天衣さんはどっちかと言えばオマケ……。
九鬼に帰り今後の天衣さんの処遇について話し合いが行われた。結果から言えば彼女は当分九鬼ビルで過ごす事になった。というか九鬼ビル近くの観光名所のひとつ潮風公園より先への出歩きを禁じられた。まあ無理も無い。
もちろん仕事は割り振られた。
朝は武士道プラン組みの組手の相手。昼から夕方は九鬼ビルの外回りの清掃及び警備。夜は従者部隊の訓練に参加。以上が彼女の主なスケジュールになる。
揚羽さんに別れ際に天衣をよろしく頼むと言われ、とりあえず自室に戻ってすぐに綾小路さんから借りた陰陽術の本を読みながら、陰陽術の勉強を始める。
書は昔の漢文で記されていたが、一応歴史好きだから古文もそこそこ得意なので、読めなくはなかった。
遅めの夕食を摂り、学校の勉強をしてその日は就寝。
翌朝いつもの気の操作と瞑想を行い、朝食とお弁当の下準備を済ませて訓練へと向かう。
トレーニングルームでみんなで柔軟していると、ヒュームさんが橘さんと共に現れ、昨日自分にした説明をみんなに伝える。
「今日から居候させてもらう橘天衣だ。よろしく頼む」
訓練開始の前に橘さんがあいさつをする。
橘さんは昨日と違い、従者部隊に支給されているトレーニングウェアに身を包んでいた。
「ああこの人が噂の不幸な人か」
「ちょっ弁慶! 言っていい事と悪い事があるぞ。すいません橘さん」
弁慶のストレートな物言いに、義経が慌てて頭を下げて謝る。
「いや、いいさ。本当のことだから。今日も何故か頂いたばかりの目覚ましが、止まっていて危うく遅刻するところだったんだ」
「不幸過ぎるだろ。どこの
与一が呆れながら言い放つ。幻想殺しとは与一の好きなラノベのキャラだ。正直その主人公とは他人の気がしないので自分も好きだ。
「ふん。それでも元四天王と言うからには強いのだろう?」
「無論だ。しかも九鬼が開発した身体に流れる気を動力に動く義手と義足を持っている。流石に火器は外したが、それでも攻撃力と防御力は生身の時より数段上がっているはずだ」
項羽姉さんの好戦的な発言に、ヒュームさんが同じく挑発的に答える。
「それは楽しみだ。天衣、さっそく俺と勝負しろ!」
「分かった。君は強そうだし、本気で行かせて貰う!」
二人が早速戦い始めたその時、ふと思った。
あれ、天衣さんて百代に負けたんだよね? じゃあ同等な力量の項羽姉さんが相手したら……。
「うわらば!?」
そんな可愛くない悲鳴と共に天衣さんが吹き飛ばされた。
「なるほど。スピードは中々、義足の気力噴射のお陰で空中移動と急加速急停止が可能っと。面白いぞ天衣、さあ続けるぞ!」
「ふ、ふふ。ぶっ飛ばされて蹲る私にまだ戦えと……ああ、不幸だ」
どこか達観した表情のまま、しかしこれも彼女の仕事の内なので、誰も止めない。頑張れ天衣さん。きっとその内いい事あるから……多分。
「というような事があった」
「そうか、橘さんにそんな特異体質があったのは知らなかった。まぁ確かに私に負けた後すぐにまゆまゆに決闘挑んじゃうあたり、ツイてないな」
放課後に百代に稽古するぞと誘われ、一緒に帰る間に天衣さんの事を百代に伝えると、彼女は同情したような表情で溜息を吐いた。
因みに清楚姉さんは図書館で勉強だ。今後の為にも大学の推薦を得るために、可能な限り期末考査で上位に入りたいらしい。松永先輩は雑誌の取材があるそうだ。やっぱり有名人は忙しいらしい。
「せい!」
「はっ!」
川神院の門を潜って本殿の脇の庭を通り抜けると、すぐに広い訓練場に出る。
そこでは先に来ていたのか、一子と義経が訓練場の一角で既に模造の薙刀と刀で打ち合っていた。
「やってるな」
そんな一子の様子を、百代は優しげな表情で見詰める。
二人は最近、組手稽古の時は川原ではなく川神院で行っている。川原では色々注目が集まるし、義経の善意なのだが、一子を贔屓して鍛えているようにも見えることから、ヒュームさんと鉄心おじさんが話し合い、そういう取り決めにしたらしい。
「それじゃあ私も着替えてくる。お前の分の胴着も持ってくるから待っていてくれ」
「分かった」
百代が来るまで近場の木に寄り掛かって一子と義経の稽古を眺める。
一子は気の
それに以前よりも動きのキレがいい。身体の疲労はちゃんと取っているようだ。
義経が攻めて前進するのを一子は薙刀のリーチを活かして突きで牽制する。それでも懐に入り込まれると、一子は柄の持つ場所を変え、下からの振り上げをいなして身体を捻り、以前なら大きく振り下ろしていそうな場面で、柄を少し短く持って小さく素早く振り下ろして義経を牽制し、義経が離れた瞬間に、今度は一子が攻勢に出る。
やっぱり身体能力では義経の方が上か。だが動き出しの初速は一子の方が早い。それはつまり肉体の能力は義経が上で、感覚の能力は一子が上を意味する。
義経が切っ先を僅かに上げる。その瞬間、一子は咄嗟に薙刀を僅かに上に反らす。その一瞬の隙を突いて義経が剣を反して下から切り上げて一子の薙刀を上に弾く。
一子は焦ったような表情をしながら、しかし想定はしていたのか、薙刀が弾かれた瞬間には、既に後ろに下がって間合いを広げて防御体勢を取る準備をしていた。
相手をちゃんと想定して動けているな。
経験の面では義経が今は圧倒的に優位だが、ここ最近は二人で訓練していると言っていただけあって、一子の戦術の幅も広がっている。
一子も義経も、良くも悪くも練習が実力に繋がるタイプだから、対人戦は一番いい練習方法だろう。もっとも、同じ相手とやり過ぎると癖が染み付く場合もあるから注意が必要だが。
「待たせたな。ほら、胴着だ」
背後から声を掛けられて振り返ると、胴着に着替えた百代が川神院の修行僧の人達が着ている胴着を持って戻ってきていた。
「ありがとう。それじゃあ何所で着替えればいい?」
「なんならここでもいいぞ」
嫌らしい笑みを浮かべる百代にデコピンしようとしたが軽くかわされてしまう。むぅ、動きに無駄が無い。
「はは、冗談だ。すぐそこの建物が一応更衣室だ。まぁ修行僧はみんな自室で着替えるから、殆ど来客用だな」
「じゃあちょと着替えてくる」
指示された小屋の様な建物に入る。
銭湯の脱衣所のような服を仕舞う鍵付きの木の棚が備え付けられていた。
鞄と制服を仕舞い、胴着に着替えて庭へと戻る。
訓練所に戻ると、こちらに気付いた百代が、一子達から視線を外す。
「さて、それじゃあやるか」
身体を伸ばし、屈伸運動をしてやる気満々の百代に苦笑しつつ、同じ様に準備運動して身体を解してから、強化して構える。
「おう。いつでもいいぞ」
「じゃあ……シッ!」
百代が小手調べとばかりに拳を作らず、手を軽く前に払うようにこちらに放つ。
その手を軽く払おうとしたが、百代は肘を引いて手の動きを一瞬止めて、こちらの動きの間を外してから、再度振る。
その動きを捉えていたので、なんとか弾く。
お返しとばかりに手刀の形で百代の顎を狙って横に払うが、百代はそれを軽く上体を引くだけで紙一重で回避して、今度は百代がまた攻撃を仕掛ける。
攻撃される。攻撃する。それを交互に続けてお互いに相手の攻撃を回避か弾いて対処する。
その最中、自分は百代の戦い方の変化に気付いて、内心で苦笑いを浮かべた。
おいおい、まだたったひと月だぞ。
百代の動きに無駄がなくなっていた。
以前の百代も回避はしていたが、回復があるためどちらかと言えば防御主体だった。
しかし今は回避優先。そしてその攻撃に『触れていいか』を見極めてから弾く。
攻撃に至ってはフェイントまで織り交ぜてきて、捌き難いったらない。
何より一番変わったのは百代の表情だ。
彼女は笑ってた。楽しそうに。嬉しそうに。しかし目だけは油断無く、こちら動きを余す事無く観察していた。まるで相手の全てを推し量るように。
ヒュームさんと同じ様に相手の力を見極めて、自ら力を調整している、か。
たった一度の敗北で、たったひと月の鍛錬で、百代は強くなっていた。勿論同等の強さを持つ項羽姉さん。そして技術に抜きん出た燕先輩という存在の出会いも影響しているのかもしれないが、それでも異常な成長速度だ。
まったく。勝てる気が全然しないのに、勝つ気で挑まないといけないなんて、昔みたいだな。
驚きもあるし恐怖もある。だがなんてことはない、立ち位置が本来の形に戻っただけだ。
「まったく。それじゃあ鍛えさせて貰うぞ百代」
「何がまったくなのかは分からないが、お前の技術、見させて貰うぞ」
二人して笑って拳を突き出し合う。
百代の攻撃の速度が上がり、こちらも強化に加えて気を纏わせる。
そして大方の予想通り……最後は自分が地面に倒れて空を見上げていた。
「はぁ。勝てる気がしないな」
「努力しているからな」
いつもの強気な笑顔で自分を見下ろす百代のその姿が、子供の頃と重なって見えた。
やれやれ、また追いかける日々の始まりか。だがそれも悪くないと思えた。
「お姉様凄かったわ!」
「お兄ちゃんも!」
百代に手を引いて起こして貰っているところに、一子と義経がやってくる。どうやら手を止めて自分達の組手を見ていたらしい。
「二人は休憩か?」
「うん。これから気の練習」
「一子は気の習得が早い。義経は羨ましい」
義経の言葉に、一子はそんなことないよ。と謙遜するが、ひと月で纏をある程度維持できるならたいしたものだろう。
「まぁ気に関しては相性があるからな。こればっかりは仕方ない」
「お前が言うと説得力あるな。確か初日で気を纏えたんだっけ?」
「ああ。でも維持や必要箇所にのみ纏わせたり、物体に纏わせるのは少し時間が掛かった」
持って来たタオルで汗を拭きながら百代の質問に答える。当時の父さんの驚いた顔を思い出してつい笑ってしまう。
「ねえユウ、ユウが良かったらなんだけど、強化を教えて貰えないかな?」
「強化を?」
一子が汗を拭きながら、少しだけ申し訳無さそうな表情をする。
「うん。前にユウ、自分は弱いから強い人とは強化して戦うって言っていたでしょ。義経ともっとちゃんと戦うには、あたしにも強化は必要だって思ったの」
確かに義経の方が力量としては上だ。組手では手を抜いているが、真剣勝負では義経が勝つ。多分、神速と言ってもいい一太刀目の居合いを、今の一子では防げない。よしんばその攻撃に耐えたとしても、以降は満足に戦えないだろう。というか今まで義経の全力の居合いを完璧に見切って回避できたのなんて、ヒュームさんくらいしか見たことが無い。
因みに自分と弁慶は視覚と直感をフル稼働で回避する。それでも回避できるかは見栄を張っても五割に届けばいい方だ。与一は……そもそも接近させないのが仕事だから。
「う~ん。とりあえずやってみるか」
タオルを義経に預けて一子と一緒に庭の中央に移動する。
「そもそも一子、纏の原理は理解しているか?」
この前と同じ様にまず一子に質問する。というか、纏の基本を理解していないと強化は扱えない。
「えっと、気は元々人が生み出せるエネルギーで、余分な分を身体から放出する性質がある。纏はその漏れ出る現象を意思で押さえ込み、身体の周りに留める状況を作ることで、身体を覆うように気を纏わせられるようになる。だっけ?」
「その通り。慣れれば漏れ出る気の量を常に最小に出来るし、必要箇所にのみに纏わせる事もできる」
ここまでは復習と確認だ。一子が気を溜める基礎を理解していると分かったので、次のステップに移る。
「それじゃあ今度は全ての気を体の中心に集める感じで、気を溜める。いいか、留めるではなく溜めるだ。できるか?」
「やってみる」
一子が目を閉じて深く深呼吸する。
正直強化を実戦で使用できるレベルにするには、意識せずに自然と気を身体に溜め、漏れる気を最小にする。更に戦闘になった瞬間に瞬時に溜めた気で肉体を満たし、細胞を活性化させ、更に外に漏れ出る気を纏と同じ様に留めなければならない。
慣れない内は意識的にやるしかないのが辛いところだな。そして意識してできないと何もできない。
気を放出して、一子の気の流れを注意深く観察する。
ん、気の放出が引っ込んで行くな。
それはつまり、一子が気の収束に成功したことを意味する。
やっぱり一子は感覚が鋭いな。
一子の気が内側で膨れ上がっていくのを感じながら、次の指示を出す。
「一子、次はその気を一気に全身を満たすように開放し、留めろ。こればっかりは自分で感覚を掴むしかない」
一子は無言で頷き、一度深呼吸してから、力んだ様に勢い良く目を開き、下げていた腕を軽く曲げて拳を作る。次の瞬間、一子の身体に気が充満し、そして身体から強い闘気が放出される。
「ぐうっっ?!」
一般人でも視覚できる程の気の放出に、すぐに一子が苦しそうに小さく呻いた瞬間、留めようとしていた気が四散する。
「はぁ、はぁ、こんなにしんどいの!?」
「まぁ体内を含めた文字どおり全身を気で満たした状態で留めるからな。纏を完璧にこなさないと難しい。慣れれば気の放出も抑えられるぞ」
そもそも一子の様に強い気が溢れている状態は所謂『無駄な浪費』だ。あれでは成功しても長続きしない。
「こいつ今さらっと言ったけど、優季の様に強化に細かい段階をつけて行なったり、強化を維持しつつ気を操るのも、結構な高等技術だからな」
自分の説明に百代が呆れた声で修正する。
「お兄ちゃんはもう少し気の扱いは難しいものだって事を、義経は理解すべきだと思う」
「そ、そうか?」
確かに言われて見れば、生前習得した霊子魔術と、データという特異な身体のお陰で、全身に力が流れる感覚を完璧に把握していたから、当初から気の扱いに慣れていた気がする。
う~ん。少しずるいとも言えるか。
「まぁゆっくり練習するしかない。気を纏えるだけでも一段上の強さに上がったのは間違いないし。とりあえず無駄に気を消費しないように、毎日気を感じる修行をする事」
「そうね。うん、頑張るわ!」
「一子、少し休憩しよう」
一子は疲れを見せながらも、力強く頷き、義経と一緒に水分を補給しに行く。
そんな二人の後姿を見詰めていると、百代が隣にやって来て困ったような顔で小さく溜息を吐いた。
「やれやれ、ウチの妹は頑張り屋さんだな」
「ウチもさ」
百代と二人で苦笑し合う。
「それじゃあ姉の私も頑張るかな」
「かっこ悪いのはいいけど、情けない姿は、あまり見せたくないよな」
お互いに笑みを浮かべて再度対峙する。上の兄弟にも、意地というものがあるのだ。
それにしても、百代は妹の事になると可愛いな。
百代の新しい一面が見れたことに喜びながら、百代と稽古をして過ごした。百代が終始嬉しそうだったのが印象的だった。
もうちょい百代とラブラブさせたかったけど。そこは殴り愛でカバーという事で。
まぁ一子の修行で大分文字数持っていかれたのも原因ですが。