虚無とギアス   作:ドカン

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シエスタ

 

 鼻歌を歌いながら、ルイズは馬車が来るのを待っていた。横にはヴァリエール家の紋章旗を持ったルルーシュが控えている。

「おや、ルイズじゃないか。それにルルーシュも」

 話しかけてきたのはギーシュだった。

「そういえばモンモランシーのこと、ありがとう。おかげで実家の方もかなり楽になったみたいでね」

 モンモランシーに支払われた香油の使用料はかなりの額だった。二年契約にしてあるので、二年後にはまた使用料が払われることになる。ちょっとした小遣い稼ぎ程度に思っていたモンモランシーには予想外の事態だったようで、ルルーシュと契約の話をしているときにはずっと目を白黒させていた。

「しかし、二人そろって学院にいるなんて珍しいな。今日はどうしたんだい? そんな格好までして」

 ルイズはいつもの学院の制服ではなく、貴族の淑女にふさわしいドレス姿だった。ルルーシュも、ルイズを引き立てるような地味な執事服だが、一見して上等なものだと分かる。まるで社交会にでも出かける淑女と従者だった。

「馬車を待っているのよ。今日は待ちに待った日なんだから」

 石けんの事業も軌道にのってきた。ガラス業の方は完全にエレオノールに仕切られているが、石けん業はルイズにまかされていた。ルイズの手元に転がり込んでくる金も、ずいぶんな額になってきている。

 そう、モッド伯からシエスタを身請けした上で、しっかりとした給金を払ってやれるようになったのだ。今日はこれから、その身請けの交渉に行くところだった。そのためにわざわざ高い馬車を借りて、ヴァリエール家の紋章旗まで持ち出しているのだ。

「何! それならボクも同行しようじゃないか。彼女にはボクもただならぬ恩がある」

「ダメよ。あんたが来たら馬車が狭くなるじゃない」

「だいたいギーシュ、今日は運送部のミーティングがあるはずだろう。ちゃんと参加して報告書を提出しろ。それといつも言っているとおり、仲が良いのはけっこうだが、部下の意見を聞けなかったり意志の統一ができないようでは下士官として二流以下だ。ミーティングを宴会と勘違いするんじゃない」

「うぐっ……分かったよ」

 感情と理論のダブルで拒絶され、ギーシュはがっくりとうなだれた。

 

 ルイズとルルーシュを乗せた馬車は、昼頃にモット伯の邸宅に到着した。モット伯の屋敷はトリスタニアの郊外にあった。貴族の中には領地経営を他人任せにして、自身は領地に一歩も踏み入れないといった者も多いが、モット伯もその口のようだ。

「なかなか立派な屋敷だな」

「ふん、どこが。どこもゴテゴテしててバランスが悪い。要するに品がないのよ。趣味が悪いったらないわ」

 ルイズの評価は厳しい。まあモット伯の評判を考えれば仕方ないことだろう。ルイズは不機嫌そうにまどの外をにらんでいた。

「……っ、止めて!」

 ルイズが突然、御者に向かって叫んだ。当たり前だが、馬の引っ張っている馬車は自動車以上に急に止まれない。ルイズは止まるのも待たずに馬車から飛び出した。ルルーシュも御者に指示を出した後、慌ててそれを追う。

「おい、急にどうしたんだルイズ!」

 ドレス姿のルイズにはすぐ追いつくことができた。立ち止まり、呆然としているルイズの視線の先を追う。

 そこには、茶色とも灰色ともつかないほどに汚れたぼろを来た下女がいた。大きな穴の中に、桶になみなみと入った汚物を捨てている。手はあかぎれというのも生やさしいほど傷だらけ、艶やかだった黒い髪もまるで箒のようにぱさぱさだった。

 シエスタだった。

「どういう……こと?」

 あまりのことに、ルイズはシエスタに声をかけることも出来なかった。シエスタはこちらに気づかず、そのまま戻って行ってしまう。

「……たぶん、モット伯がその……シエスタに関心がなくなったんだろう」

「だから? だからあんなふうにボロ雑巾みたいに使うって言うの? 飽きたからって理由だけで!」

 ルルーシュはなんとなくだが事情を察していた。

 恐らく、あれはモット伯自身による命ではないだろう。いくら用済みの女とはいえ、わざわざあんな風に使いつぶす理由がない。

 あれをやっているのは、他の使用人たちだ。ただ主人に気に入られているというだけで、女の身体だけで、自分たちの何倍もの金を手にしている。そんな者が嫉妬や憎悪の対象にならないはずがない。そして、主人の興味が無くなり、自分たちと同じただの使用人になり下がった。その結果があれである。

「そんなの関係ないわ! モット伯はあの子を買ったのよ、妾でもなんでも、最後まで面倒みる責任があるでしょう!」

 ルイズの顔は、かつて見たことがないほど憎悪でゆがんでいた。ルルーシュは諦めたように目を閉じ、かぶりをふった。

 

 ルイズたちはこれ以上ないほど丁重に迎えられた。ヴァリエール家の令嬢が、わざわざ紋章旗を掲げて訪れたのだ。さらに、ルイズは学生ながら新進気鋭の起業家として名前が売れ始めている。今のルイズを無碍に扱える貴族などなかなかいないだろう。

 応接間に通され、モット伯と対面する。伯は脂ののった伊達男だった。言動の一つ一つがきざったらしいが、ギーシュのそれと比べるとはるかに洗練されていて嫌みさがない。

 ルイズは最初に型どおりの自己紹介を済ませると、あとは黙ってしまった。仕方なく、ルルーシュが訪問の理由を説明することとなった。モット伯はどうやら、ルイズの態度を慎み深い淑女のそれだと思ったようだったが、怒りのあまり口がきけなかったというのが真実である。

「おおなるほど! 聞けばお若くしてひとかどの成功を収めておられるとのこと。何かと人手がご入り用でしょう。気心の知れた使用人というのは大切ですからな。わたくしも今の家令たちと出会うまでは苦労させられたものです。ハッハッハッハッハ」

 モット伯はシエスタから完全に興味をなくしているようだった。名前を告げても家令に指図するだけで、シエスタのことなどまるで口にしなかった。身請けの金額についてもどうでもよさそうな態度。端た女ひとりの値段よりも、噂のヴァリエール家三女と親交を持てたことの方が重要だと言わんばかりだった。

 ルイズは終始うっすらとした微笑を浮かべて怒りをこらえていた。だが、そろそろ暇をという流れになったとき、モット拍がルイズの手をとり口づけをした瞬間(伊達男らしく実に自然にやってのけた)、ルイズの慈悲に限界が訪れた。

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが命じる……」

「は?」

 もはやさっきまでの作り笑いではない。感情の限界を振り切った者が浮かべる凄絶な笑みだった。

「一っっっ生不能になりなさい!」

 ルイズの左目から絶対遵守の呪いが羽ばたく。水のトライアングルであるモット伯も、この呪いからは逃げる術はない。

「イエス・ユア・ハイネス!」

 力強く己の不能を誓った伊達男を、ルイズは満足そうに笑みを浮かべて眺めていた。

 

 ホールに連れてこられたシエスタは、慌てて風呂にでも入れて身繕いをさせたのだろう。ほんのりと香油の香りがしていた。皮肉にもそれは、ルイズが考案したあの石けんの香りだった。

「ルイズ様……」

 ルイズの姿を見たとたん、シエスタはぼろぼろと涙を流し始めた。そこには、親弟妹を守りたいと言ったあのけなげな娘の残骸だけがあった。

「いいのよ、いいのよシエスタ。一緒に帰りましょう」

 ルイズはシエスタをそっと、やさしく抱きしめた。ヒビだらけの心を壊してしまわないようにそっと。

 帰りの馬車の中。ひとしきり泣いたシエスタは気丈にふるまっていた。

「すみません。ルイズ様がわたしを身請けしてくださるなんてうれしくてつい……、お、おは、おはずかしいところを、お見せしました」

 シエスタはそういっても、ぼろぼろの手や肌をかたくなに見せようとしなかった。あくまでルイズに心配をかけまいとしているのだ。その様子を、ルイズはもう見ていることが出来なかった。

「シエスタ……もういいの、忘れましょう。わたしが全部忘れさせてあげる。嫌なこと全部。貴女はとある貴族のところに行儀見習いに行って、そのあとわたしに雇われたの、ね? そうしましょう?」

「ルイズ様……?」

 ルイズの左目がシエスタを見つめる。さきほどモット伯を呪った瞳。その瞳が今度はシエスタを写していた。絶対遵守のギアスは、使用制限が厳しい代わりに命令の自由度が高い。記憶を操作することすらも可能なのだ。

 ルイズの左目から、呪いが再び羽ばたいた。

「あ、あれ、ルイズ様。どうされたんです? 何を泣いていらっしゃるんですか?」

 優しい呪いに侵された少女は、さっきまでのやせ我慢ではなく、もとの純真な明るさを取り戻していた。

「なんでもないの。……そう、うれしいの。シエスタとまた会えて、うれしくて泣いてるのよ」

 


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