その晩、ルイズとルルーシュは中庭にいた。
ここ最近、ルイズは貴族というものについて考えていた。
貴族とは何か? 魔法が使えれば貴族なのか。いや、貴族の身分を無くした野良メイジなどいくらでも居る。だが、トリステインでは貴族は魔法が使えるのが当たり前だ。おとなりのゲルマニアでは、金さえあればメイジでない者も貴族になれる。トリステインでも貧乏貴族が平民の商人に頭を下げることなどよくあることだ。高貴さとは金で買えるものなのだろうか。トリステイン貴族であるルイズには、納得しかねる考えだ。
では、貴族は何故えらいのか。智と力によって民を守り導くからだ、と幼いころから教わってきた。力とはすなわち、魔法のことである。智は勉強と努力でなんとかなる。しかし、魔法ばかりは自分にはどうにも出来ない。頭さえ良ければ周りは貴族と認めてくれるだろうか。いや、ガリア国王ですら魔法が下手なために『無能王』などと呼ばれるのだ。いくら自分が努力しようとも、周りはやはり魔法が使えない、という色眼鏡で自分を見るだろう。それは、貴族として働くのには不都合なものだ。
たしかに、心構えは大切だ。しかし、どんな立派な志をもっていようと、民や周囲の者にはそれは関係のないことなのだ。
「というわけで魔法の自主練をしようと思うのよ」
「いいんじゃないか? ただ、外でやってくれ。こっちは藁束で寝ているんだ。これ以上風通しを良くされては死んでしまう」
「分かってるわよ。外でやるわよ、もちろん。あんたも来るのよ」
というわけで、二人は中庭に来ていた。ルイズは光源を作るようなことも出来ないので、ルルーシュがランプを持っている。双月が大きな夜だったが、文字を読むにはさすがに暗い。
ルイズは何度も教科書を読んでは呪文を唱えるが、そのたびに中庭にクレーターができあがることになった。やがて、ランプの油がそろそろ切れそうになったころ、中庭に二人の客がやってきた。
「ゼロのルイズ。夜中なんだからもう少し考えなさいよ。うるさくて眠れやしないわ」
「そっちこそうるさいわね。わたしは魔法の練習してるんだから、いつもみたいに男でも連れ込んで遊んでなさいよ」
「あら、じゃあそうするわ。行きましょ、ルルーシュ」
「ちょっっ、何でそうなるのよ!」
やってきたのはキュルケと、キュルケに手を引かれ迷惑そうな顔をしているタバサだった。ルルーシュがランプを持っているのを見ると、さっそく近くに陣取って本を開いた。
「まったく、何をそんなに急にやる気になってるのよ。ゼロのルイズが急に魔法ができるようになるわけないじゃないの」
「だっ、だから練習してるんでしょう! コントラクト・サーヴァントは出来たんだから、見てなさいよ……」
そう言って、ルイズは教科書を開いて呪文を唱えはじめた。ルルーシュもキュルケも、タバサまでもが本から顔を上げてそれを見守った。
「ファイヤーボール!」
火の玉を呼び出す呪文。しかし、杖の先からは何も出ず、一拍送れてすさまじい轟音が中庭に鳴り響いた。いつも通りの失敗魔法である。気合いが入っていたからか、普段の爆発よりも規模が大きい。
「ヒビ」
タバサがつぶやいた。指で示すが、遠い上に暗いのでよく分からない。
「へ? ここは宝物庫のはずよ、学生の魔法くらいで壊れるはずないわ。どこよタバサ」
そう言われ、タバサが杖をふって小さく呪文を唱える。すると、ルイズたち三人の視界が狭まって、壁の一部だけが大きく見えた。一瞬の後、視界は元に戻った。魔法で空気を操ったのだった。
「うわ」
「本当ですね」
「どどど、どうしよう」
三人はその光景を見せられて思わず声に出していた。とくに、張本人であるルイズのうろたえようは半端ではない。しかし、すぐにそれ以上に三人、いや四人を驚愕させることが起きた。
「え、えええーーーっ!」
突如として、巨大なゴーレムが出現し、建物―さっきヒビの入った宝物庫の壁を攻撃しはじめたのだ。ゴーレムが動くたび、地震のような地響きが伝わってくる。
ルルーシュはすぐにランプの火を消した。タバサが呼んだのか、一匹の風竜が空から降りてくる。タバサとキュルケがそれに乗り、ルルーシュもルイズの手を引いてそちらに向かおうとする。
「ルイズ」
「言わなくても分かるわよ、あのゴーレムに立ち向かっても何もできない。わたしに出来る責任の取り方は、犯人のことをなるべく詳細に報告すること。そうでしょう?」
分かってるならいい。と、ルルーシュはルイズを連れてタバサの風竜に乗った。風竜にしがみつきながら、ルイズはまばたきもせずに襲撃犯のことをじっと見ていた。
明くる朝、学院は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。なにせ、秘宝の『破壊の杖』が盗まれたのである。それも、巨大なゴーレムで壁を破壊するという大胆な方法で。学院中の教師が、壁に開いた大穴を見て、あんぐりと口を開けていた。
壁には土くれのフーケの犯行声明が刻まれていた。
『破壊の杖、確かに領収しました、土くれのフーケ』
宝物庫に集まった教師たちの間では、さっそく責任の追及が始まっていた。ただ、ここは貴族の思惑渦巻くトリステイン魔法学院である。責任の所在は水が低いところに流れるかのごとく、弱い者に集中する。昨晩、魔法の練習中に誤って宝物庫の壁にヒビを入れてしまった公爵令嬢よりも、当直をサボって寝ていた女性教師がやり玉に挙げられた。
「お待ちください! わたしが壁を壊さなければそもそも……」
ルイズが声を張り上げても、紛糾する教師達の耳には入らない。近くにいた教師が言うには、学生の魔法で壊れるようなら、それは学院側の落ち度だと言ってくる。確かに正論ではあるが、それで納得できるようなルイズではない。教師たちの中心に割って入ってやろうとしたとき、先にその場に出た者がいた。学院長オールド・オスマンその人である。
「これこれ、女性をいじめるものではない」
当直の教師―ミセス・シュヴルーズを糾弾していた教師達がオスマン老に訴える。
「しかしですな、オールド・オスマン。彼女は当直なのにぐうぐう自室で寝ていたのですぞ! 責任は彼女にあります!」
がなり立てる教師達をのらりくらりとさばきつつ、オスマン老は集まった教師達をぐるりと見回す。
「さて、聞くが。この中で当直をしたことがある教師は、一体何人おられるかな?」
教師達はお互い顔を見合わせると、恥ずかしそうに顔を伏せた。名乗り出る者は居なかった。
「これが現状じゃ。責任があるとすれば、我々全員じゃ。この中の誰もが……私を含めてじゃが、まさかこの魔法学院が賊に襲われるなどと考えもしなかった。何しろここにいるのは、ほとんどがメイジじゃからな。誰が好きこのんで虎穴に入るかっちゅう話じゃ。じゃが、それは間違いじゃった」
オスマン老は壁にあいた大穴を見つめた。
「この通り、賊は大胆にも忍び込み、「破壊の杖」を奪っていきおった。つまり、我々は油断していたのじゃ。責任があるとするならば、我ら全員にあるといわねばなるまい」
静まりかえったところで、ルイズが再び声を上げた。
「学院長! 先ほども申し上げた通り、今回の責任はわたしにあります!」
隣ではキュルケが、言わなきゃバレっこないのにこの子ったら……とぼやいている。タバサはいつも通りの無表情。ルルーシュはルイズの後ろに控えていた。
オスマン老がルイズと三人を見る。
「確かに君は今回の事件のきっかけの一つかもしれん。じゃがな、ミス・ヴァリエールここは学院で、君らは学生、そして儂らは教師なんじゃ。学院の中で起こった事は儂ら教師の責任じゃよ。建物の強度のことだけではない。教師には君に教え導く役割がある。生徒が何か問題を起こしたならば、ワシらの監督不行き届きという話じゃ」
「わたしは、学生である前に貴族です」
「では聞くが、今のおぬしになんの責任が取れるというんじゃ。いっぱしの口をきくのは一人前になってからにしたまえ」
学院の最高責任者にここまで言われては、ルイズも黙るしかなかった。肩を落とし、しゅんとうつむいてしまう。
「じゃが、その気持ちはすばらしいものじゃ。その気持ちを持ち続ければ、立派な貴族になれるじゃろう。責任のなすりつけをするばかりの者どもにも見習わせたいわい」
びくり、と何人かの教師が震えた。少し重くなった空気を切り替えるように、ミス・ロングビルが言う。
「学院長。どうやら奪われたのは『破壊の杖』だけのようです。古い目録なので新しいものは確認しようがありませんが、室内の痕跡から言っても間違いないかと」
「わ、わたしもそう思います! フーケは一つのものしか持っていないように見えました。それに、宝物庫に入ってすぐに出てきたので、あれこれと物色する暇はなかったかと」
ルイズがそう言うと、キュルケとタバサも続けて同じ事をいった。
オスマン老はしばらく考えたあと、立ち並ぶ教師達に次々に指示を出していった。数人単位での捜索班の編制、壁の応急修理や防御魔法の再検討、内外への通達……、普段のセクハラ老人ぶりからは想像の付かないほど的確なものだった。
ミス・ロングビルはオスマン老の隣でせわしなく雑事をこなしていたが、その表情はどこか満足げだった。
フーケの捜索班のひとつにルイズたちの姿があった。オスマン老には止められたが、ルイズが無理はしないからどうしてもと言って加わったのだ。キュルケ・タバサ・ルルーシュの三人も一緒である。いくらトライアングル級のメイジもいるとは言え、生徒だけでは不安が残るということで、ミス・ロングビルも同行していた。
ルイズたちは昨夜、フーケを見失った草原まで来ていた。ゴーレムの残骸である土がこんもりとした小山を作っている。年長者であり一応お目付役ということもあってか、ロングビルが自然と指示を出す流れになっていた。
「それでは、ミス・タバサは風竜で上空から何かないか探して下さい。ミス・ツェルプスト―とミス・ヴァリエールは一緒にあちらの丘をお願いします。私とルルーシュさんであの森を捜索します。何かあった場合は……」
その編成に、ルイズがあからさまに嫌な顔をする。
「な、なぜこの組み合わせなんですか? ミス・ロングビル。タバサのことは分かりますけど……」
「単純に戦力の分配です。失礼ですが、ミス・ヴァリエールはまだ魔法が達者でないとお聞きしましたので、トライアングルメイジのミス・ツェルプストーとご一緒に。ルルーシュさんも平民ですので、微力ながら私とご一緒に、ということです」
「な、ならわたしとルルーシュが逆でも……」
「あら、じゃああたしはルルーシュと二人っきりね。よろしくね、ダーリン」
「なっ……う~、ああもう! ミス・ロングビル! もうこの組み合わせでいいです、さっさと行きましょう」
ルイズはずかずかと丘に向かって歩き出した。それを追おうとしたキュルケが、少し不安そうに聞く。
「ですが、ミス・ロングビルはラインメイジですわよね。その、大丈夫ですか?」
「ご心配なさらずに。私は貴族の身分を無くした身ですから。女手一つで世の中渡って来たんですもの、それなりに腕に自信はありますわ」
「あら。それはひとつ、コツを伝授していただきたいものですわ」
キュルケは楽しげに言うと、ルルーシュにウインクを跳ばし、ルイズを追っていった。
「さて、私たちも行きましょうか」
森の中は、まっすぐ背の高い木が延々と並んでいた。草や茂みなどはなく、木漏れ日も明るく照らしているため、ルルーシュでも歩くのに不自由はしなかった。
「人の手が入っていますね……、近くの村の入会地なのでしょう」
ロングビルがそう言ったが、ルルーシュにはよく分からなかった。知識としては気候と植生から、生息している動物などを予想できるが、あくまで元の世界の話だ。昔、友人に知識ばかりで実践に弱い、などと言われたことがあったのを思い出す。
しばらく歩いて行くと、なにやら小さな小屋が立っているのが分かった。道らしいものも見えるので、森の入り口にあたるようだ。
「あら、炭焼き小屋のようですわね」
「中に誰かいるのでしょうか?」
小屋には窓などという上等なものは付いていなかった。
「ルルーシュさんはそこで待っていて下さい」
懐から杖を取り出し、ロングビルが小屋に近づいていく。小屋の戸の前まで来ると、普段の印象からは想像もつかないほど荒々しく、戸を蹴破って中に入っていった。すぐに、戸口から手招きしてルルーシュを呼んだ。
炭焼き小屋は土間だけの粗末なもので、家具らしいものは何もなかった。なので、それがあるのがすぐに分かった。
「これは……」
「『破壊の杖』ですわ! やはりフーケはここに来ていたようですね」
ロングビルがうれしそうに持ち上げるそれを、ルルーシュはまじまじと見つめた。黒っぽい金属製の、細長い筒。グリップやトリガーなどがついたそれを、ルルーシュは触れるまでもなく知っていた。ルルーシュの世界にあった、携行式のロケットランチャーである。
ルルーシュはかつて、軍組織の長として生きていたことがある。組織が大きくなってからは縁がなかったが、駆け出しのころは、こういった兵器を自分で使うことも多かった。
「でも、ミスタ・コルベールじゃあありませんが、本当に奇妙な形ですよね。どうやって使うのでしょう? 分かりますか、ルルーシュさん」
破壊の杖とやらが、ルルーシュの前に差し出される。
「さあ、触れてみてください」
ロングビルは、顔は笑っていても目が笑っていない。ルルーシュは、『破壊の杖』に手を伸ばさず、ゆっくりとかぶりを振った。
「茶番はそろそろやめにしませんか。ミス・ロングビル。いや、土くれのフーケ」
「……なんのことです、ルルーシュさん。いわれのない侮辱を受けては黙ってはいられませんよ」
「最初は内通しているだけかと思ったんですがね。ここに来て確信しました。貴女は少し急ぎすぎた。ここにフーケが出入りしていたのなら、せめてここを離れようとするそぶりくらいは見せるべきだった」
コルベールが話していた、物理的な衝撃による襲撃。やけに『破壊の杖』に執着していたロングビル。そして、自分という、マジックアイテムの鑑定能力者を、ここまでわざわざ連れてきたという事実。ルルーシュがロングビルを疑う要素は十分すぎるくらいそろっていた。
ロングビルは一瞬だけ真顔になったあと、そっと眼鏡を外した。
「仕方ないか。けっこうここの暮らしも気に入ってたんだけど、まあいいさね」
さばさばした口ぶりになり、眼鏡を外したせいか顔の印象もがらりと変わった。これが、土くれのフーケとしての顔なのだろう。ふと、学校では猫を被り続けていた親衛隊隊長のことを思い出す。どうにも、この手の人種は公の場では『優等生』を演じるのが定番のようだ。
「さて、アンタはどうする?」
「殺しはしないのか?」
「あたしと一緒に来るならね、殺しはしないよ。マジックアイテム専門の盗賊と、その鑑定人。良いコンビだと思わないかい?」
口調は砕けたものだが、目は明らかに本気だった。杖をこちらに向け、何かしようものなら容赦なく魔法が来るだろう。
「その、『破壊の杖』の鑑定をするから、見逃して欲しい。というのは駄目かな」
「駄目だね。アンタの選択肢は二つ。ここで死ぬか、アタシと来るかだ」
強く言い切るフーケの表情に、ルルーシュはどこか懐かしいものを感じていた。貴族だけを狙う盗賊フーケ。貴族の身分をなくしたと言ったロングビル。
ああ、そうか。
「貴族が、憎いのか」
「……黙りな」
目に、憎悪の色が混じる。恨みと怒りが混ざった復讐者の瞳。
「貴族の身分を無くしたということは、よほどの事があったのだろう」
「知ったような口をきくじゃないか。あんたにあたしの何がわかるって言うのさ」
「まあ、安っぽいコソ泥で貴族の鼻をあかした気になっている輩の気分など、俺には分からないな」
フーケが杖をかざしたかと思うと、怒り任せの魔法が小屋を半分ほど吹き飛ばした。木片がいくつもルルーシュの身体にぶつかってくる。
「この土くれのフーケを、コソ泥とは言ってくれるじゃないかい!」
「なんだ? 自分では義賊のつもりでも居たのか? 平民に杖を向けて脅す義賊など、笑わせてくれる。秘宝の一つや二つ、奪われたところで貴族はさほど気にはしない。教えてやろう。貴族が一番いやがるのは、貴族の身分をなくすことさ。貴族と戦うなら、貴族の敵になるんじゃない、平民の味方になるべきなのさ」
「……っ!」
そういう意味では、土くれのフーケはあくまで貴族だったのだ。いくら貴族を憎んでも、貴族体制を打倒するという発想は出てこない。平民が力を付け、領主を必要としなくなるような世界を想像もしない。
そのことを理解してしまったのだろう。怒りと屈辱で顔をゆがめたフーケが杖をふたたび掲げた。
「待ちなさい!」
そこに現れたのは、汗だくになって走ってきたルイズだった。
捜索に出る前、ルイズはルルーシュからあることを伝えられていた。土くれのフーケの正体はミス・ロングビルの可能性がある、と。
「もし、彼女が俺と二人だけで行動しようとしたら、他の二人と一緒に追ってこい」
「分かったわ」
「もちろん、彼女がフーケだと決まったわけじゃない。他の二人にどう話すかはお前の裁量に任せる」
ルイズは、キュルケにタバサを呼びに行かせ、自分はルルーシュたちを呼びに行くと言って分かれてきた。危険かもしれないが、自分にはギアスという切り札がある。それを考えればむしろあの二人はいないほうがいい。
森の中、ルルーシュたちを探していると、何かが破壊される音が聞こえてきた。やはり、ルルーシュの言った通りだったのか。ルイズは音のする方に向かって走った。
「って、なんでアンタはいきなり捕まってんのよ! 弱っちいにも程があるでしょ!」
駆けつけた瞬間、ルルーシュは一瞬こちらに目を向けた。ミス・ロングビル、いや、土くれのフーケはその隙を見逃さなかった。一瞬でルルーシュの腕をねじり上げて拘束してしまったのだ。
「ああもう! 女の細腕で捕まってるんじゃ無いわよ、情けない!」
「さあお嬢ちゃん、杖を捨ててもらおうか。もっとも、アンタは魔法を使えないそうだから無意味かもしれないがね」
「ぐぬぬ……」
ルイズは仕方なく、杖を地面に放る。だが、こちらにはまだ切り札があるのだ。杖の要らない、必殺の呪いが。
「まて! ルイズ、俺なら大丈夫だ。少し待っていろ」
「な、何強がってんのよ! いいからわたしに任せなさい!」
再びギアスをかけようとするが、その瞬間、急にフーケの様子がおかしくなった。
「あ、あああ、ああ……」
呆然とした表情であらぬ方向を見ている。その目は何かにおびえているようにも見えた。ルルーシュはするりとフーケの腕から抜け出した。フーケはすとん、と腰を抜かしたように座り込んでしまう。
「な、何をしたの?」
「ショックイメージを見せている。彼女にとっての恐怖や絶望と言ったものが見えているはずだ」
「な、なによそれ?」
「今の俺に触れるなよ。余波でお前まで飛ばされるからな」
よく見ると、ルルーシュの右手の手のひらにある紋章が赤く輝いていた。気になったが、どうせはぐらかされると思い、フーケに目をやった。
「で、どうするのよこれ」
「落ち着くまでには時間がかかるからな……」
「……わたしのギアスにかかるかしら、この状態で」
「ああ、問題ないと思うぞ」
「いいの? アンタ、わたしがギアスを使うの嫌ってたじゃない」
「幼稚な考えで乱用するなと言っただけだ。覚悟と責任があるなら好きにしたらいい」
そう言われ、しばらく考えた末に、ルイズはフーケの瞳をのぞき込んだ。
「一応聞いておこうか、何のためにギアスをかける?」
「質問に応えてもらうためよ。貴族に生まれ、貴族でなくなり、貴族を憎む。そんな人の話を、わたしは聞いておくべきだと思う」
「そうか、なら、何も言うまい」
ルイズの瞳に、ルルーシュの手と同じ紋章が赤く浮かび上がる。その瞳を見た者を、いかなる命令にも従える絶対遵守の呪い。
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが命じる……、わたしの質問に答えなさい」
「……イエス・ユア・ハイネス」
何かにおびえたようになっていたフーケの顔が急に静かになった。質問を促すようにこちらを見ている。
「最初の質問、なぜ貴族を憎むの?」
ギアスの制御下にあるフーケは、まるで歴史書でもそらんじるかのように、己の過去を語りはじめた。それはルイズの想像を超えるものだった。マチルダ・オブ・サウスゴータ。太守の娘。アルビオン王弟。ハーフエルフ。お家の取りつぶし……。
ミス・ロングビルは確かに土くれのフーケだった。そして、その正体はアルビオンの太守の娘。彼女は生きるために、家族を助けるためにフーケという仮面を被らなければならなかった。
ギアスの力で、自身の身に起きた悲劇を淡々と語るフーケが、ルイズは痛ましく思えた。
貴族としては、フーケの事情などを気にしてはいけない。事情など誰にでもある。民全ての事情を聞くことは不可能だ。だが、一人の人間として、ルイズは大きく揺れていた。
ルルーシュならば、どう言うのだろう。平民の立場に立って助けようとするのか。貴族としてのあり方を説いて司法にゆだねるのか。つい、ルルーシュの顔を伺った。
「……どうしたの? ルルーシュ」
今までに見たこともないほど、ルルーシュは感情をあらわにしていた。その感情が何なのかまでは分からなかったが。
「何でもない」
「なんでもないってことはないでしょ。ひどい顔してるわよ、あんた」
黙り込むルルーシュに、そのまま視線で問い続ける。しばらく睨みあったあと、根負けしたのはルルーシュだった。
「少し……、昔の自分を思い出してな。彼女の境遇や生き方を聞いていたら」
聞けたのはそれだけだった。もっと詳しく聞きたいと思ったが、聞いてもこれ以上は答えないとルイズは分かった。
「じゃあ、フーケを助けたいと思うの? それとも、さばかれるべきだって言うのかしら?」
「……その問いには答えられない」
「どうしてよ!」
「お前が迷っているからだ。お前は今、個と公の間で揺れている。ここで俺が何かを言えば、簡単に片側に傾くだろう。お前は、自分でこのフーケの処遇を考えなければならない」
「な、なによえらそうに!」
自身の弱い心を見透かされ、ルイズはかあっと赤くなる。つい、ルルーシュにつかみかかってしまっていた。その瞬間、ルイズの意識はここではない場所に跳ばされた。
あの契約の瞬間と同じ、時間と精神が交差する時空。
(でも……あのときと違う……何なの?)
血を流して倒れている黒髪の女性。車椅子の少女。紙細工の鳥。黒い仮面の男。たくさんの人びとが仮面の男に向けて叫んでいる。ゼロ! ゼロ! ゼロ! 熱狂。狂乱。慟哭。
場面が変わる。少女が泣き叫んでいる。傍らにはとがった耳の幼子。これは……フーケ?
「な、なんなの今の!」
「馬鹿、逃げろ!」
いつの間にか、フーケが杖をこちらに向けていた。ルルーシュの能力の影響なのか、その目は明かに正気ではない。地面が揺れはじめ、土が盛り上がって巨大なゴーレムが出現した。フーケはまだ錯乱しているようで、ゴーレムはまわりのものを手当たり次第に破壊している。
ルイズは逃げようとしたが、フーケが無理矢理地面の土をゴーレムにしたため、足下が非情に不安定になっていた。足を踏み出すたびにぼろぼろと土がくずれ、なかなか前に進めない。
「危ない、ルイズ!」
暴走したゴーレムがルイズたちの近くまで迫っていた。巨大な足がルイズの真上から降りてくる。
死ぬ。半ばそう覚悟したとき、ルルーシュにどん、と突き飛ばされた。地面を転がって土まみれになった。口の中の土をはき出し、おそるおそる後ろを振り向く。
「いや、いやぁっ! ルル―シュ、ルルーシューっ!」
ゴーレムの足跡の中に、ボロ雑巾のようになったルルーシュがいた。血と混じり合った土の中に、手足が妙な方向に折れ曲がった身体が埋まっている。
土をかき分けてルルーシュを掘り出す。わずかに呼吸はしているが、どう見ても致命傷だ。学院に運んでも間に合わない。
魔法が使えたらと、ルイズはかつて無いほと強く思った。水の魔法が使えれば治療をすることができる。フライを使えればゴーレムから逃げ出せた。しかし、ゼロのルイズには魔法が使えない。使い魔一人救うこともできない。
「ル、ルイ……ズ」
「え……、ルルーシュ?」
ルイズは耳を疑った。ほとんど人の形をとどめていないような状態だったのに、ルルーシュは意識を取り戻したのだ。
「大丈夫? す、すぐにタバサに風竜で運んでもらうから、待ってるのよ、分かった? 死、死んじゃダメよ」
「俺、なら……大丈夫だ、気にするな。それより……」
大丈夫なはずがない。だが、ルルーシュは血を何度も吐きながら指示を出してきた。ルイズは一言一句聞き漏らさずに聞いた。使い魔の最後の言葉だと思ったからだ。
「分かったわ。任せて、ルルーシュ」
ルイズは走りはじめた。
タバサとキュルケは、突如現れたゴーレムをシルフィードの上から見下ろしていた。ゴーレムは見境なく周りの木や岩を破壊しているが、こちらに攻撃しようとはしない。
「ああもう、ルイズたちは何やってるのよ」
二人は、助けを呼びに行くかルイズ達と合流するかで迷っていた。あの暴れ回るゴーレムの足下で三人を探してから回収するというのは危険きわまりない。せめて、見えるところまで出てきてくれればなんとかなるのだが、ルイズたちが森から出てくる様子がない。
「タバサ、居た?」
タバサは風の魔法で視界を拡大して、目を皿のようにして三人を探していた。
「居た、ルイズ」
森の北側を指さす。キュルケが目をこらすと、何か黒いものを持ったルイズが見えた。ルルーシュとロングビルの姿は見えない。もしかしたらあのゴーレムに……、不安が二人の頭をよぎる。キュルケはそれを振り払うようにタバサに言う。
「と、とりあえずルイズだけでも回収しましょう」
「待って。……ルイズ、何かするつもり」
「えっ?」
ルイズが持っていた黒い筒を肩にのせた。すると、ゴーレムに向かって何かが発射された。白煙を引いたそれは、ゴーレムに命中したかと思うと、激しい爆発を起こした。激しい爆音と衝撃が上空まで伝わってくる。
「な、何? ルイズの失敗魔法?」
「違う。たぶん。破壊の杖」
下半身だけになったゴーレムが土くれとなって崩れた。タバサとキュルケは、再び森に入っていったルイズを追って地上に向かった。
ルイズは『破壊の杖』を使ってゴーレム倒した。使い方はルルーシュが説明してくれたのだった。
森の中を駆ける。途中、フーケがゴーレムの残骸の近くで倒れていたが、ルイズの目には入らなかった。考えているのはルルーシュの元に向かうことだけだった。
森を抜け、ルルーシュがいた場所に戻ってきた。血で赤黒く染まった土のもとに駆け寄る。
「ルルーシュ、やったわ、わたしやったわよ。ねぇ……?」
ルイズは絶句した。自分の使い魔がこと切れていたからではない。そのことは覚悟していた。使い魔の肉体は明らかに回復していた。身体中の傷も、あらぬ方向に曲がった手足も、さっき見た時よりもはるかに良くなっている。
「どうなってるの」
見ている間にもルルーシュの肉体は回復していく。最高級の水の秘薬でも使ったかのようだ。誰かが水の秘薬を使ってくれたのか? いや、使い魔としての能力?
「ルイズか……」
ルルーシュが目を覚ます。ルイズの表情を見て何が言いたいのか分かったのだろう。
「俺の身体の事だな」
「そ、そうよ。何があったの? 誰かが治療してくれたの?」
いいや、とルルーシュはかぶりを振る。
「俺は死なない身体なんだ。死ねない、と言った方がいいがな。どんな怪我でもすぐに治るし、毒で死ぬことも飢えで死ぬこともない」
にわかには信じがたい話だった。だが、ルルーシュの身体はみるみるうちに回復していく。目を背けたくなるような状態だった手足も、ほとんど傷が目立たなくなっていた。ルルーシュは黙ってこちらを見ている。聞きたいことがあるだろう、と。
ルイズは悩んだ末、口を開いた。
「ゼロ」
「は?」
「あんたも、ゼロって呼ばれてたのね。さっきそう聞こえたわ」
何もない自分に付けられた無能の証の二つ名。この使い魔も、同じ名前で呼ばれていたことがあったのだ。
「……お前と違って、自分で名乗った名前だ」
「そうみたいね。ねえ、なんでゼロなんて名乗ったの?」
自分にとっては屈辱でしかない名前だ。
「お前と同じさ。俺は、自分に何もないと思っていた。何もかも嘘、生きてるってことさえ嘘だと思ってた。だから、何もない“ゼロ”からはじめようと思った」
何をはじめようとしたのか、ルイズは聞かない。
「で、そのゼロは、ゼロじゃなくなったのかしら?」
「いや、結局ゼロはゼロのままさ。嘘をいくら塗り固めても、本当のことなんて何も手に入らない。でも……」
「でも?」
「世界中の人間が信じた嘘は、本当ってことになるだろう?」
思わず、ぽかんとくちを開けて固まってしまった。やがて、こみ上げてくる笑いを抑えられなくなった。
「ぷっ、あは、あはははは! たいした大嘘つきね。そこまで行くと嘘も才能だわ。……ねえルルーシュ?」
「なんだ」
「さっき、助けてくれてありがとう。あんたが居なかったら死んでたわ」
「気にするな。使い魔は主人を守るものなんだろう?」