礼拝堂の中へと入ると、万雷の拍手に迎えられた。しかし、俺にはその音がとても遠くに感じられた。
目を奪われた。言葉を失った。
教壇の前に立ってこちらを見詰める彼女は、今まで見たどんな女性よりも美しく見えた。
中央に敷かれた赤いカーペットを踏み締め、進む。
入口に立った時には長く見えたその道は案外短く、ものの十数秒足らずで彼女の元まで辿り着いた。最も、それは距離だけの問題ではなくて、気持ちが急いて、結果的に足を動かす速度も上がったからだろう。
目と目が合う、見詰め合う。如何にもそれがくすぐったくて、俺はついつい視線を逸らしたくなる。それでも、言うべき言葉はするりと口にする事が出来た。
「綺麗だよ、アスナ」
「……ありがとう。その……キリト君も、恰好良いよ」
アスナの頬がベール越しにでも紅潮してるのが解る。多分、俺も似たようなものだろう。
俺達のやり取りを聞いた前列を中心にバカップルだの何だのと再び喧噪が巻き起こるが、俺の耳には殆ど入りはしなかった。
アスナが今着ているドレスは、マーメイドラインと呼ばれるデザインのものらしい。上半身から膝の辺りまでは身体にぴったりとフィットさせ、膝下からは徐々に裾が広がっている。……確かに、その見た目は宛ら人魚のようである。更に全体的に細かな花の刺繍が施されており、当人の容姿も相まって非常に
俺が着ているコートと合わせ制作者は若い女性で、名前はアリア。ティンクルが数日前まで住んでいた《フローリア》の家の隣に住んでいるのだという。まあ、確かにあそこの家を買えるだけあって、腕の良さは折り紙付きだった。
因みに、彼女は現在最前列に座って、自分の手掛けた仕事を目を輝かせながら見守ってくれている。
俺はアリアさんに謝意を込めて小さく頭を下げてから、アスナと共に教壇の方へと向き直った。
教壇に立つのは、ヒースクリフ。恐らく、俺達が出て行った後にティンクルが神父役を頼んだのだろうが、こうして改めて面と向かうのはバツが悪い。だが、ヒースクリフは特に気にした風も無く、重々しく口を開いた。
「それでは、式を始めよう。神父役は私、《血盟騎士団》団長ヒースクリフが謹んで務めさせて頂く」
ヒースクリフはそう言って、持っていた革の
成る程、その姿は中々に堂に入っていた。
「新郎、キリト」
呼ばれ、自然と背筋が伸びる。
「汝、この女を妻とし、良き時も悪しき時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、愛し、敬い、慰め、助け、共に歩んでいく事を――己の二刀に誓えますか?」
……剣に誓う、か。これ以上この世界で相応しい誓いの言葉も無いだろう。
「はい、誓います」
言うと、ヒースクリフは頷き、次いでアスナに視線を向ける。
「新婦、アスナ。汝、この男を夫とし、良き時も悪しき時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、愛し、敬い、慰め、助け、共に歩んでいく事を――己の細剣に誓えますか?」
「はい、誓います」
アスナがそう答えると、ヒースクリフは再び頷いてみせる。そして、ティンクルが俺へと譲渡し、俺からヒースクリフに先程預けておいた二つの指輪を彼は懐から取り出した。
「次にキリト君、君はこの指輪をアスナ君に対する愛の
「はい、与えます」
「アスナ君、君はこの指輪をキリト君の君に対する愛の印として受け取りますか?」
「はい、受け取ります」
「ではアスナ君、君はこの指輪をキリト君に対する愛の印として彼に与えますか?」
「はい、与えます」
「キリト君、君はこの指輪をアスナ君の君に対する愛の印として受け取りますか?」
「はい、受け取ります」
「宜しい。では、指輪の交換を」
それぞれ手渡された指輪を互いの薬指にはめ、指輪の交換を終える。
「……ふぅ」
良し、何とかやりきった。中学時代を思えば、充分過ぎるくらいに頑張った方だ。
だが、安堵の息を吐いた束の間を狙うように、ヒースクリフが耳を疑うような台詞を吐いた。
「それでは、最後に誓いのキスを」
「――……え」
思わず間の抜けた声が出る。
「ちょ、ちょっと待て! キス!? ここで!?」
「ここ以外の何処ですると言うのだね? いや、別に何処でしようと別に構わないが」
「いや、だってこんな……大勢の目の前でなんて」
そう、俺は完全にその存在を失念していたのだ。結婚式などそもそも見た事が無いのに加え、その手のドラマも余り好きではなかったから。
じとり、と嫌な汗が出る感覚。
何とか回避出来ないか? そう思っていると、意外な事に、ヒースクリフから助け船が出された。
「成る程、衆目の前ではし辛いと。そういえば、プロテスタント教会では誓いのキスは省略される事が多いと聞くが――」
「……! だったら」
「まあ、だからと言って、今の私は“神父”なのであって“牧師”ではないのでね、それは無理な注文というものだ」
「……………………」
と思ったら、次の瞬間には梯子を外されていた。
見れば、ヒースクリフは真顔ようでいて、しかし、確かに口角が僅かに吊り上がっている。如何やら、先程の意趣返しのつもりらしい。
……もしかして、割と根に持つタイプなのか……?
万事休す……いいや、どれ程絶望的な状況だろうと、必ず活路は見い出せる……!
そんな風にらしくもなくポジティブになってみたものの、幾ら考えを巡らせても何も思い付かず、堂内が俄かにざわめき始める。すると、
「キー坊のヘタレー! 意気地ナシ―!」
聞き覚えのあるコケティッシュな鼻音混じりの声が人垣を割って出た。
アルゴのやつ……!!
目を走らせその姿を捜してみるが、流石の《隠蔽スキル》の高さか当然のように見付からない。まさか何時ものフード姿ではないはずだが……。
そして、それを皮切りに、参列者一同による俺へのヘタレコールが巻き起こる。
『ヘ・タ・レ! ヘ・タ・レ!』
「お前ら絶対楽しんでるだろ!?」
我慢出来ず悲鳴を上げるが、これ以上時間をかけると今度はキスコールをされ兼ねない。それだけは御免だった。
ふぅ……。恨むぞ、ティンクル。
「……心の準備は出来たかね?」
「ああ」
そのやり取り一つで、騒がしかった堂内が再び静寂に包まれる。そして、それに背中を押されるように、俺はアスナに向き直った。
「ごめん、こんな時に決心付かなくて」
「ううん、大丈夫……恥ずかしいのはわたしも同じだし。それに、キリト君の素の性格、最近少しずつだけど解ってきたから」
言われ、一瞬息が詰まる。
それは……喜んでいいのだろうか? ――いいや、喜ぶべきなんだろう。
βテスターとして、《攻略組》として、そして《黒の剣士》として……俺は今まで、他人に弱さを見せる事を極端に恐れてきた。強くなければこんな自分に価値は無いのだと、心の何処かでずっと思っていた。
でも、そんな俺の隠してきた内側の部分を見抜き、力になってくれた二人の女性がいる。一人は常に一歩先で俺を導き、もう一人は隣に立って今も支えてくれている。
「それでは、改めて誓いのキスを」
俺は二人に何を返せる? 何をしてあげられる?
顔を覆うベールをゆっくりと上げていく。
ティンクルには何だかんだで両手の指じゃ足りないくらいの借りがある。これは正直、ゲームをクリアするのに至っても返せてる気がしない。下手をすれば、今からでも更に四つや五つ借りが増える可能性すらあるくらいだ。実際、今回の事でまた一つ借りが出来たと、少なくても俺は思ってる。……だから悪いけど、彼女には完済まで気長に待って貰おう。
一旦真上まで上がったベールは、大きな弧を描いて向う側へと落ちていく。
なら、アスナに対して俺が出来る事は?
朱に染まった頬、濡れた瞳、桜色の唇。ベールが取り払われ、それらが露わになる。
――ずっと後悔している事がある。クラインには「お前は悪くない」と言われ、ティンクルには「彼ら自身の責任を奪うな」と言われた。でも、そんな言葉は慰めにはならない。
二人は知らない……。寧ろ、知らなくて当然なのだ。だって、結局俺は、最期まで言葉にする事が出来なかったのだから。
自信が無かった。負い目があった。それでも口にすれば良かったと、それで何かが変わったんじゃないかと……今でも、その想いが心の中で燻っているんだ。
これは、もしかしたら代償行為なのかも知れない。恥ずべき行いなのかも知れない。けれど、この気持ちは、紛れもなく本物だから。
もう二度と失いたくない。だから改めて、自分自身に誓いを立てる。
「どんな事があっても、君を守ってみせる。君だけは、必ず現実に還してみせるから」
「なら、わたしももう一度言うね。――わたしは、君の前から居なくなったりしないよ。だって、わたしは君を守る方だもの。それとね」
ふわり、と花の香りが鼻孔を擽る。抱き付かれたのだと認識するのに数秒の時を要した。
「帰るときは、一緒だよ」
アスナの吐息が、優しく俺の耳を撫でる。
……そうだな、帰るときは一緒だ。
俺達は顔を見合わせ微笑みながら、そっと優しく唇を重ねた。
†
ケーキ入刀からブーケトスまで目ぼしいイベントは粗方やり終え、それじゃあそろそろ解散――となるどころか、騒がしさは一層増すばかり。夕闇に染まった空に、先程から頻りに花火が打ち上げられている。
そして、一際大きな閃光がパーンと乾いた音を響かせ花開き、辺り一帯を明るく照らし出した。
「まさか、あんたも来てるとはね」
「こんばんは、リズさん」
顔を見るまでもなく、その声には覚えがあった。
「シリカ、あんたもあいつに呼ばれてたのね。《攻略組》じゃないはずだし、キリトかアスナの知り合い?」
「はい、キリトさんの……」
シリカのその声音に、あたしは知りたくもない事に気が付いてしまった。こういう時、自分の察しの良さが怨めしくなる。
「あんた、まさか……」
「はい。キリトさんの事が……その……」
「いや、言わんでいいから」
しまった、と思った。どうにも、第一印象が悪過ぎて、それが尾を引いてしまっている。シリカが悪い訳じゃない事は理解しているのに、彼女への対応が冷たくなってしまう。
「え~っと……その、ティンクルさんが何処にいるかご存知ありませんか?」
「あいつなら、今は教会の奥の部屋で休んでる。何時起きるか解んないし、あいつに何か用があるなら日を改めなさい。あー……あたしに話しても良い事なら、伝言言付かっても良いわよ」
どうする、とあたしが尋ねると、シリカは一瞬迷った素振りをみせて、けれど意を決したように口を開いた。
「あたし、キリトさんの事が好きで……二人が両想いだって知った後も諦めきれなくて」
「……うん」
その気持ちは痛いほどよく解る。一度本気で好きになったら、多少の事では折れたりしない。本気の恋は、簡単に冷めてなんてくれないんだから。
「なので、昨日招待メールが届いた時は驚いて……。何て書いてあったと思います? 『僕は略奪愛を否定するつもりはないけれど、彼らの友人としては余りお薦めは出来ない。だから、これを送らせてもらいます。二人の幸せを壊してでも、キリトと恋仲になりたいのか。判断はシリカ自身に委ねます』……酷いと思いません?」
「確かにえげつないわね」
要するに、二人の幸せそうな姿を見せ付けて心を折りにいったってわけか……。恐ろしい事をする。
「でも、今日お二人の姿を見て、決心出来ました。あたしは、お二人の仲を切り裂いてでも、キリトさんの隣に立ちたいんだって……知る事が出来ました。なので、絶対に諦めないと、お姉さんには負けないと伝えておいてください」
よろしくお願いします、と言いたい事を全て吐き出したシリカは、いっそ清々しさすら感じるほどの笑顔で闇の中へと消えていった。
「あ~あ……あたし知らないからね」
聞けば、祭りの屋台は全てチャリティーなのだという。《軍》に搾取されている《はじまりの街》の住人達――特に、教会で暮らしている子供達に、今日だけでも美味しいものを食べて貰おうと集まったのだそうだ。つまり彼らはみんな、光が集めたボランティアという訳だ。
「あいつ、ホント馬鹿よね……」
頭が良い癖に、肝心のところが抜けている。他人に気を配る暇があったら、もっと自分を労わるべきだ。
「ホント……お人好しなんだから」
視界がぼやける。泣かないと決めたはずなのに、涙が頬を伝って行くのを止められない。
ああ、そうだ。本気で好きになったら、一つや二つ……いや、十個や二十個悪いところを見付けたところで、嫌いになれる訳がない。だって、欠点を一つ見付けたそばから、長所を二つ見付けてしまう。あいつならきっと、惚れた欲目だなんて意地の悪い事を言うんだろうけど、そんなの知るもんか。
これが恋だ。これが愛だ。これが、誰かを好きになるって事だ。
「どれだけあたしに心配かけるつもりよ――」
『ヒュゥ~』
「――光の馬鹿ぁぁぁぁ~!!」
『バーンッ!!』
夜空に大輪の花が咲き、あたしの叫び声は掻き消された。
姫と兎の聖譚曲を読んで下さってる方は五日ぶりですが、黎明の女神のみの方は五ヶ月ぶりという事になるのでしょうか?忘れ去られていても可笑しくありませんね。
色々自分の中に言い訳めいた言葉が浮かんでいるのですが、書く気になれなかった、というのが正直なところです。いや、書けなかった、が正しいかもしれません。
キーボードを打っても、同じ数だけバックスペースを連打するのを繰り返しました。
もう自分は駄目なのかもしれないと思い、長い間ハーメルンからも離れていたんですが、再起を図って六月から新作を書いてます。奇しくも、一話の投稿が黎明と一日違いです。
そんな感じでリハビリを続けてたのですが、今朝思い立って続きを書き始めました。後半のリズパートは起床後の二時間弱で書き上げた事になります。不思議ですね、書けました。
気合い入れるために最新刊読もうと思ったのに届かない。今日には届くと思うけど一歩遅かった。後でゆっくり読みます。
というわけで、また時間が開いてしまうかもしれませんが、投げ出すつもりはありませんのでどうぞご安心を。SAO編は必ず完結させますので。
それでは、次回また。