義輝伝~幕府再興物語~ 《完結》   作:山中 一

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第三十六話

 若江城が攻略されたことで、畠山家の趨勢は決まったも同然だった。

 湿地帯に建ち、攻防無敵かつ経済の要衝である若江城を内側から切り崩すことができたのは偏に畠山家の権勢の衰えを示すものであって、決して俺たちが仕掛けた謀略が際立っていたということではない。それ自体は凡庸なものであったものの、畠山家に対処する能力がなかったということが戦果に結びついたのである。

 言ってみれば時の運を味方につけただけのことで、取り立てて語れることはないが――――

「国許への報告は多少大袈裟にしてもいいんじゃない? というか、むしろするべきだね」

 という、孝高の言葉もあり京への戦勝報告は大分盛った内容となった。

 一昼夜にして若江城を陥れたという点はそのままにしても衝撃を与えられるだろうが、これに討ち取った敵の数などを誇張して宣伝するのである。民草からの支持を集めるためというのではなく、貴族層や京を守る武士階級に将軍家の力を印象付けておくための措置であった。

 若江城を奪取した後、要害であるこの城に本陣を移した。城そのものも焼かれることなく迅速に奪えたので、施設をそのまま利用できたのである。修繕が必要なところは人足を出させて修繕する。破壊された門と城壁は、即座に直すべきであったし、そのための材木の調達は近場の生駒山などから持ってこれる。

 日が落ちた後には篝火を焚かせ、夜襲に対処できるようにする。もっとも、城に夜討ちを仕掛けるには相応の準備と覚悟が必要だ。周囲に敵兵すらいない状況では、可能性も少ないと言わざるを得ないが、油断してよいということではない。

 材木の調達から修繕までを三日でこなした人足の手並みに驚きつつも、南に聳える敵の本拠地が頭に重く圧し掛かる。

 畠山家の勢力圏の著しい減少は、そのまま将軍家の勝利が近いことを物語っている。が、しかし。高屋城を落とさないことにはこの戦は終わらない。この戦の目的は畠山家を断絶させることにある。無論、そこまで過激なことは口が裂けても口外できないことではあって、他者の命を奪うことを目的としていること、そしてそれを実行させていることが、自分でも不思議なくらいに自然にできてしまっていた。感覚が戦国の世に同化してしまったのだろう。人の死というものを、聊か見すぎたように思うのだ。かといって、今更仏門に入るわけにもいかない。そんなことをしても乱れた天下は治まらないし、人死が減ることもない――――という言い訳で心を落ち着かせ、曝された首を眺める。

 若江城での戦いでは、こちら側の死者が十三人だったのに対して敵方は百人を上回った。一方的な蹂躙劇は、相手の戦意を奪い、降服する者を続出させた。

 敵の尽くを殲滅しなかったのは長慶に無益な殺生をしないように事前に言い含めていたからではあるが、首が恩賞に繋がるこの時代の戦場で、それを徹底させるのは難しい。降服した者が多い一方で、降服を申し出る間もなく、多くの敵兵が屍となったのも事実であった。

「殿下、あの者たち、どのようにしますか?」

 三好長慶が俺に尋ねてきたのは、戦意を失い降服した者たちの処遇についてだった。

 最早これまでと潔く腹を切った武士も多数いた。しかし、そこまでの覚悟のない者たちは縛り上げられて若江城内の牢や即製の小屋の中に押し込まれている。

「どのように、か」

 どのようにも何も、いつまでも手元に置いておくわけにはいかないだろう。

 彼らを養うにも糧食を消費するのである。戦力にならず、後方にも置けない者たちにこれ以上食わせる飯はない。将軍家の懐も、そこまで潤ってはいないのである。捕虜や犯罪者を税金で生かすというのは、本当に頭の痛い話である。二十一世紀ならば、それも当然の扱いではあるのだが……。

「捕虜が想定以上に多かったからな。養うこともできないのが現実だ」

 戦に於いて食料は何よりも重要な物資である。特に大軍ともなれば必要な兵糧は莫大なものになり、餓えれば戦意が著しく低下して離散を招く。強大な敵軍と対峙する際に、直接ぶつからずに兵糧を焼き討ちにするのが戦術として非常に有効であることも、その証左である。当たり前のことだが、人間も動物である。食えなければ死ぬしかない。

「彼らは俺たちに敵対した。迂闊に味方にするわけにもいかないだろう」

「それは、もちろんです。我々が用いた策と同じことを敵がしないとも限りません」

 きっぱりと、長慶は言い切った。

 俺は敵から寝返ってきた水走家を利用して敵の腹中に忍ばせて、内側から若江城を切り崩した。今回、降服した捕虜の中に同じことを考えているものがいた場合、非常に危険なことになる。

 捕虜を何の保証もなく、利益もなく、味方にすることはできないし、このまま城中に留めることもできない。

 となれば、残された運命は悲観的にならざるを得ないだろう。そうと理解している長慶は凛とした真面目な表情に、憂いの影を落としている。

 やはり、この姫武将は心優しい人物だ。

 赤の他人に、過剰移入している辺りは戦国武将として多くの苦悩を抱える短所となるだろうが、領主としては必要な才覚であろう。

「捕虜の者たちを心配しているのか?」

「いえ、決してそのようなことではありませんが、このままでは陣中にも悪影響を与えかねません」

「ああ、分かっている。彼らについては適正に処置しなければならんだろう。今日中には結論を出す」

 長慶に言われるまでもなく、そろそろ限界だろう。

 味方の中にも彼らを生かしておく必要ないという意見が出てくるほどだ。敵は討ち取るのが当たり前である。情けをかけて、こちらの首をかかれない保証はないからである。

 長慶に問われたことは、戦の前から考えていたことではある。

 仮にも捕虜を取るように命じておいて、その後のことを考えていなかったというのは話にならない。

 長慶と別れた後で、俺はすぐに孝高を探して回った。

 今ではすっかり俺の知恵袋としての役回りとなった孝高は、戦略、戦術の両面で俺を支えてくれるなくてはならぬ頭脳である。

 孝高は明るい茶髪の活発な少女である。将軍である俺にも遠慮なく、大胆な言葉遣いで周囲を呆れさせることもある彼女だが、その一方で礼儀がなっていないというわけでもない。擁護しているわけではないが、状況によって態度や言葉遣いを変えることもできるのである。

 政治面でもかなり彼女に頼るところが大きい。今回も、捕虜の扱いについて管理しているのは孝高である。よって、彼女に話を通す必要があり、こうして散歩がてら探しているところなのだ。

「あら、そちらにいらっしゃるのは公方様ではありませんか」

 若江城内をうろうろとしていると、しっとりとした声がかけられる。

「君は、確か松永久秀と言ったかな」

 紫がかった黒髪の少女である。ゆったりとした着物を纏った姿は武将というよりも公家の姫のようではあって、可愛らしい顔立ちに悠然とした笑みを浮かべている。

「あら、わたしの名を覚えていてくださるとは光栄の極みです」

「長慶配下の将としては、かなり名が通っていると思うがね」

「それほどでもありませんわ。わたしなど、所詮は外様の身」

「それは関係ないだろう。外様だろうが能力があれば適性の遇するべきだし、長慶はそれを分かっているはずだ。でなければ、久秀を傍に置くこともないだろう」

 そう言いながら、俺も自分の身を省みる。なるほど、能力による評価は当然のものではあるだろう。しかし、血縁や家格を無視した差配は不和を招くこともまた事実。小次郎のような流れ者を傍に置いていて、これといって反発がないのは、彼女が政治に一切関わらない立場を断固として取り続けているということが大きいのだ。将軍家は、そういった因習が古くからあって面倒で、今回の畠山家掃討戦で多少は古い繋がりに楔を打ち込めればと画策しているところではある。

「ところで、うちの孝高を見なかったか?」

「孝高……ああ、黒田殿ですね。それならば、外に出ておいでですよ」

「何、外? 若江城外に出ているのか」

「ああ、いいえ。そうではなく、城門の修繕の指揮を取っておいでです。先ほど、見かけたばかりですので、まだいらっしゃるかと」

「ああ、なるほど。手間を取らせて、すまなかったな」

「いえいえ、お役に立てて光栄です。それでは」

 すっと頭を下げて、久秀は去っていく。

 悪名高い松永久秀ではあるが、こちらの世界ではそういった片鱗を見せてはいない。どのような人物なのか、数回した会っていない今は判断が付かない。今の時点では、長慶と敵対さえしなければ取り立てて危険のある人物でもないだろう。

 さてと、と俺は久秀が教えてくれた場所を目指して歩を進める。

 当家随一の軍配者である黒田孝高は、小さな身体を目一杯使って作業現場の指揮を取っているところであった。

 門の修繕はほぼ終了したが、彼女はその外側にさらに別に門を設けようとしてるのだった。入口を箱型の四角い空間で仕切ることで防御力を上昇させるというのが孝高の目的だ。彼女はその実現のため、人足や下級武士に命じて木を切らせ、土木工事に当たらせていた。

 ぴょこぴょこと作業現場を飛び回りながら、大工に要望を伝えたり、出来上がりを確認したりしている。

 小さな身体でよくやる、と素直に感心する。大工たちは当然ながら男が多い。女性進出の著しいこの世界では、どういうわけか非常識なまでの怪力を有する女性も時折現れるのだが、それでも平均的に男のほうが力仕事には向いている。

 汗水垂らして働く男たちの中に、小さな少女がいるというのは、不可思議な絵ではあるがどうやら大工たちには概ね好評なようである。マスコットのような扱いなのだろうか。

「進捗はどうだ、孝高?」

「ちょっと、いきなり声かけないでよ、びっくりするじゃない」

 びくんと肩を揺らした孝高が抗議してくる。

 孝高が声を荒げたので、ほかの面々も俺の存在に気がついたようで目をパチクリとしてから慌てて道具を地面に置いて平伏しようとする。

「ああ、構わん。そのまま作業を続けてくれ」

 と、俺はそう声をかける。

 しかし、作業に当たっていた者たちはどうしたものかと困惑している様子だ。無理もない。いきなり将軍がほとんど供らしい者も連れずに土埃の舞う土木作業現場に現れたのだから、彼らとしてもどう対応すべきか決めかねている。

 どうやら、俺の存在は作業の遂行にあまり役に立たないらしい。

「あんたたち、殿下がこう仰っているのだからこっちは気にせず作業に戻って! ほら、早く!」

 孝高が見かねて追い立てるように声を上げる。

 しっしっと手を振ると、忽ち大工たちが作業に戻っていく。まるで羊飼いに追い立てられる羊か、天敵に追われる野鼠のような姿である。

「すっかり現場監督が馴染んでしまったな」

「現場監督? 何それ」

「いや、何でもない」

 孝高は手に持っている一枚の設計図らしき紙をくるくると巻いて袖の中に仕舞いこむ。

「それで、殿下はあたしに何か用?」

「用がなければ話しかけてはいかんのか?」

「ん、別にそういうわけじゃないけど」

「なら、目くじらを立てることもないだろう。まあ、用はあるんだが」

 先に用を言ってよ、と孝高はむっつりと頬を膨らませる。

 せっかちなところはいつものことだ。

 好奇心に任せて行動するアクティブな性格のためか、どうにも受身になるのを嫌う。

「捕虜のことだ」

「ああ、それ」

 孝高も得心がいったとばかりに頷く。

「それで、どうするか決めた?」

「無論、助命する。彼らの多くは徴兵された農民だ。この後の領国経営を見据えるのならば、徒に摘み取るわけにはいかない」

「だよね。ところで、武士はどうするの?」

「武士も放つ。たかだか数十人だ。脅威にはならないだろうし、畠山を頼るのならばそれでいい。精々、むこうの兵糧を消費してくれればな」

 何と言うことのないように言う。実際のところ、そこまで期待はしていない。捕らえた者を徹底的に殺し尽くすのは、こちらにとっても悪評に繋がる恐れのある行為だから慎重にならないといけないというだけである。

「今日のうちに放ってやってくれ。諸々の手続きは、どうせ済んでいるんだろ?」

「うん、そうだね。殿下がどっちを選んでもいいように準備だけはしておいたから」

「怖いやつだな。ま、後はよろしく」

 孝高は準備をしておいたと言った。

 逃がす準備だけでなく、全員の首を打ち落とす用意もできているのだろう。

 逃がすとなれば、孝高は相応の対応を取るだろう。ただ逃がすだけではないはずだ。

 孝高に捕虜の解放を命じた後で、俺は自室に向かう。あまりうろついていると、色々と小言を言う者がいるからである。

 部屋に戻る直前、三淵藤英と顔を合わせることとなった。

「義輝様。また、お一人で外に出られたのですか!? 何かあったら、どうされるおつもりですか!?」

 吃驚したと言うように慌てて駆け寄ってくる。藤英は後ろに侍女を連れていたのだが、彼女たちを置いてけぼりにしてしまっている。

「藤英、声が大きいぞ」

「申し訳ありません、しかしですね。御身はすでに将軍として広く天下に知られるお方です。まして、ここは敵地。奪ったばかりの城とはいえ、捕虜の者どももいるのです。気をつけていただかなければなりません」

 言っていることが正論なので、反論もできない。む、と口篭るばかりである。

「義ちゃんの護衛はあたしがいるので大丈夫ですが?」

 スッと、俺の影から染み出るように現れたのは小次郎だった。

「う、お、津田殿。いつの間に」

「さっきからいましたよぅ」

「え、全然気付きませんでした。というか、あなたはまたそんな不遜な言葉遣いを!」

 小次郎の神出鬼没さに意表を突かれたものの、いつかと同じように小次郎の俺への態度に目を怒らせる。

「えー、またですか」

「何度でも、ご注意いたします!」

 嫌そうに表情を歪める小次郎に藤英は言葉を尽くして説教しようとする。

 それで効果があるはずもない。小次郎の態度は生来の野生児的な部分にかなり影響を受けていて、既存の権威だの社会的な立ち位置をほとんど考慮しようとしない。やろうと思えばできるし、命じれば一応それらしい態度は取れるのだが、ストレスがかなり溜まるらしい。

 それに、俺としても自然体で接してくれる小次郎は孝高と共に気楽に語れる相手である。日常的に傍にいるので、堅苦しいのは遠慮したい。

「まあ、藤英もその辺りにしてくれないか。ここは廊下だ。誰の目があるか分かったもんじゃないし、お前のところの侍女も困惑しているぞ」

「う、むぅ、承知しました。お騒がせして申し訳ありません」

「お騒がせです」

 さっと俺の後ろに隠れる小次郎にさらに文句をつけたくなったのか藤英が眉根を寄せる。

 馬が合わない二人だ。仲が悪いとまでは言えないが、感性の違いがかなり大きく、いがみ合うことになる。

 戦を前にして、あまり騒ぎを起こさないで欲しいと切に願う。この二人ならば、そう大きな問題も起こさないだろうが。

 

 

 

 


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