虚無とギアス   作:ドカン

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空の島

 

 トリスタニアの雑踏の中に、ルルーシュ達はいた。姫殿下がよこした護衛であるワルド子爵も一緒である。

 秘密の任務ということで、ルイズは平民に変装していた。変装といっても、そこらの町娘が着るような服を着ている程度だ。あとは、よく手入れされたブロンドを隠すためにずきんをかぶっている。

 ただそれだけだが、街中の雑踏に紛れ込むには十分だった。誰も、ここにいるのが貴族のお嬢さまだとは思っていないようだ。

 ワルド子爵にも、自慢の衛士隊のマントを脱いでもらった。あとはきっちりと整えられた服装や髪を乱雑に崩す。来たのが突然だったため、服までは用意できなかったが、見た目は貴族か豪商の放蕩息子といった風情になった。

 やがて前方から、一台の馬車がやってきた。ルルーシュは御者と二言三言話すと、二人に馬車に乗り込むように言い、自分もすぐに馬車に乗り込んだ。

 馬車に乗り込むと、すぐに幕が下ろされて外が見えなくなってしまった。幌のすきまから入るわずかな光の中、ワルドが口を開いた。

「そろそろ教えてはくれまいか、使い魔君。この馬車は一体何なのかね」

「そうよ、ルルーシュ。一刻も早くアルビオンに向かわなくちゃいけないのよ。こんな馬車じゃいつ着くかわからないわ」

 婚約者同士が口を揃えて不満を言い出す。

「そうですね。ここでは聞き耳を立てられることもないでしょうし、馬車が着くまでの間、無聊の慰めにお話ししましょう」

 今回の難題で最大の問題は、どうやって内戦中の隣国に侵入し、ウェールズ皇子のいるというニューカッスル城までたどり着くか、ということである。

 困難な問題が発生したとき、要領のいい解決方法とは一体なんだろうか。その一つが「できる者に任せる」である。困難に立ち向かい克服するのもいいが、手っ取り早いのは出来る人間にやらせることだ。

 つまり、今現在トリステイン国内で、アルビオン王党派とつながりのある人物を捜し出せばいいのである。

 血縁か利害関係か、とにかく王党派とのつながりを持つものは少なからず存在する。そして、未だに王党派に支援を行っている者も確かにいるのだ。長く繋がりのある隣国ならば当然のことだった。

 ルルーシュはトリステイン貴族の情報を徹底的に洗った。真贋はさておき、トリステインには千年ものの家系図がごろごろしている。それが婚姻や養子などを繰り返して複雑に絡み合っているのだ。異邦人のルルーシュには一朝一夕に把握できるものではない。だが、アルビオン王家に縁のある貴族、となるとかなり絞れた。それに、過去の物流の記録を重ね合わせると、一人の貴族が浮かび上がってきた。

「使い魔君! 君は凄いな。ということは我々は、その貴族が持っている独自のルートでアルビオンに向かうということか」

「その通りです」

「ふむ。で、その協力者というのは誰なのかね」

 そう尋ねるワルドの瞳が、一瞬鋭く光る。

「もうしわけありません。さる有力な貴族の方、としか申し上げられません。我々も身分を名言はしておりません」

「……うむ。そのためにこんな手段をとっているのだろうしね。すまない、無粋なことを聞いてしまったようだ。だが、そんな用心深い相手によくこんなことを認めさせたね」

「姫殿下のご威光のたまものです。お名前は出してはいませんが。……あとは、それなりの心付けを包みましたし」

 窮状にあるアルビオン王家を支援するために、かなりの資財を投じているその貴族にとって、ルルーシュの言った額は抗いがたいものだっった。

「いくらくらい? 工場の金庫から出したの?」

「ご安心を、私とお嬢さま、グラモン様の取り分から出しました。あとはまあ色々と……」

 自分の身代を担保にエレオノールから金を借りたのだ。工場をしばらく留守にすることもあり、エレオノールには今回でかなり借りが出来てしまった。

「そう。無事に帰えれたらわたしが出すわね。そういえば、ギーシュは結局どうしたの? あんなに息巻いてたのに」

「ああ、グラモン様なら別働隊として動いて貰っています」

 エレオノールがラ・ロシェームに新工場の視察に向かうというので、それについて行かせていた。もし、今回の任務の情報が漏れていれば狙われる可能性もあるだろう。つまり、別働隊というよりは囮と言った方が正しい。といっても、ロングビルもつけてあるし、エレオノールも強力なメイジである。さらにエレオノール個人の護衛もいる。むしろこちらよりも戦力は整っていた。

「ギーシュがお姉さまたちの足を引っ張りそうで不安ね。……まあ、それを言ったらわたしたちもだけど」

 自嘲するわけでもなく、魔法では役に立てないとルイズは言った。ゼロ、と言われる度にかんしゃくを起こしていた頃から考えるとあきらかな進歩だ。

「何をおっしゃいます、お嬢さま。婦人に頼られるのは男の誉れ。衛士隊に選ばれるような武人ならなおさらです。ワルド様は足手まといなどとは思いませんよ。むしろいっそう奮い立つというものです」

「そ、そういうものかしら? ……どうなんでしょう、ワルド様?」

「その通りだともルイズ。君が見守ってくれれば、僕はエルフを敵にしたとしても怖くはないよ。……ふふふ、使い魔君、いやルルーシュ君。君は中々見所があるね。さすがはルイズの使い魔だ」

 ワルドが機嫌良さそうに笑ってルルーシュの手を握った。ちょっとおだてたただけでこれだ。衛士隊の隊長だとは聞いたが、もしかしたら普段けっこう苦労しているのかもしれない。

 ほとんど十年ぶりに会ったというルイズとワルドは、お互いの近況を話し合った。かたやグリフォン隊の隊長、かたや新進気鋭の起業家である。話の種は尽きなかった。

 そんな風に過ごしていると、ようやくゆっくりと馬車が止まった。外側から駆けられていた暗幕が取り外される。締め切られていた車中からようやく解放されると、ルイズはまっさきに馬車から降りた。婚約者の後を追ってワルドも降りていく。ルルーシュは二人が置いていった荷物を持ち、最後に外に向かった。

「……どうされました? お二人とも」

 降りたところで二人が固まっていた。ぽかんと口を開けて同じ方向を向いている。ルルーシュも、二人が見ていた方向に顔を向けた。

「ほぉわぁぁあ?」

 そこに居たものに度肝を抜かれて腰を抜かしてしまった。尻餅をついて、荷物も投げ出してしまった。

 そこに居たのは巨大な竜だった。学院で見るタバサの使い魔よりもずっと大きい。あれはまだ子供だという話だったので、これはきっと成体なのだろう。深い翠色の鱗は、鉱物とも金属ともつかない不思議な輝きを放っている。巨大な金色の瞳で、ルルーシュたちを眺めていた。

「これは恐れ入った……まさか龍籠とはね」

 ワルドが感心したように言った。ルルーシュは立ち上がってよく見回してみると、巨大な持ち手のようなものが付いた小屋があった。なるほど、あれに乗って竜に運ばせるというわけだ。トリスタニアの近くでなんどか遠目に見たことはあったが、こんなに近くで見るのは初めてだった。

 籠に近づいていくと、マントを羽織ったメイジが待ち構えていた。クセの強い赤みがかった髪が印象的な妙齢の女性だ。

「皆様、お待ちしておりました。主から仰せつかっております。私が白の国までの案内をさせていただきます、ソニアと申します」

「うむ、よろしく頼む。アルビオンまで直接これでいくのかな?」

「いえ、かの国の周囲は非常に気流が荒いのです。龍籠では安全な旅が約束できかねますゆえ、途中で船に乗り換えて頂くことになります」

「なるほど。さすがに至れり尽くせりというわけだ」

 ソニアの目がわずかに鋭くなり、三人を見定める。案内だけではなく、もしものときの始末役も兼ねているのだろう。ワルドはそんな視線を心地よさそうに受け止めていた。

「私自身は、安全に送り届ける自信はあるのですが。主は慎重なお方でして。同じ白の国を憂う同志、失礼があってはいけないと」

 船というのは、ソニアの主がアルビオン王家に支援を行うのに使っている船なのだろう。わざわざ龍籠でそれに乗り付けるというのは、船がどこから出ているか、ということを隠すためだ。ルルーシュと、おそらくはワルドもそれに気がついた。ルイズも普段ならそれくらいは気がついただろうが、目の前の力強い竜に心を奪われてそれどころではなかったようだ。

「す、すごい竜ですね。貴女の使い魔ですか?」

 まるで社会見学にでも来た子供のように尋ねる。まあ、ルルーシュも腰を抜かすくらい驚いたのであまりきつくは言えない。

 ルイズの毒気のなさに、ソニアは少しあっけにとられていたようだ。くすりと微笑むと、さっきまでワルドに向けていた視線を消した。

「ええ、そうですよ。召喚したころは気が荒くって、龍籠なんかとてもできなかったんですけどね。今はもう王様を乗せても失礼じゃないくらい」

 その優しい受け答えで、ようやくルイズは自分の態度がひどく場違いだと気づいたようだった。まっ赤になってしどろもどろになってしまう。そのまま、ルイズはソニアがうながすままに籠にのった。ルルーシュとワルドもそれに続く。籠はかなり広く、三人が入ってもくつろぐ余裕があった。

「それでは、すぐに出発します」

 ソニアは籠を離れ、レビテーションで竜の上に向かった。

「ううー……、わたしってば何であんなこと言っちゃったのかしら。きっと世間知らずの子供だって思われたわ」

「たしかにそうかもしれませんが……、お嬢さまくらいのお年なら、変に場慣れしているよりも好印象だと思いますよ」

 苦笑しながらルイズをなだめる。そうはいっても、年若くして場を支配するような才能に恵まれている者もたまにいる。自分の妻だと言ってはばからなかったあの少女は、まさにそんな天性の政治的動物だった。ルイズも普段ならばそれなりに威厳があるのだが、今回ばかりはいささか間が悪かった。ルルーシュを認めているとはいえ、ルイズにはまだまだ竜のような力強い使い魔に対するあこがれが強い。

 やがて、籠が一瞬がくんと揺れたかと思うと、瞬く間に窓の外の景色が変わっていった。同時に、押さえつけられるような感覚が身体全体に加わる。ルイズが、ちょっと得意げにルルーシュを見る。

「いくらあんたでもさすがに龍籠には乗ったことないでしょう。びっくりした?」

「ああ、さっきの飛ぶときのあれですか。確かに驚きました」

 ルルーシュはもっとひどいGに晒されたことがあるので、驚いたといえば竜に驚いていたのだが。

「そういうお嬢さまは、乗り慣れていらっしゃるので?」

「えっと……まぁ、わたしも何回か乗っただけだけどね。姫様やお父様のおまけで」

 そんな二人をよそに、ワルドは外を眺めていた。窓のはるか下には、トリステインの豊かな国土が悠々と広がっていた。

 

 優雅な空の旅をしばらく過ごしていると、窓の外に一隻の船が見えてきた。空中で停まっていたその船の少し上に、ぴったりと籠が停まった。すぐに、ソニアが飛んで来て扉を開ける。

「お待たせしました。申し訳ありませんが、これ以上は船に近づけないので、レビテーションで降りて頂けますか」

「分かった。では、すまないがソニア君。ルルーシュ君はメイジではないので彼を頼むよ」

 ワルドはそう言うと、さっとルイズを抱きかかえた。

「わっ……すみません、ワルド様」

「ふふ。しっかり捕まって、僕のルイズ」

 ルイズが恥じらいながらワルドに抱きつく。ワルドはルーンを唱えると、籠から飛び出していった。

 後にはソニアとルルーシュだけが残された。二人の間に微妙な沈黙が漂う。

「ええと……、どうしましょう?」

 ソニアが困り顔で首をかしげた。こっちが聞きたかった。

 結局、ルルーシュはソニアに抱きかかえられて船に降りた。ソニアは女性にしては力があるようだったが、荷物を持つと無理そうだということで、荷物は別に運んで貰った。

 甲板では、船長と思われる男と、数人のメイジが待ち構えていた。杖こそ構えていないが、明かに敵対的な態度をとっている。

「悪く思わんでくれよ。俺たちは、アルビオンの方々に返しても返しきれん恩があるんだ。運ぶ荷物に万が一のことがあってはならん。中身の分からないような荷物は、もっての他だ」

 船長が低く穏やかな声で言った。振り返ると、ソニアも竜の上から三人を見張っていた。

 ルルーシュは、ゆっくり周囲を見回した。ここまで来たら目的を話しても構わない。だが、それを信じてもらえるかどうかは別の問題だ。いざというときのために金はかなり持ってきてあるが、この船員達は金では動かない、

 ルルーシュは、船長と話そうと前に出た。だが、横に居たルイズがそれを止めた。無言で頷き、ルイズは一人歩を進めた。

「わたしの名は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。立場は違えど、白の国を憂える同志です」

 ルイズがかぶっていたずきんを勢いよく取り去り、よく手入れされたブロンドを風に流した。取り繕った町娘の装いでは、隠しきれない気品があらわになる。

「公爵家……」

「わたしたちは、さるやんごとなき女性から、密書を預かって参りました」

 そう言って、懐に入れてあった書簡を取り出す。書簡には、アンリエッタ王女の花押が押されていた。それを見て、船長が目を見開く。

「そのお方は、白の国の現状に大変心を痛めておられます。されど、声をあげることも許されぬ世情。そのため、我らが遣わされたのです」

 船員達の表情に動揺が広がる。そこで、ルルーシュは荷物の中からあるものを取り出し、ワルドに渡した。ワルドはすぐに理解したらしく、渡されたもの――魔法衛士隊のマントを羽織った。

「魔法衛士隊……!」

 マントに刻まれた紋章をみて、船員の一人が声を上げる。メイジの一つの理想型、実力をもって頂点に立った男の姿がそこにあった。

 誰も疑う者は居なかった。ルイズには、花押の主を物語るだけの、有無を言わさぬ風格があった。

 ルルーシュは、その姿をまぶしそうに見つめる。

 ルイズとて大貴族の娘として生きてきたのだ。もともとこれくらいの立ち振る舞いはできる。ただ、魔法が使えないという自信のなさが、風格を曇らせてしまっていた。

 ルイズは人の上に立つことで自信を付けたわけではなかった。むしろ、魔法を使えたとしても、一人では何もできないと学んでいた。

 だから、ルイズは権威という手段を使った。王女の花押や公爵家という名前。権威とは本来こうやって、人と人をつなぐために使われるものなのだ。

「いいだろう。大使さまを乗せるには少々せま苦しい船だが、勘弁してくれよ」

「ありがとうございます。それでは、参りましょう。かの国の情勢は、一刻を争うと聞き及んでいます」

 

 

 アルビオン大陸に近づくと、旗も掲げていない小さな船が現れた。どうやら、アルビオン王党派が寄越した先導の船らしかった。その後に続き大陸の下、地下を通った秘密港からニューカッスル城へと入った。ルルーシュには空に浮かぶ大陸というのがそもそも驚きだったが、ワルドは地下を通した港に驚いているようだった。

 入港すると、一行はものすごい歓待を受けた。ぼろぼろの格好をした兵達が涙を浮かべながら声を上げている。大陸の全てを奪われ、最後の砦となったところにやってきた援助だ。味方に次々と裏切られてきただろう王党派にしてみれば、これほど嬉しいものはないだろう。

「ようこそ、アルビオン最後の友よ。貴卿らの助けは万軍にも匹敵する力となろう。私はアルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ。貴卿らの来訪を心より歓迎する」

 金髪の貴公子がそう名乗った。船長は積み荷の中身や、主人からの伝言を口頭で伝えたあと、ルイズ達を紹介した。

「……あいわかった。それでは、客人をもてなすのにここではあまりにも無粋。私の部屋までご足労願えるかな」

 ルイズ達の任務の性質を察したのだろう。ごく自然にウェールズはルイズたちと密会できる場所を選んだ。ウェールズの居室は、城の一番高い天守の一角だった。王子の部屋だとは思えないほど簡素な部屋だった。

「せま苦しいところですまない。他の所は負傷兵で一杯でね」

「いえ。お心遣い、感謝します。わたしは、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。アンリエッタ王女殿下より密書を言付かって参りました」

 改めて名乗り、ワルドとルルーシュを紹介したあと、ルイズは一礼して書簡を渡した。ウェールズはいとおしそうにその書簡を見つめると、花押に接吻した。それから、身長に封を解き、中の便せんを取り出し、読み始めた。

「姫は結婚するのか? あの、愛らしいアンリエッタが。私の可愛い……、従妹は」

 手紙を書いたときのアンリエッタを思い出したのか、ルイズがいっそう神妙な表情を見せる。ウェールズは机の引き出しから、宝石で飾られた宝箱を取り出し、中から一通の手紙をとりだした。

「これが姫より頂いた手紙だ。この通り、たしかに返却したぞ」

 何度も読まれてぼろぼろになった手紙を、ルイズは恭しく頭を下げて受け取った。その手に光る指輪を見て、ウェールズが言った。

「その指輪は……、きみはずいぶんと姫に信頼されているようだね」

「はい、姫様からお預かりした、水のルビーでございます」

 ウェールズは微笑むと、自分の指にはまっていた指輪を取り外し、ルイズの指輪に近づけた。二つの宝石は共鳴し合い、虹色の光を振りまいた。

「これはアルビオンに伝わる、風のルビーだ。風と水は虹を創り出す。王家の間にかかる虹さ」

 その虹を、ウェールズはどこかいとおしそうに眺めていた。同じような表情で手紙をしたためていたアンリエッタを思い出し、たまらず、ルイズは口を開いた。

「殿下、王軍には勝ち目はないのでしょうか」

「無いよ。我が軍は三百、敵は五万。万に一つの可能性もあり得ない。我々にできることは、はてさて、勇敢な死に様を連中に見せることだけだ。もちろん、私もね」

「敗北は、王侯の最後の義務だということですか?」

「その通りだ。国のため、民のために死ぬこと。極論を言えば、王の義務とはそれだけなんだよ」

 そのあまりにもきっぱりとした物言いに、ルイズはもう何もいうことが出来なかった。

 

 ルルーシュたちは王党派の最後の晩餐へ招待された。残った食料を惜しみなく使った料理や、城に長年眠っていた美酒の数々がずらりと並べられた。明日に迫った確実な敗北の影はどこにもなく、王党派の貴族たちは誰も取り乱すようなことはなかった。

「……明日負けるって分かってるのに、なんでみんなこんな風にしていられるのかしら。ウェールズ様だって、姫様の手紙を読んでもあんな……」

 ひとしきりの歓待を受けたあと、ルイズはぽつりとそういった。

「先ほどはよく我慢されましたね。お嬢さま」

 ウェールズを前にしたルイズは、アンリエッタのもとに来て欲しいと今にも言い出さんばかりだった。

「理解はしているつもりよ。ウェールズ様のことも、この人たちのことも。でも、愛する人や自分の命よりも、大切なものって、本当にあるのかしら」

「何を信じて生きるかは人それぞれです。家族、国家、金銭、宗教……、だれにでも、これだけは信じられるという価値観があるはずです。彼らは、国家という価値観に殉じているのですよ」

 迷うことや恐れることなどは、とうの昔に終えているのだ。ここにいるのはそういった過程を乗り越え、国家という一つの価値観に従った者たちだ。

 ルルーシュは国家という価値観は持てなかった。あるときから母国は憎悪の象徴でしかなかった。つかの間に手に入れた日本という安息の地にも帰属意識はなかった。ルルーシュにとって愛国心とは扇動や人心掌握のピースの一つでしかなかった。

 ルルーシュが信じたのは家族や友といった人と人の絆だった。ウェールズ皇子との絆にすがるアンリエッタ王女の気持ちも分からなくはない。しかし悲しいかな、アンリエッタ王女はそれを実現するための力が伴っていない。ここにいる王党派の貴族達もまた、自分たちの価値観を押し通すだけの実力がないのは同じだった。

「……あんたは、国家とかに忠誠を誓うってタイプじゃないわよね。何かあるの、そういう、信じられるもの」

「仰るとおりです。私ごときでは考えられるのは、身近な友や家族との絆くらいが精一杯です」

「はっはっは。正直者だね。ルルーシュ君。だが、私も同感だ。家族や近しい者があるからこそ、国のことを考えられるというものだよ」

 ワルドが笑って言う。そして諭すようにルイズに言った。

「ルイズ。ここにいる者たちだって別に、愛する人をないがしろにしているわけじゃないんだ。彼らはアルビオンでも古い家系の人たちが多い。親や祖父、そのまた祖父の愛した国を守りたいと思っているんだよ」

 ルイズは難しい顔をして「一人で考えてくる」と言い残し、会場を去っていった。

 残された男二人は顔を見合わせた。

「追わないのですか? ワルド様。男を魅せる機会なのでは」

「あいにくと、姫君はお一人になりたいとのおおせだ。それに、メイジを射んとせばまず使い魔を射よ、とも言うしね。ルルーシュ君」

「これはこれは。私はそう簡単には射られませんよ」

「なに、そう構えることはない。婚約者の近くにいる男には嫉妬せずにはいられない、器量の小さな男の戯れ言だと思ってくれ」

「天下の魔法衛士隊の隊長に嫉妬されるとは。光栄の限りです」

「君の方こそ。トリステインのガラスを一気に牛耳った手腕は聞いている。さすがはミョズニトニルンと言ったところかな」

 ワルドがその名を口にしても、ルルーシュは驚かなかった。限られた人間しか知らないはずだが、情報はそう簡単に秘匿できるものではない。

 話していくうちに、ルルーシュはこの男が、ルイズの使い魔ではなく、ルルーシュ個人に関心があるのだと気づいてきた。ただの学生だったルイズを起業家に仕立て上げた立役者。野心ある者なら興味がないはずがない。魔法一本で成り上がったエリートだけあって、その野心の光を隠そうともしていなかった。

 ワルドの若く危うい情熱は、年経たルルーシュにはかわいらしいものだったが、力を貸してやる義理は今はない。

「さて、ワルド様。そろそろお嬢さまも落ち着いた頃でしょう。婚約者としてはやることがあるのでは?」

 自分という玉を手に入れたいのなら、ルイズを通すのが道理である。それに、異国の社交の場というのは絶好の勉強の機会なのだ。ルイズには青臭い煩悶をいつまでもされても困る。

「これは失敬した、通すべき筋は通さないとね。では、僕の小さな姫君を迎えに行くとしよう」

 ワルドはそう言って会場を出て行った。

 一人になると、ルルーシュはさりげなく周囲の観察をする。紳士や貴婦人の服装の流行・絵画に込められた宗教観・料理に使われている材料や調理法。この世界に来て日が浅いルルーシュには、まだまだ常識や教養というものが欠けている。そして、貴族との会話ではそれらが無ければ交渉の相手とすら認めてもらえないことすらある。覚えなければならないことはいくらでもあるのだ。

 そんな風に周囲を観察していると、臣下たちに囲まれたウェールズの姿が目に入った。

 一点の曇りもなく、王族の義務を正しく果たそうとする青年がそこにあった。敗北の窮地にあっても取り乱すことなく、誇り高くあるその姿は、まさに王族の理想型だった。おとぎ話に出てくるような、勇敢で気高い王子様。

 そんなモノに、憧れたことが、遠い昔、本当に幼いころの自分にもあった。

 そんなことをルルーシュは思い出した。

 


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