虚無とギアス   作:ドカン

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 食堂での一件以来、ルイズの身の回りに少しだけ変化があった。

 まず、ルイズを馬鹿にするものが減った。完全にいなくなったわけではないが、少なくとも面と向かってからかってくるような者はほとんどいない。これに関してはまあ良いことである。問題はもう一つの変化の方だ。

「あ、ルイズ様。おはようございます!」

 小走りに駆け寄ってきた給仕が深々と頭を下げる。この前ギーシュに絡まれていた少女、シェスタだった。

 あれ以来、ルイズは使用人たちに熱烈に慕われてしまっていた。特に、助けられた本人であるシェスタなどは下にも置かぬ扱いでルイズに接してくる。

 ルイズにしてみれば、彼女に対する親切心とか、ギーシュに対する義憤などよりも、自分の使い魔への反発心からの行動だった。なので、あまり持ち上げられてしまうとかえって居心地が悪い部分もあった。

 周りからは、魔法の使えないゼロのルイズが、平民となれ合っているのはお似合いだ、などという声も聞こえてくる。前ならその醜聞に腹を立てていただろうが、今は不思議と気にならなかった。

 それは、ルイズにとって初めての、自分自身に向けられた敬意だからだった。これまで、ルイズに向けられた敬意とは、ルイズ自身に向けられた者ではなく、ヴァリエール家、ひいては貴族そのものに対するものだった。今、ルイズに向けられているのは、そういった肩書きではなく、ルイズ自身の行動に対する敬意なのだ。

 幼いころから両親や家庭教師に言われ続けてきた、貴族としての心構えを、ここのところよく思い出す。貴族は国家や民衆を守るため常に先頭に立ち、血を流すことを恐れてはいけない。だからこそ敬われ、支配する資格があるのだと。ルイズはその教えの意味を、ようやく理解できたような気がしていた。

 

「ねえシェスタ、私の使い魔を見なかった?」

「ルルーシュさんですか? さきほど広場の方でグラモン様とご一緒にいるのを見かけました」

「……ギーシュと? そう、ありがとう」

 礼を言うと、シェスタは感極まったような笑顔を見せた。ルイズは苦笑いしつつ、広場へと向かう。

(いつの間にギーシュと知り合ったのかしら……)

 

 広場に着くと、ルルーシュがギーシュを相手にチェスをやっているのを見つけた。

 そういえば、ルルーシュがルイズの部屋にあったチェス盤を見て、同じようなゲームがルルーシュの世界にもあったと言い出したことがあった。ルイズも多少は覚えがあったので数局対戦したが、結果は完敗。もう二度とやらないと心に誓った。そのことを、キュルケなど何人かに話した覚えがある。どこかからその話を伝え聞いたのだろう。

「なにやってんのよ」

「ああ、お嬢様。見ての通りです。グラモン様のチェスのお相手を務めさせていただいていたところです」

「ルイズ! 凄いな、キミの使い魔は。ボクも実家で鍛えられている方だと思っていたのだが、ルルーシュにはまるでかなわないんだ。腕が違い過ぎて、まるで指導対局のようだったよ」

 チェスは用兵と通ずるところがあるためか、軍人が好んでたしなむことが多い。軍閥の名門であるグラモン家でもその例外ではないらしかった。そのギーシュに勝ってしまうのだから、ルルーシュの腕はルイズが考えていたよりもかなり上らしい。

「使い魔がチェス強くってもねえ……」

 盤上でチェックをかけている黒のビショップを指先ではじく。

「それで、お嬢様。何かご用でしょうか?」

「明日は虚無の曜日でしょう。街まで出かけようと思うんだけど。あんたどうせ馬なんか乗れないわよね? 明日騒ぐよりも今日のうちに少しでも教えとこうと思って」

 ルルーシュは給仕も洗濯もソツなくこなすが、体力のいる仕事は駄目だった。シェスタに聞いたところ、水くみなどはまるで役に立たないらしい。その上、馬に乗る機会の少ない平民だ。乗馬など出来るはずもないだろう。

「なに! それはちょうどいい。ボクが教えてあげよう、チェスの礼だ。キミも主人とは言え、女性に乗馬を教わるのは気恥ずかしいのではないかね?」

 ギーシュが爽やかにルルーシュに笑いかける。ギーシュはルルーシュがすっかり気に入ったようだった。もともと、女性が絡まなければ悪い奴ではないのだ。平民とか貴族とかいうこだわりも、先日、シェスタに頭を下げたことで何か吹っ切れたのかもしれない。

 だが、ここはルイズとしても譲れなかった。召喚以来、さんざん生意気な口をきいてくれた使い魔に、ようやく上から物をいえるチャンスなのだ。ギーシュなどに邪魔されてはかなわない。

 だが、そんなルイズの思惑を思いっきり裏切る一言をこの使い魔は言った。

「お気持ちはありがたいのですが、お二人のお手を煩わせるまでもございません。実は、乗馬はそれなりにたしなんでおりますので」

 

 翌日、馬を借りた二人は王都トリスタニアへと向かっていた。見事に馬を乗りこなすルルーシュを見て、恨みがましくルイズが言う。

「……なんで乗馬だけはそんなに上手いのよ」

「子供のころにさんざん叩き込まれたからな」

 ブリタニアの皇太子として生まれたルルーシュだ。乗馬くらいはたしなみとして教わっていた。もっとも、乗れるようになったのは一つ下の異母妹よりも後という屈辱的なものだったが。

 

 トリスタニアに着いた二人は、馬を駅舎に預けると街へと繰り出した。

 石造りの町並みはさすがにルルーシュには物珍しかった。通行人の身なりから、露天に売っている商品の種類とその値段など、ありとあらゆるものが新鮮に映る。あれこれと眺めていると、ルイズが得意げに説明しだした。どうやらルルーシュの態度を、都会に初めて出てきたおのぼりさんだと勘違いしているらしい。そういった意味での興味とは少し違うのだが、説明はありがたかったし、ルイズも楽しそうなのでそのまま相づちを打っていた。

 しばらくして、ルルーシュは自分がずいぶんと浮かれている理由が分かった。こういった人混みの中を、変装もなにもせずに歩くなど何十年ぶりかのことだったからだ。

「なによ、にやにやと。気持ち悪いわね」

 そんなルルーシュを見て、ルイズが珍しいものを見たような顔になる。

「いや、田舎者には都会が珍しくてな」

「物珍しいのは分かるけど、スリには気をつけてよ。上着の中にちゃんと財布入ってる?」

 言われて、胸の辺りの財布を確認する。

「ああ、大丈夫だ。いくら俺でもこんな重いものをすられるほど鈍くはないさ」

「魔法を使われちゃ一発でしょ」

「……なるほど」

 食い詰め者のメイジもいるということだ。どんなところにもはみ出し者はいる。貴族社会もそれは例外ではない。ルルーシュのいた世界でも、没落貴族が犯罪に手を染めるなど珍しくなかった。

 食い詰めた貴族というものは、プライドが邪魔して日銭仕事なども出来ないので、自然と賭け事や犯罪などいかがわしい手段をとるものだ。この世界の貴族は魔法が使えるため、さらにタチが悪いのだろう。

 

「それで、今日は何を買うんだ?」

 広場に出たところで尋ねる。

「あんたの服よ。いつまでも使用人の服って訳にもいかないでしょ」

「公爵家に仕える者なら、それにふさわしい身なりがあると?」

「話が早いわね、行くわよ」

 目当ての店は、広場から少し歩いた場所にあった。なんでもヴァリエール家に出入りしている職人の店らしい。顔が利くので少しばかり急がせることもできるという。店に入ると、いかにも慣れた調子で店員に命じ、ルルーシュを奥に連れて行かせ採寸をやらせる。ルイズ自身は、店員と服のデザインの相談などをしていた。

「終わったぞ、ルイズ。そっちは決まったのか? ……どうした」

 採寸を終えてきたルルーシュが見たのは、なにやら目つきのするどい女性の前で固まっているルイズだった。

 女性は、じろりとルルーシュをにらみつける。年の頃は二十代後半ほどだろうか。見事なブロンドの持ち主で、どこかルイズに雰囲気が似ていた。気の強い部分を煮詰めて成長させたルイズ、といった印象だった。

「で、おちび。この平民が何なのか説明してくれるかしら?」

 

 

 金髪の女性はエレオノールといい、ヴァリエール家の長姉らしかった。つまり、ルイズの姉にあたる。どうやらルイズはこの姉のことをことさら苦手にしていようだ。この店はヴァリエール家の御用達らしいので、ルイズの姉がいても全くおかしくはない。見ると、エレオノールの従者らしい女性が二人ほどいるのが分かった。

 無論、ルルーシュに説明があったわけではなかった。二人の会話から推測したことだ。エレオノールはそもそもルルーシュなど眼中にないし、ルイズは蛇ににらまれたカエルのようになっており、そんな余裕はなかった。

「この平民は何? まさか、学院の使用人に入れ上げて貢いでいるなんておばかなことを言うんじゃないでしょうね。おちび」

「ち、ちがいまひゅ! これはわたしの使い魔です」

「使い魔ぁ?」

 エレオノールは、うさんくさそうにルルーシュをじろじろと見る。人間の使い魔は前代未聞らしいので当然だろう。

「はい、そ、そうです。ルルーシュ、お姉様にルーンをお見せしなさい」

 涙目になってルイズが命じる。ルルーシュはエレオノールの前に跪き、前髪を手で上げて額を見せた。黒髪の間から、刻まれたルーンがあらわになる。それを一瞥すると、エレオノールはすぐにルイズに向き直った。

「確かに本当のようね。使い魔の契約はちゃんと出来たのね。でもおちび? 平民を使い魔にしてどうす――」

 話の流れがさらにまずい方向に向かっていると察したのか、ルイズが遮るように声を上げた。

「お、お姉様!」

「なに?」

「ご婚約、おめでとうございます!」

 そう言った瞬間、エレオノールの眉がつり上がり、従者たちがあちゃあといった表情を浮かべた。

「あなた、分かってて言ってるわね?」

「あひだ! いだ! わだじなんじぼじりばぜん」

 頬をつねり上げられたルイズが全力で否定する。

「婚約は解消よ、か・い・し・ょ・う!」

「な、なにゆえにっ?」

「さあ、パーガンディ伯爵さまに聞いてちょうだい。なんでも、もう限界だそうよ、どうしてかしら?」

 そりゃあ身が持たないからだろう。ルルーシュと従者、さらには店員までもがそう思ったが、口に出す者は誰もいなかった。

 ルイズの頬がまっ赤になったころ、エレオノールは再び使い魔のことに話題を戻した。値踏みをするような目でルルーシュを見る。

「それで、この平民は何ができるのかしら。見たところ護衛なんかは期待できそうにないけれど?」

 そう言われ、ルイズは答えに窮してしまう。実際、ルルーシュは従者程度のことしかできない。むしろ、体力がまるでないのでそこらの平民よりも使えないかもしれない。立ち居振る舞いには教養に裏打たれた優雅さがあるが、それだけだ。

「でも人間が使い魔ねえ……、わたくしも初めて聞いたわ。それに見慣れないルーンね……」

 ルーン。それを聞いてはっとルイズが顔を上げる。コルベールの研究室以来その機会はなかったので、ルイズもルルーシュも半ば忘れていた。

「そ、そうです。姉さま! ルルーシュはマジック・アイテムの鑑定が出来るのです!」

「鑑定?」

 ようやくまともな反応が返ってきて、ここぞとばかりにルイズは自分の使い魔の能力を説明しだした。触れただけでマジック・アイテムの使い方が分かること。実際に、学院の教師の部屋で次々にマジックアイテムの使い方を当てて見せたこと。

 説明を聞くうちに、エレオノールがルルーシュを見る目が変わってきた。

「あなた、今の話は本当なのかしら?」

「さようです、エレオノール様。以前の私にはそのような力はなかったので、ルイズ様の使い魔となった恩恵だと思われます」

 そう言ったルルーシュをじろりと見たあと、エレオノールは自分の従者に声をかけた。持たせていた荷物の中から、いくつかの物を取り出した。その中の一つ、小瓶に入ったポーションをルルーシュに差し出した。

「これの鑑定をして見せなさい。出来るだけ詳細に」

「では、失礼します」

 そう言って小瓶を手に取る。以前のように、ルルーシュの頭の中に薬についての情報が浮かび上がってくる。

「傷を治すための薬ですね。経口ではなく、直接傷口に塗って用いるためのものです。小さな、切り傷や擦り傷程度なら一瞬で癒すことができますが、ある程度深傷になってしまうと効果がほとんどなくなってしまいます。むしろ、傷口が変に癒着して逆効果になる場合もあります。他に注意する点は……」

「もういいわ、次」

 つらつらと説明を続けるルルーシュに、別のマジック・アイテムを突きつける。同じように説明をしてみせると、また違うものが与えられる。そんなやりとりがしばらく繰り返されたあと、

「……おや、エレオノール様もお人が悪い。これはただの羽根ペンではありませんか」

「引っかけにもかからないところを見ると、これは本物かもしれないわね」

「私がもともとマジック・アイテムに通じているのを隠していると?」

「まず疑ってかかるのが研究者というものよ」

「なるほど。感服いたしました」

 ルルーシュは深く頭を垂れた。

 ルイズは使い魔が姉に認められて少し誇らしげだった。会話からさっするに、この姉に認められたことなどほとんどなかったのだろう。

「ルイズ。あなた、この使い魔の能力の価値が分かっているのかしら?」

「は、はい。とても便利な力だと思います」

「便利、ね」

 はぁ、とわざとらしく溜息をついてみせる。認識の甘さにうんざりしている様子だ。

「たとえば、この使い魔をアカデミーで雇うなら、年千エキューを払っても高くはないわ」

「せ、千ですか? そんなに?」

 貴族でもそこまでの年収は簡単には稼げないのだ。一平民に与えられる報酬としては破格以外のなにものでもない。

「マジック・アイテムの開発過程で実験が全て必要なくなるからですね」

 ルイズに説明するように言ったルル―シュを、じろりとエレオノールがにらむ。

「これは、出過ぎたまねをいたしました」

「まあ、その通りよ」

 新しい物を作るときに、実験はもっとも時間と手間、そして金を食う過程の一つだ。特に薬品の効果を調べるのは大変な手間がかかる。最終的に人間による臨床試験という過程が外せないからだ。

 ルルーシュの能力を使えば、そういった手間を完全に省くことが出来る。研究機関にしてみれば、研究の効率を格段に上げることができるのだ。削減できる諸経費を考えれば千エキューでも安いくらいだろう。

「というわけでおちび。この使い魔をアカデミーで働かせなさい。報酬の分配は貴方と使い魔で決めていいわ」

「え、あの……お姉さま」

「従者が必要なら、わたくしが手配してあげます。従者程度のことしかさせていないのだからそれでいいでしょう」

 唐突な命令に、ルイズは困惑する。さっきまでの話を聞いていたので、理由は分かる。

 しかし、曲がりなりにもルルーシュは、ルイズが初めて魔法に成功した証なのだ。それを、誰かに任せてしまうのは納得できなかった。

「い、嫌です!」

「何故? この使い魔がいれば、アカデミーの研究は格段にはかどるようになるわ。それはトリステインの、ひいては王家のためにもなることなのよ!」

「そ、それでも、わたしはルルーシュの主です。召喚した使い魔を売り渡すような真似はしたくありません! 使い魔はメイジを守るものですが、メイジにだって使い魔を守る責任があるはずです!」

 涙をぐっとこらえながら、ルイズは姉とにらみ合った。ほとんど蛇ににらまれたカエルといった状態だったが、ルイズは逃げ出さなかった。たっぷり一分ほど、ルイズにしてみればその数十倍にも感じられる時間のあと、エレオノールが微笑みを見せた。

「ふん。ちびルイズのくせに、少しはメイジらしくなってきたじゃないの」

「え……」

「いいわ。わたくしの研究には直接には役に立たないし、今のところは待ってあげましょう。ルイズ、有能な使い魔を持ったなら、それを使いこなすのもメイジの義務よ。それを忘れないことね」

 相変わらず目つきは鋭いままだったが、エレオノールの表情は少し満足げだった。

 

 ようやく解放されたルイズたちは、ルルーシュの服の注文が済むといそいそと店を後にした。

「ねえルルーシュ……。お姉さまは、もしかしてわたしのことをほめてくれたのかしら」

 雑踏の中で、なかば独り言のようにルイズはつぶやいた。

「少なくとも、認めて頂けたのは確かだと思いますよ。お嬢様」

「そうなの、かな」

 長姉からはほとんど叱られた記憶しかない。使い魔に言われてもどこか半信半疑だった。

「あれ? そう言えばルルーシュ今、敬語……」

 ルルーシュは今まで、二人のときは決して敬語を使わなかった。それは街の雑踏の中でも同様だったはずだ。びっくりして立ち止まり、自分の使い魔を見る。少し前にいたルルーシュが振り返る。

「何をしている。予定ではまだ買い物があるんだろう?」

 いつもの横柄な口調にもどっていた。

(そう……まだわたしは、一言分の敬意しか勝ち取れない器って言いたいのね)

 ルイズは、何も言わずにルルーシュを見返した。ルル―シュは、さっきのエレオノールににも似た笑みを浮かべてそれを受け止めていた。

 

 某武器屋

「俺の出番は……」

「うるっせえぞデルフ!」

 

 

 


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