ソードアート・オンライン 黎明の女神   作:eldest

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第38話 Happy sweet time

 二〇二四年十月二十九日

 

 朝目覚めたあたしがまず感じたのは、鼻孔を擽る味噌の香りだった。

 思い出すの必然、あの雪山の夜。自然、顔がにやける。

 

「ぐへへ……おっと」

 

 朝っぱらから変な笑いが口から漏れた。

 いけない、いけない。傍から見たら完全にヤバいやつである。

 

「いや、でも……ふへへ」

 

 まあ、別に良いか。幾ら気持ち悪く笑おうと、聞き咎める者はここにはいないのだから。

 

「――これで良し!」

 

 寝間着から仕事着であるエプロンドレスに着替え終わったあたしは、幸せ一杯の気分で寝室を飛び出す。

 部屋を出て廊下へと出た途端、味噌の香りに魚の焼けた香ばしい匂いが加わり、空腹を訴えるようにお腹が小さく鳴った。男心を掴むには胃を掴めなんて言うけれど、そういう意味ではあたしはあいつに、胃も心も完全に掴まれてると思う。いや、あたしは女だけど。

 

「おはよう、里香」

 

 リビングに入ると、ややハスキーな艶っぽい声に出迎えられた。どうやら声の主は、キッチンで朝食の準備の真っ最中らしい。

 

「うん! おはよ!」

 

 そう元気に返してから、あたしも何か手伝えないかと思いキッチンを覗き込む。

 

「――――――――」

 

 覗き込み、驚きの声さえ出せぬまま、あたしは心奪われ硬直した。

 今朝の彼は、白い厚手のカーディガンにショートジーンズという出で立ちだった。まあ、それはいい。凄く可愛いけど、百歩譲ってメンズファッションの範疇と言えなくもない。

 しかし、現実は非情である。

 まだギリギリでメンズファッションの範疇だったその服の上から、あろうことかエプロンを着けているのである。つまりは、エプロン姿である。青いエプロン姿である。エプロンによって丈の短いジーンズは完全に隠れ、見ようによっては下に何も履いていないようにすら見えるのだ。つまり、あたしが何を言いたいのかと言うと――――ふぅ……。

 ここが現実であれば、恐らくあたしは紅い飛沫をクラッカーの如く飛ばしていたことだろう。良かった、仮想世界で。

 

「……あんた、あたしを萌え殺すつもり? 言っとくけど、今日は可燃ごみの日じゃないわよ」

 

 今日がもし可燃ごみの日だったら、このままごみ処理施設直行コースだったかもしれない。

 危ない、危ない。寧ろ危ないのはあたしの思考の方かもしれないけど。

 でも、想像してみてほしい。クラスで、いや、学校で一番可愛い娘が、そんな姿で自分の為に手料理を作ってくれている……そんな光景を。……想像出来た? その光景を濃縮還元した図がこれである。つまり、あたしの反応におかしなところは微塵もない。

 

「里香、大丈夫?」

 

 しかし、どうやら光はそうは思わなかったらしく、心配そうにこちらを見詰める。

 気持ちは有り難い。が、完全に逆効果だ。今のであたしの理性は止めを刺されてしまった。

 

「大丈夫、大丈夫。もう手遅れだから」

「そ、それは大丈夫なのかな……?」

 

 勿論、当然ながら大丈夫ではない。

 困惑した様子で光は苦笑するが、調理する手を止めてはいない。慣れた手付きで彼が包丁を振る度に、食材がバラバラになっていく。

 そんな様子を見ていると、光と同じように《料理スキル》をコンプしている友人が以前言っていた愚痴が思い出され、何と無く尋ねてみたくなった。

 

「ねえ、あんたもSAOの料理システムってやっぱり物足りない感じなの?」

「んー? まあ、物足りないって意見も解るけど、逆に言えばそれって手間がかからないってことだから、僕としてはこれで良いと思うけれどね」

「へぇ、何か意外」

「どうして?」

「だってさ、あたしはよく解らないけど……料理が好きな人って、大抵はその手間を楽しむものなんでしょ?」

 

 出来の悪い子程可愛いというのは、要するにそれだけ手間がかかっている分可愛く思えるのだ、というのを何かの雑誌で見た記憶がある。そういう意味では、料理と教師という職業は通じる部分があるのかもしれない。

 あたしがそれを伝えると、光は「へぇ、面白いことを言うねぇ」と言って笑ってから、少し考える素振りを見せて続ける。

 

「まあ、こういう状況じゃなかったら僕もそう思っていたかもしれないけれど、KoBに入れられる前は、毎日のように何処かしらのダンジョンに潜っていたからねぇ……。だから、余り料理を楽しむって余裕もなかったかな。あー……でも、味噌とかの調味料を作るのは、何か理科の実験みたいで面白かったよ」

 

 そう言って笑う彼の笑顔は殊の外無邪気で、何か含むようなものは感じられなかった。

 

「――っと、そろそろ出来るかな。里香、悪いけどテーブルに運ぶの手伝ってくれる?」

「あーはいはい」

 

 次々と皿やお椀が盛り付けられ、それが終わると二人で一緒にダイニングテーブルへとそれらを運んでいく。

 何度かのキッチンとテーブルとの往復を終え、あたし達は迎え合って席に着いた。

 

「今日は秋ってことで秋刀魚(もど)きの塩焼きとサーモンのカルパッチョにしてみました。塩焼きには酢橘(すだち)を搾って召し上がれ」

 

 そう言われ、あたしは目の前に置かれた皿を凝視する。

 秋刀魚擬きと呼ばれた魚の見た目はどちらかと言えば鯛に近く、おまけに身の色は赤い。しかし、こんがりと焼けた皮の裂け目から湯気を発しているその姿はとても美味しそうだ。

 

「もしかして秋刀魚苦手だった? それともカルパッチョの方?」

 

 着ていたエプロンを脱いで脇に置いた光は心配するように訪ねてくるが、その質問には答えずに気になったことを口にする。

 

「ねえ、酢橘って秋刀魚にかけるものなの?」

「え? まあ、好みの問題だと思うけど、(うち)はかけてたよ。酢橘の旬って丁度秋刀魚の時期と重なるし、秋に採れるものは最も香りも味も良いからさ」

「じゃあ、何故和食にカルパッチョ?」

「僕も、どうせなら和食で統一したかったんだけどさ。でも、ワカメやもずくで酢の物を作ろうにも、何処の市場にも海藻って売ってないんだよ。海藻を消化する為に必要な酵素って人類では日本人しか持ってないそうだから、SAOの開発者は金髪碧眼の美男美女が(ひし)めくファンタジー世界の食卓には不向きだって考えたのかもしれないね」

 

 多くの者と違って本来の姿が金髪碧眼の為か光の口の端は自嘲するように歪むが、SAOの開発者がそこまで考えていたというのは甚だ疑問である。

 

「でも、やっぱり酸っぱいものも欲しいでしょ? だから秋鮭を使ったカルパッチョにしたんだけど……駄目だったかな?」

 

 不安げに首を傾げたその姿は、本人に自覚があるのかは兎も角、保護欲を掻き立てるには充分な威力を有していた。

 あたしは、戦慄を込めて叫ぶ。

 

「これが女子力か……!!」

「誰が女子だ!」

 

 若干涙目になって光は抗議の声を上げるが、それは火に油を注ぐことと同義である。

 あたしは机の上に身を乗り出して彼の手をガシッと掴むと、精一杯の誠意を込めて言った。

 

「ねえ、うちに嫁に来ない?」

「え? 何これ、今僕プロポーズされてるの?」

 

 あたしの唐突な逆プロポーズに光は困惑した様子だったが、意外にもその顔が満更でもなさそうに見えたのは――まあ、恐らくはあたしの錯覚だろう。

 

 

 君の傍にいたい。今にして思えば赤面ものなのだけれど、恋愛ごとというのは思い返せば赤面ものの連続なのかもしれない。――なんて、簡単に割り切れれば立派な大人なのかもしれないが、どうやら未だ僕はそこまでの境地には達していないらしい。やはり、思い出せば恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 あの後、二人で住むに当たって、不要になった《フローリア》の家は即日売却した。特に未練がないというのが一番の理由だったのだが、あの家は僕とは違って本当に花が好きな人にこそ相応しい、とそんな気持ちがあったのも事実だった。

 こうして《リンダース》の彼女の家に越して一夜が明け、朝食を食べ終えた僕らは店の方へと来ていた。

 

「じゃあ、お願いするよ。お客の相手は僕がしてるから」

 

 そう言って、何時ものパーカーに着替えた僕は、里香に鞘ごと《月華》を手渡す。

 

「……今更だけどさ、あんた売り子なんて出来るの? 何か、あたし凄く不安なんだけど」

 

 確かに、僕に客商売の経験なんてない。アインクラッドでは元より、現実でも通っていた学校がバイト禁止だった為にバイト経験もなく、店番とは言えこれが僕にとっての正真正銘初の労働体験ということになる。しかし、だからと言ってそこまで心配されるされる程、僕は危なっかしく見えるのだろうか。

 

「大丈夫だよ、里香。心配せずとも、リズよりは愛想良く出来るからさ」

 

 意趣返しのつもりで少しぶっきらぼうにそう言うと、里香は何故か肩を竦めて小さく溜め息を吐いた。

 

「な、何だよ? その反応」

「べっつにー。まあ、そう言うなら頑張りなさいよ」

 

 僕の問いかけに里香はぞんざいに返すと、そそくさと工房の方へと引っ込んでしまった。

 ……腑に落ちないなぁ。

 売り場に一人残された――正確には接客用のNPCがいるのだが――僕は、内心首を捻りながらも仕事に取りかかることにした。

 まずは、雰囲気づくりから。

 以前にも里香本人が言っていたが、リズベット武具店はハイレベルプレイヤー向けの店だ。つまり、早い話がそれなりの高級店ということなる。しかし、言っちゃ悪いけど、この店内に高級感などまるでない。と、なればだ。

 僕はアイテムウィンドウからエギルの雑貨屋で随分前に購入したレコードプレイヤーを取り出し、客には見え辛い店の奥の方の商品棚の上に置く。

 

「さて、曲はどれにしようかな……」

 

 レコードプレイヤーをタップし、所持している曲の中から再生する曲を選ぶ。

 まあ、お気付きの通り――このレコードプレイヤーは殆どインテリアに過ぎず、実際に曲を流すのはそれぞれが頭に被ったナーヴギアに他ならない。また、曲を変えるのにレコードを入れ替える必要もない。見た目だけはアナログで、その実完璧なまでにデジタルだということだ。

 

「パッヘルベルのカノンなんて、丁度良いんじゃないかな」

 

 人間単純なもので、店内にクラシック音楽が流れているだけで、その店が高級――とまではいかないまでも、少しお高いお店、という感じがしてくる。これは、日本人にとってクラシック音楽は格調高いものというのが一般的な認識だからなのだろうが、この際その辺の話はどうでもいい。今回のポイントは、そういう雰囲気を手軽に作り出せる、ということだ。

 高級店、という先入観を店に入った瞬間から植え付けることが出来れば、客は無理な値切りなど初めからしようとは思わないだろう。こうすれば、客との無駄な諍いは事前に回避出来るし、もっと言えば、余計な仕事をしなくて済む。

 と、こんな風に理論を頭の中で組み立ててみたものの、実際は自分が聴きたいだけだったりするのだけれど。

 

「良い曲だよね、カノン」

 

 元々そんなにクラシック音楽が好きだったわけではない。こう見えても僕も男の子なわけで、どうせ聴くならロックやポップの方が良い。しかし残念なことに、エレキギターは浮遊城には存在しないのだ。

 

「さて、と」

 

 店内には、ヴァイオリンの荘厳な音色が充満している。後は、この扉を開け放つだけだ。

 さあ、開店の時間だ。恐らく、常連客の数人が今日も朝から店の前で待ち構えているはずだ。

 妙に重く感じる扉を、覚悟を決めて勢い良く引き開ける。

 

「おはようございます! ようこそ、リズベット武具店へ!」

 

 表情筋を最大限に使い、自分に出来得る最上級の笑顔で挨拶する。

 ――瞬間、空気が凍り付いた。

 いや、正確に言うなら、つい先程まで談笑していたらしい客の顔が皆、この世ならざるモノでも見たかのように凝固してしまったのである。

 何か、不味いことでもしてしまったのだろうか……? 

 ……ああ、そうか。考えてみれば、彼ら常連客は店主であるリズベット目当てに訪れているという側面もあるのだ。つまり彼らの心中を察すれば、うわぁ! 店主兼看板娘が出てくると思いきや、知らない男が笑顔振り撒いて店から出てきた!?、といった具合になるだろうか。期待外れならまだマシで、下手をすれば気持ち悪い。

 まあ、それはそうだろう。出来る限り爽やかに笑ったつもりだったが、男にそんな風に笑いかけられても、嬉しいわけがない。僕が彼らの立場でも、当然嬉しくない。

 ……はぁ~……初日からやってしまったぁ……。

 それでも、凹んでばかりもいられない。何とかリカバリーを試みなければ。

 

「あ、あの……どうかなさいましたか?」

 

 だが、感情が声に映ったか、口から出た声は不安で震えていた。我ながら、情けない限りである。しかし、だからかどうかは解らないが、呆然とした様子だった常連客のうち逸早く我を取り戻したらしい一人が、言葉を選ぶようにたどたどしく尋ねてきた。

 

「え~っと、ですねぇ……こ、この辺ではお見かけしたことは……その、ないと思うんですが……」

「……?」

 

 男の要領を得ない発言に首を傾げる。

 

「ま、まさか、NPCってことはないよな……?」

「さ、さあ……?」

 

 ああ、成る程。(ようや)く合点がいった。

 

「申し遅れました。本日よりこちらで働くことになったティンクルと申します。皆様の武器選びなどをお手伝いさせて頂きますので、これから何卒宜しくお願い致します」

 

 そう言って、腰を折って深く辞儀をする。すると――

 

「うおおおおおおおおおおおお!!」

 

 突然の歓声に、危うく飛び上がりそうになる。

 恐る恐る顔を上げると、常連客達の顔が直ぐ目の前に迫っていて、思わず口から小さく悲鳴が漏れる。

 

「ひっ――」

「こっちこそ宜しくねティンクルちゃん!!」

「こんな可愛い娘がアインクラッドに存在したなんて……!!」

 

 ちゃん……? 可愛い……?

 な、何か嫌な予感が……。

 

「なぁ、KoBのアスナが結婚したって本当なのか?」

「ああ、そうらしいぞ」

「幻滅しました……今日からティンクルちゃんのファンになります」

 

 何の話だ!?

 

「は、はぁ……よく解んないですけど、お店共々宜しくお願いします」

 

 笑顔が引き攣りながらもどうにかそれだけ言って、扉にかけられた木製のプレートを引っ繰り返し、“Opened”の方が見えるようにする。

 里香の不安が半ば的中しつつあるように思うが、それでも初日から音を上げるわけにはいかない。男には、意地を通さなければならない時があるのだ。――それが今かどうかは、我ながら疑問ではあるのだけれど。

 

 

 

「はぁ~……どっと疲れたぁ……」

 

 店番を一旦NPCに任せ工房の方へと移動してきた僕は、どさりと音を立てて来客用の椅子へと腰を下ろし、次いで大きな溜め息を吐いた。

 やっとこれで半分……。まだ午後の部も残っていると思うと、肩が重たくなってくる。

 

「働くって、大変なんだね……」

「ん」

 

 しみじみとそう呟くと、視界の端から手が伸びてきて、コーヒーの入ったカップを手渡された。

 

「ありがとう、里香」

「まあ、取り敢えずお疲れ様」

 

 そう言って、里香は自分のカップに入れたコーヒーを一口啜る。

 僕も彼女に釣られるようにカップに口を付けたのだが、口の中に広がった苦味に思わず顔を顰める結果になった。

 

「苦い……」

「まあ、ブラックだからね」

「何で?」

「何時もより売り上げ三割増しでムカついたから」

 

 売り上げが減ったならば兎も角、何故増えたのに怒られているのだろうか。

 理不尽な気がしないでもなかったけれど、この程度で怒る程、僕は大人気無くはないつもりだ。

 

「――そうだ。里香、新しい刀の方は上手くいった?」

 

 今朝里香に《月華》を預けたのは研磨を頼む為ではなく、《月華》をインゴットに戻し、そのインゴットを使って新たな刀を鍛えてもらう為だった。聞いたところによれば、キリトなどは“魂の継承”などと称して、同じことをずっと以前から続けているらしい。

 残念ながら、僕はそんな非合理的なことはしてこなかった。彼に言わせれば、僕は実際派のプレイヤー……ということになるのだろう。だけど、僕にとって《月華》だけは違った。《月華》はそれこそ、里香が魂を――僕の為に想いを込めて鍛刀(たんとう)してくれた最高の一振りなのだから。だから、武器を更新するその時は、新たな刀の素材となることで彼女の想いと共にその血を受け継がせるつもりだった。

 結果としてそれは叶うことになったわけだが、まさか再び里香が鍛えてくれることになるとは思ってもみなかった。

 只、やはり出来はランダム要素に左右されるので、愛刀として次のフロアボス戦で使えるかどうかは、実際に完成品をこの目で見てみるまでは解らない。しかし、その不安は杞憂だったようだ。

 

「ふっ……バッチリよ」

 

 ニッと悪戯っぽく里香が笑う。

 

「刀だけじゃなくて、あたしが今まで打ってきた全ての剣の中で、間違いなく過去最高の出来よ」

 

 彼女はそう断言すると、桜色の鞘に納められた打刀(うちがたな)をこちらに手渡してきた。

 軽過ぎる、というのが持った瞬間に思った偽りざる感想だった。恐らく、鞘の重さを入れても七百グラムもないのではないだろうか。

 

「銘は《桜華月(さくらかげつ)》。……こんな偶然あるのね」

 

 武器の名称や姿は、システムによってアトランダムに決定される。だから、《月華》を溶かしたインゴットが使われているとはいえ、この刀の銘が《桜華月》であるのは全くの偶然であるということだ。それに――

 

「字は違うけど、金のなる木に桜花月っていう名前の通り桜色の花を咲かせる品種があるんだ。多分、それから名前を取ってるんじゃないかな?」

 

 昔の記憶を手繰り寄せながらそう言うと、里香は見るからに不機嫌そうに頬を膨らませる。

 

「な、何?」

「それも、お隣に住んでたお姉さんに教わったわけ? 引っ越すって挨拶したとき、あんた抱き付かれてたわよねぇ。随分と仲が宜しかったようで」

 

 彼女にしては珍しく言葉の節々に棘があり、思わず溜め息を吐きそうになる。

 どうやら里香は、アリアさんと僕の関係を誤解しているようで……更に面倒なことに、前に話した菊の花言葉云々が彼女の受け売りだということを知ってしまったらしかった。

 ふぅ……。こうなったら、面倒事は流してしまうに限る。

 

「もしかして……焼き餅焼いてくれてるの?」

「そ、そんな顔したって、あたし騙されないからねっ!」

 

 もしかしなくとも、見当外れなことを言ってしまったらしい。

 それにしても、“そんな顔”とはどんな顔なのだろう。

 

「……ごめんね。でも、今回は本当に君の誤解だよ。アリアさんは只のお隣さんだし、そもそも彼女にしてみれば、僕は仲の良い同姓のお友達、だったんだからさ。里香が考えてるような関係なわけがないじゃないか」

 

 そう言って、空いている方の手をそっと里香の頬に添える。

 

「それに桜花月の話は、僕が小さかった頃に現物が家にあったから知っていただけだよ。だから、アリアさんは関係ない」

「うっ……」

 

 里香の顔が赤い。そう見えるのは、炉の明かりに照らされているから……というだけではあるまい。

 

「ねぇ……キスしていいかな?」

「ば、馬鹿っ! い、一々……訊かない、でよ……」

 

 抗議の声は、しかし徐々に萎んでいく。まるで、行為を受け入れるかように。

 やっぱり、可愛いな……。

 心の声は口には出さず、代わりに唇を重ねようとして――

 

「おい! 誰もいねぇのか……って、なんだ、やっぱりいるじゃねぇか。頼まれてた素材、仕入れたから持って来てやった―――ぞ?」

 

 薄暗い室内に響いたのは、張りのあるバリトン。

 入口の方に目をやれば、やはりそこにいたのは、チョコレート色の肌をした巨漢だった。

 

「て、ティンクル……だよな……?」

「そうだよ。一週間振りくらいかな? エギル」

 

 里香から顔を離し、冷や汗を浮かべたエギルと向かい合う。

 

「お前、そんな話し方だったか……?」

「見られちゃったし、今更取り繕う必要もないかと思ってね」

 

 白昼堂々こうして里香と一緒にいれば、そう遠くないうちに男とばれるのは想定の範囲内だった。

 そもそもの始まりは、一々撤回するのが面倒というのと、勘違いさせたままの方が都合がいいから、という理由からだ。情状酌量の余地はない。

 まぁ、思ったより早かったけれど、ここが年貢の納め時だ。許してくれるかどうかは解らないけれど、ちゃんと皆に謝ろう。

 

「エギル……その……ごめ――」

 

 ごめん、と言い終る前に、何故か先程よりも輪をかけて大量の冷や汗を流し始めたエギルは、こちらを遮るように大声を上げた。

 

「いや、お、落ち着け! 別にオレに謝らなくていい。お前が誰を好きだろうと、それはお前の自由だ!」

「え?」

「前にも言ったが、オレは他人の趣味嗜好を兎や角言うつもりはねぇし、他言もしねぇから安心してくれ!」

「は、はぁ……」

 

 ど、どうやら僕は、エギルの中で女装癖のある変態だと思われているらしい。

 どうにかして誤解を解きたいけれど、客観的に見てどう考えてもそれは無理そうだ。ならば責めて本人が言う通り、エギルの胸の内に留めてもらわなければいけない。

 こうなればもう自棄だ。冗談としても他の人話せなくなるように、今だけは本当に“ガチの女装癖持ち”として振る舞うしかない。

 

「信じて、良いんですね?」

「あ、ああ……男に二言はねぇ!」

「じゃあ――」

 

 首を傾け片目を瞑り、唇へ人差し指をくっ付ける。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「二人だけの秘密です。他の皆には、内緒にしておいてくださいねっ」

 

 シー、と子供にするように息を吐き出す。

 

「お、おう! オレは何処かの鼠と違って口硬ぇから安心しろ! リズベット! 頼まれていた素材ここに置いておくからな! じゃあオレはこれで!!」

 

 効果は果たしてあったのか。エギルはまくし立てるようにそう叫ぶと、まるで難破船から逃げ出す鼠のように、一目散に工房から出て行った。

 

「ど、どうしたんだろう……?」

「あんたって……もしかして、意外と天然……?」

 

 今まで黙っていた里香が訳の解らないことを呟くが、まぁ……兎も角これで、危険な誤解が拡散するのは未然に防げたらしかった。




茅場先生の美味しい《プリンソーダ》の作り方!

必要機材

アルミボウル
アルミ鍋
泡立て器
茶漉し
耐熱カップ
ソーダサイフォン

《カラメル》材料

グラニュー糖
飲料水

《プリン液》材料

鶏卵(全卵)
鶏卵(卵黄)
牛乳
グラニュー糖
洋酒(又はバニラエッセンス)

作成手順

1.前日のうちに予め上記の材料を使い通常通りカラメルソースとプリン液を作成し冷蔵庫で一晩冷やしておく。
2.冷蔵庫からプリン液の入った耐熱カップを取り出す。
3.プリン液を耐熱カップからソーダサイフォンへと移し替える。
4.ソーダサイフォンの蓋を閉め、付属のカートリッジから炭酸ガスを注入する。
5.完成した液体をグラスへと注ぎ、最後にカラメルソースを好みに合わせ適量入れて出来上がり。

「これは、料理であっても遊びではない」

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