ソードアート・オンライン 黎明の女神   作:eldest

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第32話 Four of a kind

 二〇二四年十月二十四日

 

 窓枠から漏れ聴こえる木枯らしが、しんと静まり返った室内をより一層物悲しい雰囲気で包み込む。

 騒がしい同居人にして相棒が居なくなってから既に四日も経つというのに、未だに独りっきりに馴れずにいる。思えば、このセカイで本当の意味で独りきりになったのは、初日を除けば今回が初めてかもしれない。誰も寄せ付けない《氷姫》などと揶揄される僕だけれど……見えないだけで、傍らには何時も彼女が居た。

 

「……はぁ」

 

 食後に淹れたハーブティーを注いだカップを弄びながら、気怠げな溜め息を零す。

 朝食一つとってもそうだ。彼女が美味しそうに食べてくれるから、《料理スキル》をコンプした後もレパートリーを増やし続けたし、現実の調味料すらも再現してみせた。……独りの食事が、こんなにも味気ないものだとは思ってもみなかった。

 ……どうしたら、もう一度君に会える? 僕を……独りにしないでくれ……。

 

「…………」

 

 ――などと、僕がAI(あいつ)相手にそんなセンチメンタルな感傷を抱くわけもなく、溜め息の理由は別にある。

 

「……複雑な気分だ」

 

 誰も居ないのをいいことに、何時もよりやや低めの少年のような声――哀しいことに、“女性声優が演じたような”という枕詞が付くのだが――で呟いた。

 目の前に浮かぶウィンドウには、先ほどキリトから送られてきたメールが表示されている。内容は、昨日アスナと結婚しました、というものだったのだけれど……。

 

「何故、僕への報告は一日遅れなんだろうか……?」

 

 というのも、僕が二人が結婚した――といっても、勿論システム上での話だが――と知ったのは、昨日里香から『確かに二人のこと頼むとは言ったけど、まさかここまで進展させるとは――』云々といったメールを貰ったからだ。

 里香がそれを知ったのは、アスナから報告メールを貰ったからだそうだけれど……こりゃ、彼女には本格的に嫌われているのかもしれない。

 昔から知っている父親の上司の娘にして幼馴染の結婚……というだけでも複雑なのに、おまけに嫌われてるとなれば尚更だ。

 

「まあ、アスナは僕のこと覚えてないみたいだし? 未だに思い出す気配も無いし? 今までだって特別仲が良かったってわけでもないし? それも仕方が無いのかもしれないけれど?」

 

 自分も最近まで忘れていたことを棚に上げ、半ば愚痴のような独り言は続く。

 

「でもさぁ……金髪碧眼の女みたいな男をだよ? こんな奇天烈な見た目の人間をだよ? 幾ら昔のこととはいえ、忘れますか? 普通。忘れませんよね? 普通」

 

 そして、聞き耳の無い愚痴の対象は、幼馴染からそのお相手へと移っていく。

 

「おまけに二十二層の南西エリアの村に引っ越すって……あいつ、本気で農夫にでもなるつもりなのか……?」

 

 広い田舎に隠れて畑を耕す、という数日前のキリトの台詞を思い出しながら、まさか本気だったのかと呆れて呟く。

 

「まあ、結局何もかも茅場が悪いんだけどな」

 

 本人が聞けば異議の一つも言いたくなるような台詞で愚痴はお仕舞いにして、すっかり冷めてしまったハーブティーを飲み干した。すると――

 

『コンコン』

 

 控えめなノックの音が、無駄に広い室内に大きく響き渡る。

 

「こんな時間に客……? アリアさん辺りか?」

 

 首を捻りながも、席を立って玄関へと向かう。

 フレンドリストは沢山の名が連なり、パーティーの勧誘メールも迷惑メール並に毎日送られてくる僕だけれど、実際に親しくしていて、この家を訪ねてくるような人間は極限られている。そして隣に住むアリアさんは、その限られた人間の内の一人だった。

 

「はーい、どちら様ですかーっと……――ん?」

 

 《圏内》という理由もあって特に警戒もせずに扉を開けたのだけれど――開いた先には誰も居なかった。

 妙な既視感を覚えつつも、視線を凝らす。

 目の前の一見何も無い空間を注意深く観察していると、周りの景色との僅かなズレを感じて……その場に居るのが何者なのかを察した。

 

「どうぞお入りください」

 

 扉の脇へと避けて、姿無き来客を家の中へ招き寄せる。そして数秒待ってから、何事も無かったように扉を閉めた。

 

「思ったよりも遅かったですね?」

 

 視線は扉に向けたまま、恐らく背後に居るのであろう相手に話しかける。

 

「遅かったって……相変わらず人使いが荒いナー、クーちゃんは。まぁークーちゃんの場合、見た目に反してというよりは、見たまんまって感じだけどナ! にゃハハハ!」

 

 返ってきたのは、語尾が特徴的な女性の声だった。

 ……見たまんまってどういう意味だ! と、思いながら振り返る。

 視線の先には予想通り、目深に被ったフードから癖のある金髪を覗かせ、頬に三本線のボディペインティングを施した小柄な女性が、こちらを向いてニンマリと笑っていた。

 

「僕だって、相手があなたじゃなければこんなこと言いませんよ? ねぇ、情報屋《鼠》のアルゴさん?」

 

 《鼠》のアルゴ。彼女は、売れるネタなら自分のステータスさえも売ると噂される程の徹底ぶりと、β時代から付けているおヒゲが理由で、他のプレイヤーから《鼠》と呼ばれている情報屋のプレイヤーだ。

 彼女が、ある意味攻略組以上に悪意を向けられる危険性のある情報屋を営んでいるのは、イギリスの小説家ブルワー・リットンの戯曲リシュリューに出てくる有名な一節“The pen is mightier than the sword(ペンは剣よりも強し)”を実践する為なのかもしれなかった。

 

「それは、クーちゃんがオイラのことを買ってくれてるってことで良いのカ?」

「勿論。アインクラッドであなた以上の情報屋はいませんよ。そして、芯の通った女性は美しいしですし、何より信用出来ますからね」

 

 それは、僕の偽りざる本音だった。しかし、アルゴはそうは思わなかったようだ。

 無言で、不貞腐れるようにそっぽを向くアルゴ。唯でさえフードで顔が半分隠れているというのに、そうされては表情を窺い知ることは出来ない。

 ……まあ、僕に信用されたって嬉しいわけないか。

 卑屈な思考が頭を過り、思わず(かぶり)を振る。

 

「ま、何時までもこうして立ち話ってのも何ですし、そこのソファーにでもお掛けになってください。アルゴさん、お茶は何が良いですか? コーヒー、紅茶、レモンティーにアップルティー、それとハーブティーもありますけど。ああ、お好みでしたらミルクティーも淹れられますよ」

 

 気を取り直すように微苦笑を浮かべそう提案すると、アルゴは意外なほどに素直に腰を下ろした。しかし、口は一向に開いてくれない。

 僕が知っている何時もの《鼠》とは明らかに違うその態度に、思わず陰に隠れた彼女の顔をまじまじと見詰めてしまう。

 

「……オネーサンを誘惑しても何も出ないゾ」

 

 微かに、ともすれば聞き逃してしまいそうな声量の呟き。実際上手く聴き取れず、眉を顰める。

 そんな僕を無視するように、次の瞬間には常と同じふてぶてしい表情を浮かべたアルゴは、今度は明瞭に告げた。

 

「バリスタ自慢の一杯を頼むヨ!」

「バリスタ……ああ、エスプレッソですか。少々お待ちを」

 

 気安い口調でそう言って、キッチンへと移動する。

 僕が先ほど並べた中にエスプレッソは無かったのだけれど……まあ、出来ないことはない。

 しかし、自慢の一杯と言われても、ここでは決められた手順をなぞることしか出来ない。それに、そもそも僕にカフェで働いた経験など無いのだから、たとえここが現実であっても美味い一杯を淹れられる自信は無かった。そういう意味では、未経験の人間がまともに淹れられる分だけ、現実より甘いのかもしれない。

 ……現実より甘い、か。

 思考の中だけとはいえ、不覚にもそんなことを考えた自分自身に嘆息しながら、カウンターに置かれたコーヒーミルへと手を伸ばした。

 

 

 エスプレッソの濃厚な苦味が口一杯に広がり、ふぅ、と一息吐く。同じように陶器製のカップに口を付けているアルゴに視線を向けると、存外美味そうに飲んでくれていたので自然と顔が綻ぶ。

 ……とはいえ、カップの中身がカフェ・コレットってのが素直に喜べないところなのだけれど。

 

「まずはお疲れ様です。ですが、遅かったというのは素直な感想ですよ。勝負は今日の昼なのに、手札が揃ってないというのは心細い限りでしたから」

 

 喉から出た声が少し硬いのは、苦味のせいというわけではあるまい。

 交渉というのは、言わば飴と鞭のぶつけ合いだ。

 口では甘言をのたまきながら、掌で握った相手の弱味を弄ぶ――それぐらいでなければ、情報操作など出来はしないだろう。

 

「それで? こうしてお越しになったということは、依頼の方は首尾良く完遂していただけたんですよね?」

「そりゃ勿論サ。でも、今回は高いヨ? 何しろ、急な依頼だったからナ!」

 

 そう言ったアルゴの瞳には、怪しげな光が宿っている。

 背筋に冷たいものが流れるのを自覚しながらも、強気に頷いてみせる。

 

「依頼料はキチンと払いますよ。ええ、払いますとも」

 

 頷いてみたものの、そんなことで自分を騙せるはずもなく、僅かに語尾が上擦ってしまう。

 自分で言うのもなんだが、僕は金には困っていない。ならば何故、ということになるのだろうが……その理由は簡単で、アルゴが僕に求める見返りが、少々特殊過ぎるからだった。

 

「クーちゃんならそう言ってくれると思ってたヨ! やっぱり女は度胸ダナ!」

「は……ははは……」

 

 乾いた笑いが口から洩れる。しかし、アルゴはそれには触れずに本題に入った。

 

「最初《はじまりの街》に住む住人の生活環境の調査って聴いたときはドコのお役所仕事ダ、って思ったモンだけど……随分とキナ臭いことになってるナ」

 

 真剣味の増した声音で口火を切ったアルゴに合わせるように、こちらの表情も自然と引き締まる。

 

「事実上《軍》の実権を握っているキバオウの《軍》内部での影響力が、先のフロアボス戦での部下の活躍もあって更に上がったようダ。そのせいで、元々横暴さが目立っていたキバオウ派の連中が、更にデカい顔しているみたいダナ」

「…………」

「《軍》は《はじまりの街》で暮らすプレイヤーに税金を納めさせてるんだケド……最近、徴税の仕方もかなり荒っぽいみたいダ。まあ要するに、調子に乗ってるってことダナ!」

「徴税と称して、恐喝紛いなことをしているのは知ってます。でも、明日食べるパンの代金も困っているような彼らに支払い能力があるとは到底思えないんですが……」

「そうは言っても、案外持ってるみたいだヨ。それでもいよいよダメって時は、外周の草原に放り出されるそうダ」

 

 何と言っていいか解らず押し黙る。彼らの増長に自分が一役買ってしまっていることは否定出来ないからだ。

 

「それに、随分と治安も悪化してル。スリならまだ良い方で、女性プレイヤーの中には売春紛い……イヤ、売春そのものをしているヒトもいるみたいダ」

「売春……?」

 

 聞き捨てならない単語に眉間を寄せる。

 

「そうだヨ。ほら、オプションメニューの一番深いところに《倫理コード解除設定》ってのがあるダロ……って、クーちゃん知らなかったのカ?」

 

 さも意外そうに驚くアルゴの問いには答えず、言われた通りメニューウィンドウからオプションに進んでスクロールとタップを繰り返すと、《倫理コード解除設定》なるコマンドが確かに実在した。

 

「ウ~ン……まあ、今の情報は無料(ただ)にしとくヨ。序でに付け加えると、《倫理コード解除設定》ってのは男女で性行為する為のものダ。そんな訳だから、悪用する人間も当然現れるわナ」

 

 付け加えられた情報を頭の中で反芻する。

 これは、《軍》にとっては立派な弱味だ。お前達の取り立てが厳し過ぎるから、彼女達はそんな行為に及ぶことになったんだ……みたいに何とでも言えるし、言い逃れもまた出来ないだろう。だが……。

 

「《軍》はそのことを知っているんでしょうか?」

「さあ? それはオイラにも解らんナ」

「…………」

 

 それにしても……《倫理コード解除設定》、か。このネーミングはまるで、初めからソレを意図して付けられたみたいじゃないか。

 そして、モラルハザードが現実味を帯びてきたことに、人知れず寒気を覚える。

 

「それから、どうやら《黒鉄宮》にβテストの時には無かった隠しダンジョンがあるみたいダナ。それも、キバオウ派が独占しようと企んでるようダ」

「……なるほど」

 

 まさか《はじまりの街》のど真ん中に隠しダンジョンがあるなどとは考えたことも無かったけれど、もしかしたらアインクラッドの構造上、本来は“登る”だけではなく“降りる”ことも可能なのかもしれない。

 まあ、デスゲームと化してる現状では、ゲームクリアに関係無い“降りる”ことまで考えなくてもいいと思うが。

 

「後は――」

 

 アルゴの話は街の物価やら《圏内》に留まる彼らが普段何をして過ごしているのか、などといった内容に移って行った。

 折角調査してもらったのに申し訳ないが、これ以上は目ぼしい情報は無さそうだった。

 髪を掻き上げ小さく溜め息を吐くと、アルゴは思い出したように口を開いた。

 

「ああ、言い忘れてたケド……意外だったのは、キバオウシンパのはずのコーバッツってプレイヤーが、キバオウ派の行動に苦慮してるらしいってことだナ。情報提供者の名前が知りたければ、別途で一万コル」

「……いえ、名前は聞かないでおきます。――改めてありがとうございます、今回は本当に助かりました」

 

 ……これで役は揃った。

 後は野となれ山となれ、だ。

 

「イヤイヤ。クーちゃんの役に立てたんなら、オネーサンも嬉しいヨ」

 

 不意打ち気味にそう言われ、呆気に取られて言葉を失う。だが、彼女が浮かべたニンマリとした笑みが、言葉通りに受け取るのを躊躇わせた。

 そして、数瞬遅れてその笑顔の意味を理解すると、否応にも頬が引き攣るのを止められない。それでも、せめてもの意地として、自分から切り出すことにした。

 

「それで、今回の依頼料ですけど……」

「クーちゃんのスリーサイズのうち一つ教えテ」

 

 間髪入れずに返ってきた答えに、なんとか悲鳴を漏らさずにいられた自分を褒めてあげたい。

 

「……毎回思うんですけど、ホントにそんなので良いんですか?」

「クーちゃんは自分のパーソナルデータがどれだけの額で取引されてるか知らないからそんな風に言えるんだヨ。まあ、知らぬが仏ってやつダナ!」

 

 にゃハハハ! にゃーハハハハハ!! と、特徴的な笑い声の幻聴が頭の中を木霊する中、僕がどの部位を彼女に差し出したのかは……このまま、自分の胸の内に、そっと仕舞っておこう。




 シリアスが抜けきらない(´゚д゚`)

 ティンクルさんがまた悪いこと考えてるようですが……天使と悪魔は本来同一ですからね、仕方ないね。
 それと、今回アルゴが初登場でした( ゚Д゚)口調上手く再現出来てるでしょうか?

 それは兎も角!

 連載・祝!


【挿絵表示】


 実は、今回初めてリズを描きました(笑)
 今度はもっとちゃんと描きたいですね(´ω`*)

 それでは最後に、


【挿絵表示】

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