もうもうと上がる土煙の中から現れたのは、一人の青年だった。
年の頃は二十歳前といったところだろうか。細身の長身で、このあたりでは珍しい黒い髪をしていた。服装はあまり見かけないものだったが、土にまみれたそれは一目で農民と分かるものだった。
「『サモン・サーヴァント』で平民呼び出すなんて、さすがはゼロのルイズだ」
誰かがはやし立てたその声を皮切りに、一斉に笑い声が広がっていく。
「う、うるさいわね! ちょっとまちがえただけじゃない」
ルイズはまっ赤になって言い返すと、背後で控えていた教師に振り返って言った。
「ミスタ・コルベール! お願いします、もう一度召喚のやり直しを」
「それは出来ない。ミス・ヴァリエール。君も知っている通り、春の使い魔召喚は神聖な儀式だ。一度呼び出した以上、気に入らなくてもその使い魔と契約を結ばなければならない」
「そんな……、だって、平民を使い魔にするなんて聞いたことがありません!」
ちらりと、自分の召喚した青年の方を見る。状況がつかめていないのか、あたりを呆然と見回している。
「さあ、契約を。異例のことではあるが、この儀式のルールは何ものにも優先するものだ」
同じように青年の方を見ていたコルベールが促してくる。
周りでは級友達がこれでもかというほどはやし立てている。コルベールが何か注意しているようだが、ルイズの耳には聞こえなかった。重い足取りで青年に近づいていく。
「ねえ、あんた」
「えっと、君。ここはどこなんだ?」
「トリステインよ。そんなことどうでもいいから、ちょっとしゃがんで」
ちいさなルイズと、青年の背は頭一つ以上に離れている。ルイズの鬼気迫るような迫力に負けたのか、青年は渋々と膝をついた。ルイズに跪くような姿勢になり、ちょうどよい高さになった。
「これでいいか?」
「いいわよ。じゃあ、ちょっと動かないでね。あんた、感謝しなさいよね。貴族にこんなことされるなんて、普通は一生無いんだから」
杖をふって呪文を唱え、青年の顔に手を添える。よく見ると、青年の瞳はアメシストのような深い紫色だった。
「な、なにを――んむっ」
うろたえだした青年が逃げ出さないよう、一息に唇を重ねた。
(な、なに?)
青年と口づけしたと思った瞬間、ルイズの意識は奇妙な場所に跳ばされていた。。
茨のような不思議な光に包まれ、闇の中に落ちていく。闇の中で次々と見たこともない光景が映し出される。
そこは精神と時の狭間。
闇に浮かぶ巨大な球体。
宙に舞い散る無数の羽根。
額に刺青を刻んだ巫女の隊列
何度も先ほどの青年の姿が瞬く。そして言葉ではなく、何かの『意志』のようなものがルイズに伝わってきた。
(力が欲しいか)
力?
(王の力はおまえを孤独にする。その覚悟があるのなら)
使い魔の契約のことなの? 王の力? 姫様の力になれるってこと?
伝わってくる意志は一方的で、こちらの問いに応えてはくれない。だが、ルイズの答えは決まっていた。
「契約なんか、結ぶに決まってるでしょう! あんたはわたしの使い魔なんだから!」
その瞬間。幻のようにうつろっていた世界がぴたりと止まる。現れたのは幾重にも連なる巨大な歯車。無数の巨大な歯車の連なりに、新たに出現した歯車が轟音とともにかみ合わされる。同時に、ルイズの頭の中で同じように、カチリと何か新しい部品がくみこまれるような感覚があった。
ルルーシュは、少女と口づけをかわした瞬間、自分の『コード』に何かが干渉してきたのが分かった。右手に刻まれた羽ばたく鳥のような紋章が赤く輝いたかと思うと、ルルーシュの意識はここではない場所に飛ばされていた。
(なんだ……俺は何もしてないぞ……勝手に?)
ギアスの契約。異なる摂理、異なる命、異なる時間。王の力を与える、呪いにも似た契約。その契約を、目の前で結ぼうとしている少女がいた。
「おい、やめろ! 契約するな!」
こんな、事故のような形で手に入れていい力ではない。だが、ルルーシュの声は少女には届かない。暴走するコードが、ルルーシュの意志とは無関係に契約を持ちかけてしまう。そして。
「契約なんか、結ぶに決まってるでしょう! あんたはわたしの使い魔なんだから」
少女の左目に、羽ばたく鳥のような紋章が出現した。誇りに満ちたその瞳がこれから何を写すのか。
今はまだ、誰も知らない。