ソードアート・オンライン 黎明の女神   作:eldest

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第41話 家族

 転移門を潜り数ヶ月ぶりに《はじまりの街》に降り立った俺は、憂鬱な気分を少しでも紛らわせる為に空を見上げた。

 

「…………ッ」

 

 思わず舌打ちする。

 天蓋の外れから覗く空は、ムカつくくらいによく晴れていた。昨夜の雨が嘘のように、眩しいくらいの朝の陽射しがここまで降り注いでいる。

 これではまるで、天すらもがティンクルと(なにがし)の結婚を祝福しているようではないか。全くもって腹立たしい限りである。

 

「……やっぱり帰ろうかな」

「ここまで来て今更何言ってるのよ」

 

 天を仰ぎ見ながらぼそりと呟くと、呆れたような声が返ってきた。いや、実際彼女は心底呆れているのだろうが。

 

「やれやれ、パパったら本当にシスコンでどうしようもないんだから。ねぇ、ユイちゃん?」

「ねー」

「ぐっ……!」

 

 ユイは無邪気に笑ってそう返すが、単語の意味を理解しているとは到底思えない。しかし、そうと解っていても、幼い少女に言われるとぐさりと来るものがあるのだ。

 精神にダメージを負いながらもどうにか発言を撤回させようと正面に視線を戻すと、それ見たことかと言わんばかりにこちらを()め付けるアスナと目が合った。

 

「待て、アスナ。言っとくが、俺はシスコンじゃないし、そもそもティンクルは俺の姉じゃない。それにだなぁ……」

 

 何か俺が悪いみたいな雰囲気だが、正直俺の身にもなってほしい。そもそもこのアインクラッドで、ティンクルの結婚相手の顔を見たいなどと思うプレイヤーがゴシップ目当ての《情報屋》以外にいるだろうか。いや、いない。確信を持ってそう断言しよう。

 別にティンクルが誰と付き合おうが結婚しようがそれは本人の自由だし、そもそも俺には何の関係もないってことは百も承知だ。しかし、それでもこうして気落ちしてしまうのは、言ってしまえば男の(さが)というものだろう。気に入っていたアイドルが、もし仮に一般男性と結婚してしまったとしたら……壁の一つも殴りたくなる、それと同じことだ。

 

「だから俺は、断じてシスコンなどではない!」

「…………」

 

 日頃からは想像も付かない程に長広舌を振るう俺をアスナは黙って見詰めていたが、

 

「ねえ、ママ? しすこんってなーに?」

 

 思わぬところから、とんでもない爆弾が投下される。

 

「え? シスコンっていうのは……そうね」

 

 ユイの目を輝かせながら放った問いに、しかし直ぐには答えず、何故か俺をチラリと見るアスナ。

 

「パパが詳しいから、パパに訊いてみて」

「なっ」

 

 ――鬼か。

 嘗ての《攻略の鬼》が、別種の鬼となって帰ってきた瞬間だった。

 

「ねぇパパ、しすこんってなーに?」

「そ、そそそそれはだな……」

 

 あくまで純粋な好奇心で訊いているユイに、俺は仮にも親として、自分の為に子供に嘘を教えるわけには絶対にいかない。だが、真面目な顔でシスコンの意味を講釈するなどという度胸が俺にあるはずもなく、板の間で途方に暮れる。

 嗚呼、もしかしたら、『赤ちゃんはどうやったらできるの?』と子供に訊かれた時の親の心境とは、こういった感じなのかもしれなかった。

 一体、どれだけの時間流れただろうか。

 大量の冷や汗を流しながら目を泳がせる俺をいい加減見かねたのか、俺を見上げて辛抱強く待っているユイにアスナは優しく声をかけた。

 

「ごめんね、ユイちゃん。パパはユイちゃんにはまだ早いって。パパがそう言うんだったら、ママも教えてあげられないかな」

「ぶー」

 

 責任を全て俺に被せつつ上手に誤魔化すという高度なテクニックを見せるアスナに戦慄しながらも、不満そうに頬を膨らませるユイを黙って見守る。

 

「……わかった」

 

 やがて、心底残念そうではあったものの、ユイはそう了承してくれた。

 内心胸を撫で下ろしながら、俺はユイに笑いかける。

 

「ごめんな、ユイ。その代り、ユイがしてほしいこと、何でも一つ叶えるよ」

「ほんとに?」

「ああ、本当だとも」

「ほんとにほんと?」

「ホントにホントだよ」

 

 俺がそう念を押すと、ユイは迷うように視線を彷徨わせてから、自信なげにぽつりと囁いた。

 

「おてて、つないでほしい」

「……ッ」

 

 そんな切なる願いに、俺は胸を衝かれた思いだった。見れば、アスナは今にも泣き出しそうで、口に両手を当てている。

 そうだ、当たり前だ。こんな小さな子が記憶を全て無くして、不安じゃないはずがないではないか。

 

「ああ、そうだな。それじゃあ、手、繋ごうか。大きな街だし、逸れたら大変だからな」

 

 手を差し出しながら途切れ途切れにそう言うと、ユイは小さな手を目一杯大きく広げて俺の手を握ろうとしてくる。

 

「それは、ちょっと難しいかもな」

 

 俺はその様子にやはり泣きそうになって、それでも何とか笑みを浮かべてユイの掌を包み込むように握り返した。すると、何故かユイは俺と握った右手を見詰めてから、次いでアスナの顔を何かを訴えるようにジッと凝視する。

 

「ママも」

「そうだね……っ。うん! じゃあ、ママとは左手を握ろっか!」

「うん!」

 

 浮かんだ涙を振り払って、アスナが殊更明るくそう言うと、今度こそユイは満面の笑みで頷いた。

 その笑顔を見て、俺は心から思ったのだ。

 この笑顔を守りたい。少なくとも、俺がユイの父親である内は――絶対に、と。

 

「それじゃあ、そろそろ行こっか。パパ、ユイちゃん」

「パパ、ママ、れっつごー!」

「はははっ」

 

 こうして俺達は、ユイを真ん中に三人手を繋いで、式場に向かって大通りを歩き始めたのだった。

 

 

 

 東七区の教会。そこがメッセージに記載されていた式の会場だった。だが――

 

「思ったよりも小さいな」

 

 その建物は、意外なほどに小さかった。

 俺の中の想像(イメージ)では、それこそノートルダム大聖堂のような巨大なゴシック建築の建造物だったのだが、現物は“町の教会”と形容するのがピッタリな質素な佇まいだった。

 

「あの人のことだから、もっと派手にやると思ったんだけどな」

「そう? 別にティンクルさんって派手好きじゃないと思うけど。……どうしてキリトくんはそう思ったの?」

「どうしてって……まあ、ティンクルってかなり金遣い荒いし、それでも余りある程稼いでるんだろうけどさ」

 

 随分昔に感じるが、半年くらい前に思い切って尋ねてみたことがある。金銭的に困っているわけではなく、レベリングならもっと安全な狩場は幾らだってある。なのに何故、あんたは態々独り(ソロ)で危険な未踏破ダンジョンに潜り続けるのだ、と。

 

「……それで、ティンクルさんは何て?」

「Time is Money.」

「え?」

「『Time is Money(時は金なり)とは言うけれど、その逆は有り得ないよね? 当たり前だけれど、お金じゃ時間を買うことは出来ない。歴史的な成功者達も、最期には永遠(とき)を求めるものだよ。まあ、つまり何を言いたいのかと言えば、重要なのはどれだけ時間をかけずにより多くの金を稼ぐか、ってことだ。――時間を浪費するのは、そのまま人生を無意味にするのと同義だ。だから、僕は最も効率的な手段で臨んでる。只、それだけのことだよ』……だってさ――って、どうしたアスナ?」

 

 当時を思い出しながら話していると、何時の間にかアスナは俯いていた。

 

「……浪費……無意味……」

 

 掠れた、微かに聴こえる断続的な声。それがアスナのものだと気付くのに、数秒の時間を要した。

 

「ママ……だいじょうぶ……?」

 

 ユイが心配そうにアスナを見上げてそう問うと、アスナは顔を上げ苦笑した。

 

「大丈夫だよ、ユイちゃん」

 

 次いで、俺の目を真っ直ぐに見詰めて、

 

「わたしは、今ここでこうしていることを――この世界に来たことを、絶対に無意味だったなんて思わない。だって、君に出会えたから」

 

 そう言って、はにかむように笑った。

 何故、今の話で突然そんなことを言い出したのか。何の脈絡もなかったように思うが、全く繋がりがないわけでもない。きっと、アスナにも何か思うところがあったのだろう。

 この世界に来たことは、決して無意味なんかじゃない。その言葉に、俺は少し救われたような気がした。

 

「そうだな。……俺も、アスナに出会えて良かったよ」

 

 何とかそれだけ口にしたものの、見詰め合ってるのは照れ臭くて視線を落とす。すると、ニコニコと笑みを浮かべたユイと目が合った。

 

「パパ、幸せ?」

「…………?」

 

 そう訊いてきたユイの表情は無邪気な笑顔だったが、その瞳に、俺は理知的な光を見た気がした。

 

「ああ、そうだな。今まで色々大変なことがあったけど……取り敢えず、今は幸せだと思う。出来れば、これからもずっとこうであってほしいな」

 

 だからだろうか。俺の口からは、そんな真摯な言葉が漏れていた。

 こんなことを言って、ユイは理解出来ただろうか。

 

「…………」

 

 まあ、満足そうに頷いているから、これで良しとしよう。

 

「話は戻るけど、アスナは因みにティンクルのやり方は効率的だと思うか?」

「う~ん……ソロだから手に入れたリソースは全部自分の物だよね? だから、効率的といえばそうかもしれないけれど……。でも、リスクとリターンを考えれば、寧ろ効率悪いんじゃないかな? 実際、キリトくんだって、ソロの時よりわたしとコンビ組んでる方が効率良いって言ってたでしょ?」

 

 仕切り直す意味でアスナに尋ねると、少し考える素振りを見せてからそう言った。

 

「ああ。だから、ティンクルが言った理由は殆どそれっぽく言った嘘ってことさ。そもそもそんなに効率を求めるなら、《料理スキル》をコンプしたり、事あるごとに俺にちょっかい出してきたりしないだろ?」

「そうだね」

「それにあの人、使わない武器とかプレイヤーに半値以下で売ったり、買い物とかもプレイヤーがやってる露店で済ませちまうみたいだしさ。金遣いが荒いっていうのも、結局はコルを他のプレイヤーに再分配する為だと思うんだ。要するに、あの人の思想――って言うとちょっと大袈裟かもだけど、考え方自体は発足当時の《軍》にかなりに近いと思うんだ」

「発足当時の《軍》? 《MTD》時代ってこと?」

「ああ。何て言ったかなぁ……たしか、トウ小平理論だったか? 先に豊かになれる人が豊かになり、豊かになった人は他の人も豊かになれるように助ける、ってやつ。多分、ティンクルはそれを実践してるんだと思……う?」

 

 そこまで言ってようやく、アスナがこちらを見てニヤニヤと面白がるように笑っていることに気が付いた。

 

「な、何だよ? ヒトが真面目に話してるのに」

「ご、ごめんね。でも、前から解ってたことだけど、何だかんだ言ってキリトくんってティンクルさんのこと大好きだよね」

「――――」

 

 思わず、絶句する。

 

「それに、影響も色々受けてるよね。昨日だって諺の引用してたし、ティンクルさんの癖が伝染(うつ)っちゃってるんじゃない?」

「………――――知らん」

 

 下手に誤魔化せばど壺にはまりそうで、俺は明後日の方へ顔を背けた。

 しかし、そんな俺の行動は、どうやら裏目に出たらしい。

 

「あー! 顔赤くなってる! なんか妬けちゃうなぁ~」

 

 そんな糾弾の言葉とは裏腹に、アスナは何処か楽しそうだ。

 全く、女の子ってのは純情な青少年を弄ぶのがそんなにお好きなんでしょうかね?

 

「それで? キリトくんとしては、結局何が気に食わないの?」

 

 一頻り笑った後、アスナは真面目な声音で尋ねてくるが、どう見てもその顔は笑いを堪えているようにしか見えない。

 

「はぁ……。確か、(くだん)の《軍》は住民から税金を取り立ててるって話だっただろ。風の噂じゃ、なんか最近ボランティア活動してるらしいし、この辺に住んでるプレイヤー全員招待して皆にご馳走振る舞おう、みたいなことやりかねないなと思ったんだよ」

 

 それにしては、この教会は小さ過ぎる。

 結局はこの結論に行き着くわけだが、何故こんなにも長々とアスナに語ったのかといえば、女性にとって結婚式がどれだけの意味を持つのか今一よく解らないから、という一点に尽きる。

 

「う~ん……――多分、それは無いと思うなぁ~」

 

 数秒、アスナは懐疑そうな表情で唸っていたが、結局無碍に切り捨てた。

 

「理由は……?」

「結婚式って大抵は人生で一度切りだし、たとえゲームの中とは言っても思い出に残るものにしたいっていう気持ちは変わらないじゃない? だから、普通に考えて知らない人を招待したりしないと思うし、何より肩身が狭い思いをさせちゃうことになっちゃうよ」

「……そう、だよなぁ」

 

 言われてみればその通り、というか、ぐうの音も出ない。

 ……流石に考え過ぎだったのかもしれないな。

 

「なあ」

「何?」

「やっぱりアスナもドレス着たかったりするのか?」

「どれす? ママ、どれす着るの?」

 

 ドレスという単語にユイが興味を示す。

 

「今のところ予定はないかな」

 

 しゃがみ込んでユイと目線を合わせたアスナは少し残念そうにそう言って、

 

「でも、やっぱりウェディングドレスを着るのは女の子の夢だし、わたしも着てみたいかなぁ。キリトくんは、わたしのドレス姿見たいと思う?」

 

 頬を桜色に染め、上目遣いでこちらを仰ぎ見る彼女の瞳に吸い込まれる。

 

「そうだな……見たい」

 

 気付いたときには、殆ど自動的にそう呟いていた。

 

「じゃ、その内甲斐性見せてよねーキリトくん?」

「ぜ、善処するよ」

 

 結婚式など催した日には何故田舎に隠居したのか解らなくなってしまうが、アルゴに居場所を特定されている以上広まるのも時間の問題だろう。何せ、彼女は《鼠》。自分のステータスすら金になるなら売るのがモットーなのだ。

 ……これはもう、今の内から誰かに後ろから刺される覚悟をしておいた方が良いのかもしれない。

 

「ということでその時を楽しみにしつつ、今はティンクルさんをお祝いしてあげましょ」

「そうだったな。危うくそれ忘れるところだった」

 

 そうだ。今は未来のことで悩むより、何処ぞの馬の骨を斬り伏せることに集中しよう。

 

「待ってろよ……何処の誰かは知らないが、お前にティンクルは渡さない……!」

「思いっきりエゴ丸出しの台詞ね」

「パパこわい……」

 

 女子二名に非難されながらも、俺は割と本気でやり合うつもりで――実際、背には二刀を携えている――教会の扉を開け放った。

 教会の内部は存外明るかった。ステンドグラス越しに射し込む光が、室内全体を照らしていたからだ。

 しかし、そのせいで。

 

「アンタは……ッ!!」

 

 否応にも解ってしまった。顔を見るまでもなく、その背中のみの視覚情報で。

 一般の団員とは逆の、赤を基調とした団服を身に纏った長髪の男。俺はこの男以外に、そんな恰好をしている人物を見たことがない。

 男は俺の声に気付くと、ゆっくりとこちらを振り返った。

 思えば、その可能性は考えてすらいなかった。時系列的に有り得ないし、何より彼女が奴のことを嫌っているのは傍目から見ていても明らかだった。

 だが、好きの反対は無関心と言うように、嫌いということは多かれ少なかれ関心は持っているということだ。そう考えてみると、案外好悪のベクトルというものは、俺達が思っている以上に簡単に逆転するものなのかもしれない。

 

「久しぶり、と言うにはまだそれ程日数が経っていないように思うが……まあ、良かろう。――久しぶりだな、二人とも。取り敢えず、健勝そうで何よりだ。キリト君、それにアスナ君も」

 

 響いてきたのは、良く通るテノール。

 何処か愉快そうにこちらを見詰め立っていたのは、《血盟騎士団》団長ヒースクリフだった。




 ウェディングイベントを楽しみにしていた方、本当に申し訳ありません。今回だけではそこまで話を持っていくことが出来ませんでした。
 最近結構文章が長くなる傾向なんですが、今回はかなり酷くて……前座の段階でここまで長くなるとは当初は思っておらず、流石に長過ぎるということで分離することになりました。
 でも、次回こそはウェディングイベントなのでご安心を!

 それからPrologueについてですが、今後のことも考え第0話としました。

 それでは最後に。
 感想お待ちしております。また、誤字脱字がありましたら報告してもらえると助かります。

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