ソードアート・オンライン 黎明の女神   作:eldest

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第24話 魔王と姫の邂逅

 身体を覆う浮遊感。セピア色の景色。

 恐らく、これは夢だ。そう理解しながら、僕は周囲を見回す。

 そこは、民家のリビングだった。

 美しい女性と小さな可愛らしい少女。母と娘だろうか。

 女性がソファーに座って、少女を膝の上に乗せている。

 女性の手には絵本。少女は続きをせがむように、女性の服の袖を引っ張っている。女性はそんな少女の姿に微笑んで、絵本のページを捲った。

 微笑ましい光景。余程歪んだ感性でない限り、誰の目にもそう映るだろう。

 だが――

 突然、大きな音をたててリビングの扉が開く。

 入ってきたのは――……男。サラリーマンのようにスーツを着込んでいる。しかし、何故かその顔は、写真の上から墨でも塗られたかのように真っ黒で、僕には人相も年齢も解らない。

 悲鳴を上げる女性。女性の悲鳴に触発されて、泣き出す少女。

 つまり、男は女性の夫でも、少女の父親でもない。招かれざる客だということだ。

 怯える女性。しかし、決断は早かった。

 女性は少女を庇うように抱きかかえ、走り出した。

 だが、玄関への通路は男に塞がれている。恐らく、裏口などはそもそも無いのだろう。だから、女性は階段を駆け上がり二階へ。

 男は走ったりはせず、ゆっくりと女性の後を追う。その落ち着き払った言動が、非常に恐ろしい。

 一瞬、視界が暗転。

 再び、視界にセピア色が広がる。

 そこは子供部屋だった。

 だが、そうと解ったのは小さなベッドのお陰で、玩具や人形など、そういった遊び道具は綺麗に片付けられているのか見当たらない。

 少女は泣き続けている。

 女性はそんな少女を抱き締めながら、祈るように携帯電話を耳に当てている。恐らく、警察に助けを求めているのだろう。恐らくというのは、何故か会話の内容が頭に入ってこないからだ。

 しかし――

 鍵をかけていたはずの扉は、男に蹴破られ、簡単に男の進入を許す。

 女性は悲鳴を上げ、携帯電話を取り落とした。

 ゴトン、という音が、やけに耳に響く。

 そして、何故今まで気付かなかったのか。男の手には、大振りのナイフ。切っ先が、セピア色のセカイで鈍く光る。

 最早、母娘(おやこ)に逃げ道は無かった。

 何事かを喚き立て、男が腕を大きく引く。

 女性は反射的に、或いは本能的に……少女の身を守るように、男に背を向け、少女に覆い被さった。

 

『止めろ!!』

 

 そう叫んだはずなのに、僕の叫びは声にならない。そして、当然のように身体も動かない。

 男は女性の背中にナイフを突き刺し、躊躇うことも無く引き抜いた。

 服に染み込む鮮血。その色だけが、このセピア色のセカイで、赤々と僕の瞼に焼き付いた。

 

 

 

 声にならない悲鳴を上げ、僕はベッドから跳ね起きた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 荒い呼吸。中途半端に再現された嫌な汗が、前髪を額に貼り付けていた。

 肩で息をしながら、僕は虚空を見詰める。

 ――夢を見ていた気がする。内容は思い出せないけれど、間違い無く悪夢の類いの夢を。

 

「あら? 起きてたの?」

 

 急に声をかけられ、思わずびくりと肩を震わせ……それでも、機械仕掛けのようにゆっくりと顔を扉の方へと向ける。

 部屋へと入り、扉の前に佇むのは――白いネグリジェ姿のアウローラだった。その左右の手には、水差しとコップが握られている。

 

「アウ……ローラ……?」

「あなた、魘されていたから。……これでも飲みなさい。落ち着くから」

 

 アウローラはベッドへと歩み寄りながら、示すように水差しを僅かに持ち上げた。

 そして、ベッドに腰掛けると、水差しからコップに水を注いで手渡してくれる。

 

「……ありがとう」

 

 素直に礼を言って、コップを受け取――ろうとしたのだけれど、手元が狂い、コップが手の中をすり抜ける。

 

「あっ……」

「ちょっと、ちゃんと持ちなさいよ。危ないわねぇ……」

 

 そう言いながら、取り落としそうになったコップごと、僕の掌を包んで支えてくれるアウローラ。

 

「ご、ごめん」

 

 謝り、コップに口を付け、少しずつ口に含んで飲み込み喉を潤す。冷たい水が、悪夢の残滓も一緒に洗い流してくれるようだ。

 そんな僕の様子を眺めながら、アウローラはやれやれと溜め息を吐く。

 

「はぁ~……もうちょっとしっかりしなさいよ。ひ・か・る・ちゃん」

「ちゃん付けで呼ぶの止めろー!」

 

 幼少の頃を思い出すんで、その呼び方はホントに止めてほしい。

 ……そういえば昔、父さんに連れられて結城家に遊びに行ってたっけな。

 たしかあの家、テレビゲームとか一切無くて……浩兄ぃと姉さん、僕と明日奈の四人で延々とババ抜きをやってた記憶がある。何故ババ抜きかといえば、明日奈がそれしか知らなかったから。

 

「ふふっ」

「……何よ? 急に笑い出して」

「いや……」

 

 彰三おじさん、それに京子おばさんも大丈夫だろうか?

 何故、碌にゲームをやったことが無いであろう明日奈が、よりにもよってSAOに手を出したのかは知らないけれど……二人とも、凄く心配しているはずだ。

 もし連絡する手段があれば、「娘さん、最近彼氏もできて元気でやってますよ」なんて言って、安心させることも出来るのだろうけれど。いや、逆効果か。

 その辺の話も明日奈にしてみたいけれど……今の彼女は結城明日奈ではなく、KoBの副団長《閃光》アスナなのだ。

 それに、明日奈は僕のことを覚えてないみたいだし――――実は僕は君の幼馴染で、しかも男なんだ! なんてカミングアウト、今更出来るはずもない。そして僕自身、アスナが明日奈だって確信を持てたのはつい最近のことなのだ。

 僕と明日奈が最後に会ったのは、僕が小学校低学年の頃。当時の面影はあっても、お互い雰囲気が変わり過ぎている。明日奈は凄く美人になったし、僕は……僕は……――この話は、この辺にしておこう。

 思考を打ち切り、伸びをしながらベッドから降りる。

 

「もう、大丈夫なの?」

「うん、大丈夫。ありがとう、心配してくれて」

 

 久しぶりに自然と笑み溢れる。

 

「し、心配なんてしてないわよ! 私はただ早く朝食を食べたかっただけ! 二日連続で夕食食べ損なったんだから!」

 

 余りも解りやすい照れ隠しに、余計口元が綻ぶ。

 

「解ったよ。ちょっと早いけど朝食にしよう」

「私、アレが食べてみたいわ。ほら、昨夜髭面のバンダナが食べてた……ローストビーフ? っていうの」

「朝からローストビーフをご所望ですか……」

 

 重い、朝に食べるには重過ぎる。

 しかし、現実と違ってつくる手間はどの料理もそう変わらないし――寧ろ、レシピをつくるのに現実以上の時間と労力が掛かるのだが――まあ、食べたいって言うなら、お礼代わりにつくるのも吝かではない。

 

「よし。じゃあ着替えるから部屋の外で待っててよ」

「別にこのまま着替えても良いわよ?」

「……いや、出てけよ」

「あら? AIに見られて恥ずかしいのかしら」

 

 にやにやと嫌な笑いを浮かべて僕を見上げるアウローラ。

 そう、こいつはAIだ。そんなことは解っている。でも――もう二年近くもこうして一緒に過ごしているせいか、たまに彼女は僕らプレイヤーと同じように生身の人間が動かしているんじゃないか、という錯覚に陥る。

 もし彼女のようなAIが、生身の肉体を手に入れ現実世界を闊歩し始めたら……僕らは果たして、彼女達が“ヒト”ではないと、断言出来るのだろうか。

 

「早く出て行かないと、朝食抜きにするよ?」

「この人で無し!」

 

 いつもよりも些か騒がしい朝。

 また、新しい一日が始まる。

 

 

「引っ越してやる……どっかすげぇ田舎フロアの、絶対見つからないような村に」

 

 不機嫌そうに茶を啜りながら、ブツブツ呟くキリト。そんな姿を見て、思わず苦笑が漏れる。

 朝食を食べ終えた僕は、《アルゲード》のエギルの雑貨屋を訪れていた。

 七十四層攻略から一夜明け、アインクラッド中が新たなるユニークスキル使いの話題で持ち切りになっていた。そんな喧騒の渦中のキリトだが、宿にしているアパートに早朝から剣士や情報屋が押しかけたらしく、こうして雑貨屋の二階に非難してきたらしい。

 

「まあ、そう言うな。一度くらい有名人になってみるのもいいさ。どうだ、いっそ講演会でもやってみちゃ。会場とチケットの手筈はオレが――」

「するか!」

 

 にやにやと笑顔を浮かべたエギルの冗談に、キリトはマグカップを全力で投げつけて答える。

 

「おっと」

 

 それを中間にいた僕が、殆ど反射的にキャッチした。

 

「まあ、僕にも責任の一旦はあるしね。だからこうして、君に会いに来ているわけだけど」

 

 キリトに向かって、カップを軽く投げ返す。が、受け取ったキリトは、何故か溜め息を漏らした。

 

「……あんたの動体視力はどうなってんだよ。――そういえば、あんたは大丈夫だったのか? 俺よりあんたの方がよっぽど有名人だろ」

「別に……僕の家には誰も来てなかったけど」

 

 そりゃ僕も昨日のフロアボス戦には参加したけれど、キリトが追いかけられているのは《二刀流》のせいであって、フロアボスを倒したからではないのだから、僕が追い掛け回される道理は無い。

 

「まあ、相手が相手だからな……」

 

 嘆息するように呟くエギル。

 

「何か? エギル」

 

 何か言いたげなので、笑顔で先を促す。

 

「オレが言いてぇことは、その笑顔に集約されてると思うぞ!!」

 

 冷や汗を浮かべ、エギルは逃げるようにアイテムの鑑定作業に戻っていった。

 

「……全く。――それでキリト、アスナは来てないみたいだけれど、大丈夫なの?」

 

 祝勝会の後、アスナはギルドに休暇届けを出す為に、KoBの本部がある《グランザム》に向かった。理由はキリトとパーティーを組む為だけど……ギルドと少し距離を置きたいのかもしれない。まあ、あんなストーカー紛いの護衛がいるのだ。そう思っても仕方が無い。

 今までの彼女のギルドへの貢献度を鑑みれば、休暇くらい問題無く取れると思うけれど……心配だ。だって、あそこのギルドマスターは……。

 ――と、噂をすれば影。

 階段を駆け上がってくる足音が聞こえたかと思うと、扉が勢い良く開いた。

 

「遅かったな、アス――」

 

 言い切らず、言葉を呑み込むキリト。僕も目を見張った。

 

「どうしよう……キリトくん、ティンクルさん……」

 

 顔を蒼白にして、今にも泣き出しそうなアスナ。

 

「落ち着いて。何があったの?」

 

 動揺している相手に飲まれては駄目だ。冷静に、寧ろこちらが相手を包み込むくらいじゃないと。

 

「アスナ、まずはこれでも飲めよ。味はあんまし良くないけどな」

 

 そう言って、キリトがカップに先程自分が飲んでいたお茶を注いでアスナに手渡す。

 

「ありがとう、キリトくん……」

 

 ふぅ…ふぅ……と、息を吐いてお茶を冷ますアスナ。立ち上る湯気がゆらゆら揺れる。

 息を吐いたことで少しは落ち着いたのか、お茶を一口啜り――

 

「ホントだ、あんまり美味しくないね」

 

 そう言って、なんとか笑みを浮かべた。

 

 

 エギルの雑貨屋を出た僕らは、第五十五層主街区《グランザム》を訪れていた。

 街路樹など草木が殆ど無い、息が詰まりそうな風景。更に、大抵の街が石造りなのに対して、この街は道から何から殆どの物が黒光りする鋼鉄出来ている。これが、《鉄の都》などと言われる所以なのだが、《花の園(フラワーガーデン)》に住む僕にとっては、かなり異様な街並みだった。

 僕らがここへ訪れた理由は一つ。KoB……《血盟騎士団》本部へと赴き、ヒースクリフに直談判する為だ。

 昨夜ギルド本部へと戻ったアスナは、ヒースクリフにフロアボス戦の顛末やその他諸々を報告し、ギルドの活動を休止したいという旨を話したらしい。しかし、今朝のギルドの定例会で承認されると思っていたそれは、ヒースクリフによって待ったをかけられた。曰く、アスナが欲しいなら、自分の力で奪ってみせろ……ということらしい。

 ……茅場がキリトと立会いを望む理由は何だ……? それだけじゃない。《伝説の男》などと呼ばれ、トップギルドの長として針の筵に座り続ける茅場の真意がまるで掴めない。

 本当に、あいつが何を考えているのか理解できない。――……羊の群れに混じった狼の心境なんて、(ぼく)には解る筈もないが。

 そうやって物思いに耽って歩いていると、目的の場所に辿り着いた。

 街を形成する無数の巨大な尖塔。その中でも一際高いこの塔が、KoBの本部だ。

 アスナは少し手前で立ち止まると、塔を見上げた。

 

「昔は、三十九層の田舎町にあった小さな家が本部でね。皆、狭い狭いっていつも文句言ってたわ。……ギルドの発展が悪いとは言わないけど、この街は寒くて嫌い……」

 

 息が詰まる、と僕は表現したけれど……明日奈も、似たようなことを思っていたらしい。

 

「なら、さっさと用事済ませて、何か暖かいものでも食べに行こうぜ」

「ああ、良いね。……でもキリト、《アルゲード食堂》は勘弁だよ?」

「な、何で解った……?」

「やっぱり……」

 

 僕らのそんな掛け合いに――

 

「ふふっ……ありがとう、二人とも」

 

 勇気でも貰ったように笑って、大きく頷くアスナ。

 でもその姿が、僕には精一杯背伸びしているように見えて。

 

「そこの彼氏様で十分かもしれないかもしれないけどさ……僕のことも、もっと頼っていいんだよ?」

「ティンクルさん……?」

 

 どうして? と無言で尋ねてくるアスナに、僕は微笑む。

 

「僕にとってキリトが弟みたいなのと同じように……アスナも、僕にとっては妹みたいなものなんだよ。だからもっと、お姉ちゃんを頼りなさい」

 

 どうしてだろう。昔言われた姉の言葉が頭に浮かんで、僕は叱るように冗談めかして言った。

 アスナは少し驚いた様子だったけれど、やがて頬を染めると――

 

「う、うんっ」

 

 “はい”ではなく“うん”と言ったアスナ。

 昔程ではなくとも、たとえ偽りだったとしても――――僕らの距離は、少しは縮まったんじゃないだろうか。

 

 

 

「お別れの挨拶に来ました」

 

 凛とした声で、そう言い放つアスナ。広い室内に、その声だけが響き渡る。

 部屋の中央に据えられた、大きな半円形の長机。その向こうに並んだ五脚の椅子。中央に座するのは、憎きお山の大将だ。その右隣は空席。恐らく、そこがアスナの席なのだろう。他の三席に座っているのは全員男だが……これも恐らくだけれど、《軍》のコーバッツのように、部隊を率いる部隊長的な奴らなのだろう。

 そうやって二人の影に隠れるようにして彼らを観察していると、ヒースクリフが苦笑を漏らした。その声は、ボイスエフェクタを使っているのだろう……顔と同じように、当然茅場本人のもとは異なる。

 

「そう答えを焦る必要は無いだろう。――――ところで、後ろに隠れているのはどなたかな? ……いや、答えを訊いているわけではない。僅かに顔が見えているからね」

 

 そりゃそうだろう。僕は男にしては低いものの、女性であるアスナとアスナと同じぐらいの身長のキリトに比べれば、頭半分くらい大きいのだから。

 僕は諦めて、アスナの横に立った。

 

「取り敢えず――ようこそ、《血盟騎士団》本部へ。キリト君、ティンクル君」

 

 僕は、人知れず息を呑んだ。

 どうやら僕はそれなりに有名人らしいけれど、まさか茅場にまで顔と名前を覚えられているとは思わなかったからだ。

 

「キリト君と話すのは、六十七層の対策会議以来かな? ……その前は、君に“偽ラーメン”を奢ってもらったのだったか」

 

 偽ラーメンというのは、恐らく《アルゲードそば》のことだろう。

 ヒースクリフはあの何とも言えない味を思い出してか、再び小さく苦笑した。

 

「そして、ティンクル君。私の記憶が確かなら、君と話すのはこれが初めてだったな。――君の活躍は私も知るところだし、話しかけようとしたことも何度かあるのだが……何故か、君は私が近づくと、するりと何処かへ行ってしまう。まるで猫のようだと思っていたよ」

 

 茅場は僕が男だと解っているだろうに、そんな言葉をかけてくる。

 薄ら寒さを感じながらも、僕も言葉を紡ぐ。同じく、心にも無いことを。注文通り、猫なで声で。

 

「そんなことは無いですよ? ……わたしも、かの《神聖剣》と一度お話してみたいと思っていました。まさか、貴方もそう思ってくれていたなんて。……そうと知っていれば、わたしからお声をかけましたのに」

「ほう。《氷姫》にそう言ってもらえると、私も捨てたものではないと思えてくるね」

 

 僕らは互いに笑顔だ。しかしその仮面の下で、相手の腹を探るように睨みを利かせる。

 そんな不穏な空気を感じ取ったのか、ヒースクリフの左隣に座る男が「団長……」と先を促す。ヒースクリフはしぶしぶといった風に頷き――

 

「では名残惜しいが、挨拶はこれくらいにして本題に入ろう」

 

 そう前置きをしてから、キリトを見詰める。

 

「我々もトップギルドなどと言われているが、いつも戦力はギリギリだ。……なのに君は、我がギルドの貴重な主力プレイヤーを引き抜こうとしているわけだ」

「貴重なら、護衛の人選にはもっと気を使った方がいいぜ」

 

 そんなキリトのぶっきらぼうな台詞に、右端に座っていた男が血相変えて立ち上がろうとした。それを軽く手で制し、ヒースクリフは答える。

 

「クラディールは自宅で謹慎させている。迷惑をかけてしまったことは謝罪しよう。しかし、だ。我々としても、サブリーダーを引き抜かれて、はいそうですか、という訳にはいかないのだよ。キリト君――」

 

 そして、何故か僕をちらりと見てから、ヒースクリフは告げる。

 

「欲しければ、剣で――《二刀流》で奪い給え。私と戦い、勝てばアスナ君を連れて行くがいい。だが、もし負ければ――」

 

 そこでにやりと笑い、予想外の言葉を口にする。

 

「ティンクル君、君が《血盟騎士団》に入るのだ」

「「「「「「は!?」」」」」」

 

 部下にも事前に言っていなかったのか、ヒースクリフ以外の六人分の驚愕の声が室内に大きく響く。

 

「な、何でそういうことになる!?」

 

 キリトが当然の疑問を口にするが、ヒースクリフは平然と答える。

 

「勿論、ティンクル君――――彼女が欲しいからだ」

 

 ぞわり、と鳥肌が立つのを感じる。

 まさか……僕を監視する為、手元に置こうと考えているのか?

 だとすれば、茅場はアウローラの存在に気付いているのに……わざと見逃している?

 ……だが、裏の事情を知らない面々は、言葉通りに受け取り――

 

「だ、団長……本気ですか!?」

「いや、待てお前。そんなことを団長に訊くな」

「そうだ。俺は寧ろ、団長も人間だったんだと安心している」

 

 口々に、そんなことを言い出す幹部メンバー。

 そんな声を黙殺し、ヒースクリフは続ける。

 

「今回のフロアボス戦の報告をアスナ君から昨夜聞いたが……ティンクル君には、指揮官の才能がある。そして他者を鼓舞し、常時以上の能力(ちから)を発揮させることが出来る――これはアスナ君には出来ないことだし、私も及ばないところだ。それに、ゲームテクニックは言うに及ばず――恐らく何かスポーツをやっていたのだろう――本人の運動神経の高さも相まって、プレイヤースキルは攻略組の中でも頭一つ抜きん出ている」

「だ、だからって、何で俺がティンクルを賭けるって話になるんだ!?」

 

 暫らく呆然としていたキリトは、理由を聞かされたからか立ち直り、声を荒げる。

 すると、ヒースクリフは溜め息を吐いて再びキリトを見詰めた。

 

「もっともな質問だろう。……だがな、キリト君。もし、仮に君自身を賭けるとすれば……アンフェアだとは思わないかね? 私はアスナ君、つまり他人を賭けているのに、君は自分自身を賭けるということになる。これでは、両者の精神的負担が随分違うだろう」

「それは……」

「それに君は、私を除けば現在アインクラッドに存在する、唯一のユニークスキル使いなのだよ。もし君が私に破れ、《血盟騎士団》に加入することになったとき、我々のギルドは二人のユニークスキル使いを抱えることになる。――そうなれば、他の有力ギルドが黙っていないだろう。パワーバランスが崩れ、今まで築き上げてきた秩序や暗黙の了解が破壊されかねない。そうなればいずれ、攻略会議にソロプレイヤーや小規模ギルドの居場所は無くなってしまうだろう」

「……脅しか?」

「事実だ」

 

 まるで、未来を予言するかのように言い切るヒースクリフ。

 でも、恐らくそうなるだろう。現在ソロプレイヤーが攻略会議に参加し、フロアボス戦に参加出来ているのは、有力ギルドによる暗黙の了解があるからだ。でも、現体制が瓦解すれば……攻略速度が落ちるどころではなくなる。

 だけど……それをお前が言うのか、茅場。

 

「待ってください団長! わたしはギルドを辞めたいと言っているわけじゃありません。只、少し離れて、色々考えてみたいんです」

 

 今まで黙っていたアスナが、もう我慢しきれないとばかりに口を開いた。

 尚も言い募ろうとするアスナ。しかし、僕は彼女の肩に手を置いて、それを制した。

 

「ティンクルさん……?」

 

 僕がどうするつもりなのか解ってしまったのだろう。アスナは不安げに見詰めてくる。

 僕は「大丈夫だよ」と微笑んで――

 

「キリト、勝てるね?」

 

 挑発するようにそう言うと、キリトは諦めるように小さく溜め息を吐いてから、こちらを向いた。

 

「あんたが勝てって言うなら、勝ってやるよ」

「上等だ」

 

 気負いの無い言葉に頷き、僕はヒースクリフを見据えた。

 

「そういうわけだから、交渉成立だ。でも……(ぼく)勇者様(ナイト)は、そう簡単に負けたりしないよ?」

「フッ……そうでなくては詰まらない。しかしティンクル君、勝つのは私だ。――君は入団式のスピーチの内容でも考えてい給え」

 

 僕とヒースクリフの間で、可視出来そうな程の火花が舞い散る。

 当事者であるはずのキリトとアスナが少々置いてきぼりになってしまっているが、構うものか。

 

 これは紛れも無く――――(ぼく)魔王(かやば)の戦争だ。

 

 一応の礼儀として軽く頭を下げてから、僕は早足で大部屋を辞去した。

 キリトとアスナが慌てて追いついて来たのを足音で確認してから、更に速度を速め、歩を進める。

 ――勝負は、明日だ。


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