義輝伝~幕府再興物語~ 《完結》   作:山中 一

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第二十九話

 三好長慶が丹波国で内藤国貞と対峙しているころ、細川晴元は山城国にて上野勢と小競り合いを演じていた。

 といっても、実際に戦うのは晴元の兵ではない。実際に戦うのは彼が寄せ集め、膝下に参じた将である。

 先陣を切るのは三好政長の手勢だ。

 数では圧倒的に晴元の軍勢が優勢である。細川氏綱本隊がこの場にいれば話は変わってきただろうが、氏綱勢は未だに息を潜めて力を蓄える姿勢を堅持しており、即座に援兵を出せる状態ではない。槇島城と井出城に篭る上野勢の力では、晴元の軍勢に対抗できるはずもなかった。

 まず、晴元は当初の予定通り、宇治田原と寺田に軍を進め、上野父子に協力する在野勢力を蹴散らした。

 戦は、先陣を切った政長の兵が八十人も討ち死にする壮絶なものとなった。

 宇治田原の勢力が上野勢に参加した代償は高くつき、七郷あるうちの、岩本北城を除くすべてが灰燼と帰した。

 強大な力で勝利を得た晴元は、次いで槇島城の攻略に取り掛かった。

 兵力は七千もある。槇島城は、水に守られた城ではあるが、数の差には抗しきれないだろう。

「政長、どう攻める?」

 晴元は天幕の中で政長に問う。

 槇島城は巨椋池の端、流れ込む宇治川の中洲のようなところに築かれた城である。水に守られた孤島の城とも言うべきもので、迂闊に攻め寄せれば手痛い反撃を受けることとなろう。

 無論、現状から考えれば負けることなどありえない。

 彼らに援軍がやって来る希望はなく、力攻めでも十分に制圧できるのは明らかだった。とはいえ、川を渡らねばならぬのであれば、敵にとってはいい的になりかねない。水に足を取られたところを、矢で射ればいいのだ。

「そうですな。まず、我等の手勢で正面より槇島城を攻めまする」

「何、正面からか?」

「然り。無論、これは囮。本命は、その側面より、浅い箇所を通って城に迫りまする。どこを渡るべきか、昨夜のうちに草を出して調べておきました故、問題ありませぬ」

「ほう、抜かりないヤツ。よし、ではそれの策で進めよ」

「御意」

 政長は、鎧の音を盛大に立てて、天幕を後にする。

 事ここに至れば槇島城など、瞬く間に落とせる程度でしかない。敵兵の戦意は低く、加えて宇治田原の敗残兵を収容したことで物資の消耗も速くなる。そうした不安が、常に彼らには付きまとっているのだ。

 さらに、晴元軍には攻略を急ぐ理由もあった。

 氏綱に味方した将を手早く片付けなければ、管領の手腕が問われることになる。そうなれば、氏綱に心を寄せる者もさらに増えてしまうかもしれない。それだけは、なんとしても防がねばならない。

 それが、晴元並びに政長が槇島城の攻略を急ぐ理由でもあった。

 そして、そういった晴元の理由とは別に、政長のみの理由として丹波国で力を示している長慶への対抗心ということもある。

 月影に浮かぶ槇島城も、今となっては風前の灯に過ぎない。

 政長は、槇島城を攻略するため、まずは六角家から援軍を寄越してくれた蒲生家に川を渡るように指示を下した。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 京の動乱の中で、将軍職に就く俺にできることは現状では状況を把握することだけであった。

 将軍でありながら、その言葉に重みがないというのは辛いことであるが、嘆いていても仕方がない。

 細川晴元と細川氏綱の戦いは、結局のところ両細川の乱の延長にあるものでしかないのだ。

 今から四十年ほど前の管領細川政元の暗殺を継起とする細川京兆家の内訌は、政元の三人の養子である関白九条政基の子、細川澄之、阿波守護家の細川澄元、そして京兆家の分家である野州家の細川高国らによる勢力争いであった。

 澄之は早々に敗死、その後の戦いは澄元と高国、そしてそれぞれが推す将軍候補による対立へと発展、最終的に、高国が勝利して高国が政権を樹立する。

 無論、それだけでは終わらなかった。高国の勝利は、細川家を二分する戦いを一時的に小康状態にしただけに過ぎなかったからだ。

 高国の失政に反発した勢力により、高国は失脚した。そして、澄元の子晴元が管領へと就任することになるのだ。

 こうして、今の細川政権は阿波守護家系の細川京兆家が継ぐこととなった。

 三好家が晴元に従っているのも、晴元の父が阿波守護の家系だったことを縁としているからである。

 そして、晴元にとって高国は父の仇なのであり、それだけを見れば晴元に義があったと言えるだろう。しかし、それは同時に、高国の養子である氏綱にも晴元討伐のきっかけを与えるものにもなった。細川政権の中で復讐の連鎖が起こっているのだ。

 これを断ち切るには、やはり一方の勢力が完全に敵を討ち果たすしかないのだろう。

 あるいは、どちらかが遺恨を忘れて粛々と生きるか。

 後者の難しさは、想像に難くない。俺でも嫌だと思う。しかし、そういったことが繰り返されているのもまた、戦国時代なのだ。

 正義を語るには力がなくてはならないか。

 無常感を覚えるのも仕方がない。

 道徳や法は、個人が持つ軍事力の前には大した力にもならない。軍権の暴走というのが、いかに恐ろしいかということを如実に物語っている。

 自室で情報収集に当たる日々に、聊か飽きてきた。京の南で戦が起きているというのに、座っているだけというのも味気なく思えるのだ。

「だめだな、これは……」

「どうか、されましたか?」

 俺の呟きに反応したのは、六角義賢だった。色素の薄い髪に、それ以上に薄い影。弱弱しそうな表情が常の彼女は、六角家の次期当主でもある。

 俺との関係は、幼馴染というべきか。近江国に逃げたときからの付き合いになるので、思い返せばかなり長い付き合いだ。

「だ、大丈夫です。もしも、敵が押し寄せてきても、わたしが義輝様をお守りしますから」

 俺が気落ちしたと勘違いしたのか、義賢は膝立ちになって俺のほうに手を伸ばす。ただ、本人はそこからどうしたものかと悩んで結局座り直した。

 俺が言いたかったのは、木沢長政のときのように、俺が打って出て敵を倒してしまおうという名誉欲が出てきてしまったことに関してなのだが、それは言うまい。

 大きなことを言ったからか、あるいは自分の不意の行動を恥じたのか、義賢は黙って俯いた。

 なんとも愛らしい仕草に思わず頬が緩む。

「ありがとうな、義賢。しばらく逢わないうちに、ずいぶんと頼もしくなったね」

「そ、そうですか?」

「ああ、誰がなんと言おうと、義賢は強くなったよ」

 かつての仕事以外では部屋の外から一歩も出たくないというような極度の出不精が多少なりとも改善されているのは喜ばしいことだ。それでいて、本人は非常に頑固者でもある。嫌なものはとにかく嫌だといって聞かないのだ。しかし、その反面、仕事となればあっさりと気持ちを切り替えて外に出る。その切り替えの早さも、彼女の特徴の一つと言えるだろう。

「……あ、ありがとうございます」

 義賢は照れたのか頬を赤らめて小さくなった。

「後でまた、弓術を見せてくれ。俺も人並みに弓を引くが、義賢ほどにはいかなくてな」

「そんな、ご謙遜を。義輝様の弓を拝見しましたが、それはすばらしいものでした」

「そうはいっても、俺は剣術のほうが得意だからな。刀を握ったときの感じと違うんだよ。こう、必ずやれるっていう感じがなくてな」

「あの、それはもう本当に窮めた状態でないと……そうはならないのではないでしょうか」

「だから、俺は弓も窮めたい。まあ、剣術もまだまだではあるけどな」

 窮めたなんて言えるものではない。ただ、得意というだけである。小次郎のような例もある。俺の剣術は無双には至らないし、弓のほうが何かと便利でもある。

「ちなみにどんな気持ちで射ってるんだ?」

「そうですね。ええと……」 

 と、義賢は言葉を詰まらせた後で思案し、

「中ると思って射ってます」

「中ると思って?」

「はい。中ると思えば中りますから。そう思えないのは、身体で覚えていることが実践できていない証拠です」

「なるほど、深いこと言うな」

 精神論ではあるが、確かにその通りなのだろう。自分の積み上げたものは身体が覚えている。考える前に体が動くというのは、そういうことなのだろうし、ならば、身体の記憶と自分の行動が異なれば違和感となって現れる。それが、自分の力が出せなかったということなのだ。

「だけどさ、それってもう窮めてるよな」

「そうでもないです。まだまだ先は長いですよ。だって、十回に一回は真ん中からずれますから」

 的の中心からずれても的には中る。それは、義賢に狙われたら、必ず射殺されるということである。それだけの腕前ならば窮めていると言っても過言ではないはずだが、義賢はきっと認めないだろう。まあ、俺だって雑兵十人に囲まれても切り抜けられる自信はあるし、と心の中で対抗意識を燃やしつつ、武術談議に花を咲かせるのであった。

 

 

 山城国に押し寄せた反乱軍は、一月も持たずに壊乱して逃げ散った。

 晴元の力は未だ健在で、氏綱は身を潜める以外になかったのだ。

「内藤国貞は逃げてどっかに行ったってさ」

「そうか……」

 孝高の報告に、俺は一言だけ答えた。

 畿内の絵図を囲んでいるのは、俺と孝高、そして義賢である。小次郎は、俺のすぐ背後に正座しながら目を瞑っている。気配を極限まで消す小次郎の神技には、義賢も驚いており、是非教えて欲しいと詰め寄っていた。大方、自室に閉じ篭るのに使えるとでも思ったのだろう。もっとも小次郎の気配遮断は、仙人の領域なので、俺たちが頑張っても、辿り着くころには爺婆になっていることだろう。

 だが、俺にはわかる。小次郎は今、瞑想しているようで寝ているだけだと。

 実際、彼女は話に加わることは基本的にないので寝てても問題ない。

「長慶の軍勢が内藤を落とした、か。そうなると、丹波は晴元の影響下に戻るな」

「少なくとも、明確に叛旗を翻すって連中はしばらく出ないかな」

 丹波国の三代領主のうち、波多野家は晴元派、赤井家はよく分からないが将軍派、そして内藤家は今回の騒動で崩れてしまった。以降は、波多野家と赤井家が主導権を奪い合う展開となろう。そして、そこに氏綱が入り込む余地はない。

「後顧の憂いは去ったということでしょうか」

 義賢が孝高に尋ねると、孝高は頷いた。

「少なくとも、後背を突かれる恐れはなくなったわね」

「では、管領様は南進して氏綱派の討伐、となりますか」

「そこまではなんとも。何れはそうなるでしょうけど、山城国内の動揺を鎮める必要もあるしね」

 軍を動かすのも一朝一夕にはいかないものだ。

 氏綱の背後に畠山家の存在があるのは、もはや動かしようのない事実であるが、この畠山家はさらに紀伊国の僧兵集団と繋がっている。それだけでも、非常に大きな武装勢力である。畠山家そのものは、南河内国に押さえ込まれており、北河内国は将軍家がしっかりと守っているので、早々北進してくることもないだろうが、潰すとなれば一苦労だ。

「北河内……」

 義賢は意味ありげに呟く。

「どうした、義賢」 

「あ、いえ。確か、今の北河内守護は、義政だったなと思いまして……」

「そうか、従姉妹だし、気になるか」

「それは、まあ、はい……」

 沈鬱な表情で、絵図の『北河内』と書かれた部分に視線を落とす義賢。義賢は、今でこそ六角家の次期当主ではあるが、実は本来ならば、義政が六角家を継ぐはずだったのだ。

 戦乱の常か、当主もまた命の危機に曝される。義政の父である六角氏綱は、若くして亡くなってしまった。そのため、六角家の跡を継いだのは氏綱の弟の定頼であり、六角家当主の系統が代わってしまったために、義政は六角家に居場所を失ったのである。

 そして、伊賀国及び伊勢国に六角家が手を伸ばす大義名分を得るために義政は伊賀守護家である仁木家の養子に入れられた。

 俺が義政と出会ったのも、彼女が仁木家を継いだことで御相伴衆となったのがきっかけであった。

「その仁木殿は、藤孝殿と一緒に警戒網を敷いてるよ。やっぱり、北河内を押さえてるのは、大きいよね」

「ああ、まったくだ」

 南河内国方面からの敵を封じつつ、和泉国や摂津国も警戒できる。まさに最重要地点である。石高も比較的高いし、ここを支配下に置けたのは、俺の人生でも最大級の収穫であった。

「だからこそ、敵の動きも鈍いのかな」

「そうだね。山城で暴れてる連中も、南河内との連絡がしにくいから援軍を請うのも時間がかかりそう。それに、堺とかももう長慶殿が安定させたし」

 細川氏綱が堺で長慶に敗退したのが、山城国や丹波国で挙兵した者にとっては致命的だったということだ。

 氏綱が退いてしまったことで彼らは支援が受けられなくなって孤立してしまった。総大将が崩れたことで、纏め役がいなくなり、それぞれの勢力での連携が図れなくなったのだ。そこを、晴元が各個撃破していく。戦術としてはオーソドックスだが、とても効率的なものである。

「一先ずは、管領方が優勢、……いや、これはもう勝ちかな」

「この段階で敗北はないだろう。氏綱に大義はないのだしな」

 氏綱が叫ぶのは、父と養父の敵討ちと管領職の簒奪である。どちらも権利としては間違っていない。戦国時代の常識では、父の敵討ちは至極当然のように正当化される。

 だが、俺は個人的に認めない。

 木沢長政の反乱を治めた直後に戦乱を呼び起こした時点で、俺の敵だ。

 人がどれだけ苦労してここまで来たか。氏綱のヤツはそれを灰燼に帰すところだったのだ。

「今回の一件で露見したのは、管領の人望のなさと未だ畿内には不穏な空気が流れているということか」

 教訓としては、あまりにあんまりではないか。

 それも、元凶は細川家である。

「義ちゃん」

 突然、背後で小次郎が動いた。膝立ちになり、足元に置いてあった大太刀の鞘を掴んで抜刀の姿勢になった。

 小次郎の動きで、俺たちにも緊張が走った。小次郎の目は障子戸に向けられている。外に誰かの気配を感じている。

「どなたですか?」

 義賢が声をかけた。

 すると、唐突に障子戸の向こうに人の気配が現れたのだ。

「仁木義政様にお仕えする服部半蔵と申す者にござります。我が主より、至急殿下にお渡しするようにとの命を受けまして、書状を持って参りましてござります」

「何、義政の、いや、服部半蔵、と言ったか?」

「御意」

 義政、いつの間にそんな大物を配下にしていたんだ。

 服部半蔵と言えば、徳川家康に仕えた忍者の代表格ではないか。何をした人かは知らなくても、忍者ということは誰でも知っている。

「義ちゃん。あたしが」

 俺が頷くと、小次郎は刀を腰の高さに持って、いつでも抜刀できるようにし、徐に立ち上がった。そして、滑るように障子戸の前に立って、開けた。

 ギョッとした。

 そこには、頑強で寸分も素顔が見えない仮面を被った奇妙な姿の人間が平伏していたのだから。

「ぴッ」

 義賢が声を上げそうになった。孝高も目を見開く。

 小次郎だけが淡々と書状を受け取り、俺の下に持ってきた。

 俺は書状を受け取って、ザッと目を通した。最初に確認したのは花押と書名だ。確かに、これは義政のものに相違ない。半蔵の言うことは間違いではないらしい。

 安心して読み進めていくと、さすがに顔色を変えざるを得ないことが書いてあった。

「稙長が死んだ……!?」

 畠山家の当主であり、影ながら氏綱を支えてきた畠山稙長が高屋城にて病死したというのだ。

 木沢長政の反乱に際して、遊佐長教が連れ戻した人物だ。年齢は四十に届くかどうかというころだったはず。これからという歳ではないか。

「これは真か?」

「真にござります」

 仮面のうちから女性のものと思しき声が聞こえる。服部半蔵も女性だったのか。とことんこの時代の有名人は女性になる運命らしい。ここは男子筆頭の俺が頑張らねばと気持ちを新たにした。

 そして、俺が男子の何たるかを知らしめんと誓ったとき、半蔵は仮面に隠れた顔を上げて、固まっていた。

 どうしたのだろう、と思っていると、

「よ、義政様、何故こちらに!?」

 などと叫んだ。

「ふぇ……?」

 その視線は、おそらく義賢に注がれている。

「え、あの、わたし……」

「拙者、義政様の命を即実行せんと全力で走って参りましたのに、如何なる法で先回りをされたのでござりますか!?」

 どうやら、半蔵は義賢を義政と勘違いしているらしい。確かに、二人の顔はよく似ている。

「あ、あの、半蔵さん」

「拙者、走る速さでは義政様にも負けぬと自負しておりましたが、拙者などまだまだ若輩者でござりました。汗顔の至りにござります!」

「で、ですから……」

「これからも修練に励み、義政様のお役に立つよう精進を重ね……」

「違うんですってばぁ……!」

 義賢の必死の叫びが室内に響いたのだった。

 

 

「六角義賢様であらせられましたか。知らぬとはいえとんだ失礼を」

「あ、いえ、いいんです」

 半蔵は勘違いを恥じて再び平伏の姿勢を取った。もはやそれは土下座にも等しく、床に額をこすり付けんばかりであった。

 義賢の性格ではこうしたことで叱りつけるのはできないのだろなと思いながら、俺は愉快な義政の部下に話しかけた。

「ところで、君はどうして直接持ってきたんだ? 怪しまれるようなことまでして」

「主には将軍殿下に渡せとの命を受けましたので」

「直接渡しに来たと?」

「御意」

 真面目か。真面目でも、将軍の寝所にその格好で訪れないだろう。少々ずれたところがあるようだ。

「稙長が死んだこと、よく察せたな」

「それもこれも義政様の功にござります。高屋城は今、混迷を極めておりますので、この当主の死に関しても家臣たちは厳しく口止めされていたでござります」

「どうやって聞き出したんだ?」

 そこが気になったので、ちょっと聞いてみた。遠くで働く義政がどのように活躍しているのか聞いてみたかったのだ。

「領内に潜入していた南河内の忍を捕らえ、聞き出したのでござります。義政様の手練手管ならば、相手に痛みを感じさせることもなく、するりと情報が零れるのでござります」

「そうか」

 義政の忍の技というのも、かなり恐ろしい技のようだ。どのようなものか気になるところだが、あまり踏み込まないようにしたほうがいいだろうと勘が告げていた。

「分かった。義政には承知したと伝えてくれ」

「御意」

 無駄口を叩かず、半蔵は姿を消した。

 文字通り、霞のようにだ。目で追えたのは、俺と小次郎くらいのものだった。

「まさに忍者だな」

「服部って、殿下のお父君にお仕えしていた忍者の姓じゃん。縁者かな」

 孝高が、ポツリとそんなことを言った。

「え……孝高、どういうことだよ、それ」

「知らなかったの? 義晴様には、服部保長っていう伊賀の忍が就いていたはずよ」

「なんてこった……」

 優秀な家臣集めをしていたと思ったら、情報戦という重要な局面で使える人物を見落としていたというのか。

 それがいつの間にか義政のところに流れていた。

 服部氏は伊賀の氏族だ。義政は伊賀の守護でもあるので、納まるところに納まったということであろうか。

「伊賀を押さえたら、ああいう忍者集団を組織できるのか」

 そんなことに浪漫を感じながら、稙長の死がもたらす影響について考えなければならなくなった。

 

 

 孝高はより詳しい情報を求めて部屋を辞した。残ったのは、小次郎と義賢の二人である。

 もう時間も遅くなり、外に出れば明かりは月光だけという状況だ。あまり、女性が男の部屋に長居するものではないと、義賢に言ったときのことだった。

「義輝様。今宵は、お部屋に泊めていただいてもよろしいでしょうか?」

 そんなことを言い出したのは、義賢であった。

「え、どうしたんだよ急に」

「あ、その。えぇ、と」

 視線を彷徨わせる義賢は、頬を染めて、搾り出すように言った。

「今回の戦も、もう終盤ですし、……終わったら、近江に帰らないといけません。それで、……できる、だけ、義輝様と一緒にいたい、です」

 後半はもうほとんど消え入りそうな声だった。義賢は、震える手で俺の左の手に触れる。

 可愛い、と素直に思った。

「義賢……ごッ」

 妙な声が出た。

 小次郎が、俺の右手にくっ付いて来たからだった。思い切り抱きついているために、豊かな二丘に二の腕がめり込んでしまっている。適度な弾力と柔らかさを意識しないようにして、俺は小次郎に視線を向けた。

「おい、小次郎……」

 だが、小次郎は俺のほうなど見向きもせず、義賢をじっと見つめている。

「津田さん……」

「義ちゃんの身の回りを守るのは、あたしのお仕事ですんで」

 う、と義賢は怯んだように身を引く。小次郎が、義賢の行動を敵対的と見なしたのか。が、義賢もまた、小次郎を見返す。

「わ、わたしも義輝様をお守りせよと父上から命じられています。それに、義晴様からもです」

 義賢もまた、負けじと言い返す。

 それから二人は黙ってただ至近距離から視線を激突させた。互いに無口な性格なので、相手を罵ったり、自分の主張をするということがない。ただ意思を視線に込めてぶつけるだけであった。

 最終的に川の字で寝るという着地点に落ち着くまでに、無言の応酬が室温を下げに下げていた。

 

 

 そのため、その夜は非常に寝苦しかった。

 可愛らしい少女に挟まれているのだ。童貞将軍に安眠などできるはずがない。少女といっても、実は二人とも年上なので、その辺りどうかと思うけれども、見た目が年下だから困る。おかげで年下好き疑惑がフルスロットルである。

「あの、義輝様」

「ん?」

 隣を向くと、義賢の顔がすぐ近くにあった。月光が室内に入ってきて、色素の薄い髪に弾けている。

「ありがとうございました」

 唐突に礼を言われて、俺は脳裏にクエスチョンマークを浮かべる。それを察したのか、義賢は仄かに笑った。

「義政のことです。義政を、きちんとした地位に就けてくださって……」

「そういうことか」

「わたしが、こんなことを言う資格なんてないんですけど。でも、やっぱり気になって……」

 数奇な運命に翻弄された義政が落ち着いたのは、北河内国の守護という地位だった。伊賀守護は肩書きであって、実質ではなかった。六角家が欲したのは、その地位であり、義政の力は必要とされなかった。形だけの守護職。ただ使われるだけの人生。それは、義政の心を大きく傷つけていた。初めて会ったときの義政の、すべてを諦めてしまったかのような諦観の表情を覚えている。

「本当にありがとうござました」

 そう言って、義賢は俺の肩に頬を寄せて目を瞑った。

 




懐かしの半蔵登場。初代のHPを覗いて見たら伊達家の家紋が手抜き過ぎて笑ってしまった。
デュクシー一体で戦終わるがな。
にじふぁんでやってた頃から大きく設定が変わったのは、藤孝と義政の二人。
藤孝は初代の双子設定から3にチェンジ。そして、義政は小悪魔いたずらっ子から真面目な感じにチェンジ。そのため、初登場時にいきなり義輝にキスして小次郎その他の目からハイライトを消すというシーンが没になってしまった挙句、京から離れてしまうという不遇さ。
本編でも六角時代にいろいろといいように使われたりして中々の不幸ちゃんです。

義政の手練手管は、まあ、彼女の技はくの一のそれだったりして、あんなことやこんなことがあったりなかったり……おや、今誰か後ろにいたような……

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