荀シン(何故か変換できない)が恋姫的世界で奮闘するようです   作:なんやかんや

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田豊のクソジジイ

袁紹に呉服職人、デザイナーとして仕えることになった友若は冀州にて数年を過ごした。

その日々は友若にとって満足の行くものだった。

 

袁紹は金に糸目をつけない。

そのため、友若は無駄に金糸と染料で絵柄のついた超高級シルクの布を湯水のように使ったり、北方の遊牧民から流れてきた毛皮でフードを作ったりと、相当好き勝手をしていた。

原価だけで10万銭、1銭100円とすると1000万円もするFURISODEとか、趣味の悪い成金が好みそうなWAFUKUを作ったこともある。

何しろ、友若の作った服を着る袁紹は見た目だけなら最高の素材なのだ。

プラモデルを完璧に作り上げる事に情熱を燃やす子供のように、友若は自身のデザインした服で袁紹を輝かせることに喜びを見出していた。

また、裕福な袁家は金払いも良い。

流通貨幣の減少が原因のデフレ状態にある絶賛大不況であるにもかかわらずだ。

同じ袁紹配下で付き合いのある洛陽の元役人がぼやいていた給料の少なさや、穀物の現物支給に対する不満を考えれば、高給取り且つ現金支給というのは天国みたいな環境だった。

 

という訳で、友若は日々袁紹を着飾るWAFUKUのデザインに頭を悩ませながらも、来るべき黄巾の乱に備えていた……そんなことはなかった。

友若は袁紹の下で働くと決めた時、それを黄巾の乱が発生するまででのものと心のうちで決め込んでいた。

そして、袁紹の配下である期間に戦乱の世を生き抜くための資金を蓄えようと考えていた。

しかし、袁紹から結構な額が給料として支払われると、友若は物欲を抑えきれなくなる。

 

「あの刀剣かっこいいなあ~。俺、剣は使えないけど。刀身と刃の間の模様がなんとも言えない味を出している……1万銭……俺の手持ちに伯求の姉貴に金を借りればなんとかなるな。どうせ黄巾の乱は大分先の話なんだ。大丈夫。黄巾の乱の十年くらい前から金を貯めて2、3年くらい前に袁本初様の下を御暇させていただければ大丈夫だろう」

 

友若は目の前の人参に釣られて、計画通りに物事を進められないタイプの典型であった。

しかも、友若は自分が使えもしないものもどんどん購入していくのだ。

芸術品は普通に資産だから大丈夫、と友若は気楽に考えている。

資金が貯まるわけが無かった。

夏休みも遊びに遊んで8月31日、いや、9月に入ってから宿題を始めるタイプである。

それでも、袁紹の金払いを考えれば十年で十分な財を稼ぎ上げることはできたはずだった。

呉服職人としての雇用形態が続くのであれば。

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

「あれ? 俺、何やってんだろう」

 

ふと我に返った友若は呟いた。

彼の目の前には無数の書簡が積み上がっている。

冀州で政務を司る官僚たちの部屋に友若はいた。

呉服職人として袁紹に雇われたはずの友若は、何故か袁紹配下の文官になっていた。

 

どうしてこうなった、と友若は思う。

友若としては、いずれ三国時代の覇者となるはずの曹操か劉備か、もしくは孫なんとか――集めた情報から判断するに恐らく孫堅だと友若は思っていたが――に敗れるだろう袁紹との関係を一定以上に深めるつもりはなかった。

袁紹の忠実な部下となることはないだろうが、親しい配下ということになれば、袁紹が敗れた際に連座させかねられない。

だからこそ、友若は戦乱の世が始まる前に金を蓄えて、予め袁紹との関係を切っておくつもりだった。

……その割に金は全く溜まっておらず、むしろ借金ができていたが。

少なからぬ収入があるにもかかわらずこのザマであった。

ともかく、友若は袁紹のお抱えデザイナーとなったとしても、彼女の配下となるつもりは全くなかった。

 

では、どうして友若が袁紹の配下なんかをやっているのか。

その理由は話すと長くなるのだが、端的に表すと自業自得となる。

一応、周囲の状況が急変したことが直接の原因で、友若は袁紹の配下となった。

だが、それは友若がしっかりとしていれば回避できたはずのものであった。

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

袁紹、字を本初、真名を麗羽。彼女はプライドが高く、高飛車で頭の足りない女性として知られている。

そして、自らのプライドを傷つける相手に対しては執念深く容赦をしない。とある外史で董卓に対するデマを流し、連合討伐軍を組織した事は、その一例である。

一方で、彼女は自分のプライドさえ満足する状況ならば、極めて面倒見の良い女性でもあった。

要は自分が一番でないと我慢できないが、逆にその条件さえ満たされれば他の物事には執着しないのだ。

 

例えば、以下は袁紹が洛陽にて失業中の張バク孟卓に出くわした際の会話である。

 

「! 本初様、こんな所でお会いするとは……相変わらずお美しいですね」

「オーホッホッホ! そういう孟卓さんは随分と疲れているように見えますわ。いけませんわ、いけませんわ! この漢の忠臣ともあろう貴方がそんな有様では!」

「いやはや、私はもう漢の臣下なんかじゃあないよ。顔色が悪いのはまあ、ちょっとね。実は少し前に官職を去ったんだけど、残念なことに中々次の仕事が見つからなくてね……ちょっと節約しているんだよ」

「まあ!? それならそうと言ってくださいまし。ちょうどいいですわ。私もお昼にしようと思っていたところですの。しばらく行くと私の行きつけの料亭がありますの。是非孟卓さんもご一緒してくださいまし」

「……いや、遠慮するよ。私は官職を追われた身だし、私と一緒にいれば君にも迷惑がかかる」

「何をごちゃごちゃ言っていますの!? 私は袁本初! 私がお友達の孟卓さんと一緒にいようと誰にも文句は言わせませんわ!」

「……君ってやつは。分かった。では一緒に行こう。久しぶりにお腹いっぱい食べられそうだ」

「全く、この国にさんざん貢献した貴方がこの有様とは! 高祖や光武帝がこの様子を見たらなんとおっしゃることかしら!」

「いや、本初。みだりに今の帝の批判につながりかねない事を言うのは……」

「いーえ、言いますわ。私は袁本初。何者であっても恐れはしませんわ! それよりも、孟卓さん。もし、お仕事が見つからないのなら私の所に来なさいな。帝が孟卓さんのこれまでの功績に報いないというのなら、この袁本初が! 孟卓さんの功績に報いるのですわ! オーホッホッホ!」

 

袁紹は若干、というか、かなり人の話を聞かないところがある。

更に、根拠のない自身に満ち溢れているという所謂KY系女子であり、真面目一辺倒なタイプの人間とは相性がとことん悪かった。誰とは言わないがどこかの凡人ハムなどがその代表例であろう。

一方で、袁紹の扱いを心得て対応出来るだけの能力――要は彼女を持ち上げてそれに満足しておけば良いのだが――の持ち主であればそれなりに円満な関係を築けるのだ。

そして、袁紹は金を持っている。

お目付け役として長年仕えてきた田豊などは苦々しく思っていたが、袁紹の周囲には彼女の財を当てにした人間達が集まっていた。

遊侠の面倒を見るだけの心の広い人間であるという評判は対外的に役立つため、田豊はその状況を黙認していたのだが。

 

それに、袁紹の周囲に集まった人間達の中にはそこそこ名声があったり、能力があるものもいた。

帝、霊帝がうっかり大粛清の命令書に判子を押した結果として、半壊に追いやられた清流派。

その煽りを受けて失業した張バク孟卓など清流派の名士達が袁紹の下に集ったのだ。

これにより、袁紹は霊帝とそれを裏で操る宦官ら現政権との関係を悪化させる。

だが、田豊はそれを問題にならないと判断した。異民族討伐の大失敗などで失政を重ねる霊帝はそう長くはないというのが田豊を始めとした当時の知識人達の判断であった。

霊帝崩御の後に反動的機運が高まる可能性が高い事を考えれば、霊帝とはむしろ距離をおいておいたほうが良いと考えられるのだ。

そもそも、袁紹の家柄と権勢を考えれば、霊帝が幾ら彼女のことを苦々しく思った所で余程の理由がない限り、袁紹の討伐命令など出せないのだから、多少帝に楯突くことになったとしても問題はない。

それを考えれば、当初の状況は田豊にも許容出来るものだった。

 

だが、しばらくして田豊の忍耐は限界に達した。

袁紹の下に集った大部分の人間がニート化して態度ばかりが大きくなったからである。

洛陽で失業して袁紹の下に集った元官吏などの清流派達は当初借りてきた猫のように大人しくしていた。

洛陽では宦官の意向を反映した憲兵達から睨まれ、ろくに仕事もなく飢えていたところを袁紹によって拾われたのである。

袁紹の事を裏でバカ女だとか、虚栄心の塊だとか、あんなの清流じゃねえ濁流だとか散々言っていたにも関わらず袁紹によって救われたのである。

袁紹の下に集った連中としては何も言えない状況だった。

 

とりあえず、人心地ついた後、今まで裏で散々なことを言って済まなかったとか、そんな感じで清流派たちは袁紹の事を褒め称えることにした。

袁紹としては悪い気はしない。

裏で自分がさんざんボロクソに言われていたなど思いもしない袁紹は彼らが本気で自分の事を褒め称えているのだと信じこみ、増長した。

袁紹の望むことを言う清流派達は彼女の意向によって相当の好待遇を受ける。

 

元清流派達は調子に乗った。

袁紹を褒め称えているだけで多額の金が手に入るのである。

逆に言えば、それくらいしかすることがない。

 

洛陽での学業を終えて冀州へ向かった袁紹であるが、彼女の下で冀州を運営する人員は既に足りているのだ。

田豊としても、当初はせっかく現状で上手くいっている統治機構に無理に人員を加えるつもりはなかった。

下手に名声のある元清流派達を登用すれば、現状の家臣から袁紹への不満が出るだろうからであった。

 

金はあってやることがない元清流派達。

小人閑居して不善を為すという言葉の通り、当初は大人しかった元清流派達は昼間から酒を飲み宴をして、遊びふけるようになった。

高等遊民、今風に言えばニートである。

もっとも、これだけなら問題はなかった。

田豊としては元清流派達に仕事を与えない選択をした時点で、この程度は織り込み済みであった。

 

問題であったのは、元清流派達が自らの主として袁紹を誘い、彼女もそれに満更ではなかったことである。

公務をサボり、日中からおべんちゃらを言う取り巻きと饗宴に耽る袁紹。

何というかダメ君主や暗君の典型であった。

元々、頭がよろしいとはいえない袁紹であるが、以前は少なくともこの状況よりはましだった。

田豊は日々袁紹に小言を言ったが、彼女は態度を改めなかった。

 

そして、とうとう田豊は我慢の限界に達した。

ぶちきれた。

持っていた書簡を握りつぶすと、田豊は取り巻きに囲まれて酒盛りをしている袁紹の下へ赴いた。

剣呑な田豊に袁紹達はたじろいだ。

つまり、ビビっていた。

袁紹達も昼間から宴会を開くという行動に問題があることは自覚していたのだ。

田豊に正論で持って攻められれば反論のしようがない。

 

「昼間からこの様に酒盛りに耽り遊んでばかりでは麗羽様の評判を貶めます。もう、そのようなことをなさってはいけません。そもそも、麗羽様はこのような乞食どもと一緒にいてはいけません。士というものは家畜と戯れることはありません。麗羽様は付き合うべき相手を選ばなくてはなりません」

 

案の定、田豊の口から放たれたのは理路整然とした正論であった。

 

「な、ななな、なに言うてんねん、このクソジジイ! うちらは清流派の第一人者たる麗羽様の親衛隊や! それにうちらは遊んでるわけやない。陛下を誑かしてこの国を思うままにしとる宦官共をやっつけるための計画を練っとんねん!」

 

審配が顔を赤くして答えた。

その顔を冷たい視線で見つめた田豊。

 

「……ほう、なるほど。ならば、その計画とやらを聞かせてもらおうか、審正南殿。一ヶ月も散々計画を練っていたと言うのなら、具体的ではなくてもある程度の概要くらいはあるのだろう」

「うっ!? そ、それは、その、つまり、つまりやなあ……」

 

田豊はろくに反論もできない袁紹の取り巻き達を汚物を見るような目で見下すと、袁紹へと視線を移した。

真名をこのような者に教えたのですか、と冷たくつぶやく田豊。

袁紹は視線を左右に彷徨わせながら焦ったような声で、私のお友達ですわよ、と答えた。

田豊は呆れた様子を見せた。

 

「本初様の周りにいるこの者達は口でこそ麗羽様を讃えておりますが、それは本初様が彼らに金を渡しているからです。畜生共は彼らと同じ様に餌を与えてくれる人間の好意を引こうとしまが、つまり、この者達は畜生共と変わりありません。しかし、畜生共は人間が餌を与えなくなれば、たちまち人の手に噛み付くものです。麗羽様の周囲に集まった連中は畜生と同じであり、麗羽様が苦楽を共にすべき相手ではありません。この者達は本初様が窮地に陥ったとしてもそれを助けようとはせず、むしろ石を投げ打つでしょう。何れにしても、麗羽様。自分の聞きたい言葉しか言わない者達を信じてはなりません。古の偉大な王は自らの悪口を言った者に褒美を与えました。その王は悪口により自らの不足を知り、より偉大になることができたのです。麗羽様、願わくば甘言を弄すものに心を許してはなりません。過去、多くの国が滅んだ理由は外敵の脅威が原因ではなく、王が佞臣を重用し、快い言葉ばかりを聞いて、諌言を退け、国家の災難に何ら手を打たなかったからです」

「なっ!? うちらが信用出来ないって言うんかい!?」

「そうですわ! 元皓さん、その言い方は怜香さん達に失礼ですわよ! 怜香さん達は私の親衛隊なのですから!」

 

田豊に対して袁紹は胸を張った。

根拠はまるでないが自信に満ち溢れている。

取り巻き達は袁紹に同調して田豊を叩こうとして、彼の顔を見るとすぐにその選択肢を放棄した。

ものすごい顔だった。人間とはここまで怒れるのかと関心すら覚える形相であった。

たまたま袁紹の集団に同席していた友若は夢に見そうだと思った。

そして、袁紹の集団になんとなく加わったことを猛烈に後悔した。

くそ、タダ飯に釣られなきゃよかった、と友若は心のなかで呟いた。

袁紹からそこそこの給料を得ている友若は金に困ることなど無かったはずであるが、浪費癖のために借金を抱えていた。

金を稼ぐために袁紹に仕えたはずなのに、残念極まりない有り様であった。

 

「ほら、元皓さん、黙っていないで怜香さん達に謝ってくださいまし。私としても元皓さんには……」

 

空気を読めずに、謝罪を求めるという蛮行に及んだ袁紹もようやく田豊の様子に気がついた。

世にも言えない恐ろしい表情を前に、傲岸不遜の袁紹もさすがに何も言えなかった。

 

「なるほど、本初様、本初様のご友人に無礼な物言いをしたことを許してください。皆様も申し訳ございませんでした」

「え、えっと、そうですわね。謝れば万事解決ですわ。ほ、ほら、私のことは麗羽とお呼びになってくださいまし。本初様だなんて他人行儀な……」

 

袁紹の言葉は尻すぼみに小さくなった。いつもの自信満々な様子が嘘のようである。

助けを求めるかのように袁紹は周囲の取り巻き達に顔を向けたが、彼らは袁紹から目を逸らすばかりであった。

袁紹の親衛隊はどうやら火中の爆弾を拾うつもりはないらしかった。

図らずも、取り巻き達が袁紹の窮地にあって救いの手を差し伸べないという田豊の言い分が正しかったことが証明された瞬間である。

因みに、顔良と文醜は近づいてくる田豊を発見した時点で申し合わせたように二人一緒に厠へと向かっていた。付き合いが長いだけあって、怒れる田豊の対処方法を確立しているらしい。

どちらにしても袁紹の味方はいなかった。

田豊は必死に弁明する袁紹からその取り巻き達へと視線を移すと、静かに、恐ろしいほど静かに喋り始めた。

 

「私としては本初様の親衛隊である皆様に、是非とも実際に本初様のために尽くして貰いたいのです。本初様は冀州州牧。この広大な地を治めるためには皆様の力が必要です。皆様は本初様に多大な恩を受けているでしょう。そして、犬ですら恩人には恩を返すと言います。恩を返すということは五徳の一つ。信として重要視されています。しかし、私の不手際故に今まで、皆様に恩を返す機会を提供することがありませんでした。もちろん、皆様としては本初様から恩を受けるばかりで恩を返せないことに悔しさや、憂い、悲しみを感じていた事でしょう。ならばこそ、本初様の配下として州牧を支えるという事は皆様の喜びに違いないとこの愚老は思いますがいかがでしょうか」

 

袁紹の自称親衛隊たちは何も言わずにわずかに頷いたりといった動作で消極的な賛意を示した。

とても反論できる雰囲気ではなかった。

 

「それでは、皆様には書類整理や租税の徴収の確認といった仕事をお任せしたいのです。とても簡単なものですが、本初様への恩を返す一歩として頑張っていただきたい。幸いにして、幾つかの部門で人員に空きが出来ましたので、皆様にもちゃんと仕事があります」

 

田豊の言葉に袁紹の自称親衛隊たちは慌てた様子を見せた。

 

「ま、まってください。我らは司隷において警邏を担当したり、行政を担当した身です。今更そのような新人のやるような事を任されても……ても……」

 

田豊の笑顔を見た許攸はたちどころに沈黙した。

 

「ほう、なるほど、経験豊かな皆様にしてみれば、私の用意できたこの程度の仕事に不満を覚えるのも分かります。ですが――」

 

田豊の口が開いて三日月を描いた。

友若は引きつった顔に涙を浮かべた。

笑顔というのは本来攻撃的な、というフレーズが友若の脳裏を過る。

 

「ですが、本当に本初様に恩を感じているというのならどんなことであろうとできるはずなのです。そう、それが例え路端の泥を掬う様な奴隷の仕事であろうとも……そう、例え灼熱の鉄板の上であろうとも」

 

ぶちきれた田豊にそれ以上文句を言える人間はいなかった。文句を言えば本当に焼き土下座をさせられそうだと友若は遠い目をしながら思った。

 

ちなみに、袁紹は彼女の親衛隊達が顔を暗くして去っていった後、数時間にわたって田豊の小言に付き合わされることになる。流石の袁紹もぐったりとした様子を見せていた。

袁紹はその日の夕方、田豊を前に逃げ出した彼女の親衛隊や腹心に恨めしそうな目を向けた。

 

「……私を置いて立ち去るとはどういうことですの?」

 

だが、次の日には袁紹はいつもの様子に戻っていた。

喉元をすぎれば熱さを忘れるというとはこういうことか、と友若は思った。

ここらへんの切り替えの良さはある意味袁紹の強みといえるかもしれない。

それでも、流石に袁紹も懲りたのか、昼間から宴会を開くようなことはなくなったのだが。

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

さて、袁紹の下でニートをしていた連中は袁家の下っ端として働くことになった。

なったのだが、この連中は何かと理由をつけて仕事をサボろうとした。

袁紹を称えるだけの簡単なお仕事で結構な収入が入っていた時から一変して、面倒くさい雑用を押し付けられる上に給料が安いという状況になったのである。

かつて洛陽でエリートコースに乗りブイブイ言わせていた事と比べれば、どうしても自らが落ちぶれたことを意識させられる。

士気が上がらないのも無理はなかった。

人間、一度楽を覚えると、なかなかそこから復帰できないのである。

だが、さすがに田豊に面と向かって文句を言える人間はおらず、仕方なしに元袁紹親衛隊の面々は下っ端仕事に励むことになる。

流石に、洛陽で官吏をしていた面々は優秀で、瞬く間にそれなりの仕事を任せられるまでになったことで、状況は改善を見せるのだが。

元から袁家に仕えていた者達にとって見れば面白く無い話ではあったが、田豊のキレ具合を知っていた彼らは不満を表に出すことなく飲み込んだ。

 

とは言え、ずる賢い人間はいるものである。

田豊に論破されたことを逆恨みしたとある似非関西語を操る審配という女性はちょっとした路地商売を始めた。

そして、その商売が忙しいという理由で審配は田豊から渡された下っ端仕事を拒否した。

審配の言い分は、清流派と深い関わりを持つ友若が服商売をしていて雑用を免除されているのだから、路地商売が忙しい自分もまた雑事を免除されるべきというものだった。

田豊としてはこの言い分を認めるわけにはいかなかった。

審配の屁理屈がまかり通るのならば、他のニート志願者共がそれを真似しだす危険があったからだ。

 

かと言って、友若を特別扱いする事も田豊には躊躇われた。

友若は清流派として周囲から一目置かれていたからだ。

清流派の中で友若だけ雑事を免除することは他者の不満を招くと思われた。

 

ちなみに、何故、私塾を中退した落伍者友若が一目置かれるかというと、彼の妹こと荀彧が清流派の顔役となっていたからである。

友若が逃げ出してからも洛陽にとどまり続けた荀彧はその凄まじい才能を発揮して、事実上洛陽における清流派指導者の一人となっていた。

血のつながりが重視される時代である。

妹が清流派のトップである以上、友若もまた清流派であると見なされるもの無理はなかった。

そして、妹の高い評判によって周囲の友若に対する見方には色眼鏡がかかる。例えば、友若は勉学ができないわけではなく、宦官が思うままに権力を振るう世の中を憂いて、自らの能力を低く見せているのだとか、友若の本当の能力は妹である荀彧を超えているとか、そんな噂が流れたりした。

その過大な噂を友若は否定しなかった。

友若のことを評価する噂に友若は気を良くした。

特に、妹を超えるという噂に、友若はその自尊心を大いに満足させた。

もっとも、流石の友若といえどもその噂を積極的に肯定することはなかった。

周囲の人間は友若が妹を超えるかどうかは別としても、只の落伍者ではなく能力を隠した人間だと思い込んでいた。

 

因みに、洛陽での荀彧の様子を許攸からこの話を聞いた友若はあのバケモノめ、と本人に聞かれたら明日の朝日を拝めそうにないような事を呟いた。

 

ともかく、そんな背景があったため、田豊は友若にも雑務を任せることにした。

実力がどの程度かは分からないにせよ、皇帝に仕えようとしなかったあの荀彧の兄である友若が袁紹のもとでその才を振るう、という事は袁紹を着飾る話の一つくらいにはなるだろうという気持ちで。

 

何度も繰り返すが、友若に袁紹に仕えるつもりなど毛頭なかった。

なので、本来であれば袁紹の配下とならなければいけなくなった段階で、友若は袁紹の下を去っていただろう。

だが、友若は去るわけにはいかなかった。

その理由は単純で金がなかったのである。むしろ、借金があった。

浪費が原因である。完全に自業自得だった。

他人に辛く自分に甘い友若は審配が悪いと決めつけたが。

 

い、いや、まだ慌てるような時間じゃあない。

大枚を叩いて買った刀剣とかツボとか色々あるじゃないか、と考えた友若は断腸の思いで自分がコレクトした骨董品類を骨董商へ持っていった。

手放してしまうのは残念でしょうがないが、背に腹は変えられない、と友若は思った。戦乱の炎に焼かれることなく、美術館あたりで何時までも輝いていて欲しいなと思いながら。

なに、骨董品は値下がりしない、数万銭も使ったんだから、そんな事を考えながら骨董商が買取価格を提示するのを待っていた友若に対して、骨董商は冷たく言い放った。

 

「偽物だね、これ」

「…………ぇ?」

 

かくして、彼の数百万銭はがらくたに化けたわけである。

 

「やばいやばい、このまま袁紹に仕えるとかやばすぎる」

 

友若は頭を抱えた。

だが、他に選択肢はなかった。

不景気な世の中である。そこそこの給料が貰える職を得るために子女は勉学に励んでいるのである。学業を途中で投げ出した落伍者がコネもなしに就くことの出来るまともな職などあるわけがなかった。

そして、実家に帰ることもできない。

学資を使い込んだ挙句に勉強を投げ出して洛陽から逃げ出した友若である。実家に帰ればそれはそれは凄まじいお仕置きが友若を待っているだろう。

トラウマである妹に会う可能性すらもあるのである。

友若は絶対に実家には帰りたくなかった。

絶対に。

 

「……だ、大丈夫だって。曹操だか劉備だか孫堅だか知らないが、誰が袁紹を倒したとしても、ただの下っ端まで一網打尽にするようなことはないさ。うん、多分……」

 

若干の震え声で自分に言い聞かせるように友若は呟いた。

 


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