老いた老人だろうが斬り伏せるのみ。行くぞ井の中の蛙よ!」
「死にかけの人間はな、後に引けねぇから性質がわりぃぞ!」
七惟の光る右腕を受け止めていたアックアのメイスが唸る。
音速の壁を突き破って放たれる脅威の一撃は音を破壊し空間を引きさき、唸りを上げて七惟目掛けて放たれる。
初戦はこの一撃であっさり敗れてしまったが、今はあの時と違い体力も全快に近い。
七惟は光る右腕ではなく、右足を振り上げる。
目では捉えきることすら困難かと思われたメイスだったが、右足のつま先でその切っ先を蹴り上げ、動きの鈍ったところを右手でむんずと掴む。
「ほう、少しはマシになったのであるな」
「学園都市の能力者舐めんじゃねぇぞ!」
アックアの筋肉が爆発的に肥大化し、一気にメイスを引こうとする。
だが常人離れした筋力は半天使化した七惟も同じ、逆にアックアの引く力を利用し、メイスごとアックアの身体を押し飛ばした。
互いがこの世の物理法則を無視して行われる戦闘、アックアの身体が地面に激突し、地響きが鳴り響く頃には二人は次の行動に移っている。
爆心地から水流が天に向かって立ち上り、その上を滑るように移動しながらアックアが再び攻撃姿勢を取った。
「今のが攻撃であるか?」
「悪い、痛かったなら謝るぞ?」
アックアの足場となっていた水流が突如として分裂し、四方八方に飛び散った。
一つ一つの弾の大きさは3立方メートル、それがアックアが薙ぐメイスと同等のスピードで飛んで来る。
それを見て今度は不可視の壁を作る、この状態になってからは時間距離や二点間距離を扱うことは出来ないが、やはり異世界の物質を扱う時点で目覚めた能力のせいなのか、この壁は作り出せた。
しかし等身大の壁を一面にしか作りだせないこの防御法ではやはり防ぎ切れない、七惟は身体のバネをフルに動かし高速で移動する。
「逃げてばかりだな、攻撃するつもりがないように見える」
そんな異次元のスピードで駆けまわる七惟に平気な面をして付いてくるアックア。
だが此処までは予想通りだ、むしろまだまだ奴は本領を発揮していない。
この程度ならば神裂だって出来る、しかしその神裂が敗れたということはもっとさらにその上があるということだ。
「てめぇがどんな方法で闘おうが勝手だろ?それとも神の右席とやらはそこまで器がちいせぇのか」
「それは言い訳というものであろうな」
七惟の動きにアックアが追いついた、問答無用でメイスを薙ぎ力任せでこちらを潰しにかかる。
「ッ……!」
先ほど受け止めた一撃より遥かに重みが増した一撃だと瞬時に悟る、右手で防ぐのは危険だ。
身体を反り、曲芸の如く回避するが姿勢が崩れる。
そこを突かない程アックアは甘くない、聖人としての才能が、傭兵として培ってきた技術が七惟に休む暇を与えさせない。
四散していた水流を再び支配下に置き、それをハンマーのごとく七惟に向かって放つ。
「なんでもありだなてめぇらは……!」
「むしろこの程度は当たり前だと思ってもらいたいものである、これは遊びではないのだからな」
これ程の闘いを遊び、か。
やはりこの男、もしかしなくても自分と住んでいる世界が一つか二つ程違うのかもしれない。
だが今更そんなことを考えたところでどうにかなるわけでもないのだ。
魔術ではなくこの濁流は物理攻撃と同じだ、青より青く染まった押し寄せる水流を不可視の壁で跳ねのけ、突く形で放たれたメイスの上に飛び乗る。
「獲物がやけにでかいと色々不便だな」
七惟はそのメイスの上を凄まじい速さで駆け抜け、そのままアックアの手元まで走ると顔面へ蹴りつける。
だがアックアは態勢を崩す前に、手元に引き寄せた水流をハンマーの如く七惟に思い切り叩きつけた。
「がふッ!?」
身体が並みの聖人以上に強化されている七惟と言えど、堪え切れない。
そのまま水流と共に隔壁へと叩きつけられる、青の世界に染まった地下都市で見る水はやはり外より幾分か気持ちが悪い。
だがそうのんべんだらりともしていられない、何かが爆ぜるような音がし、七惟は条件反射で跳躍する。
するとつい先ほどまで居た所にアックアが突進する形でメイスを突き刺していた。
「おい、それ刺さったら死んでたがてめぇらの宗教的に殺しは大丈夫なのか?」
「気にするな、私の力は『殺人罪』すら圧倒的な慈悲で軽減してくれるのだからな」
「そいつは便利な能力だな、じゃあなんだ、人殺し放題かてめぇ」
「戦場においては何か不都合があるかね?」
「ないな」
七惟とアックアがあいまみえるその瞬間には、周囲のモノ全てを薙ぎ払う衝撃が何度も発生し、地下都市を荒廃させていく。
七惟が右腕でアックアのメイスを掴み取れば、アックアは水流で七惟を木っ端微塵にしようとする。
七惟が肉弾戦を挑もうとすれば、その動きを百戦錬磨の実力で圧倒的に制圧していく。
やはり最初の激突で感じたことは自分の間違いではないと自覚する。
この男、聖人としての底が丸きり見えない。
そしておそらく、今のままでは数分後に自分も天草式のようになってしまうということを容易に想像出来る。
脳裏にズタボロにされた虫の息の神裂が過った。
彼女はいけ好かない奴だが、仲間の為にあそこまで身体を張って闘っている。
頭にこびりつくマイナスの思考を振り払い、彼は前を向きアックアを見据えた。