ソードアート・オンライン 黎明の女神   作:eldest

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第10話 無自覚の芽生え

 夢を見ていた。小学生の頃の夢だ。あたしは真面目で大人しい子供だったけれど、午後一番の授業中にどうにも眠くなってしまう癖があって、よくうとうとしては先生に起こされていた。

 あたしは当時担任だった、その大学出たての若い男性教師に憧れていて、居眠りを注意されるのはとても恥ずかしかったけれど、彼の起こし方はなんとなく好きだった。そっと肩を揺すりながら、低い、穏やかな声で――

 

「気持ち良さそうに寝てるところ悪いけど……」

「はっ、はいっ、ごめんなさい!!」

「きゃっ!?」

 

 バネ仕掛けのようにびよーんと立ち上がり、大声で叫んだあたしの前に、「『きゃっ』ってなんだ『きゃっ』って……」と何やら小声で呟きながら沈痛な面持ちの女性プレイヤーが一人。

 

「あれ……?」

 

 あたしはぼんやりと周囲を見渡す。机が並んだ教室――ではなく、街路樹に石田畳、水路に芝生の庭。あたしの第二の故郷、リンダースの街だった。

 

「寝惚けてるの? リズ」

 

 優しそうな柔らかい笑みを浮かべて立っていたのは、銀髪に赤い瞳の友人だった。

 

「何か、その子供を慈しむような笑顔腹立つ」

 

 思わず悪態をつく。

 彼女は最前線の迷宮で戦い続ける攻略組プレイヤーにして、アスナ以上の美貌、更にはパーティーをボス戦以外では組まない攻略組女性プレイヤー唯一のソロでもあることから《氷姫》なんて呼ばれているらしい。――……ビーターなんて目じゃない、存在自体がチートみたいな奴だ。

 だけど、そんなことは随分前に飲み込んだはずだ。今更彼女に僻んだりしない――と思っていたんだけど、昨日アスナの初々しい姿を見たせいか、嫉妬心が再熱してしまったらしい。

 

「そ、そんなこと言われても……」

 

 ああクソっ! 困った顔も可愛い! 抱きしめてやろうか!?

 いや、錯乱してる場合じゃない。

 

「で、今日はどうしたのよ? あんたも研磨?」

「あんたも……?」

「ああ、昨日アスナが研磨に来たのよ」

 

 たしか、ティンクルはアスナとも顔なじみだったはずだ。

 

「そうなんだ。まあそれは兎も角、わたしが来たのはリズに新しい刀を鍛えてほしくてね」

「新しい刀?」

「うん。……《白雪》ももちろん良い刀なんだけどね。六十層に入ってからパワー不足が否めなくて」

「……そりゃそうでしょうよ」

 

 そりゃ当たり前だ。いくらレアな素材で作った装備とはいえ、所詮は五十層クラスの装備なのだ。レベル製MMOではどんなにレアな装備だろうと、敵モンスターのレベルが上がれば使い物にならなくなっていく。敵モンスターの能力のインフレはどんどん進み、それに合わせて装備の更新もどんどんしないといけない。だから寧ろ、同じ武器をここまで使い続けた方が異常だ。

 

「とは言っても、あたしあんまり刀は作らないから、あんたに見合うようなもの在庫に無いし……それにこれから最前線で使うとなると、現状出回ってる最高の素材で作りたいわよね。今回も素材はティンクルの持ち込み?」

 

 前回のことを思い出し、あたしは尋ねる。

 

「残念ながら、今回はレア素材とか持ってないんだ」

「そっか……――あっ」

 

 そこであたしは思い出す。

 

「ティンクル、あんたあの噂知ってる?」

 

 

「あれ……?」

 

 扉にかかる木製のプレートには“Closed”の文字。

 瞬きしてもプレートの文字が変わるはずもなく、扉をノックしても、やはり中から反応はない。

 

「おかしいな」

 

 《圏内事件》以来、なんとなく妙にエンカウント率が高く……じゃない、攻略以外でも会って話したりするくらいにはなったアスナから、自分の親友がやっている店で腕も確かだからと薦められ、早速ここ《リズベット武具店》へ来てみたのだが――どうやら店主は外出中らしい。

 

「昼飯でも食いに行ってるとか……?」

 

 アスナの弁ではこの時間はまだ営業中だったはずだが、まあ別に急ぎというわけでもないし、後日出直すことにしよう。

 

「じゃあ、俺も飯でも食いに行くとするかな」

 

 行き先は……――――《アルゲード食堂》だな、うん。

 今日は何にしようか。シンプルに《アルゲードそば》か、捻りを入れて《アルゲード焼き》か……、それとも更なる刺激を求めて《アルゲード炒め》いってみるか……? でも、どうせなら未知の《アルゲー丼》も食べてみたい気もする。

 

「犠牲者は多いほうが良いよな」

 

 ニヤリと笑いつつ、俺はクライン他《風林火山》メンバーにエギル、更に結局借りを全く返せてないティンクルにせめて飯ぐらいは奢ろうと、全員に同じ内容のメッセージを一斉送信したのだった。

 

 

「リズ寒くない?」

「さ、寒――びえっくし!!」

「ふふふっ」

「笑うなぁ!!」

「いやだってリズ、くしゃみがおっさんくさいよ」

 

 あたしとティンクルは、五十五層のとある村を訪れていた。

 もちろんこんな所まで二人でピクニックしに来た――なんてことはなくて、この村の村長から武器素材入手クエストと目されている“白竜の討伐クエスト”を受けるためだ。

 目的の金属の噂が流れてきたのは十日程前。多くのプレイヤーがパーティーを組み、物凄い数のドラゴンが倒されたものの、一向に目当ての金属を落とすことはなかった。

 そんな中、また新たな噂が。“パーティーにマスタースミスがいないとドロップしない”……というもの。確かに鍛冶師で戦闘系スキルを上げている人は少ない。あたしはマスターメイサーでもあることだし、試してみる価値は十分にあると思ったのだ。

 村に着くまでの道中、こんなに簡単でも良いのか? と思うほど順調に進み、そして改めてトッププレイヤーたる攻略組の凄さを思い知った。あたしも戦闘には参加したが殆どやることもなく、ティンクルが殆ど一人でモンスターを屠ってしまった。

 更に驚くべきことは、彼女が防具の類を一切装備していないことだ。いくらなんでも舐め過ぎだろうとあたしは思ったが、ここまで被弾はゼロ。モンスターの攻撃を掠らせもしなかった。

 でも、そんなティンクルにもあたしにも誤算があった。それが、この寒さだ。

 6月も中盤。初夏の日差しは少し暑いくらいだったというのに、この層は未だに冬将軍が闊歩していたのだ。当然……というか、完全に事前の情報収集の怠慢が祟って、あたしは防寒具の準備などしていない。

 

「ほら、これ着なよ」

 

 笑いながらそう言って、ティンクルは実体化させた白い厚手のコートをあたしに手渡してくれた。

 でも、ティンクルの服装もあたしと比べて大差ない。今の彼女は、黒のパーカーにカーキ色のカーゴパンツという、ファンタジー色の欠片もない格好だった。

 

「……あたしが着ちゃって良いの?」

 

 パーカーのポケットに手を突っ込む彼女の姿は、あたし以上に寒そうに見える。

 

「良いから良いから」

 

 本人がそう言うなら仕方ない。あたしはありがたくコートの袖に手を通した。

 温かい。

 あたしは何故だか少し照れくさくなって、茶化すことにした。

 

「ティンクルはもしかして知ってたの? この層のテーマが氷雪地帯だってこと」

 

 恨みがましそうに視線を送ると、ティンクルは俯いてしまった。

 

「知ってはいた、けど、随分前のことだから忘れてたよ。ごめんね」

「いや、そんな真剣に謝んないでよ! あたしが悪者みたいじゃない」

「……これじゃ、他人のこととやかく言えないな」

「え?」

「ううん、何でもない。備えあれば憂いなし、ってね」

 

 誤魔化すように戯けてそう言ったティンクルの表情には、今まで彼女が見せたことがないような影があって……、あたしはなんだか悲しくなった。誤魔化されたことも。あたしが彼女のことを何も知らないということも。

 

 

 

 村長の話が非常に長く、フラグ立てに物凄く時間を使ってしまったが、あたし達はその後数十分かけて山を登った。

 道中出てきたのは《フロストボーン》なる氷製の《スケルトン》の亜種モンスターだったけれど、骨系モンスターは打撃系の攻撃に弱いから、あたしのメイスが大活躍だった。

 そして、やっと山頂に辿り着いた。

 上層の底が間近に見え、そこかしこに雪を突き破って巨大なクリスタルの柱が伸びている。夕暮れの茜色が反射して、なんとも幻想的な光景だ。

 

「リズ、そろそろ《転移結晶(テレポート・クリスタル)》用意しといてね。戦闘中はリズのこと、何かあっても必ず守れるとは限らないから」

 

 冷徹な発言だけど、その分彼女の真摯さが伝わってくる。

 

「うん、解った」

 

 あたしは素直に頷いて、ウィンドウから《転移結晶》をオブジェクト化してエプロンのポケットに入れた。

 

「それじゃ、そろそろ本気装備に着替えるよ。流石にボス級相手にこれじゃ心許無いし」

「いや、最初から本気装備とやらでいなさいよ」

「あの格好で雪道歩くのはしんどそうだったからさ」

 

 苦笑してそう言ったティンクルは、ウィンドウを表示して装備フィギアを弄り始めた。一旦下着姿になるものと思っていたらどうやら違うらしく、パーカーの上からアーマーが取り付けられていく。

 

「うわぁ……!!」

 

 あたしは思わず歓声を上げた。

 アーマーを全て付け終えた彼女のその姿は、例えるならば“聖騎士”だった。

 銀白色の甲冑には青い薔薇のレリーフが施され、両肩にはサファイアらしき宝石が取り付けられている。鎧は傷一つなく光り輝き、新品同様だった。間違いなく、相当なレア物だろう。

 

「あんた、それどうしたのよ……?」

「これ? ……六十一層のボスからLA(ラストアタック)ボーナスでね」

「……あたし、まだあんたのこと過小評価してたかもしんない」

 

 驚きを通り越して呆れてしまいそうだ。

 フロアボスのLAボーナスだとすれば、間違いなくユニーク……この世界に一つしか存在しないワンオフ品だろう。

 

「でもさ……その甲冑に刀なわけ?」

 

 SAOはスキルによる装備の制限がない代わりに、装備がプレイヤーに要求する能力値に達していないと装備することができない。だから、スキルが《カタナ》だろうと防具が西洋鎧でも何の問題もないのだけれど……。

 

「ほら、昔の映画のラストサムライみたいで格好良いでしょ?」

「いやラストサムライって、確かに主人公はアメリカ? 人だったけど、鎧は普通に日本のだったでしょ」

「え?」

「え?」

「…………」

「…………」

 

 どうやらティンクルは間違って記憶していたらしい。可愛い奴め。

 あたしがニヤニヤ見詰めていると、頬を紅潮させたティンクルはやがて咳払いして言った。

 

「ほ、ほら……! かの織田信長公は、南蛮鎧を愛用してたっていうし!」

「いや、無理しなくていいわよ」

「無理なんてしてないよ!」

「ならムキにならなくても良いでしょ」

「くっ……!」

 

 それでも何か言いたげなティンクルだったけれど、諦めたのか肩を落とした。

 

「はぁ……行こっか」

「はいはい」

 

 他愛もない話を続けながらしばらく歩くと、すぐに山頂の中央に到達した。

 ざっと見回してみてもドラゴンの姿はそこにはなく、その代わりに、水晶柱に囲まれたその空間には――

 

「うわぁ……」

 

 ぽっかりと、巨大な穴が開いていた。直径は十メートルもあるだろうか。壁面は氷に覆われてつるつると輝き、垂直にどこまでも深く伸びている。闇に覆われ底はまるで見えず、下の層まで突き抜けているのではないかとさえ思う。

 

「リズ……落っこちないでよ?」

「落ちないわよ!」

 

 あたしがそう言い返した直後だった。最後の残照で藍色に染め上げられた空気を切り裂いて、猛禽を思わせる高い雄叫びが氷の山頂に響き渡った。




 お気に入り100件突破ありがとうございます!

 ヒロインはリズベットなのか?それともティンクルなのか?答えは出ません。

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