とある科学の距離操作(オールレンジ):改訂版 作:スズメバチ(2代目)
「ねぇ、ちょっと君」
動かなくなった少女と七惟に、騒ぎを嗅ぎつけたアンチスキルの女性が近寄ってきた。
「いったい何が起こったのかは、今はどうでもいいじゃんよ。だけどこのまま此処に居るのはよくないじゃん、それに……その子もそのままだと、ね」
そう言ってジャージのアンチスキルは七惟が抱きよせていた少女を見やった。
「すぐに離せ、とは言わないじゃん。だから、一緒に来て欲しいんだ」
他のアンチスキルの隊員達も様子を伺いつつ集まってきた。
野次馬をかき分けてアンチスキルの車両や、武器を装備した隊員達が七惟と少女の周辺に忽ち配備され、厳戒態勢が敷かれる。
まるで犯罪者を逮捕するような姿勢である同僚達をジャージを着こなすアンチスキルは良い顔をして見ていない、子供達のデリケートな心をまるで分かっていないとでも言いたげだ。
しかしこれだけの包囲網が出来ても七惟は微動だにしなかった、少女を抱きかかえたまま俯いて周囲を見ようともしない。
これは非常に危険な状態だとアンチスキルの女性は判断する。
彼女はとあるレベル5と一緒に居候しているのだが、このような状態になった彼を見た時、それを宥めることが出来るのは極々限られた一部の人間だけだろうと推測している。
このように今にも何かが崩壊しようとしている者を無理して他の者が触れようとすれば、彼はたちまち爆発して、周囲の犯罪者達を皆殺しにしそうになった経験がある。
そしてこの女性は、少女を抱きかかえる少年の顔を書類で見たことがあった。
彼女が自分の家で居候している子と同じレベル5であり、学園都市で距離操作能力者の頂点に立つと言われている学生であるということに気付く。
「大丈夫です、安心してください。私達が後は……」
ジャージを着たアンチスキルの心配を余所に同僚の一人が七惟に手を出した。
いけない……!あの状態の能力者を刺激したら……!
「鉄装!触るな!」
何が起こるか分からない……!
「え?」
しかし彼女の制止の声もむなしく、鉄装と呼ばれた女性の手が少年の方に触れた。
鉄装の指先が、ガタガタと震えだすのが分かる。
「え……あれ?」
しかしそれは鉄装が震えているわけではない、彼女の表情を見る限り彼女自身の体に何らかの異変が起きたと言うわけではなさそうだし、実害も出ていないと思われる。
じゃあ、あの震えは何だというのだ、鉄装自身が疑問符を浮かべたような表情をしているというのは……。
数秒後に分かったことだが、鉄装は震えていなかったし、本人の体に異常は何も無かった。
異常があるのは、彼の周辺そのものだった。
「一方通行あああああぁぁぁぁぁぁ!!」
もはや絶叫にも近い少年の声が、怒りが、後悔が……そして抑圧されてきた全ての感情が、木霊して反響した。
「ひゃえええええ!?」
「鉄装!離れるじゃんよ!」
実際に震えていたのは鉄装の指先では無かったのだ、震えていたのは……揺れていたのは自分達の足場そのもの、この学園都市の足場を覆うコンクリート、地盤基礎そのものが彼の激情に呼応するが如く激しく震えていたのである。
「てめぇは……俺が!!!」
少年の能力が暴走する、彼はかつて1回命の危険に晒された際に能力を制御できなくなり、人工的に巨大地震『モドキ』を引き起こすことによって、実験を中止に追い込んだことがあるが、その時に今の現状は酷似していた。
本来広大な土地の地盤そのものをずらすことなど、地球の自転エネルギーを利用して攻撃する並みに不可能なことであるが、今の七惟はそんな人外の芸当をやってのけてしまっている。
前代未聞の人工地震、そしてその巨大な規模に集まってきた野次馬達だけではなく、アンチスキル達をも震えあがらせた。
「不味いぞ!打ち方用意!キャパシティダウン!」
「何してるじゃん!そんなことしたって!」
キャパシティダウンが発動し、能力者の演算能力を奪う超音波が撒き散らされる。
一般的にキャパシティダウンは能力が演算を行う際に妨害する音波を出すだけで、健常者には何の悪影響も無いため対能力者に対しては絶大な効果を発揮する。
それがレベル1だろうがレベル5だろうが関係ない、しかしそれは普通の『能力者』に対してだ。
既に暴走した能力者に対してキャパシティダウンなど何の意味も無い、攻撃的な音波は却って怒りの感情の波を大きく揺さぶってしまい現状を余計に酷くしてしまう。
少年は少女を抱きかかえたまま立ちあがると、真っ赤に染め上げた血みどろの顔に、血走った目をぎょろつかせながら周囲を見やる。
顔はもはや既に誰なのか分からなくなっている程染め上げられ、着こんでいたジャケットは赤と黒のコンストラストで禍々しい雰囲気を撒き散らし、黒い大きな点が飛び散ったようなズボンは少年の涙なのか、少女の血なのかもうわからなくなってしまっている。
「邪魔すんじゃねえええぇぇぇ!」
感情も能力も暴走した少年は、内に溜めこんでいた全てを吐きだすべく行動を開始した。
「がッ!?」
「ぐあッ」
少年の能力で無差別に対象が転移したり、移動したり、幾何学的距離操作で『心の距離』を操作されたアンチスキルや野次馬共が暴動を起こし始める。
「必ず……!!」
少年の心の状態を表すかのように第23学区の駅ホームは破壊され尽くし、野次馬とアンチスキルが銃と武器を向けて争い始め、見るも無残な光景へと変わっていく。
「だから言ったじゃんよ!」
「ど、どうしましょう……!?」
「どうするも何も、とりあえずあの子を……!」
「も、もう居ません!」
「な、なんだって!?」
暴動が起きた、前代未聞の大地震に加えて混乱している間に少年も、抱きかかえていた少女も綺麗さっぱり消えてなくなっている。
残っているのはダウンを着て死んでいる少年だけだった。
「あの子……何処に行ったじゃんよ!?」
あの子はさっきこう叫んだのだ、『一方通行』と。
一方通行……彼はおそらく学園都市最強の距離操作能力者を精神的に此処まで追い込み、破壊活動を行わせる程の業を犯してしまった。
少年の先ほどの言動から今後取る行動なんて目に見えている、間違いなく一方通行に対して報復する……いや、そんな生ぬるい表現で許されるものではない。
復讐だ、殺しに行くに違いない。
嫌な予感がする、もう二度とあの子と一緒に食卓を囲むことが出来ないほど嫌なことが起こる予感が……。
*
麦野が集合場所に指定した第三学区の高級サロンに到着した絹旗は彼女らが居る個室に入ると、そこには麦野と滝壺の二人しかいなかった。
二人の様子を伺うと特に変わったところはない、ダメージを受けているようにも戦果を挙げているようにも見えない。
あの後二人でスクールを追いかけはしたが結局捕まえられず……と言ったところか、残りの面子である七惟、フレンダ、浜面の姿は見当たらず若干の不安が彼女のを襲う。
確かフレンダは麦野の原子崩しの余波をもろに受けてしまい、負傷していたはずだ。
しかし携帯は繋がっているため、もしかすると……もう既に電源だけ生きていて本人は死んでしまっているのかもしれない。
また浜面もそうだ、確か麦野達がスクールを追いかける為に足として彼は利用されたはずだが、運転手がおらず麦野達二人だけということは、まさか……。
「フレンダと浜面は?」
「知らない、全く音沙汰なし。浜面はスカートの女に狙われてたし、フレンダは結構でかい傷貰ってたしね。死んだんじゃない?」
「きっと大丈夫だよきぬはた」
雑誌を見ながらさらっと言う麦野、何時もと大して変わらないような表情をしているものの俯いて話す滝壺。
明らかに良くないことが起きている、おそらく麦野はそれを掴んでいて滝壺には黙っているに違いない。
それは二人の様子を見れば明白だ、口では軽いことを言っているものの苛立っているのか先ほどから落ち着きがなく視線が泳いでいるし雑誌は1ページも進んでいない。
滝壺も無表情なのは何時も通りだが、顔色がよくないし何時もぼーっとしている印象が強いが今は思案しているのか眉間に皺がよっている。
嫌な空気に包まれた高級サロン、張りつめた空間の中で口を開いたのは滝壺だった。
「ねぇ、きぬはた」
「何ですか?」
「なーないは?」
七惟、か。
そういえばあれから結構時間も経過しているというのに全く七惟からの連絡はなく、音沙汰なし。
「いえ……霧が丘を離れてから会っていません。お二人は?」
「私も会えてないし、連絡もついてないよ」
二人とも連絡はついていないように見えるし……いよいよ浜面、フレンダだけでなく七惟も怪しくなってきている。
いやしかし腐っても七惟は学園都市のレベル5だ、そう簡単に情けなく死んでしまうとは思えない。
少なくともフレンダと浜面よりも生存確率は高いはずだが。
下手をすれば一気に戦力大幅ダウンも有りえる、今この状況でスクールに攻め込まれでもしたら非常に危険だ。
「確か第23学区に行っているはずです、そこでメンバーの仕事が超入ったって。唯携帯は持っているはずなので、麦野の招集メールは見ているはずですが」
「そう……」
滝壺がため息にも近い言葉を漏らし、麦野を一瞥する。
自分たちの会話に全く入ってこない麦野だが……こういうときの麦野はおそらく何か掴んでいる。
「むぎのは何か知ってる?メンバーのお仕事について」
滝壺の問いかけ、それに対して彼女が発した言葉は単純明快だった。
「一方通行に一人で喧嘩売ってるね、あの超弩級馬鹿は」
「え……?」
「さっき何時もの女から電話があって、オールレンジからグループがいる場所を聴かれたって言ってたのよね」
「電話先の女の番号を七惟が何で知ってるんですか……?」
「そりゃ私達とメンバーは同盟関係にある訳だから、それくらい知ってて当然よ。あ、同盟関係にあった、もう過去形よ、過去形」
「それってどういう……」
「全員死んだってさ、オールレンジ除いて」
メンバーが七惟一人を除いて全滅。
「やったのはどこの組織なんですか?」
「スクールってさ。私らを撒いた後どーやらそういう輩を始末してたみたい」
言い終えて手元にあった雑誌を乱雑に放り投げる。
足を組みどかっと座った高級ソファーに対しても気に食わないのか、ひじ掛けに思い切り肘をつく。
相当苛々しているらしい。
「……なーない、大丈夫なのかな」
大丈夫な訳があるか。
相手はあの一方通行だ、学園都市最強の名を欲しいままにし、学園都市最高の頭脳を持ち、暗部にまで堕ちてきた男だ。
そんな奴にこの荒れた状況で喧嘩を売りに行くなんてどういうことだ?
正面からぶつかったら垣根以上に勝ち目がないのは七惟だってわかっているはずなのに。
いったい彼の身に何が起きたのだろうか……?
何時も冷静に状況を判断して自身の身を守ることが出来る七惟らしからぬ行動だ、何としてでもそんなバカげたことは止めたい。
止めなければ七惟の命が危ない。
「今頃原発周辺でもうろついて……ッ」
『原発』
麦野がぽろっと零した言葉、その言葉を聞き逃さったのは自分だけではなかった。
「むぎの、原発って何?なーない、原発の近くにいるの?」
しまった、と顔を顰めるも遅い。
滝壺は七惟がいる学区を突き止めてしまっている、その後の行動は早かった。
「わたし、行ってくる!」
「待ちな滝壺!勝手な行動は……!」
麦野の制止の言葉を聞く前に滝壺は部屋から飛び出していってしまったのである。
迂闊だったと額に手を当て、天を仰ぐ麦野だが一呼吸於いてから顔を再び引き締めた。
「あの二人の関係を利用したけど、こういう弊害もそりゃー……あるわね」
「…………麦野、私も」
「絹旗、アンタは此処で待機。今の状態で滝壺を失う訳にはいかないから、電話の女に滝壺回収出来るように話しておく」
釘を刺すような麦野の言葉、まるで自分の心情など全てお見通しのようだ。
「……七惟は?」
「生きてれば、一緒に回収はするわよ?生きてれば、ね」
自分だって此処を飛び出して七惟を探しに行きたいが、それはとても麦野が許してくれそうにもなかった。
会えない、話せない、電話も通じない。
どうにかして彼を止めなければ……そうしなければ、取り返しのつかないことが起こる。
七惟だけではない、早くこの状況を何とかしなければ七惟も、フレンダも、浜面も全部失ってアイテムという組織が空中分解してしまいそうだ。
ついこないだまで一緒に話して、買い物をして、遊んでいたというのに、そんな幻のような日々は非常な現実の前に溶け落ちてしまった。