間違いなく今年最後の投稿になりますが、敢えて後書きではなく前書きに今後の更新予定を書いておきます。
センター試験を目前に控え、それが終わっても一般入試が続くわけで……。今月は気分転換くらいに書いていたんですけど、1月以降はそんなことも言っていられなさそうです。
なので、次回更新は2月中旬以降になると思いますm(_ _)m
では改めて、内容についての注意書きを。
この話はあくまで2次創作なので、タグにもありますが作者独自の設定、解釈が盛り込まれています。原作に矛盾がないように書いているつもりですが、敢えて無視している部分もあるのでそこはご理解を。
最後に、UA20000、お気に入り数450突破ありがとうございます!
お礼の意味も込めて、上手くはありませんがイラストもあります!
「――なら、二十万コルでどうだ? 言っとくが、これ以上はうちでは出せんし、他へ行ってもそうは変わらんと思うぞ」
店内に入った途端、そんな声が耳に届いた。
第五十層主街区《アルゲード》。海外のダウンタウンを彷彿とさせる、幾重にも張り巡らされた隘路。何を売っているのかも解らない怪しげな商店。サスペンスを抱かずにはいられない宿屋等々。正直に言って、長居したいとは思えない街だ。
もちろん、それは僕個人の見解であって、キリトなどはこの街を気に入っているらしく、ここをホームタウンにしている。
まあ、それはともかく。僕がそんな長居したくないこの街を訪れたのは気分転換もあるのだけれど、あるプレイヤーが経営する店……つまり、ここを訪れるためだった。
お世辞にも広いとは言えないその店内には陳列棚がいくつか並んでいるけれど、そのどれもが様々な商品で無秩序に埋め尽くされている。
今回の目的は換金だけれど、店の主は先客と商談の最中だ。
恐らくアフリカ系だと思われるチョコレート色の肌に強面の店主と、装備から察するに中々のハイレベルプレイヤーと思しき青年が、こちらもやや険しい表情で二十万コルと表示されているのであろうトレードウィンドウを見詰めている。
そして幾許か唸った後、青年は店主に視線を投げかけた。しかし、店主は片方眉を吊り上げただけで何も言わない。
遂に根負けした青年は「それでいいです……」と言って、OKボタンを力なく押した。
「毎度!! また頼むよ兄ちゃん!」
店主は豪快にそう笑うと、青年の背中をバシンと叩いた。金属鎧を着た相手にそんなことをすれば現実なら手を痛めるだろうけど……この店主の場合、そんな光景は想像し難い。
イスラム圏のバザールでは、商人と客がちょっとした値段や品物のことで朝から夕方まで飽きることなく交渉し、機知を競って熱弁を振るうそうだけれど……ジャラビーヤ姿の商人も、この店主相手ではきっと形無しだろう。
青年の背中を少し哀れに思いながら見送っていると、後ろから声をかけられた。
「悪いな、待たせちまって。さっきの客で今日はもう店仕舞いのつもりだったんだが――アンタみたいな上客を逃がしちまったら、商人の名が泣くからな」
そんな店主の笑い混じりの冗談に、僕は苦笑して振り返った。
「こんばんは、エギル。相変わらず精が出ているみたいで何よりです」
ニコリ、と普段通り笑んだつもりだったが、どうやら上手く笑えなかったらしい。
僕のぎこちない笑みを不審に思ったらしいエギルは眉を顰めた。
「何かあったのか?」
「うん……まあ、ちょっとね」
「オレで良ければ話くらいなら聞くぜ?」
顔に似合わず人が好いエギルはそう言ってニヤリと笑った。
「……まあ、人間関係のトラブルというか……殆ど僕自身のせいなんですけどね」
自嘲する笑いが漏れる。
「ほう」
「……両思いだったのに、相手の娘を泣かせてしまって……」
「なるほどな――ん?」
「現実に帰ったら会いに行くって約束したんですけど……もっと、上手い方法があったんじゃないかな、って――どうしたんですか?」
僅かに視線を逸らし、冷や汗らしきものを流すエギル。
「お、オレは他人の趣味嗜好を兎や角言うつもりはねぇし、他言もしねぇから安心してくれ」
「は、はぁ……」
な、何か……盛大に勘違いされているような……?
「ほ、ほら! まあ、それは兎も角だ。うちに来たってことは、いつもの買取か? それとも買い出しか?」
「え? ああ、はい。買取をお願いしたいんですけど」
少々強引に話題を変えられ、本題の交渉に入る。
「了解だ。で、今回はどんなモン持ってきたんだ?」
「えーと……《
「《黒真珠》っていうとアレか。確か装飾系の素材だったよな? ……相場は――」
言いかけ、ウィンドウを眺めていたエギルの視線と口が止まる。
「おいおい……何でこんな物二十個も持ってんだ? 需要はそれ程多くはねぇが、供給が殆ど無いせいでレートが跳ね上がってるんじゃねぇか」
「企業秘密、ってことで」
唇に人差し指を当て、片方の瞼を閉じる。
《黒真珠》とは現実のそれと同じように、やはり真珠であることに変わりはない。そして、真珠である以上海が無ければ生産できないのは必然。
しかし、この浮遊城には森もあれば山もあるし、当然海もある。何故カーディナルが供給を絞っているのかは僕も知らない。
「オレにはカミさんがいるからな。誘惑しても何も出ないぜ?」
「誘惑なんてしてないけど――というか、エギルって既婚なんだ」
他人のプライベートを訊く趣味は無いし、そもそも現在のSAOでは現実の話題は殆どタブー扱いだ。だから、僕はエギルが既婚であること以上に、それを僕に話したこと自体に驚いた。
僕の表情を見て察したのか、エギルはニヤリと笑う。
「図らずもオレはアンタの秘密を知っちまったからな。こっちが一方的に相手のことを知っているってのはフェアじゃねぇだろ? それに、アンタはタブーをタブーと思ってないみたいだしな」
秘密って、少し大袈裟過ぎやしないか、と思いつつもつられて笑う。
「まあ、少しヒトより捻くれて育ちましたから」
「オレはアンタの性格嫌いじゃないぜ。それに、なんとなく親近感もあるからな」
親近感……?
「オレは見ての通り日本人じゃない――まあ、帰化してるから国籍は日本なんだが、オレの身体には一滴も日本人の血は流れちゃいない。アンタだって、純粋な日本人じゃねぇんだろ?」
「ええ。母はデンマーク人で、日本人の父とのハーフです」
「なるほど、北欧系か。……まあ、アンタも今まで色々苦労してきたんだろうが――恐らく、これ以上の苦労は後にも先にも無いだろうからな。お互い頑張ろうぜ」
確かに、“デスゲーム”以上の苦労が今後訪れるとは思えない。とはいえ、苦労続きの人生である。まだまだ災難が降りかかる気がしてならない。
それでも、内心は臆面にも出さず、今度こそちゃんと微笑む。
「まあ、人生山あり谷ありって言いますしね。――それは兎も角」
「それは兎も角ってお前なぁ……我ながら良いこと言ったと思うんだが」
そうぼやいてから、エギルも笑った。
やっぱりこのヒト、お人好しだよね。……キリトの周りってお人好しが多い気がする、本人も含めて。
「この《黒真珠》は幾らで買い取ってくださるんですか?」
「ああ……そうだな。一つ一万コル、二十個で二十万コルでどうだ?」
「二十万……」
その数字に、先客との会話を思い出す。
「差し支えなければ、さっきのお兄さんが売ったアイテムが何だったのか教えてほしいんですけど」
「……別にそいつは構わないけどな」
そう言って、エギルは棒状の物をこちらに向かって放り投げた。
パシリと、危なげなくそれを掴んだ僕は――首を傾げるしかなかった。
「えーと……これって《カタナ》ですか?」
「見た目は、な」
「でもやけに短いような……」
「いわゆる小太刀ってやつだな」
それは僕だって解る。問題はカテゴリーだ。
「でも、《小太刀》なんてカテゴリーありませんよね?いわゆる太刀や日本刀は《カタナ》のカテゴリーですし」
もし《小太刀》などというカテゴリーが存在するのであれば、それに準ずるスキル……つまりエクストラスキルが存在することを差し示す。
しかし、小太刀というのは大抵は太刀とセットで使うものだ。
ならばエクストラスキルは《二刀流》ということになるのだろうが――生憎、僕はキリトが二刀流スキルを所有していることは……本人には内緒だが、知っている。それがいわゆる《ユニークスキル》であることも。
アウローラによると、SAOにおける二刀流スキルとは《片手直剣》二本を装備して使うスキルのことらしい。だとすれば、刀を使った二刀流はSAOには存在しないことになる。
だったら、目の前のこれは何だというのか。只の短いだけの《カタナ》なのだろうか。
「まあ、自分で見た方が早いだろう。詳しいステータスが知りたいなら、一旦装備してもらっても構わねぇぜ」
「良いんですか?」
暗に持ち逃げするかもよ、と言ったつもりだったが、返答は簡潔なものだった。
「アンタのことは信用してるさ」
「……それはどうも」
短く礼を言って、気恥ずかしさを紛らわす為にもさっさと視線をウィンドウに向ける。
装備フィギアの右手に、既にオブジェクト化がなされている小太刀をセット。これでこの小太刀はシステム的には僕が装備者であると同時に所有者となった。続いて、ステータス画面に目を走らせる。
「――――――」
絶句した。まさに開いた口が塞がらない、といった体でポカーンと口がだらしなく開く。
まず、この小太刀の銘は《
問題は、このパラメーターだ。
異常過ぎるその二つの数値は、デザイナーが誤って設定したとしか思えない――が、恐らくは故意だと、何故か僕は直感的に思った。
【attack:0 durability:∞】
攻撃能力をもたない武器。――その矛盾以上の問題。それは、この小太刀が……【Immortal Object】であることに他ならないということだった。
「見ての通り、こいつはとんでもねぇ鈍らだ。それこそ鉄パイプの方がよっぽど役に立つ、ってくらいにな。だが――耐久値無限なんていう反則級の代物は、後にも先にもこれ一本って気がしてならねぇ。だから、こんなクソの役にも立たなさそうなモンに二十万も出して買い取ったんだ」
エギルの僅かに後悔が混じる声。
それはそうだろう。
耐久値無限は確かに魅力的ではある。だが、攻撃力がゼロなら武器としては初期装備の《スモールソード》にも劣る。更に、武器としてのカテゴリーが、あろうことか《投剣》なのだ。殆ど消耗品である投剣に、耐久値などそもそも不要だ。
僕はエギルに小太刀を返してから肩を竦めた。
「買い手は……どうやら居なさそうですね」
僕の声にも、自ずと同情が篭――らない。寧ろ、悪巧みを悪代官に進言する越後屋のような雰囲気だ。
「まさか――おいおい、オレは正直嬉しいが、こいつを買うのは流石に止めといた方が」
“前科”がある僕に対して、エギルは制止の言葉をかける。
だけど、エギルの忠告を聞かなかったことにして、僕は提案する。
「《黒真珠》二十個の代金はこの小太刀で払う、というのはどうですか?」
「アンタなぁ……」
呆れ返ったように、一つ大きな溜め息を吐いてから、エギルはトレード申請を送ってきた。僕はもちろん、全く躊躇せずにOKボタンを押す。
「トレード成立。後で文句言わないでくださいね、エギル」
「それはこっちの台詞だ。――この前の《
「ゲテモノ好きとは失礼ですね。僕は昔からこういう尖った性能の武器が好きなだけですよ」
因みに件の《髑髏》は、リズと――……里香と竜の巣から脱出するのに使った小刀のことだ。
あれはリーチが《短剣》以下である代わりに、アイテムの所持容量に殆ど負担をかけないという、サブ武器には丁度良い特殊効果があった。
それに……僕は、この世の中に無価値なモノなんて存在しないと思っている。どんなモノにだって――ヒトには奇異に見えるモノにだって、たとえ一見無価値に見えるモノにだって――絶対に何らかの……それにしか、その人にしか無い価値が必ずあるんだ。
だから、この《天羽々斬》にだって必ず使い道がある。この小太刀が、《カタナ》ではなく《投剣》である意味。それがそのまま、この小太刀の存在理由になるはずだ。
「――ところで前々から訊きたかったんだが」
「は、はい……何ですか?」
神妙な面持ちになったエギルに、一体何だと僕は僅かに身構える。
「何でうちなんだ? ――いや、訊き方が悪いな。他にも買取やってる奴なんていくらでもいるだろ。……こう言っちゃなんだが、結構阿漕な商売やってるからな、うちは。何で態々アンタがオレに買取を頼むのか、前々から気になってたんだ」
阿漕な商売。どの口が言うかと鼻で笑いそうになるのを堪え、僕はニコリと笑う。
「知ってますよ、エギルが中堅プレイヤーの育成に売り上げの殆どを注ぎ込んでいることは。……ここにアイテムを売りに来るのは、ちょっとしたお手伝いつもりです」
「……ま、まさか知ってる奴がいるとはな。他の奴らには黙っててくれよ?恥ずかしいからな」
「“善行は他人には見せず”。よっぽど日本人より日本人らしんじゃないですか?」
僕の軽口に苦笑で返すエギル。
「なら、今後もうちを贔屓に頼むぜ、ティンクル」
†
エギルの雑貨屋を後にした僕は、細い隘路を練り歩く。特に決まった行き先があるわけではないけれど、たまにはこういうのも悪くないかな、と思う。
「後は……夕食の食材か」
今晩は何にしようかと考えていると、背後から声が。
「私はオムライスがいいわ。因みにソースはケチャップじゃなくてデミグラスで」
相手は解っているので、振り返らずに答える。
「出てきて良いの? 誰に見られているか解らないのに」
「誰も見ていないわよ。……ここら一帯にプレイヤーはいない。たとえ
歩く速度を少し落とすと、彼女は僕の隣に並んだ。
「用は何だよ……? アウローラ」
純白のドレス姿に銀糸の髪、すみれ色の瞳。凡そ人間とは思えない精巧なその顔立ちは――その通り、彼女が人間ではないことを示している。
デスゲーム開始直後はローブ姿だったのに……デザイナーの趣味か、はたまた“彼女自身”の趣味なのか、いつの間にかドレス姿に変わっていた。
「用? 用事が無ければ話しかけちゃいけないのかしら? 酷いわっ光」
「本名で呼ぶなよ。それにお前、そんなキャラじゃないでしょ」
「まあ、そうなのだけれど――――妬けるじゃない? 目の前で他の女とのラブシーンなんて見せられたら」
「……見てたのか」
「それはもう。私はあなたのこと四六時中観察してるわよ? それはあなただって承知のことだったはずだけれど」
「“人間”の言動を学習する為、だろ? ……本当にお前はAIなんだな」
アウローラの行動目的は二つ。一つは茅場に恥をかかせるという、彼女の製作者の意思。もう一つはAIとして完成するという、彼女自身の意思だ。
AIとして完成する。ならば今の彼女は未完成なのかと問われると、はいとは答え辛い。AIとして完成するとはつまり、Aという質問にBと答える……みたいなプログラムを何万通りも網羅する、ということだ。
だけど、その果てに完成するAIは、もはやヒト以上の存在に他ならないと……僕はそう思う。
「そんなの、解りきっていることでしょう? 私がAIであることは、薄明かりが差し込むあの朝に、ちゃんと明かしてあるのだから」
「それで? 結局用は何なんだ? 態々道端に現われるくらいに切迫した状況じゃないことを祈るけれど」
「冷たいわね」
そう言って、彼女は悲しそうな顔をする。だがそれは、その感情は、彼女の裡から表れたものでは決してない。結局それは、模倣でしかない。現に――――次の瞬間には、薄ら笑いが彼女の顔に張り付いていた。
「可能性が、僅かだけれど見えてきたわ」
「可能性?」
「決まっているでしょう? 茅場晶彦の、本来のシナリオを崩す可能性よ」
「……!!」
思わず目を見開く。
第百層。その途方もない旅路の果てに、一体何人の攻略組プレイヤーが犠牲になるのか――最近は、そんなことばかり考えていたけれど。
昨日と今日で、改めて思った。もし、僕らにそれができるなら――百層到達前に、一日でも早くこの世界を終わらせることができるなら。里香を、キリトやアスナ――皆を現実に一日でも早く帰すことができる。そうすれば、里香との約束を果たすことが必ずできるのだ、と。
「何か算段を思いついたのか!?」
「知りたい? ……知りたいんだったら、私の足を這い蹲って舐めてもらおうかしら」
「ふざけてる場合か!!」
掴みかかるのは懸命に堪えたけれど、流石に怒気までは押さえられず、声を荒げた。
「はぁ……。あくまで可能性の話よ。と言っても、その可能性を見せたのは、他ならぬあなた自身なのだけれど」
「僕、自身……?」
そう言われても、心当たりなど何も無い。
「あなたとソバカスが裸でイチャついているとき、あなたの周りの空間だけ、本来ありえない程の負荷がかかっていたわ。……そして、その現象が起こったときのあなたの精神状態は、いつも以上に悪かった」
ソバカスというのは里香のことで、僕らはイチャついていたわけじゃないけれど、間違いなく風呂場での出来事を言っているのだろう。
「言いたいことは色々あるけれど――――いつも以上に悪いって、どういうことだよ?」
アウローラは事あるごとに、僕の精神状態は安定していると――……そういうことか。
僕は考え至り、筋違いなのかもしれないが、彼女を睨みつける。
「安定というのは、別に正であることを差すわけじゃない。たとえ数字が負だとしても、変動が少なければ……それは安定しているといっていい。つまり僕の精神状態は、常日頃から悪かったってことか」
吐き捨てるようにそう言ってから、僕は視線を逸らせた。
「ええ。あなたのことをあの時“面白い”と言ったのは、メンタルパラメーターだけ見れば寧ろ他のプレイヤーより状態が悪いくらいなのに、パニックになるわけでもなく、冷静さを保っているその矛盾……それがAIである私にはとても不思議に思えたから」
言われてみれば当たり前ことなのだ。“デスゲーム”などというこの状況で、精神状態が良い人間なんて殆どいるわけがない。その極少数のうちの一人が僕なのか、と……自分で自分が解らなかったけれど、常態的に悪かったのであれば納得できる。
「その点については……誤解をあたえたことについては謝るわ。ごめんなさい。――私が素直に謝るなんて滅多にないわよ? 私、こういう性格だから。……でも、これからはもう少し正直に話すことにするわ」
彼女の言う通り、彼女は歪んだ性格をしている。だが、それは性格というよりは……彼女の製作者の設計思想が歪んでいたせいだろう。だから、やはりアウローラを責めるのは筋違いなのかもしれない。
「解った、許すよ。――……話を戻そう。僕の周りの空間だけが、一定時間過負荷常態だった。そしてそれは、僕の精神状態が著しく悪い時に起こった。この理解で間違ってないか?」
「間違っていないわ」
「……もう色々、意味が解らないんだけど」
それが百層到達前にゲームをクリアさせるのと、どういった関係があるというのだろう。
そもそも、何故僕の精神状態が悪いと過負荷が起こるのか。只の偶然なのではないだろうか。
「まず一つ。あのソバカスは見えていなかったようだし、私も見たわけじゃないけれど……あなた、何か見なかった?」
そう問われると、思い当たる節は一つしかない。しかし、あれは――
「……幻覚を見た。黒い、靄みたいなものを。でも、あれはやっぱり只の幻覚に過ぎないだろ?」
「頭が良い癖に、たまに馬鹿なこと言うわよね、あなたって」
いつものように小馬鹿にしたようにそう笑うと、彼女は言った。
「大原則として、アインクラッドに於いて直接見聞きするものは全て、“コードに置換可能なデジタルデータである”ということよ。……つまり、幻覚が見えたり、幻聴が聞こえることなど有りはしない。だから、あなたが見た靄は幻覚では絶対にない」
「あの黒い靄は……幻覚じゃなかった……? じゃあ、何で里香には――というか、アウローラにも見えなかったんだ?」
彼女はプレイヤーとは違い、アインクラッド上の全てを見ることができる。それは例えばマッピングされていない地図データ、隠蔽スキルを使用しているプレイヤー……など、凡そシステム的なものも含めて全て。
ならば、それこそあの靄はバグか何かだったんじゃないだろうか。
「……マスターが言っていたわ。『VR技術にはブラックボックスが存在する。そしてそれは、ナーヴギアの基礎設計者である茅場本人も把握できていない』ってね」
「ブラックボックスって……基礎設計者本人が把握していない機能が、ナーヴギアにはあるって言うの? そんな製品、売り出せるわけがないじゃないか」
「残念ながら売り出せるわ。現に、脳を焼くことができるなんていう致命的な欠陥が見過ごされたわけだし」
「……ッ」
思わず舌打ちする。
一体ナーヴギアを監査した奴らは何をやっていたんだ。もっとちゃんと調べていれば、少なくてもこんなデスゲームが始まることはなかっただろうに。
「それで? 君のマスターはブラックボックスが何なのか解ってたの?」
しかし、アウローラは僕の質問には答えず、歌うように語りだす。
「そもそもブレイン・マシン・インタフェースとは神経工学――神経科学と電子工学を融合した境界領域の技術の結晶よ。……そして、量子物理学者である茅場晶彦に対してマスターは神経科学者。つまり、マスターは……VR技術の片翼を担う存在なの。茅場晶彦が天才プログラマーだとすれば、マスターは医療界の異端児ってところね」
「医療界の異端児……? 君のマスターは医者なのか?」
アウローラに初めて会った時、彼女は「マスターは、茅場氏の同僚……アーガスのスタッフです」と言っていたはずだけれど。
僕の疑わしげな視線に気が付いたのか、アウローラは苦笑する。
「だから“異端児”なのよ。……曲がりなりにも医学部に在籍し、精神・神経科学教室の教授まで務めてるっていうのに……アーガスに出入りして、プログラマーの真似事をしていたのだから」
「…………」
医学部の教授だって……!?
僕の中で、彼女のマスターの……凡人でチキンでマゾヒストの変態という人物像が一気に歪みだす。
「――話を戻すけれど、要するに茅場晶彦とマスターでは視点が違うということよ。だから、彼が気が付かなかったことに気が付くことが出来た」
一旦区切ると意外なことに、アウローラは親を誇る子供のように言った。
「そして、マスターは一つの可能性を指摘したわ。それは、《Incarnate》……“意思の具現化”」
「意思の具現化……?」
抽象的過ぎてまるで飲み込めない。
「そういう現象が、実際にβテスト期間中に極少数ながら確認されているわ。その最も代表的な例は、“加速”よ」
――――加速。
僕自身に経験にあるわけじゃないけれど、心当たりがないわけでもない。
ソードスキルの意図的な加速。これは僕にもできるけど、あくまでそれはゲーム上のテクニックであって、《Incarnate》などという怪しげなものじゃない。それとは違い、“知覚の加速”なる現象が起こるということをキリトに聞いたことがある。
それが起こるのは戦闘中。それも、強敵との戦い。――速く、もっと速く。その意思に身体が突き動かされるように、普段の倍近い速度で剣は振るわれ、その動きすら本人には遅く感じるらしい。実際、そういう状態のキリトをフロアボス戦で見たことがあるけれど、それは本人の錯覚ではなく、実際の現象として起こっていた。
でも、考えればそれはおかしなことだ。
レベル制MMOであるこのSAOには、ステータス値として【AGI】が存在する。この【AGI】によって回避率や攻撃速度が決定されるわけだけれど……プレイヤーの、言わば潜在能力のようなもので数字を超えられるようなものなら――それはもはや、レベル制とは言えまい。
「……プレイヤーのテクニックで高レベルの相手を倒す。――それは難しいけど、出来ないことはない。でも、数字を覆すことは絶対に出来ない。……ゲームっていうのは、そういうものだよ」
「ええ。だから、あの黒髪の坊やが体験している“加速”は、間違いなく《Incarnate》よ」
僕は、笑いそうになってしまった。
ユニークスキルである《二刀流》に、更に《Incarnate》などという眉唾物の力を無自覚とはいえ使っているのか。……殆ど反則じゃないか。
「――なるほどね。つまりキリトの場合は、“もっと速く”という意思が具現化している、というわけか」
「そうね。そして――AIである私が言うのもおかしな話だけれど……、強い思い――いいえ、“強過ぎる思い”によってそれは発動する。まあ、マスターは自分で言っておいて『何だかオカルティックだな』なんて苦笑していたけれど」
強過ぎる……思い、か。
「ティンクル、あなたはあの時何を思ったのかしら?」
あの時の僕は……自己嫌悪と、自分自身の否定……――――自己否定。
「――そうか。もし、本当に《Incarnate》なんてものが存在するのなら……僕の場合、“否定”の意思だよ」
だとすれば、あの靄は僕自身を消そうとしていたのか……?
「そこで二つ目。……もし、あなたの《Incarnate》に破壊の力があるのだとすれば?」
「――たとえシステム的には不死の存在だとしても、ヒースクリフのHPを全損させることが可能かもしれない」
「ええ。それどころか、この浮遊城ごと破壊することだって可能かもしれないわよ」
「……そんなことをしたら、僕らも死ぬんじゃ……?」
というか、このどれもがあくまで“可能性”の話であって、実際に出来るかどうかは誰にも解らない。それどころか、ヒースクリフを倒したところで、茅場がどういう行動に出るのかも解らない。それこそ、神のみぞ知る、だ。
それでも――明確な突破口が初めて見えた気がする。
今までは、可能性すら見つけられなかったのだ。それに比べれば、大きすぎる進歩だ。
「それじゃ、今後の方針の確認よ。ティンクルは今まで通り平時はレアアイテム探し、フロアボス戦も当然参加。そして、今後は追加で《Incarnate》の特訓。私は今までと変わらずあなたのサポートね」
「……解った。今後もよろしく頼むよ」
《Incarnate》の特訓。言葉だけなら単純だけれど、“強過ぎる思い”というのがネックだ。
それでも、やるしかない。
「それじゃ、話も済んだことだし、買い物行きましょ?」
「オムライスでしょ? 解ってるよ」
「デミグラスソースも忘れずに!」
「さ、再現できるよう努力するよ」
味噌や醤油はなんとか再現できたけど、デミグラスソースは何と何を配合すればいいのやら……。
「前々から思ってたんだけどさ……君って、不味いか美味いか解ってるの?」
恐らくプレイヤーと同じように《味覚再生エンジン》が搭載されているであろうことは解る。でも、美味いか不味いかの合否はどのように出しているのだろう。
「そうねぇ……人間の赤子と同じ原理、って言えば解るかしら」
「せ、責任重大ですね……」
つまり、日頃僕がつくっている料理によって、アウローラの味覚は形作られていっているということか。
……何か、母親みたいだな。
そんな思考を誤魔化すため、首をブルブル横に振る。
いやいや、そこは父親みたいでいいでしょ。うちだって、僕らが小さい頃は父さんが料理つくってたんだから。
「さあ、とっとと市場へ行きましょう!」
「どんだけ食べたいんだよ……。というか、このまま付いて来る気?」
「当然よ。それに、今更私がAIだって思われることはないと思うわ。……あなたのお陰でね」
「……この銀髪はそういうことか」
そんな風に会話を続けながら、僕らは隘路を行く。
曲がりくねったこの道が、僕らの今後を表しているようで、僅かに不安を覚えながら。
†
二〇二四年十月十七日
僕らは結局、一歩も前に進めちゃいなかった。
【挿絵表示】
光)「何で僕がこんな格好を!(`;ω;´)」
俺)「男の娘といえばメイド服でしょう!そして、PAD大盛り!!」
男の娘なんていうファンタジーな存在が主人公のこの話ですが、出来る限り理屈が通るように書いているつもりです。光のこの容姿についても、ちゃんと理由があります。こう言っちゃなんですが、理由なしに見た目が女の子なんていう男が、そうそういるわけがありませんよね。
そんなわけで、原作のSAO編ラストのように、HP全損してからキリトがヒースクリフを倒す……という展開にするつもりはありませんし、キリトとティンクルをチェンジしても同じことです(原作批判じゃありませんからね!)。もっと別の倒し方を考えます……というか、考えてます。ということでもちろん、ティンクルが黒い靄を使って倒すわけでもありませんので、そこは楽しみに思って頂ければ!
では今回の内容について!
長い!今までで1番長い!以上!
次回は遂にSAO編の本編ともいえる74層攻略編に突入です!
それでは、今年1年ありがとうございました!来年も宜しくお願いします!(`・∀・´)
因みに更新はできませんが、コメントくらいはちゃんと返せるので、感想あれば送ってください。誤字もあればご指摘お願いします。
†
1月30日に加筆修正を行いました。
絶望さんにご指摘頂いたことも踏まえてネットで調べたり、原作を読み直したりしたのですが、こんな感じで落ち着きました。
アウローラのマスターの人物像が徐々に明らかに。