「楽しんでるかい、ルルーシュ」
「ああ。ほどほどにな」
「しかしアンタの言ってたことはホントだったねえ。えらぶったガラスメイジたちが慌ててガラスの値段を下げてきたのには大笑いさ」
貴族と戦いたいのなら貴族の敵になるのではなく平民の味方になれ。かつてルルーシュがロングビルに言った言葉だった。
「根本的に造り方が違うから勝負にならんな。彼らがやるべきなのは高級食器などの貴族向けのガラスだ。それは我々には出来ないことだからな」
「だよねえ? あたしたちは平民にガラスを売ってるだけで、貴族相手の商売してたガラスメイジ様には関係ないってのにさ」
「他人が儲けているのを見れば、自分もと思うのが人間さ」
違いない、と笑ってロングビルはグラスをあおる。
今日はヴァリエール姉妹による慰労パーティだった。工員達だけでなく、その家族も招待している。会場は別だが、平民達もちゃんと楽しんでいるはずだ。
現在、ガラス事業は完全にエレオノールが経営する形になり、石けん業がルイズの仕切りで運営されていた。
エレオノールはさすが公爵家長女というだけあって、ルルーシュとルイズが行ってきたことを見ていただけで、近代的な経営管理というものを理解していた。今は従業員たちに囲まれながらにこやかに談笑している。このパーティでの振る舞いで管理職を選抜すると言っていたため、微笑みつつも腹の中では一人一人を値踏みしていることだろう。
管理職の不足はそろそろ問題になり始めていた。古参の一人であるロングビルは一人一人を見過ぎるため、あまり上級管理職には向いていない。本人もそれは自覚しているので、技術責任者の地位に不満はないそうだ。
「相変わらずだね。あのボウヤは」
「ああ、ギーシュか」
わっ、と大騒ぎをしている一角を見ると、予想通りギーシュがいた。運送部の連中と一緒になって馬鹿をやっている。
「下と接する奴はあのくらいがちょうどいい。中間管理職としてはルイズなんかよりよっぽど優秀だ」
「ずいぶん買ってるんだね。馬鹿な子ほど可愛いってやつかい?」
「馬鹿とハサミは使いようだ」
馬鹿であることは確定だった。
事実、ルイズやエレオノールには指導者としての才能はあっても下士官としての能力には欠けている。ギーシュのように現場に立って一人一人と接することには向いていない。
それはそれで問題無い。巨象には巨象の視点があり、アリにはアリの視点がある。才能にはそれに見合った舞台があるのだ。
だが
「……せめて、お前の半分でも下を見てくれればな」
「ん? 何か言ったかい?」
ロングビルは機嫌良さそうにグラスを空けていた。
ルルーシュは最近のルイズを見て、良くない傾向だと感じていた。
シエスタの一件以来、ルイズは以前にも増して経営に打ち込むようになっていた。すでに組織管理に関してルルーシュが口をはさむことほとんど無くなっていた。いや、ハルケギニアについての知識が豊富な分、ルルーシュよりも鋭い発想をすることすらある。
「平民がもっと豊かに暮らせるようにするのよ。シエスタみたいな想いをする子が一人でも減るように……」
うわごとのようにそう繰り返している。明確な戦略ビジョンを持ったことは良いことだ。だが、最近のルイズは明らかに思い詰めすぎだった。学校と寝る時間以外はほとんど仕事や事例研究に費やしている。今日も、パーティが始まってかなり立つのに顔も見せようとしない。
ルルーシュは、パーティを行っているホールを出て、控え室のドアを開けた。
「おい、何をしている? お前を待ってる連中だってたくさんいるんだぞ」
ルイズは化粧台の机の上にたくさんの書類を広げていた。
「あ! ルルーシュ、ちょうど良かったわ。これ見てみて。ようやくまとまったところなんだけど」
そう言って、数枚の紙束を渡してくる。ここ最近ルイズは、図書室で資料を調べたり、エレオノールに頼んで色々な方面の専門家を訪ねては諮問していたりしていた。
「これは……」
「どう? あんたに習ったことを、農業にも応用できないかって思ったのよ」
ルイズの考えたことは、ルルーシュの世界ならば囲い込みと呼ばれていたものに近かった。農地を統合して大規模に利用することで、生産高を上げるシステムだ。囲い込みでは、四輪作法などを用いることで土地の疲弊を回避していたが、ルイズの案では魔法で土の状態を管理することが織り込まれていた。
「領地でのんびりやってる貴族はよくするらしいのよ。魔法で土を肥やすのって。それをもっと大々的に計画的にやれば、もっと生産高が上がるんじゃないかしら」
たしかに、良くできた計画だった。起業家が金を儲ける手段としては、いや、平民のために生産高を上げるという意味でも良くできていた。前々から思っていたが、保守的で組織を管理・維持することに長けているエレオノールに対して、ルイズは組織を成長・発展させることに向いている。
だが。
「却下だ」
「……っ! なんでよ! どこがまずいってのよ」
「確かにこの計画通りにすれば食料の生産高は増えるだろう。だが、それだけだ。平民のためにもならん」
「どうしてよ!」
生産高が上がれば平民も飢えに苦しむことが無くなる。ルイズの考えはそこで止まっているのだ。その先、増えた人口の受け皿になるような産業がなければ、職に就けない平民であふれかえることを分かっていない。
「自分で考えろ。何を為したいなら、二手先三手先を考えるんだ」
戦術ではなく戦略を考えるのが指導者の役割だ。今のルイズは、クイーンをとるためにキングを犠牲にしているチェスプレイヤーだった。
普段のルイズなら、ルルーシュが何か伝えようとしていると察しただろう。だが、シエスタの一件以来、ずっと張りつめた糸のようになっていたルイズには、それができなかった。声を荒げてルルーシュに怒鳴り散らす。
「お金? お金なの! お金なら貯まってきたじゃない。ガラスよりも、もうわたしの石けんの方が上だわ!」
これは、トリスタニアの建物にガラス窓がほぼ行き渡ったというだけでしかない。すでにエレオノールは他の都市への進出を計画していた。対して石けんは消耗品であるため、そういった心配はまだなかった。
「あれはいざというときのための内部留保だ。おまえの思いつきで使うわけにはいかない」
「ああもう! あれもダメ、これもダメって、あんた何様よ! ここはわたしの工場よ! わたしが稼いだお金なのよ!」
「英雄気取りもたいがいにしろ。エレオノールが金を出して、ロングビルが知恵を出した。ギーシュだって彼なりに尽力してくれている。何より! 現場で働いている工員が居なければここは成り立たない! 一人きりなら、お前は魔法の使えないただの子供だ!」
魔法が使えない、という罵倒にルイズが怯む。この使い魔が、召喚されてからそのことを言ってきたのは初めてだった。
「覚えておけ。世界とは、一人の英雄が変えるんじゃない。世界が、そこに住む全ての人間が、自ら変わるものだ」
ルイズは目尻に涙をためて震えていた。何も言い返せない未熟な自分が悔しかった。そんなルイズの手を、ルルーシュがつかんで歩き出した。部屋を出て、パーティの会場へと向かう。
「来い、机越しでは、見えないものを見せてやる」
「……な、なによ。離しなさいよ」
文句を言いつつも、ルイズはルルーシュの手をふりほどこうとしなかった。
ルイズが会場に入ると、歓談していたものたちがわっと集まってきた。
今日は工員だけでなくその家族も招待していたので、初めて見る顔もたくさんある。それ以前に学生との二重生活をしているルイズには、普段あまり工員達と接する機会がなかった。
ルイズたちが雇い入れたのは、ほとんどが職にも就けなかったドットメイジだった。その理由はさまざまだが、生活に貧していたというのは皆共通していた。
下級貴族の、家も継げない次男坊三男坊などはたいていそんなものである。魔法の才能もなく、職のつてもなければ軍人か僧にでもなるしかない。それすら出来なかったものは、職にもつけず、家でごくをつぶすしか無くなる。
そんな者たちに安定した職を与えたのがルイズだった。我先にとルイズを取り囲み、感謝の言葉が口々に語られた。
「諸君! 我らのルイズ様に乾杯だぁ!」
誰かが言ったその一言で、皆が一斉に杯を掲げた。ルイズはその光景に、目を白黒させていた。さんざんもみくちゃにされたあと、ようやくひとここちついたルイズのもとに、一組の夫婦がやってきた。
「ルイズ様、第一工場で成形の班長やってるジョゼです。覚えておいでですか?」
「あ……あら、お久しぶりね。最近はせっけんの方ばっかりでそっちに顔を出せなくて申し訳ないわ」
ジョゼはガラスを作りだしたときに最初に雇った中の一人だった。今ほど人員も多くなかったので良く覚えている。
「とんでもございません。ルイズ様のおかげでこいつにも苦しい思いをさせずにすんでます」
「ホントに、ルイズ様のところで働き出すまでは、アタシはどんな言い訳をして実家に借金をするかばかり考えておりましたわ」
「おいおい、ルイズ様の前でそんなしみったれた話すんじゃねえよ」
「ホントのことでしょうに。ルイズ様、アタシからもお礼申し上げます。おかげさまでこの子も元気に生まれてくることができました」
ジョゼの妻は赤ん坊を抱いていた。毛布にくるまれて、すやすやと眠っている。大貴族の末っ子であるルイズには、赤ん坊はあまり縁のないものだった。
「わぁ……可愛いわね」
「ルイズ様。ぜひともウチの子の名付け親になってくれませんか?」
「えええっ! わたしなんかでいいの? えっと、男の子、女の子? ええと、それじゃあ、……カトレア」
とっさに出てきた名前は、敬愛する下の姉の名だった。
「おお、ありがとうございます! よかったなあ、カトレア」
ジョゼはうれしそうに娘に笑いかける。
「そうだ。記念にちょっと抱いてやってくれますか?」
「えっ? ええ? わ、わたし赤ん坊なんて抱いたこと無いわよ」
「大丈夫ですよ。そう、そうやって頭を支えて……」
ルイズは言われるまま、ぎこちなく赤ん坊を抱いた。
「わっ……けっこう、重いのね」
「そりゃあ、おかげさまでたっぷりお乳も飲んでますから」
手の中で眠る赤子は、ちいさなルイズにはずっしりと重かった。くるんだ布ごしに、赤ん坊特有の高い体温が伝わってくる。
「ゆ、指をつかんだわ。ど、どうしよう……離してくれない」
「ふふふ。ルイズ様が頼りになる方だと分かっているのかもしれませんね」
赤ん坊の小さな手が、ルイズの指をぎゅっと握りしめていた。
ああ、そうか。
腕の中のぬくもりが、ルイズに教えてくれた。
かれらにだって家族は居るんだ。結婚し子供が生まれ、それを支えるために働いているんだ。それは平民と何も変わらないんだ。
そんな当たり前のことを、自分は気づきもしなかった。平民のため、平民のためと、絵空事ばかりで、足下が見えていなかった。自分に付き従ってくれる者たちをないがしろにして、何が平民のためだ。口先だけで頭でっかちな子供じゃないか。
恥ずかしさといたたまれなさで一杯になる。
笑顔で自分を囲んでくれているみんなのことを、自分は何も考えていなかったのだ。
ルイズは会場をぐるりと回ったあと、ルルーシュと一緒にバルコニーに出てきた。
「わたしは、もう領主なのね」
「領主、か。なるほどな」
企業や雇用といったものよりも、領地や臣下というものに慣れ親しんだ貴族ならではの理解の仕方だった。市場という領土の上に君臨する領主と、工員という臣下。ルイズにはもう、工員という臣下とその家族の面倒をみる責任があるのだ。
「ごめん……ごめんね、みんな。わたし、みんなのことなんか、これっぽっちも考えてなかった」
べそをかき始めたルイズの肩に、ルルーシュがそっと手をやる。
「めそめそするな。お前は、領主なんだろう? 領主なら、胸を張って堂々としていろ」
「うん、うん……そうよね」
ルイズは赤ん坊のように、ルルーシュの手をぎゅっと握りしめていた。