「ん……っ」
「あ、ごめん」
泡だったシャンプーが片目に入り、反射的に目を閉じる。
痛みを少しでも早く取る為、手の甲でゴシゴシと拭った。
「もう……やるならちゃんとやってよ、リズ」
「何であたし、男の髪の毛洗ってんだろうね?」
「……リズが洗いたいって言ったんでしょ?」
湯船から出た僕らは、お互いタオルを巻いて、代わり番こに髪を洗うことになった。もちろん言い出したのはリズだ。
「……はぁ」
「何さ? その溜め息は」
「だって……あんた髪綺麗過ぎなのよ。いや、髪だけじゃないけど。――枝毛どころか全然痛んでないし。やっぱ少しムカつく」
ワシャワシャと、リズの手付きも荒くなる。
「そ、そんなこと僕に言われても……。別に特別なことなんてしてないよ。現実で使ってたのだって、父さんと共用のリンスインシャンプーだったし」
「くっ……!」
「ちょっと強過ぎないかな!?」
現実でやれば毛が抜けそうな勢いにまで加速させたリズ。
どうやら火に油を注いでしまったらしい。やはり、女心というのは難しいな。
「はい、おしまい!」
「ぶふっ」
ザバッ! と、勢いよく風呂桶でお湯をかけられて、僕は盛大に咽た。
「ひ、酷いよ……」
「はい、次はティンクルが洗う番!」
「はいはい」
立ち上がって、代わりにリズを椅子に座らせる。
バルブを回し、シャワーノズルから出るお湯の温度を掌に当てながら調節して、適温になったところでリズの頭に当てる。
「お湯加減はいかがですか?」
「ぷっ……何よ、その口調。大丈夫よ」
まるで美容院の店員のような僕の口調が面白かったのか、リズの機嫌は少しは良くなってくれたみたいだ。
髪全体にお湯を馴染ませるように、空いてる片手を使って軽く汚れを流す。……SAOでは老廃物は出ないから、当然汚れてはいないのだけれど、それは言わない約束だ。
お湯を一旦止めて、ノズルを置いて両手を空ける。
「それではシャンプーしていきますねー」
「あんた最後までそのまんまでやる気?」
当然。
ポンプを二回押してシャンプーを手に取り、掌である程度泡立ててから、髪の毛の上で泡立てる。
頭皮を洗うときは爪を立てず、指の腹を使って擦る。そうすればあまり力を入れなくても、ちゃんと汚れは落ちてくれる。因みに洗うのはあくまでも頭皮であって、髪の毛自体は髪同士を擦り合わせると傷んでしまうので極力擦らず、泡を髪全体に行き渡らせる程度でいい。
「痒いところはありませんか?」
「無い無い」
再びバルブを回してお湯を出す。
「それでは濯いでいきますので目を閉じていてくださいね」
「はーい」
シャンプーを濯ぐ。ここで間違ってはいけないのは、単に泡を流すわけではなく、毛穴に残った汚れや油分もちゃんと流さないといけないということだ。
毛穴の汚れを落とすようにしっかりと、しかし髪を水に当てる時間は極力最小限にしたいので、そこは素早くこなす。
「それではトリートメントしていきますねー」
トリートメントを髪の毛に……頭皮には付かないよう、中間から毛先にかけて馴染ませていく。
リンスと違いトリートメントは髪の内部まで浸透させないと意味がないので、本当は蒸しタオルで髪を包むと良いのだけれど――流石に蒸しタオルなんか無いので、少し熱めのお湯に浸したタオルを絞って代用した。
「はい。それではトリートメントが浸透するまで湯船に浸かってお待ちください」
「……ねぇ?」
「何?」
「あんた……いつもこれやってんの?」
「まさか。さっきも言ったでしょ? 僕はリンスインシャンプーだって」
「でも普段からこういう洗い方なんでしょ?」
「まあ……流石に蒸しタオルなんてしないけど、概ね」
「そりゃサラサラだわー」
呆れ果てた、といった体で遠くを見詰めながら呟くリズ。
そんな反応をされても、僕としては対応に困るのだけれど。
「何よっ! 女より女らしいじゃない! 嫌味か!? 当て付けか!?」
「うっ……」
僕としては甚だ受け入れがたい評価だけれど、客観的に見て容姿はもちろん、料理好きとか髪の手入れとか……男としてどうなのだろう、という自覚がある分何とも言い難い。
「はぁ……どうせ僕は女々しいですよ。――ほら、茶番はもう終わり」
言いながら、僕はリズの頭に巻いたタオルを取り去る。
「茶番って……」
「だって、ここでいくら髪の手入れをしたって、現実のリズの身体には全く反映されないよ。どうせやるなら、現実の方が良いでしょ? ……蒸しタオルも、ちゃんと用意してさ」
「そ、それって――」
何か言おうとしたリズの唇を、人差し指で押さえる。
「僕は……君との関係を、こんなところで終わらせたくない。現実に帰ってからも、また会いたいって思ってる」
「…………」
「だからこの世界で、君と特別な関係になるつもりは無い」
僕の言葉が余程気に食わなかったのか、リズは僕の手を払い除けて反論する。
「何でよ……? だって、あたし達好き合ってるんだよ? ……ティンクルが嫌だって言うなら、別にシステム上の結婚なんてしなくてもいいよ。でも……! 一緒に暮らすくらい、良いでしょ?」
「駄目だ」
静かに、しかし断固とした意思を込めて拒否する。
「……ああ、そっか。あんたの考えてることくらい、あたしには解るわよ。今のままの方が都合が良いっていうなら、あたしは誰にもあんたが男だって言わないし、一緒に暮らせなくてもいいよ……不自然だもんねっ」
言葉ではそう言うものの、声は震え、今にも泣き出しそうな笑みを浮かべている。
「でもさ……約束して? 攻略が終わったら、うちに来て、あたしに装備のメンテをさせてくれるって……。――毎日、これからずっと」
「約束できない」
たった一言。それでも、防波堤を決壊させるには十分過ぎた。
泣き出したリズは、僕の両肩を掴む。
「何でよ……!? あたしの気持ち、解るでしょ? 好きな人と少しでも長く一緒にいたいっていう、当たり前の気持ち。……あたし、あんたが何考えてるのか……解んないよっ」
彼女の顔を見ていると、決心が揺らぎそうになる。でも、だからこそ……。
「解るよ。当たり前だ。僕だって、リズと一緒にいたいよ」
「ならっ……!!」
「でも! だから駄目なんだ!!」
彼女に言い聞かせるために、そして自分自身に言い聞かせるために、言葉を紡ぐ。
「確かに、リズと一緒にいられたら幸せだと思うし、君もそう思ってくれているのは素直に嬉しいよ。……でもそうなったら、僕はそこで立ち止まってしまう」
「……立ち止まるって……それって」
僕は首を横に振る。
「さっきの強迫観念とは、また別の話だよ。……皆、リズも含めて……この世界に慣れてきているとは思わないか? ――ゲームで死んだら現実でも死ぬ。そんな異常な状況を受け入れて、日常にしてしまっていないか?」
「そ、それは……」
「うん、解ってるよ。……この世界を現実として受け入れて、非日常を日常にしなければ、皆生きられなかったと思う」
でも、僕はそれを否定しなければいけない。
「でも、それは間違っている。受け入れて良いはずがないんだ。慣れてしまっていいわけがないんだ。だって、それは……どこかで諦めているってことだ。“誰かがやってくれる”。そうやって多くの人達は、諦めて、押し付けて、立ち止まってしまった。“攻略組”なんて言葉が、その象徴だ」
だって、MMORPGっていうのは本来、“プレイヤー全員”で攻略するゲームなんだから。
「でも、もちろん彼らを非難するつもりなんてないよ。皆がみんな、強いわけじゃないから」
そもそもズルをしている僕が、他人を糾弾する権利なんて持ち合わせているわけがない。
「だから……歩ける人は、立ち止まらず、歩き続けなければならない。――そして、頂に辿り着くんだ」
そして、できることならその前に、茅場のシナリオを僕が潰す。
「……でも、あたしと一緒にいられないのと、何の関係があるのよ?」
相変わらず、リズは泣いている。
言ってしまいたい。ずっと、一緒にいると。
でも、今度こそ、理性で感情を押さえ込む。
「関係あるよ。……だって、リズの傍にいたら、居心地良すぎて――動きたく、なくなっちゃうよ」
なんとか“いつもの”微笑みを浮かべて、僕は彼女を優しく抱き寄せる。
「……ティンクル、あんたホント狡いよ……っ!」
「僕は……卑怯者だからね」
苦笑が漏れる。でも、涙は漏らさない。
「だから卑怯ついでに……もう一度だけ、僕に勇気をくれないかな?」
先へ進む勇気はもう貰った。だから今度は、やり遂げるための勇気を。
君を巻き込まないために。君を現実に帰すために。
「――……解った」
僕から一歩離れ、顔を上げたリズ。
彼女の瞼は泣き腫らして赤くなってしまっているけれど、涙はもう零れていなかった。
「最高の刀……作ってあげる!!」
†
心を込める。
比喩ではなく、実践したのは生まれて初めてかもしれない。
槌を振るう度に、あたしの心は軋みを上げる。だって、お別れが一歩ずつ近づいているから。
でも、もう涙は流さない。だって、“彼”は戦いに行くんだから。泣いて送り出すわけには、いかないでしょ?
――そして、とうとうその時はきた。
二百八十四回目の槌音が響いたその瞬間、インゴットが一際眩い白光を放った。
長方形の物体が徐々に変化して……、一振りの刀の形を成した。
刀身に彫られた菊の紋様。美しいその刃紋は、己が業物であることを揚々と物語っている。しかし、驚くべきはそこではない。
刀身全体が、薄い燐光を纏っているのだ。それはまるで、闇夜に浮かぶ碧い月のようだと思う。
あたしはその柄を持ち、力を込めて持ち上げた。
やはり思った通り、恐ろしい筋力要求値だ。それでもあたしが持てるんだから、ティンクルなら問題ないだろう。
柄を左手に持ち替えて、右手の指を伸ばしてそっと刀身を叩く。ポップアップウィンドウが浮かび上がり、あたしはそれを覗き込んだ。
「名前は《月華》ね。……試してみて」
しかし、ティンクルは受け取らず、妙なことを訊き出した。
「ねぇ……リズは菊の花言葉って知ってる?」
「知らないけど……何であんたはそんなこと知ってるのよ?」
「知り合いに、そういうのが好きな人がいてね」
そう言うと、彼はゆっくりと話し始めた。
「まずは月華だけど……これは月光のことだね。この燐光はたぶん、月の光を表現してるんだと思う」
「へぇ……」
「それで、菊だけど……菊の別称は星見草っていうんだ。月も一応天体だから星っていうのは間違っていないし、花札とかを始め、菊と月って何かと縁があるからね」
「……なるほどね」
なんとか相槌は打つけれど、自分でも驚くほどその声は弱々しい。
それでも彼は話し続ける。眠るように瞼を閉じて。少しでも、この時間が長く続くように。
「そして、花言葉だけど……高尚、高貴、女性的な愛情――」
「あんたにピッタリじゃない」
少し、笑いが漏れた。
これなら、思ったよりも早く、いつもの元気なリズベットに戻れるかもしれない。
――と、思ったのに。
「――そして、真の愛」
「……っ」
全くこいつは……。あたしの反応を楽しんでるんじゃないでしょうね?
「ほら、装備してみて。いつまで経っても、ステータス解らないでしょ?」
「……うん」
そして今度こそ、ティンクルは月華を受け取った。
彼はウィンドウを操作して月華を装備すると、ステータス画面を見詰めた。
「うん。……攻撃力は勿論だけど、各種ステータスも上がってるみたい」
「それで……どうかな?」
「……手に、しっくり馴染むよ」
振ってみても良い? と訊いてきたので、あたしは了承した。
中腰になったティンクルは、居合の要領で一閃。
びゅん、と空を斬る音。刀身を纏った燐光が、ソードスキルのライトエフェクトとはまた違った軌跡を薄暗いこの部屋に浮かべて……でも、それも僅かの間に空気に溶けるように消えた。
「ありがとう、リズ。最高の仕事をしてくれたよ」
ああ、またそうやって笑う。
辛い癖に、泣きそうな癖に……平気な振りをして。それが、男の子の強がりってやつ?
なんだ……結構、男の子っぽいところ……あるんじゃない。
「それで、代金のことだけれど――」
そっか、本当にお別れなんだね。
あたしは答えようとして――しかし、息を呑んだ。
あたしって、こんなに潔い女だったけ? 答えは、もちろん否だ。あたしは諦めの悪い女だ。
なら、答えは決まっている。お別れなんかに、させてたまるか。
それに、ティンクルだって言ってたじゃない……現実に帰ってからも、また会いたいって思ってるって。
「お金は、いらない」
「……え? でも、それじゃ……」
だから、答える。
「お金は、いらない。だから、現実でケーキの一つでも……二つでも三つでも奢りなさい。そうしたら、その後で――」
目を丸くするティンクル。
構うものか。あたしの思いの丈を全て、この一言に。
「第二ラウンド、するからね!! 覚悟しなさいっ!!」
そうだ、これでこそあたしだ。
あたしの言葉に暫し呆然としていたティンクルは――ぷっ、と突然吹き出した。
「あははっ」
「ちょっとー!! 笑うってどういうことよ!?」
「いや、ごめん。リズには敵わないなって思ってさ」
「当たり前でしょ? あたしに勝つなんて、十年早いわ」
そして、今度は二人して吹き出す。
本当に、思ったよりもずっと早く、元気なリズベットに戻れたみたいだ。
一頻り笑った後、ティンクルはスッキリとした顔をして言った。
「なら、本名教えておかないとね。……僕は三雲光。来月の七夕で十九歳です」
今度は、あたしが驚く番だった。
「と、年上だったんだ……」
「それはどういう意味かな?」
しかし、妙に納得した。あの先生と何故重なるのか……ずっと不思議に思っていたけれど。見た目の色眼鏡を取り外して、その年齢を知ると……確かに、二人は少し似ているかもしれない。
でも、そんなことをティンクルに……光に教える必要は無い。焼き餅焼かれても、困るしね。
だから、冗談で誤魔化す。
「光って、また男か女か解らない名前を……」
「ほっといてよ!」
というか寧ろ、光ってひかるでもひかりでも女性のイメージがあるのよね。
しかも七夕が誕生日って……。いや、覚えやすいけど。
「あたしは、篠崎里香。今年で十七歳です」
「あー……うん。年下なのは知ってた」
それはどういう意味かしらね?
「ところで、里香は関東在住?」
あっ……名前呼ばれた。――じゃなくって!
「そうだけど、それがどうしたのよ?」
「僕の家、杉並だからさ。里香の家どこなんだろって思ってね」
「杉並なら電車で直ぐよ」
しかし、驚いた。そんなに近いなんて。
「そっか……なら、リハビリ終わったら迎えに行くよ」
「リハビリって……?」
「僕ら、二年近く寝たきりじゃないか。消化器官から筋肉、その他諸々当然衰えてるでしょ?」
「……嫌なこと聞いた」
きっと髪も切ってないから随分伸びていそうだ。というか、お風呂入ってないんだよね、二年間。
「うっ……」
想像したでけで、全身痒くなってきそうだ。
とにかく、そのことは一旦忘れよう。
「えっと……あたしの家の住所は――」
まさか、MMORPGで知り合った異性に、現実の住所を教えることになるなんて……そもそも、この世界で出会った人を本気で好きになるなんて……二年前のあたしなら、想像もつかなかったはずだ。
「うん、解った」
「待ってるからね、迎えに来るの」
「できる限り早く、ね」
再会を祈り、お互い微笑む。
――と、突然。工房の扉が勢い良く開いた。
「リズ!! 心配したよー!!」
栗色の髪を靡かせて、あたしに体当たりするような勢いで抱きついてきたのは、二日振りに会う親友だった。
「あ、アスナ……」
唖然とするあたしの顔をアスナは至近距離で睨みながら、猛然と捲し立てた。
「メッセージは届かないし、マップ追跡もできないし、常連の人も何も知らないし、一体昨夜は何処にいたのよ! わたし黒鉄宮まで確認に行っちゃったんだからね!」
「ご、ごめん。ちょっとダンジョンで足止め食らっちゃって……」
「ダンジョン!? リズが、一人で!?」
「ううん……この人と」
咄嗟に他人行儀になるあたし。
流石に不自然過ぎたかと思えば、今のアスナはそんな細かいことは眼中に無いらしい。
「ティンクルさん!!」
アスナの怒りの矛先は、今度は光に向かう。
「どういうことですか!? まさかリズを巻き込んで、いつものレアアイテム探しを!?」
「僕が巻き込んだというか……僕が巻き込まれたというか――」
「ティンクルさん、この際だからハッキリ言わせていただきます。あなた基準で周りを見ないで下さい。女性でしかもソロなんて……ティンクルさんは絶対的な少数派なんです! リズはティンクルさんとは違って普通の女の子なんですから……!!」
リズはティンクルさんとは違って普通の女の子。つまり、逆説的にティンクルさんは普通じゃない、とアスナは言いたいわけだ。……言い得て妙である。だって、光は女の子ですらないんだから。
あたしは笑いそうになるのを必死に堪え、仲裁に入る。
「まあまあ、誘ったのはあたしの方からだし、ちゃんと帰ってきたんだからさ。心配かけたのは謝るから、あんまりティンクルのこと責めないであげてよ」
「うっ……」
そして、自分でも言い過ぎだと思ったのか、アスナは言葉に詰まった。
「ごめんなさい……言い過ぎました」
「いや……アスナは当然のことを言っただけだと思うよ」
うん、これで一件落着――とはいかないみたいだ。
「ほら、だから言っただろアスナ。ティンクルが一緒なら問題ないって」
そう言いながら遅れて入ってきたのは、あたしとは初対面のはずの黒衣の剣士だった。
「キリトくん、無責任なこと言わないでよ! わたし本当に心配してたんだから!」
「ご、ごめん……――って、何で俺が責められてるんだ……?」
今度はこの人に矛先が向くのか? と思って見ていると、アスナは「もうっ」と可愛らしく怒っただけで、直ぐに矛を収めてしまった。対応の違いが如実に現われている。……いくらなんでも解りやすすぎでしょ、アスナ。
「キリト……どうしたの?」
あたしの隣で光が尋ねる。
なるほど、この三人は知り合いなのね。
あたしの視線に気付いた光が、彼について教えてくれる。
「ああ……リズ。彼はキリト。僕らソロ組の中では影の四番バッターだよ」
「……俺が影の四番バッターっていうなら、あんたは?」
「僕は客寄せパンダ……じゃなかった、球団マスコットかな?」
……何と無く、二人の関係も解った気がする。
「よろしく、キリト。あたしはリズベット。リズでいいわよ」
「あ、ああ。よろしく、リズ」
「ま、自己紹介もそれくらいで……何でキリトがアスナと一緒に?」
光がそう尋ねたときだ。アスナが突然制止の声を上げた。
「ち、ちょっと待っ――」
「あ~それあたしも気になる」
面白そうなので邪魔はさせない。
「えーと……一昨日にアスナに腕の良い鍛冶師がいるって……つまり、リズのことを教えてもらってさ。で、昨日の昼間に早速ここへ来てみたんだけど、扉のプレートが“Closed”になっててさ」
「ほうほう」
あたしは相槌を打って先を促す。
アスナが左脇で「あぁ……」と顔を赤くして唸っているけど、あたしがこんな面白いネタを見逃すはずがないでしょ。
「で、君は昼飯でも食べに行ってるんだろうと思って、後日出直すことにしたんだけど……」
「うんうん、それで?」
「それで、俺も昼飯まだだったからさ……世話になりっぱなしのティンクルに飯でも奢ろうとメッセージ送ったんだけど、いつまで待っても返信が無い」
ん?
あたしは違和感を感じて内心首を傾げる。
だって、その時間はまだ村までの道を歩いているくらいか……遅くても、村長の長い話を聞いていたくらいの時間のはずだ。当然、メッセージは届いているはず。
すると、光は溜め息を吐いてキリトをまじまじと見詰めた。
「何で世話になった人へのお礼が《アルゲードそば》なんだよ……。どうせキリトのことだから、複数人呼んで、犠牲者増やしたかっただけでしょ? ……道連れに」
「失礼だなぁ~」
否定してはいるが、笑ってしまっているので図星なんだろう。
というか、食べ物で犠牲者が出るってどういうことなのよ?
「で、そのメッセージは大方無視したんだろうと思ってたから、それ程気にも留めてなかったんだ」
「もしかして全滅だったの?」
「いや、クラインとエギルはなんとか引っ張った」
「うわぁ……」
その名前も初耳だけれど、どうやら共通の知り合いらしい。
「でも、今朝になってアスナがメッセージ送ってきてさ。リズが昨夜からいないらしいんだけど、キリトくんは何か知らない? って」
「……もう知っていそうな人には全員に訊いて、後はキリトくんだけだったの。わたしもまさか知ってるとは思わなかったけど」
なんとか平常に戻ったらしいアスナが会話に復帰した。
「でも、正午過ぎにはもういなかったって教えてくれて」
「それで事情を聞いたら、リズとティンクルが知り合いって解ってさ。まさかと思って、ティンクルに今何処にいる? ってメッセージ送ったんだ。でも、やっぱり返信は無い。……こんな偶然有り得ないだろ? だから、二人は一緒だと結論付けたんだ」
なるほど。
「んで、結果は大当たりってわけさ」
「本当に心配したんだからね? リズ」
「うん……二人ともありがと」
あたしは素直に頭を下げた。
「にしても……ホント、人騒がせだな《氷姫》は」
「キリト、それもう一回言ったら口縫い合わすからね?」
おや?
光にお騒がせエピソードなんてあるんだろうか。
「ティンクルのお騒がせエピソード、あたし訊きたいなぁ~」
「ああ、良いぜ。この前のフロアボス戦の話なんだけど――」
もう少し、もう少しだけ、この時間が続けばいい。
でも、何事にも終わりはやって来るものだ。
外で昼食を食べたあたし達は、それぞれ家路へと着いた。
《リンダース》の我が家へと帰ってきたあたしは、そっと後ろ手で扉を閉めて、小さく呟いた。
「またね……光」
一粒、涙が零れて床を濡らした。
お気に入り400件突破ありがとうございます!
何でリズを泣かした!!と内心思いつつも、リズベットというキャラクターを壊さず、なんとか書けたのではないでしょうか?