とある科学の距離操作(オールレンジ):改訂版 作:スズメバチ(2代目)
建宮の視線の先にはベットで横たわり、虫の息の七惟が居る。
医者の話では生きているのが不思議なくらいらしい。
無理もない、回復魔術をあれだけ使ったのだから常人で且つ魔術が無ければ恐らく死んでしまっている。
外傷は魔術の力で確かに治癒できた。だが内部へのダメージは癒せていない。脳に強い衝撃を受けているということから彼が五体満足で今後朝日を拝めることすら叶わない可能性があるとのことだ。
更にいえばこのまま目を覚まさないことも有り得る。
右腕の義手に被せられていた人工皮膚は余すことなくめくれ上がり、機械が露出してしまいぎちぎちと嫌な音を立てている。
四肢には痙攣か何かの後遺症が残って満足に動かせるかどうかもわからない。
目を覚ましたとしても、もうあの日常には返してやることは出来ないかもしれない。
「私のことなんて放っておけばよかったんです!放っておいて、見殺しにしていれば良かった!」
五和の耳を劈くような声が響き渡る。
誰も何も言わない、いや言えなかった。
言う資格すらなかったのだ、七惟を見下していた天草式にとって、五和と七惟の間に入りこむ余地などない。
「わた、私が!私が七惟さんとあの教会で出会ったから!私のせいで七惟さんはこっちの世界に引きずりこまれて!死んでしまうかもしれないのに!」
五和は過去を振り返って懺悔をし始める。
後悔の波が止めどなく流れ、彼女の体を奈落の底まで流してしまったのか。
遂には、こんな言葉を口にした。
「私が七惟さんを不幸にしたんです!私と、私と会ってなければ!」
その言葉に建宮は反応し、胸倉を掴んでいた手をふりほどくと、防弾ガラス張りの壁に思い切り五和を叩きつけた。
「その言葉、訂正しろ」
「あッ……うぅ」
五和は抵抗らしい抵抗すら見せずに、ただ澱んだ瞳で建宮を睨みつける。
「……さん、が」
「……」
息も絶え絶え、呼吸することすら満足に出来ない五和の身体と心。
「建宮、さんが、七惟さんを……彼を、信じないから、こんなことになったんです」
五和の言葉を唯建宮は受け止める。
もう、こんなことを言わなければ、他の誰かに少しでも責任を転嫁しなければ彼女の心は粉々に砕けてしまうのだろう。
確かに、自分を含めた五和の天草式が少しでも七惟を信用していれば、偏見を持ちださなければこんな最悪なシナリオは回避できた可能性はある。
五和はきっと、上条当麻と同じくらいに……いや、もしかしたら五和にとって、七惟理無とは上条当麻以上に特別な存在なのかもしれない。
だから、この上条護衛の作戦にだって参加して欲しくなかったはずだ。
参加して欲しくなかったのに、参加して傷つくどころか、自分を守るために死にかけるなどまともな精神を保っていられるわけがない。
何処までも真っ直ぐな気持ちで七惟という男を見ていたから、何処までも真っ直ぐな痛みを背負ってしまう。
その痛みは、七惟を知らない自分を含めた天草式がとやかく言うことは出来ない。
だから、建宮は別の道を示す。
「こんな女を助けるために、第8位は闘ったのか?」
その辛辣な言葉に五和の表情が凍りついた。
今まで散々喚き散らかし、責任転嫁をして、あまつさえ七惟にまでやり場の無い怒りを向けてしまっていた自分を、今彼女はどう思っているのか。
「出会って不幸になったとか、放っておけばよかったとか、そんな自分勝手な考え方しか出来ない自己中で惨めで糞ったれな女のためにあの男は身を投げ出したのか?だとしたら、これば下らない馬鹿な話なのよ。助けて貰いたくも無い奴を助けるなんざ、無駄死にもいいところなのよな?あの男はやはり俺が思った通り仲間である五和の気持ちすら汲みとれない、一人ぼっちがお似合いの男だ」
そこまで言われて、五和の目が完全に怒りの色に染まり、獣のように叫びながら拳を振り上げた。
だが、拳は届くこと無かった。
建宮は五和の身体を床に投げ倒す、その勢いは凄まじく鉄筋コンクリートの床で一瞬五和はバウンドした。
全身の力を全て奪われ、天井に向けられようとした五和の前に建宮は立ちはだかる。
「良いか、分からないようなら教えてやる」
建宮の瞳にも五和に負けぬ程の怒りの色が灯る。
「後方のアックアは、必ず来る。俺達がこうしてグダグダ悩んでる間にもタイムリミットは迫っているのよ。一秒一分の無駄が、唯でさえ低い幸福の確率を更に下げちまう。まだ少しでも可能性が残っているのに、無駄な懺悔や後悔でその可能性を諦めるのか!?お前さんはそうやって無駄な時間を過ごして、仲間が命を張ってまで守ろうとした男の腕が無残にも引きちぎられていくのを傍観出来るのか!」
涙を溜めたまま動かない五和。
だが建宮は遠慮などしない、している場合ではない。
そんなことをしてどうにかなるのだったら後でどれだけでも五和に謝るし懺悔するし土下座だってしてやる。
「わからねぇようだったら教えてやる、此処にプリエステスは来ない。来たとしても、全てが解決する訳でもない!それは第8位とアックアの戦闘を見た自分が一番よく分かるはずだ!」
あの聖人が来れば、確かに戦況は大きく変わるかもしれない。
だが来たとしても神裂に勝った七惟がまるで歯が経たなかった相手がアックアなのだ。
それに、来ないと分かっているものを信じる程馬鹿なこともない。
「仲間の気持ちを踏みにじって、上条当麻の右腕をぶち抜かれる様をこの病院で、第8位の目の前でやられて、それをお前さんは許せるのか!?」
「たて、みや……さん」
「黙ってたってアックアは止まらねぇ!今からイギリスからの増援なんざ期待出来るわけもなし!だったら今此処に居る奴らで全てを乗りきるしかないのよ!上条当麻の右腕がぶち抜かれれば、次は第8位がぶち殺されるのは目に見えている!上条当麻は重傷を負って、第8位は明日の太陽を拝めるかも分からないこの状況で、二人を守るのは誰だ!?自分の都合ばっか考えて、甘ったれてんじゃねぇ!」
五和の胸倉を掴むその手が白くなりきりきりと軋む。
力が入り過ぎて爪が食い込み始めている建宮の手を見て、五和もようやく悟った。
自分だけが、絶望の淵に突き落とされて泣いているのではないと。
他の天草式の皆もまた、自分と同じくらい怒りを、悲しみを、無力を、絶望を感じていて、七惟に対して申し訳ないと、情けないと、謝りたい気持ちがいっぱいなのだ。
建宮達はそれでも立ち上がるという。
負け犬根性を丸出しでもいい、沈んでばかりで下を向くのではなく、上を向いて守るべき者のために闘うと言う。
ならば、自分は?と五和は自問自答する。
「第8位に謝りたいか?」
「わた、しは」
「あんな風にしちまった仲間を、そして守るべき者をもう一度日だまりの中に返したいか」
何も言わずに、顔を顰めながら、五和は涙と共に頷いた。
掠れた声で言った言葉は聞こえない、だが声はなくともその意思だけで十分だ。
「だったら、闘え。お前さんが最高に良い女であることを証明して、こんな奴のために身を投げ出して良かったと、出会えて良かった、幸せだと言わせてやれ。骨だけ納められた柩に泣いて謝りたくなかったらな」
*
身体から湧き上がる灼熱の痛み、まるで全身が高熱で焼けただれてしまったのかのような感覚に七惟は身をよじらせ、悶えながらその眼を開いた。
自分の神経から四肢が切り離されたかと思うくらいに、身体はぴくりとも動かない。
頭は回転しない、右腕の義手には包帯が巻かれているが、はみ出した部分から人工皮膚が全く見受けられず、機械がむき出しになっているのが分かった。
激痛と鈍痛が全てを支配する時間から何とか抜け出し、ぶれる視界を思い瞼を開けて見つめる。
上を見つめる瞳が映し出したのは知らない天井で、周囲には医療器具が散りばめられていた。
視覚による情報によれば間違いなく此処は病院。
どうしてこんな場所にいるのか思いだせない七惟は徐々にだが、ゆっくりとその記憶を辿って行く。
後方のアックア。
上条。
五和。
それだけ揃えば、現状を整理するには十分だった。
自分は後方のアックアとあの地下都市で闘い、敗れた。
あの男の力ははっきり言って異次元レベルだ、というよりも人間や魔術師、能力者という問題ではなく、奴の前では聖人という言葉すら霞んでしまう。
七惟は今まで魔術世界で強大な力を誇るとされる人間と2回闘った。
一人目は台座のルム。
神の右席で台座を司り、カマエルの属性を持つ女。
ルムの操る渦は全ての物体を吸い込み、任意の場所に移転させるという三次元の法則を無視した攻撃を持ち、時間そのものを操るといった力。
正直なところ今思い出してもあの女に勝てたのは奇跡に近いと思う、というよりも七惟の全ての攻撃は悉く弾かれ、満足に闘うことすら出来なかった。
一方的な虐殺ショーが繰り広げられ、身体はずたぼろに痛めつけられた。
七惟自身どうやってルムに勝ったかはよく覚えていない、再戦して勝てと言われても七惟は無理だと応える。
二人目は神裂火織。
天草式の事実上のトップで、科学側の世界では核弾頭に匹敵すると言われる『聖人』の力を持つ。
人間を超えた身体能力を誇り、爆発的な力とスピードでこちらを圧倒する。
七惟の編み出した技は全て見破られ、死の一歩手前まで追い詰められた。
だが『この世界には存在しない力』を操り、ぎりぎりの所で退けることは出来た。
二人の超人、台座のルムと神裂火織。
普通の人間ならばものの数秒で息の根を止められてしまう程の敵を、2度も退けたのに。
次元が……違う。
痛みで麻痺してしまった思考では、これ以上の言葉は何も出てこなかった。
あのアックアの前では、台座のルムの渦も神裂火織の唯閃もまるでおもちゃに見える。
あの野郎に小細工は一切効かねぇ……脳筋が一番得意な相手だと思ってたのにな。
七惟は従来アックアのように接近戦のみしか攻撃手段を持たない人間は非常に得意だ。
現に対神裂戦では、神裂が聖人の力をフルに引き出すまでは完全にその上を行ってた。
しかし神裂と同じように純粋な物理攻撃のみで彼女の遥か上の攻撃を行うアックアの前では、もはや攻撃方法云々など言っていられない。
あの男の馬鹿力は全てを粉砕していき少し細工をしようが罠をしかけようが問答無用で突破し全力で潰しに来る。
こちらの仕掛けた壁も、可視距離移動も、転移も、全力を持ってして放った『この世の理から外れた一撃』すら力ずくでへし折られてしまった。
奴の前では、純粋な身体能力だけがモノを言う。
だから、『この世の理から外れた身体』になってようやく同じ土俵に上がれたというわけだ。
だが同じ土俵に上がれたとしても奴は横綱、こちらはその世界にようやく足を踏み入れた段階。
勝負になるわけがない、あの男が扱う聖人の力は神裂の域を超えてしまっている。
時刻は深夜1時、七惟がアックアと事を構えてから2時間以上経過している。
動かない身体を気合いで動かそうとする、目を覚ました時の激痛から全く動かないだろうと思っていたが思いのほか体は軽快に彼の意思に反応した。
あれだけ痛めつけられたのにこの軽傷で済んでいるのはおそらく回復魔術とやらの御蔭だろう、全て反射してしまうと思っていたがあの状態が解除されれば受け付けるのか。
思考は霧がかかったかのように多少ぼんやりとはしているものの、七惟は周囲の様子を探るとガラス越しの通路に見えたのは天草式が戦闘の準備をしているということだけだ。
ある者は武器を磨き、ある者は戦略を練り、またある者は時間をひっきりなしに確認したりと忙しく見える。
天草式はおそらく、と言うよりも十中八九対アックア戦に備えて戦闘の準備をしているのだろう。
悪いが本気……かどうかは分からないが、少なくとも実力の半分以上をアックアから引き出させた七惟ならば分かる。
天草式単体がいくら束になってかかろうと、アックアを倒すことは出来ない。
そもそも天草式の連中の表情を見れば分かる、あんな死んだような表情でアックアの前にのこのこ出て行ってもさっきと同じように蹴散らされるのが落ちだ。
闘う気が本当にあるのならば、闘う前からあんな表情をしてはいない。
……要するに、今の天草式のメンバーは自信を失ってしまっている。
それもそうだ、あれだけの実力差を見せつけられてまだ戦意を燃やしているほうがおかしい。
現に七惟だって、もうあの男に一人で挑んでも絶対に勝てないということはこの身でよく理解している。
が、そんな甘ったれたことを言っていてもアックアは再び上条の右手を狙って攻撃を仕掛けてくるだろう。
天草式が戦闘の準備をしているということはまだ上条自身は無事であり、右腕も引きちぎられてはいないはず。
ならば七惟もまだ闘う理由は残されている、友人の右腕を守るために立ち上がる五和のためにも再びアックアの前に立ちはだかる必要がある。
一人では絶対に勝てない。
天草式に協力を求めようにも、今の彼らはまるでブリキの人形のネジが切れてしまったかのように力を失ってしまっている。
だが。
アイツなら。
アイツならば、仲間である彼女ならば、必ず自分と共に戦ってくれる。
そんな七惟の意思を汲み取ったのか、五和と建宮が天草式のメンバーの前に立ち声を張り上げ何か言っている。
やはり彼女は諦めていない、演説をするかのように身振り手振りで彼らを鼓舞する五和の姿を見ると、伝えたいことは言わなくても勝手に彼女が理解しているように思えた。
彼女が何を天草式の連中に話したのかは分からない、しかし彼女の声に呼応するかのように天草式のメンバーが一人、また一人と立ち上がりその瞳に闘志を燃やす。
やはり凄い奴だ、五和は。
アックアと初めて刃を重ねたあの闘いでは、自分の力ならば彼女を守れると……一緒に居ることが出来ると思っていた。
しかし七惟のそんな考えはアックアの圧倒的な力の前に無残にも砕け散った。
井の中の蛙……か、その通りかもしれねぇな。
あの時の自分は、頭に血が上っていたのかもしれない。
普段の自分ならば、仲間である彼女に必ず協力を求めていたはずだ。
どんな時でも、どんな場所でも、背中を任せて闘い、自分の心の言葉を伝えることが出来る相手。
それが仲間である彼女だったのに、あの時の自分は……そういう『仲間』の考え方ではなく、別の考えで彼女を見ていた気がする。
彼女の命が危険に晒されるのを、嫌だった。
彼女と一緒に上条当麻を守らなければならないのに、彼女に『逃げろ』と叫んでしまった自分。
闘ってくれると、仲間になると言ってくれた彼女にそれは失礼だろう。
だから、今度こそ七惟は彼女を、五和を疑わない。
いや、疑う余地などない。
自分一人ならばきっとまたアックアの前で崩れ落ちてしまうだろう。
だが、五和と一緒ならば。
彼女とならば、彼女が率いる天草式ならばあの男を倒すことが出来るはずだ。
『五和を信じる』
暗部抗争の時は闘っていく最中で多くのものを失って、その度に立ち止まろうとした。
だが、失ったモノよりも得たモノが多いと理解し、走り続けることが出来た。
一方通行に敗れて戦闘が佳境に入った時、彼らと一緒に居たい、失いたくない、その気持ちこそが七惟理無の心を動かすガソリンだった。
それが、あの時は出来なかった。
出来なかったのは、自分が五和を信じていなかったからなのか?絹旗達のように闘えないと思ったからか?
分からない、どれも違う気がする。
きっとそれは恐れだ、五和が居なくなってしまうかもしれないという恐怖心から彼女と共に戦う選択肢を拒否した。
暗部抗争が終わった今、これ以上の傷を背負いたくないという自分のエゴなのだろう。
しかしそんな考え方は間違っている。
自分と五和は仲間だ、一方的な考え方など許される訳がない。
神裂と戦った時だって、五和は自分の身を投げ捨てて自分と神裂の間に割って入って闘いを止めてくれた。
自分のために、仲間のために命を燃やしてくれる五和。
ならば自分も、彼女のために命を燃やさなければならない。
その気持ちは一方通行ではダメだ、自分が燃やすのならば五和だって同様に、五和が燃やすのならば自分だって同様に。
だからこそ、信じることが出来る。
彼女と共に戦う、そう決断した七惟はベッドから起き上がろうとするが再び急激に視界が靄のかかったように霞んでくる。
傷は癒えているというのに、七惟が思っている以上に蓄積された疲労やダメージは深刻のようで、意識も視界と同じように揺らぎ始める。
気持ちを奮い立たせようとするも、彼の意識は再び微睡の中に落ちていった。