荀シン(何故か変換できない)が恋姫的世界で奮闘するようです 作:なんやかんや
注意!
それと、今回色々ひどいです。
今に乗った伝令が袁紹軍を駆け巡り、本陣に掲げられた旗が次々と入れ替わり、ドラが激しく打ち鳴らされた。
袁紹軍の兵士達は鬨の声を上げて一斉に前進を始めた。
「なっ、なんだと!?」
官軍の将兵は驚きの声を上げた。
何しろ、袁紹軍の最前面に配置されているのは弩兵である。
絶え間なく矢を打ち続ける袁紹軍に対して、官軍は一方的に被害を出しながらも何とか距離を詰めようと四苦八苦していた。
その袁紹軍が配置を変えることもせずにそのまま前進を始めたのである。
これでまともに戦えると喜ぶ者。
馬鹿にしやがってと思う者。
袁紹は狂ったのかと思う者。
なにか奇策があるのではと思う者。
官軍の将兵の感想は様々であったが、その誰もが完全に虚を突かれたのは確かであった。
「夢を見ているのか」
歴戦の将軍である皇甫嵩ですら最初何が起こったのかを理解できなかった。
袁紹側の弩兵に距離を詰めることもできず、崩壊しつつあった官軍精鋭。
戦況の変化に日和見を決め込んだ袁術を始めとする豪族たち。
諸々を考慮した結果、断腸の思いで撤退すら考慮し始めていた皇甫嵩である。
袁紹軍が自らの優位を投げ捨てるような暴挙に出たことに呆然とした。
とは言え、皇甫嵩は歴戦の名将。
予想外の事態など戦場では珍しくない。
また、皇甫嵩は袁紹軍の攻勢を侮るわけにもいかないと判断した。
仮に、中央を突破されれば、河を背に追い詰められるのは官軍となる。
だが、袁紹軍を抑えることが出来れば、それは官軍側にとって絶好の機会となる。
「迎撃態勢を採れ。槍兵を全面に出すのだ! 及び腰の豪族たちも動かせ! 袁紹軍の攻勢を食い止めれば勝利だ!」
皇甫嵩は命令を下した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ちいっ! 袁紹め、逃げ出しおったか!」
袁紹軍右翼の前衛を切り崩した孫堅が弩兵を切り捨てながら舌打ちをする。
冴え渡る孫堅の勘は真実を大体言い当てていた。
「なにアホな事を言っとるんじゃ! 袁紹め、儂らの陽動を無視して、中央突破を図るとは!」
黄蓋が馬鹿なことを、と孫堅のぼやきを切り捨てる。
「それよりも消耗が想定より多い! ただの弩兵と思ったが、連中接近戦にもできているぞ! 勢いに乗っている今は損害が少ないが、このまま戦い続ければ兵達の疲労が限界を迎える! 儂は一旦撤退を勧めるぞ!」
黄蓋は矢を放ちながら叫ぶ。
袁紹軍右翼は混乱から立ち直りつつあった。
直接刃を交えている弩兵部隊は孫堅や孫策の天才的な攪乱戦法によって十分な連携ができていないが、後方部隊に配置されている槍兵部隊は突撃陣形を整えて、行進を始めていた。
孫堅軍は袁紹軍弩兵と入り乱れているため、相手を選べない密集攻撃を受けることはないだろう。
だが、危険な状況であることは変わりなかった。
「いや、我々はこのまま袁紹軍本陣を攻めるぞ!」
「なっ!? なにをバカなことを言っておるんじゃ! たった1万で5万を超える本陣を攻めるなど自殺行為以外の何物でもないわ! 連中は官軍本陣へと進撃を開始しておる。態々火中に突っ込む必要などないはずじゃ」
孫堅の想定外の決断に黄蓋が噛み付く。
「だからこそだ! 連中は強引に攻勢をかけたことで陣形を崩している。これは袁紹の首をとる絶好の好機だ! 雪蓮! 道を切り拓け!」
「お母様! 考えなおしたほうがいいんじゃないのかしら。嫌な予感がするの!」
「……お前の勘はよく当たるからな」
孫策の反対に孫堅は瞠目した。
しかし、孫堅は言う。
「だが、ここは危険を犯してでも進むぞ!」
南海覇王を高く掲げた孫堅は配下の全軍向けて大声を上げた。
「同胞たちよ! 奮え! 袁紹は愚かにもこの江東の虎、孫文台に脇腹を晒している! 我らはこれより袁紹本陣へと攻め入る! 狙いは袁紹の首唯一つ! 成功すれば、孫呉復活も夢ではない! 同胞たちよ! その真価を天下に示すのだ!」
英雄の声に鬨の声を上げて答える兵士達。
孫策が袁紹本陣へと向けた道を切り開いた。
「続け!」
「ええい! こうなったら何としてでも成功させるぞ!」
連戦の後であるにもかかわらず、名将に率いられた孫呉の兵達は疲れを知らぬかのように駆け出した。
その進撃の先頭に立ったのが孫堅と孫策であった。
馬を並べて駆ける武の天才2人を前に袁紹の弩兵や槍兵達はたちまち切り崩されていった。
孫堅軍は袁紹軍右翼の陣形を抜けて無人の地帯へと駆け出す。
狙いは前進を開始した袁紹軍本陣。
孫堅は背後を振り返り、彼女の兵士達の無事を確認する。
弩兵を相手とした接近戦闘にも関わらず、孫堅軍は1割程度の損害を受けていた。
生き残った兵士達も疲労のためか、当初の機敏な動きが失われつつあった。
一旦速度を落として一旦兵士達の息が整うのを待つべきか、と孫堅は一瞬悩み、すぐに破棄した。
時間をかければ袁紹側が迎撃態勢を整える。
なにを焦ったのか、陣形を無視した攻撃を仕掛けようとした今を逃す訳にはいかない。
そう思い、前方を見やった孫堅の目に1人の武将の姿が映った。
その瞬間、孫堅は自分が総毛立っている事を自覚した。
弓を引いているその背後には呂の旗が掲げられている。
「雪蓮、避けろ!」
とっさに孫堅は隣を並走していた孫策を突き飛ばした。
手加減一つなく突き飛ばされた孫策は悲鳴を上げる間もなく落馬する。
それが孫堅の見た最期の光景であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
時は少し遡る。
袁紹軍に全軍前進の命令が下った時、陳宮は袁紹の元へと馬を進めていた。
呂布や張遼率いる并州の騎兵たち及び劉備率いる兵士達は袁紹軍中央の後詰めとして配置されていた。
この様な配置になったのは端的に言えば友若に対する嫌がらせである。
更に、友若がその嫌がらせをあっさり認めたためであった。
友若は冀州に味方した群雄諸侯の中でも明らかに劉備、そして関羽の推薦があってからは呂布達を特別扱いしていた。
寄らば大樹、三国志の覇者に擦り寄るのは弱者として当然の行為だと友若は思っている。
しかし、友若の同僚達は転生チート知識の基づくとっぴな考えなど理解できるわけがない。
この時点で劉備の戦功は小規模な異民族を倍以上の兵力で撃退したという程度である。
辺境の軍人として比較すれば然程のものでもはない。
異民族との交易を推し進めることで幽州の安定を達成したといった功績は殆ど評価されていなかった。
この時代、漢帝国は国是として異民族を対等な相手と認めていなかったため、異民族と講和することは評価されにくかったのである。
何れにしても、劉備以上の戦功を上げた軍人は他に幾らでもいた。
友若が周囲に劉備を特別扱いする理由を説明できないことも良くなかった。
同僚達は友若が劉備の色香に惑わされたと考えた。
友若が劉備に対して行った口説き文句と捉えることが可能な言動は彼らの判断を後押しした。
何としてでも未来の覇王の機嫌をとって置かなければ、と考えたが故の行動だったのだが。
ともかく、友若の事を嫌う豪族勢力及び名士勢力、友若が劉備になびくことを恐れた田豊勢力、個人的理由から劉備を敵視する審配らが劉備に戦功を上げさせないように後方へと追いやった。
友若もそれほど強く反対しなかった。
劉備が本陣の近くにいれば、万一――と言っても友若は十分ありうることだと恐れていたが――曹操や孫堅が迫ってきても対抗できる、と考えたからだ。
曹操と孫堅がそれぞれどこに配置されるかわからない以上、柔軟に対応できる中央付近に劉備を配置しておくべきと友若は考えていた。
その配置はどう考えてもただの遊兵になるだけですと友若に突っ込むものはいなかった。
呂布と張遼は劉備の後方配置のとばっちりである。
関羽が両将軍を評価したことで、友若は彼女達も特別扱いをしていた。
さらに、呂布と張遼が実力の関係上、訓練の相手として劉備配下の関羽や張飛、趙雲ばかりを選んでいた。
そのため、袁紹の配下達は呂布や張遼を劉備と同じ勢力のように考えていた。
一応、呂布と張遼は異民族討伐で多大な功績を上げており、天下無双とすら謳われていた。
だが、審配らが呂布と張遼を前方に配置しない様積極的に進言した事や、豪族や名士達の友若憎しという感情、付き合いの少ない董卓への不信感等が相まって、呂布と張遼を本陣の後ろに配置する事になった。
友若は関羽も認める武人が本陣近くにいればより安全だよね、と思っていた。
豚に真珠とはこの事である。
三国志ファンが激怒したとしてもおかしくない。
当然、この決定に張遼や陳宮は強く反対した。
「うちらが率いているのは騎兵や! こんな場所じゃあうちらの戦い方ができへんやろが! なに考えとるんや、あんたらは!」
「そうです! 天下無双の武人である恋殿をこんな場所に配置するとは何を考えているのですか!? 騎兵というものは十分な速度を持ってこそ無敵の力を発揮するのですぞ!」
だが、天下無双を遊兵にしてどうするんだ、と言う彼女たちの言葉に友若は答えた。
「もう決まったことだから」
呂布や張遼の武を考慮に入れないとしても、騎兵を動きの取れない本陣後ろに配置することは馬鹿げている。
だが、友若は一度決められた決定を覆すための手間を惜しんだ。
そもそも、友若は官軍に勝とうと思っていない。
自分と袁紹達の命を護るためにはこの布陣が良い、とすら友若は考えていた。
「何を言っているのですか! お前は袁紹の軍師なのでしょうが!? 天下無双の呂布を戦わせることすらしないこの滅茶苦茶を容認するというのですか!」
当然ながら陳宮は猛り狂った。
だが、どうしようもなかった。
「~っ!! 思い出すと腹が立つのです!」
それ以来、友若の朴然とした返答を思い出す度にイライラしてしょうがない陳宮。
行き先を思うと少し気が滅入った。
それでも、陳宮は并州の代表として、呂布の軍師として職務を放棄するつもりはなかった。
袁紹の援軍として冀州へ向かうに当たり、陳宮は賈駆から命令を受けた。
「いい? 今後のことを考えればボク達はこの戦いで存在感を示さなければならないわ。袁紹が勝った場合はそこで存在感を示して置かなければ埋もれかねないわ。そして、万一朝廷が勝った場合、ボク達は犠牲を覚悟しなければ倒せない相手であると認められなければ返す刀で切り捨てられない……まあ、幽州が味方に付いた以上、そう負け越すことはないでしょうけれど」
呂布とともに冀州へ向かおうと準備をしていた陳宮を自室に呼んだ賈駆が言う。
「本来だったら勝利に万全を期すために万を超す援軍を送るつもりだったのだけど。昔なら余程の事態でもない限りそんなことできなかったけど、異民族が大人しくなった今なら余剰戦力はあるしね」
「その通りなのです」
賈駆の言葉に陳宮は同意した。
いくら呂布が強いといっても万軍を制圧するには数がいる。
并州の騎馬隊は官軍と戦う際に力になるはずだった。
そして、騎馬隊を送るだけの余裕が并州にはあった。
かつて并州は異民族の略奪が横行していた。
農業などまともに出来るわけがない。
兵士くらいしかまともな仕事がなかった。
兵士戦わなければ生き抜くだけの稼ぎを得ることさえできない。
異民族とて貧しかった。
彼らは奪わなければ飢えて死ぬ。
だからこそ犠牲を省みず并州を襲った。
并州において漢民族と異民族は血みどろの争いを繰り広げていた。
だが、冀州から資金が流入するようになったことで状況は変化した。
その頃たまたま毛皮に凝っていた袁紹の買い占めもあり、并州に莫大な貨幣が流れ込んだ。
漢民族も異民族も戦うことなく生きていく道が開けたのである。
そして、長きに渡る戦いに嫌気が差していた両者は平和を選択した。
戦争によって利益を得ていた官吏達は賈駆の示した商売の利に惹かれかつての権益を手放した。
并州はかつてと比べて信じられないほど平和になった。
そのため、并州は多くの兵を派兵できるのである。
しかし、それは不可となった。
「ただ、あのアホがそれを認めない以上、最善の策は採れないわ……」
董卓の大規模な援軍を友若は断固として拒んだ。
袁紹の兵のみで官軍に勝てると友若は思っているのだろう、と賈駆は判断した。
「あのアホには言いたいことが幾らでもあるけど、それをしていたらいくら時間があっても足りないわね……ともかく、次善の策として呂布張遼に精鋭2千を付けて送る。2人がいれば袁紹にとって大きな力になるわ。袁紹としても武名を馳せた呂布と張遼が一時的とはいえ配下になることに満足するでしょうしね」
「当然です」
賈駆の言葉に陳宮は強く同意した。
呂布……と張遼は単騎で千どころか万の兵に匹敵すると陳宮は信じた。
当然、呂布と張遼の武勇を耳にしているだろう袁紹も十分な待遇で持って迎えられるであろうと陳宮は思っていた。
「だから、絶対に戦功を上げなさい」
「もちろんです」
賈駆に自信満々で答えた陳宮。
古来より、援軍や傭兵というものは最も苦しい場所に配置されることが多い。
軍を率いるものにしてみれば自らの手勢の消耗は可能な限り抑えたいものだからだ。
武名名高い呂布と張遼であれば最前列での戦いを強いられることもあるだろうと陳宮は思っていた。
そして、そうなったとしても問題ないと賈駆も陳宮も考えていた。
かつて并州で体験した地獄のような戦場に比べれば大したものではないと。
だが、まさか本陣の後ろというどうしようもない場所に配置されることになるとは想像もしていなかった。
「恋殿を後詰めとか絶対おかしいのです! 袁紹と荀シン、あいつら頭がおかしいのではないですか?」
袁紹と友若の正気を疑い、頭痛すら覚える陳宮。
冀州を発展させ、辺境を平和へと導いたのは袁紹と友若の才覚によるものが大きい、と陳宮は判断している。
だが、これまでの言動を見る限り、両者が軍事に対して造詣が深いとは思えない陳宮だった。
「まあ、いいのです。あの様子ならば、戦場において恋殿の武が必要になるのは間違いないのですから」
陳宮はお花畑思考回路の袁紹軍が苦戦を強いられるに違いないと判断した。
軍事訓練を視察した陳宮は袁紹の私兵3万が精鋭である事を知っている。
だが、それを率いる人物がいまいちぱっとしない文醜である以上、そう簡単に勝利を得ることはできない、と陳宮は思っていた。
だが、袁紹軍は予想をはるかに超えて優位に立っている。
圧倒的な数の弩と矢を揃えることで、一方的に損害を出しているのは官軍であった。
并州での友若の言動も合わせれば、陳宮は袁紹に嘲笑われている錯覚さえ覚えた。
呂布や張遼の武威等大したものではない、と言われている気がしたのだ。
そんなことはない、呂布の武は天下無双であると陳宮は心の中で叫ぶ。
「とは言え、このままではいくら恋殿でも戦功を上げることなど不可能なのです」
だからこそ、陳宮は袁紹に直訴しに馬を進める。
友軍の不幸を幸いと言うのは不謹慎に過ぎるが、孫堅が袁紹軍右翼を荒らして回っていた。
これを討ち取れば、袁紹軍では手も足も出なかった相手を呂布と張遼が蹴散らしたということで大きな名声を得ることが出来るだろう。
――圧倒的な武を前に弩をいくら射っても無駄なのです。恋殿ならば右翼だけでなく中央まで粉砕してのけますぞ。
心の中で、呂布であればそのまま袁紹軍を粉砕してみせる、と呟いて、先程傷つけられた自尊心の回復を図る陳宮。
そんな陳宮に袁紹本陣を守っている兵士が声をかけた。
本陣の天幕からは人間の出す慌ただしい動きの音が聞こえる。
孫堅軍に対する対策を決めるべく動き出した可能性もある。
出遅れた可能性を陳宮は恐れた。
「そこで止まれ! 貴様は何者だ!」
「并州義勇軍呂奉先飛将軍が軍師陳広台。袁冀州州牧に申し上げたき事があり、推参したのです」
「そこで待っていろ」
見張りの兵士は陳宮に待機を命じると天幕の中に入っていった。
時間を置くことなく、天幕から大人数が進み出てきた。
袁紹もその集団に含まれている。
「袁州牧殿!」
陳宮が声をかける。
袁紹が振り向いた。
「なんですの? 私はこれから全軍前進の号を発する準備で忙しいのですわ」
袁紹がこのタイミングで全軍を動かそうとしている事に陳宮は内心で驚いた。
右翼を除けば官軍を圧倒している状況を袁紹の側から変化させるとは思いもしなかったからだ。
しかし、後方に配置されていた陳宮と異なり袁紹はより多くの情報を握っている。
陳宮達の知り得ない情報を元に袁紹は攻勢をかけることを判断したのだろうと判断した。
どの道、陳宮の目的は一つである。
「右翼で暴れている孫堅撃滅を呂布率いる騎馬隊に任せて貰いたいのです」
「……右翼? ああ、孫堅とか言う成り上がりのことですわね。よろしいですわ。私に代わりあの跳ねっ返り共を叩きのめしてしまいなさい」
「なっ!?」
袁紹の言葉に陳宮は一瞬圧倒された。
右翼で暴れている孫堅軍などまるで敵ではないという態度であった。
心の底から孫堅を大した存在ではないと思っているかの様だった。
遠目に見て孫堅の動きは抜きん出ているにも関わらずである。
袁紹が個人の武など大した存在ではないと言外に述べているようにすら陳宮は感じた。
陳宮は戦慄を感じた。
株式等奇抜な政策を次々採用し冀州を漢帝国で最も豊かな土地へと発展させた稀代の政治家、袁紹。
ただ運がいいだけ、荀シンがいたからこそ、本人は大したことをしていない、等といった袁紹を貶す類の噂もある。
しかし、陳宮は袁紹を侮るつもりはなかった。
運がいいとか、部下に恵まれた等という程度で冀州の発展が成し遂げられたとは思わないからだ。
――これが袁紹本初っ!!
決して侮って良い相手ではない、と陳宮は判断した。
それでも、呂布の軍師としての誇りが陳宮に後退を許さない。
「感謝するのです、袁州牧殿。呂布の武が孫堅を打ち破る所をご欄になるのです!」
陳宮は胸を張った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
前進の合図に袁紹私兵の精鋭達は不敵に笑った。
「官軍の連中、俺達に近づけば何とかなるとでも思っていそうだな」
「その思いあがりを正してあげなくちゃね」
「新参者は当てにならんから、我々だけで官軍を打ち倒さなければならんな」
軽口を叩き合う兵士達。
賊の討伐に度々駆りだされている彼らにしてみれば、『真弩』を持って的に突撃するというのは日常的な戦闘方法だ。曲射による遠距離、突きによる近距離、そして中距離と距離を選ばないのが袁紹軍私兵の持つ弩の最大の強みであった。
袁紹の私兵3万は、自慢の槍兵が全て弩兵になってしまい鬱憤が溜まっていた文醜に散々弩を使った白兵戦を仕込まれている。
槍と比べてどうしても違和感の拭えない文醜は常々愚痴をこぼしていたが。
「打ち方やめろ! 青部隊は矢の装填を急げ!」
袁紹軍精鋭を指揮する文醜が叫ぶ。
小隊の隊長がその命令を復唱した。
絶え間なく射たれていた矢が止まる。
青い鎧に身を包んだ兵士達が巻き上げ機を使って弓を引き上げる。
白兵戦では矢の装填をする時間がない。
必然、矢を打てるのは一度だけになる。
それでも、矢を装填してあるのとないのでは大きな違いがある。
「青参隊、全員装填完了しました!」
「青伍隊、同上です!」
小隊から次々と準備完了の報が文醜に伝えられる。
全ての小隊から装填準備完了の報を受け取った文醜は叫んだ。
「よーし、全隊、あたいに続けー!!!」
中央に配置された弩兵が一斉に駆け出した。
両脇の弩兵も遅ればせながらそれに続く。
対する官軍は矢によって倒れた兵士達の穴をふさぐように密集陣形を取り、隙間なく槍を構えた。
両者の距離は急速に縮まりつつあった。
官軍の付き出した槍と距離が十歩ほどまで縮まった時、袁紹精鋭は一斉に歩みを止めた。
「白偶の隊、矢を放て!」
袁紹側の行動に慌てて前進を開始しようとする官軍。
しかし、その槍が袁将軍に届くよりも前に矢が一斉に放たれた。
至近距離から放たれた矢の多くは最前列の兵士達の体を貫き、その背後の兵士達に突き刺さって止まる。
官軍の前衛は大きく崩れた。
「槍を構えろ! 陣形を崩す――っ!」
「よーし、いいぞお前ら! 突撃いいぃぃぃ!」
陣形を崩す官軍を統制しようと指示を飛ばす指揮官を弩で射殺した袁紹軍精鋭は一斉に突撃を開始した。
「くそっ! 槍がっ!?」
官軍の兵士達は悲鳴を上げた。
槍先が弩の弦に弾かれるのである。
自慢の連弩を馬鹿にされた友若が、兎に角威力が高ければ満足なんだろう、と言って作った『真弩』。
高い張力を達成するために重量やサイズ等の使いやすさが犠牲にされている。
ただ、部材に鉄を組み込んで剛性を高められた『真弩』は極めて頑丈だった。
重量差もあり、袁紹軍の弩は官軍の槍を弾き飛ばしていく。
訓練の不十分な兵士にしてみれば『真弩』で白兵戦をすることは難しい。
だが、鍛えあげられた兵士がこの弩を使うとき、その突撃力は凄まじい威力を示した。
個々では太刀打ち出来ないと認識した官軍側は何とか密集陣形を立てなおそうとするが、その度に矢の一斉掃射を受けて瓦解していく。
「距離があった時と違って連中は矢の装填ができない! 兎に角陣形を整えろ!」
官軍を励まそうと指揮官が声を上げる。
陣形さえ組むことが出来れば、と官軍側の指揮官は考える。
同じ陣形の白兵戦ならば、リーチで優位に立つ槍兵の方が有利となるだろう
そして、袁紹軍の矢による撹乱はこの状況において手数に限りがある。
更に、白兵戦で官軍側が陣形を食い破られているのは中央のみであった。
袁紹軍中央の突破力があまりにも高かったためにそうなったのだ。
一方、中央に対して袁紹軍の両翼は動きが遅い。
特に孫堅軍が暴れていた右翼は未だに混乱しているのか前進の速度が遅かった。
見方を変えれば、中央の部隊が突出した形になっている。
官軍側は両脇を固める豪族たちに中央への援軍を要請。
豪族たちの部隊が動けば、寡兵を包囲殲滅し各個撃破が可能となる。
最大戦力であるはずの中央さえ打ち破れば、袁紹軍の士気も大いに下がるはずである。
袁紹側の中央の猛攻を耐えしのげば、先程までの絶望的な状況から一転して勝利を掴み取れるはずであった。
だが、この時、中央官軍を圧倒していたのは袁紹軍であった。
そのため、官軍側の指揮官達は必死に味方を鼓舞して回る。
「両翼は何をやっている! 遅すぎるぞ!」
官軍中央の兵士達は何とか袁紹軍を止めようと必死に戦い続けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「うーん。拙いですねえ」
張勲はそう呟いた。
視線の先には袁紹軍に圧倒されて後退する官軍の様子があった。
「弩兵に白兵戦で押されるほど官軍が弱いなんて完全に予想外ですぅ! 美羽様の所まで矢が飛んできましたし。まったく。美羽様に当たりでもしたらどうするんでしょうか。袁本初様にはもっとそこら辺を考えて貰いたいものです!」
頬を膨らませて文句を言う張勲。
目下の所、袁術軍は戦闘に参加していないが、戦場にあって驚くほど呑気な言葉だった。
「な、七乃~、妾はもう帰るのじゃ。ううう~」
「か、可愛いいい! な、七乃はもう死んでもいいかもしれません! こんな可愛い美羽様が見られるなんて! 袁本初様もいい仕事しますね! ありがとうございます! ありがとうございます!」
絶え間なく降り注ぐ矢に危険を感じた袁術は張勲の馬に乗り、顔を張勲の背中に押し付けていた。
小動物のようにビクビク怯えながら、怖いものから目を背けることで恐怖に耐えようとしている袁術。
張勲はいっぱいいっぱいだった。
ついつい本音が口から漏れる。
……いつもの事だったが。
「な、七乃、聞いておるのか! さ、さっさと帰る準備をせんか!」
「んーっと……」
怯えつつも、強気な様子で張勲を詰問する袁術。
新たな一面を発揮している袁術。
その存在以外の物事に思考を割くことを勿体無いと感じる張勲だった。
だが、張勲はそろそろ色々考えなければ拙いと判断し、嫌々ながらこの戦いについて思案する。
――『袁本初様相手に逃げてもいいのですか』という美羽様必殺の言葉もだんだん効き目が無くなって来ましたし、そろそろどうするか決めなければいけませんね。
――この可愛い美羽様を何時までも見ていたい気もしますが、あんまり怖がらせるのは良くないですし。
張勲はざっと袁術にとってのこの戦いの意義を吟味した。
袁術勢力が袁紹討伐に参加した理由の一つは袁術本人の袁紹に対する感情である。
「妾の兵士達よ! 麗羽のやつをボコボコにしてやるのじゃー! 妾は、はちみつ水を飲みながら応援しておるのじゃ!」
戦いの前に元気よく兵士達に発破(?)をかけていた袁術の勇士を思い出すだけで張勲は色々と滾ってくる。
――っ! おっと、いけません、いけません。本当に残念ですが、美羽様とは関係のない雑事を先に済ませておきませんと。
袁術の個人的な感情以外にも袁術勢力が袁紹討伐に参戦した理由がある。
朝廷に対して袁術の存在感を示しておかねばならないという政治的な要求である。
袁術の姉である袁紹が逆賊として指定されたことで袁術は微妙な立場に立たされた。
名目としては反逆者の一族であり、通常ならば連座されてもおかしくはない。
だが、朝廷も流石に漢帝国最高の名家たる袁家全体を敵に回す事はできなかった。
そのため、荀シンを主犯として身代わりにすることでその罪を袁紹に限定するものとした。
しかし、袁紹がこの様な事態になった以上、今後袁家への風当たりが強くなることが予想された。
ただ座視していれば、袁紹討伐後に今度は袁術が槍玉に上がる可能性も否定出来ない。
だから、張勲は袁術、袁家の庇護下にある豪族達をまとめあげ、袁紹討伐に総勢5万もの兵力を持って参戦した。
朝廷に対して袁術はこれだけの兵を用意する能力があると示すことで、袁術への手出しを牽制する事が狙いであった。
つまり、参戦した段階で張勲がこの戦いに参加した目的は既に達成されているのだ。
後は、袁術が満足するまで戦った振りをして適当に流せば良いと張勲は思っていた。
朝廷が信用出来ない以上、袁術の手勢をこんな戦いで消耗させるつもりは張勲にはなかった。
理想としては袁紹勢力と官軍が良い感じに潰し合う状況である。
袁紹と朝廷の両者が互いに消耗した頃合いを見計らって、仲介を行えば袁術の名声も高まるだろう。
残念ながら戦況は袁紹勢力の一方的な優位で進行している。
それでも、朝廷が一方的に勝つよりはましだ、と張勲は考える。
袁術の名声を高める機会が手に入らないのは残念だが、これで朝廷に対する袁家の権勢は他の追随を許さないものになるだろう。
それはつまり、袁紹に加えて、袁家の正統後継者を自負する袁術の権勢が増すことを意味している。
張勲は、袁紹が勝利した場合の袁術の処遇については欠片も心配していない。
何だかんだで優柔不断で身内に甘い袁紹が袁術に手をかけるわけがないと張勲は思っている。
もちろん、討伐軍に参戦した袁術を袁紹は快く思うことはないだろう。
――でも、美羽様がごめんなさいって言えば袁本初様なら一発で許しちゃいますよねー。美羽様の可愛らしさに勝てるわけなんてないんですからー! きゃー、美羽様、傾城傾国の可愛らしさですぅ!
雑事を考え続ける事に限界を迎えた張勲。
思考は袁術の可愛らしさへとそれていく。
一応、この時官軍からは応援要請が入っていたのだが。
「んー、つまりもう帰ってもいいってことでしょうか?」
「もう帰るのじゃー、クスッ、七乃ぉ、さっきから妾は何度も言うておろうが」
「か、可愛い過ぎますぅ!」
――敵前逃亡の事を問題視されたら孫堅さんに罪を押し付ければいいですしね。
――待機命令を無視した上に相手の攻撃を許しちゃあだめですよーって。
張勲は状況的に孫堅に責任を擦り付けられそうだと判断し、すぐさま退却の指示を出した。
端からやる気のなかった袁術率いる4万の兵は素早く退却を始めた。
袁紹軍からひょろい矢を打ち込まれた以外何もしていないのに、である。
お前ら何しに来たんだ、と周囲の兵士達は心の中で突っ込んだ。
突如として撤退を開始した袁術。
官軍左翼の4万の兵力がいきなり消えた影響は大きかった。
この様子を見ていた官軍右翼に配置されていた豪族たちも戦意を喪失し、次々と撤退を開始。
空白地帯となった両翼を前進していく袁紹軍に中央の官軍精鋭も総崩れとなった。
「袁術め……」
陣形を維持できず、潰走を始めつつある官軍を見ながら皇甫嵩は呟いた。
早速勝利など不可能だ。
官軍の圧倒的敗北。
それは皇帝の権勢失墜を意味していた。
「撤退だ! 撤退しろ! 殿は私が務める! 前兵を撤退させろ!」
目を閉じ、開いた皇甫嵩は命令を下す。
官軍はまだ壊滅してはいない。
壊滅していない以上、まだ足掻く余地があった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
呂布は弓を引いた。
顎を噛み締め、全身全霊を込めて。
巨大な弓である。
一個の鉄塊を熱し、叩き、その繰り返しの果てに造形された弓。
神話を再現したような黒塗りの弓は見る者を圧倒させる。
その弦と矢もまた鉄により構成されている。
引き絞られた弦はその力が開放されるのを今か今かと待ちわびていた。
呂布達一行は一ヶ月近く、冀州に滞在した。
その間、袁紹の抱える私兵精鋭や、同じく辺境から義勇兵を引き連れて袁紹側に参戦した劉備達等を相手してに訓練を行なっていた。
訓練では剣や槍、戟、弓等の実戦で使用する武器を使う。
使えば武器は消耗する。
当然、整備が必要となる。
自分達で整備できる箇所は自分達で対処するが、歪んだ剣や槍を叩きなおしたり金具の交換には専門の技術者が必要となる。
そこで、配下の兵士達の武器の消耗が目立ってきた頃、呂布達は袁紹配下の鍛冶師の元を訪れた。
「凄いもんやな。并州とはえらい違いや」
張遼が感心の声を上げた。
并州のちっぽけな鍛冶場と比べ、冀州のそれは全くの別物だった。
まず、大きさが違う。
無数の炉が並んでおり、それぞれの炉では無数の鍛冶職人が金槌で熱された鉄を叩いて加工していた。
その大半は弩の部品である様だ、と張遼は判断する。
「どんだけの弩を作っとるんや?」
「今は月に5千程。これでも冀州最大の鍛冶場だ。もっとも、普段はそんなに作っちゃいないがね」
そう言って鍛冶職人が笑う。
馬鈞と名乗った若い女性は、自分が武器の修繕の面倒を見ると言った。
「普段はもっと暇しているんだがね。生憎、今は忙しくてね。何しろ、なるべく早急に弩を7千納めろと発破をかけられている。しかも、普段はやっていない細かい組立まで要求されているんだ。みんなてんてこ舞いだよ」
「そういうあんたは気楽そうやな」
「何、さっきまで死にそうだったよ。ちょうど骨休めに良さそうな依頼が来たからこれ幸いにと抜けだしたのさ」
張遼の言葉に馬鈞は楽しそうに笑った。
「……あれは?」
張遼と馬鈞の会話に何の興味も示さずに静かにしていた呂布が突然問を発した。
呂布の指の先には黒塗りの巨大な弓が鎮座していた。
「あ、ああ……あれにはあんまり触れないでほしいなあ。連弩と並んでちょっと思い出したくない仕事なんだ」
「弓なんか?」
顔を若干引きつらせる馬鈞に張遼が尋ねる。
恨めしそうに張遼を見やった馬鈞はため息を付いて話しだした。
「あれは私が作ったものさ。最強の弓を作れと袁州牧に言われてね。弓の強さっていうのは、まあ言ってみれば弦の張りがどのくらい強いかで決まる。鉄で弓を作り弦にも鉄を用いれば、最強の張りを持ったせることが出来る、と簡単に考えた昔の私はこの弓を作ったんだよ。連弩の開発で弱い弓を作ることに嫌気が差していたってのもあったしね。ただ、――」
馬鈞は首を振った。
「ただ、結果としてこの弓を引ける者は誰もいなかった。引ける人間がいない弓なんてものは何の役にも立たない。威力がなくてもまだ連弩の方がましだった。最前列で戦う勇者たちの武器を私達鍛冶職人は作っているんだ。当然、武器って言うものは役に立たないと意味が無い。まあ、いい戒めだよ。今でもあそこにおいて、あれを見る度に自分の失敗を思い出すようにしているんだ。って、おい!」
「ん」
馬鈞の言葉を途中から聞き流した呂布は、台の上に鎮座した弓に無造作に近づくと、片手で掴んで持ち上げた。
「んな!? 大の大人が数人がかりで持ち上げる重さだぞ」
「恋殿ならば当然なのです!」
外野の声を聞き流して、呂布は弓を構えるとゆっくりと弦を引いた。
「お、おい……私は夢でも見ているのか?」
呆然とした様子の馬鈞が呟く。
陳宮が親切心を発揮して馬鈞の頬を抓る。
夢でもなんでもなく、呂布は巨大な弓を引いていた。
腕の限界まで引いた呂布は手を離すことなくゆっくりと弦を戻した。
「……」
「これ、ちょうだい」
「……え? あ、ああ。構わないさ。やはり、武器は使われてこそだからな。あんた以外にこれが使える人間なんて早々いないだろうし、構わないよ……しかし、まさかこの弓を使える者がいるなんてな」
馬鈞は呆然と呟いた。
そんな経緯で手に入れた大弓を呂布は引いていた。
矢もまた全てを鉄で作られている。
時間を置かずに袁紹軍右翼が横に割れた。
食い破るようにして右翼を飛び出し、袁紹軍中央へと向かう孫堅軍。
その先頭を走る騎兵に呂布は狙いを定めた。
放たれた弓は音すら追い越し、一瞬で孫堅に迫った。
孫堅の上半身を吹き飛ばした矢は勢いを減ずることなく、後ろの孫呉の兵達を突き抜けて地面に刺さって周囲の土をえぐり飛ばした。
空気を切り裂いた矢の轟音が兵士達の鼓膜を叩く。
矢の発射と同時に呂布の足元は爆発したように土を巻き上げた。
反動を支えきれずに呂布の足元がえぐり取られる。
音を超える自身の速度に耐えられなかった弓の弦が真ん中から千切れている。
何とか体を静止させた呂布は地面に大弓を突き立てた。そして、その横に突き立てられていた方天画戟を手に取る。
眼下では張遼率いる騎馬隊千が指揮官を失い混乱状態にある孫堅軍に襲いかかっていた。
孫堅の突然の死が理解できないのか、超音速の矢の威力に愕然としたのか、迎え撃つ体制を整えることもできない孫堅軍を張遼達が蹴散らしていく。
「皆の者、張将軍に続くのです!」
「突撃……」
勇ましく声を上げる陳宮。小さく呟く呂布。
呂布直属の精鋭騎馬隊が動き出した。
「敵は頭を失った烏合の衆! 呂布の前に立つということがどういうことなのか教えてやるのです!」
正史では孫権のトラウマになった張遼に続き、三国志最強の武、呂布が孫堅を失い呆然としている孫堅軍に襲いかかった。
それでも、孫堅軍はよく戦った。
「ッ!! 撤退ッ!!」
「孫伯符様を守れ!」
袁紹軍に完全に包囲された形になり、援軍もなく、精神的支柱であった孫堅を一瞬で射殺され、張遼と呂布の騎馬隊に蹂躙されたにも関わらず、孫呉の兵士達は勇敢だった。
結果を見れば、間違いなく孫呉の兵士達は最善を尽くしたと言える。
孫策を含む100名余りが生還に成功したのだから。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「申し上げます! 呂飛将軍が孫堅を討ち取った模様です!」
「いや、誤報とかいらないから。そんなことより前進を急がせろ」
伝令の言葉に友若はそう言葉を返した。
三国志の覇者が死亡とかそんな訳ないだろう、と友若は考えた。
もちろん、それが真実であるならそれに越したことはない。
だが、希望的観測を信じることの危険を友若は身にしみて知っていた。
袁紹軍の討伐隊が動き出してから今の今まで曹操や孫堅は友若の想像を常に上回り続けていた。
いくら三国志の覇者でもそう簡単に要塞を陥落させることなどできないだろうという予測は曹操に崩され、矢を射ち続けていれば近づくことはできないだろうという予想は孫堅に覆された。
呂布や張遼が多少強いからといっても、そもそも率いる兵力が違う。
孫堅があっさり討ち死にするなど信じられるわけがない、と思う友若。
そんな偽報に踊らされるよりも、今は兎に角逃げることだけを考えるべきだと友若は考えた。
何しろ、劉備軍の動きが若干不穏なのだ。
友若は劉備軍に孫堅軍の動きを伝えた上で最善をつくすようにとフリーハンドを渡したが、後方の劉備軍は何故か孫堅軍の方に動こうとしない。
劉備は何やっているんだよ、と心の中で文句をいう友若。
まさか、裏切るつもりじゃあないか、という最悪の想像が脳裏をよぎる。
実際、背後から攻撃をかけられれば袁紹軍は壊滅するだろう。
だからこそ、友若は一秒でも速く官軍中央を破って逃げ出したかった。
幸いにして曹操の旗は官軍右翼後方に翻ったままだ。
孫堅の討ち死には誤報としても、呂布達が上手く時間を稼いでいるのか孫堅軍の動きは止まっている。
背後の劉備軍もまだ動きは見せていない。
今なら逃げ切れるに違いない、と思う友若。
問題は中央官軍の粘りだった。
さっさと退けよ、俺達は逃げないと行けないんだよ、等と友若は内心で叫び声を上げる。
「報告します! 敵が退却を始めております! 官軍右方向……袁術の旗が後退を始めています!」
「なんだと!」
友若の願いが天に通じたのか、袁術軍、つまり官軍の右手が全面的な後退を始めた。
奇跡だ、奇跡に違いない、と友若は呟いた。
思わず普段は信じてもいない神や仏に祈る。
「麗羽様!」
顔良が袁紹に馬を寄せて、喧騒に負けじと叫んだ。
「なんですの!?」
「勝鬨を!」
「何を言っているのです!?」
顔良の言葉に袁紹は意味が分からないと叫び返す。
田豊が進み出た。
「麗羽様! 敵は左翼の突然の退却に驚いております! 今ここで我らが勝鬨を上げれば、敵は大いに我らを畏れるでしょう!」
「なるほど! 斗詩さん、始めからそう言いなさい!」
「は、はいぃ!」
田豊の言葉に顔良の意図を理解したらしい袁紹。
取り敢えず袁紹は顔良を叱りつけると、声高らかに叫んだ。
「皆さん! 華麗に勝利の叫びを上げなさい! 天下にこの袁本初と宦官の犬共のどちらに正義があるかを知らしめるのですわ!」
「「「「うおおおおおおおぉぉぉ!!!」」」
天を衝く叫び声が上がり、広がっていく。
袁紹軍はこれに大いに奮起し、官軍は大いに動揺した。
両翼の弩兵が隊列を立てなおして中央の官軍を射ると、もはや袁紹軍に抵抗できる者は居ないかのように思われた。
――もしかして……勝てる?
友若は目の前の光景が信じられなかった。
しかし、少し前まで猛威を振るっていた孫堅軍はもはや見る影もなく、袁紹軍が官軍中央を壊滅させつつある。
曹操の旗が未だに動いていないことは気がかりだが、流石にいくら曹操がバケモノだとしても1万の兵で20万近い袁紹軍を打ち破れるとは思えない。
そうなると、論理的帰結として袁紹軍は勝っているということになる。
おかしすぎる、異常事態だ、と友若は思う。
しかし、手元に入ってくる情報は友軍の勝利を告げるものばかりだ。
先程まで苦戦していた右翼からも続々と敵を撃滅したという報告が上がってくる。
――いやいや、油断するな。何よりも今は中央を破って逃げ道を確保することが先決だ!
友若は馬の手綱を引いて馬の歩みを遅くすると、前を見定めた。
懐から望遠鏡を取り出して官軍の様子を見る。
中央官軍は必死の抵抗を見せているが、陣形が崩壊している。
袁紹軍が官軍を破るのも時間の問題だろう。
――助かった……
万感の思いとともに心の中で呟いた友若。
官軍中央を抜いた以上、さしもの曹操と言えども退却を選択するだろう。
仮に攻めてきたとしても、逃げ出した官軍を追いかけるふりをしながら逃げることが可能だ。
その時、友若の視界の横に白い線が走った。
慌ててそちらを見やると、袁紹軍に向かって駆けて来る騎兵隊の後方から白い煙が上空に上がっていた。
兵士達の叫び声。馬の鳴き声。
戦場の無数の音に混じって破裂音が友若の耳に届いた。
「そ……ま、まさか……」
掠れた声を友若は上げた。
それと似たものを友若は知識として知っている。
転生チート知識として、友若はその煙が意味するものに心当たりがあった。
だが、そんな訳がないと友若は思った。
あっていい訳がないと。
不意に上空に影が過ぎった。
影に追随する煙の軌跡は放物線を描いている。
袁紹軍の数カ所でほぼ同時に爆発が発生した。
轟音を上げ、土と兵士達を吹き飛ばし巻き上げる。
大音量に驚いた馬が暴れ、呆然としていた友若は抵抗もできずに落馬した。
背中から地面に叩きつけられた友若は一瞬意識が飛んだ。
呼吸にも苦しさを感じる。
「あ、あ……ああああっ!!」
友若の口から声にならない声が漏れた。
諦めが。
苦しさが。
絶望が。
それら全ての感情が相混ぜになった声だった。
「あああっ! ……ふ、ふ、ふざっ!」
――巫山戯んな! こんな三国志があってたまるか!
恐怖はやがて憤怒へと変化した。
内心で怒りの声を発する友若。
――誰だ! 曹操に銃火器なんて物を渡した奴は!
落馬した友若を助けようと兵士や同僚が駆け寄って来た。
残念ながら彼らは鏡を持っていなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
硝煙立ち込める戦場を切り裂くように曹操軍が駆け抜ける。
「雑魚は捨ておけ! 狙いはただひとつ! 袁紹の首だ!」
曹操は高らかに叫んだ。
――三国志がログアウトしました。
孫呉ファンの方々、ごめんなさい。
次で戦争編、最後になるといいなあ。
(※当初は2話の予定でした)