ルイズはすこぶる機嫌が悪かった。原因はもちろん、あの口の減らない使い魔のせいだ。
ルルーシュは未だに、ルイズに対して敬語を使おうとしない。他の生徒の前では従順な下僕を演じてくれているが、それもうわべだけだ。
魔法が使えないからではない。本当かどうかわからないが、あの青年はメイジのいない世界からきたというし、魔法が使えるからと言って彼の敬意の対象にはならない。それは逆に言えば、魔法とは関係ない、ルイズ個人の人格を評価しているのだ。そしてそのうえで、敬するに値しないというのだ。これが腹立たしくないはずがない。
だが、それは今まで周囲から馬鹿にされてきた感覚とは違う新鮮な感覚だった。なぜなら、それまでルイズと接してきた者達はほとんど、「ヴァリエール公爵家の令嬢」か「ゼロのルイズ」としてしかルイズを見てこなかった。家族など、わずかな例外は居るものの、「ただのルイズ」という顔を見てくれる者はほとんどいなかったのだ。もちろん、ルイズがそのことに気づくのはもう少し先の話になる。
「まったく、なんなのよあの使い魔は……」
ぷりぷりと怒りながら、昼食の鳥を食べる。いらだっていてもまるで作法が乱れないあたり、育ちの良さが見える。ちなみにルルーシュは、賄いをもらう礼だとかで給仕の真似事などをしている。
「はぁいルイズ。なにかご機嫌ななめじゃない」
「……気のせいよ、キュルケ。たった今あんたのせいで気分を害したけど」
「あらぁ、てっきりあの使い魔さんがほかの子にばっかり構ってるからヤキモチ妬いてるんだと思ったわ」
「だっ誰があんなやつ……」
いつも通りの口論になりかけたとき、ルイズはキュルケに後ろに連れがいるのに気づいた。
「キュルケ、そちらは?」
「あたしの友達よ」
キュルケがそう言うと、一緒にいた青髪の少女は一歩前に出て言った。
「タバサ」
そのあまりにも素っ気ない自己紹介に、ルイズは少し面食らったが、顔には出さずに自己紹介をする。
「そう、ミス・タバサ。わたしはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。ルイズでいいわ」
「ちょっとぉ、あたしのときとはずいぶん態度が違うじゃない」
「うるっさいわね……」
三人の会話を遮るように、食堂で騒ぎが起こった。三人とも、思わずそちらの方を見やる。どうやら、衆目の前で二股がばれた男子生徒が、そのうっぷんを給仕の少女に向けているようだ。
「ギーシュね。まったく、恥の上塗りだって分からないのかしら」
「相手は、モンモランシーと一年の子みたい。二股なんかした自業自得よ」
「あらルイズ、そんなのは自分の魅力に自信のない女の言い訳よ。それに、相手に認めさせるだけの度量があれば、それは浮気とは言わないわ」
「ゲルマニアの色欲魔と一緒にしないでよ」
そんなやりとりをしていると、いつの間にか側にルルーシュがやってきていた。珍しく、苛立たしげな感情を顔に出している。三人の近くにやってくると、いつも通りの微笑を浮かべて一礼する。
「手伝いは終わったの? ルルーシュ」
「ええ。ところでお嬢様、一つおたずねしてもよろしいでしょうか?」
「……何よ」
「私はこちらに来て日が浅いものですから、よく分からないのですが……。こちらの方では、二股がばれた腹いせに平民に当たる者を貴族と呼ぶのでしょうか?」
そのあまりにも直接的な皮肉にルイズの顔色がさっと変わる。
「ああ、誰も止めないところを見ると、当たり前のことのようですね。失礼いたしました。なにぶんこちらの常識がない無知な平民の言うことです、平にご容赦くださいませ」
いつも以上に慇懃無礼な物言いが、さらに皮肉を痛烈なものにする。側にいたキュルケも、無表情で通っているタバサすらも、怯んだように顔色を変えた。
自分の使い魔から受けた暴言ともとれる皮肉に、ルイズは顔をまっ赤にして反論した。
「馬鹿言うんじゃないわよ! あんな恥知らずを貴族代表にしないで! 見てなさい、すぐにあの馬鹿を黙らせてくるから!」
そう言うと、野次馬をかき分けて騒ぎの中心、ギーシュの方へと突進していった。
「ギーシュ・ド・グラモン! あんた恥ずかしいことしてんじゃないわよ!」
床に這いつくばって謝っている給仕の前に立ちはだかり、ギーシュに向けて大きな声で怒鳴りつける。
「なんだねルイズ。キミは関係ないじゃないか」
ギーシュが、苛立たしげにこちらを見る。
ここで、ギアスを使ってしまえば話はそれで終わる。マリコルヌと同じように黙らせるだけだ。しかし、衆目の前で何度も使ってしまえば、さすがに怪しむ者が出てくるだろう。それに、ギアスという力で相手を黙らせるのは、魔法を笠に着て平民をいたぶることと、何も違わないのだ。
だから、ルイズはギアスを使わない。あくまで己の言葉のみをぶつける。
「関係なくなんてないわ! ここはあんたのおウチじゃないのよ、ガリアやゲルマニアからも留学生のきてる学院なの。同じトリステイン貴族が恥さらしな真似をしていて黙っていられないわ」
「ま、魔法も使えないゼロのルイズが、貴族のなんたるかを問おうというのかね」
「あんたやマリコルヌはいっつもそう言うけど、魔法の使えないわたしと、二股の腹いせに平民に当たるあんた、本当に恥さらしはどっちなの!」
食堂全てに届くような大音声に、ギーシュは反論できずにいた。やがて、ルイズに同調するようにギーシュを責める声が上がってきた。
ここにいる貴族の子女の全てが、平民をないがしろにしていいと考えている訳ではない。むしろ金や権力にまみれていない分、大人の貴族たちよりはそういった考えに関しては潔癖である。要は、先に立って大きな声を上げる誰かがいればいいのだ。
周り中から糾弾されて、さすがにギーシュは小さく縮こまってしまう。なまじ自分の非を認めてしまっているだけに開き直ることも出来ないようだった。
「あっ……、あの」
黙りこくってしまったギーシュをどうしたものかと考えていると、背後から声をかけられた。渦中のもう一人の人物である使用人である。この辺りでは珍しい、黒い髪の少女だった。
「ああ、あなた。もう行っていいわよ」
もはや、この場はルイズとギーシュの問題になっている。ギーシュも今更この給仕に当たることもないだろう。だが、そこに、なにやら思い詰めた表情のギーシュが声をかけてきた。
「ま、待ってくれ!」
給仕の少女がびくりと震える。さっきまでのことを考えれば当然である。まだ何かあるのか、ルイズも周囲もそう思っていたところ、ギーシュは意外な行動にでた。
「すまなかった」
なんと、平民に対して頭を下げたのだ。
「どんな理由があったにせよ、平民の、それも女性に当たるなど紳士としてあってはならない行為だった。都合のいい話だと思うが、謝罪を受け入れてくれるだろうか」
ここまでまっすぐに謝られると、ルイズも、一緒になって糾弾していた生徒たちも何も言えなくなってしまう。すぐ近くにいたルイズには見えたが、ギーシュはまっ赤になって恥辱に堪えていた。日頃から格好付けたがるタイプの男だ。そのギーシュが、こうやって頭を下げている。
あまりのことに、謝られている給仕もぽかんとしていた。だが、貴族に頭を下げられているという異常事態に、気づくと、慌てて止めはじめた。
「お、おやめください。貴族様が私のようなものに頭を下げるなど……」
「いや、非はボクのほうにあるのだ。こうしなければボクの気が済まない」
「で、ですが……」
妙な意地の張り合いが始まってしまい、ルイズは逆にギーシュに頭を上げさせる役になってしまった。
その様子を、どこか微笑ましそうに見つめる二人がいた。ルルーシュと、キュルケである。
「あなた、面白いわね、気に入ったわ。貴族の前であれだけのことがいえるなんて中々のものだわ。ルイズは、思ったよりもいい使い魔を召喚したのかもね」
「滅相もないことです」
「あら、前までのルイズだったら、あんな風に平民をたすけようなんてしなかったはずよ。もっとも、それは私も同じなんだけどね」
「先ほどは本当に失礼いたしました。少し身に覚えがあったものですから、つい出過ぎた口をきいてしまいました。申し訳ありません」
「いいのよ。私は貴方が気に入ったわ。なんなら、ルイズから私に乗り換えてもいいのよ?」
「ご冗談を」
「冗談で男を口説く趣味はないわ」
そう言って、キュルケはするりと腕を絡ませる。ルルーシュは手荒にふりほどく訳にもいかず、珍しくうろたえている様子だ。そうこうしているうちにルイズが戻ってきてしまい、ルルーシュは何度も怒鳴られた上、ヴァリエール家とツェルプスト―家の代々に渡る確執について延々と聞かされるはめになった。